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No.19828の一覧
[0] 少女の愛した狼 第三部完結 (和風ファンタジー)[スペ](2011/12/14 12:47)
[1] 命名編 その一 山に住む狼[スペ](2010/11/01 12:11)
[2] その二 出会う[スペ](2010/11/08 12:17)
[3] その三 暮らす[スペ](2010/10/23 20:58)
[4] その四 おやすみ[スペ](2010/06/28 21:27)
[5] その五 雨のある日[スペ](2010/06/29 21:20)
[6] その六 そうだ山に行こう[スペ](2010/06/30 21:43)
[7] その七 天外という老人[スペ](2010/07/01 20:25)
[8] その八 帰る[スペ](2010/07/03 21:38)
[9] その九 拾う[スペ](2010/07/12 21:50)
[10] その十 鬼無子という女[スペ](2010/11/02 12:13)
[11] その十一 三人の暮らし[スペ](2010/07/07 22:35)
[12] その十二 魔猿襲来[スペ](2010/07/08 21:38)
[13] その十三 名前[スペ](2010/09/11 21:04)
[14] 怨嗟反魂編 その一 黄泉帰り[スペ](2010/11/01 12:11)
[15] その二 戸惑い[スペ](2011/03/07 12:38)
[16] その三 口は災いのもと[スペ](2010/11/08 22:29)
[17] その四 武影妖異[スペ](2010/12/22 08:49)
[18] その五 友[スペ](2010/10/23 20:59)
[19] その六 凛とお婆[スペ](2010/10/23 20:59)
[20] その七 すれ違う[スペ](2010/10/23 20:59)
[21] その八 蜘蛛[スペ](2010/10/23 20:59)
[22] その九 嘆息[スペ](2010/10/23 20:59)
[23] その十 待つ[スペ](2011/03/25 12:38)
[24] その十一 白の悪意再び[スペ](2010/12/01 21:21)
[25] その十二 ある一つの結末[スペ](2010/11/08 12:29)
[26] 屍山血河編 その一 風は朱に染まっているか[スペ](2010/11/04 12:15)
[27] その二 触[スペ](2010/11/09 08:50)
[28] その三 疑惑[スペ](2010/11/13 14:33)
[29] その四 この子何処の子誰の子うちの子[スペ](2010/11/20 00:32)
[30] その五 虚失[スペ](2010/11/22 22:07)
[31] その六 恋心の在り処[スペ](2010/11/29 22:15)
[32] その七 前夜[スペ](2010/12/13 08:54)
[33] その八 外[スペ](2010/12/22 08:50)
[34] その九 幽鬼[スペ](2010/12/27 12:12)
[35] その十 招かざる出会い[スペ](2011/01/03 20:29)
[36] その十一 二人の想い[スペ](2011/01/07 23:39)
[37] その十二 味と唇[スペ](2011/01/16 21:24)
[38] その十三 雪辱[スペ](2011/02/16 12:54)
[39] その十四 魔性剣士[スペ](2011/02/01 22:12)
[40] その十五 血風薫来[スペ](2011/05/25 12:59)
[41] その十六 死戦開幕[スペ](2011/02/24 12:21)
[42] その十七 邂逅[スペ](2011/03/20 20:29)
[43] その十八 妖戦[スペ](2011/03/23 12:38)
[44] その十九 魔弓[スペ](2011/03/31 09:00)
[45] その二十 死生前途[スペ](2011/05/17 08:55)
[46] その二十一 仙人奇怪話[スペ](2011/05/22 21:31)
[47] その二十二 魔狼と魔剣士[スペ](2011/06/05 20:58)
[48] その二十三 真実[スペ](2011/06/20 12:56)
[49] その二十四 別離[スペ](2011/09/02 23:49)
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[19828] その二 戸惑い
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/03/07 12:38
その二 戸惑い

 はらり、はらり、と大ぶりの枝から清澄な風に吹かれた緑葉が一枚、また一枚と散っている。燦々と降り注ぐ陽光が地に落とす影と木漏れ日とが織りなす明暗の幕の中に、裾の解れた野袴と藍色の筒袖姿を纏う人影が一つ。
 さらり、さらり、と人影が動くたびに靡いては朝陽を浴びて栗色の髪は眩く煌めき、髪の一本一本に砕いた金剛石でも塗されているのかと思うほどに美しい。
 真新しい草鞋は足元を覆い尽くす緑の絨毯の上を時に氷の上を滑るように、時に舞台の上で舞い踊るように飛び跳ね、体のすべてが羽毛で出来るかのような軽やかさ。
 朝の稽古に励む人影は、芳香薫る美貌の女剣士四方木鬼無子。
 半眼に細められた星の明かりのない夜の色をした瞳は、目の前に在るモノを見るとも見ず、この世ならぬ何かを見、意識は幽冥境の彷徨っているかのように虚ろを孕んでいる。
 筒袖から覗く細腕は象牙細工のように白く、また月の光だけを浴びせて育てられた貴種の姫君の様に細い。
 ゆえに、その右手に握られた品はひどく不似合いなものであった。
 握られているは通常の刀剣よりも一尺ほど長い刀身に、数千を数える霊験あらかたな宗教文字が刻み込まれ、妖魔の骨を材料の一つとし鍛え上げられた霊刀・崩塵。
 通常の刀よりも長い刀身もさることながら、その柄尻から切っ先に至るまで、崩塵が自ら発する不可視の霊気は一瞬の荘厳ささえ帯びており、触れる事さえも憚られる雰囲気を持っている。
 残る左手を緩やかに開いて、いまにも目の前の誰かに掴みかかるように指が曲げられていた。相対する敵に対する確実な殺傷を大前提に置く鬼無子の戦い方を考慮すれば、右の刃を躱した敵の喉笛を握り潰す為の形であろうか。
 紛れもない歴戦の風格を漂わせる美駆に淫心を催した風が鬼無子を拐す為に強く吹けば、簡単に浚われてしまいそうな軽やかな鬼無子の動きではあったが、不思議と早さはなく、むしろ緩やかな流れを持った舞踏を思わせた。
 枝葉の落とす影と零れ落ちる陽光を切り裂く崩塵の刃には、奇妙といえば奇妙な、かといっておかしな、とも言い難いものがいくつも貼りついている。
 先ほどから鬼無子の周囲に舞い落ちている緑葉である。肉厚の木の葉が十枚、二十枚と幾重にも重なりながら、刃に対してほぼ直角に近い角度で張り付き斬られる事もなく、落ちる事もなく崩塵を緑の衣が包み込んでいる。
 鬼無子は、はらり、はらり、と風に任せて舞落ちる無数の木の葉を斬るわけでもなく、刃に吸いつけるようにして木の葉を落とさず、崩塵を包み込む木の葉の数を重ねてゆく。
 昇陽が人の手では到底作りえない雄大な線を描く山々の稜線と、大きく育った無数の木々を黄金に照らしはじめた時刻から行われていたこの奇妙な舞は、遂には崩塵の刃圏内で、地面に落ちる木の葉がなくなるまで続けられた。
 規則性もなく、風の吹くままに舞い落ちる木の葉を視覚に依らずわずかな風の動き、さらには木々の放つ人間とは異質かつ淡い気配の変化を察して、落葉のすべてを捉える一連の動きは、およそ尋常な人間の成せる行いではない。
 川が上流から下流に絶えず流れるように淀みなく動いていた鬼無子が、不意に流麗な足捌きを止め、それに続くようにして崩塵の動きもまた止まる。
 崩塵の刃に張り付いていた木の葉が刃の角度に沿って落ちるかと見えた瞬間に、鬼無子の右手首がわずかに捻られるや四十枚を数えていた木の葉、そのすべてが水気をたっぷりと含んだ鮮やかな断面を晒して真っ二つになる。
 二つに斬られた木の葉を拾い集め、断面を合わせれば斬られた事を忘れたとでも言うようにして、一枚の木の葉へと戻ることだろう。
 ふう、とかすかな吐息が鬼無子の唇から零れた。野を彷徨う素浪人としか見えない格好をしていても、深い懊悩に胸を痛める貴人のごとく映るのだから、この剣士の美貌もその腕前同様に非凡なものだ。
 熟練の剣士を十人集めても到底及ばぬであろう剣技に加えて、妖魔の血を引くがゆえの人間の枠を超えた圧倒的な身体能力に支えられた鬼無子の武力は、どの国の君主でも眼を魅かれるものがあるのは間違いないが、あるいはその武力よりも飾らずとも月夜に輝く月のように清楚な美貌をこそ望む者も少なくないだろう。
 その鬼無子の背に、若い青年の声が掛けられた。鬼無子が起床後、すぐさま樵小屋の外に出て舞踏ならぬ“舞刀”の型をはじめてから、ずっとその姿を見つめていた青年である。

「お見事。つい見惚れてしまったな」

 飾る言葉の無い身近な賛辞であったが、幼少の頃から賞賛の言葉だけを聞かされて育った者でも、はにかんだ笑みを浮かべてしまいそうなほど心が込められている。
 どんなに美しく語彙豊かに飾り立てられ、風情に富んだ美辞麗句を並べ立てられるよりも、この声の主に賞賛の一言を囁かれるほうが百倍も二百倍も価値がある。
 鬼無子にも声の主の言葉に偽りは無縁と分かったのであろう。
 疲労の影一つない白磁の頬にかすかな朱の色を浮かべて、自らの拙さを恥じ入るように微笑む。

「未熟な技です。お恥ずかしい所をお見せいたしました。お忘れください、雪輝殿」

「いや、謙遜することはなかろう。剣を振るう事を生業とする者を私は鬼無子しか知らぬが、君の腕前が非凡なものであるとは分かる」

 これもまた先ほどの言葉と同様に賛辞の気持ちを満と湛えた言葉である。背後を振り返る鬼無子の瞳に、太古から降り続けた雪のもっとも純粋な部分と、白く冴え冴えと輝く月光を集めたように美しい狼の形をした輝きが映る。
 鬼無子の記憶の中に比肩するものの無い美しいと喩える他ない狼の妖魔の雪輝であるが、鬼無子を見つめる今は主人の帰りを待つ忠犬のように腰を下ろし、目元を緩めた顔をしている。
 もっともその体勢でも鬼無子とそうさほど背丈の変わらぬ巨躯をしていては、初見のものでは柔和な雰囲気よりもその巨躯に意識を奪われて二の足を踏むだろう。

「わざと葉を斬らなかったようだが、斬れるものを斬らないようにする訓練かね?」

「斬り易きを斬らず、斬り難きを斬る。斬るべき実体を持たぬ妖魔の類を斬るための基礎的な修練法でして、斬ろうとしなくても斬れてしまうものをいかにして斬らぬようにするか、という事をとっかかりにして“斬る”という行為を理解するのです。
 極めれば望むもののみを斬り、望まぬものを斬らぬ太刀を振るえるようになり、確たる血肉を持たぬ者も斬る事が出来るようになるのですよ。基礎中の基礎ですが、それゆえに疎かにはできません。妖気孕む風や砂、霧を肉体とする妖魔や霊魂のみの相手を斬れねば、一人前の退魔士を名乗ることはできませぬから」

「ふうむ。妖魔の血を引いていたのは血の匂いから察していたし、鬼無子の口からも聞いてはいたが、退魔士を生業としていたというのは初耳だな」

「そうでしたか? もう大抵のことは話していた気になっておりましたが」

 と小首を傾げる様子からは、鬼無子が自分の簡単な生い立ちをもう話したつもりになっていた、という位に雪輝に心を許している事が伺える。
 崩塵の刀身を腰帯にはさんだ鉄鞘へ鞘鳴りの音一つ立てずに納める。
 普段の歩き方も枯れ枝や草の束を踏んでもほとんど足音一つ立てず、無意識のうちにあらゆる行動において発生する音を極力排するように心がけているのは、音に敏感な妖魔を相手にする為の訓練を長い間積み、習慣となっているからだろう。
 汗の珠ひとつ浮かんでいない涼やかな美貌にわずかな疑問の色を刷きながら、雪輝のすぐ前へと鬼無子は歩み寄った。
 緊張を体のどこにも帯びていない姿から、雪輝に対してわずかほども警戒心を抱いていない事がわかる。
 ほとんど高低差の無い青い瞳と目線を合わせながら、ふと、鬼無子はまだ一度も雪輝の毛並みに自ら触れた事が無かった事を思い出し、なんとはなしに腕を伸ばして雪の首筋の辺りの格別ふっくらと膨らんでいる毛並みを撫でた。
 雪輝の気性ならば事前に了承を得なくとも許してくれるだろう、という考えは正解だったようで、鬼無子が自分の首筋を撫で始めた事に雪輝は最初こそどこか驚いた風ではあったが、かすかに口端を吊り上げて狼面なりに微笑を浮かべる。
 最初は戸惑いがちな鬼無子の腕であったが、じきにひなが夢中で撫でる雪輝の毛並みの心地よさに気づいたらしく、何度も何度もさらりと滑る白銀の毛を拙くはあるが優しい手つきで撫でてゆく。
 手櫛の隙間を水のように流れてゆく白銀の毛は、極上の絹織物も到底及ばぬ滑らかな手触りで、撫でる指になんら抵抗することなく手の動きに合わせて流れてゆく。
 このような感触だったのか、と感心した表情を浮かべていた鬼無子であるが毛皮を撫でる回数が増えるにつれて、陶磁器のように滑らかな眉間や大地に白銀の化粧を施す雪原を思わせる頬から力が抜けてゆく。
 陽の当たる縁側で膝の上に乗せた飼い猫を撫でてまどろんでいるか、じゃれ付いてくる飼い犬を構っているように緊張を忘れて弛緩しきった顔に変わりはじめていた。
 ひなと雪輝と同居し始めてから、鬼無子が武士らしからぬ緩んだ表情を浮かべている事は多々見受けられるのだが、今ほど緊張の糸が弛んでいる心理状態になっているのは珍しい。

「これは、なるほど、ひなが雪輝殿の毛並みを飽きずに撫で続けるわけです。なんと申し上げればよいか、某、風流を嗜みませぬ不作法者ですので相応しい言葉が見つかりませぬが、一日中触れていても飽きはしないでしょう。ふうむ、うん、これはいい」

 目元を緩めて撫でる手から伝わる心地よさに心委ねる鬼無子に、雪輝も陽だまりにまどろんでいるような柔らかな声で答えた。ひなに撫でられる事はもはや別格としても、鬼無子に撫でられるのもそう悪くはないようだ。

「褒めて貰えて嬉しい。このように私に触れてくれたのはひなが初めてで、鬼無子で二人目になる。これまで私に触れようとした者たちはまず私の命を狙ってのことだったから、このように触れられる事がここまで心地よく感じられるとは、つい最近まで知らなかった事だ」

 確かに雪輝の言う通りで、この白銀の狼が誕生してから出会った者たちの中に、友好的な意味合いを持って雪輝に触れようとした者は、ひなが初めてであったろうから、鬼無子にされているように撫でられる経験はほとんどないのだろう。
 雪輝の言葉を聞いているのかいないのか、次第に熱意を持って雪輝の毛皮を両手を使って撫で回し始める鬼無子の様子に、雪輝はこの狼にしては珍しく苦笑に近いものを口元に浮かべた。
 普段の落ち着き払い武人然とした態度を心がけている鬼無子と、年相応にあどけなさを滲ませながら喜色を浮かべて、自分の毛皮を存分に撫でている鬼無子の様子が、まるで正反対なものであったから、雪輝は出会ってから初めて目の前の女剣士を可愛らしく感じていた。
 朝食の支度をしているひなから声がかかるまでこのままかな、と雪輝は思ったが、不意に初めて鬼無子の剣舞を見た時の事を思い出し、今朝の修練と合わせて気になった事を問うてみた。
 ひなを挟まずに鬼無子と雪輝が二人だけになるというのは、樵小屋での三人生活の中ではなかなかある事ではなかったから、話をするにはちょうど良いか、と思ったからだ。

「妖魔との戦いを想定した剣法を鬼無子は使うようだが、人間相手の正道の剣も使うのかね?」

 以前に鬼無子の剣舞を見て人外との戦闘を前提にした邪剣、と感じた事である。流石にとうの使い手本人相手に、君の流派は邪道の剣、などと直接言わない程度の配慮を雪輝も学習していた。
 人間相手の正道の剣、と言われた鬼無子はというと、雪輝の毛皮の感触のあまりの素晴らしさに半ば恍惚としていた顔に、思ってもいなかった事を言われたとでも言うようにわずかな困惑の色を浮かべていた。

「正道の剣、ですか。確かにここ二百年ばかりは人間の国と国との争いが続いておりますから、人間相手の剣法が主流という風潮ではありますが、某のように対妖魔を想定した剣こそ歴史の古さゆえに正道とされておりますよ。この国の歴史においては人間と人間が争うよりも妖魔と争う歴史の方がはるかに長(なご)うございましたから。
 だからといって人間相手の剣が邪道という扱いでもありません。人間を斬る剣も妖魔を斬る剣も、どちらも相手の命を奪う剣である事には変わりなく、共に正道でありまた共に邪道というわけではありませぬよ」

 多少感性のずれた所はあるが、聡明であることは間違いない白銀の狼も、時に間違った意見を口にするのだな、と鬼無子は考えたようで幼子の問いに答えるように柔らかな声で雪輝の言葉の誤りを訂正する。
 鬼無子の答えを聞いた雪輝はというと、両方の耳を先端に至るまでピンと伸ばし、おや、と言わんばかりに眼を丸くしている。彼にとってはなんら疑問を挟む余地もなく対妖魔の剣は邪道に位置する剣であるという認識だったようだ。

「そう、なのか? ふうむ、これは私の思い違いか。君の流派を侮辱するような事を口にしてしまったな。まことに申し訳ない」

 ぺたりと二等辺三角形の耳を前に倒し、鼻と鼻がくっつきそうなほど近い距離にいる鬼無子に、心底申し訳なさそうに雪輝は謝罪の言葉を口にする。
 きゅぅん、と叱られた子犬の様な声がかすかに聞こえ、鬼無子は悪いかな、とは思うものの外見の迫力に反比例して可愛らしいその声に、つい小さな笑い声を咽喉の奥でこぼす。

「いえ。雪輝殿の仰る所も術が過ちというわけではありません。対妖魔の剣それ自体は邪道と謗られるものではないのですが、某の様に妖魔の血肉を持つ外れ者が振るう剣ばかりは邪道魔道の剣と罵りを受けても甘受するほか在りませぬ」

 自らの体に流れる妖異の血に対する自嘲をわずかに匂わせる鬼無子の言葉と、口の端をかすめた笑みを見咎めて、雪輝はこれは拙い事を口にしてしまったとますます鬼無子に対して申し訳なさを募らせる。

「重ねて謝る。すまない。だからこれ以上自分を傷つけるような言葉を口にするのは止しなさい。自らを嘲っても何も良い事はない。それに私は鬼無子の剣をとても美しく真っ直ぐなものと思う。その様な剣を邪道だなんだと罵るような心ないものはおるまいよ。居るとしてもその者の心がひん曲がっているか目が曇っているに違いない」

「そう言って頂ける事は某にとって何よりの誉れです。ふふ、雪輝殿は本当に面白い方です。諸国を旅しさまざまな人と会ってまいりましたが、雪輝殿は下手な人間よりもよほど人間らしい」

 くすり、と新たに零れた鬼無子の笑みが暖かな気持ちによって生まれたものであると分かり、目に見えて雪輝は安堵して肩の力を抜いた。それに合わせてピンと立っていた耳がピラピラと左右に動く。
 雪輝は自分の発言が他者に対して不快感を抱かせてしまう事や、落ち込ませてしまう事に慣れておらず、どう対処すればよいかという経験が全くないので、頭の中が真っ白になってしまうのである。
 そういった対人関係での経験はこればかりは地道に積み上げてゆくしかなく、雪輝は鬼無子やひな、凛の反応に対してこれからも一喜一憂してゆくことだろう。
 これ以上この話をしたらまた鬼無子の気持ちを沈鬱なものにさせてしまいそうだ、と雪輝は懸命にも判断して、これ以上口を開く事は極力避けて、毛皮を撫でるのを再開させた鬼無子の気が済む様にさせる事にした。
 その一方で鬼無子との会話である疑問が雪輝の胸中に大きな疑惑の穴を一つ穿っていた。
 鬼無子の剣を邪道の剣と、なぜ自分が判断したのか、である。
 そも自分が鬼無子と出会うまでの間、目にした人間の武技は山の民が振るう不可思議な武器がほとんどであり、純粋に刀剣の剣法に正邪の判断を付ける知識など欠片も持っていないはずだ。
 なのに、自分は一目で鬼無子の振るう剣技を邪道の剣である、と迷うことなく判断したのである。そう判断する材料を何一つ持ち合わせてはいないはずなのに、だ。
 鬼無子自身の口からその判断は過ちであったと分かりはしたが、どうしてそのように判断したのか、という疑問に対する答えは何一つ提示されていないまま。
 天地万物の気が集まって一個の生命となったのが己である、とは実は天外との会話から判明した事であって、雪輝自身に自覚があるわけではない。ただ否定する材料が何一つ無いことから、天外の言う通りなのであろうと考えているだけだ。
 雪輝の記憶に在る原初の記憶は黄金の盆の様に天空に輝く満月を背にした天外と対峙している光景から始まる。
 そこは山の内側のはずであるが、周囲の木々は巨人の手で乱雑に払われたように根こそぎ吹き飛び、呆れるほど巨大な穴があちらこちらに穿たれ、天地が逆転し攪拌されたような惨状を呈していた。
 ひと際巨大な穴の底で唐突に目覚めた意識は、無知な赤子としてではなく在る程度の教養を兼ね備えた人格を伴っていたが、生まれつき持ち合わせていた知識はいったい何処から来たものなのか。
 己を構成する気の中に山の妖魔の牙の贄となり死した人間達の魂が含まれ、彼らの知識の一部を引き継いでいるのか。
 雪輝は知識こそ幾分欠乏しているが、回転そのものは極めて早い頭脳で考えうる可能性を無数に列挙し、吟味していたが可能性を判断する基礎的な情報そのものが少なく、妥当と判ずる程度の可能性を見つける事もできそうにない。
 この時、雪輝は、この世に発生してから初めて己という存在の在りようについて疑問を芽生えさせ、深い懊悩を抱く事となったのであるが、この狼、基本的に深く物事を考えるのに向いていない性格をしている。
 そのために、次第に撫でる事に慣れてきた鬼無子の手の心地よさに徐々に意識が奪われてゆき、

――まあ、いま考えても答えが出るわけもなし。害になるような事もないだろうから、別に深く考える事もあるまい。

 と、考える事を放棄してしまった。かつて雪輝と数日過ごした時点でひなが気づいたように、この狼の人格(狼格というべきか?)を構成する大きな要素のうち二つは、『呑気』と『楽天的』なのである。
 鬼無子はまだ十数回ほど毛並みを撫でた程度だが、どうやらコツを掴んだようで、撫でられる方の雪輝もだんだんと気持ち良くなってゆき、力の抜けた耳はペタンと左右に倒れ伏して青い瞳は細められている。

「ふむん、鬼無子はなかなか上手だな。犬か猫でも飼っていたのか?」

 暗に自分を犬猫と同じように捉えていると解釈できなくもない雪輝の言葉であるが、愛玩動物扱いされる事には特に抵抗が無いらしい。
 雪輝自身自分の言葉に気づいていないが、愛玩用の犬や猫というものを彼自身は一度も目にした事がないにも関わらず、その存在を知っているようだった。いまもまた、どこで学び知ったのか出所の知れぬ知識を、雪輝は我知らず口にしていた。
 本人が気づいていないものをまだ知りあって日の浅い鬼無子が気づける筈もなく、徐々に頬を紅潮させ始め鬼無子は、撫でる事に熱意を傾け過ぎたせいか、雪輝の言葉を半ば聞き流しており、返ってきた言葉はほとんど夢現を彷徨っているように浮かれた調子だった。

「い、いえ。人間よりも獣の方が、妖魔の気配に敏感ですから、我が家では犬猫や鳥を飼育することはできませなんだ。妖魔討伐用の鳥獣を飼育する秘儀を持つ一族もなかにはおりましたが」

 そのうちに鬼無子はただ撫でるだけでは飽き足りなくなってきたようで、両手で雪輝の首回りを揉み解し、抱きつくようにして首の後ろに手を回して後頭部から背中に至るまで手を大きく動かして毛並みを梳きはじめる。
 鬼無子の好きにさせる、と腹を括った雪輝は思ったよりも大胆に自分の体を弄り始めた鬼無子に、少しばかり困惑しないではなかったが、鬼無子の手が体を触れて行く度にひなに撫でて貰うのとはまた違う心地よさに身を委ねて、心と体を安堵の泥濘に沈めてゆく。
 それが証拠にペタンと倒れた耳や地面に投げ出されていた尻尾は緩やかにではあったが左右に大きく動き、今の雪輝の機嫌が極めて良い事を最大限に表現している。
 むふー、と誰が聞いても安堵しきっていると分かる鼻息を雪輝が零した時である。朝餉の支度を終えたひなが樵小屋の鹿皮の戸を開いて、ひょっこりと小さな顔を覗かせたのは。
 朝餉を済ませたらすぐに畑仕事に出るつもりだったようで、ひなの陽に焼けた肌と小さく細い体を覆っているのは柿色の野良着で、背の半ばほどまで届くほどに長くなった黒髪は、邪魔にならぬように手拭いで纏めている。
 調理の邪魔にならぬようたくしあげた裾を元に戻しながら、雪輝様と鬼無子さんはどちらかしら、とひなは幼いながらに器量よしの片鱗が浮かんでいる小顔を巡らす。

「雪輝様、鬼無子さん、朝ご飯ですよ」

 と朗らかに小鳥の囀りの様に耳に心地よい声を出して周囲を見回し、無垢な黒い瞳が木陰で抱きしめるようにして雪輝の毛並みを撫でている鬼無子の姿を見つけるや、ひなは全身をびくん、と一度大きく震わせる。
 枝葉の大きく伸びた木陰の下で木漏れ日を浴びながら、その場に腰をおろして動く事なく佇んでいる白銀の巨狼に対し、まるで臆することもなく微笑みさえ浮かべて首筋の毛並みに顔を埋め、雪輝の背中や頭を撫でている鬼無子。
 普段なら、鬼無子がしている事を自分がしているはずなのに。いや、鬼無子は普段のひなよりもさらに大胆に雪輝の体に密着し、思うさま巨狼の体に触れている。
 雪輝も雪輝でまるで嫌がる様子はなく、むしろ心地よく感じているようで、鬼無子の好きなようにさせている事が、ひなだからこそその様子から察する事が出来た。
 
――どうして、雪輝様は何も言わないの? どうして、雪輝様に触れているのが私ではなくて鬼無子さんなの?
 
 胸を内側から切り裂かれるような痛みを伴いながら、そう囁く自分の声をひなは聞いた。

「あ……」

 と、ひなは短い一言を零し、何を口にすればよいのか分からずかすかに開いた口を凍らせる。
 普段ならひなの気配を敏感に察知して、声をかければ間髪いれずに答えが返ってくるというのに、それがまるでない。
 それだけ鬼無子と雪輝は互いの事に夢中だという事で、ひなは小さな胸の内に自分でも理解できないほどに大きく暗い黒々とした感情が渦を巻きはじめた事を感じ、傍目にも明らかに戸惑い、どうすればよいのか、何をすればよいのか分からず、胸の前で小さな手をぎゅっと握りしめて、ただ一人と一匹の姿を見つめるしかなかった。
 以前にも、拾ったばかりの鬼無子の体を温めるためにまだ銀狼と名乗っていた雪輝が、裸も同然だった鬼無子の体に覆いかぶさった時にも、この得体のしれない感情を抱いた事を思い出した。
 あの時も、苦しくて辛くて抱え込んでいる黒々とした感情を持て余したのだ。ひなは自分が今感じている二度目のナニかは良くないものだと、雪輝と鬼無子に向けてはいけないものなのではないかと、漠然とではあるがそう理解していた。
 もし雪輝が首を巡らして、言葉をかける事も出来ず小屋の戸口から一歩出たまま立ち尽くすのひなの様子を見ても、ひながどのような感情を抱いているか判断が着かなかっただろうが、鬼無子が気づいていたなら十中八九こう評したことだろう。
 良人(おっと)が逢い引きしている現場を図らずも目撃した新妻のようだ、と。
 しかし、その鬼無子は

「こ、この手触りは、いいいけませぬ。こ、これは、実にけけしからん。本当に、何というも、も、“もふ”か。おぉふ、そ、某、今日までこれほど柔らかで心地よい撫で心地と抱き心地に触れた事は初めての事です。雪輝殿は、け、けしからんもふでありまする。…………あふぅ」

 と、これまでの人生で初めてといって良いほどに気持ち良く感じられる手触りに心を奪われ、その白皙の美貌をとろりと蜂蜜の様にゆるく恍惚と蕩かせていた。
普段は凛々しく一本背筋に鋼の芯を通しているような厳粛な雰囲気を持ち、またその武力も並みならぬ超人的な域に在って実に頼りになり、さらには親しみやすく気さくな性格と文句のつけどころの無い御仁なのだが、雪輝の毛皮の感触に夢中になって頬を緩ませ、息を呑んでいるひなに気付かない様子を見るに、妙な所で残念なお侍であった。


<続>

雪輝は自分の存在に疑問を持ちました。でも忘れました。
ひなは二度目の嫉妬に戸惑っています。
鬼無子は”残念侍”の称号を手に入れました。軽度のもふ中毒です。

皆様にひとつできればお答えいただきたいことがあります。
自分でも気にかけてはいるのですが、文章の描写に関してくどすぎてはいませんでしょうか? 丁寧な描写を心がけているつもりですが、度を過ぎていないかお読みいただいている皆様にお答えいただければ幸いです。


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