「お前、実は女の子と付き合った事ないだろ?」
「へっ?」
両腕を回しながら、俺は隣にいる田中に聞いた。
田中は、擬音に例えるなら「ドキッ!」という音が一番合いそうな顔した。
俺たちは、運動場で準備体操をしている。
天気は相変わらず良くない。
文化祭なら天候はあまり関係ないが、出来れば晴れていて欲しい。
その前に、この肌寒い気温で外に出なきゃいけないことが嫌だった。
「な、なんでお前はそんな事言うんだよ」
「この前の買出しでお前の反応が初々しかった。
見りゃ分かるだろう」
「……」
前後に開脚をしてアキレス腱を伸ばす。
痛くなりすぎないよう適度なところで止める。
隣の男の体操は止まっていた。
「……はあ、お前の言うとおりだぜ。
俺は女子と一度も付き合った事ないよ」
「そうか」
「頑張ってお洒落に気を使った結果がこれだ。
みんなからアイツは遊び人だとか言われるし。
オレだって女の子と付き合ってみてえよ」
田中の体操が再開された。
俺は体を前に曲げて、立ったまま長座体前屈の姿勢をとった。
ハムストリングが心地いい程度に伸びる。
「そんな事言って佐藤の方はどうなんだよ。
無駄に落ち着いたところあるから意外と多いんじゃねえか?」
「そうだな……」
この世界に来てから、佐藤尚輔になってから、俺はまだ女性経験がない。
女の子の手を握ったことすらないことに気がついた。
「俺もないよ。まだ一人も付き合っていない」
「本当かよッ!」
ひと際大きな声を挙げて驚く田中。
俺は田中からどんな目で見られていたんだ?
「お前たち、なに授業中に話しているんだ!!
私語は慎みなさい!」
「すみません~」
体育教師に叱られ、俺たちは小声で会話を続ける。
「とりあえず、俺は田中を応援する。ガンバレよ」
「……ありがとな」
照れくささを隠しながら、最後の深呼吸をした。
グラウンドに引かれた白線を見て、両手で頬を三度叩き気合を入れた。
大トラックに白線があるということは、今日は持久走になる。
今日、勝負するしかない。
▽
正しい主人公の倒し方 第五話
~群集など知らない 意味ない~
▽
「今日は先週言ったように持久走を行うぞ。
男子は1500。女子は1000でやる」
「え~!!」
「うるさい! 口答えする奴らは3000走ってもらうぞ!!
男子は十分後に開始するからそれまでに足りないところを補っておけ」
生徒たちは、グラウンドに散って各々自分の行動を始めた。
友達とお喋りをしている人もいれば、めんどくさそうに体を動かしている人もいる。
しかし、その中に一般人とは違う顔つきになっていく者たちがいる。
その顔は言うなれば、勝負師。
その男たちの瞳の奥には闘志が見え隠れしていた。
女の子たちに自分のイカした姿を見せようと頑張る集団。
コンディションを最高潮に持ってこれるように黙々と調整している。
その押えきれぬ情熱を十分後に発散させようとしている奴らだ。
もちろん、その中に俺も加わっている。
断っておくと、俺の理由は女子より物語の中心に行くためである。
今日の持久走で起こるであろう一つのイベント。俺はある男の登場を待っていた。
そいつは、俺が足首のストレッチしていた時に現れた。
「さあ織田伸樹よ! 俺と勝負したまえ。
柴田さんの前でお前の負けた姿を晒してやろう。
そして、俺は柴田さんのハートを掴みとろうぞ」
その男、石川本一は大声を張り上げ登場した。
織田と徳川が声を出しているバカの方を見た。
遠くで柴田さんが若干引いている様子が見えた。
石川本一。石川財閥の御曹司で、柴田さんに恋ごころを寄せる男。
俺や徳川ともタメを張れそうな体格。もみ上げまで後ろに流したオールバック。
黙っていれば二枚目。口を開けば三枚目とは彼のこと言うのかもしれない。
「どうした。勝負する前から怖気づいているのか?
ふはははは、この俺と勝負するのなら仕方あるまい」
胸を張り、髪をかき上げながら挑発する石川。
俺の石川に対する第一印象は面白そうなバカだった。
「今の伸樹の実力だと勝てるかどうか分からないな。
止めておけよ、アイツに勝っても得られるものはないぞ。
何も賭けていないんだから」
「違うよ康弘。もう僕たちは賭けあっているんだ。
――男同士の熱いプライドをね」
そこには、火花が散っていてもおかしくない織田と石川の睨み合いがあった。
それを見た徳川は両手を返し、呆れながら言った。
「伸樹がやるって言うなら、俺はお前を応援するよ」
「ありがとう。康弘」
織田と徳川は拳をつくった右手同士を上から、下から、前から三度当てた。
その後、軽く抱擁をして互いの友情を確かめ、勝負の健闘を祈った。
それを見ていた女子の一部が、キャーっと黄色とピンクを混ぜた悲鳴を上げた。
ゲーム通りに事が進んでいることを知って安堵した。
俺の方は、軽いジョグとストレッチをしながら遠目で見ていた。
自分一人では上手く伸ばせない箇所は田中に引っ張ってもらう。
「佐藤もやる気満々だな」
「そういうお前もな」
田中は先週までサボりたいとか言っていた。
たぶん滝川さんに無様な姿を見せたくないんだろう。
恋心は人を強くする。そんなフレーズが脳裏に過ぎった。
この持久走の一位と二位は決まっている。織田と石川だ。
ワンツーフィニッシュで終わるこの持久走の順位は、織田のパラメータで決まる。
勝っても負けてもイベントCGがあり、文化祭までの重要イベントでもあった。
もし彼らが死闘を繰り広げている間に、俺が一位を取ったらどうなる?
考えて欲しい。突然舞台上に知らない男が乱入してきたら、君はどう思う?
それは、積み並べられたドミノを勝手に倒してしまうような痛快さ。
一枚倒れたドミノはパタパタと倒れていき、中心まで連れていってくれる。
そこで待ち受けるものは何だろうか? 想像するだけニヤついてしまう。
「おい、佐藤どうしたんだよ?」
「大丈夫、大丈夫。
取らぬ狸の皮算用を楽しんでいただけさ」
体育教師の集合が掛かる。俺たちは走って向かった。
ウォーミングアップはこの気温に合わせて十二分した。
走る前から既に勝負は始まる。
誰も知らない。誰も望んでいない中で、俺の挑戦は始まった。
▽
この無駄にデカい体と糞悪い目付きに感謝した。
少し目を細くするだけで大半の生徒はどいてくれる。
スタートラインは最前列を確保することが出来た。
田中とははぐれてしまったが、代わりに織田と石川も最前列に陣取っていることが分かった。
他にもクラスメイトの顔がちらほら見えた。
勝負師のような集団は女子から見えるように良いポジションに着く。
やる気ないの者たちは自ずから後ろへと流されていった。
ある程度位置が決まってくると、体育教師はピストルを空高く上げた。
ああ、この瞬間が緊張する。聴診器を当てずとも自分の心臓の爆音が聞こえてきそうだ。
「位置について……よーい」
視界良好、足回りOK。さあ、踏み出すだけだ。
「どんっ!!」
足音が何十とも重なり、大きな地鳴りが起きた。
最前列にいた者は、そのまま先頭集団となりトップを走る。
体を前に倒して、一歩ずつ動かしていく。
俺も漏れることなく、先頭集団について行くことが出来た。
グラウンドを六周すると1500メートルになる。
まずは、一周目。
誰がこのトップ集団にいるのか把握する。
数えると、だいたい10人ほどが集まっている。
佐藤、石川、田中などなど。驚いたのは、その中に相撲部主将、山田もいたことだ。
100kgオーバーの体重から考えられないほどの軽快なステップだった。
巨躯を活かして、山田は内回りを陣取ろうとしてる。トラックに大きな回り道が作られる。
俺はとっさにインコースから山田の前に行き、その回り道を回避する。
出遅れた者は山田という名の巨大な山を通らなければ行けなくなった。
集団が別れた。
陸上部をトップにした9人のグループ。山田を先頭にした準先頭グループ。
俺の前には7人の頭が見えた。現在順位8位。悪くない走り出しだった。
「すー、すー。はあー、はあー」
二回吸って、二回吐く呼吸を繰り返す。
なるべく意識して呼吸をし、肩に力を入れすぎないようにする。
前の走者のペースが乱れる。一周目に全力を入れただけの奴だったようだ。
俺は息が切れかけた彼を抜いて7位になる。
次の走者は、田中だった。
「おっす……、佐藤も頑張るなあ……」
「ああ……」
簡単な挨拶をして、走りに専念する。
まだレースは長い。俺は田中の後ろに張り付いていくことにする。
「頑張ってね~!」
トラックの外からは女子の声援が聞こえる。
彼女らは自分たちの番に備えて、体をほぐしながら応援している。
中には笑顔で手を振り返す男子もいるが、生憎俺にそんな余裕はない。
後ろから威圧を感じる。
振り向きたくなるのを我慢し、ただ走ることだけに集中をする。
見なくても分かっている。後ろにいるのは徳川康弘だ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
徳川が近い。
四回目のカーブに突入すると、俺はすかさずラインぎりぎりを走る。
中からは抜かせない。徳川がアウトコースから攻めてくる。
俺も少しだけアウトに膨らむ。
「ちっ!」
後ろから聞こえる徳川の舌打ち。
不安要素はなるべく早く消えて欲しい。
「あと半分ッ! ここから気合入れていけよ!!」
先頭の陸上部が三週目を終えたようだ。
十秒後には俺も三週目のラインを超える。勝負は半分を切る。
だんだんと息が詰まってくる。しかし、ここが耐え時だ。
苦しい時間帯のデットゾーンが始まる。
デットゾーンを耐えようとした矢先、スタミナ切れをした山田の巨体が目の前に広がった。
アメリカ車のような燃費の悪さ。あの軽やかな足使いはもうなかった。
同じトラックを走っているので、周回遅れは仕方ないことだが邪魔すぎる。
カーブが終わってからストレートで抜こう。
俺が伏せていると、徳川が勝負を仕掛けてきた。
ここは我慢するしかない。
俺は徳川を見逃し、前を走らせる。代わりに、俺は田中から徳川に切り替えをする。
田中とすれ違う時に、黙ってアイコンタクトを交わす。
ストレートに入ると、山田を抜き去り徳川を追う。
徳川がさらに一人抜き、俺も抜いたため順位は6位となる。
残り五人。トップから陸上部が二人、石川、織田、徳川になる。
足首とふくらはぎに熱が籠ってくる。
顔をしかめながら、腕を振ることだけを考えるようにする。
頭の中からネガティブなイメージを排除させる。
事件は四週目、1000メートル付近で起きる。
トップを走る陸上部が転び、それにもう一人も巻き込まれた。
その間に俺たちが抜き去り、順位は二つ繰り上がり4位。
これでゲーム主要キャラがトップ3を独占した。
俺は彼らに金魚の糞のごとくしがみついてく。
待っていれば、彼らは駆け引きを勝手に始める。俺はそれを知っている。
徳川はギアを上げて、一気にトップまで詰める。
これはブラフだ。石川のペースを乱すための徳川のお節介。
織田は知らないはず。
「……」
俺は黙々と走り続ける織田の背中にぴったり付く。
俺たちは石川と徳川の走りを傍観する。
競り勝ったのは石川だ。
ここまではゲームの展開通り。
織田が徳川を抜き去るとき「アホ」と口パクをしていた。
それを見た徳川は、笑顔で親指を立ててみせた。
勝負は終盤、ようやく体の隅々まで酸素が行き渡ってきた。
体が今までよりずっと軽く感じて、何処までも走れそうな気分になる。
脳内麻薬を垂れ流しながら、二人を睨む。
これなら、イケる。
ペースがやや落ちた石川に織田が喰ってかかる。
次のカーブまでに決めないと、残りは一周になる。
俺も足の回転を早めて、仕掛けに出る。
やるなら、今しかない。
周回遅れにした奴らを縫うように避け、織田の手前まで追う。
スライドの大きさなら俺の方が圧倒的に有利だ。
「伸樹ー! がんばー!」
「ここで気合見せろよ、石川!」
「二人ともラストだぞ!!」
終わりに近づき、観客の声も大きくなる。
見学していた男子も、体操している女子も固唾を飲んで見守る。
体育教師は時計を見つめ、タイムを確認している。
「良いタイムだよ、あんたら!! さあ、ここからここから」
残り250メートル。あと一分もしないでこのレースも終わる。
織田と石川が一度横に並ぶ。観客の声が聞こえる。
「おおおおおっ!!」
しかし、石川が振り切りカーブまで逃げ切る。これでチャンスは二回。
勝負をするなら、次のストレートだ。最後まで待つ賭けは分が悪い。
俺は、張り付きを辞め、腕を大きく後ろに引き始める。
歩幅も大きく、呼吸も早めのテンポに切り替える。
織田を捉えた。俺は織田と並び、一歩先に出る。これで二位。
石川の後ろから右足を出し、ついに一位になる。
勝った!!
こんな展開はゲームになかった。
どのルートでも、どの分岐でも背景キャラが勝負に絡むシーンはなかった。
自分の足で物語に着々と近づいている。
応援している女子の声が一際大きくなる。
俺の後ろではとうとう織田が石川を抜いたようだ。
しかし、そこでようやく俺は気がついた。
誰一人として観客は俺を見ていないことを。
俺の勘違いや気のせいではない。運動場にいる全ての視線は俺の後ろへと注がれている。
織田と石川こそが本当の先頭であると言わんばかりに。
俺は確かにここにいる。こうして体を動かし、一位をキープしている。
織田は二位で、ゲームシナリオとは違う展開にさせたのに。
なんで、誰も俺を見ていないんだ?
まるで自分が背景と同化しているような気分になる。
俺は空気。俺は草木。俺は地面。存在していることを意識されないもの。
「ウオオオオオオオオッ!!」
無駄な大声を張り上げて自分の存在を主張する。
けれども、それもただ虚しく響くだけで、残ったのは疲労感。
なあ、少しでもいいから俺に振り向いてくれよ。
直線が終わり、最後のカーブに突入した。
あと100メートルもしない内に持久走は終わって、このイベントも終わる。
顔を上げれば、最終コーナーに斎藤さんが立っていた。
彼女は手を振って応援してくれている。
「あと少しだよ。ファイトっ!!」
それは俺に対してではなく、後ろ側にいる奴に。俺を通り過ぎて、織田へと贈られる。
斎藤さんのエールはゲームでもたぶんあった気がする。
いや、あったはずだ。そうに違いない。だから彼女は織田を応援しないといけないんだ。
緊張の糸が切れる。
息苦しさを急に感じる。鉄球を引きずるような重さが足にのし掛る。
足の回転はゆっくりと遅くなって、その間に織田と石川に抜かれて、ゲーム通りの展開になって……
一位になったのは織田だった。柴田さんが喜んで織田に抱きついていた。
織田は顔を赤らめて、徳川は満足していた。それを見て、石川が悔しそうに地面に倒れ込んでいた。
けど、もうそんな事はどうでも良かった。
俺はなにも変えるが出来なかった。そして、なにも出来ない事を知った。
▽
「おい、早く校舎に入ろうぜ」
田中は一足先に校舎に向かって走り去った。
男子の持久走が終わると共に雨が降り出し、女子の持久走はなかった。
「……」
ビチャビチャになった体操服が気持ち悪かったが、俺は校舎まで走れなかった。
運動場からは、どんどん生徒が消えていく。俺はさっきまで必死に走っていたトラックを見つめた。
そこで俺は一人の男を発見した。
石川本一は、トラックの真ん中で大の字になって倒れていた。
「おい、そんなとこにいたら風邪引くぞ」
自分も言えた義理ではないことは分かっていた。
しかし、なんだか俺は石川のことを放っておくことが出来なかった。
「なあ、そこのお前。
どうして柴田さんがこの俺に振り向かないか分かるか?
なんでこの俺が織田伸樹に勝てなかったか分かるか?」
石川は倒れたまま俺に聞いてきた。
「そうだな……。前者はお前の攻めが強すぎるからだな。
アタリが強すぎてもいいってモンじゃないだろう。
後者は織田伸樹が――」
主人公だから。そう答えたかったけど俺は言えなかった。
「女神様から祝福でも受けているからじゃないか」
「なんだその答えは? 運が悪かっただけとでも言いたいのか」
「そんなところさ」
雨が強くなる。遠くの景色が見れないほどだ。
俺の解答を聞いた石川は口元を緩めた。
そして、なにが可笑しいのか突然笑い出した。
「そこの茶髪、俺はお前の事が気に入った。名を何と言う」
「名前を聞くときは先に名乗れよ。
小学生の時に先生に言われなかったのか?」
「失礼した。俺の名は石川本一、石川財閥の社長になる男だ」
「俺は佐藤尚輔。そこいらにいる平凡な学生だ」
俺は右手を差し出し、石川を引き起こした。
その右手同士は解かずに、固い握手へと変えた。
こうして、俺は舞台に登れる資格を持つ男と友達になった。