PPPとうるさく鳴っている時計。
俺は力任せにボタンを叩いてそれを止めた。
時刻を確認すると、午後1時を少し過ぎていた。
今日は平日である。
模範的な生徒なら、今頃机の上に教科書を並べているところだろう。
だが、俺はいまだに家のベッドで臥せている。
言葉に少し語弊があるとすれば、学校に行けないのだ。
頭が天井に引っ張られそうになる感覚を我慢しながら、テーブルの上にある電子体温計を取った。
脇に挿し込み、待つ事数分。
音が鳴った体温計を取り出して、溜息をついた。
「38度……。昨日から変わらずか」
昨日の放課後、根性で何とか病院に行った。
診察代、移動費、その他諸々。一人暮らしには手痛い出費だったが、健康以上に大切なものはない。
そう思って病院に行ったが、医者は「まあ、いわゆる普通の風邪ですな」と言ったので、俺はこの風邪を軽く見てしまった。
しかし、今の状況はどうなのだろう。
医者に貰った薬はまるで効いている気がしない。
吐き気はないが、頭痛とダルさが常に付きまとっている。
間違いなく悪化の一歩を突き進んでいた。
それでも貰った粉薬は朝昼毎回飲んでいる。溺れたものが藁を掴む気持ちである。
効果ないが、頼れるものはこれぐらいしかないのだから。
あらかじめペットボトルに入れておいた水と医者に貰った粉薬を飲んだ。
粉薬が喉を通ると、口の中に何とも言えない苦味が残った。
再び水を含んで、口直しをする。
一仕事終えると、もう動きたくなかった。
体とベッドが鎖で繋がれてしまったようで、上半身を起こす気力すら沸かない。
「ヤバいな……本格的にヤバいぞ」
俺の世界の中心はベッドだ。
ベッドは、俺の寝床であり、俺の棲家、俺の城である。
朝起きると、そこはベッドの上。寝るときはもちろんベッドの上。
スタートはベッド。エンドはベッド。
一日の四分の三以上がベッドでの生活になっている。
なんて小さく無駄で楽な世界だろう。
このままでは、ベッドと一体化して死んでしまう気がした。
それを悪くないと思ってしまうあたり、相当ヤバいのかもしれない。
織田を倒すと宣言してから1週間、今だに成果は上がっていない。
奴の行動が気になって仕方がないが、今日ばかりはどうしようもない。
俺はまともに働かなくなった思考を回復させるため、眼を閉じて無理矢理眠ることにした。
▽
正しい主人公の倒し方 第十七半話
~風邪を引いた男~
▽
どれぐらい眠れたのだろうか。
外から物音が聞こえて、眼を覚ました。
窓から外の景色を見ると、既に日は傾き夕方になっていた。
電線に乗っているカラスたちが縁起悪くこちらを睨んでいた。目覚まし代わりになったのは、どうやら彼らの鳴き声だっだようだ。
今日休んだ分だけでも、織田はイベントを進めている。
何とかしなければいけないと早る気持ちと慌てても仕方ないと抑える理性が葛藤する。
しかし、迷っている暇なんてない。それに現在の最優先事項は病気の回復である。
力なく立ち上がり、さながらゾンビのようにふらふらとずるずると歩く。
「……あっ」
足が思い通りに動かず、本棚近くでよろめいてしまった。
本棚に右半身を預けて体勢を立て直す。
だが、またバランスを崩してしまい、ずるりと体が傾いてしまう。
それでも、立て直すためにのそりのそりと本棚に体を寄せる。
本棚で体を上下している男。それは第三者が見ていたら、きっと可笑しな光景だろう。
「……なんだ、これは?」
本棚に顔を近づけていた俺は、本と本の間から変なモノを見つけた。
それの見た目は、どこにでも売っていそうな黒色の手帳。
本棚に手帳を入れた覚えはない。
そうなると、俺ではない佐藤尚輔の持ち物らしい。
これまで散々、この家を物色したが見落としていたようだ。
俺はあまり冴えていない頭を無理矢理働かせながら、目を通すことにした。
▽
1/12 晴れ
屋上でサボってたらアイツが来てこの手帳をわたされた。
「勉強しなくていいから机に座る習慣をつけろ」だが何だか。
めんどくせえけど、まあアイツには恩もあるしヒマつぶしにはいいか。
1/14 くもり
出席日数がヤバいと担任に言われた。
補習かったるいけど、当分サボるのやめるしかない。
ああ、勉強イヤだ。でも、補習もイヤだ。
1/18 晴れ時々雨ちょっと
準備室にいたらアイツが来た。
俺がノートを開いているのに、おどろいたらしく頭をなでてきた。
ヤメろと言ったら、私の方がお姉さんだからいいんですって言い返された。
言ってもヤメねえと思ったからほっとく。ビミョウにくすぐってえ。
1/22 晴れ
変なものを拾った。
でも、俺はこんなもんやらんだろうな。
2/2 雨
クソッ! ムカつく。
母さんの命日が近いっていうのに、アイツはまた海外に行くんだとよ。
家族が大切なんて言うくせにアイツは金のほうが大切なんだ。そうに決まっている。
2/14 晴れ!
すげえ、うれしい。
頭が悪いから言葉にできねえけどすげえうれしい。
こんなん生まれてから初めてかもしれん。
本当にうれしい。マジでうれしい。最後にもういっちょ、うれしい。
2/16 ドンヨリとくもり
サイアクだ、銀行の番号わすれて金がおろせなかった。
手続きがめんどくせえ。こんなことがないように番号をメモしておこう。
にしても、最近ものわすれがひでえ気がする。
こんなに若いのに、ボケたのか? シャレにならんぜ。
2/25 まだくもり
アイツと放課後にゲーセン行ってきた。
UFOキャッチャーで小さなキーホルダーを落とせたからアイツにあげた。
ゲーセンの中はうるさくて、アイツはあんまりいい顔してなかった。
今度は別のとこ行くか。公園の湖でボートなんかいいかもな。
3/5 晴れ
期末終了! 今度こそ補習なんてやらねえぞ。
3/13 くもり
頭が痛くて学校休んだ。
出席日数は多分足りてるけど、不安だ。
明日には治ってほしいぜ。
3/14 晴れ
俺もなんかとか進級できそうだ。良かった良かった。
春休み中にアイツと出かけることになった。
その前に服でも買いに行こうか。
3/20 くもり
胸くそ悪い。頭が痛え。
3/23 晴れ
頭がワれそうなほど痛え。
大事な約束があった気がするけど、思い出せねえ。
つうか、なんで俺日記なんか書いてんだ?
▽
汚い字で書かれていたが、かろうじて読むことができた。
他人の日記を盗み見ると、なんとも言えない気持ちになる。
もしかしたらこの中は使えそうな情報があるのかもしれないと思ったが、こんな状態ではまともに考えることはできない。
その上、判断材料が少なすぎる。後日、読み直すことにしよう。
俺は手帳を本棚に再びしまった。