世界の中心とはどこなのか?
明確な答えを俺は知っているわけではないが、
俺が世界の中心にいることは地球が一日三回転半してもありえないことだろう。
「人生なんてな、誰しも自分が主人公なんだよ。
君が脚本と主演を兼ね揃えて最高の舞台を演出するんだ。
スッポトライトを舞台の中心で浴び拍手喝采の中、カーテンを閉めるんだ」
以前居酒屋で酔った友人に言われたことを思い出した。
残念ながら、この世界では友人のありがたい言葉は通用しないようだ。
教壇に立ち、司会役をやっている男がいる。
彼の名前は織田伸樹。
華奢な体つき。女の子受けしそうな優しそうな顔立ち。そして、目に掛かるまで伸びたうっとうしそうな前髪。
クラスメイトから一生懸命に意見を求めている姿はまるで小動物がせっせと動いているようでどこか微笑ましい。
数人の女子生徒も嬉し楽しそうに眺めている。
俺が思うに彼こそが世界の中心に位置する男だ。
――なぜなら彼はこの世界の主人公だから。
▽
正しい主人公の倒し方 第一話
~背景、十七の君へ~
▽
まず幾つか話しておかなければいけないことがある。
俺こと佐藤尚輔は元々この世界の住人ではない。
アホな事を言うなと思うかもしれないが、ある日俺は目を覚ますと別人になっていた。
険しい目付きに細く整えられた眉毛に茶色に染まった短髪。
普段見慣れた顔より数段若いその顔はお世辞にも善人面と言えず、どちらかと言えば不良に近い。
それが今の俺の顔である。
「嘘だろ……。これが俺なのか?」
見知らぬ部屋で目覚め、洗面所の鏡で顔を見れば別人。
気が狂ったか夢から醒めていないのか。試しに頬をつねっても逆立ちを五分し続けても現実は変わらなかった。
ため息をつきながらも、何かないかと見知らぬ部屋を物色した。
すると、いくつか手がかりになりそうな物が出てきた。
財布に入っていた学生証。そこには先ほど見た人相の悪いツラが写っていた。
名前の欄には『佐藤 尚輔』。
見覚えがある名前だった。しかし、有り得ない。
箪笥からはこの男が通っていたであろう学生服が出てきた。
同じく佐藤尚輔と名前があった。なんとなく着こむとサイズはぴったりと合った。
どうやらこの学生服も佐藤尚輔の持ち物のようだ。
学生証を再び見た。そこに書かれていた学校名『静越学園』に再び見覚えがあった。
静越学園――それは現実ではなく仮想でしか存在しない学園。
『School Heart』とは株式会社Poster制作の恋愛シミュレーションゲームである。
俗に言うギャルゲだ。ギャルゲに馴染みのない人に説明すると「意中の人とイチャイチャすることが目的」のゲームである。
ちなみにそこから発展し「意中の人とパコパコすることが目的」になるとエロゲとなる。まあどうでもいい話だ。
静越学園は『School Heart』の舞台である。イチャイチャの方だ。
思い出せば、この学生服もゲームに登場した物と同じ形のものだ。
「もしかしたら、俺は別世界に来たのか?」
人間なんて単純な生き物である。自分が納得できる理由さえ見つけられれば、それに簡単に流される。
なぜ別人になっていたのか? なぜ知らないところにいるのか? なぜゲームと同じ制服があるのか?
深いことを考えず、疑問は追求しない。物事の裏側を探ろうとせず、ありのまましか見ない。
憑依――ぼんやりと頭に浮かんだこの言葉だけで、俺はいとも簡単にこの世界を受け入れてしまった。
胸が熱くなった。息づかいが、心臓の鼓動が、手首の脈拍が、全てが早く感じられた。
ありのままを受け入れ、すぐに学生証に書かれた住所を確認し、部屋を出た。
さながら、百円玉を握り駄菓子屋に向かう子供のように心を弾まながら学園に向かう。
謎の憑依。原作知識の使用。未知の可能性。最短ルートの暗記。無駄のない攻略法。俺だけのハーレム計画。画面越しだった恋愛。
それらが今、俺の手のひら上で踊っている。
これらを取捨選択するのは俺だ。落とすも拾い上げるも自由。世界は俺が決められるんだ。
今にも意気揚々にスキップを始めようとする両足を抑えながら、学園へとつながる坂を駆け上がった。
同じ学生服を着込んだティーンエージャーたちが同じ校門へ向かっている。俺の考えは間違っていなかった。
ここは間違いなく静越学園で『School Heart』の世界だ。緩んだ頬を気にせず門をくぐった。
だが、現実とは非情である。
俺が門の先で見たのは『織田伸樹』。
幼なじみ、同級生、後輩、妹を侍らす姿は、まさしくこのゲームの『主人公』だった。
俺はその様子を遠くから、ただ呆然として眺めることしか出来なかった。
そして、俺の『佐藤尚輔』としての人生が始まった。
▽
少しだけ俺、『佐藤尚輔』について説明しておこう。
佐藤尚輔は『School Heart』に一応登場している。
彼のゲーム中での発言を思い出せるだけここに書いておこう。
「俺は特にないな」
「いいぞ。俺がやっておくからお前は行け」
「その通りだな。やっぱり織田の言う通りだ」
以上である。もしかしたらもう少しあったかもしれないがどちらにしても目くそ鼻くそだ。
お釣りの1円が2円になってもそう変わらない。佐藤尚輔、彼は物語に関わるキャラクターではない。
驚き要員その一と言ったところか。このようなキャラをサブではなくモブキャラクターと言う。
しばらく経ってから思い出したことだが、ゲーム中には佐藤尚輔の名前はなく『男子生徒B』と記載されていて、
ファンブックでの人気投票でやっと公開された。もちろん人気は下から数えた方が早いのは言わずもがな。
だから、俺のこの世界の役割は指を咥えながら織田伸樹の繁栄を羨ましげに眺めるだけしかないのだ。
では、話を今に戻そう。
俺が佐藤尚輔になって既に一ヶ月は経過した。
▽
「そういう事で、クラス展の意見はありませんか~?」
織田が今やっていることは文化祭のクラス展決めだ。
だが、クラスメイトたちは人前で発言することに恥ずかしさを覚えるお年頃。
クラスからは中々意見が出てこない。織田の声だけが虚しく教室に響く。
少しだけ目尻に涙を溜める織田。
けれども、それを流さないよう必死に我慢している。
保護欲というか母性本能というかその手の感情が揺さぶられる。
クラスの一部の女子がにやつきながらも微笑ましく見守っている。分からないでもない。
「はい、私はあるよ!」
ぱぁっと織田に笑顔が戻る。元気よく手を挙げたのは柴田加奈。織田の幼なじみだ。
「巷で話題のメイド喫茶なんてどう? メイドさんは伸樹が女装で」
「ごめん。却下」
「ええっ! 絶対可愛いよ」
織田は落胆しながら黒板にある書きかけの文字を消した。柴田さんは文句を垂れながら席に着いた。
しかし、柴田さんが発言したおかげで教室は意見を言いやすい雰囲気になった。次々と意見が出てくる。
「みんなで演劇をやろう」
「私は合唱でもいいかな?」
「グラウンドの大型会場で異種格闘技トーナメントとかどうよ!?」
「教室に六四を置いて大乱闘スマッシュシスターズ大会」
織田は意見を聞きながら今度は満足そうに黒板に書いていく。
中には変なものも混じっているが、みんなで馬鹿な事を考えるのもまた楽しい。各々が適当に意見を言っていく。
「メイド喫茶」
再び織田の手が止まった。ゆっくりと織田は後ろを振り返り、一人の女子に迫力のない睨みを効かせる。
「また加奈かい? 僕は絶対にしないよ」
「ひどいなあ、小さい頃は私と一緒に女の子の服に着替えて遊んでいたのに。
伸樹にメイド服は似あうと思うよ? ああ、あの頃の伸樹は可愛げがあったのになあ」
教室がざわつく。ある者は羨ましげに、ある者は頬を少し染める。
一部の女子は黄色い歓声を上げ、悶え苦しんでいる。場が混沌としていく。
柴田さんに悪意のない分、織田は対処に困っているようだ。
顔を赤くしながらどうしようか戸惑っている。
このやり取りは一度ゲームで見たことがあった。
そう言っても、直接肌で感じ取れるこの雰囲気が仮想のものだとは思えない。
既にここは、俺の中のもう一つの現実だった。
「佐藤くんはどうかな?」
「……えっ?」
メイド喫茶から逃げるように織田から突然振られた。
それに俺はすぐ反応出来なかった。全くの予想外。ゲームではモブに意見を求めるようなシーンはない。
しかし、現実であればクラスメイトに意見を尋ねることはなんら不自然ではない。
改めて、ここがゲームの中だけで済むような世界ではないと思い知らされる。
「ないのかな?」
俺は考えた。ゲームではこの後に織田の親友、徳川が「お化け屋敷しようぜ!」と言って最終的にお化け屋敷に落ち着く。
もしも、俺がここでお化け屋敷と言って徳川の役を横取りしたらどうなるのか?
俺はモブ(群集)キャラだ。
それが物語に関わること言ったらどうなるのか?
もしかしたらモブからサブへ。物語の中心に近づけるのではないか?
「……お化け屋敷が――」
「そうだ! それだ!! お化け屋敷しようぜ!!」
俺の声をかき消すように後ろから声が聞こえた。
徳川康弘だ。
その後、徳川は捲(まく)し立てるようにどんどんお化け屋敷のメリットを言っていく。
手振りを加え、率直な意見を出していく様はさながら人気政治家を思わせる。
クラスメイトは徳川の言葉を聞き入っている。ああ、なんというデジャヴであろうか。この流れも一度見たものではないか。
気がついたら、クラス展は徳川発案のお化け屋敷に決定されていた。
挙手多数。黒板に書かれたお化け屋敷の下には佐藤ではなく徳川の文字。その下に正の字が五つほど書かれていた。
授業終了のチャイムが鳴った。
楽しい時間は過ぎ、10分後には学園生たちは再び睡魔との戦いへと戻る。
「それじゃあ、お化け屋敷で決まりましたので放課後から活動します~」
織田の一声でクラスメイトたちはそれぞれの行動へと移る。
次の授業の準備する生徒、お化け屋敷について話すグループ、トイレを我慢していたのか走って教室を出る男子。
ただ取り残されたように俺だけが、消されるまで黒板の『徳川』の文字を見続けていた。
すこしだけ変わった。
と言っても徳川が発言する時間が少しだけ前倒しになったぐらいだ。
根本が変わることはなかった。結局俺は物語の渦を遠くから見ることしかできなかった。
渦中に飛び込むこと、いや近寄ることすら許されないようだ。
はて、俺が背景から前景に出られることはあるのだろうか?