きっかけなんて些細な事だ。
一緒にお化け屋敷を頑張ったクラスメイト。
台風の日でもクラスの事を心配した委員長。
最高のヴァイオリン演奏を見せてくれた友人。
慣れないメイドを一生懸命演じた下級生。
教師として最後の文化祭を暖かく見守る先生。
文化祭に対する様々な想いを俺は見てきた。
文化祭を潰したくない。
俺はそう思うようになっていた。
もともと、俺は織田が犯人を取り押さえる事に協力するつもりだった。
そうすれば、俺も物語に関わることが出来ると思っていたから。
でも、今の俺は違う。
文化祭を中止させないために、事件を起こさせない。
事件が始まる前に終わらせる必要がある。
今から俺がする事は、きっと目立つ事でも輝かしい事でもない。
誰にも気づかれずに、終わらせなければならないのだから。
カーテンが上がる前に劇が終わっているように。
観客に誰が主人公だったか気付かれないように。
アンコールなんて以ての外。劇場を拍手喝采にさせる必要はない。
この選択が100%正しいなんて思わない。
どちらにせよ、これは俺の自己満足だ。
ゲーム中の三択が羨ましい。
俺の前に選択肢なんか現れやしない。
どれが正解なのか分からず闇雲に歩きまわる。
見ない先をいつもおっかなびっくりに歩かなければいけない。
でも、それは普通なのだ。
俺は普通の人間だから。
▽
正しい主人公の倒し方 第十四話
~一般人、佐藤尚輔~
▽
太陽が上がり始め、裏庭にも光が差すようになってきた。
携帯電話を開いて時間を確認した。――11時20分。
まだ事件が発生する3時までは余裕がある。
ベンチの隣に座っている男は今だに黙ったままだ。
しかたなく俺は良美ちゃんに声を掛けた。
彼女も蝶々観察には飽き飽きしていたようで、すぐに近くまで来た。
「ごめん。このおじさんと話をしないといけないから、先に一人で職員室に行ってもらえるかな」
「うん、いいよ。どうやっていけばいいの?」
「あの通路を進んで突き当たりを右。そのまま真っ直ぐ行けば職員室につく。
もしお母さんがいないようなら先生に声を掛ければいいよ」
「わかった! じゃあね、お兄ちゃん」
「ああ、気をつけて」
手を振って駆けていく少女を見送り、裏庭には俺と男の二人だけが取り残された。
重い空気は以前変わらない。綺麗な蝶もいつの間にか姿を消していた。
どれくらい経ったのだろう。
隣にいた男が声をだした。
始めは、それこそ耳を傾けなければ聞こえないほど小さかった。
だが、ふつふつ湧き上がるように男の声は次第に大きくなる。
終いには、笑い出した。
「ククク……アハハハハハハハッ……――!」
男は額を右手で覆い、狂い可笑しく笑い続けた。
それが何に対しての笑いなのか、分からない。
しばらくすると笑いを止め、男はこちら向いた。
ところどころに見える白髪。落ち窪んだ瞳、シワよれたスーツ。
それから、落ち着いた低い声で話し始めた。
「君の言うとおりだ。私は誘拐を考えていた」
男は新間孝蔵と名乗った。
聞いたことのない名前だったが、ゲームでは犯人の名前は現れていない事を思い出した。
この名前が正しいか、確かめる術はない。しかし、ここで無理に焦る必要もない。
俺は黙って男の話を聞くことにした。
「道連れか。いや、確かにそうだが少し違うな」
「…………」
「ほら、君が言ったナイフだ。綺麗だろう?」
何の躊躇もなく、男はポケットから鞘に入ったナイフを取り出した。
鞘が外され抜身になったナイフは、太陽に照らされ輝いた。
汚れが一切ない新品のナイフ。
それはこの日のためだけに用意された物なのだろう。
「誘拐を止めてくれるのか?」
「分からないな」
「この事件はあんたが思うようにならない。例えこの学園の外へ逃げたとしても、最後は捕まえられて終わるだけだ」
「どうしてそうなると言い切れる?」
「それは……」
男の質問に口篭ってしまった。
織田伸樹が、この男を捕まえるのは確定事項だ。
世界の中心が織田伸樹なら、どう足掻いても無駄なことになる。
俺達は主人公の引き立て役でしかないのだから。
しかし、それは俺の頭の中にある知識でしか無い。
他人に説明するための確実な根拠にはならない。
それでも、信じてもらえるとは思えない事を言わなければならなかった。
「この世界の未来を知っているからだ」
男が静かになった。
握られているナイフは下を向いた。
急に刺される心配はないはずだ。
「そうか、そうか。ククク……」
男は誰に同調することなく頷き始め、一人でに笑った。
先ほどとは、違う異質な笑い方。
俺はただ男のその笑いが止むまで傍観しているほかなかった。
「奴が言っていた通りだ。本当にそんな事になるとはな」
「……どうしたんだ急に」
「何でもない。こちらの話だ」
クククッと喉に詰まったような声を再び出しながら、男は革製の鞘にナイフをしまった。
こちらを全く見向きもせず男は話を始めた。
「君に朗報がある。誘拐を諦めよう」
「どうして急にそんな事を言い出す」
「そうだな……。君は今回私が起こすはずだった事件を『馬鹿らしい』行動だと思うかね?」
「『馬鹿らしい』と思う。どうせ誘拐しても捕まるからな」
「そうかもしれないな。だがな、私からしてみれば逮捕されることなどどうでも良かった」
「それなら何があんたをそこまで駆り立てたんだ」
「……試練だよ」
男は呟くようにそう言った。他には何も語らない。
言葉の意味を考えようとしたが、情報がなさすぎる。
それに今大切なのは言葉の意味を調べることではない。
「なあ、あんたは本当に誘拐をするつもりだったのか?」
「するつもりだった。つい先程までな」
「あんたはあの子の姿を見て溜息ついていた。それはどうしてだ?」
「ああ、それか。何のことない。ただ言っていた通りに事が進むことが嫌だっただけさ」
へらへらと笑いながら男は答えた。
不気味な作り笑い。無機質なその笑い。
男の『諦めた』という言葉を簡単に信じることが出来ない。
俺は喉元をすんなり通らない何かに焦りを感じた。
――いや、心配することはないはずだ。
無理矢理自分の考えを心の中に押し込んだ。
この事件が未然に防げたら、次は三階自習室にいこう。
文化祭前日に見つけた謎のチラシ。そこに書かれていた記号。それらを確かめるためにも。
やりたいことは山ほどあるが、まずはこの山を乗り越える必要がある。
隣にいる男は虚ろな瞳で、ただ空を見上げていた。
俺も同じように空を見た。俺からして丁度真上に太陽はあった。
「男子生徒B君」
名前を呼ばれ、男の方を向いた。
呆気無いほど一瞬の出来事。
向くと同時に嫌な感触を腹部に感じた。
体にじんわりと何かが埋まっていく。
視線をゆっくりと下げた。
いつの間にか外された鞘が地面に落ちていた。
そして、ナイフの柄が俺の脇腹から出ていた。
有り得ない場所から異物が突き出している。
痛みの中心はナイフ。激しく熱く痺れる。
縦に開かれた痛みは、鼓動と共に体全身へ広がっていく。
「そうだ。私は誘拐することを諦めた。君が言ったじゃないか。この娘で事件を起こしても駄目だって。そうだろ?」
「ンッ……」
「事件を起こす事。私の目的はそこにある。君が反対に事件を起こしたくないようにね」
ああ、やはりコイツは狂っていた。
まともに話が通用する相手ではなかった。
気がついた時には遅い。
腹に埋まっていたナイフを引き抜く。
傷口から溢れる血がシャツを濡らしていく。
「君を殺して事件を起こせばいい。そう思ったんだ。なに簡単なことだ。
取れない葡萄があるなら、別の木を探せばいい。狐にだって分かることだ。
君には素質がある。私の標的になるだけの十分な素質が」
「フザケるな……」
「私を睨みつけてどうするんだ? 私が憎いか? それでは駄目だ。
恨むのは私ではない。社会だ。そう、この醜く汚く卑しい社会を。
生まれた時から不平等なこの世界を。だから君も世界を恨みたまえ」
男は自分の言葉に酔いしれているようだ。
大きな手振りを加えて、自分が神か王かと言わんばかりに戯言を語っていた。
どうでもない男のどうしようない戯言のはずなのに、頭の片隅に残ってしまう言葉があった。
――不平等なこの世界を。
頭のどこかで俺は死なないと思っていた。
男女の恋愛を見せるために作られた世界。
そんな世界に来れた俺は死ぬはずがないと決めつけていた。
しかし、今なら分かる。それは間違いだった。
英雄でも、勇者でも、主人公でもない。
なにも取り柄のない一般人。
だから、一歩間違えば、崖から落ちてしまう。落ちた先から奇跡的な生還なんて出来るはずもない。
だが、痛みを感じながらも俺は叫ばずにいられなかった。
「ふざけんじゃあねえよ!!」
堅く握られた右拳。
「テメエは何様のつもり何だ!」
それは男の頬を殴り抜けた。
「他人を不幸にしていい道理なんてねえだろ!!」
突然の反撃に驚く男。
もう一度殴ろうとしたが、今度は避けられた。
寒い。
体が震えている。
流れ出ていく血は、体の熱も流していく。
血が足りない。
膝に力が入りきらず、俺の体はふらりと崩れた。
その一瞬の隙に攻守が交代した。
男は真っ赤な顔をして殴ってきた。
前のチンピラほど強くはないが、それでも今の体に痛みが重く伸し掛る。
男は続けざまにもう三発。頬、脇腹、右肩。それぞれに当ててきた。
今は痛みを耐えるほかない。
男の攻撃は続く。
「チッ、しぶとい奴だ……」
男が十発ほど殴った後の事だった。
これ以上殴っていても埒が明かないと判断したのだろう。
男は地面に落ちていたナイフに目をつけた。
それを取ろうとして身を屈めた瞬間に、俺はタックルをかました。
バランスを崩した男は、そのまま背中を地面にぶつけた。
俺は倒れた男に跨り、交互に拳を振り下ろした。
右。
左。
右。
左。
機械的に繰り返していく。
腹から飛び散る血が下にいる男に降りかかる。
残り少ない力を振り絞って拳を握る。
男が何か言ってるようだが、そんな事はどうでも良い。
ただ黙々と同じ動作をしていけばいい。
考える必要なんてない。
傷の痛み、拳の痛みを感じるより先に拳が動く。
単調な動きを続けていく。
「ハァ…ハァ……」
今にして思えば、この男に話しかける必要なんてなかった。
出会った瞬間、ただ一方的にこの男を殴れば良かった。
そうすれば、こんなに苦しまず終わらせる事が出来たはずだ。
「おい、何しているんだ! お前たちは!!」
遠くで声が聞こえた。だが、頭がそれを理解しようとしない。
瞼が重い。体が寒い。傷が痛い。
俺がここで意識を手放してしまったらこの先はどうなるのか。
学園祭が中止されてしまうのではないか。
良美ちゃんは無事でいられるのか。
分からない。
答え合わせをするだけの力は、もう残っていない。
意識が徐々に削れていく。削れた分だけ黒い何かが俺を覆う。
黒い部分が俺の意識を全て覆うと、俺は何も感じなくなった。
▽
ぼんやりとした明るさを感じた。
うっすら瞼を開けていくと、俺は白いベットの上にいた。
仕切られていたカーテンを開けると、ここが学園の保健室だと分かった。
そして、椅子に座っていた男性がこちらにやってきた。
白髪混じりの気さくな教師。その男性は渡辺先生だった。
「もう大丈夫かね、佐藤君?」
その声は、意識が無くなる前に聞いたものと同じものだった。
「俺はいったい……」
「迷子の女の子から職員室で『裏庭で生徒に道を教えてもらった』と言われてな。急いで向かうと、そこに倒れていた君がいたわけだ」
記憶の点と点が繋がりだして、ようやく先程の事を思い出した。
ナイフで腹を刺されて、男を殴り、そして意識を失うところまで。
思い出すと、今度は俺が意識を失っていた間の質問が次々と浮かんできた。
「文化祭はどうなったんですか!?」
「今は4時だから、あと一時間ほどで閉会式だね」
「え、えっと、それなら、問題とか事件とかは起きなかったんですね」
「ああ、勿論だとも。今年も無事終える事ができそうだ」
他にも聞きたいことはあった。しかし、先生の次の一言で俺は質問が出来なくなった。
「お陰さまで私は最後の良い文化祭を送れたよ」
きっと先生が言った言葉は俺一人に当てた言葉ではなかっただろう。
文化祭に関わった生徒全体に対するお礼だ。
それでも、俺は先生の言葉で報われた。
――自分の進んだ道は間違いではなかった。
この世界に来てから、初めて世界に認められた行動。
自分の居場所をようやく見つけられた安堵。
その想いが止めきれず、涙がこぼれそうになった。
駄目だ、こんなところで簡単に泣いたりしては。
きっと今の自分の顔は、安心と喜びが混じった情けない顔をしているはずだ。
俺は先生から顔を背けた。
「どうしたんだ!? どこか痛むのかい?」
「い、いえ。何でもないんです……。大丈夫ですから」
先生は俺が落ち着くまで待ってくれた。
俺は深く息を吸い込み、長く吐いた。
体中にある酸素をすべて吐き出すようゆっくりと。
それから、先ほど聞けなかった最も重要な質問をした。
「すみません、もう一つ聞いていいですか? 俺のそばにいた男はどうなったんですか」
「男? あの場所には君しかいなかったはずだが」
「スーツの中年男性です。たぶん迷子になった女の子も見ているはずです」
「おかしいな。女の子も『裏庭に一人でいたら、お兄さんが声を掛けてくれた』と言っていたぞ」
背筋に寒気を感じた。鳥肌が立った。
あの場所にいたはずの男がいない。
俺にしか見えない存在とかそんな馬鹿げた者ではないはずだ。
それに、あれほど現実味おびた痛みが夢の出来事なのだろうか。
何かを思い出そうとしている先生を横目に、俺はシーツをめくった。
俺が着ていたのは、真っ白なシャツ。
それを捲り、自分の腹を見た。
だが、そこには全てがなかった。
ナイフで突きされた傷も。
溢れ落ちた血も。
痺れるほどの痛みも。
あの時感じた全てが嘘のように俺の体から消えていた。
夢、幻、仮、妖、虚、嘘。
頭の中で様々な考えが渦巻いてはぶつかっていく。
その考えがぶつかって消えて行く度、俺は目眩と気持ち悪さを覚えた。
先ほどあった安心と喜びは既にない。
今あるのは、吐き気だけだ。
不快感を振り払うように俺はベットから降りた。
「おい、佐藤君。どこに行くのかね?」
向かった先は、保健室の片隅にある流し台。
顔を下へ向けて、腹に力を入れた。込み上げてくるモノを全て吐き出した。
腹の中に溜まったモノ全てを吐き出しきって、ようやく落ち着いてきた。
「これでも飲みなさい」
顔を上げると、渡辺先生が水の入ったコップを渡してくれた。
俺はそれを一気に喉へ流し込んだ。
「ありがとうございます」
「本当に体は大丈夫かい?」
「……もう平気です」
まだ平気とは程遠いが、それでも幾分かはまともになった。
混乱した頭を冷やすために、俺は気持ち悪さを我慢して考え直した。
男がいなくなって困ることはない。
結果だけ見れば、事件は起こらず皆は学園祭を楽しめた。
それでいいじゃないか。
何も得てはいないが、何も失ってはいない。
俺はベットに向かわず、保健室のドアに向けて進んだ。
「まだ休んだほうがいい」
先生は俺の肩に手を置いて止めた。
「すみません。それでも確かめないといけない事があるんです」
先生の手を払い、一礼した後、廊下へ出た。
学園内はまだ騒がしさがあったが、どこか寂しさもあった。
俺が眠っている間に祭は終わりへと確実に近づいていた。
片付けや売れ残りを処理しているところもある。
いちいち避ける必要もなくなった廊下をただひたすらに歩いた。
俺の足が止まったのは、三階自習室。
昨日も来た教室。そして、この先には何かがある。
ドアを開けると、沈みかけた赤橙色の日が教室に差し込んでいた。
その光の向こうに、一人の女性がいた。
「あなたで最後みたいね」
教室内に響き渡る高く凛とした声。
彼女は俺の姿を確認すると、こちらに近づいてきた。
後ろ髪を左右で纏めてた髪は、光のせいか金色に見えた。
ほっそりしている輪郭に、小ぶりな唇。
一重の瞳からは気の強さを感じるが、その目元にある泣きボクロは彼女を優しげに見せた。
俺は彼女を知っている。
「これまで誰ひとりとして、私を満足させてくれる解答をしてくれる人はいなかったわ」
「『SH』の事か?」
「ええ。そうよ」
物語を面白可笑しく掻き回していく存在。
俺のようなモブより一歩だけ前に立っている人物。
こちらに来て初めて俺は彼女の姿を見たが、一目で彼女の正体が分かった。
そこにいたのはゲームでの登場人物の一人、松永久恵。
本編では攻略されることない、自由奔放なサブキャラクター。
「あなたは私を満足させてくれるの?」
二人だけの教室で彼女は俺にそう訪ねた。