学園内は活気に満ち溢れている。
俺の顔とは対照的に、通る人みな笑顔満開。
見上げた空は、憎たらしいほど雲ひとつ無い。
俺の心なんて関係なしに、太陽はサンサンと輝いている。
溢れ返る人の山。いつもの学園と比べて当社比20倍。
この学園に来場して下さるお客様のお蔭で、学園内の気温は5℃くらい上がっていそうだ。
学生たちは、必死に呼び込みをしている。チラシを手に、メガホン片手に、コスプレなどをして。
普段は目立たない文化部は、ここぞとばかり自分たちの腕を見せ合う。
彼らは、己が磨き上げた芸術作品を自信満々に披露していく。
自分たちの活動が、いかに生産的であり有意義であるかを示すために。
運動部の方も、活動をしている。
活動と言っても芸術関係ではない。出店を開くことだ。
正門から校舎へと続く道は、食の楽園。その道は甘味、酸味、塩味、苦味、うま味、全てが揃っている。
短髪の筋肉質の男子たちが、汗を掻きながら料理をしている。
可愛い娘が来ると、鼻の下を伸ばしながら彼らはサービスしてくれる。
彼らは、女の子の一瞬の笑顔とお礼のために数百円分の食材を無駄にするのだ。
ああ、なんて楽な事なのだろうか。
この世の淑女諸君は、笑顔を出し惜しみしてみたまえ。
それから狙い澄ましたところでそっと微笑めば、男はイチコロだ。
何故なら、男は単純だからだ。単純だからこそ悩む。そして、俺も男なので悩んでいた。
このままで良いはずがない。
俺は昨日から寝ていなかった。
布団の中に入っても寝付けず、眼がずっと冴えきっていた。
眼を閉じてしまうと、あの時の事を思い返しそうだった。
「おい、大丈夫か?」
ハッと意識が戻ると、横にいる田中は心配そうに俺の顔を見た。
周りのお客さんに迷惑をかけないように声は、だいぶ潜めていた。
「……ああ」
「昨日戻ってきた時から調子が変だったぜ。本当に大丈夫か?」
「大丈夫だ。それより今は石川の演奏を聴こう」
俺の声に頷いた田中は、ステージ上の石川へと顔を向けた。
礼服を着用した石川は、優雅にヴァイオリンを弾いていた。
時に優しく、時に激しく、時に情熱的に。音に乗せた想いが体に染み込んでくるような旋律。
中央広場にいる誰もが彼の演奏に耳を傾けていた。
たまたま通路を通った人でさえ立ち止まった。一人が立ち止まると後ろの人もつられて止まる。
多くの視線が、石川へと集まる。
人々は夢心地で、石川の奏でる音に聞き入っている。
臆することなく石川は弾き続ける。その顔は、今まで見た中で一番輝いて見えた。
弦がヴァイオリンから離れた。演奏が終わった。
観客は自分の感動を表すために、石川に賞賛を贈るために懸命に手を叩く。
スタンディングオベーション。座っていた人は立ち上がり、石川へ最大級の賛辞が贈られた。
拍手喝采の中、堂々としたまま石川は礼をした。
俺が周りを見渡しても、柴田さんの姿が見えなかった。
ここにいないのか、ただ単に俺の位置から確認しにくいのか。
どちらにしても、彼女の耳には入ってくるだろう。
石川が最高の演奏をした。それも柴田さんのために。
「いやあ、スゲエ演奏だった! オレは音楽に詳しくないけど、感動したぜ!」
「そうだな。ここまで素晴らしいとは思わなかった」
「ああ、チクショー! アレさえなければ石川に会えるのにな。
仕方ねえからまた会ったときに、話そうぜ」
ステージの出口には、出待ちしている人集りができていた。
老若男女問わず集まっているその波に入り込む勇気がなかった。
メールで別行動になることを送っておいた。
「そろそろ、なんか食いに行こうぜ」
田中がそう尋ねてきたので、時計を見た。時刻は10時半。
「昼食を取るにしても少し早いな」
「でもよ、昼間まで待っていたら混んじまうぞ」
「……ああそうか、12時から吹奏楽部の公演もあるからな」
この男は、本当に顔に出やすい人だ。ポーカーフェイスとは無縁。
賭博は嫌いだが、今度田中相手なら挑んでもいいかもしれない。
「……ああそうですよ。その通りです。俺は吹奏楽部の演奏が聞きてえんだ」
「正確には『滝川さんの』じゃないか?」
肩を震わせている田中。対照的に俺はニヤついている。
イジるのもこれぐらいにしておこう。俺はもとの質問を返した。
「そうだな、お前の言うように混むから食べに行こう。
どこかオススメはあるか?」
「……後輩から割引券貰ったんだ。そこで食おうぜ」
田中は、少しすねながら答える。イジリすぎたか。
俺は、右腕を田中の肩に回してから言った。
「そうイジケるな。祭は始まったばっかりだ。
なんなら今日は俺が奢ってやる。さあ、祭を楽しもう!」
「うぉっ! 突然なにすんだよ。……今日のお前変だぞ?」
「気にするな。こんな日もあるさ」
こんな日だから仕方ないさ。
▽
正しい主人公の倒し方 第十話
~文化祭の散歩者~
▽
田中に連れられて入った所は、喫茶店。
一年生の教室をカーテンから壁紙まで変えたその空間は、安らぎの場だった。
学校の机を使わず、わざわざ小洒落たテーブルに変えているあたり手の込んだものだ。
人気の出そうな造りで、昼前でも長蛇の列ができていた事は驚いた。
「長い列が出来ているのに、並ばずに入ってよかったのか?」
「ん? いいんだぜ。ほら、この割引券は優待券代わりにもなっているから」
見せられた券には確かに優待と書かれていた。
列に並ぶ人たちから白い目で見られながら入るのは、気分の良いものではなかった。
そういえば、ネズミの国でも似たような経験したな。ファストパス。優越感と少しの後ろめたさを持つチケット。
「割引があるとはいえ奢ってもらってわりいな。
オレはよく食う方だから少し高くつくかもしれないぜ?」
「金のことは気にするな。好きな奴を選べ。さて、俺は珈琲でも……」
俺の動きが固まった。テーブルの上にあるメニュー表を見て固まった。
「ふんわりお絵かきオムライス ¥1100」
「ピリッと辛い小悪魔チックなカレーライス ¥1200」
「ドキッ!?ぐるぐる巻け巻けすぱげてぃ ¥900」
身の毛がよだつネーミングセンス。異常なメニュー単価。
そして、俺の頼もうとしたコーヒーでさえ630円。
俺は田中に視線を送った。ある願いを込めて。
「いやあ、本当にタダ飯は旨いぜ。ありがとうな、佐藤。
それじゃあオレは『男は度胸!テラ盛りwwwビーフカレーセット ¥2000』を頼むぜ」
田中は、この店を出る気配がなかった。そして、この男は容赦がなかった。
たかが文化祭の昼食で、野口先生が二人も消え去るとは思いもしない。
「はあ、なんだこのボッタクリは……」
「いやいや、ボッタクリじゃねえぞ。佐藤もそのうち納得するぜ」
「信じられないな」
財布の中を覗き込み、肩を落とす。さようなら、先生。また会う日まで。
「ご注文は決まりましたか?」
店員に呼ばれ、財布から眼を離した。
納得。この喫茶店が高い理由が分かった。
店員さんの服装は、昨日も見た白と黒をベースにしたメイド服だった。
「『コーヒー』と『テラ盛りビーフカレーセット』で」
「かしこまりました。ご主人様」
軽くお辞儀をする店員。その振る舞いには、わざとらしい媚がなかった。
あくまで平然と、そうだ、普段からその手の仕事をしているような慣れ。
人里離れた屋敷で、昼食をとる主人とメイド。
この些細な注文のやりとりが、ブルジョワジーの日常から切り抜いた一コマのように思える。
そして、彼女は注文の最後にそっと微笑んだ。
その微笑みで、少し高くてもいいかなと思い始めたら負けだ。
上品かつ淑やかな振る舞いでメイドさんは去っていく。
前日、秀実ちゃんから言われたので俺には耐性があった。しかし、危なかった。
「いい……」
耐性のなかった田中はあっさり陥落した。
やはり淑女諸君は、笑顔を出し惜しみしてみたまえ。
サイコロ以上に、男は単純明快だ。
料理が来るまでの間、俺たちは雑談をして時間を潰す。
「佐藤、この後どこか行きたい場所とかあるか?」
「一箇所だけだな。オススメとかあるか?」
「グラウンドで毎年恒例のミスコンがあるぜ。女装ミスターコンテストだけどな」
「……パスだな」
「他には体育館でバザーやってるけど、危険だな。
とてもじゃないが日頃セールで訓練された精鋭主婦軍団に勝てる気がしない」
「ご主人様、お待たせしました。熱いのでお気をつけ下さい」
メイドさんが、注文の品をトレイの上に乗せてやって来た。
田中の前に慎重に置かれたカレーライス。食欲誘うスパイスの香りが辺りに漂う。
しかし、その尋常ではない量は食べる者の心とスプーンを折る。赤字覚悟のボリューム。
例えるなら、それは『山』だった。田中が簡単に登頂出来るとは思えなかった。
俺の前には、ちょこんと珈琲が置かれた。
「まあ、そのなんだ。がんばれ。健闘を祈る」
「……そうだな。残さないようにするぜ」
田中はスプーンで山を崩しに掛かるが、いくら掘っても先が見えない。
それは暑さによる汗なのか、山の恐ろしさを見た冷や汗なのか。首筋に垂れる汗を気にせず、次々と口へ運ぶ。
優待券を使った俺たちを白い目で見ていた連中が、レジで代金を支払っている頃になっても戦いは続く。
俺はその間に、コーヒーを三杯おかわりしていた。
田中がカレー相手に格闘をしているのを横目に、俺は考えていた。
それは、今後の活動だ。織田も参加する女装コンテストに、出場する気はない。
ゲームイベントなので少し前までなら、思い切って参加していたかもしれない。
しかし、あまり乗り気ではなかった。引き伸ばして、明日に起きる事件に介入するとしよう。
時間ならまだある。イベントだってまだあるじゃないか。
宿題を夏休み最終日へ回す小学生のような行動に、おもわず苦笑いしてしまう。
逃げている自分がありありと分かってしまう。昨日の一件から俺の中に諦めが出てきた。
何をしても織田に取られて終わってしまう不安。今までの目標も、ここに来て陰りが見え始めた。
情けなさを隠すように、俺はコーヒーを啜る。
醤油を薄めたような糞不味い味に、顔をしかめてしまう。
「大丈夫ですか、ご主人様?」
「ああ……あ?」
俺が考え事をしている間に勝負は既に終わっていたらしく、皿の上にあった山の姿は消えていた。
そして、勝者である田中の姿も消えていた。代わりにいたのはメイドさん。
先ほどまで、注文を受けていた女の子とは違う子。羽柴秀実が座っていた。
「どうして君がここにいるんだ?」
「ここ、私のクラスですよ。それとお連れの先輩から預かり物です」
そう言って手渡された領収書の裏には、田中の汚い文字があった。
『ゴチになったぜ。サンキュー。俺は一人で聞きに行くから。
この後輩と一緒に回ったらどうだ、王子様?』
ニヤニヤしながら、メッセージを残した田中の姿が浮かぶ。
お節介だった。決して要らぬものではなかったが。
「それと、野口さんを一人置いて出ていきましたよ」
「全く田中の奴め……」
田中が置いていった千円札と割引券を見た。
改めて気のきく友人に心の中で感謝した。
「いい友達ですね。羨ましいです」
「ああ、良い友人だ。自慢出来るぐらいのな。今度紹介する」
「楽しみにしています」
田中と秀実ちゃんは、気が合いそうな気がした。
きっと、この二人ならすぐに仲良くなる。なるべく早く会わせたいものだ。
「……はい、あ~ん」
「突然どうしたんだ? スプーンを差し出して」
「えっ! 『あ~ん』を知らないんですか!?」
「……いや、それは知っているが」
「サービスです。このパフェは『カレーセット』のデザートになるんです。
お連れの方が食べずに帰ったので余りました。そして、これは私から先輩への特別サービスです。
さあ、ご主人様。恥ずかしがらずに、あ~ん」
いつの間にか用意されていたパフェ。さすがにこれは普通サイズだった。
パフェ一口分のったスプーンは徐々に近づいてくる。彼女はニコニコしながら近づける。
だが、俺は顔を背けてしまう。心の準備がまだだった。
「ええっ、どうして背けるんですか!?
ほらほら、早くしないとアイスが溶けてしまいますよ」
スプーンが秀実ちゃんと俺の間に浮いている。
俺がしどろもどろしている間に、アイスが溶けていく。
仕方なく彼女は、自分でそれをパクっと食べた。
「意外です。先輩ってシャイだったんですね」
「……予想外の行動で驚いていたんだ。
それに、君がそんなに積極的だったとは知らなかった」
「それは違いますよ」
落ち着いて彼女の顔を見ると、頬に赤みが帯びていた。
「私だって緊張していました。心臓だってバクバクです」
彼女は手のひらを自分の胸の前に置きながら話した。
そんな彼女の顔を見て、恥ずかしさを感じて下を向く。
「……あの、先輩?」
「ん?」
哀しそうな声に反応して顔をあげると、口の中にスプーンを入れられる。
甘いイチゴの味が口の中に広がっていく。
「てへへっ、私の勝ちですね」
「……いつ勝負をしていたんだ」
よく分からなかったが俺は負けていたらしい。
秀実ちゃんがもう一本スプーンを持ってきて、しばらく俺たちはパフェを食べる。
時折「またしますか?」と彼女が聞いてきたが、その都度断った。
「先輩は、これから何かありますか?」
「いや、特にない」
「もうすぐ私の仕事が終わるので、一緒に文化祭回りませんか?」
子犬のような瞳で俺を見つめる。じっとこちらを見ている。
マンションに住んでいても、捨て犬を拾ってしまう人の気持ちがわかる
同情や偽善などの安っぽい感情に流された訳じゃなくて、しっかり考えた上で答えた。
「……3時にお化け屋敷のシフトが入っているから、それまでならいいぞ」
「えっ! 本当にいいんですか? ありがとうございます!」
正門でも、廊下でも、石川の演奏でも。文化祭では、多くの笑顔を見てきた。
だが、彼女の笑顔が一番明るかった。サンサンと輝く太陽に負けない笑顔。
俺も返事をして良かったと思えた。
文化祭一日目、午前中はのんびりと過ぎていった。