一九四三年一〇月三日 帝都南方四〇〇浬
「レーダーに反応!方位〇度、距離五〇マイル!」
「戻ってきたか……?」
レーダーマンの報告に、フィリップスは『レナウン』の艦橋の窓越しに彼方を見つめた。さすがに五〇浬も離れていては、編隊の姿を発見することは不可能に近い。ところどころ綿雲が浮かんでいる以外、まっさらな蒼穹に機影を捉えるにはまだ時間がかかるはずだった。
「駆逐艦を何隻か前に出そう。母艦に辿りつく前に力尽きる機が出るかもしれん」
フィリップスは少し考えて命じた。『レナウン』から発光信号が送られ、二隻の駆逐艦が輪形陣から離れ、艦隊の前面に展開する。
程なくして、その編隊は姿を現した。
「味方機視認。数一一」
「たった一一機……だと?」
見張員の報告に、参謀長が愕然とした声を出した。出撃したのは四八機だから、帰還率は二割強。いくら強襲となったとはいえ、損害が大き過ぎた。
「全艦、風上に立て!」
「警戒隊に通達。彼らを出迎えてやってくれ。それと、『ライオンハート』『マグニフィセント』に直衛隊の発進を命令」
フィリップスは二つの命令を立て続けに出す。彼もまた、少なくない衝撃を受けてはいたが、ある程度は予測されたことではあった。敵の本土に乗り込んで、損害僅かなどとうまくいくはずがない。一一機“しか”ではなく、一一機“も”帰ってきた、と彼は考えていた。
「……まだ帰還途中の機があるかもしれん。誘導電波を発して、味方機を導けんかね?」
徐々に航空機の形へと変わっていく黒点を見つめたまま、彼は問いかけた。それに対し、航空参謀が顔色を変えて反論する。
「無茶です。既に我が艦隊はかなり奥深くまで入り込んでいます。ここで電波など発しようものなら、収容作業中に空襲を受ける恐れすらあります」
「航空参謀の意見に賛成です。補充の望めない現状、我々南洋艦隊はこれ以上艦を失うわけにはいきません。現時点で帰還してこなかったモスキートについては、残念ながら諦めるしかないかと」
フィリップスは逡巡した。確かに参謀長と航空参謀の言う通りなのだ。彼らは二個の飛行隊を発進させた後、収容までの時間を短縮すべく艦隊を必要以上に日本本土に近づけている。当然、発見される確率も高まっている。今までは常に数機の戦闘機を上空に張り付かせ打電される前に敵機を撃墜していたが、これからもうまくいくとは限らない。そして、これ以上の艦隊戦力の弱体化も防がねばならない。
それでも、彼は迷っていた。モスキートのクルーが重要であることも事実だが、ここで収容に全力を尽くさねば、空軍との関係の悪化も考えられる。
モスキート隊は着艦に入っていた。一機ずつ、慎重に二隻の『イラストリアス』級空母に降りていく。数機が、力尽きたかのように海面に滑り込んだ。すぐさま駆逐艦が不時着水した機体の傍に向かう。
再度空を見上げた彼は、双眼鏡の先で不審なものを見つけた。モスキート隊の後方に、一機の単葉機がいる。機首が尖っているため液冷機だということが分かるが、挙動がおかしい。同時に、見張員からもそれを見つけたとの報告が入る。
(妙だな……)
彼が疑問に思ったのは、その機の位置だ。艦隊は役目を終えたドミネーターや“セイルフィッシュ”を索敵任務に放っている。それらのうちの一機が帰還してきたと思ったのだが、何故かモスキート隊の最後尾についている。確認のためか、警戒に当たっていた直衛機が接触を試みようとした、その時。
「接近中の機体より、通信波が発信されました!」
通信室からの報告が、艦橋内に響き渡った。
「全軍に打電!『敵艦隊発見。“帝都”ヨリノ方位〇度、距離四〇〇浬。空母四、戦艦一、巡洋艦四、駆逐艦八ヲ認ム』」
尾花は声が上擦るのを自覚しながら後席の榎本に命じた。返事は無い。電鍵を叩くのに必死なのだろう。
日本陸海軍は、出せる限りの索敵機を繰り出し、早期の敵艦隊の発見、撃滅を目論んでいた。しかし、いつまで経っても発見の報告は届かず、もたもたしているうちに帝都を攻撃されてしまった。
業を煮やした三航艦司令部は、試作機が完成したばかりの空技廠製試作艦偵に追跡を命じた。この一七試艦偵乙は、カタログスペックだけを見れば、最大時速六八五キロ、航続距離三二〇〇キロという破格の性能を持っていた。これならばモスキートから引き離されずに追跡は可能となると、三航艦は睨んだのだ。
だが、尾花はこの機体を今実戦に出すことに反対していた。何しろ、この機体を我が子のように扱ってきたのだ。欠点はよく分かる。
まず、発動機に問題がある。二式艦上偵察機と同じく液冷発動機を搭載しているのだ。日米合同開発の産物であり、米国では主力機への搭載を検討しているらしいが、日本の整備員には手に余る代物だったのだ。そのため、いつ止まってもおかしくないという事態を招いている。電探や逆探は装備していたが、隠密性を保つために電探を使用していないため、敵機が迫ってきた時、対処が遅れてしまう。
そして、最も致命的なのが、試験飛行すら済ませていないということだった。通常、それによって問題点を洗い出さねばならないのに、それを省いてしまったのだ。つまり、いつ、どんな負荷をかけると危険なのかが全く不明だった。今までは全力を出す必要が無かったため異常は見受けられなかったが、戦闘機に追撃されたらどうなることか。
不意に、左前方に機影を見つけ、尾花の顔が強張った。敵の警戒機が、こちらの正体を看破して撃墜を狙っているのだ。同時に、榎本の声が響く。
「打電完了!」
「よし、離脱する!」
尾花は高らかに宣言し、操縦桿を倒した。最高速度重視の機体のため、旋回半径が非常に大きい。旋回が終わった時、敵機との距離は、危険なまでに詰まっていた。
「敵機、左後方!」
榎本の叫びに、尾花は咄嗟に操縦桿を左に倒した。弾丸の雨が機体を掠め、衝撃に打ち震える。二人に反撃の術は無い。余分な重量物を外すため後部旋回機銃は廃されている。また、『偵察機が被弾するような事態では生還は到底望めない』という判断から、装甲すら撤廃されている。つまり、被弾したら最後、ということだ。
回避した先には、別の敵機がいた。再び射弾の雨霰から間一髪で逃れる。気がつけば、四機に追撃されている。それも、ワイバーンではなく未知の機体だ。
「急降下で振り切るぞ!」
尾花はそう呼びかけ、操縦桿を押し倒した。敵機の性能は明らかではないが、ワイバーンよりも遅いということは無いだろう。とすれば、ここまで距離を詰められては、水平飛行では逃げ切る前に被弾する。そう判断したのだ。
急降下に移ると、機体は不気味な震動を始めた。どこかから、軋む音も聞こえる。
「敵機は?」
「駄目です、まだ追って来ます!」
尾花の問いに、榎本が答えた直後、機体のどこかが壊れる音が、やけに大きく聞こえた。
まずい、と思う余裕も無かった。一際大きな破壊音が響き、主翼が両方とも千切れ飛んだ。尾花の口が開かれ、絶叫が声となって外部に出る前に、揚力と制御を失った機体は速度を殺さないまま海面に激突した。
墜落した瞬間、多量の海水が噴き上げられ、波紋が広がっていく。その上空を、ギリギリで引き起こした戦闘機が通過していく。波紋はやがて消え去り、海面にジュラルミンや風防ガラスの破片を吐き出した。それらはしばらく波間に揺られていたが、やがてうねりに呑み込まれ、消えていった。二人の搭乗員を機体ごと貪欲に呑み込んだ海原は、何事も無かったかのように平静を取り戻していた。
尾花機からの電文は、英艦隊から約一五〇浬離れた地点まで達していた日本海軍攻撃隊にも届いていた。彼らは、偵察機の発進後、その後に続くように出撃したのだ。もちろん、編隊を整えるのと、速度が違い過ぎるために途中で見失ったが、大体の方位は分かっていた。
「索敵機からの通信……途絶しました」
通信員の震える声を聞き、第七〇八航空隊飛行隊長唐沢薫少佐は奥歯を噛み締めた。その胸の内には、試作機を強引に駆り出した司令部への怒りがあった。
(だから言わんこっちゃないんだ。無駄に死なせやがって)
実際は、零式陸偵による追跡も考案されてはいた。しかし、その時には零式陸偵を含めたモスキートについていける偵察機は、全て索敵任務に回っており、一七試艦偵しかなかったのが現実だった。当然、唐沢がそれを知るはずもない。
とにかく、彼ら攻撃隊は、尾花らの命懸けの情報に従い、その地点へと向かっていた。その戦力は、第二二八航空隊の零戦四八機、第五〇九特設航空隊の九九艦爆三六機、第五一八航空隊の九七艦攻三〇機、そして第七〇八、七七一航空隊の一式陸攻三六機。計一五〇機もの大群で襲いかかろうとしているのだ。
電文を受け、変針してから三〇分と経たないうちに、誰かの鋭い声が無線を駆け巡った。
『右下方、敵機!』
眼下に視線を転じれば、多数の航空機がこちらに向かってくるところだった。狙い通りだ、と唐沢はほくそ笑む。敵は偵察機が艦隊を発見してから攻撃隊が出撃してくると踏んだのだろうが、予想よりも早く出現したことで対応が遅れたのだ。
二二八空の零戦が増槽を投棄し、一斉に翼を翻して急降下に移った。空中に零れた燃料が、陽光を反射して虹を形作る。
制空戦闘は二二八空に任せれば大丈夫──そう考え、唐沢は視線を戻した。敵の直掩機と接触した以上、敵艦隊はすぐ傍にいるはずだった。
「後方より敵機!」
尾部機銃座から報告が上げられる。彼は全機に命じる。
「各機、部隊ごとに密集隊形を取れ!」
二二八空も全てを阻止するには至らなかった。こうなると、攻撃隊は編隊の間隔を極力詰め、弾幕射撃で凌ぐしかない。
背後から射撃音と軽い震動が連続して伝わってくる。敵機を射界に収めた機銃座が射撃を開始したのだ。
「味方機一機被弾!落伍します!」
尾部機銃座からの悲痛な声が響くのと同時に、一撃を浴びせかけてきた敵機が数機、離脱していく。機首機銃が射弾を撃ち込むが、命中弾は無い。機銃員たちは、それがワイバーンでないことを見抜いていた。
それらの報告を受けながら、唐沢は脱落した陸攻の運命を思い、瞑目した。今の自分たちは、さながら野生の草食獣と同じだ。一度群れからはぐれれば、たちまち獰猛な肉食獣の餌食となる。案の定、次の一撃でその機が爆散したことが伝えられる。
そして、それを皮切りに、報告が頻繁に飛び交い始めた。
「敵機三、右下方より急速接近!」
「敵機二、左上方より急降下!」
「味方機一機……いえ、三機被弾!」
「五〇九空、五一八空にも、被弾機が続出の模様!」
「おい……冗談だろ?」
大半が味方の劣勢を伝えるものだった。その惨状に、唐沢は顔を強張らせて呟く。当然ながら、それは冗談でも何でもなく現実だ。
「零戦は、二二八空はどうした!?」
「分かりません!接近してくるのは敵機ばかりです!」
彼の叫びに、機銃員の一人が絶叫を返す。彼の背を、冷え冷えとしたものが流れた。制空隊全滅、という最悪の事態が、彼の脳裏をよぎる。
(くそ、まだ見えないのか!?このままじゃ……)
味方は嬲り殺しだ。まだか、まだかとジリジリしながら前方を見つめていた唐沢に、爆撃手が大声で報告した。
「隊長、右前方、敵艦隊です!」
雲の切れ間に、多数の航跡を描く、艦隊の姿があった。本土近海にこれ程の規模の友軍艦隊は存在しないはず。ならば、紛れも無く敵艦隊だ。
「艦攻、陸攻隊目標、敵空母。艦爆隊目標、護衛艦艇!目標選定は、各飛行隊長に一任する!」
唐沢はほとんど怒声に近い声で下令した。大雑把な命令だったが、敵戦闘機の迎撃を受け編隊は大きく乱れ、既に秩序だった攻撃は不可能となっていたのだ。
攻撃隊は、バラバラの状態で攻撃に移行しようとしていた。この状態で、どれだけの戦果を挙げられるかは、まだ判然としなかった。
「くそっ、出遅れたか!」
陸軍飛行第九三戦隊長水沢健三少佐は、突撃を開始した海軍の攻撃隊を見つめて歯噛みした。陸軍の飛行第一〇師団もまた、反撃のための部隊を送り込むことを試みていた。飛行第四五戦隊の隼一六機、飛行第五八戦隊の九七式重爆撃機、九三戦隊の九九式双発軽爆撃機各二四機。彼ら空中勤務者の大半は天測航法が出来なかったため、海軍の零式水上偵察機三機が誘導についている。不慣れな洋上飛行を行ったため、諸々の事情から到着が遅れたのだ。
「隊長殿、海軍機が……!」
爆撃手が悲鳴じみた声を上げる。低空に舞い降りた双発機や単発機が砲弾の炸裂に巻き込まれてジュラルミンの残骸と化し、急降下する固定脚の機体は機銃弾を集中され、空中に散華する。
それでも、彼らは臆するような素振りは見せなかった。降爆も雷撃機も、戦友が何人散ろうとも、遮二無二突き進む。
『全軍突撃せよ!』
攻撃隊を束ねる五八戦隊の隊長機から命令が下る。既に目標の割り振りは終わっている。五八戦隊が低空からの水平爆撃で空母を、九三戦隊が反跳爆撃で護衛艦艇を撃破する。数発の爆弾如きで空母が撃沈できるとは思わないが、行動を制限し、海軍機が二次攻撃を行うだけの隙は作れる。
「右上方、敵機!」
後部機銃手が叫び声を上げる。水沢は思わず罵声を漏らしていた。敵の直掩機は全て海軍機の迎撃に忙殺されているものと思っていたが、そう甘くは無かった。目敏くこちらに気づいたパイロットがいたのだろう。
一六機の隼が機首をもたげ、迎撃に向かう。水沢はスロットルを全開にした。制空隊は数的に時間稼ぎをするのが精一杯だろう。また、九九双軽は装甲、防御火力共に現在の水準からみれば貧弱極まりない。かくなる上は、全速で肉薄し、速やかに投弾する以外になかった。
しかし、そうは問屋が降ろさない。「敵機、左後方!」の報告と同時に、機銃の射撃音が響き始めた。爆音が近付き、頭上を通り過ぎた時、機銃手が悲鳴じみた報告を上げる。
「三番機、五番機被弾!」
直率中隊の二機が続けて撃墜されたのだ。彼は機銃手に問いかける。
「他の中隊や五八戦隊の被弾機は?」
「ありません!いずれも健在です!」
短い報告に、彼は敵の目論見を悟った。先頭を行く水沢機を指揮官機と見抜き、撃墜することで編隊の統制を乱すことを狙ったのだ。五八戦隊が襲われないのは、九三戦隊が先行しているためだろう。低空飛行する九九双軽を雷撃機と誤認したのかもしれなかった。
更に二度の攻撃を受け、五機が撃墜された。登場時は高速爆撃機として重宝された九九双軽も、今となっては敵の攻撃を非力な抵抗をしながら耐え抜くしかない。敵機の襲撃が唐突に止み、代わりに砲弾が編隊の周囲に炸裂し始める。輪形陣の外縁に到達したのだ。
「目標は、各中隊ごとに設定しろ!」
水沢は短く命じた。途端に後方で眩い光が生じ、一機が爆散したことを報せる。
「くそ、何て酷い弾幕だ……!」
彼は小さく毒づいた。砲弾が引っ切り無しに炸裂し、鋭い弾片が機体を切り裂こうとする。一度ならず異音が響き、彼らの肝を冷やさせるが、今のところ計器に異常は見当たらない。
「目標、左前方の敵巡洋艦。中隊全機、ついてこい!」
海面を舐めるように飛行しながら、四機の九九双軽は一際盛大に弾幕を張っている巡洋艦に狙いを定めた。その巡洋艦は砲を水平に倒し、六、七秒おきに砲弾を吐き出してくる。多数の水柱がそそり立ち、落下してくる海水が九九双軽の華奢な機体を叩きつけようとする。四機は水柱の間を縫いながら、距離を詰めていく。
「二番機被弾!」
今度はすぐ傍を飛ぶ僚機がやられた。これで、第一小隊は水沢の機を残すのみとなってしまった。唸り声を上げつつ、彼は怒鳴りつけるように命じた。
「各機、もっと高度を低くしろ!この高度じゃまだ高い!」
言うや否や、操縦桿を僅かに倒し、機体を更に降下させる。プロペラが海面を叩きそうな程の低空だ。いつ操縦を誤り墜落してもおかしくはない。無数の火弾が彼らの正面に降りかかって来るように見えるが、いずれも上方へと抜けていく。
そして、遂に投弾位置に達した。
「てっ!」
爆撃手の短い号令と同時に、機体が一瞬だけ浮き上がる。水沢は強引に浮き上がりを抑え込み、敵艦の艦首から抜け去る。結果はどうなった、と彼が思った瞬間、後方から凄まじい衝撃が響き、続いて後頭部に鈍い痛みを感じた直後、彼の意識は永遠に暗転した。
「凌ぎきったか……」
フィリップスは対空戦闘を止めた周囲の艦艇を見やり、そう呟いた。幕僚や艦橋要員らはほっと息をついている。のべ二〇〇機以上の大群による空襲を受けたにも関わらず、沈みそうな艦は一隻も無い。
「司令官、損害の集計が終わりました」
参謀の一人が、電文の綴りを持って報告する。
「『マグニフィセント』が爆弾二発、魚雷一本を受け、大破。自力航行は可能ですが、詳しい損害はまだ分かっていません。また、飛行甲板を破壊されたため、搭載機は『ライオンハート』に移乗します。その他、『インドミタブル』『ランカスター』『スキュラ』、それと駆逐艦二隻がそれぞれ数発被弾。ですが、いずれも戦闘、航行に支障はありません」
「新鋭機のおかげですな」
参謀長が薄く笑いながら言う。劣勢にも関わらず、艦隊上空をよく守ってくれた戦闘機隊は、次々に『ライオンハート』に着艦を始めている。
「うむ。これで、“スピアヘッド”は零戦(ジーク)には圧倒的な優位を保つことが、実戦でも証明されたな」
フィリップスも満足そうに頷き返す。
彼らが話題にしているのは、スーパーマリン社製の最新鋭艦上戦闘機“スピアヘッド”。同社が“ワイバーン”に対抗して開発を進めていた機種であったが、高性能を求めたがために開発に遅れを生じ、開戦に間に合わなかった機体だった。
しかし、時間をかけただけあって、その性能は隔絶したものを持っていた。ワイバーンが散々悩まされたジークを一蹴し、多くの九九艦爆(ヴァル)、九七艦攻(ケイト)、一式陸攻(ベティ)を撃墜したのだ。護衛艦艇は対空火力の高い艦を選んだとはいえ、戦没無しとなったのは、スピアヘッドの功績によるものが大きいだろう。
その性能は、最大時速六三二キロ、武装は機首の一二.七ミリ機関砲二門と両翼の二〇ミリ機関砲四門という重武装。その他、装甲も格段に強化され、生存性の高い機体となっている。この機体が、『ライオンハート』に六〇機搭載され、今回の防空戦にて『マグニフィセント』のワイバーン十数機と共に戦ったのだ。
「不謹慎かとは思いますが、陣風(マイク)との交戦が無かったのは残念ですね。もしも優勢なのが証明されれば、しばらくは、我がロイヤル・ネイヴィーの航空隊も安泰でしょう」
「それは来るべき決戦の時の楽しみとしておこう。さて、そろそろ諸々の作業が終わる頃かね?」
軽く窘めるように言い、フィリップスは誰に聞くともなしに呟く。その直後、不時着した機体のパイロットの救助や、損傷艦の消火活動が終わったことが知らされる。それと同時に、『マグニフィセント』から発光信号が送られる。
「『マグニフィセント』より信号。『我、艦首部ノ損傷大ナリ。出シウル速力一一ノット』」
「むう……」
それは凶報ではないが、嬉しくは無い報せだった。一一ノットといえば、鈍足の輸送船並みの速力だ。彼らが知る由も無かったのだが、この時、『マグニフィセント』の艦首には、ケイトが至近距離まで肉迫して放った魚雷が艦首に大きな破孔を穿っていた。更に、全速で回避運動を試みていたため、大量の海水を呑み込む結果となってしまったのだ。
「司令官、『マグニフィセント』は放棄していった方がよろしいのではないですか?」
参謀長がそう具申する。フィリップスはしばらく考え込んでいたが、やがて決断を下した。
「いや、連れて行こう。先程貴官が言った通り、我が軍にこれ以上の損耗は許されない。それに、全ての艦が帰還してから、初めて作戦は完了したといえるのだ。生き残る望みがある限り、生還に全力を尽くすのが我々の仕事だと、私は考える」
参謀長は一瞬反論しかけ、思いとどまった。先程言ったのは、あくまでも発見されておらず、空襲を受ける可能性が低かったためだ。だが、同時に足手まといになる艦が出た時は、それを処分するべきだとも考えていた。一隻に構って、他の艦まで失っては意味がない。それどころか、余計に傷口を広げる結果となる。
しかし、フィリップスが強気になる理由も理解できた。イオウジマ・アイランドへの空襲と今の防空戦で消耗したとはいえ、スピアヘッドはまだ五〇機以上が健在だし、艦隊の防空能力も十分に保持しているといってもいい。そして、何よりも、合計二〇〇機以上による空襲を凌ぎきったという、揺るぎない事実があったためだった。
結局、反対意見は出されなかった。艦隊は『マグニフィセント』の応急修理完了を待ち、再び南へと針路を向けた。
──後の戦史家は語る。もし、この軽空母一隻を犠牲にするという決断を下せる勇気が“β”部隊司令部にあったならば、この後の戦争の展開もまた、違ったものになっていただろう、と。
一九四三年一〇月三日 柱島泊地 GF旗艦『鳳翔』
“英艦隊に本土攻撃の意図あり”の一報を受け取って以来、GF幕僚は交替で二四時間常に誰かが作戦室に詰めている状態を維持していた。そしてこの日、彼らは敵機襲来の報を受け、固唾を飲んで戦況を見守っていた。
「辛うじて皇居や首相官邸、国会議事堂への直撃は阻止。しかし、戦闘機隊や防空部隊、それに流れ弾による民間施設への損害あり……か」
GF参謀長福留繁中将は眉間に皺を寄せて被害報告を反芻した。皇居直撃という最悪の事態は防ぐことに成功していたのだが、その周辺への被害は決して小さいものでは無かった。
「私には、追撃部隊がこれ程の損害を受け、更に一隻も撃沈できなかったことがどうにも信じられないのですが……」
航空参謀室伏元保中佐が呆然として呟く。つい先程入った報告は、三航艦、一〇飛師の攻撃隊が多大な損害を被って対艦攻撃能力を喪失したことを報せてきていた。最終的な損害結果はまだ出てはいないが、一〇〇機は軽く超えるであろうと見積もられている。これに対して、戦果は全くなし。これまでの航空戦からすれば、信じがたい結果だった。
「攻撃隊の通信内容を収集したところ、未知の戦闘機と遭遇したというものが非常に多く、英艦隊が零戦でも太刀打ちできないような新型機を繰り出してきたと思われます」
「未知の艦戦……か」
通信参謀十和田彰義中佐の発言に、GF司令長官古賀峯一大将は気難しげに唸った。三航艦の麾下戦力は、数こそ多いがほとんどは主力機の座を譲った一世代前の機体だ。防御力の貧弱なそれらでは、到底攻撃を成功させられなかったであろう。
「この状態では、二航艦も戦果を挙げられるか怪しいものです。四艦隊を呼び戻し、追撃戦に参加させてはいかがでしょうか?」
「そんなことをすれば、パレンバンがもう一度空襲を受けた時、守護してくれる戦力は存在しないのだぞ。そうなれば、我が軍は重要な油田を丸々一つ失うことになる」
作戦参謀山本祐二中佐と福留が議論を戦わせている。先のパレンバン空襲により、同地の航空隊は壊滅状態に陥った。また、アンダマン諸島基地群も同時に機能を喪失していたため、GF司令部は第四艦隊に同地の防衛任務を宛がったのだ。
「……三艦隊は?」
「三艦隊は、ラングーン沖にて仏艦隊を攻撃した後、アンダマン諸島救援のため南下。その後、再度反転し、チッタゴンの英軍基地を無力化しました。現在は、ペナンにて補給と損耗した航空隊の補充を行っているはずです」
古賀の問いに、戦務参謀阿部雅之中佐が答える。今、GFの誇る二個機動部隊は、いずれも簡単に動かせる状態にない。他に第二艦隊がパラオに待機しているが、足の遅い第三戦隊を加えている上に、パラオへの攻撃が無いという確証が持てないため、未だに待機状態におかれ続けている。
「……止むをえまい。各部隊への命令はそのまま実行してもらう。二航艦には、現状の戦力で対応してもらう。最悪、取り逃がしてもいいと言っておこう」
古賀が決定を伝えると、幕僚たちは一様に押し黙った。誰もが、自分たちの判断に自信を持てず、同時に日本が置かれている情勢が如何に困難なものかを改めて思い知ることとなった。
彼は黙ったまま、戦域図に視線を落とした。その視線は、地図上の一角──マリアナ諸島に翻る日章旗に注がれていた。
架空兵器紹介(航空機)
・大日本帝国海軍 一七試艦上偵察機乙型
【要目】
全長:一一.九メートル
全幅:一三.四二メートル
発動機:愛知“熱田”六二型液冷一二気筒
離昇出力:二三〇〇hp
最大速度:六八五キロ
航続距離:三二〇〇キロ(正規)
兵装:無し
【解説】
中島飛行機に開発命令を出したのと同時期に空技廠が開発した艦上偵察機。
中島製一七試艦偵(甲型と呼称)に比べ、一回り大きいが同時に発動機に日米共同開発の“熱田”六二型を採用し、速度性能で圧倒的な差を付けた。また、開発開始から一年余りで試作機が完成するという非常に早い開発速度だった。
しかし、開発を急ぎ過ぎたことや徹底的な軽量化(搭乗員の削減や武装、装甲の撤去)を図ったことが祟り、強度が不足していたが、試験飛行すらせずに実戦にて運用した結果、試作一号機を喪失するという結果になった。
その後、改めて調査が行われ、強度不足からくる空中分解の恐れがあるとして、開発中止となった。
当機の失敗以後、空技廠は一五試陸上爆撃機の採用を最後に航空機開発から身を引き、陸軍航空工廠と同じく、機体開発に携わることは無くなった。
・大英帝国海軍 スーパーマリン“スピアヘッド”艦上戦闘機
【要目】
全長:一〇.四五メートル
全幅:一一.九五メートル
発動機:ロールス・ロイス グリフォン65液冷一二気筒
離昇出力:二二七五hp
最大速度:六三二キロ
航続距離:一七九二キロ(正規)
兵装:一二.七ミリ機関砲×二(機首)
二〇ミリ機関砲×四(主翼)
五〇〇ポンド爆弾×二を搭載可能
【解説】
大英帝国海軍の次期主力戦闘機。
元は“ワイバーン”の対抗機種として開発されていたが、更なる性能向上を目指した結果、配備が遅れ開戦には間に合わなかった。
その性能は初期型で零戦を圧倒し、陣風すら超える性能を誇る機体として、日本海軍に多大な損害を与えることとなる。
後書きめいた何か
本土近海からの追撃戦だけで一話使ってしまった。本当は前回の最後に入れる予定だったのですが、御覧の通り一話分になってしまったため切り離しました。ちょっと短いですが。
今回は、英国新鋭艦戦のお披露目。同時に零戦終了のお知らせ。もう休ませてあげてもいいよね。
次回はマリアナの二航艦麾下部隊による追撃戦。では、次回もお楽しみいただけると幸いです。