視界が歪んでいる。どころか曲がっている。あるいは揺らいでいる。
景色は一秒ごとに色を変え、天地はコンマの単位で逆転し、それが繰り返される。
ぼやけて見えていた壁が次の瞬間には天井になっていて、瞬きした瞬間にはまたそれが地面へと切り替わっていた。
見えているものに統一性はなく、映っている色もまちまちだ。白だったり黒だったり赤だったり青だったり、それこそ意識が飛ぶごとに色が目まぐるしく移り変わっていく。
ああ、面白い。なんて愉快な光景なのだろう。
こんな素敵な見世物が見れているんだ、この身体に走る熱の篭った痛みも吐き気のする鈍痛も、脳みそに指を直接差し込まれてこねくり回されているようなこの不快な感覚さえ、それを思えば取るに足らない駄賃に過ぎない。
身体から何かが飛び出したくてうずうずしている。今にもこの肉体を食い破り、外に出ようと必死に暴れまわっている。
そんな感触。
そんな感覚。
ああ、こりゃ間違いない、最高にハイってヤツだ。
気分はまぎれもなく、答える気も起きないくらい、単純に明快な、ともすれば気楽な鼻歌でも一緒に流れるかと思わんばかりのただ一言――
――最悪だった。
「根性が足りん、根性が」
間のぬけた空気の抜ける音と共に特殊演習場の扉が開き、開口一番聞こえてきたヴェスタの台詞に、反論する余力は無かった。
俺は息も絶え絶えに壁によりかかり、尻を床につけたまま、ただ呼吸を繰り返すだけ。全身の筋肉に力が入らず、両腕も両足も、情けないくらいにだらんと床に放り投げられている。
立ち上がることはおろか、関節を動かすことすらできそうになかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
視界が霞んでいる。しかしそれでも、ちゃんとぼやけながらでも視界の床が固定されているあたり、先ほどの悪夢とは比べ物にならないくらいマシだった。
……まったく。
シャレになってねえな、ありゃ……。
そんなぐにゃぐにゃの視界に現れたのは、小さくて細い少女の足と、床に垂れている白衣の裾。それが誰のものであるかをイカれた頭で認識しようとした矢先、額に、突如としてひんやりとした感覚が宿った。
「……あ……」
「……馬鹿者が。だから無理をするなと言ったんだ」
頭を上げることすらできないので彼女の顔を覗き見ることはできなかったが、その口調には、明らかな呆れの色が濃厚に帯びていた。
「実験はここまでだ。最終調整がコレでは、使い物になるまでまだまだ時間が必要のようだな」
台詞と共に少女はかがみ込み、ゆっくりと俺のベルトに手を伸ばした。
シチュエーション的にこれは言わなければならない。それは俺の理性をも超えた本能だった。
「……へ、へへ、えっちいなあ……ヴェスタ……こんなところで、脱がす気か、よ……」
「それだけ喋れれば治療の必要はなさそうだな」
嘆息交じりの返答で、ヴェスタは臆することなくその未発達な小さな指をベルトにかけ……
ぱちん、と中心部にはめ込まれていた鈍く銀色に光る小型のメダルを弾いた。
俺の提案で開発が始まった『ファントム・メダル』――その調整は、絶賛頓挫中だった。
未だエテルを我が物に出来ていないノワールには、急造でも新兵器というべき力が必要だ。完全に硬直したこの現状をひっくり返すには、どちらかに変化がなければならない。それは、俺達と奴らの歴史が物語っている。
ルピナスは地球人の生命力をエテルに変換する技術を編み出した。ならばこちらも、それに見合うだけの技術で応戦しなければ勝ち目はないのだが、その目処は未だ立っていない。
だからせめて、ちょっとでもいいからヴェスタの時間稼ぎになればと思い、無い頭を絞って考えたのがこのメダル。通称『ファントム・メダル』なのだ――
……なのだが。
今のところ俺専用ということで開発が進んでいるけど、専属の俺でさえまったく使いこなせていない。システムに不備はない、技術面においてヴェスタは妥協なく負荷も極限にまで減らしてくれている。
しかし、そうまでしても。
「……やはり脳にかかる負担が大きすぎる。Bランク素体はメダルの力を十分引き出しているが、お前がそれを無意識に拒絶している状態だ」
手元のボードに表示されているグラフを睨みながら、少女は忌々しげに眉をひそめる。科学者として、成果が実らないことに苛立ちを感じているのだろう。
しかし彼女はよくやってくれている。恐らく、彼女が協力できることは、もうほとんど無い。
でなければ……俺にあの苦痛を与えるたびに、こんなにも後悔するような表情はしないだろうから。
「この能力は人間には危険すぎる。今からでも遅くない、廃案にすべきだろう」
共に並んで廊下を歩いていると、苦渋の表情でヴェスタがそう口にする。
「今更そんなことディアナ様に言えないだろ。ただでさえアルシャムス殿下が視察中の時期なんだ。今すぐにでも結果を出したいだろうしな」
「しかし……」
「わぁーってるって。ようは俺が気張ればいいだけの話だろ、って痛ぇえ!」
見れば幼女の足が思いっきり俺の片足を踏み抜いていた。くそこいつっ、自分の勝手なタイミングで痛覚オンにしやがって!
「バカモノが。気合でどうにかなる問題か。下手をすれば脳が壊死してもおかしくないんだぞ。直接電流を流し込んでいるんだからな」
上目遣いで睨まれる。俺は肩を竦め、反省の意を示した。
「……フン。とにかく、この試作メダルは私が預かる。貴様に持たせていると危なっかしくていかん」
「信用ないなあ」
「信用など最初からしておらんさ、戦闘員160号。お前は命令どおり戦えば、それでいいんだ」
余計なことをするな、というヴェスタの強い言葉に、俺は片目を伏せて適当に答えるのだった。
アルシャムス皇女殿下が地球に降りてから、幸か不幸か、まだ一度も『超エネルギー体』を憑依させたバケモノは現れていない。だから殿下も判断できず、視察の期間はズルズルと延びている。
けど、もし次に憑依獣が出現したら。
……敗北は、許されない。
それはディアナ様も、ヴェスタも理解していることだろう。
勿論、俺も。
(時間はねぇけど……出てきちまったら、それがタイムアップだ。俺はメダルを使わせてもらうぜ、ヴェスタ)
その決意は、体の何処から沸き上がってくるのか、自分でも分からない。
けれどそれだけは、迷うことなく、躊躇することなく、俺は既に自分の中で決断を下していた。
まるでそれが、俺の使命だといわんばかりに。
御門市の駅前は、世間一般的に休日ということもあってか、それなりに人の数で賑わっていた。
老若男女様々な人間が行き来するのをなんとなしに眺めながら、俺は駅の広場中央にある大きな時計台に背を預け、時間が来るのをぼんやりと待ち構えていた。
俺と同じ境遇の人間も何人か周囲にはたむろっていて、ある人は待ち人が来てその場を離れたり、またある人は俺よりずっと前からその場を占拠して誰かを待ち焦がれたりしているようだ。
すぐ近くにはベンチもあったりして、空いているときもあったが俺は座ることをしなかった。
なんというか……不自然な居心地の悪さを感じていたからだ。
(いや、てかこれ、どう見てもデートの待ち合わせだよな……)
周囲を見れば、明らかにそれが目的のアベックの片割れが、時にはそわそわと、時には苛々しながら、同じ時間を共有している。俺はというと、約束の時間までまだ15分もあるので、それほど相手に対する感情はない。というよりも、あまり知らない、といったほうが適切か。
「どうしてこうなったんだろうなあ……」
不思議に首を捻りながら、腕組みで直立の姿勢を崩さず、ただ疑問に思う。
「……ん、あれ?」
何気なくすることもなくぼーっと前を見ていたら、ちょうど視界の遠くで、待ち合わせ場所を設定した人物が歩いてくるのが見て取れた。何秒か遅れて相手もこちらの存在に気付いたのか、いままでゆったりだった歩幅を、目に見えて早歩きというか、もはや小走りともいうべき速度に変えてこちらに駆け寄ってくる。
「え? ま、まだ15分前だよな?」
振り返って背にした時計を仰ぐと、やはり時間は10時45分。キッチリ約束の時間15分前である。
だというのに慌てたように俺の目の前まで走ってきたその少女は、呼吸を乱しながら、あわあわと申し訳なさそうに、一心不乱でぺこぺこと頭を下げはじめた。顔にかかる乱れた前髪が、少女の可愛らしい瞳をちらつかせている。
「……ご、ごめ、ごめんな、さい……! ま、待たせてしまって……」
「いやいや! 時間前だって! 俺が勝手に早く来ただけだから!」
そんな態度を彼女がとる必要はまったくない。俺も少女と同じくらい慌てながら、彼女の謝罪を止めるように呼びかけた。……なんというか、こういうときの対処法ってなんでマニュアルがないんだ。どうしたらいいのかまったく分からず、俺は少女の肩を掴んで止めようとして触れることに思い留まったり、なんと言えば彼女が素直に受け入れてくれるのか必死に頭の中でキーワードを探し出したり(該当件数:0件)と四苦八苦してしまう。
結局お互いの混乱が収まったのはそれから数分もした後だった。
周囲の視線が集まっていたが、そのときの俺は――戦闘員として感覚が研ぎ澄まされているはずの俺は、周りの奇異あるいは微笑の目に、まったくもって気付かなかったのである。
彼女――雛菊杏というらしい――との出会いは、全てが偶然で彩られていた。
最初は丘の上野公園で、次は街のオープンカフェで、そして三度目はオフの散歩中に道端でばったり。
無論少女が御門市で暮らしていて、俺達がそこを拠点に活動しているのなら、出会う確率は決して0ではないのだが……だとしても三度の逢瀬は、ともすれば運命とも呼べるほどの低確率のはずだ。
三度目に出会った彼女は、俺を見て驚きの混じった挨拶をすると、思い出したように前回のことを詫び始めた。どうにも彼女とは出会い頭に謝られてばかりのような気がする。
そしてそのどれも、彼女に非はない。前回だって悪いのは少女の連れだった勝気そうな女の子のほうで、それだって俺はなんとも思っていないし無傷だった。しかし心優しい雛菊ちゃん(多分年下だろうという勝手な思い込みでそう呼称することに決めた)はこのままではよくない、せめて俺にお礼をしなければ気がすまないと彼女にしては頑なに譲ろうとしなかったので、俺は妥協案としてこう言ったのだ。
「――だったら、俺ってこの町に越してきたばっかりで、あまり町のことをよく知らないんだ。よかったら案内してくれないかな」
……言った後で激しく後悔した。何故ならその台詞は、聞き取りようによっては……というか誰がどう聞いても、デートのお誘いだったからだ。
彼女がその面に関して非常に乗り気でないことは、最初の出会いでのナンパで分かっていたはずだったのに、これじゃああの連中と何もかわらねーじゃねえかあ!と頭を抱えそうになったほどだ。
ごめん今のは気にしないで――と口にすることさえ、次の瞬間には躊躇われた。彼女の顔は、もう本当に同情するくらい羞恥で真っ赤に染まっていたのだから。
あああああ俺の馬鹿!童貞!だから後輩にもなめられるんだちくしょう!などと悶々とするも、もはや修正したところで少女の心の内に与えたダメージは拭いがたい。いっそ切腹デモンストレーションでもしてその場を和まそうかなどと狂ったことを考えていたそのとき――
「……ぁ……は、い……! わかり、ました……わたしで、よければ……その」
ご案内いたします、とは口の中だけ呟いて、彼女は俺の申し出を、何故か引き受けてくれたのだ。
そういうわけで二人並んで……正確には半歩後ろを歩く雛菊ちゃんを従える形で、俺達は散策を開始した。
「……えっと、本当にごめんね。休日に時間とってくれちゃって」
「……い、いいいえ! わ、わたしも……きょ、今日は暇でしたから……」
「そ、そう」
ここで気後れしてはいけない。彼女と付き合うコツは、「彼女が怯える要素を与えてはいけない」ことだ。
もしここで俺が黙りでもしたら、雛菊ちゃんはきっと、自分のせいで、とか考えてまた落ち込んでしまう。本当にガラス細工で出来たように繊細な女の子だ。
その鈍さを嫌う人もいるかと思うけど、俺はそれこそ彼女の美徳だと感じていた。
だから、その美しさを、翳らせてはいけない。
俺にできることは、俺がいつもと同じ調子であることをアピールして、彼女を安心させてあげることだ。
「ご飯食べてきた?」
「は、はい……ぁ、で、でも、七篠さんがまだでしたら……」
「あ、それは大丈夫。この後の昼食のこと考えてただけ。いいお店、期待してるね」
「は……はいっ」
恥ずかしそうに俯く小柄で華奢な身体。相変わらず前髪が少女の表情を隠していて、その奥ゆかしさがなんとも愛らしい。周囲が過激派ばかりだからか、この娘に癒しを求めている俺にとって、彼女の一般的に指摘されうる欠点は、全て美点に置き換えられていた。
ちなみに、名前がないと(160号なんて名乗ってもドン引きされるだけだ)座りがわるいし呼びにくそうだったので、その場で咄嗟に『七篠太郎』と名乗っておいた。ナナシノゴンベーに、ヤマダタロウという、日本人の偽名を組み合わせたまったく新しい斬新なコードネームである。
ヴェスタやナミ子にそのことを話したら何故か身を震わせながら軽蔑するような目で俺を見ていたがまったく理解できん。およそ引かれる要素がねえよ。
ナミ子にいたっては「どーせならナミ子みたいに番号からもじればよかったのに。160でイチローとか」なんてもはや壊滅的なネーミングセンスを訴えていたので鼻で笑ってやった。ありえん。
「今日も暑いね~」
「はい……」
ちらりと雛菊ちゃんのほうに視線を配る。夏らしく清涼なノースリーブに、下はホットパンツだろうか? 大人しそうな彼女にしては大胆に肌を見せる服装に、なんだか年甲斐も無くドキドキしてしまう。
おかしいなあ、心臓は置いてきたはずなんだが。
「……あ、ここのパン、とっても美味しくて……」
「へ~。確かに焼きたては鼻をくすぐりそうだ。雛菊ちゃんはパン好きなの?」
「は、はい……朝は、いつも食べてます」
「そうなんだ。俺も結構パンには凝ってて……というか基本ご飯とか炊かないから買って食べるしかないんだよね。雛菊ちゃんはなんのパンが好き?」
「え、えっと……ミルクブレッドとか……」
「あー、ふんわりしたやつ美味しいよね」
「は、はい、それでこのお店が、私が食べた中で一番美味しくて……」
「えー、だったら贔屓にしないとなあ。お店の人に顔覚えられたら安くしてもらえるかな?」
「……くすっ。どうでしょう」
そんな感じで、俺達は他愛も無い会話を繰り返しながら、ぶらぶらと町を歩き回るのだった。
お昼ご飯は雛菊ちゃんとそのお友達がよく一緒に行っているという軽食つきの喫茶店でとり、そこの顔馴染みらしいマスターが雛菊ちゃんをからかったり、それで雛菊ちゃんが赤面して撃沈したりと楽しいハプニングもありながら、その後も色々と御門市を見て回った。
驚いたのは、雛菊ちゃんのこの町に対する愛情の深さだ。どんな場所でも聞けばそこにまつわるエピソードを聞かせてくれて、その言葉はたどたどしくても、俺に伝えようとする一生懸命な熱意が感じられ、その場所に興味を抱かずにはいられなくなる。俺は思わず感心しきっていた。
「雛菊ちゃんは話すのが上手いなあ」
それをそのまま口に出して伝えると、彼女は怯えたように目を丸くした。
「え……?」
「話の盛り上げ方も上手いし、要点もまとまってるし。なによりすっげえ興味わいちゃうもん」
「そ、そんなこと……ないです。私いっつもトロくて、そのせいでみんなに迷惑……」
「話す速さのことじゃないよ。君が話す中身が、とっても面白いってこと。だいたい、話す速さなんてそれこそ人それぞれなんだし、聞き手次第だよ。俺が面白いって言うんだから、俺にとっては面白いの。他人は関係ないんじゃないかな」
「…………そんな……」
彼女はそれっきり俯いてしまった。
……うーん。自分の欠点を欠点と認めている時点で、彼女の問題は既にその欠点の内容ではないんだけど。それに起因する自信のなさが色々と邪魔している気がする。
とはいえ、所詮彼女の肉親でも恋人でもましてや友人ですらない俺に、そのことを指摘する資格はない。
だから代わりに、
「……雛菊ちゃん。君の一番思い出の場所、連れて行ってくれないかな」
せめて、彼女の気が晴れる場所を求めた。
そうして丘への長い坂を上っている最中、その運命は唐突に訪れたのだった。
「……ん」
胸ポケットにいれていた携帯が音を鳴らす。
それの意味することは、たった一つだけだ。元よりこれは携帯電話ではなく、戦いへと誘うコールサインの役割しかもっていないのだから。
「……あの、携帯……」
「ああ、うん」
音は鳴っているのにいっこうに取ろうとしない俺を見上げ、可憐な少女が不思議そうに見つめてくる。
……ああ、なんということだろう。
俺の役目は唯一つ、そのためだけにこの世界に存在しているというのに。
あろうことか、その任務を、俺は一瞬、疎ましく思ったのだ。
この電話をとれば、彼女との別れが確定する。俺はそれを、嫌だと感じたのだ。
そう、感じてしまった。
それは、俺自身を否定すること。
(……なんて、ね。可愛い女の子と別れるのが辛いなんて、男の性だよな)
格好つけたって、俺にとって、彼女とのデートは『その程度』であるべきで、そして実際、一瞬の躊躇はすぐに拡散した。
俺がやるべきことは、臆病な少女を元気付けてやることじゃない。
そんなものは、彼女が長い人生の中で出会う未来のパートナーに任せればいい。
俺は俺にできること、俺にしかできないことをこなす。
そしてそれは、この先の彼女と歩む道にはないのだ。
「はい」
『出番だ、160号。すぐに基地に戻って来い』
「分かりました」
電話をとり、短いやりとり。それが俺にとっての全てだった。
(……さあて、どうやって切り出そうかなあ)
しかし彼女にそれを告げるのはいささか骨だった。ここから少女が最も大事にしている場所に向かうというのに、俺はそれを拒絶しなければならないのだ。
だがやるしかない――と重い腰を上げて雛菊ちゃんのほうに振り返ると、そこに少女の姿はなかった。
「あれ?」
見ればここより少し距離をあけた後方で、彼女もいつのまにか、一回り小さなピンクの可愛らしい携帯電話を耳にあて、何事か喋っている様子だった。聞こうと思えば会話も聞き取れるが、そんな無粋なことをするほど俺も馬鹿じゃない。
しばらくして電話を終えたのか、携帯を持っていたバッグにいれると、いそいそとこちらに駆け寄ってくる。
さて、言うぞ――
「雛菊ちゃんあのさ、わる――」
「ご、ごめんなさい! 私急な、よ、用事ができちゃって……っ!」
俺が言葉を紡ぎ終わる前に、勢いよく垂れた頭と共に飛び出た言葉のほうが早かった。
「……え?」
「ほ、ほんとうに……ごめ、ごめんなさい……で、でも、私行かなきゃいけなくて、とても、だいじな……ぇ、えっと、今日の日と同じくらい大事な……こと、で……」
「いや、うん」
顔を上げた少女の瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。前髪の隙間から窺えるその後悔と申し訳なさでいっぱいの目に、俺は努めて笑顔が映えるよう心がけながら、
「偶然だ。実は俺も、上司から緊急の出勤コールはいっちゃって。君にどうやって断ろうか悩んでたんだ」
「……え?」
ぽかんと呆ける少女に、俺は笑いかける。
「こうなってくると、なんていうか、もう神様のせいってやつだよこれは。……いつかまた、機会があったらこの日の続きをしよう、ってことで。今日はすっごく楽しかったよ、雛菊ちゃん。うん、掛け値なしに」
「は、はい。私も……うれし、かったです」
「うん。なーんか中途半端だけどさ……ここでお別れってことで。じゃあまたね」
長くいればいるだけ、離れづらくなる。それは彼女にとってもそうだろう。ここは後腐れなく見せかけるのが一番の手段のはずだ。
俺は未練なく、少女から背を向け、坂を下り始める。
振り返っちゃダメだ。彼女に余計な尾を引かせてはいけない。
そう念じて振り返らずただ歩き続けたのが功を奏したのか、やがて背後では、少女の足音が響き始めた。俺とは逆の方角に。
きっとそのまま、彼女の好きな丘の上公園に向かうのだろう。
丁度いい。このまま同じ方向に進んだのでは、俺の立つ瀬がなかったことを、間抜けながら今思いついたところだったのだ。
そうして俺達は、互いに背を向けて、それぞれの道へと歩き始めた。
※次回、はじまりの“変貌”
うん。メダルネタは仮面ライダーオーズ放送前から作品内に名前として出してはいたんです。
こっちのほうが先に出してパクリだと気付かれないようにする作戦だったんですが。
とはいえ次回、メダルが動きます。歌は鳴りません。