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No.18721の一覧
[0] オーバーロード(オリジナル異世界転移最強もの)[丸山くがね](2012/06/12 19:28)
[1] 01_プロローグ1[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:37)
[2] 02_プロローグ2[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:24)
[3] 03_思案[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:54)
[4] 04_闘技場[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:55)
[5] 05_魔法[むちむちぷりりん](2011/06/09 21:16)
[6] 06_集結[むちむちぷりりん](2011/06/10 20:21)
[7] 07_戦火1[むちむちぷりりん](2010/05/21 19:53)
[8] 08_戦火2[むちむちぷりりん](2011/02/22 19:59)
[9] 09_絶望[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:28)
[10] 10_交渉[むちむちぷりりん](2011/08/28 13:19)
[11] 11_知識[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:37)
[12] 12_出立[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:29)
[13] 13_王国戦士長[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:53)
[14] 14_諸国1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:39)
[15] 15_諸国2[むちむちぷりりん](2010/06/09 20:30)
[16] 16_冒険者[むちむちぷりりん](2010/06/20 15:13)
[17] 17_宿屋[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:37)
[18] 18_至上命令[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:46)
[19] 19_初依頼・出発前[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:44)
[20] 20_初依頼・対面[むちむちぷりりん](2010/08/04 20:09)
[21] 21_初依頼・野営[むちむちぷりりん](2010/11/07 18:11)
[22] 22_初依頼・戦闘観察[むちむちぷりりん](2010/09/19 18:30)
[23] 23_初依頼・帰還[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:38)
[24] 24_執事[むちむちぷりりん](2010/08/24 20:39)
[25] 25_指令[むちむちぷりりん](2010/08/30 21:05)
[26] 26_馬車[むちむちぷりりん](2010/09/09 19:37)
[27] 27_真祖1[むちむちぷりりん](2010/09/18 18:05)
[28] 28_真祖2[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:15)
[29] 29_真祖3[むちむちぷりりん](2010/09/27 20:50)
[30] 30_真祖4[むちむちぷりりん](2010/09/27 20:47)
[31] 31_準備1[むちむちぷりりん](2011/06/02 20:33)
[32] 32_準備2[むちむちぷりりん](2011/02/22 19:41)
[33] 33_準備3[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:55)
[34] 34_準備4[むちむちぷりりん](2010/10/24 19:36)
[35] 35_検討1[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:58)
[36] 36_検討2[むちむちぷりりん](2010/11/14 11:55)
[37] 37_昇格試験1[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:52)
[38] 38_昇格試験2[むちむちぷりりん](2011/01/22 07:28)
[39] 39_戦1[むちむちぷりりん](2010/12/31 14:29)
[40] 40_戦2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:54)
[41] 41_戦3[むちむちぷりりん](2011/02/20 21:42)
[42] 42_侵入者1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:40)
[43] 43_侵入者2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:42)
[44] 44_王都1[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:51)
[45] 45_王都2[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:57)
[46] 46_王都3[むちむちぷりりん](2011/10/02 07:00)
[47] 47_王都4[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:38)
[48] 48_諸国3[むちむちぷりりん](2011/09/04 20:57)
[49] 49_会談1[むちむちぷりりん](2011/09/29 20:39)
[50] 50_会談2[むちむちぷりりん](2011/10/06 20:34)
[51] 51_大虐殺[むちむちぷりりん](2011/10/18 20:36)
[52] 52_凱旋[むちむちぷりりん](2012/03/29 21:00)
[53] 53_日々[むちむちぷりりん](2012/06/09 14:02)
[54] 54_舞踏会[丸山くがね](2012/11/24 09:16)
[55] 55_邪神[丸山くがね](2013/02/28 21:45)
[56] 外伝_色々[むちむちぷりりん](2011/05/24 04:48)
[57] 外伝_頑張れ、エンリさん1[むちむちぷりりん](2011/03/09 20:59)
[58] 外伝_頑張れ、エンリさん2[むちむちぷりりん](2011/05/27 23:17)
[59] 設定[むちむちぷりりん](2011/10/02 06:44)
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[18721] 55_邪神
Name: 丸山くがね◆bee594eb ID:43d90956 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/02/28 21:45






「あああああ」

 濁点の付きそうなおっさん臭い声を上げながら、アインズは大きく息を吐き出す。それは安堵の溜息であり、溜まっていた──肉体的ではなく、精神的に──疲労を吐き出すようなそんなものだ。
 それからソファーにゆっくりと身を沈める。柔らかなソファーはアインズの全身を優しく受け止め、包み込んでくれる。
 総革張りのソファーも悪くは無いが、この柔らかなソファーも捨てがたい。
 そんなことをぼんやりと思いながら、アインズは頭もソファーに預け、ぼんやりと天井を見上げると、自分に声をかける。

「お疲れでーす」

 非常に気の抜けた態度であり、ナザリックの支配者に相応しい態度を取るように時折心がけている男からすれば見っとも無い姿だった。しかしここは帝都内のアインズの私室であり、普段であれば控えているメイドたちも現在は下がらせている。
 ならばこれぐらい良いじゃないか、とアインズは考えていた。
 自室ですら寛げなかったら、そんなのは自室ですらないとも。

 勿論、アインズがこんなに気を抜いているのも理由がある。
 それを一言で言ってしまえば、顔を晒してから2日間、貴族達の来襲がぱったりと途絶えたためだ。
 今までの忙しさから解放されたがための、空虚感がアインズを包んでいたためだといっても良いだろう。地獄の忙しさを乗り越え、暇になったりするとベッドから離れなくなってしまう現象と同じことである。
 勿論、精神的な影響をさほど受けないアンデッドでありながら、こういった状況になるのは、アインズの中に残っている人間の残滓によるものだろう。

 アインズは自分の中に残っている人間の精神構造に複雑なものを感じながら、今後の方針をぼんやりと考える。
 そうなると2日間押し込めていた不安が滲みあがってきた。

「……うーむ。来ないと来ないで不安に感じるものだな」

 顔を晒したのは少々早かったのではないかという思いが駆け巡る。しかし、アインズよりも知恵に優れるデミウルゴスが太鼓判を押したのだ。問題はないはずだ。
 そうアインズは思い込むことにし、己の中に生じた不安を無理矢理に霧散させる。

「取り敢えずはシャルティアをナザリックに帰還させておくべきか。貴族達が来ないのであれば、シャルティアをここに置いておく理由も無いしな」

 シャルティアにはナザリックの警備を固めて欲しい。確かに彼女はアインズの身を守るために、守護者の一人はここに配置すべきだと意見も出したし、デミウルゴスもそれには賛同していた。
 守護者の中でその任がこなせる者はたった一人しかいない。
 帝国ではエルフは奴隷とされている場合があるので、ダークエルフであるアウラは警備兵としては置けない。あまりにも異形の姿であるコキュートスも論外。そしてデミウルゴスは色々な仕事に忙しく駆け巡っているので除外。ガルガンチュアなど置けるはずがない。
 そういった理由でシャルティアだ。
 外見的にはさほど人間と変わりないし──本性は別に──、そして貴族達にも周知されていることだ。彼女が館内にいたとしても変に思う者はいない。そういう意味ではまさに適任だろう。

 しかしアインズ自身の考えとしては自身の安全よりもナザリック大地下墳墓の警備の方が硬くしておきたかった。
 守護者各員の心配は確かに理解できるのだが、この館にはセバスがいるし、危なければ即座に転移すれば良いのだから。それに敵によって帝都の拠点であるこの館を失っても痛くも無い。ならば出来る限り、兵力をここに置いておくというのは愚策だろう。
 そこまでぼんやりと考えたアインズはふとアウラから連想して、奴隷という存在に思いをはせる。

「奴隷……。買うなら筋骨たくましい男の奴隷だな。抑止力として武器を持たせた屈強な男の存在は必要だし……な。女などいらんわ、セバスじゃあるまいし」

 ナザリックから兵を連れてくれば問題はまるでないが、そういうわけにいかない。
 顔を晒したとはいえ、それはまだ上位貴族達のみだ。平民達の前で晒したわけではない。これは単純にアインズという人物をどの程度知っているかを考えての行いだ。
 辺境侯という存在がすぐに攻撃をしたりはしないということを知っている貴族ならば問題はないが、辺境侯を殆ど知らないであろう平民では、アインズが素顔を晒した際の衝撃の度合いは大きく異なる。これは言うまでも無いことであろう。
 だからこそ平民達に怯えられる情報をアインズから漏らす気はまだ無かった。勿論、大貴族達が流す可能性は十分に考えるが、それに関しては計算ずくである。

 そんなわけで目立っても問題ない、つまりは人間の兵力をアインズは欲していた。
 これは抑止という意味でもある。
 確かにアインズは強いし、セバスだっている。それに戦闘メイドたちだっているのだから、いまだ存在が不明なユグドラシルプレイヤーを除けば、大概の相手は撃退できるだろう。
 しかし、老人や美女を見た目で判断し、舐めてかかってくるだろう相手がいるのも事実だ。
 そのために見せ掛けの戦闘力として、屈強な男たちがいると便利だとアインズは前から少し考えていたのだ。

「それに力仕事などもあるからなぁ……。流石に数トンとかのものをセバスが一人で持っていたら不味いだろ……。警備ということで借り受けている騎士たちに雑務をお願いするというのも、人材がいないということを知られるみたいで情けないしな」

 アインズの邸宅は確かにレイ将軍配下の騎士達に守られてはいる。彼らの熱意は確かに一級品であり、一部の騎士は死んでも良いというほどの忠義の姿勢を見せる。
 アインズの口に出した褒美を狙ってのものだ。
 実際、軽く幾つかの褒美を与えている。アイテムを与えては勿体ないので、病人などで有ればペストーニャを呼んだりしてだ。
 下位の病気治療の魔法では治らないはずの病人を、アインズが預かって一日で癒して返した日から、彼らの忠誠心は限界を突破していた。
 これを現金と見る者はいるだろう。確かに見返りを求めての忠誠は信用できないという人間もいるが、アインズはどちらかといえばそちらの方が信用できると考えていた。メリットがあれば裏切らないということの裏返しだからだ。そういう意味では理性を重んじる男の方がアインズとしては使い勝手的にも嬉しく、感情を優先させる女の忠義は信用できないでいた。
 デミウルゴス辺りにすると「感情を掴むと非常に信頼できます」とのことだし、セバスのつれてきた女のことでもそうだと理解できるが、そこまで女の心を掴むすべを知らないアインズからするとやはり女の忠誠は鬼門の部類だった。
 アインズが無償での忠義を示してくれる者で信頼しているのはナザリックの存在だけだ。
 そんな騎士たちであればアインズの命令に従って汚れ作業や肉体作業を行ってはくれるだろう。しかし、それはあまりにも恥ずかしい。
 アインズは辺境侯という地位に就いている。ならばそれほどの地位に就いているだけの力を誇示する必要がある。
 大貴族がみすぼらしい格好をしていれば、それは単に嘲笑の種である。それと同じことで、肉体労働させる人材がいないというのも、笑われてもおかしくはない。

「それに奴隷ならば裏を調べる必要も無いだろうし……購入の件は真剣に検討しても良いな。闘技場に出てる剣闘奴隷なんていたら買って良いかも……」

 アインズは脳裏に屈強な戦士達を浮かべる。昔見た映画に出演していた、海外のマッチョな俳優たちをだ。
 無論、ナザリックのシモベ達からすればゴミ同然だろう。しかしそれでも見せかけの兵力としては、アインズの脳内では合格だった。
 もし奴隷を購入したら、どこに住まわせるべきかなどと考えていると、扉が数度ノックされる。
 びくりと体を震わせてから、アインズは己の服装を整える。

「セバスです、アインズ様」
「……入れ」

 扉越しに聞こえた声に、務めて重々しく答えると、扉が静かに開く。
 そしてセバスが部屋に入ると、深々と一礼を示した。対してアインズは支配者らしく鷹揚に答える。

「どうしたセバス。何かあったのか?」
「はい。アインズ様。一つ面倒なことが」
「なんだ? どこかの貴族でも来たのか? いや、それであれば面倒とは言わんか」

 皮肉めいたアインズの質問に、セバスは眉を顰めながら答える。

「はい。どうもそのようなのですが……」
「なんだ? はっきりしないな。何があった?」
「はっ。馬車が一台参りまして、辺境侯様――アインズ様に乗って欲しいと」
「爵位に敬称を付ける? ということは相手は貴族ではないのか?」
「はい。御者が使者も兼ねているようでして、どちらかの貴族の御方とお約束でも?」
「いや、そんな約束はしてない。……セバスがそう聞いてくると言うことは、馬車を送るという旨の連絡をしてきた貴族もいないのだろ? それで……セバスは面倒と言ったな? ならばそれで話は終わりではないのだろ? 続けろ」
「畏まりました。実は、問題となるのはその馬車──見事な馬車ではありますが、どこの家紋も刻まれていないようなのです。更には御者に問いかけてはみたのですが、向かう先も不明とのことで……。いかがいたしましょう? 非常に怪しいのですが」
「それは……罠などはありえないな」
「かと思われます。まさか、堂々とアインズ様の別邸まで来て、乗って欲しいまで言うのが罠とは……。極秘の会談と見せかけて、向かった先で罠にかけるなどでしょうか? ならばもう少しアインズ様を誘導するような嘘をついてくるかと……」
「そうだな……なんというか。罠の雰囲気が無いというか……」
「それにどうも非常に礼儀正しい対応を向こうが示すのです。アインズ様を特別なお客様と認識しているような雰囲気もありまして……どういう対応をして良いのか……」

 なんだそりゃ、などと思いながらアインズは入ってるか不明な脳みそをフル回転させる。
 しかし答えは出ない。
 御者に魔法をかけて情報を入手するという線も考えたが、実のところ魔法も万能ではない。つまりは途中で御者が変わってしまえば、魔法で得た情報と行き先は、大いに異なる結果となるだろう。これが魅了などの精神操作系の魔法に対する対策の一つらしいと、アインズが知ったのはつい最近の話だ。
 とりあえず断ったらどうなるんだろうか、という好奇心が湧いてくる。しかしロールプレイングゲームのようにセーブやロードが出来るわけでもない。断られたらそれで話が終わりとなってしまう可能性だってあった。

 静かに考え込んだ時間はさほど無かっただろう。どうにせよ相手の懐に飛び込まれなければ情報は入手できないわけで、更にはこの謎の馬車の存在はアインズの好奇心を刺激していた。
 ならば出てくる答えは一つ以外あり得ない。

「御者に聞け。私以外の者の同行は認めないかを。もし認めるならばソリュシャンを同行させる。認めないならば、私一人で行くとしよう。勿論、どちらになろうが、隠密理に馬車を追ってくる者を選抜せよ。エイトエッジ・アサシンなどを使用する許可を与える」
「畏まりました、アインズ様」
「それでは……今回の仮面はどうする? 落ち着いたものが良いと思うよな? 先方も目立たないものを望んでいるようだしな」
「いえ、ここは辺境侯という地位に相応しい物が良いかと思われます」
「……そうか。でも鳥の羽が生えたのは嫌だぞ?」

   ◆

 途中で馬車を乗り換え、御者が変わるなどを繰り返し、ようやく目的地に着いたらしき時には十分な時間が経過した頃だった。巨大な帝都であっても端から端まで着いてしまうだけの距離を走ったのは、アインズに場所を悟られないという目的ではなく、尾行を警戒してだろう。
 アインズは横に乗る美女の耳元に口を寄せると囁く。

「……ソリュシャン。尾行は?」
「はい、アインズ様。6名。上空に2名。地上に4名。全てナザリックの手の者です」
「その尾行が見破られている可能性は?」
「非常に低いかと思われます。三百メートルは各員離れております。これは上空の存在が指令塔として命令を出しているためだと思われます」
「そうか……ならば虎穴に入りに行くとしようか?」
「畏まりました。では私が先を」
「いらん。辺境侯が、メイドを先に送るような腰抜けだとは思われたくもない」

 二人がそんな会話をしていると、外を歩く音が聞こえ、扉の向こう側から男の声がした。

「辺境侯様。目的地に到着いたしました。降りていただけますでしょうか?」
「分かった。今、降りよう」

 扉は向こう側から開かれ、外気が流れ込んでくる。その中にあったのは土の匂いだ。
 アインズは月光にその身を晒し、周囲を見渡す。
 戦士達が周囲を囲むなどということはなく、途中で交代した御者がいるだけだ。そしてその場は墓地であった。

「ふむ……夜のデートコースとしては不合格な場所だが、これが帝国風という奴かな?」

 御者がアインズの問いかけに苦笑いで答える。

「すまないな。下らない冗談だった」
「いえ、非常に面白かったです。辺境侯様」
「そうかね? それで……私に会いたい御仁はどこにいるのかね?」
「はい。申し訳ありませんが、実はここからもう少し歩きまして……」
「ああ、気にするな。歩くのも健康に良いという奴だ。夜の墓地というのもなかなか乙なものだしな」

 御者の作ったような笑顔に罅が入る。その原因となったのは憤怒などではなく、怯えだ。アインズとしては素直な思いだったのだが、不快さから皮肉を口にしたと思ったのだろう。

(実際、墓地というのも悪くはない)

 夜空は多少の雲がかかっているために月光は遮られてはいるが、魔法の光源があるために墓地内はさほど暗くない。しかも綺麗に整列されているためか、不吉さなども皆無だった。
 ぐるっと見渡しても動く影は無い。いや、アインズは遙か上空に一瞬だけ動く影を見つけるが、直ぐに目をそらす。

「……ナーベラルか」
「は?」
「いや、何でも無い、何でも無い。こっちの話だ。それよりも何処に案内してくれるかね?」
「はい。こちらです、辺境侯様。足元の方、大丈夫でしょうか? 申し訳ありませんが明かりをつけるのは許されておらず」
「問題ないさ。私は意外に夜目が効くんだ。それにもし無理だったら魔法でどうにかするさ」

 そういいながらも、アインズは心の中で小首を傾げる。
 墓場に馬車で乗り込み、さらには声を潜めるでもなく、ここまで堂々としていれば明かりをつけるぐらい大した問題ではないだろう。
 微妙に対応がちぐはぐしていることが気になったのだ。

(……ある程度は口をふさぐだけの力があるが、同格の対抗貴族家があるために派手すぎる行動は取れない。もしくは墓場の管理に関する家か)

 アインズはその辺りかと予測し、御者の後ろをソリュシャンを引き連れ続く。
 着いた先は霊廟であった。御者は慣れた雰囲気での石の扉を押し開ける。
 中から香の甘い匂いが漂い出す。
 御者はアインズとソリュシャンを霊廟内に招き入れると、扉を閉める。アインズがここから何をしているのかと考えていると、ソリュシャンが顔を下に向けているのを発見する。
 アインズも釣られて下を見るが、石の床があるだけで何か変わったところがあるようには思えない。そんなアインズにソリュシャンが告げる。

「下に大きな空間がございます。恐らくは隠し部屋かと」

 なるほどと、アインズは頷く。
 盗賊系の能力を持っていないアインズではそういったものを発見することは困難だ。特にこの世界ではそうだ。スキルを持っていない料理を行おうとすると、炭ができあがるのと同じ理論だ。 
 ソリュシャンの声が聞こえた御者は僅かに驚いたような表情を浮かべながら、奥に置かれた石の台座に近寄ると、石の台座の下の方にある意外に細かな彫刻を押し込んだ。
 壊れることなく、それは動くとガチンという何かが噛み合う音がした。そして一拍後、ゴリゴリと言う音を立て、ゆっくりと石の台座が動き出す。その下から姿を見せたのは地下へと続く階段である。

「では、まいりましょう」

 そのまま御者に従ってアインズは階段を下りる。
 途中で一度折れ曲がった階段を下りきると、そこは広い空洞が広がっていた。壁や床はむき出しの地面ではあったが、人の手が入っているために簡単に崩れたりしそうな雰囲気はない。
 空気もまた淀んではおらず、何処から取り入れてるかは不明ではあるが、新鮮なものだった。
 ただ、そこは決して墓場の一部ではない。もっと邪悪な何かであった。
 壁には奇怪なタペストリーが垂れ下がり、その下には真っ赤な蝋燭が幾本も立てられ、ボンヤリとした明かりを放っている。踊るように揺れる灯りが、無数の陰影を作る。微かに漂うのは血の臭いだ。

 そしてそこには三人の人影があった。その内の一人に御者は話しかける。

「公爵様。辺境侯様をお連れしました」

 それはアインズがパーティーを開き、貴族達に素顔を見せたとき、最初に向かってきた貴族だ。

(確か、ウィンブルグ公爵だったか?)

「よくぞ、来てくださいました、辺境侯――様」

 その言葉にアインズは仮面の下で顔を歪める。公爵に様をつけて呼ばれる理由が思い至らない。しかし、顔を見せたことによって、警戒の意味もあるのかも知れないと判断したアインズはそこには深く追求することなく流すこととする。

「好奇心を刺激されてしまったからね。秘密裏に呼ばれたからには、楽しいパーティーでも始まるのだろ、公爵?」
「はははは。まさに」

 公爵は機嫌良く笑うと、隣にいた神官のような服装をした――ただ黒い――男の方を向く。

「行こうか、皆も待ち望んでいよう」
「畏まりました。クレマン殿。私は公と共に皆様の準備をしているので、辺境侯様をお願いします」
「分かりました。では辺境侯様、私が部屋の方まで案内させていただきますので、着いてきてください」

 答えたのは猫のようなところのある女だ。紫の瞳がじっとアインズを見つめていた。

「ああ、よろしく頼む」
「ではまた後で、辺境侯様」
「……ああ」

 なんか奇怪な敬意を示してくる公爵と別れ、アインズはクレマンと呼ばれた女の案内で別の部屋に通される。
 そこは玄室のような作りであり、奥に一つの石製のイスがどんと置かれていた。そんな部屋の中央まで来た辺りでクレマンがアインズに話しかける。

「あれに座って待っていてくれますか?」

 口調こそは丁寧ではあったが、その中には先ほどまで微かにはあった敬意が皆無であった。先ほどの態度は公爵の前だったからだということなのだろう。
 更にはその目にはアインズを値踏みするようなものがあり、実力を計っているようにアインズには感じられた。
 アインズは若干不快に思う。公爵の護衛かもしれないが、そんな目で見られる筋合いは無い。そんな思いをぶつける最適な標的として、アインズはあるものを選択する。流石にクレマンを選ぶことは出来ない。

「いらんよ」
「はい?」

 不思議がるクレマンを無視して、アインズは巨大な石の玉座に近寄る。

「薄汚いイスだな」

 アインズはそれだけ言うと玉座に手をかけた。軽く動かす。幸運な事に下まで固定されてないようで、僅かに動く。

「まさか、私をこんな汚い石の塊に座らせたいのではないだろ?」

 クレマンにじっと視線を向けながら、アインズは石の玉座を――二トンはあるだろうものを片手で持ち上げる。
 クレマンが驚愕したように一歩後退し、腰を軽く落とす。それは即座に反応出来る、戦闘態勢だ。
 アインズはそんな態度に聞こえるようにわざとらしく鼻で笑うと、玉座を放り出す。放り出すといってもアインズの腕力を駆使した投擲だ。それは剛速球を投げるに等しい。
 壁と玉座がぶつかり合い、あり得ないような激突音が響き、大地が揺れるような音がする。
 砕け散った石が周囲に飛び散り、壁には蜘蛛の巣のような罅が入っていた。天井からぱらりぱらりと土がこぼれ落ちてくるが、抜ける気配は無かった。
 天井が抜けてきた時を考えて準備していた魔法を解除しつつ、クレマンの様子をアインズは横目で伺う。

 そこにいたのは単なる女だ。
 壁の激突音で「ひっ!」と軽い悲鳴を上げたクレマンは、土埃が天井から落ちてくるたびにびくりびくりと肩を竦めている。
 それにまるで小動物のような動きで、横倒しになった大きく欠けた石の玉座を眺めていた。浅く荒い息がその内心を雄弁に物語っている。
 先ほどまで腰を落としていたのが戦闘態勢であるとしたら、今の落としている姿は少しでも自分の身を小さくすることで、アインズの視界内に体を入れたくないというもの。
 そんな姿にアインズは先ほどまでの評価を一段下げることにする。

(やはり……護衛とかではなく、単なる女か。公爵に気に入られているから私に対して偉そうな態度を匂わせてしまったというところだな。やれやれ、単なる小娘の跳ね上がりに苛立つとは……大人の度量を見せるべきだったか? まぁ、舐められても困るし、妥当な判断だったと思いたいものだな)

「……汚いイスは無くなったな。さて、私は何処に座るとしようか?」
「では私がイスに?」

 今まで黙っていたソリュシャンの久しぶりの声を聞き、アインズは軽く脱力する。

「それも悪くはないが――」
「――で、では私が」

 クレマンが恐る恐ると問いかけてくる。その瞳にはあるのは怯えた光であり、完全にアインズには単なる平民の小娘にしか思えなかった。

(俺は女に座るような者だと思われているんだろうか? ……結果的に人が苦しむことになっても構わないが、だからといって率先して人を苦しめたいとは思わないのだが……。やはりこれが平民的な反応なんだろうか? 仮面を取るのは避けた方が良いのかなぁ)

「いらん」

 かつてのシャルティアを思い出しながら、アインズは言い捨てる。クレマンがびくりと肩を振るわせた。
 そこまで怯えなくても良いだろうとアインズは内心でぼやきながら、先ほどまで石の玉座があった場所に指を突きつける。

《上位道具作成/グレーター・クリエイト・アイテム》

 魔法の発動と共に、そこには黒曜石で生み出された玉座が鎮座していた。揺らめく蝋燭の光を反射し、黒く輝くその玉座はまさに見事な物であった。

「嘘……本当に魔法使い……あれだけの肉体能力を持った……? ハハ……冗談。あり得ないでしょ……」

 呆然としたような女の声を無視し、アインズは鷹揚に黒曜石の玉座に腰掛ける。ゆっくりと足を組みながら、肘掛に右腕を乗せると、手の甲に顎を乗せる。それからゆっくりとクレマンへと顔を向けた。

「何か言ったな? 何だ?」
「イぃ、いえぇ、な、何でもナいでス!」

 何かが壊れたような引きつった笑いを浮かべ、幾度も裏返った声で返事をする女に、アインズは鼻で笑う。別に本気でおかしいわけではなく、支配者に相応しい傲慢な態度を演技してだ。
 それが見事にはまったのだろう。クレマンがブルリと体を震わせた。そのタイミングを待っていたように、入ってきた木のドアが音を立てて開かれ、息を乱した公爵が顔を覗かせる。

「何事ですか! 何か凄まじい音がしましたが!」
「ああ、大したことは何も起こってないさ、公爵。私が座るべきイスがなかった物でね、準備させてもらっただけだ」

 公爵の目が動き、横倒しになった石の玉座に釘付けになる。何か言いたげな素振りを見せ、それから頭を横に振った。

「ならば仕方ありませんね。もうしばらくお待ち下さい、辺境侯様」

 それだけ言うと立ち去る公爵に対して、アインズは意外に物わかりがよい、と思う。普通であれば壁や玉座の状況から、もう少し大きな反応を示しても良いところであろう。ただ、冷静に考えてみれば、アインズが強大な力を持つと知る者からすれば、十分に納得のいくところなのしれない。
 王国の軍を十万も殺し尽くした男であれば、壁に大きな罅を入れることも用意であろう。それにアインズの開いたパーティーでも、参加した全ての貴族が口々にその財と力を称賛していた。
 それらが相まって、この程度アインズからすれば容易いことと判断されたに違いない。

 計画していたとおりに物事が進展していることに、アインズは仮面の下で満足げに笑いを浮かべる。
 この調子で行けば、アインズ・ウール・ゴウンの名は不偏のものとなるだろう。その時にギルド長としてかつての仲間達に顔向けが出来るというもの。
 喜悦をアインズが感じていると、横にソリュシャンが並び、耳元に口を当ててくる。

「アインズ様。こちらを伺う者をおりますが処分いたしますか?」

 アインズの視線が、部屋の隅にいつの間にか移動して、小さくなろうとしているクレマンへと動く。それから部屋全体をぐるりと軽く見渡し――

「警備の者だろ? 無視しておけ」
「畏まりました」

 一礼するとソリュシャンが離れる。
 そのまましばらく時間が過ぎる。クレマンに話しかけようと思っても、一番遠い場所でおどおどとこちらの様子を窺っている女に話しかけるのもなんだかなという気持ちが働いたので、アインズはぼんやりと待つことにした。
 ソリュシャンがアインズを待たせるという行為に不快げな雰囲気を放つが、それはアインズ自身が押しとどめた。
 待たせた結果を見てから判断すべきなのだから。

 やがて扉が叩かれ、そして開かれる。
 ついに何か始まるのかと、若干期待した気持ちで扉を眺めたアインズは出てきた者達を見て、完全に硬直した。

 入ってきたのは男女交えて、総数二十人ほどだ。
 顔は骸骨を思わせる覆面を被っており、うかがい知ることは出来ない。問題はその下だ。上半身、下半身共に裸である。
 もしこれが若者のものであれば五歩ぐらい譲って、男の裸でもまだ我慢出来たしれない。鍛え抜かれた体であれば三歩ぐらいで済むだろう。
 しかし――違う。
 中年というより老人の皺だらけのものであり、弛んだぶよぶよとした皮のものだ。老人で無ければ、あるのは中年のだらしない肉体は油の詰まった肉袋だ。
 男がそうなのだ、女だってそうだ。第一の感想は干し柿である。

 アインズは仮面の下で目を閉ざす。
 見たくなかった。もはやそれは精神的ブラクラでしかなかった。

(な、なんだ、これは……ヌ、ヌーディスト……ビーチではない。グレイブヤード? ヌーディスト・グレイブヤードなのか? ……なんで俺はこんなところに呼び出されたんだ? いやヌーディストとかではなく……噂の乱交とかだったらどうする? それとも仮面を愛する貴族達の集会とか言われたら、俺はどうすれば良いんだ?!)

 アインズが仮面の下でアンデッドであるにも係わらず非常に動揺していると、先頭に立つ男――当然、全裸である――が声を発する。

「辺境侯様! 仮面をお取り下さい! そしてその真なるお顔をお見せ下さい!」 

 公爵の声だ。
 こいつ実は狂人だったのか、などと思いながら、アインズはどうするか迷う。正直こんな狂人たちの前で仮面を取ることが良いことなのか、判断があまりにもつかなかったのだ。
 アインズの真なる素顔とは公爵の知っているアンデッドの顔であることは間違いない。しかし、真の素顔を晒した場合、なんだか得体の知れないことが起こりうる可能性がある。

「辺境侯様! どうぞ、仮面をお取り下さい!」

 繰り返され、アインズは覚悟を決める。
 もはやあまりにも理解出来ない事態であり、この仮面を外すことが良いことか悪いことかもは判断つかなかったのだ。

「……ならば見るが良い。私の素顔を」

 アインズは仮面を外し、そのアンデッドの素顔を晒す。
 動揺が走った。
 だが、それはアインズが想像していたものとは違い、マイナスではなくプラスの雰囲気を醸し出していた。
 一斉に変質者達はひれ伏す。そして声を合わせて、呼びかける。

「邪神様! 邪神様のご光臨だ!」

 おお、という称賛の呻きが響く。
 アインズは嫌な予感を覚えつつ、目だけで周囲を見渡す。
 いない。
 邪神など何処にもいない。
 何処を見渡しても、それらしきおぞましき存在はいない。
 何処を見渡しても、それらしい絶対者はいない。

 ならば残る答えは一つである。ソリュシャンというわけでもないだろうから。

 どうみてもそうとしか考えようがなかった。
 つまりは――

(――俺が邪神か!!)

 そう内心で絶叫する。
 そしてアンデッドであるにもかかわらず、アインズは混乱する。

 おかしい。
 おかしすぎる。
 何故こうなった。
 王国軍を一撃で崩壊させた強大な魔法使いであり、そして貴族の礼儀を知る人物。アンデッドではあるが、それでも即座に危険をまき散らす存在ではない。
 そう理解してもらうよう、腐心した筈ではなかったのだろか。

 それなのに、何でこうなった? それとも邪神とはこう……良い意味を持った神様なのだろうか?

 しかし、そんなアインズの動揺は一瞬であった。
 確かにアインズ一人で立案した計画であれば、失敗したと思っただろう。しかし、デミウルゴスやフールーダの賛成を得た計画が狂うのはあまり無いはずだ。
 思案すれば出てくる答えは限られていた。

(この場にいるのは、帝国の中でも一部の勘違いした者達ということだな)

 そう結論を出したアインズは薄く嗤う。

 さて、どうやってこの勘違いしている者達を利用してやろうか、と。


   ◆◇◆


 それは万物の死であり、全ての終焉であり、例えようが無いほどの悪であった。
 僅かな動きで、おぞましき地獄の闇が現世に侵食してくるような気配が立ち込める。更には精神や魂を腐敗させる風が吹き付けてくるようだった。
 絶望の具現を前に、彼は吐き気をもよおす。
 しかし、唾と一緒に飲み込み、決して無様な姿を見せないよう、必死に努力する。

 ──当たり前のことだ。

 眼前に座する死の邪神。
 その感情を感じさせない瞳に宿る意志が、自分達に対して何を思っているのか窺い知ることが出来ないのだから。
 良い方向に転がるか、悪い方向に転がるか。
 それが問われる状況下で、不快な姿勢を晒せば、悪い方向──死が自分達の命を奪うのは確実だろう。それが仮に恩寵だとしても、ごめんこうむりたい。

 弱者が強者に対してみせる姿勢として最も正しいのは、崇拝であり、服従であり、敬服だ。

 それ以外の行動──吐いたり、逃げたりは苛烈な怒りを受けるだろう。
 その場にいる弱者である誰もが、理解している。だからこそ、怯えていながらも彼の仲間達は、誰一人として無様な姿を見せなかった。

 立派だ。

 彼は少しだけ、その場にいる同じ目的を擁いた者たちを評価する。
 これまでは同じ方向に顔を向けてはいても、心の奥底では侮蔑の感情も抱いてはいた。しかし、今は違う。
 死の恐怖と直面しながらも、決して無様な姿を見せない者たちに、ある種の親近感を感じていた。

 実際、それは彼だけではないだろう。
 覆面からの覗く瞳には、彼が今抱いているのと同じ感情が見え隠れしたのだから。
 同じ体験をした者が、親近感を抱くことは珍しいことではない、特に彼らが直面している状況下であれば、普段以上の強い親近感が湧いたとしてもなんら疑問は無かった。

 彼たちが見ている中、見事な漆黒の玉座に座った滅びの王が、ゆっくりと口を開く。
 しかし言葉は出ずに、再び閉ざされる。
 それは何か言いたげな素振りのようにも思われたが──。

 彼は、内心で頭を振った。

 いや、違う。
 そんなことをしようとしたのではない。恐らくは体内の冷気を吐き出したに違いないだろう。

 彼は感じていたのだ。その裸の体を覆いつくす鳥肌。そしてつま先からこみ上げてくるような冷気を。
 勿論、彼が現在、裸であるために、単純に寒さを感じたなどという下らない理由によることではないのは確実だ。

 それは目の前にいる死の王の存在。そして語られる神話の内容だ。

 彼らが信仰する邪神は、名無き邪神と呼ばれ、死と暗黒を統べると言う。その邪神は極寒の世界に居城を作り、死した魂を凍りつかせて弄ぶといわれていた。
 ならば今の動作は伝説に語られる、魂を凍りつかせる吐息であるのは間違いないだろう。

 彼の心に少しだけの安堵が生まれた。
 息を吐き出しながらも、自分達の誰一人として死んでいないということが、逆説的に、神は即座に死を与える気が無いということを意味しているのだから。

 彼は恐る恐る、自らが信仰する神を伺う。
 その素顔から視線を逸らし、衣服を眺める。
 着ている服は貴族が一般的に着用するものである。所々に豪華な刺繍を付け、その刺繍の品と豪華さで地位を誇示するタイプのものだ。
 では、かの存在のそれはどうか。
 貴族として幼い頃から質の良いもののみを目にしてきた人間特有の審美眼からすれば、まさに人の手では創れないような一品であった。かすかな光沢のようなものがあるが、それは衣服の材質と言うよりは宿した魔法の力によるものの気がする。
 一体、買うとしたらいかほどの価格が付くのか、彼には想像もできない。

(いや、神の衣服を買うなど……傲慢も良いところか)

 座っているのは見事な漆黒の玉座であり、光を無数に反射しているさまは黒曜石ではないかと思われた。

(なんと美しい。今までのつまらない玉座に座っていただけないのも当然だな)

 横に目をやれば転がった巨大な石の玉座。人間が何人も協力しても動きそうも無い石の塊。
 あんなものをどうやって動かしたのか不明ではあったが、神にできないことなど無いに違いないと考えると、納得もいった。

 そんな邪神の人の世での名前は──アインズ・ウール・ゴウン辺境侯という。
 たった一人で王国の軍勢を滅ぼしつくした魔法使い。初めて聞いた時は、何のプロパガンダだと思ったものだ。帝国騎士達が行った大勝を、一人の人間が成したことにすることで、何を皇帝は企んでいるのかと。
 しかし、今、目の前にいる滅びの邪神を前にすれば、王国軍が滅んだのも当然だと言える。そして魂を貪り喰らったという噂も。

(ああ、違うんだ。魂を貪り食らったのではないんだ)

 彼は噂の発生源であろう帝国騎士たちに、優越感めいた気持ちで語りかける。

(偉大なる死の王は魂を凍りつかせ弄ぶ。殺した者の魂を集めて、己の居城を飾り付ける目的なんだよ。おお、なんと恐ろしい。未来永劫、解放されぬ魂は居城に泣き声を響かせると言うが……。まさに凶悪の所業よ)

 勿論、そんな悪を信仰し、崇拝する彼らも悪ではあろう。しかし、魂すらもおもちゃにするという大悪からすれば、子供だましも良いところであろう。

 彼が邪神のおぞましき姿を失礼にならない程度に眺めていると、その横を衣服を纏った一人の男が通り過ぎる。そして全員の前に立ち、邪神──アインズの前に立つ。

(神官どのか……)

 この邪教集団のまとめ役は高位のある貴族であるが、神官と呼ばれるその男は生贄の手はずを整えたり、この邪神殿の管理に当たっている男だ。実際に魔法を使用できるために、元々はどこかの神官であったのだろうと噂されていた。

「偉大なる邪神よ。いと尊き御身のお姿を私どもの前に現せて下さったことを深く感謝いたします」

 ゆっくりと頭を下げる神官に合せて、彼らも一斉に頭を下げた。

「……良い。頭を上げよ」

 ぶっきらぼうと言うか、静かな声だった。
 感情の無い平たい声は、聞くだけで不安が滲みあがってくる。
 危険な肉食動物と対面したような、突如、敵意を向けられても可笑しくないような雰囲気があるのだ。それは遅延魔法にも似ている。何時発動するか不明な、危険な魔法にも。
 しかしそれらとは違い、人の世で動くことができるという知性を持つがゆえに、彼でも僅かではあろうが、邪神の雰囲気を感じ取ることが出来た。
 高位の貴族として様々な狸たちと交渉してきた経験が、その声に僅かに含まれた、呆れているような気配を敏感に察知したのだ。

(いや、違う。多分、こちらを試しているんだ)

 魂を弄ぶような邪神だ。人間ごとき弱小な存在と同じ精神構造を持っているはずがないだろう。にもかかわらず人である彼が、気配を察知できたのは、わざとそういった雰囲気を放っている可能性が高かった。
 つまりはこちらの価値を計っているのだ。

 彼は身震いする。もし、その試験に不合格だった場合はどうなるのか。
 同じように感じたのか、彼の視界内でも幾人かの者たちが同一のタイミングで身震いしていた。

 問題は何に呆れているかだ。不満なのか。退屈なのか。何に起因してのものかが読みきれない。

(考えろ、考えるんだ。何を呆れていられるんだ?)

 普段であれば、人の上に立つ者としては、こんなことは考えない。しかし、相手は強大な力の持ち主であり、ここにいる全ての者を殺すのに迷い無いと思われる人外の王。ならばどれだけ警戒をしても足りることは無い。
 そしてそれ以上、邪神は何も言うことなく、口を閉ざしたままだ。

(神官どのは……)

 神官も邪神の反応に戸惑っている雰囲気が、後ろからでも掴めた。

(この馬鹿が)

 いつもであれば決してそうは思わなかっただろう。神官が黙々と邪神に対する儀式を行い、手はずを整える姿を知っているのだから。ある意味、神官の敬虔な態度には彼も頭が下がった。
 しかし、この場で邪神を不快にさせれば、こちらの命が危ない。せめて気分良く、人間と同じように感じてもらえるかは不明であったが、だからといって魂を凍りつかせたいなどと思われないうちに、己の世界に帰ってもらいたいものだった。
 もしかすると帝国に貴族として現れたのも、自分達の召喚が変な方向に転がって、想定外のところに出現させてしまったかもしれない可能性も無いではない。

「贄を! 御身に若き魂を!」

 神官が突然、そう口にした。生贄の儀式を行うと。
 これは悪い手ではない。彼も大いに頷く。
 生贄を捧げることで不快な気分を少しは収めてもらえれば恩の字だ。最低でも悪い方向に転がったりはしないだろう。

「……え」

 かすかな驚きの声が漏れる。
 恐らくはその横に立つ女のメイドが上げたものであろう。
 彼がそう思っていると、一番後ろに用意されていた皮の袋がバケツリレーの形式で前に持ってこられる。皮袋の口は紐で縛られているが、大きさとして子供が一人入るのに十分なサイズだ。
 この皮袋を持って前に回すと言うことは、邪神に捧げものをする意志があると言うことであり、信仰心の表れであるとされている。だからこそ枯れ木のような老婆でもそれに必死に持とうとした。
 そのためなのか、生贄として選ばれるのは子供が多かった。 
 彼もその皮袋を持ち、前の人間に渡す。そして視線を回し──

(……もう一つ?)

 少し離れたところを、もう一つの皮袋が前に向かって渡されてきている。
 やがて2つの皮袋が床に置かれる。中を確認しないのは、殺意を削がないためだ。たとえ中に入っているのが人間だと知っていても、直接目にしてなければ、意外に残酷なことも出来るものである。
 そしてもう一つ理由がある。それは人間であることを確認しないこと。もし仮に捕まったとしても、人間というのは嘘で動物だと思っていたと論理武装するためである。

 6人の男女が前に進み出る。そしてその手には鋭い刃物。
 彼らは順番で選ばれた者たちだ。本来であれば3人なのだが、今回は二つ袋があると言うことで、その倍の人数だ。
 彼は羨ましく思う。この最高のタイミングで死の邪神に、生贄を捧げるチャンスを得れる彼らに。
 そして剣が振り上げられ、サディスティックな熱気が満ち──

「良い!」

 再び声が発せられた。先ほどよりも力強いものだ。

「……死は私の支配するところ。いずれ来る命を私以外の者が、無下に奪うのは多少不快だ」

 剣を持っていた6人の男女が怯えたように後ずさる。魂を捧げ、死の存在より褒め言葉をもらえると思っていたら、真逆の言葉が返ってきたのだから、驚きもより大きかったのだろう。
 ただ、考えれば納得のいく答えだ。
 死を支配する存在からすれば、生きている者はすべて己のものであろう。そして死を絶対的強者として与えるのであれば、人間ごときに勝手に死を作り出されるのも不快ということだ。

「申し訳ありません!」

 6人の男女は一斉に頭を下げる。合せて彼も、そして周囲の者たちも頭を下げる。もしかすると今まで行ってきた生贄の儀式は、邪神を不快にさせるだけだったかもしれないのだから。

「……そ、それでは、贄はどういたしましょう」

 神官の問いかけに、彼は身震いをする。そんなことを神に問いかけるな、と。
 ただ、邪神は思ったよりも温厚であったのか、呆れているのかは不明ではあったが、答えを返す。

「そのままにしておけ。それよりもだ。今まで私のために生贄を捧げてきたのだろう、お前たち?」
「っ! わ、我らが神に届くよう、数多の贄を捧げさせていただきました。神においてはお好みに合いましたでしょうか……」

 声が尻つぼみで小さくなっているのは、先ほどの応答で、贄を喜んでないと知ったからだ。嘘をつかないのは、それの方が危険だろうと理解出来るからだ。

「うむ、うむ。お前達の信仰は私にとっても喜びだ。そんなお前たちに私は褒美をやろう。何を望む?」

 一瞬だけ言われた言葉の内容が理解できなかった。しかし、その言葉が徐々に脳裏に浸透し、信じられないような快感を覚える。

「無論、お前達への褒美は現世での利益を考えている。さて、なんだ? 金とか異性などというつまらぬ欲望ではないだろうな。皇帝の地位もこの人数分与えるのは難しいな」

 最後に邪神は軽い笑い声を上げる。
 しかし彼らの中で笑えるものはいない。つまりは辺境侯たる神は、帝国皇帝の地位すらも容易く与えることができるものだと告げているのだから。
 ならばそれはこういうことだ。

(やはり帝国の貴族になったのはもっと違う狙い。想像を絶するような邪悪な企みがあってのことに違いないのか)

 彼の考えたことは、他の貴族達も思ったようでぶるりと体を震わせていた。ただ、その裏にある感情までは見抜くことが出来ない。恐怖なのか、それとも彼と同じく興奮のものなのか。
 彼がそう裏にあるであろうおぞましい計画について思いをはせている間に、邪神は問いかけてくる。

「それでは聞こうか。何が欲しい? お前達の望みはなんだ?」

 問われたのであれば、答えは一つだ。この教団に彼が所属した理由、そしてこの場にいる者たちが所属した理由。それは──

「不老不死を! 不老不死を私達に!」

 それを待ち望んでいた声は幾多も重なり、不老不死以外を求める声は発せられない。

 生まれた瞬間から死に向かって歩を進める。それが生物である以上、避けることのできない宿命である。肉体は衰え、精神も弱くなっていく。しかし、それを受け入れられるかというと、それは別問題だ。
 誰だって何時までも若さを保ち、美味いものを食べ、美麗な異性に囲まれたいものだ。もしこれが一度も経験したことがないのであれば、我慢できたかもしれない。
 しかしこの場にいる者は、そんな欲望を上位貴族として経験してきたからこそ、喪失するのが惜しくなってしまっていた。
 だからこそ魔法に手を出し、薬物に手を出し、そして信仰に身を染めた。

 それがこの邪神を信仰する教団の正体である。

 己の欲望を晒しだした声は、方向性は同じものであっても、調和は一切取れていない。そのために雑音としか意味を成さないようであったが、その中で死の王はそれを理解した素振りを示した。ゆっくりと手を上げたのだ。
 そこに込められた意味を見抜けない者はいない。即座に神殿内には静寂が戻ってきた。

「――愚か」

 小さい声。ただ、そこにある圧力は誰にでも理解できる。まるで巨大で分厚い壁が前方から迫ってくるような、そんな威圧感だ。

「お前達は私の手の中から逃げたいと言うのだな。この私の手の中から」

 ゆっくりと手が突き出され、それが握り締められる。
 その瞬間、魂を弄ぶ死の支配者が何を言いたいのか彼は──そしてその場にいた誰もが理解できた。
 死を支配する存在の前で、不死を願う。つまりは永遠にその手から逃れること。ならばそれは憤怒を擁いても当然のことだ。
 逃げるべきだ。
 そんな思いがこみ上げるが、足はガクガクと震え、動こうとはしなかった。凶悪な肉食獣に直面した小動物のように、死を与えられるのを待つだけであった。
 ただ、そんな中でも彼は必死に声を張り上げた。その結果、最初に殺されるかもという思いが脳内を過ぎったが、せめてもと行動に出る。

「ち、違うのです!」

 何が違うのか。言葉を発した彼も続く言葉が浮かばない。口をパクパクと開閉し、息のみを外に吐き出す。汗がびっしょりと吹き上がるのを彼は感じた。
 邪神は決して優しい神ではない。どちらかと言えば冷酷な神である。だからといって即座に命を奪われなかった今までの流れに油断して、愚かな行動を取ってしまった。 
 あそこは静かに様子を伺うべきだったのだ。

 彼にとっては何十分にも感じられるような時間が経過し、邪神は呆れたように、肩を竦めると口を開く。

「……不老不死はやれんが、代わりに……そうだな。お前達に若さを取り戻してやろう」
「え?」

 誰かの問いたげな声に、邪神は鷹揚に頷きながら答える。
 彼は何かを考える余裕は無かった。
 許されたと知って、気が抜けて倒れこみそうになるのを必死に耐えるので精一杯だったのだ。

「若返りだ。お前達を望む若さに戻してやろう」

 全身を再び鳥肌が走った。それが本当に行われるとするならば、不老不死の前の部分、不老がある意味実現するようなものではないか。

「とはいっても、だ。この人数全てに若さを取り戻すとなると、力が分散する分、長く取り戻すことは出来ないが……10日ほどと言った頃だろう。まぁ、お試し期間という奴だな」

 彼は思わず周囲を見渡してしまう。互いに値踏みしあうような視線が交差しあう中、邪神は更に告げる。

「もし次回があれば、その際には私のために最も貢献したもの一人の若さを完全に取り戻してやろう」

 ざわりと空気が大きく揺らいだ。
 発言内容が脳内に染みこむと、喉がごくりと鳴った。欲望が胸の中で轟々と炎を発する。

「ではお前達に祝福をやろう」

 いつの間にか、邪神の手は変質していた。それは善を意味するだろう純白の右手であり、邪悪を意味するだろう漆黒の左手であった。まさに邪神に相応しいともいえる見事なものであり、その内包した力は桁が違うと直感してしまうほどだ。

「解放。超位魔法《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》」

 何か、目に見えざる力の波動が駆け抜け、驚愕の声が起こる。
 彼が手を見れば肌の皺は無くなり、瑞々しい張りが戻っている。脂肪はこそぎ落ち、たるんだ肌には筋肉が戻っていた。記憶にうっすらとだけ残っている、若かりし頃の体へと戻っていたのだ。
 それが決して幻術などで無い証拠に、触っても何も変わらないし、全身の感覚が鋭敏さを取り戻している。
 そして変化は彼だけではない。
 子供が乱暴にぶかぶかになった覆面を取り外している。
 若く豊満な肢体を持つ女が泣き笑いしながら自らの豊満な胸を触っていた。
 筋骨たくましい男が、己の肉体を誇示するようにポーズを取っている。

 歓喜に満ち満ちた声によって、まるで玄室が爆発したようだった。

「ああ、神様! 貴方様こそ、真なる神です!」
「偉大なる邪神様! 私の信仰をお受け取りください!」
「おお、絶対なるお方! まさに貴方様こそ、死すらも超越されるお方!」

 彼も震えながらこれこそ真なる神の御技だと敬服する。
 神官たちの使う魔法の力の源は神である。しかし、だからと言って神は信者に特別な奇跡を与えない。どれだけ金銭面で奉仕したとしても、若返らせたりは絶対にしてくれない。魂は安息の地に向かうだろうと、死した世界での褒美を語ってくれる。

 それが違う。
 目の前の邪神は違う。

 信仰に相応しいだけの奇跡を具現化して、与えてくれるのだ。
 ならば先ほどの「もし次回があれば、その際には私のために最も貢献したもの一人の若さを完全に取り戻してやろう」も真実だと言うこと。

(次は俺だけが、俺だけが独占して……若さを取り戻す。たった10日などではない! そして忠誠に忠誠を尽くして、幾度も若さを取り戻してもらうんだ!)

 彼が欲望に満ちた目で周囲を眺め、同じ色に燃え上がった瞳を見つける。

(お前も、お前も、お前もか。だが、許さない。俺こそが邪神様にお役に立つんだ)

 彼が思いを新たにしていると、歓喜と崇拝の声で玄室内は満ちる。

「邪神様! 邪神様! 邪神様! 邪神様! 邪神様! 邪神様! 邪神様! 邪神様! 邪神様!」

 永遠に終わらないような祈りの声は、冷ややかなたった一言が断ち切った。

「──静まれ」

 重い静寂が戻る。たとえ、歓喜と驚愕の中にあっても、敬服すべき偉大なる主人の声を聞き逃すはずが無い。
 失望したように顔を隠す邪神に対し、彼を含め、全ての者が膝をつき、威光によって頭を垂れる。
 静寂の中、滔々と声が響く。

「お前達が望んだ若さを取り戻してやった。その時間は10日。それが過ぎれば、再び先ほどの体に戻っているであろう。それとお前達が望んだのだ。屋敷に戻れなくなったとしても、私は責任はとらん」

 誰かが唾を飲む音がした。
 それは与えられた時間に絶望したのか。それとも若さを取り戻した自分を屋敷の人間が見間違わないだろうかと言う不安からきたものか、それは彼にはわからなかった。

「それとその人間はかい……私の方でどうにかしておこう。問題はないな?」

 神の決めたことに不平を漏らすことが出来るはずが無い。ただ、一言だけ聞く必要があるだろう。
 彼がそう考えていると、神官が思いあたったようで、口を開いた。

「よろしいのですか? 至高のお方にそのような雑務をしていただいても」
「構わない。贄なのだろ? 私の方で処分しておこう」
「畏まりました!」

   ◆

 玄室内に先ほどまであった熱気はもはや薄れてなくなっていた。室内にいたのは3人の男女だ。そのうちの一人である神官が、女に伺うように問いかける。

「クレマンティーヌ様。一体どうしましょうか? 辺境侯に完全にこの教団を奪われてしまいました」

 問いかけられた女──クレマンティーヌは転がった巨石の玉座を眺め、それから玉座があった箇所を眺める。先ほどまで魔法で作り出されていた黒曜石の玉座の姿は、座する者がいなくなると即座に消失してしまっていた。

「……はぁ」

 草臥れ果てたようにクレマンティーヌは肩を落とす。いや、もはや彼女は精神的な面で、完全に疲労しきっていた。泥をすすり、血路を開くことすらやってきた彼女が、だ。それほどまでに、さきほどまで目の前で起こっていた現象への衝撃は大きかった。自らの中に蓄えこんだ知識がある分、起こったことがどれほど凄まじく、力の桁が違うのか理解できたためだ。
 クレマンティーヌレベルまで理解はしていないだろうが、神官が教団を横から奪った敵を、爵位までつけて呼んでいるのは、彼自身も強大な力に飲み込まれているのだろう。

「なんていうか……神々ってあんな感じだったんでしょうね。本当に」
「………………」

 答えたのは神官ではなく、女の直ぐ横にいた人影。非常に小さく、ミイラを彷彿とさせる異様な男だった。
 ぽっかりと開いた眼球の無い目がクレマンティーヌに向けられ、歯の抜け落ちた口がもごもごと動く。
 声は小さく嗄れているために、何を言っているのかさっぱり分からない。しかし十分に聞こえているようで、クレマンティーヌは引きつった笑いを浮かべる。

「あー、もう疲れて、そんな演技をする気さえしないって」
「………………」
「うん。そうだね」
「………………」
「世界は広いね。なんというか……いままでの自分に対する自信が一瞬で蒸発してしまったと言うべきか、馬鹿馬鹿しいというか。どうにせよ、もう二度と会いたくない」

 無視された形であったが、今まで沈黙を守っていた神官は驚きの視線を向けた。
 そこに込められた意味を掴みとり、クレマンティーヌは眉を顰める。

「あんなのに勝てるわけ無いでしょうが」

 吐き捨てがちに神官に告げる。
 あれは勝算とかを考えて良いレベルの化け物ではない。
 この教団を上手く運営するために、邪神などと架空の神を作り出していたが、先ほど言ったようにあれが本当に神だとしても変だとも思わないだろう。

(あれと戦おうとかしなくてよかった)

 辺境侯が来ると聞いて、場合によっては王国軍を十万単位で滅ぼすと噂される眉唾な力を、確かめてみるかなどと考えていたが、それがどれだけ愚かしいことだったかいまなら分かる。
 アレを知ってしまうと、戦闘に入れば、自分が一撃すら持たなかっただろうと理解できる。
 まさに噂は真実だった。

(化け物じみた筋力のみならず、魔法でも桁が違うとか……。神人レベルとか真なる竜王クラスと考えて……いえ、それ以上の超級の化け物や神とかと見なすべきでしょうね)

 命拾いしたという事実にクレマンティーヌは大きく息を吐き出す。

「ではどうしましょう? このままでは……」

 隣で神官が焦燥感にかられたように呟いている。そんな姿にクレマンティーヌは呆れたように問いかける。

「あなたは一生懸命頑張るよねー。びっくりしなかったー?」
「いえ、非常に驚きました。しかし、私の与えられた役目が、そして偉大なる盟主に対しての忠義の思いが、意志を強く持てる働きをしてくれました」
「ふーん……」

 この教団は元々、ズーラーノーンの下部組織として運営するために作り出されたものだ。邪神という存在は元々、スレイン法国では信仰されている、闇の神が他国では信仰されていないという面を利用して、作りだしたものだ。
 儀式だって適当なもの。単純に貴族達の弱みを握るために、人間を殺させていただけにしか過ぎない。

「まさか、あんな本物が現れるとは思わなかったけど」
「それでどういたしましょう。このままでは盟主に顔を向けられません」
「あっそー。じゃぁ、盟主が貴方にするだろう罰をプレゼントしてあげるー」

 ヒュンという音が立ち、神官の目玉にスティレットが突き刺さる。グリッと大きく回されたスティレットが抜き取られ、物言わず神官は崩れ落ちた。転がったまま全身を痙攣させているが、それはあくまでも肉体反応としてのもの。
 脳をかき回されて生きていられるはずがない。
 秘密結社であるズーラーノーンに共に属する者が殺されたが、横にいた男に変化は見受けられなかった。目を向けるような素振りすら見せない。浮かんでいるのは神官の運命だと知っていたような冷たい態度のみだ。

「どうにせよ。この教団を奪われた段階でお前の運命は決まったみたいなものなんだよー。一思いに殺されただけマシだよねー」

 痙攣が止まりつつあった、もはや死体と化しつつあった神官に冷たくはき捨てると、クレマンティーヌは枯れ木のような男を冷たく見据えた。

「うんでさー、どーするー。ここで殺しあおうかー?」
「………………」

 男の「演技は疲れたから止めたんじゃなかったのか」という場違いともいえる問いかけに、クレマンティーヌは思わず苦笑を浮かべた。

「はぁ、癖みたいなものだね。素を出しているつもりでも、なんかふとした拍子にでちゃう。……それで、どうするの?」
「………………」
「そう。裏切るよ。私が持っている火の巫女姫の証は、その辺の風花を捕まえて渡すわ。それでもう教団とも法国とも関係が無い場所を目指して逃げる」
「………………」
「……馬鹿じゃない? あの邪神を見たでしょ? あれに盟主が勝てる可能性は低いわ。あれに間違えなく勝てる存在なんて、多分……神人ぐらいでしょ。いや……神人でもどうだろう」

 スレイン法国は6大神という存在を信仰し、その国民の中には神の血を──濃い、薄いはあるが──引く者がいる。そういった者は、潜在的に強くなれる可能性を有していた。
 そういう意味ではクレマンティーヌも、神の血を引いているといって良い。
 ただし、それはあくまでも血を引いているに過ぎず、神人と呼ばれる存在はまたそれとは違った。

 神の血を引く者の中で、神の力に目覚めたものを神人と呼ぶのだ。
 現在、神人はスレイン法国に二人。それがクレマンティーヌがかつて所属していた漆黒聖典と呼ばれる秘密部隊の隊長であり、法国の神官長である。
 その能力は桁が違い、神々の残した武具に身を包んだ場合、個人で大陸を滅ぼせるとまで言われる。
 ただ、それでも──
 大陸内、並び立つ者は極少数とまで言われる神人ですら、先ほどまでこの玄室にいた化け物と戦った場合どうなるかが、クレマンティーヌですら予測がつかなかった。
 人間程度の強さに対する判断力では、遥か高みにある化け物同士、どちらが強いかなどと判別がつくはずが無い。両者とも強いというレベルでしか計れないのだ。

「………………」
「かもね。しかし、本当に邪神がいるとは」
「………………」
「まぁ、確かに。普通に神様かもしれないし、法国以外で生まれた神人かもしれないか。あとは竜王とか? 大罪者の血を引いている線もあるし……分からなーい。それでそっちはどーするのー。裏切りが許さないっているなら殺しあおうよー」
「………………」
「は? まじ?」

 クレマンティーヌは驚いたように男を見下ろす。思わず耳をほじくり、何も詰まってないことを確認する。

「……いや、まぁいいけどさ。……裏切ってくれる人間は多い方が嬉しいわ。まぁ、そうよね。貴方だってアレには勝てないものね」
「………………」

 クレマンティーヌは苦笑いを浮かべる。憮然とした男の「あんなのに勝てる人間がいるか、アホ」という言葉はクレマンティーヌも強く同意するところだ。

「あー。そうね。取り敢えずは聖王国に逃げようか。あっちは風花も教団もあんまり動いてないし。あそこでしばらく身を潜めて、それから考えるとしましょう!」

 良い考えだとクレマンティーヌは笑い、男もそれに頷いた。

   ◆

「やれやれだったな……」

 馬車に戻って開口一番飛び出たのは、愚痴であった。
 アインズはアンデッドであるために疲労感を感じたりはしないはずなのだが、肩ががっくりと下がるような気分を抱いていた。
 何故、俺が邪神。生贄とかなんだよ、そりゃ。邪教集団とか馬鹿じゃないの。などという様々な感情を集合体が、疲労感の発生源であった。

 アインズは隣で寝かされている少女を眺める。

 アインズとしては生贄とされていた二人の子供は、即座に解放するつもりであった。その辺に放り出して、知らん振りでも全然構わないと思ってもいた。というのもアインズが命を助けたのは、生贄など捧げられても正直困るという一般人的思考からだ。
 決して可哀想などと言う人間らしい気持ちからではない。
 確かに皆無かと問われれば、頭を捻ったかもしれない。人の命を奪うことに迷いは無いが、それでもまるで関係の無い命を奪いに行くほど、アインズは残酷ではないのだから。
 それに殺すことにもメリットが無い。経験値という観点からしても、せいぜい2点ぐらいだろうから。
 ただしそれ以降は考えてみれば蛇足であった。
 利益があれば殺害を黙認しただろう価値の無い命に、アインズが別になんのかんのと手を割く必要もない。だからこそ最初は放置と考えたのだ。それが一番面倒でない気がして。
 ただし、放り出すよりは少しぐらいは優しいところをアピールするのが、色々な面で良いかもしれないと判断し、アインズは御者台に座る男に命じる。

「騎士の詰め所まで向かえ。そこでこの少女達を手渡すとしよう」

 せめてそれぐらいはしてやっても罰は当たるまい。折角助けたのだから、最後まで面倒を見てやろう。そんな気持ちでアインズは判断したのだ。
 御者は驚くほど従順に、アインズの命令に従い、夜の帝都内を走らせていく。来る時に馬車を乗り換えたぐらい警戒していたのが、ある意味嘘のようだった。

(あれは……私達に警戒する意味ではなく、尾行を警戒してという意味だったのか?)

 来る時は外が覗けない様に板が張られていた窓も、いまでは解放されている。そこから外にチラリと視線をやったアインズは、馬車の中で寝る二人の少女へと動かす。
 横に寝かせた少女を眺め、それからソリュシャンの横に寝かせたもう一人の少女を眺める。髪の毛をかきあげ、その横顔を観察する。
 整った顔立ちの少女たちであり、二人とも非常に酷似した顔の作りをしている。
 身長的にも重さ的に同じぐらいなので、恐らくは双子なのだろう。

「ふむ……」

 アインズは少女の顔だちをじっくり見つめた。

「……なんというか、品が良いな……」
「でしょうか?」
「ああ……」

 この世界はアインズの元いた世界に比べ、美形が多い。ただ、この二人は単なる美形とは違ってこの数日間で飽きるほど見た──特にパーティーの際に──貴族の令嬢的な雰囲気がある。
 アインズは手を持ち上げると、ひっくり返したりして、確かめる。
 その手は非常に柔らかだった。

「これは……もしかして本当に貴族か?」

 手は柔らかく、爪の形も良い。アインズ的には常識的な子供の手のように思われたが、この世界の子供の手は生活レベルに応じて荒れてくる。少女の手は、平民ではありえないような綺麗さだった。
 それに服も多少ほつれてはいるが、平民が着るものよりは段違いで質がよかった。

「ソリュシャン、この者たちの服の仕立て、私の目ではなかなかのものと思うが」
「まさにアインズ様の仰るとおりかと。ナザリックに存在するどのような者の服に劣りますが、確かに平民のものとは思われません」
「なるほど……ならば答えは一つか。ソリュシャン、騎士の詰め所に向かうのは止めだ」
「畏まりました。ではどちらに向かわれるので?」
「邸宅に戻るとしよう」

 貴族の令嬢がなんらかの理由があって浚われたのでは、とアインズは想像したのだ。

「悪くはないじゃないか。意外に良いネタになるかもしれないな」

 少女たちを家まで戻せば、もしかしたら恩義を売れるかもしれないと判断したアインズは、ソリュシャンが御者台の方についている窓を開き、そこから馬を操る男に命令を下す姿を眺めながら、今晩の行動について考える。
 今回の一件は利益に繋がったのだろうか、と。
 超位魔法であり、経験値を消費する魔法までを使った価値はあったのだろうか。あの戦争で得た経験値、さらには転移前から貯蓄されていた経験値はこれで空になってしまった。
 超位魔法《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》は普通の超位魔法のように発動に時間の掛かる物ではないために、課金アイテムを使用しなくても済んだが、それでも心の中で貧乏性のアインズは転げ回っていた。
 ただ、もし、あそこで奇跡を起こさなかった場合はどうなったのか。口だけでうまく誤魔化すことはできただろうか。
 邪神と見なされ、崇拝されている中、何もせずに帰った場合のことを考える。
 アインズは首を傾げる。

「損はしてないだろう。いや、そう思いたいものだ」

 目先の利益だけを追い求めると、大きな魚を釣り逃がすのは営業マンを行っていたときに知った事実だ。ある程度餌を食べさせておけないと、別の漁師が横から持っていってしまうのだ。
 そういった部分を考えれば、今回の手は完全な損とは言い切れない。正直、大判振る舞いが過ぎたかもしれなかったが、完全にデメリットしかなかったとは思っていない。 

「問題は……邪神だと思っているのが、あの集団以外にもいるのかどうかと言うことだな……。計画を修正した方が良いのか……。レイを使って、意識調査をしてみるか? 私をどのように思っているのか……。英雄、邪神、大貴族……あとは……」
「神に匹敵するお方、ではないかと」
「……そうか? ではそれも付け加えるとしよう」

 アインズはソリュシャンにそう答えつつ、いまだコンコンと眠る少女たちを再び眺める。

「しかし目が覚めないが……魔法かな?」
「いえ、先ほど血管内を流れているものを吸って調べましたが、薬物によるものです。大したことのない……失礼いたしました。人間のこれぐらいの子供にとってはかなり強力なものです。実際に心拍数や体温などがかなり低下しております。さらにこの薬物であれば、体内器官のどこかに強い負担をかけると思われます。これぐらいの年齢の子供であれば、何らか後遺症を残す可能性は有ります」
「生贄として殺されるのだから、それほど強い薬でも問題ない。目覚めるのが一番問題だと言うことか。それで……大丈夫なのか?」

 アインズの保護下にある間に死なれては厄介だ。

「出来れば早急に毒を抜いた方が良いと思われます」

 その言葉を聞き、アインズは考える。
 消費アイテムを使用して目覚めさせるのは少々勿体無い。この世界を知れば知るほど、ユグドラシルのアイテムそのものの入手は困難だと分かってきた。消耗品系のアイテムを、単なる貴族の娘程度に使うのは眉を顰めてしまう。邸宅に戻れば、神官系の魔法を使うことのできる者がいるのだから。
 それに何より、アンデッドであるアインズは睡眠系のバッドステータスとは無縁であった。そのために睡眠回復のアイテムはほんのちょっとしか持っていなかった。
 一言で表せば、今のアインズの心の働きは、貧乏性とよばれるものである。

「ルプスレギナを呼ぶとしよう。……場合によってはナザリックまで戻ってペストーニャに会うとしよう」


   ◆◇◆


 アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト
 彼女が冒険者を、ワーカーをやって来た中で、死と言うのは身近に感じられるものであった。
 自分がモンスターを殺す時、話したことのある同業者が死んだときなどに、だ。
 今回の依頼で死ぬかもしれない。そう思ったことは幾度となくある。
 想定外のモンスターなどと遭遇した時には特にそうだ。
 それでも彼女が冒険をやめなかったのは、これ以上に見入りの良い仕事なんてなかったからだ。

 死の恐怖と戦いながら金を稼ぐ日々。
 精神が磨り減るような思いを抱きながら、それでも戦い続けられたのは、幼い妹たちの未来を案じてだった。
 モンスターの一撃で骨をへし折られ、腕を噛み千切られ、腸を溢しながらも、それでも今まで戦ってきた。そんな彼女でもそれには耐えられなかった。

 彼女はあの光景を覚えている。

 仲間の一人、ロバーデイク。
 非常に気立ての良い神官であり、甘いものが好きな男だった。
 帝都にいる最中は甘いものをよく食べていたのを知っている。冒険に出ている最中は逆に一切食べず、不思議がった彼女が聞いた時、験を担いでだと寂しげに笑ったのが良く思い出せた。
 彼女が連れ出されたのはそんな彼の前であった。

 いや、それをロバーデイクと呼んで良いのだろうか。
 そこにあったのは肉団子だ。

 ピンクの肉団子。生々しい、目も覚めるような赤色が所々走った生肉の塊。
 その上にロバーデイクの頭が乗っていた。顔はうつろで、意識を感じさせない。それでも──生きていた。
 手も足も何もない肉団子になっても。

 そしてアルシェは見た。見させられた。
 齧るメイドの姿を。
 いやあんなおぞましい化け物をメイドと言うのは失礼だ。単にメイドの格好をした化け物と言うべきだろう。

 そしてアルシェは聞いた。聞かされた。
 ロバーデイクが悲鳴を上げる姿を。苦痛に身──肉団子であったが──を振るわせる姿を。

 肉を噛み千切られ、血を啜られ、そして回復魔法で癒される。何度も何度も繰り返される拷問すら生易しいその光景。
 苦痛に身を捩る仲間の姿。
 彼女は冒険者として死を感じることは何度もあった。しかし、それでもこんな様になってまで生かされ、そして食べられるというのは想定していなかった。
 あれが次の瞬間の自分の姿だと悟った時、泣き、吐き、そして漏らした。

 心がへし折れた。
 もはや再起不能なまでに反抗心は砕かれた。

 おぞましいと思っていた感覚に多少の気持ちよさが混じった時、彼女はそれに縋ることを覚えた。
 そしてそれこそが最も自分が長生きできる手段だと知ったのだ。
 確かに、そんな生はゴメンかもしれない。
 それでもあんな肉団子はゴメンだった。まだ愛玩物として生の方が受け入れられた。
 自らの主人である化け物が自分を玩具だと判断しているのは重々承知していた。だからこそそこが命を繋ぐチャンスなのだ。

 面白い、飽きない玩具であれば破壊されたり捨てられたりはしない。
 媚を売ることを理解したのだ。

 舐めろと言われればなんでも舐めた。性行為の一つとして舐めるという行為があるのは知っていたが、異性経験のない彼女にしても、まさか同性のものを舐めるときが来るなど思ってもいなかった。それでも笑顔で舐めた。
 しろと言われた事はなんでもした。
 自分で慰めることは殆どなかったが、それでも皆無だと言うことではない。ただ、それでも多数の目の前で慰めたことなどなかった。それでも笑顔で慰めた。

 そうして主人が楽しげに笑うたびに、自分は生きてると知った。
 その頃には嫌だったはず全てが、快感へと変わっていた。

   ◆

 久しぶりに帰ってきた自分の主人、シャルティアがアルシェの前に服が投げ出す。
 ちゃんとした服であり、普段着用することを許されるような、胸の部分と股間の部分だけがむき出しの服とは違う。
 アルシェは、不思議なものをその顔に浮かべ、四つんばいのまま主人を見上げる。
 彼女は基本的に玄室にいる間は服の着用は許されていない。動物の耳を模ったヘアバンドと、尻尾以外の何も着用はしていない。
 例外的に服を着たのは──

「早く着なんし」

 主人からの言葉に、記憶を呼び覚ましていたアルシェは慌てて服を着る。
 苛立った雰囲気などは一切ないが、山の天気のように変わりやすく、そして雷雲のごとき短気な部分を持つことは今までの生活でよく知っている。
 つまらないことでヴァンパイア・ブライドの何体かが、容易く滅ぼされる姿を幾度となく目にしてきた。
 主人の機嫌を損ねたくない彼女は慌てて服を手にする。
 非常に良い仕立てであり、布もかなり高級なものを使用しているのが分かる。しかし、アルシェに驚きはない。このナザリック大地下墳墓で使用されるものは、アルシェの生きてきた世界にあるどんなものよりも高級品が揃っている。
 外で買えば破格の衣服であろうが、このナザリックに存在する衣服の中ではかなり下のほうである可能性は高い。

(いえ……これは違う?)

 アルシェは主人の勘気を買わない程度に眉を顰める。
 着用してみると、自らの主人の衣服に匹敵するような感じがしたのだ。

(もしかして……)

 これほどの衣服を纏うことを許された理由が何か、薄々とアルシェは悟る。
 尻尾をつけたまま下着を着用するのはちょっとだけ面倒ではあったが、アルシェは服をまとう。

「よろしい。ではついて来なんし」

 そしてくるりと振り返ると、シャルティアは歩き出した。当然、アルシェもその後ろを続く。
 幾度か転移し、彼女達が着いたのはナザリック第9階層である。

 アルシェは驚きの声を飲み込む。
 この豪華さは前に一度だけ見たが、それでも驚嘆を隠し切れなかった。
 学院に通っていた頃、一度帝城の中まで入ったことはあるが、それすら足元に及ばないレベルでの豪華さだ。
 更には転移門を守るモンスターたち。
 底知れない強さを持つ者たちであり、アルシェなどたった一撃で殺せるだけの気配を漂わせている。

「行きんすよ」

 それだけ告げると主人が歩き出し、一斉にモンスターたちが頭を下げてくる。
 これだけ強大なモンスターを使役する主人。背中を見れば小さく、本当に少女のものだ。決して領域外の力を有するなんて思えない。
 しかし──
 ぶるりとアルシェは身を震わせる。
 自らの主人こそ、このナザリックという魔王の居城における最高位者の一人。その力は逃亡した時も思い知ったが、あれすらも本当にお遊びだったというレベル。

 アルシェは笑顔を浮かべる。主人に媚を売る、いつもの表情を。

 廊下をひたすら歩き、幾度か人間以上の背丈を持つ武装した蟲の衛兵とすれ違いながらやがて目的地であろう扉が目に入った。扉の横には2体の昆虫にも似た衛兵が直立不動を維持したまま警戒に当たっている。
 アルシェはそこが誰の部屋か知っている。
 ここでダンスを教えたのはつい最近の出来事だ。

 主人が背筋をピンとはると、扉をノックする。勿論、アルシェも命じられる前から、出来る限り無礼がないように背筋は伸ばしている。
 ここがこの魔王の居城、その支配者の部屋だ。無礼な態度だと思われれば、即座に殺されるだろう。

 中から顔を見せたメイドに自分達が来たことを告げる。
 それから暫く待たされるが、その間一切の話題はない。ただ、黙って時間が過ぎるのを待つだけだ。
 こういうときに立場の違いを思い知らされる。アルシェがどれだけ媚を売ろうが、所詮は愛玩動物であり、決して言葉を交わすほどの対象ではないと。
 やがて扉が開かれる。
 主人が部屋に入り、それに追従する形でアルシェも部屋に入る。笑顔を浮かべながらも、内心では怯えていた。
 相手を不快にさせればそこで自分の運命は決まる。それもこの部屋の主人は化け物たちを統べる魔王。無礼を働けば、ロバーデイクよりも過酷な運命が待っているだろう。
 アルシェは貴族として生きてきた中で得てきた、礼儀作法を必死に行いながら、無礼にならない程度に室内の状況──ひいては情報を──得る。
 ぱっと見た感じ、部屋にいたのは──

 アルシェは固まりかけた表情を笑顔で覆い尽くす。
 そこにいる人物達の正体を、アルシェは教育の一環で聞いている。いや、たまたま一人のヴァンパイアの男が教えてくれたと言う方が正解か。
 彼が自分に抱いているのは共感に近い、奇妙なもののようだと、アルシェは認識していた。
 敵意を抱いている気配も、ナザリックの者達が抱く、アルシェを下に見るような感じがない。なんというか遠い自分を見るような、そんな気配だったのだ。
 アルシェに対して、同じような雰囲気を抱いていたのは、偶々遠くを歩いていたリザードマンの一団ぐらいしかこのナザリックでは見たことがなかった。

 そんな彼は優しげと言っても過言ではない態度で、まるで失敗したことがあるかのように、アルシェに細かく説明をしてくれた。
 決して怒らせてはいけない最高位者たちを。一人で国を容易く滅ぼせる――無知であれば笑い飛ばしてしまうような――力を持つ存在。それは――

 ダークエルフの少女、アウラ。
 蟲の戦士、コキュートス。
 そしてゆっくりとアルシェの後ろに回るような位置取りへと移動した、主人である吸血鬼、シャルティア。

 ――その三名だ。

 そんな存在達の暖かいところが皆無な視線を全身に浴び、アルシェの体の芯をゾワリと震わすような恐怖が走り抜けた。しかし、全てが終わった後に与えられるだろう快楽を思い描くことで、それを必死に塗りつぶす。お尻の尻尾がむず痒かったが、そんな態度を示せるわけがない。

「アインズ様、娘ガ来マシタ」

 カチカチと硬質な音と人間以外の存在が無理矢理に声を作ったような音に合せて、イスがキシィと動く。
 今までアルシェに背を向けて座っていた──大きなイスであり、背もたれも大きかったために気がつけなかった──ナザリック大地下墳墓の主人が、イスを回すことで振り返った。

 媚を浮かべようとしたアルシェの顔は凍りつく。
 魔王を思わせる男──ダンスの練習をするということを得てなお、恐怖を忘れることの出来ない男。自分達のパーティーを崩壊させた化け物。
 その男が膝の上に乗せている人形のような可愛らしい双子。
 決してアルシェは忘れることの出来ない。残骸になった心の奥底で埋もれるように輝いている宝物。
 それを目にし──

「あああああああ!」

 雄たけびが上がった。
 アルシェは自分でも信じられないほど、心の底から何かがこみ上げてきたのが理解できた。
 砕けたはずの、もはや完全に奴隷と化した心に、炎が灯されたのだ。
 アルシェはアインズを魔法の目標とするために手を突き出し──

 ──喉元に刀が突き当たられ、鞭が構えられ、後ろから伸びたほっそりとした指が頭を鷲づかみにする。

「殺しんすが?」

 平坦な声を発したのは、頭部を握りしめたシャルティアのものだ。彼女の桁外れな腕力を考えれば、アルシェの頭など生卵のように簡単に砕けるであろう。

「愚カ者。私達ガイルノニアインズ様ニ触レルコトガ出来ルハズガナイ」

 カチカチと音を立てながら、喉に刀を突き立てたコキュートスが告げる。恐らくはアルシェが瞬きをするよりも早く、首を切り落とせるだろう。

「そうそう。魔法を使おうとする時間なんかあげないよね」

 無邪気な笑顔を見せるアウラではあるが、鞭を振るうだけで衝撃波でアルシェの体を引き裂けるだろう力を有しているのは伝え聞いている。

 桁が違う存在を3人を前に、何か出来るはずがないことは知っていた。
 そしてその3人がいなくても、死の王に少しでも痛みを与えることが出来ないのも知っていた。そんなことが出来たならば、仲間は誰一人として死ななかっただろうし、自分もここにいない。
 愚かな行為をした、そう確信を持ってアルシェは言える。
 殺されて御の字、下手すればロバーデイクと同じ肉団子。いや今回行ったことを考えればそれ以下は十分にありえる答えだ。
 それでもアルシェは胸を張って言える。

 自分の先に待つ未来がどれほど無残なものだと知っていても、再び同じ状況下に遭遇すれば、行うことは変わりないだろう。

 アルシェは目に力を宿し、アインズを睨む。
 それを目に出来る怪物たちが不快げに動いたのも視界の隅で捕らえている。それでも決して止めようとはしない。
 自分の最後の矜持だ。もはや亀裂が入った、いまにも壊れそうなものではあったが。

「よい。シャルティア、アウラ、コキュートス。アルシェを解放しろ」
「はっ!」

 一斉に声が響き、アルシェの周りから武器が離れる。頭を掴んでいた手が最後まであったが、それもまた離れた。
 死を覚悟していたとはいえ、生が目の前にぶら下がれば、覚悟という物は薄れる。
 アルシェはガクガクと痙攣する足に力を入れる。それから目じりに浮かんだ涙を拭い、前方で大切な妹達の顔を眺めるアインズを睨む。
 膨大な魔力が押し寄せ、吐き気を催してしまうが、それでも必死に耐える。

「なるほど……お前の知人であることは間違いがないようだな」

 アルシェは迷う。正直に言って良いか。ただ、あんな反応を示した以上、隠してももはやメリットはない。

「……妹」
「ふむ……なるほど……さて、どうするか」

 何故、この死の王は妹達を人質に取っているのか。
 常識で考えれば理解できない。アルシェに言うことを聞かせるなんて容易くできることだ。わざわざ妹達をここまで連れてくる理由が思い描けない。
 ただ、アインズの告げた言葉に含まれた微妙なニュアンスで、妹達をここに連れてきたのは偶々だと知り、自分の軽薄さに苛立ちを覚える。
 やはりあそこは知らない振りをするべきだった。

 瞳に涙が滲む。
 アルシェの心の底からこみ上げてくる恐怖は想像を絶した。
 愛玩物でも生きられるならまだ良い。もしロバーデイクと同じような肉団子にされたら、どうすれば良いのか。どうやって殺してやれば良いのか。

 来るかもしれない最悪の光景にアルシェが怯える中、平坦な声が響く。

「そういえば……お前に与える褒美のことがあったな。私がシャルティアを供としていた所為で、あのときの願いはまだ叶えていない筈だな? ならばあの時と意見は変わったか、聞かせてもらおう」

 空気が動いた気分をアルシェは抱いた。
 目の前の化け物の意図が一瞬だけ把握できなかった。
 そして言っている内容が頭の中に染みこんでない、アルシェの口は言葉を紡ぐことができなかった。
 次に問われた意味を理解し、それでも口を開くことが出来なかった。物語でよくある、願い事を歪めて叶える悪魔を思い出したのだ。
 言った後で「聞いただけだ」などと嘲笑されたら、アルシェの心は完全に砕け散るだろう。それがあまりにも恐ろしくて。
 ただ、そんなアルシェに焦れたように、アインズは繰り返し問いかける。

「ほら。言ってみろ。……私は意外と律儀な男だ。願い事は無理ではない範囲で叶えてやろう。ただ、お前を現状外に出すのは難しいな。それはお前から受けた利益の範疇を超えているからな」

 アルシェはその言葉に賭けるしかないことに気がつく。もしこれ以上黙ったままでいた場合、周囲の者たちが不快に思う確率は非常に高い。特に自分の主人はそういった反応を示すだろう。
 だからこそ、まさに神に祈る気持ちでアルシェは口を開く。

「なら妹達を無事に帰して!」
「……本当にそんな願いでいいのか?」

 問い返してきた言葉に、アルシェは「構わないと」即座に答えようとして、何も言えなかった。
 ここまで脳を酷使したことはないというだけ、必死に思考をめぐらせる。確かにこの化け物は約束は守ってきた。自分が生きているのもロバーデイクの願いのお陰だ。確かに結果は悪かったが、それでも最悪ではなかった。
 ならば多分ではあるが、それがあまりに不快な願い出なければ、叶えてくれるだろう。
 ここでの願いは非常に重要だ。どうすれば妹達、そして自分も幸せになれ──その瞬間、アルシェの目の前に光が宿った気がした。

「私達、三人を……」

 間違ってないか、幾度も問いかける。本当にチャンスは一度きりなのだろうから。

「私たちが考える幸せを維持したまま……ここで暮らさせて欲しい。魔法などによる幻術などではなく」
「……本当にそんな願いでいいのか?」

 先ほどと同じ問いかけに、アルシェは怯えながらも頭を縦に振る。

「……幸せというのは抽象的過ぎて難しい願いだな。まだ若返らせて欲しいとか、不老不死を欲しいとかの願いの方が分かりやすい」

 アインズの視線がアルシェをそれて天井に向かう。アルシェは何も言わない。自分はボールを投げた立場であり、投げる立場ではないのだから。

「アウラ。確か、お前の階層にログハウスを作るように言ったことがあったな」
「はい! 建ててあります」
「あそこにこの娘達を連れて行け。食事やその他諸々は与えてやれ。当然だが、安全は保証しろ。玩具を貰い受ける形になるが、構わないか、シャルティア?」
「勿論でありんすぇ。わたしの持ってありんす皆は、アインズ様のものでもありんすによりて」
「アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト。飢えず、寝る場所があり、安全である。それは十分に幸せだろ?」

 アルシェは呆ける。
 突然、自分の目の前に投げ出されたものが信じられなくて。
 いまの彼女の心境を表すなら、星に願ったら金貨が降ってきたようなものであった。
 ただ、不死の王が自分の返事を待っていると知り、喉を振るわせる。

「……はい。幸せだと思います」

 口にしながら、何か裏がないかと疑ってしまうのは仕方がないことだろう。だが、そんなアルシェにもはや興味を失ったようにアインズは視線を動かす。

「そうか。ならばそうしよう。さて、ではアウラ、6階層まで案内してやれ。それと心配せずとも、この二人は魔法で眠らせているだけだ。時間が来れば目も覚めよう。……最後になるがアルシェよ。私のために働けば、それなりの褒美は約束しよう。姉妹揃って解放してやっても構わないと知るが良い」

 アルシェは深々と頭を下げる。未だ自分に突然与えられた状況に不安と懐疑の念を抱いてはいたが、それでも手渡された妹の温もりは真実であった。

   ◆

 アウラとアルシェ。そして眠ったままの二人の妹たち。それに続いてコキュートスが部屋の外に出ていき、今この場所に残るのはアインズとシャルティアだけになっていた。
 幾たびか伺うような視線を横から感じていたアインズに、ようやくシャルティアが問いかける。

「それで……よろしかったんでありんすかぇ?」

 なんとも答えに困る問いかけだ。意図を読みとろうとアインズは思考を巡らせ、面倒くさくなって問い返す。

「……ん? なんだ? 手放したことを勿体ないと思っているのか?」
「いえ、そのような事はございんせん。 先も告げんしたように、わたしの皆はアインズ様の物でありんすぇ。ただ、アインズ様に唾を吐いた人間をお許しになられてよろしいのでありんしょうかぇ?」
「……願いを叶えると言ったのも事実だし、それにフールーダがいるとは言え、あれの能力……それにあの娘が得てきたであろう知識は役に立つ。舞踏会の時十分に分かったではないか。そういうことだ」

 アインズはイスの背にもたれかかり、冷たい視線をシャルティアに向けた。その口元には冷ややかで邪悪な笑みがあった。
 妹たちから聞いた話では、アルシェは帝国の元貴族しかも魔法学院の出である。ならば、今後も重宝出来るだろう。特にいま人間を主とした官僚組織を作らなければならないと考えている状況下であれば。

「あの妹たちは意外に良い拾いものだった。あれほど……そう、私に戦いを挑む覚悟を抱くほど、妹達を愛しているんだ。ならば良い人質になるだろう」
「まさに仰るとおりかと思われんす。流石はアインズ様」

 シャルティアの称賛に平然とした素振りを見せながら、アインズは眉を潜める。

「……こんなところが邪神と思われるのか? まぁ、良い。取り敢えずはエ・ランテル近郊をもらった際の組織の構築は至急の課題だ。出来れば私に忠誠を尽くしてくれる者を見繕わなくては」
「アインズ様のご威光に触れれば、みな の者は頭を下げ、忠義の念を持つでありんしょう」
「……だと、いいがな」

 そんな簡単であればいいけどな、と心の中でぼやきながら、アインズは指を組み、視線を天井に向ける。不可視化を行っているエイトエッジ・アサシンたちが張り付いている姿は、この際は取り敢えず無視しておく。

「アンデッドを前面に押し出すと神殿などがうるさい……。それに領民が不安がるだろうから、人間の組織を作った方が良いよ……か」

 ジルクニフに言われていることを思い出す。
 本当はアンデッドを主とした潤沢な開発計画を考えていた。単純にアンデッドでやればたくさん畑を作れそうだよね、などという単純な考えからだ。そしてたくさん作れれば、色々と領民の負担も軽くなるだろう、とアインズにしては友好的な気持ちからだ。
 もちろん、この世界の金貨でナザリックの強化が行えるのだから、ありとあらゆるところまで慈悲をかけるつもりはない。ただし、アインズも豚は太らせた方がたっぷり食べられる程度の知識はある。
 エ・ランテルが慈悲深い領主によって支配されているとしれば、静かに大きくなっていくだろうから。

「しかし……あれはどういう意味だったのか」

 アインズは隣に立つ、シャルティアにも聞こえないような小さな声で独り言をこぼす。
 アンデッドを働かせて領土を富ませるというプランを最初に持ち出した際、「プランテーションを作ることによって、安価な食糧を生産。圧倒的な武力を背景に、経済侵略を企むということですね」などと意味の分からないことを言っていたが……。

「食い物で侵略出来るはずがないだろう……だが、デミウルゴスが言うぐらいなのだから……。何か手段があるのか? 押し売り? 大体、侵略など今現在は考えてないんだがな」

 デミウルゴスに「そういうことですね?」と問われたとき、いつものように「デミウルゴスは私の全ての狙いを読んでいる」と答えてしまった。それが――

「その内痛い目を見そうな気がする……。まぁ良い。シャルティア」
「はっ!」
「私はしばらくしたらあの娘とあって色々と情報を得ようと考えている。お前はどうする?」
「では、わたしもそれに同行させていただこうか、と。ただ、どのような情報を得られるおつもりでありんしょうかぇ? 一通りの事はあの娘から聞いたことがございんすが?」
「ああ、実は……」

 アインズは苦笑いを浮かべ、答える。

「学院生活に関してだな」






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※  では次の学院らぶこめおーばーろーどでお会いしましょう


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