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No.18202の一覧
[0] 変身用巨大戦斧妖精付、似。[岩見三外](2010/04/18 20:07)
[1] 第一話[岩見三外](2010/04/18 20:07)
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[18202] 第一話
Name: 岩見三外◆cf71f79f ID:9feedd41 前を表示する
Date: 2010/04/18 20:07
 左肩にかかる、僅かな重みが消えた。
 間を置かずして、視界に掌大の少女が現れる。ハルだ。翅もなく宙を舞う彼女は、まるで僕を守るかのように眼前で静止した。長い真白の髪が、僕の鼻先で夜風になびく。
 小さな相棒の背を見据えつつ、僕は左の肩に手を置く。彼女の体温が仄かに残っていた。掌を伝う熱を逃さぬよう、指先に力を込める。意味はない。いつの間にか身体に沁みついていた癖だ。ただ、こうすれば不思議と気分が落ち着いた。子供みたいだ、と独り苦笑する。

「とはいえ、落ち着いてばかりもいられないか」
「むしろ落ち着いている場合では全然ないのです。分かっているのですか、ヒイラギ」
「一応は」

 短く返答し、肩から右手を下ろす。同じ手を開き、後ろ髪に隠されたハルの背へと翳す。
 瞬間、光が生まれた。夜闇をも飲み込む黒色の燐光が、ハルの身体から放たれる。光の粒が夜天へ昇り、彼女自身が漆黒へと染まりだす。やがて人型の光と化すと、まるで残響のごとき遠く揺らめく重低音を放ち始める。どことなく不吉な響きが、胸の奥底を震わせる。
 さらに変異は続く。風に攫われた砂のように、ハルが形を失っていく。いや、形を変えていく。差し伸べた腕の先で、闇色の輝きが長大な影を為す。
 僕は強く手を握り込む。指先が硬いものを掴み取った。歪な、しかし手に馴染む感触を一気に引き抜く。途端に質量が生じた。相も変わらず、馬鹿げた重さだ。内心で舌を巻きつつ、現出したそれを右肩に立てかける。
 同時に、鳴り響いていた音が止む。光が弾け散る。静寂しじま。漆黒の帳が下り、辺りは再び夜の色に覆われる。ハルの姿もまた、いずこへかと消え失せていた。
 いずこへか。

「むぅ……いつなろうとも、やはり忌々しい形なのです。有り体に言って、むかつくのです」

 ハルの声が聞こえた。僕は溜息混じりに言葉を返す。

「仕方ないだろ。おれもおまえも、これ以外は知らないんだから」
「ふん」

 ハルが鼻を鳴らす。声は僕の右方、肩に立てかけた重荷から発せられていた。
 横目で流し見る。捻じれた半月があった。小さな六角形の連なりで装甲された、分厚く巨大な鉄板――刃が、思うさま存在を主張している。物騒な鉄塊は、僕の掌中にある長柄と繋がっていた。ずしりとした重さが、柄を介して伝わってくる。
 ハルは戦斧と化していた。
 夜光を受けた斧頭が、鈍く妖しい輝きを放つ。空気さえ凍えさせるような威圧感を纏い、ハルは僕の肩に寄りかかっている。来たる戦闘へ向け、心拍数が増していく。昂揚、していく。

「それでいいのです。その程度の緊張感は、常に持っておくのです」ハルが真剣味を帯びた声で言う。「さもなくば、死ぬことになるのです」

 極々自然に吐き出された言葉は、その実途轍もなく重い。笑い飛ばそうとした意思とは裏腹に、僕は鉛のような溜息をつく。

「死ぬ、か。教育機関で飛び交う言葉とは思えないな、それ」
「アホ。ここは好んで死地に赴く馬鹿を養成する機関なのです。変態どもが手に手を取り合い踊り狂う、阿鼻叫喚の地獄絵図なのです」そこでハルは口を噤み、一拍置いて続ける。「……言ってて気が滅入ったのです、どうしてくれるのですかこのすかぽんたん。責任取るのです、責任」
「取れるかそんなもの。というか、すかぽんたんっていったいどこの国の言葉だよ」

 的外れな指摘。そもそも真性の変態など、ほんの一握りしかいない。顔をしかめる僕に、ハルは心なしか呆れた様子で続ける。

「とにかくヒイラギ、おまえだってその一員なのです。わざわざ茨の道を選んだおまえに、覚悟もないような馬鹿未満の愚物にはなって欲しくはないのです」
「分かってるよ」

 頷く。そう。分かっている。ハルとともに生きると決めた時から、すべて織り込み済みだ。今この瞬間、肩に食い込んでいる痛みも、重みも、背筋を抜ける恐怖も、なにもかも。
 すべて分かっているから、ゆえに問題はない。恐めず臆せず、さりとて蛮勇を振るうでもなく、戦える。歩いていける。たとえ傷だらけになろうと、どこまでも、果てなく。
 行き着いた先になにがあるかは分からないが、悔いることだけはしないだろう。ハルが隣にいてくれるならば、きっと。勝手な話だが、彼女も同じように考えていてくれたら嬉しい。
 あえて声にはせず、心の中でそう呟く。軽々に言えば、嘘臭く聞こえてしまう。だから言わない。思いは胸に仕舞っておく。だいたい、覚悟など口にするのは野暮というものだろう。
 代わりに僕は、強く柄を握り込む。ハルももうなにも言わず、神経を尖らせていく。
 前方を睨みつける。視線の先には、緑の外套を羽織った男の姿。青銀と赤銀の鉈を両手に提げた、光の勇者が佇んでいる。勇者は僕らの会話に割り込みもせず、ただ黙って突っ立っていた。律義なのか、それとも余裕の現れなのか。おそらくは、その両方だろう。見下されているようだが、ああも超然と構えられるといっそ清々しい。だからといって、まったく腹が立たないかと問われれば、また別の問題だ。いずれにせよ、先方はすでに剣を交える態勢を整えている。僕にしても異存はない。立ちはだかってきたのは向こうの方であるし、生憎こちらの方にも売られた喧嘩を投げ捨てる道理がない。さらさらない。奴に背を向けることなど、できるわけがない。僕にも理由は分からないが、本能が告げている。奴は倒さねばならない、と。ないない尽くしであり、さらには道理もない戦いであり、そのうえ僕には躊躇もない。奴も同じことだろう。互いが互いに不倶戴天の敵だ。どうあろうが矛を交える運命にあるのだ、とちゃちな理論武装をしてみる。吹けば飛ぶような薄っぺらさだ。だが別に、それでいい。
 戦斧を旋回。巨大な斧頭と柄の先端を、地に突き立てる。
 瞬間、黒い風が吹く。僕とハルを中心に渦を巻き、渺々と烈風が吹き荒ぶ。もはや小規模な台風だ。その台風の目から、僕は勇者の様子を窺う。相手は未だ身じろぎすらしていない。

「……まあ、だろうな」

 嵐の中で呟く。ゆえにこそ、僕らも初手から全力で臨む。あらゆる意味で危険な手法であるが、生き抜くためには躊躇ってなどいられない。

「だから行くぞ、相棒」
「いえ、おまえは下僕なのです」
「合わせろよ」

 ハルの応えに脱力し、溜息をつき、そして叫ぶ。
 それは、敵を穿つワード。
 それは、僕らが最強になる、魔法の呪文。
 それは――





「――変身っ!」










第一話 リスタート/学び舎の騎兵










 学舎というより、城郭だ。


 朝の日差しに照らされた、急勾配の長い石段を昇りきる。一息ついて立ち止まると、途端に風が吹き抜けた。暖かな初春の陽光とは裏腹に、まだ少し肌寒い。余寒の風が、容赦なく頬を撫でつける。同時に、鼻先に小さなものが引っかかった。なにかと思い指で摘んでみれば、一枚の花弁だった。苦笑し、僕はそれを宙へと放った。また風に乗って、遠くへ飛んでいく。
 僕はジャケットの襟を立てつつ、ふと後ろを振り返った。浮遊感。昇った段数は、少なく見積もって千は超えていただろうか。休まずにここまで来たが、しかし身体的な疲労感はない。汗すらかいていない。ゆえにこの小休止は、単に心情的なものだ。感傷とも言う。無論、体力に恵まれていて困ることなど何一つない。しかし限度がある。それが与えられたものであるなら、なおさらだ。
 溜息をつき、前へ向き直る。遠くに巨大な門と建造物が見えた。その桁外れな規模の大きさに、先程とはまた別の意味で言葉を失う。あの中にいた時からでかいでかいとは思っていたが、これは想像以上だ。もっとも、殊更想像力に自信があったわけでもないからどうでもいい。
 気を取り直し、僕は一歩踏みだす。門へと繋がる木々に挟まれた長い舗装道を、気に入っている特撮ソングなど口ずさみながら、ゆっくりと歩き始めた。

「うるっさいのです、ヒイラギ。耳元でぎゃあぎゃあと、なんの嫌がらせですか」

 鈴を転がすような声が、毒を含んで僕の耳朶を打つ。思わず歌を中断してしまう。見れば、左の肩口に、人形と見紛うばかりの少女がちょこんと坐していた。冷ややかな眼差しで、僕をじっと見つめている。サイズもさることながら、見た目の可愛らしさもまた人形めいていた。だが、肩に感じる温度や首筋にかかる吐息が、彼女が紛れもなく生きているということを教えてくれていた。
 そう。彼女は人形ではない。妖精と呼ばれる、人類の隣人たる種族だ。名をハルという。
 小柄な体躯から類推できる年齢は、十二、三歳といったところだ。輪郭は華奢で、容姿も幼い。当然というべきか胸も薄いため、色香はあまり感じられない。
 なんとはなしに、彼女を観察する。
 最初に目を惹くのは長い髪だ。臀部の辺りまで真っ直ぐに流れるそれは、新雪の純白を思い起こさせる。透明感のあるきめ細かな肌も、名工が作り上げた磁器のように白く美しい。
 次に網膜に映ったのは、勝ち気というよりは冷たげに釣り上がった目。こちらを射抜く大きな瞳は、髪と肌に相反する漆黒を湛えている。彼女が纏う薄布のドレスもまた、夜を束ねたような黒色だった。裾から伸びる脚は少女らしく細く滑らかで、僅かに覗く膝頭には皺一つ見当たらない。それがまた、彼女の幼さを強調しているようでもある。
 眺め終える。ひとつひとつの部品が、芸術的なまでに整っている。精緻を極めた美しさとは、こういうものを指すのだろう。僕はそんな陳腐なことを考えた。いや、なぜ僕はこの娘を称賛しているのだろうか。自分で自分に突っ込む。

「こらヒイラギ、聞いているのですか?」

 むくれたような声で、僕は現実に引き戻される。

「ん、ああ、聞いてるよ」生返事をして、やれやれと肩をすくめる。「この天使の歌声を理解できないなんて悲しいことだな、まったく」
「は? 黙れ音痴。なにが天使の歌声ですか、図々しい。いえ、むしろ今のは歌のつもりだったのですか? おまえの調子っ外れぶりと来たら、硝子を引っ掻く不快音にも勝るのです」
「さすがに言いすぎだろ」

 ハルの言いざまに、僕は顔をしかめる。出会ってからおよそ一ヶ月は経つが、この娘の悪口あっこうは未だに慣れない。
 ふん、と彼女が鼻息を漏らす。

「言いすぎなものですか。ところどころが意味不明な言語で、なおのことうっといのです」

 意味不明な言語、とはおそらく英語のことだろう。考えてみれば、この世界に来てからというもの、名詞以外の横文字を耳にしたことがない。以前口にした際には聞き返されたこともある。意外と不便だ。しかし日常会話を交わすことは普通に可能なので、喋れないよりはマシと思うことにする。いや、喋れなかったらこの娘の罵倒を聞くこともなかったのだろうか。一瞬よぎった腐れた思考を、頭を振って取り払う。

「だいたいおまえは、なにをちんたらと歩いているのです。人生それでいいと思っているのですか、このウスノロ」
「また壮大な見地からの不平不満だな……」

 横暴な言葉に辟易すると同時、ハルの悪罵がどこまでエスカレートするのか、少し興味が湧いてきた。とはいえ、身を以て味わいたいとは、断じて思わない。
 乾燥した唇を、舌先で舐める。ぶちぶちと文句を垂れる彼女に、僕は反論を試みる。

「別に、今更急ぐ意味もないだろ。どうせ遅刻は確定なんだし」
「開き直るな。こんな日に寝坊など恥ずかしくないのですか。もしやおまえは馬鹿なのですか」
「そんな直截に言うなよ。せめて、まったくお茶目な寝坊助さんなのです、くらいにしておいてくれないか」
「ボケ」

 切って捨てられた。そもそも寝坊も遅刻も僕の責任ではないのだが、言えばまた十倍返しにされそうなので黙っておく。しかしいつにも増して絡みが激しい。なにか、ハルの機嫌を損ねる真似をしてしまったのかもしれない。今朝の行動を思い返してみる。
 結論から言って、特に思い当たる節はなかった。第一、今朝はドタバタしていて、碌に朝の挨拶すら交わしていなかったのだ。怒らせる暇などありはしない。たまたま虫の居所が悪い日なのではないか、と適当に自身を納得させる。
 その後もあれこれと言い合っているうちに、空間が開けてきた。目的地に到着した。遠目に見ても大きかった門が、今は視界いっぱいに広がっている。左右に伸びる術石造りの塀には果てがなく、地平線の向こうにまでずっと続いている。敷地面積を表すには、最早広大という言葉すら生温いだろう。
 聳え立つ門、その上方に嵌め込まれたプレートには、この場所が持つ名が記されていた。


 すなわち、『エディスヴァアル術法学院』、と。


 見上げるほどに高い正門には、複雑な彫刻が為されている。どのような意図を持つ意匠かは分からない。一見して、悪魔の儀式めいたものを感じる。抽象的な表現だが、どことなく不吉な紋様に埋められていた。
 両の門柱の頂上には、剣を銜えた獅子の像が坐している。射竦めるがごとき凶悪な面構えで、こちらを見下ろしている。今にも動きだしそうなほど、躍動感に満ちた造形だ。獣たちは、学舎の門番とでもいうべき存在感を醸し出していた。
 どちらも学院という施設には似つかわしくない装飾に思える。ただし、それは『学院』の上に『通常の』という枕詞がついている場合の話だ。翻って、つまりはこの学院は普通ではない。
 エディスヴァアル術法学院は、学舎というより城郭だ。規模に限った話ではない。機能においてもまた、通常の教育機関とは一線を画している。多大な戦力と最先端の技術を擁し、学園都市ヤクスゴーの中核を担うこの学院は、真実の意味で城と呼べる場所だ。一介の学生では立ち入れない区画も多い。特に、学院上層に位置する区域の詳細はまるで不透明だ。
 反面、学院の下層から中層にかけては、学生による自治運営で成り立っている。主だった管理組織は二つあり、それぞれ〈生徒会〉と〈聖霊会〉の名を冠している。さらに派生した下部組織が、両上位組織を補助する役割を担っている。
 学部学科も多岐に渡る。戦闘、音楽、医療、調理、薬学、術法工学、その他ありとあらゆる分野が一箇所に集積しているさまは、まさしく混沌としか言いようがない。また、入学パンフレット並びに知人の言によると、学生数は二万を超えるらしい。こちらの学生人口が如何ばかりかはまだ十分に知悉していないが、この生徒数はおそらく多い部類に入るだろう。
 以上が、簡素ながらもエディスヴァアル術法学院の概略である。ちなみに外見そとみ以外の情報はほとんど受け売りだ。ここに来てからというもの学院の中で過ごしてはいたが、一月かそこらで内部事情に精通しろ、というのは土台無理な話だと僕は思う。誰に責められるわけでもないが、自己弁護しておく。
 ともあれ、いい加減に院内へ入るべきだろう。視線を下げ、止めていた足を動かす。
 そこでようやく、僕は門前で立ち尽くしている人影に気がついた。こちらに背を向ける形で、途方に暮れたように肩を落としている。察するに、随分と長い間、おそらくは僕がここに来る前からそうしていたようだ。見上げてばかりいたので、視界に入っていなかった。先方も僕に気づいた様子はない。また足を止め、その後ろ姿を眺める。
 カボチャのような形の帽子を被り、ゆったりとしたマントを羽織る、特徴的な影だった。全身が覆われているため分かりにくいが、性別は女性だ。肩甲骨辺りまで伸びる砂色の髪に、履物が女性用の靴と来れば、間違えようもない。なんとなくだが、多分同年代だろう。
 黒と橙を基調とした服の配色には、どこか見覚えがあった。首をかしげる。分かった。色合いがハロウィンの装いを彷彿とさせるのだ。トリックオアトリート。ならばあの帽子は、さしずめジャックランタンか。間抜けた思考が脳裏を掠める。
 見つめる。陽気な衣装とは裏腹に、纏う本人は陰気極まりない。いったいどうしたのだろうと、僕は眉根を寄せて考える。
 あ、と一つ理由を思いついた。おそらくこれ以外にない。『こんな日』に『遅刻』。

「なるほど。あれはおまえと同じ類の間抜けですか。まあ、おまえとは違って恥というものの存在を知っているようですが」

 先に言われた。おおよその予測は、ハルにもついていたらしい。

「間抜けと恥知らずは余計だよ」

 言い置き、僕はカボチャの少女へと近づいていく。放っておくという選択肢は端からない。主義に反する。色々な人に支えられてきた僕が、困っている誰かを見捨てるなど、それこそ恥知らずだ。恩人たちの顔を思い浮かべながら、およそ二十歩分の距離を詰めていく。
 そして、僕はカボチャの少女のほぼ真後ろに立った。この期に及んで、少女はまだ気づかない。わざと足音を鳴らして接近したのだが、無反応を貫いている。予想外に鈍い。かつ隙だらけだ。今の状態なら、たとえ財布を盗もうがスカートを捲ろうが、きっと彼女は気がつかないだろう。無論、する気もないが。
 逆に、いきなり話しかけたら飛び上がって驚きそうだ。が、まずはこちらに気づいてもらわないことにはどうにもならない。なるべく刺激しないよう、慎重に声を掛けることにした。

「おっはようっ、カボチャの人っ!」
「え……っ、きゃあぁあああっ!?」

 底抜けに明るく挨拶をしたところ、カボチャの少女が、盛大な悲鳴を上げるとともに飛び退いた。のみならず、非常に混乱した様相で謝罪の言葉を口にし始めた。

「あのそのっ、うぅぅ、ごめんなさいごめんなさいっ! 寝坊が迷子で乗合車両が石段よりも転送装置は遅刻したことに気がつかなくって! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」

 細い腕を振り回しながら、必死に言い訳めいたものを並べ立てている。言い訳されても困る。僕を教員かなにかと勘違いしているのかもしれない。哀れなほどに、カボチャの少女は委縮しきっていた。見れば、目の端には涙が浮かんでいる。ひしひしと、罪悪感を喚起された。

「ヒイラギ」
「……はい」

 途轍もなく冷たい、零下の声が肩から聞こえてきた。一瞬、時が止まる。冷や汗をかきながら、僕はぎくしゃくと応じる。

「大馬鹿」

 ぐうの音も出なかった。大至急、慎重という言葉の意味を辞書で引き直す必要がある。

「……ヒイラギの、ばか」

 二度も言われた。しかし、先程とは少しニュアンスが違うように思えた。ぽん、と体重を僕の頬へと預けてくる。正直なところ扱いかねる反応に、僕は戸惑う。

「あー、っと」無理矢理意識を切り替える。「とりあえずそこの人、落ち着いてください。僕は教師でもなんでもないので」

 なおも謝り続けている少女に、今度こそ慎重に話しかける。見たところ、やはり同年代かあるいは年下だが、一応丁寧語で喋る。
 僕の声を聞き、少女がはたと動きを止めた。恐る恐る、下げていた頭を上げる。目が合った。長い前髪に隠れがちだが、綺麗な色をしているな、と思いがけず感嘆する。
 少女の丸く大きな眼窩には、涙に濡れた瑠璃色が収まっていた。まるで宝石だ。しばしの間、見惚れてしまう。
 突然、少女がへたり込んだ。こちらを見て、気が抜けたらしい。慌てて走り寄る。

「すみません、驚かせてしまって。立てますか?」

 手を差し伸べながら、無作法を詫びる。頬にちくちくとハルの視線が突き刺さり、居心地悪いことこの上なかった。強引に無視する。
 改めて見れば、整った顔立ちをしている。全体的に柔らかな雰囲気を漂わせており、線は細いが女性らしい丸みを帯びている。特に肌などは、指で突けばきっとマシュマロみたいな手触りがするだろう。触りたい欲望に駆られるが、ぐっと堪える。

「ええと……あのぅ……?」

 黙っていると、今度は向こうの方から話しかけられる。もじもじと落ち着かない様子だった。少し顔も赤い。見られることには慣れていないようだ。もっともこの場合は、初対面の人間を不躾に眺めた僕の方に非がある。

「失礼。大丈夫ですか?」

 一言謝罪し、僕は差し出した右手を強調する。
 揺れている。少女の視線が、僕の手と顔を行き来する。警戒、もしくは逡巡していた。一度馬鹿なことをしたのはこちらなので、不審がられるのは仕方があるまい。自業自得だ。
 それでもやがて、少女は意を決したように腕を伸ばしてきた。ゆっくりと近づいてくる細い手を、僕は姿勢を変えずに待つ。接触。躊躇いがちに、少女が掌を委ねてきた。
 掴む。温かい。緊張のためか、少し汗ばんでいる。柔な手を傷つけぬよう注意しながら、僕は一息に少女を助け起こした。
 少女が立ち上がったことを確認し、手を離す。彼女は俯き加減で早口に礼を言うと、埃を払うために尻回りを叩き始めた。見れば見るほど、細い手足をしている。丈が合っていないのか、掌が半ばまで服の裾に隠れている。だが、意外にも身長は僕と大して差がない。
 いや、違う。僕は少女の頭上に視線を送り、考えを改める。帽子だ。縦にも横にも幅を取るカボチャ帽子が、彼女の身長を水増ししていた。帽子には、まさしくジャックランタンよろしく、にやけたような目とギザギザの口が黒く刺繍されていた。
 彼女の手が止まった折を見計らい、僕は再び謝罪する。

「いや、面目ないです。あんまりにも気づいてもらえないものだから、つい」
「あ、いえっ、こちらこそっ」

 少女が顔の前で両手を振って恐縮する。ついでに紛れ込ませた言いがかりに、彼女は反駁しなかった。僕が叫んだ理由にはなっていないのだが、気づいた様子もない。占めたものである。
 悪い思考をよそに、カボチャの少女がおずおずと口を開く。

「あの……もしかして、あなたも新入生ですか?」
「ま、そうなるんでしょうね」曖昧に応える。「んで、あなたと同じく遅刻組ですよ」

 この説明には色々と語弊があるが、ひとまずは置いておく。
 カボチャの少女が顔を綻ばせたのも一瞬、すぐに気落ちして肩を落とす。それもそうだ。僕は彼女にとっての救いの主ではない。むしろ、間の抜けた同類だ。
 ふるり、とカボチャの少女の肩が震える。洟を啜る音が聞こえてくる。まずいと思った時には、すでに手遅れだった。

「うぅ……よりにもよって、こんな大事な日に遅れるなんてぇ……」

 緊張の糸が切れたのか、カボチャの少女はさめざめとすすり泣き始めた。
 初春で、新入生で、大事な日。僕は門を仰ぎ見た。
 春の花弁舞うこの季節、冬の名残が息吹くこの日、僕らがこうして門前に佇むこの瞬間は、


 栄えあるエディスヴァアル術法学院、その入学式が執り行われている真っ最中であった。


 つまり、僕らは入学式という重大な行事に遅刻したのだった。僕と彼女、互いに私服であるため分かりづらいが、これでも新入生だ。どうも、こちらでは入学式に正装はしないらしい。文化の違いか、と現状となんら関わりのないことを考える。
 門を守護する獅子の像と目が合った。どことなく呆れているように見えるのは、多分気のせいなのだろう。僕は、そっと溜息をついた。

「……鬱陶しい女なのです」
「陰口禁止な」

 ぼそりと呟いたハルに言い含め、衣嚢に手を突っ込む。指先が折り畳まれた布に触れた。
 なんにせよ、このまま泣かせていても埒が明かない。遅刻自体は完全に彼女の落ち度であり、ことこれに関しては僕に些かの責もない。しかし、どこか世話を焼きたくなるような雰囲気が、彼女にはあった。僕はこの世の終わりのように嘆く少女へ歩み寄り、ハンカチを差し出す。

「ふあ……?」

 きょとん。眼前に翳された布切れに、カボチャの少女は目をしばたたかせた。可愛らしいが、まだるっこしい。焦れた僕は、問答無用で彼女の顔を拭き始めた。

「わっ、ふぉへえーっ!?」
「ああもう、暴れるな、ほら」

 気の抜けた悲鳴を上げ、カボチャの少女は手を振り回し抵抗する。無視。僕は荒っぽく帽子を押さえつけ、強引に顔を拭う。擦れて痛そうだ。これは意地悪ではない、必要悪である。

「じゅっ、自分でやりまふうっ!」
「あ、そう」

 ハンカチから手を離す。宣言通り、彼女はたどたどしい手つきで自身の顔を拭い始めた。ご丁寧に、最後は洟までかんだ。顔面はより赤くなってむくんだ。事情を知らない者が見れば、花粉症に見えなくもないだろう。
 カボチャの少女がハンカチを綺麗に畳み、右手で頬を撫でる。時折さりげなさを装い、こちらに視線をよこしてくる。粗方の処置を終えたことを確認し、僕は彼女の手首を取った。

「さて、行くか」
「え、ど、どこにですかぁ?」
「入学式。決まってるだろう?」

 他になにがあるのかと、僕は呆れ顔で言う。敬語はすでに行方不明になっていた。
 手首を引いて、僕は花弁が敷かれた道を蹴りだす。足を縺れさせながら、彼女はついてくる。

「わ、ちょ、っと待ってっ。待ってくださいよぉっ。途中入場なんて、そんな」
「大丈夫だって。ほら、よく言うじゃないか。主役は遅れてくるものだ、と」

 入学式の主役は新入生、つまり僕たちだ。なにも問題はない。

「それ、それは意味がちが、きゃうっ」

 少女が転倒しかける。咄嗟に引き寄せ、彼女の身体を支える。見た目以上に軽く華奢だ。甘い匂いがして、忘我の心地に陥る。預けられた体重が快い。
 柔らかな感触に浸っていたいところだが、入学式が終わってしまったら元も子もない。それに、ハルの目が怖い。極寒の温度で睨みつけてきている。なにも言わないのは、彼女が激しい人見知りだからか。特定人物以外の前では、声も出すのも億劫なほど、彼女は臆病になる。ゆえに毒舌は親愛の裏返しと考えれば、平素の悪口もそう悪い気はしない。こともない。
 カボチャの少女はと言えば、硬直していた。どうにも気弱な彼女のことだから、きっと色々な許容量が限界を迎えたのだろう。ちょうどいい。僕は彼女を小脇に抱えた。傾いてもずり落ちないカボチャ帽子が不思議だった。

「……ふわあっ!」

 門を潜り抜けたところで、カボチャの少女が現実に戻ってきた。意外と早い復帰だ。
 忙しなく首を動かし、少女は現状認識に努める。正しく今の状況を理解した彼女は、開口一番、大声で叫ぶ。

「ななっ、いったいなにがどうなってーっ!?」
「君、結構やかましいな。あと、これはお姫様だっこみたいなものだから。かの有名な、女の子の憧れだから。うん」
「ぜーったいに、違いますーっ!? 恥ずっ、降ろし、おりょっ!」

 噛んでいた。少女はぱたぱたと四肢を振る。白タイツに覆われた足から、靴がすっぽ抜けた。僕は思わず笑声を漏らす。

「笑わないでぇっ。こんなの人に見られたらぁっ……」
「心配しなくても、生憎、遅刻者はおれたちだけみたいだよ」

 靴を拾い上げる。歩きながら辺りを見回す。誰もいない。
 広々とした空間だった。あまりにも広すぎて、世界には僕たちしかいないのではないか、という馬鹿げた妄念がよぎってしまうほどだ。頭を振って否定する。
 足元では、清冽な白の敷石が列を為し、道を象っている。整備された深緑の芝は瑞々しく、活力に満ちている。色鮮やかに咲き誇る花壇の草木は、匂い立つばかりの美しさだ。湖とさえ思える規模の池は、青く澄みきった水で埋められている。中央には、趣向を凝らした華美な曲線を描く噴水があった。虹が見える。
 そして前方には、これから通うことになる学び舎が屹立していた。窓硝子は磨き抜かれ、壁には穢れも傷もない。徹底的な管理が行き届いている。
 峙つ威容は、まさしく難攻不落の牙城と呼ぶに値するものだ。荘厳としか言いようがない。語彙貧弱の謗りは免れないが、他になにが言えるだろう。物事は、特に言葉は単純であればあるほどいい。俗な話になるが、たとえば旨いものを食べたとする。万人が万人、口を揃えて美味という、途轍もなく都合のいい代物だ。そういうものを食べた時、最初に思うことは、舌先に香ばしい風味が広がって、などではなく、ただ単に『おいしい』という一言ではないだろうか。感じる衝動の大きさに反比例して、言葉は単純化してくると僕は思う。
 つまりなにが言いたいのかというと、僕にはこの景観を言い表す高尚な言葉を持ち合わせていないということだ。言い訳を連ねて、長々と自身の無能を晒しただけとも言う。もっと言えば、ちょっと頭のいい振りをしたかっただけだ。なぜか。学舎を前にして、分不相応という言葉がちらついてしまったから。もっとも、それは言われるまでもなく分かりきっているのだが。

「あのっ、そろそろ降ろしてくれてもっ……いいのではないでしょうか?」

 下からの声に、思考を中断させられる。最初は勢い込んでいた割に、最後の方は聞き取りづらい小声だった。竜頭蛇尾とはこのことだ。
 ふと気づけば玄関が目と鼻の先にあった。入るよりも先に少女の言を吟味する。フリをした。

「安心しろ。会場に着いたら降ろしてやるから」
「あのあのっ、受付は?」
「……安心しろ。会場に着いたら降ろしてやるから」
「なんで繰り返すんですかぁ! やめっ……めぇええええっ!?」

 甲高い悲鳴を背景音楽に、僕は学舎の玄関に爪先を乗せた。意地悪ではない、必要悪である。
 ちなみに、僕も鬼ではない。受付に着く前に、少女は床に立たせてやった。その時の心底ほっとしたような溜息が、僕はやけに印象に残っている。





 入学式はつつがなく終了した。遅れたことに関して二、三の小言を頂戴したが、それ以外は特に咎められることもなかった。式の描写は割愛する。正味な話、どこの世界でも学長の話は長いのだな、という感想しかない。学生自治を謳う割に、なんの変哲もない入学式だった。本領はまた別の機会に発揮されるのだ、と期待はしておく。
 逸早く退出した僕は今、学院の中庭にいる。校舎の壁に寄りかかり背伸びをすると、凝り固まった筋肉が解れていく。堪らなく気持ちがよい。
 しかし、と肩を回して考える。まさか、異世界くんだり学校生活を送ることになるとは、考えてもみなかった。こちらに来てから経過した月日は、およそ一月程度でしかない。だが、僕にとって学校生活は、最早遠い過去の記憶になりつつあった。そういう意味では、入学式も歓迎すべき行事なのかもしれない。本来であれば、ここではない、なんの変哲もない普通の高校の入学式が待っているはずだったのだが。

「ま、いいか」
「む? なにがですか?」
「ああいや、深い意味はないよ」

 肩からハルが訊いてくる。カボチャの少女がいた時とは打って変わって、酷く上機嫌だ。先程まで押し黙っていたぶん、相当な心労を強いられていたのだろう。
 現在、カボチャの少女はいない。置いてきた。正鵠を期すれば、退出する際に彼女が人並みに攫われ、結果としてはぐれた。探すつもりはない。向こうにしてみれば、僕という存在は迷惑な人間として記憶されているだろう。だいたい示し合わせた覚えはない。学院は広いことだし、二度と顔を合わせることもあるまい。可愛い女の子との縁が途切れたのは寂しいが、それも人生ということで割りきる。可愛い女の子なら、ハルで間に合っている。二重の意味で見た目が小さいのがネックではあるが。
 僕は、首をかしげるハルの髪を撫でつけた。嫌がるそぶりは見せなかった。気持ちよさげに、されるがままにしている。拒絶されなかったことに安堵し、僕は言う。

「これからよろしくな、ハル。迷惑掛けると思うけどさ、一緒に頑張って欲しい」
「……ん、どんと来いなのです、ヒイラギ。しっかり面倒、見てやるのです」

 らしい回答だな、と僕は笑う。ハルも目を細めて微笑む。穏やかな空気が流れ、僕は安らぎを感じた。心が洗われていくようだった。慌ただしい朝からこっち、やっと落ち着いた心地になれた。

「しかしまあ、人がいっぱいだな」
「見れば分かるのです。なぜおまえは酸素の無駄遣いをするのですか。きっとおまえのような奴が食べ放題の店に行くと、調子に乗って料理を皿に盛りつけすぎた挙句結局食べきれない、みたいな真似をするのでしょうね。まったく、食べ物が浮かばれないのです」
「おれは今、そんなに罪深い酸素の使い方をしたのか……?」

 心が洗われる、と思った端からこれである。
 喧騒。視線を前に移せば、見渡す限りの人、人、人。冷たい風も生温くなるほど、人が密集している。この学院には制服がないから分かりづらいが、新入生と在学生が一堂に会している。そこかしこで会話や演説が行われていた。漏れ聞こえる断片的な情報から察するに、在学生が新入生をなにかに勧誘しているようだ。
 足元で音がした。平べったい感触が纏わりつく。見下ろすと、紙が脛に絡まっていた。拾って文面を眺める。そこには、拠会と呼ばれる、学生コミュニティへの誘い文句が並べられていた。とりあえず畳んで、ヒップバッグに詰め込んだ。もう一度よく観察すれば、チラシを持った学生が忙しなく駆けずり回っていた。走りながら、手当たり次第にチラシをばら撒いたり、押しつけたりしている。
 おぼろげな記憶を紐解く。確か、全員がどこかの拠会に所属しなければならない、と聞いた覚えがある。特に戦闘用の術法、正式名称として戦術法を専攻する学生にとっては、所属する拠会は死活を分けるらしい。
 だからだろう、初日から躍起になって新入生確保に精を出しているのは。優秀な人材をスカウトしているのか、それとも数撃てば当たる戦法なのかは知らないが、在学生も必死なのだ。
 しかし前者ならばとにかく、後者ならば重大な問題がある。

「はて、なにゆえおれはまったく見向きもされていないのか」

 疑問を口に出す。受付でもらった書類等があるため、見間違えられることはないはずだ。だというのに、僕は誰からも声を掛けられていない。チラシももらっていない。
 ハルがもっともらしく頷き言う。

「見た目が頼りないからなのです、女顔」
「憶測をさも周知の事実のように断言するのはやめてもらおうか」
「だって事実なのです。女受けしない不良債権なのです」

 否定しきれないのが痛い。むしろ思わず納得しかけてしまった。口惜しい。だが、女受けしない、というくだりは果たして必要だったのか。
 質の柔らかい黒髪に、意思薄弱そうな目許。身長は同年代男子の平均をやや下回り、極めつけに知人曰く女顔。幼馴染にも散々からかわれた。だが最後の評価は納得していない。むしろ女顔という評価に納得する奴がいたら、そいつは確実にナルシストだ。
 ともあれ、それを差し引いても僕は頼り甲斐のある顔ではない。そのことは自覚している。男気のなさを見た目だけのせいにするつもりはないし、自分の顔に不満があるわけでもないが。

「まあ気落ちすることはないのです。進んでおまえとかかずらう女などどこにも居はしませんが、私は見捨てないでおいてやりましょう。ほら、泣いて喜ぶがいいのです」
「なんでだよ」

 なぜか慰められていた。のっけから躓きかけているというのに、やけに上機嫌だ。耳を澄ませば鼻唄すら聴こえてきそうである。あと、女に限定する意味が分からない。
 ともあれ、向こうからのコンタクトは望み薄だ。こちらから行動すべきだと思い立つ。壁から背を離し、目を凝らす。

「さて、どの辺りを攻めようか……」
「……むぅ。せっかく……なのに……」

 しょげ返った声。ハルの言葉だろうが、周囲の声に掻き消されてしまっていた。聞き返す。

「なんだって?」
「……別にっ。さっさとナンパして、さっさと撃沈するがいいのですっ」

 一転して、怒ったような声で言う。浮き沈みが激しい。とりあえず、ナンパ云々は早めに否定しておこうと、僕は口を開く。

「いや、女引っ掛けに行くわけじゃないから」
「……そんなの……」
「……ま、おれもできればハルと二人の方がいいんだけど」

 規則を破るわけには行かない。ハルに聞こえない程度の声量で呟く。が、気を遣わずとも、どのみち彼女には聞こえなかっただろう。なにやらぶつぶつと独り言を零していた。
 まずは、方針を固める。とはいえ、そう多く案があるわけでもない。考えた末、結局は手当たり次第話しかける方向に落ち着いた。これが一番堅実な手法だ。
 意気揚々とまでは行かないものの、それなりに気を弾ませて、僕は人波目掛けて歩きだす。その矢先、誰かと衝突した。胸元に軽い衝撃を受けた。迂闊。謝罪の言葉を投げかける。

「失敬、急いでいたもので……って」
「ふえ、ごごごめんなさいっ、ちょっと余所見してて……あ」

 双方、途中で言葉に詰まる。カボチャの帽子と目が合った。見下ろすと、片手で鼻っ面を押さえる少女がいた。もう片方の手は、大量の色とりどりなチラシを、胸の前で押さえることに使われていた。予期せぬ再会に、僕は驚く。向こうも目を丸くしている。ハルはまた、硬くなっていた。
 先に立ち直った僕は、少女に呼びかける。

「やぁ、カボチャさん。久しぶり」
「だ、誰ですかそれはっ。言うほど久しぶりでもないですしっ。もうっ、そうじゃなくて、酷いじゃないですかぁ。先に行っちゃうなんて」
「はあ。なにか用事でも?」

 後頭部を掻く。特に約束などはしていないから、責められる謂れはないのだが。
 僕の問いに、カボチャの少女は頬を膨らませた。が、すぐに緩ませた。

「あります、色々と。でも、その前に」

 腰を直角に折り曲げ、深々と礼の姿勢を取る。カボチャ帽子は、接着されているかのように固定されている。僕の興味をよそに彼女は頭を上げ、こちらの目を真っ向から見据えた。薄桃色の唇が開かれる。

「ありがとうございました。一人だと、どうしていいか分からなかったですから」ふわりと微笑み、胸の前で指を絡める。「今日は二人も親切なかたに巡り合えて、ヘリシャ、幸せですっ」

 後半はよく分からないが、律義な娘だった。僕はひらひらと手を振る。

「気にしなくていいよ。君、軽かったし、運ぶのは手間じゃなかった」
「いえそのー、その件については、逆に謝って欲しいのですけれど」
「あ? あー……めーんご」
「とっても軽いですっ!?」
「オイコラ、敬語使いやがれよ」
「なんでですかぁっ。ていうか、ちゃんと使ってますよぉ」

 カボチャの少女はすんすんと鼻を鳴らす。冗談だと言うと、彼女は柳眉を逆立てた。まったく怖くない。却って元来持つ愛嬌が強調されている。

「もー……あ、自己紹介がまだでしたねー。せっかくだから、お互いしませんか?」

 名案とでも言うように、彼女はぽんと手を打った。笑み。喜怒哀楽が激しい少女だ。浮かぶ大輪の笑顔は、正直かなり魅力的だった。輝く瑠璃色に、また目を奪われる。そんな自分がいることに気づき、僕は視線を逸らす。気恥ずかしい。
 僕のその照れ隠しにどんな意図を読み取ったのか、突然カボチャの少女が落ち込んだ。俯き、眉の角度を八の字に変えた。

「そう、ですよね。ヘリシャなんかがいたら、迷惑ですよねー……」

 自虐的に呟く。思った以上に小心な娘だった。
 不意に寒気を感じた。辺りから、冷たい視線が注がれていた。女の子を悲しませた罪は重いらしい。僕も同感だ。無意味に人を泣かす奴は死ねばいい。
 つまり今の僕は殺されても仕方がない。それは困るので、今朝と同じくカボチャの少女――ヘリシャと名乗ったか――の手首を引いて、この場を去ることにする。人波を掻き分け、僕らは落ち着いて話のできる場所を目指した。





 条件に合致した場所は、残念ながら見つからなかった。学院の敷地内は、どこもかしこも学生で溢れ返っていた。一応静かなところには心当たりはあるが、やめておく。よく考えてみれば、あの場所を離れさえすれば、あとはどこでもいいからだ。
 そういう事情で、僕らは今、玄関の入口付近に陣取っていた。相も変わらず、人が大勢いる。むしろ、中庭よりも数が多い気がする。在学生もご苦労様だ。しかし、やはりここでも僕は顧みられない。空気のような扱いだ。反対に、ヘリシャには羽虫のごとく群がっている。溢れ返りそうなほど大量に、彼女はチラシを抱えていた。危なっかしい。見ていられなかったので、すべてを一時的に預かる。少量ずつ渡し、鞄の中に仕舞わせる。全部を収納し終えた頃には、彼女の鞄が二倍ほどの厚さに膨れ上がっていた。重そうだ。

「あ、ありがとうございますっ」
「別に大したことじゃないよ。で、自己紹介だったか」
「はいっ」

 ヘリシャは元気よく応える。泣いたカラスがもう笑っていた。切り替えの早い少女だ。いや、切り替えが早いから女なのか。まあ、どっちでもいい。

「じゃあ言いだしっぺからどうぞ、ヘリシャさん」
「あれ? なんでヘリシャの名前を知ってますか?」
「君は自分の一人称を、一度よく鑑みてみようか」

 僕の言葉に、ヘリシャは「あ」と呟き、次いで顔を赤らめた。幼い一人称に恥じ入っているようだ。ここでフォローしてもドツボに嵌まるだけなので、僕はとりあえず先を促す。
 困り顔で笑み、ヘリシャは気を取り直して自己紹介を開始した。

「えと、わたし、はヘリシャです。十六歳で、戦闘学部戦術法学科です。出身はイスピアズ市で、それから、好きなものは氷菓です。どうぞ、よろしくお願いしますー」

 舌足らずな声でそう言って、ヘリシャはぺこりとお辞儀をした。僕はおざなりに拍手をする。やはり帽子は不動だ。まずそこに目が行った。帽子の天辺を見ながら、僕は言葉を返す。

「おれと同じ学科か。なんか意外だな」

 見た目と言い、端々に垣間見える精神性と言い、ヘリシャはとても戦闘向きとは思えない。もっとも、僕とて戦いに向いているとは言いがたいが、彼女はそれ以上だ。
 僕が率直な感想を告げると、ヘリシャは「やっぱりですか?」と、はにかみながら微笑んだ。

「本当は、お母さんにも反対されました。今でも多分、反対されてるんでしょうねー」ヘリシャは遠い目をする。「お裁縫とか、女の子らしいことに役立てて欲しいみたいですし」

 十分女の子らしいよ、とは言わなかった。僕は彼女について見た目以上のことを知らない。あと、口説き文句染みているから嫌だ。しかし、どことなく言い方がおかしいのは気のせいだろうか。違和感のもとを問い質してみたかったが、それより先にヘリシャが話題を戻す。

「はい。では、次どうぞー」
「ああ……」仕方なく頷く。「名前はヒイラギ。学部学科は君と同じで、十……」

 はたと気づき、口を噤む。僕は十五歳だ。ヘリシャは確か、十六歳と言った。まさか。

「なあ、ヘリシャ。君、誕生日はいつ頃?」

 恐る恐る訊ねる。ヘリシャはにっこりと笑い、言った。

「はい? 来月の十日ですけど?」
「……おぉう……」

 気づきたくない事実というものは、どこにでもあるものだ。年下かと思っていた少女が、実は年上だったとは。信じられない。

「んえ? どうかしました?」
「いや、うん……なんでもない」

 信じられないが、信じたところで別に問題が生じるわけでもない。僕は湧き出た疑問も含め流すことにした。深入りしないことは、処世術になりつつあった。
 自己紹介を続ける。ヘリシャに倣い好きなものを告げ、よろしくと挨拶をした。そして、不貞腐れた態度のハルを指し示す。

「それから、この娘がハル。ほら、挨拶」

 頭を撫で、自己紹介を促す。僕が紹介してもいいが、これから学校生活を送るにあたり、ある程度は人に慣れてもらわないと困る。しかし、依然としてつっけんどんなままだ。ヘリシャの再登場以来、一度も喋っていない。あまつさえ、ぷい、と顔を逸らした。取りつく島もない。
 どうしたものかと悩んでいると、ヘリシャが笑顔で地雷を投下した。

「はー。その娘って、術法工学のお人形さんですか? 最近だと、こんなに小型化してたんですねー」

 ぶち、という音を僕は聞いた。あるいは幻聴だったのかもしれない。ただ、一つだけ言えることがある。ハルの怒気メーターが、一瞬で臨界値を振りきってしまった、と。ハル、フルスロットル。

「わ、私は妖精なのです! この、屑人間っ! 言うにっ、事欠いて……っ!」
「待った。落ち着こう、ハル」

 持っていた配布物を地面に放り投げる。いきり立ったハルを肩から降ろし、胸元で抱く。なるだけ優しく髪を梳くと、やがて少しずつハルの気息が整っていく。様子を見つつ、僕は記憶を紐解いた。この娘は、人形扱いを激しく嫌う。たとえ称賛の言葉であろうとも、極大の嫌悪を見せる。なにに由来する反応なのか、僕にさえ不明瞭だ。最早トラウマともいえるほどに根は深い。言うなれば逆鱗だ。ヘリシャは知らなかったとはいえ、ハルにしてみれば関係ない。不用意に触れれば、暴発する。彼女自身にも、抑えることができないのだ。
 だから、これは僕の責任だ。自分の馬鹿さ加減に舌打ちをしたくなる。自虐するのももどかしく、僕はヘリシャを見る。突如の罵声に、彼女は腰が引けていた。まずはそちらへの対応が先決だ。考える間も惜しく、僕は口を開く。

「ごめん、ヘリシャ。ハルにも悪気はないんだ」

 謝罪の言葉を紡ぐ。ヘリシャは完全に怯えている。冗談ではなく、本当に人形だと思っていたらしい。彼女は彼女で悪気はなかったのだろうが、図抜けた鈍さだ。
 僕の言葉を責めているものと勘違いしたのか、ハルが肩を震わせる。爆発寸前。

「私、私は――」
「大丈夫。どっちが悪いわけじゃないし、そういう話でもない。ただ、少し驚かせちゃったな、ってだけ。怖い思いをしたし、させもしたから、とにかく冷静になろう、な? おれが言ってること、分かるか?」

 あやすように言って、またハルを撫でる。まだ興奮気味だ。それでも顔を僕の胸に埋めて、必死で理性を取り戻そうと努力している。返す返すも、ハルに非はない。ただ、彼女の制御できない部分で、感情的になってしまっているだけなのだ。
 元来、人間と妖精は取り立てて友好的な関係ではない。『隣人』という言葉に字面以上の意味はなく、実態は利用し合う間柄といっても決して間違いではない。今でこそ軽口の応酬をこなしているものの、その点においてはハルも例に漏れず、随分と非友好的な少女だった。
 いや、それ以上だ。ハルは同族にさえ嫌悪を抱く妖精だった。現在に至っても、完全に払拭できたわけではない。況や、人間をや。つまりはそういうことだ。他人、とりわけ人間に貶められることを、彼女はどうしても耐えられない。たとえ、言った本人に悪意がなかったとしてもだ。一朝一夕で改善など不可能なため、こればかりは如何ともしがたい。
 先にも述べた通り、悪いとすればそれは僕だ。ほんの一言、妖精だ、とさえ言っておけば良かったのだ。よかれと思って水を向けたのが、裏目に出てしまった。人に慣れさせようにも、時期尚早だった。僕が一番ハルの近くにいたはずなのに、まるで理解していなかった。
 失策を悔やんでも、今更遅い。意識を切り替える。目線でヘリシャに謝りつつ、周囲の状況に耳をそばだてる。案の定、注目されていた。ざわざわと、こちらへ向いた密めき声が聞こえてくる。また移動する必要があるだろう。ヘリシャには迷惑を掛けっ放しだ。ここいらで別れた方が、彼女のためになる気がする。僕はそう考え始めた時だった。
 ヘリシャが一歩、こちらへ近づいた。もう一歩距離を詰め、さらに接近する。視線の高さをハルに合わせ、小さな背中を真っ直ぐ覗き込む。そして、優しく囁いた。

「ごめんなさい」

 場が凪ぐ。ヘリシャの瞳には真摯な光が宿っていた。一点の曇りもない眼差しからは、少女らしからぬ意志の強さが感じられた。苛烈という意味ではない。すべてを包み込むような慈愛めいたものを、僕は彼女の目に見出した。
 ヘリシャは続ける。

「誰にだって、触れられたら嫌な場所はありますよね。だから、ごめんなさい」

 静かな声が放たれた。決して強くはない響きは、しかしするりと胸を通り抜け、奥にある心を震わせた。透き通るように清廉な声音に、しばし戸惑う。
 予想外の光景に、僕は呆気に取られた。ハルの罵倒に対し、ヘリシャが取り得る行動は、怯えて無言になるか、もしくはわけも分からず謝るかの二択かと思っていた。まさか、ただでさえ推し量ることも難しい、それもハルの内心を慮ったうえで謝罪するとは、夢にも思わなかった。演技ではないことは、目を見れば分かる。今の短い言葉には、紛れもない労りの気持ちが含まれていた。怒ったとしても仕方がない、いやむしろ怒って当然だというのに、彼女は本心からハルを気遣っていた。察するに、おそらくヘリシャは、掛け値なしの善人なのだろう。
 ヘリシャの態度に、ハルもまた感じ入るものがあったようだ。振り返ってヘリシャを見たり、僕の顔を窺ったり、先程とは違う意味で落ち着かない様子を見せている。僕はなにも言わない。黙って見守ることにした。ただ、やんわりと背中を叩いてやる。
 ハルが僕の胸に額を置いた。深呼吸をする。踏ん切りをつけるための儀式なのだろうか。
 数度の呼吸ののち、やがてハルはか細い声を上げた。

「…………ぁ」

 一音だけ発し、口を閉ざした。途切れた声は、逡巡して揺れている。待つ。僕とヘリシャは、なにかを伝えようとするハルの言葉を、辛抱強く待った。
 そして、再びハルが口を開く。つっかえながら、しかし躊躇うことなく言葉を紡ぐ。

「……人形は、駄目、なのです。絶対、嫌です」

 ハルはそこで言葉を止めた。落胆はしなかった。呼吸と、喉が震える気配が伝わってきたから。彼女は間を置き、続ける。

「でも、でも……怒ったのは、悪かったのです。謝り、ます。ごめんな、さい」

 くぐもっていて聞き取りづらい声だった。しかし、僕もヘリシャも聞き逃しはしなかった。ぶっきらぼうで、不器用な言い方ではあったが、確かにハルはヘリシャへと歩み寄った。彼女の顔は真っ赤に染まっていた。もちろん怒りではなく、含羞によってだ。
 少し驚いた表情をして、ヘリシャは破顔した。

「はい、これでおあいこです。仲直りしましょー?」

 ヘリシャが笑いかける。ハルはますます顔を赤らめた。
 現実感に乏しい。おぼろげに浮かんだ思考を、僕は慌てて打ち消した。失礼だ。ハルに対しても、ヘリシャに対しても。だけど、と僕は心の裡に暗澹たる思いが溢れることを、止められはしなかった。だけど、信じがたかったのだ。僅かであろうと、ハルが心を許すなど。
 僕は多分、自惚れていた。自分はハルに選ばれた、特別な人間なのだと思い込んでいた。愚かしい勘違いだ。ハルは僕を選んだわけではない。僕以外を、知らないだけなのだ。今まで目を閉じていたから、気づけないでいた。僕も同じだ。
 急に、足元が崩れた気がした。ここにいることが、場違いに思えてきた。僕は、ハルと一緒にいるべき人間なのだろうか。頼られているようで、その実彼女の足枷になっているのでは?
 僕が、ハルの傍にいる意味は?
 ヘリシャに気づかされた。己の傲慢と、無知蒙昧を。そして、これからハルは成長していける、ということを。いつかハルには、僕のいない場所で、僕じゃない誰かと笑い合う日が来るだろう。喜ぶべきことだ。しかし、素直に納得できないのは――

「……ヒイラギ?」
「あれ、どうかしましたか? ヒイラギさん?」

 気がつけば、ハルとヘリシャが僕の顔を見つめていた。我に返る。

「どうしたのですか? どこか、具合でも? 日射病ですか?」
「いや……」

 不安げな瞳が、僕を見上げている。反射的に否定する。反芻し、自身の思案も否定する。
 これ以上、つまらないことを考えるのはやめておこう。いつかの未来ではなく、今この時をしっかりと見据えよう。どのみち、どれほどの時間ハルといられるかは不確定だ。いつかは帰るかもしれない僕が、彼女の未来を想っても、栓ないことだ。
 ハルを肩に座らせて、投げ捨てた配布物を拾う。不自然ではないように、さらりとした口調で僕は言う。

「いや、ぼうっとしてただけ。あるいは早めの五月病だ」
「あるいは、の意味が分かりませんが」
「意味なんてないしな。多分、なにも、ない」

 ハルはおかしなものを見るように僕を眺めた。無理もない。渦巻く疑念を誤魔化すように、事実、誤魔化すために僕は提案する。

「さ、またぞろ移動しなくちゃな。注目浴びすぎだ」
「ほへ?」

 緩い声で、ヘリシャが疑問符を発する。やはり鈍いな、と僕は苦笑する。というか、応答の仕方がなんとも不可思議な少女だ。
 僕は手を動かして、辺りを見るように示した。指の動きを追うように、ヘリシャも瞳を動かす。固まる。僕の言いたいことは、すぐに理解できたらしい。たくさんの視線に晒され、ヘリシャは冷や汗をかき始めていた。異論はないようで、僕がさっさと歩き始めると、彼女は慌てふためき後を追ってきた。
 横に並んだヘリシャを、ちらりと流し見る。
 彼女は、いとも容易くハルの心に触れてみせた。そのことが僕には眩しく見え、大きな羨望を感じ、そして――
 微かな、しかし確かな嫉妬心を抱かせた。
 浅ましいことこの上ない。自分で自分に呆れる。ハルやヘリシャに分からぬよう、僕はひっそりと溜息を零した。





「それで、これからどうするんですか?」
「うむ。いずこともなく、風に流されるがままにだな」
「きっとおまえには向かい風しか吹かないのです」
「うるさいよ、どでかいお世話だよ」

 なにが面白いのか、ヘリシャはくすくすと笑っている。座りが悪い。
 僕らの姿は再び中庭へと移っていた。芸がないが、別に芸は必要ない。
 ともあれ、実際問題、僕はどうするべきか悩んでいた。やるべきことは分かっている。しかし、取っ掛かりが見つからない。すでに出遅れた感でいっぱいだ。とはいえ、このまま手をこまねいているわけには行かない。目の前の問題は、早いところ解決しておきたい。
 しかし、と脳内でさらに反論を立てる。よく考えろ、僕。そもそも、なぜ僕は学院に通うことになったのか。正直、寝耳に水である。なにせ、朝叩き起こされたと思ったら、「今日、入学式だから」と突然放り出されたのだ。まったく意味が分からない。
 意味が分からないまま、所属コミュニティなど決めてよいものなのか。もしかして、僕の与り知らぬところで、すべて決められている可能性はないか。在学生が僕に無関心であることも、そう考えれば一応の辻褄は合う。
 いや、合わないか、と独りごちる。たとえばお触れが出ていると仮定する。普通に考えて、全員が全員、僕の顔を覚えているわけがない。ハルを連れているから見極めは困難でもなかろうが、だとしても腑に落ちない。最低でも一人くらいは、僕に声をかけてくるはずだ。僕の姿や行動が、客観的に見てよほど駄目な部類に映らない限りは。
 げに憎らしきは説明不足である。ここは一度戻って、保護者のお伺いを立てるべきだろう。
 だいたい、勧誘だって今日で終わりというわけでもないはずだ。むしろ今日が始まりであり、のちのち正式な説明会やらなにやらがあるに決まっている。今やっているのは、あくまで宣伝に過ぎないものだろう。ならば、なにも焦る必要はない。
 取るべき行動は決まった。もうここにいる意味はない。引き返すことにする。

「そういえば、ヘリシャ。なにか、おれたちに用があるんじゃなかったのか?」

 帰る前に、ふと思い出したことを訊ねてみる。先の騒ぎのせいか、ヘリシャもすっかり忘れていたらしい。両手を合わせてはっとした表情になる。

「そーでした。ヒイラギさんがどこの拠会に入るのかを聞きたかったんですけど……」言いながら、ハルを一瞥する。「『盟約者』さんでしたら、あらかじめ決まってますよねー。それって、どちらですか?」
「は?」

 決まっている、とはどういう意味だろうか。訊くと、ヘリシャは困惑した。

「どういう意味って……そのままですよ? あれ、決まってないんですか?」
「ないぞ」
「もしかして、意地悪で教えてくれないとかでは……」
「ないのです」

 二人でどちらも否定する。先刻からは、ハルも無口ではなくなった。複雑ではあるが、いいことだ。そういえば、いつの間に『ヒイラギ意地悪疑惑』が生じていたのだろう。
 突如降って湧いた疑問は飲み込み、僕はヘリシャに説明を求めた。彼女は唇に人差し指を当て、考え込む。やがて言うべきことが定まったようで、ゆっくりと説明を開始する。

「うーんとですね。簡単に言えば、優秀な新入生さんって、入学前段階で引き抜きされるんですよ。実績上位の十拠会が、順番に一人ずつ指名できちゃうんです」

 思い返すように視線を泳がせる。

「もちろん、引き抜くかどうかはその拠会次第です。なので、目ぼしい人がいないなー、なんて時は無理に迎えたりはしません。まあ、大抵の場合は引き抜くんですけどね。存続にも関わりますし、あえて入れない手はありませんから。それに、拠会によって求める人材も変わってきますし、欲しい人材が被るというのは、そう多くないんです」

 ちなみにですけど、引き抜きされる側にも拒否権はありますよー、と注釈を入れる。段々分かりかけてきた。ヘリシャは続ける。

「それで、です。妖精さんを連れている『盟約者』さんは、その人の成績に拘わらず、どこの拠会からも望まれているんです。それこそ、喉から手が出るくらい、です。これは、拠会というものの性質を鑑みれば、簡単に分かりますよねー?」

 逆に質問される。試されているようだ。考える。『盟約者』の特性、学院の特質、そして拠会、言い換えれば、学生で徒党を組む理由。一個だけ浮かんだ。これは、一番最初の前提が、正答に繋がる最も大きな手掛かりになっているはずだ。答えは一つしかない、と思う。自信は持てないながらも、僕なりの回答を口の端に上す。

「文字通りの戦力として、か?」

 答えを聞き、ヘリシャは満面の笑みを浮かべた。

「ええ、その通りです。ヒイラギさん、よくできましたー」
「なんか腹立つな……どついても?」
「駄目に決まってるじゃないですかっ」

 僕が冗談で拳を持ち上げると、ヘリシャは帽子の上から頭を押さえた。カボチャ帽子の不吉な笑みに、なぜだか背筋が冷えてくる。
 馬鹿なことをしていないで、拳を下ろす。ヘリシャも元の姿勢に戻り、咳払いをした。

「そしたら、もうお分かりですよね? ヘリシャの言いたいこと」
「ああ、うん。ありがとう。よく分かった」顎を引いて首肯する。「つまり、ヒイラギ様は怖れ多くも『盟約者』であらせられるがゆえ、優れたる学院の名士たちに目を掛けられていないのは不自然極まりない、ということだな?」
「いえー、あのそこまで飾り立てたような記憶は、決してないんですけれども」
「こら、ヒイラギ」

 ヘリシャの言葉を遮り、咎めるようにハルが言う。口をへの字に曲げていた。けれど、可愛らしさは損なわれていない。

「なんで自分だけ称賛しているのですか、このポンコツ。私への礼賛はどこに行ったのです。きちんと褒め讃えるのです、この私を」
「はいはい。ハルちゃんは最高に可愛くてお嫁さんにしたい候補第一位ですね」

 適当に褒める。なぜかハルは黙った。不意に、僕の左頬が急激に熱くなっていく。正確には、ハルと触れている部分が、である。要するに、左肩に座っている妖精は照れていた。照れるくらいならば、褒めろなど言わなければいいのに。瞬間、耳元で熱っぽい声が聞こえた。「およめ……さん」
 さておき、僕が声を掛けられない事情は把握した。妖精を肩に乗せているから、僕はすでに特定の拠会に所属済みと思われているわけだ。僕ら以外の人にとってみればむしろ、なぜ今の時期に『盟約者』がここら辺をうろついているのか、さぞや奇怪に映っていることだろう。

「しかし、やたらと詳しいな。常識なのか、それって?」
「常識ですよう。ここに入ろうと思えば、これくらいは調べますからねー」
「常識かぁ」

 志望校をよく調べるのは、確かに常識的である。人の群れを眺めながら、僕はしみじみと呟く。声は喧騒に紛れ、どこへともなく溶け消えた。最近は常識というものの存在を疑いつつあったので、なんとなく安堵した。
 それでも僕にしてみれば、この学院自体が常識的ではない。戦力を保有する教育機関など、僕の価値観に照らし合わせれば非常識にもほどがある。設立者はもしや馬鹿なのではないか。
 もっとも、この世界ではそれが当たり前のように罷り通っているようだ。魔物などという化物が闊歩する世界観なので、普通といえば普通なのかもしれない。聞くところによれば、戦いを専門に教える学院が多数あるという。恐ろしい。

「それはともかくです」

 ヘリシャが上目遣いで、下から覗き込んでくる。卑怯なアングルだ。女の子が取るその姿勢は、この世で最も破壊力の高いものだと、僕は個人的に思っている。

「結局ヒイラギさんは、どの拠会に入るんですか?」

 無邪気に問いかけてきた。執拗にこちらの動向を気にする少女だった。
 当初の疑問へと立ち戻り、僕も再度考える。だが、やはり考えは変わらない。

「……そうだな。一旦帰ってから考えるよ」

 視線を逸らし、虚実半々の言葉を口にする。ヘリシャの言に従えば、おそらく僕はいつでもどこでも受け入れてもらえるだろう。ますます、焦って選ぶ必要がなくなった。加えて、先も言ったが自由に決める権利があるかどうかすら分からないのだ。迂闊な行動は慎むべきである。もっとも、度が過ぎた慎重さは、却って身を滅ぼすだろうが。過ぎたるは猶及ばざるが如し。用法用量をお守りのうえ、正しくご利用ください。
 視線を戻す。ヘリシャは難しい顔をしている。戻る前に、僕も彼女に一つ訊いておく。

「そういえば、君こそいったいどうするつもりなんだ? もう決めてるのか?」
「いいえ、全然ですっ」

 首を横に振る。だと思った。話の流れから察せないほど、僕も鈍いつもりはない。要するに、ヘリシャは知り合い、つまりは僕らと同じところに入会したいのだろう。大方、知人がいれば、安心できる等の理由で。気弱そうに思えた第一印象とは裏腹に、意外と人懐っこい娘だ。いや、気弱だからこそなのか? 正直、懐かれる理由もよく分からない。なんとなく、彼女が仔犬に見えてきた。
 ヘリシャが期待するように僕を見上げた。期待されても困る。困るのだが。
 少し離れたところで、くるりとヘリシャに背を向ける。未だ惚けているハルの頬を突く。

「ハル。おい、ハル。ちょっと」
「ひゃっ、い、っきなりなんですかっ」

 声量を下げて言い合う。現実へ戻ってきたハルの視線を、親指を用いヘリシャへと導いた。

「おまえ、彼女のことをどう思う?」
「『怪奇! カボチャに齧られた哀れな小娘!』なのです」
「いや服装のことじゃなくて。というか、即答してそれか」

 あとドキュメンタリー風に感嘆符をつけるな。ハルのいらえに文句をつける。今度は考えるそぶりを見せた。

「……ちっこいのです」
「ハルが言えた筋じゃないと思うよ」
「黙れ、このあんぽんたん!」
「急に怒らないで」

 やにわに吠えたハルを、どうどうと宥める。僕は首を回し、肩越しにヘリシャを見た。不思議げな表情で、こちらを見返してきた。曖昧に笑いかけ、首を前に戻す。
 埒が明かないので、僕は単刀直入に訊ねることにした。

「ハルは、彼女と仲良くやれそうか?」

 刹那、場を沈黙が支配する。答えはすぐにはなかった。ハルは迷いを抱いていた。怖れと不安と好奇心。それから、ほんの少しの期待がない交ぜになっている。

「分から、ないのです」

 ハルが素直な声で返してきた。耳朶を打つ声色は、本物の感情を湛えていた。それで十分だった。ハルの頭を優しく叩く。上出来だ、と僕は笑う。
 振り返る。ヘリシャは僕らの密談に気を悪くするでもなく、ただただ首を傾げていた。首筋に触れながら、僕は告げる。

「あー、今度一緒に、拠会を見て回らないか? ヘリシャさえよかったら、だけど」

 空白、僅かののち、ヘリシャの顔はぱっと華やいだ。胸の前で両手を合わせ、陽だまりのように暖かな笑顔になる。後ろではち切れんばかりに揺れる犬の尻尾を、僕は幻視した。

「はいっ。喜んで!」

 僕の妄想など知る由もなく、ヘリシャは殊更に明るく、承諾の言葉を口にした。
「ハルさんも、よろしくお願いしますー」と続けるヘリシャを視界に収めつつ、僕はこれからの予定を頭の中で思い描いた。





 人と人の合間をすり抜ける。校舎を通り、玄関へ。ごった返す人波に辟易しつつも、ようよう校舎の出入り口へと辿り着く。短期間に何度も移動したため、僕は若干気疲れしていた。ヘリシャも同じようで、やや疲れたように細い息を吐いた。色っぽくはなかった。
 さりげなく歩幅の間隔を狭め、速度を落とす。あからさまにやるのは、よくない。

「ふわぁ、あ、ありがとうございます」

 即座に気づかれた。こういう時は、気づかないふりをして欲しい。贅沢な望みだろうか。

「あ。ヒイラギさんヒイラギさん」
「うん?」

 言葉とともに、ジャケットの裾を引っ張られる。

「あのあのっ、ヒイラギさんたちは、どちらにお住まいでしょうか?」
「んん? ナ・イ・ショ」
「ひっ……!?」「気色悪っ!」

 愛嬌を振り撒いたところ、あんまりな反応が返ってきた。ハルの罵倒はもとより、ヘリシャの引きつけのような悲鳴が、僕の心をこのうえなく的確に抉った。ふざけんな、酷すぎる。僕は思いきり肩を落とした。
 ヘリシャが慌てたように両の拳を固めた。肘を曲げ、ガッツポーズらしき姿勢を取る。

「だっ、大丈夫です!」
「その前置きがすでに大丈夫じゃないな……」

 これ以上悲しい思いをしないで済むように、彼女の言葉を遮っておく。心のディフェンス。気を遣ったのか、それから先はフォローも言及もしてこなかった。秘密を守れた、ということでよしとしよう。欺瞞で自分を慰める。
 門への道の、中頃に差し掛かった時のことだった。不意に、前方からさざめきのような声が上がった。波打つような音の奔流に、僕らと周囲の人物は戸惑うように顔を見合わせた。
 人垣が割れた。一人の男が、悠然と歩いてくる。黒髪に緑の外套を羽織った、見たところ僕と変わらない歳の男だ。凛々しく精悍な顔つきをしている。身体の造りも、僕とは対極の男らしい造形だ。腰の後ろに、剣を二振り提げている。学院生だろうか。
 男は真っ直ぐに歩く。彼の進路にいる人はみな、自ら道を譲っていた。
 近くにまで、男が寄ってきていた。僕も他の者に倣い道を開ける。すれ違う。
 その瞬間、音が消えた。視界から色素がなくなった。現実感が、纏めて死んだ。唐突に吐き気を催す。必死で耐えた。呼吸が荒くなる。冷や汗と脂汗が、全身から流れ出る。折れそうになる膝を、どうにか支える。いや、違う。僕はヘリシャに支えられていた。ヘリシャが心配げな表情でなにかを言っている。聞こえない。なんだこれは。自問するが、なにも分からない。
 異常を来たした僕を顧みることもなく、男が無感動に通り抜けていく。むしろありがたい。
 男が離れていく。途端に、身体が正常な機能を取り戻す。音が戻る。色が戻る。現実感が蘇る。急速に汗が引き、吐き気も消えた。代わりに、頭が鈍い疼痛を訴えてくる。
 時間にして、十秒にも満たなかっただろう。しかし僕には、今の苦痛が何時間にも感ぜられた。この世のありとあらゆる辛苦を味わったかのように、筆舌に尽くしがたい疲労感に身を包まれていた。

「ヒイラギさん! ヒイラギさんっ!」

 声が聞こえる。泣き出しそうな顔で、ヘリシャが僕に呼びかけていた。安心させるために、僕は平気だ、と答えた。自力で立って証明すると、彼女は安堵の溜息を漏らした。

「どうかしたんですか? やっぱり、どこか具合が?」
「い、や。そうじゃない、と思う」

 変調の理由は、僕にもいまいち分からない。
 違和感に気づく。
 ハルがなにも言ってこない。常ならば真っ先になにかを言うであろう彼女が、僕の不調に際し沈黙していた。些細なことでも、すぐ僕に話しかけてくる彼女が、だ。有り得ない。自惚れるわけではないが、こういう時、ハルは絶対に僕の身を案じる。
 横目でハルの様子を窺う。彼女は僕を見ていなかった。視線は、遠ざかる男の背へと向けられていた。正確には、腰に提げられた一対の剣へと向いていた。
 ハルの名を呼ぶ寸前、気になる文字列が耳に飛び込んできた。曰く――

「……勇者?」

 我知らず、その言葉を口にしていた。勇者。学院という場所に相応しい称号とは、とてもじゃないが思えない。もっとも、戦闘学部なるものがあること自体、十分におかしいと思うが。
 僕の声に合わせたように、男が立ち止まった。聞こえていたのだろうか。仮にそうだとしたら、半端ではない聴力だ。とはいえ、わざわざ立ち止まる理由は、生憎考えつかない。
 ゆるりと、男が振り返る。彼の瞳はなぜか、一直線に僕を見据えていた。
 視線が絡まった。男が持つ漆黒の瞳に、僕の姿が映っている。嘔吐感がまた、喉まで迫り上がってきた。


 そして、気がつけば、僕は勇者に斬りかかっていた。


 膝を撓め、跳ぶ。一足で人波を飛び越す。開いた距離、およそ三十メートルを埋める超跳躍。
 空中で、僕は手を翳す。波動。うねり。掌中に硬い感触が生まれる。戦斧と化したハルを、空隙から一気に引き抜く。捻じれた半月形の斧頭が、不気味に笑む。僕は笑わない。
 意識を集中。小六角形の連なりに装甲された斧頭に、大気にたゆたう術法構成基盤・小妖精を収斂させる。瞑い光が集う。昼を侵す輝きが、刃を中心に広がっていく。
 準備は完了した。あとはこれを、叩き込むだけだ。
 旋転、急落。太陽を背に、真昼に堕する彗星と化すっ!

「ッオォォオオッ!」

 迸る絶叫とともに、戦斧を振り下ろす。繰り出した渾身の一撃は、狙い過たず勇者の首筋を捉える。はずだった。
 轟音。抜き放たれた剣の片割れと戦斧が激突し、凄まじい衝撃が生じる。明滅。高密度の小妖精同士による衝突で、空間が爆ぜる。烈風が吹き荒れると同時、優位から仕掛けたはずの僕が、後方へと弾き飛ばされていた。驚愕するが、呆けている暇はない。
 通路上の学生を巻き込みつつ、後ろへと流れていく。地面を転がりながら、戦斧を突き立て急制動をかける。回転から立ち上がり、即座に突進。石床を蹴り砕き、持てる最高速度で駆け抜ける。突如として開かれた戦端に、そこら中から怒号や悲鳴が上がっている。混沌が渦巻く。この場では戦闘慣れしていない学生が数多くいるようだ。いや、在学生が新入生を庇っているのか。一部を除き、蜘蛛の子を散らすように学生たちが逃げ惑う。どこか冷静な部分で観察している自分がいた。
 勇者がもう片方の剣を抜き放つ。青銀と赤銀の雌雄剣。いや、あの形状は鉈か。
 思考は一瞬、勇者の間合い外から戦斧を横薙ぎに叩きつける。全力の斬撃はしかし、左手の鉈で止められる。再び腕に負荷がかかる。知るか。力の方向を転換し、穂先を勇者へと突き出す。刃が滑り、火花が散った。勇者は屈んで避けると同時、低姿勢のまま前進し回転。こちらの足へ向けて蹴りを放つ。骨を砕く威力の足払いを、一歩退いてやり過ごす。一瞬遅れて、戦斧を引き戻す。
 間隙を縫うように、勇者がさらなる一歩を踏みだした。咄嗟に突き立てた長柄に、二条の斬光が炸裂する。斬撃の余波が地面を裂断した。衝撃に仰け反り、僅かに後退った僕へ、再び追撃が振るわれる。
 右切り下げの一閃。先と同様、柄で防ぐ。左上へ抜ける一閃。防御姿勢に移行する、直前に三つ目の閃光が奔る。一撃目を切り返してきやがった。跳ね上がった刃を喰らうより先に、飛び退いて回避する。頬を浅く切り裂かれた。追い縋るように、瞬間的に距離を詰められる。僕も大概ふざけた身体性能だが、奴も奴で人並み外れている。舌打ちしつつ、続けざまに閃いた剣戟を、巨大な斧頭を盾にして受ける。耳をつんざく不快音。盾にした刃が自分の胸に激突する。身体が宙へ浮かぶ。勢いに逆らわず、僕は吹き飛ばされるに身を任せた。
 空中で戦術法〈黎障〉を展開。虚空に黒い平面を投射し、横向きに着地する。畳んだ膝を伸ばし、勇者の直上を目掛けて飛翔。軌道修正を行い、再び上空からの強襲を敢行する。落下から刺突を放つも、横移動で易々と躱された。破砕音。着地の瞬間にかえし撃たれた撃剣が、嵐となって視界を埋め尽くす。
 三振りの刃が、間断なく風を切る。金属同士が激突し合い、幾度となく火花を散らす。速い。僕は至る箇所に裂傷を負っていたが、勇者は未だ無傷だ。奴の速度についていけない。そもそもこちらの得物は重量武器だ。手数では端から勝負にならない。だからといって、腕力でさえも勝負になるか怪しいものだ。口の中に苦いものが生じる。負けられるものか。
 呼気を鋭く吐き出し、戦斧を上段に振りかぶる。勇者は下段に鉈を構えた。互いの刃に、小妖精が集約していく。そして、続く動作はまったくの同瞬に行われた。
 僕が戦斧を斬り下ろし、
 勇者が双剣を振り上げる。
 戦斧の一撃が、交差した鉈に受け止められた。
 鳴動。接触の瞬間、僕らの中心で暴風が吹き荒ぶ。苛烈な震動に耐え抜き、僕は柄に乗せる体重を加え続ける。歪な鍔迫り合い。僕と勇者は硬直する。
 至近で睨み合う。また、視線が重なった。極大の不快感が、背筋を這い上がってくる。砕くような強さで奥歯を噛みしめ、怖気を飲み下す。額から、汗が伝い落ちてくる。

「おまえは……っ」

 自然と、僕の口からは声ならぬ声が発せられていた。
 おまえはいったい、なんなんだ?
 心の中でのみ問う。はっきりと言葉にすることは、なぜか憚られた。

「……貴様は」

 錆びた鋼の声が聞こえた。似たような言葉を、勇者も吐いていた。しかし、言葉の意味するところは、僕のものとは決定的に違っている。勇者の瞳には、理解と納得の色があった。
 そして、次の瞬間。勇者の身体から、憤怒の気配が立ち込めた。比喩ではない。奴の意思に呼応し小妖精が収束、その攻撃性を可視化させている。
 ギチ、と噛み合う刃が摩擦音を鳴らす。拮抗状態が、徐々に崩れていく。押し負ける。理が、勇者に傾きつつあった。

「なるほど、な。貴様が……!」

 妄執。
 幻聴か、実聴か。判断はつかないが、一つ言葉が脳裏に浮かんだ。その時。

『ヒイラギッ!』

 手許から焦燥の声が飛んできた。ハルだ。今の今まで沈んでいた彼女の意思が、間欠泉のごとく湧き出てくるのを感じ取った。
 危険。簡素にして最も分かりやすい、明確な危機意識が伝わってくる。勇者の不吉な気配に、僕の脳内でも警鐘が鳴り響いていた。本能と、そしてハルがもたらした感覚に衝き動かされ、勇者から距離を取る。よりも早く、勇者が厳かに囁いた。

「ノティイ――」

 右手に握られた赤鉈が輝く。鉈の刀身に真紅の火が生まれる。それは蛇のように這いずり、螺旋を描き、戦斧との接触面に絡まった。
 炎上。真紅の蛇は燃え移った途端、一気に火勢を増し、戦斧を持つ腕へと到達。瞬間、怒涛のごとく雪崩れ込み、僕の右腕を焼き焦がした。服を燃やし肉を灼き、なおも火焔は際限なく燃え盛る。身体の芯まで激痛が走り抜ける。熱波のせいで、呼吸がままならない。
 苦痛に呻く暇はなかった。次は左手、携えられた青鉈が翻る。肉が爛れる厭な臭いに顔を歪めながら、僕はなんとか後ろへ下がった。中てられてしまえば、深手は避けられない。
 だが、尽力も虚しく、鉈は戦斧を掠めた。火に焙られているというのに、猛烈な悪寒。勇者が、再び呟く。

「――ミュー」

 青い光とともに、極寒の冷気が発生。生み出された凍気が瞬く間に斧頭を伝い、またしても僕の右腕へと疾った。
 腕が氷に覆われる。のみならず、形を変え、文字通りの牙を突き立てた。容赦なく、血が噴出する。噴出した液体は瞬間沸騰し、蒸発。赤い滓が固形化して地面に落ちた。

「グ、ガァッ!?」

 今度こそ、僕は苦鳴を零した。熱と冷気、刃のような二種の痛撃が、僕の心身を蹂躙する。
 驚愕すべきことに、炎と氷が同時に身を苛んでいる。火は鎮まらず、氷もまた溶けることなく存在し続けている。凍てつく、炎。ぼやけた思考が、意味のない言葉を紡ぐ。
 胸板に衝撃。気づいた時には宙を舞っていた。蹴り飛ばされたのだということを理解した頃には、受身も取れず無様に石床を転がっていた。
 新たな痛みのおかげで目が覚めた。この程度なら、まだ平気だ。右腕に小妖精を束ね、勇者の術法に抵抗する。完全とまでは行かないが、大部分の術法構成を破壊することに成功。火勢が弱まり、氷塊が剥がれ落ちた。まずなによりも先に、酸素を求めて喘ぐ。
 右腕を見る。肌も白いジャケットも、併せて赤黒く染まっている。肉が爛れ、ズタズタに切り裂かれていた。認識した途端、狂おしいまでの痛痒に襲われる。僕は惨状から目を背ける。治癒は可能だが、しばらくは使い物にならないだろう。痛みのあまり込み上げる涙を、唇を噛んで堪える。流れ出た一筋の血が、顎を伝い地面に堕ちる。さらに呼吸が荒くなる。
 辺りを見回せば、ほとんどの人間が消え失せていた。もっともこの場合、残っている人間が酔狂なのだろうが。ヘリシャの姿が見えないことに、僕は安堵する。手前勝手な話だ。
 喧嘩吹っ掛けといて言うのも難だが、こいつは洒落になってない。いや、そもそもなぜ僕は喧嘩なんて売ったんだ? 確かに得も言われぬ嫌悪感はあったが、斬りかかるほどなのか?
 今更ながらの疑念が、胸を通り抜ける。どうやらやはり、僕はまだ混乱していたらしい。勇者から目を離すなど、愚行でしかないというのに。

『ヒイラギッ! 前っ!』

 悲鳴染みたハルの声に、僕は弾かれたように勇者へと目を向ける。
 絶句した。驚駭に値する光景が二つ、僕の眼前に広がっていた。
 一つは、勇者が掲げる赤鉈に、夥しい数の小妖精が纏わりついているさま。あれをぶち込まれたら肉片も残らないだろう。そう予感させるほどの威力を孕んだ、大出力。見ただけで心が折れそうだ。
 だがそれよりも絶望的な景色は、もう一つの方だ。いないと思っていたヘリシャが、こちらに背を向けて立っていた。目の前で精一杯手を広げ、僕たちを守るかのように。

「ヘリっ……おい、おまえ、なにをして、」
「こ、これ以上っ!」

 呼びかけが遮られる。震える声を張り上げて、多分決死の表情で、ヘリシャは言い放つ。

「これ以上、ヒイラギさんとハルさんを、苛めないでください!」

 ヘリシャの言葉に、その場にいた誰もがぽかんと口を開けた。見当外れな物言いに、僕の目は点になる。なにを言ってるんだ、この娘。ハルはともかく、なぜ僕を庇う。
 わけも分からず、有無を言わさず斬りかかったのは僕だ。反撃を受けてのたうち回っているのは、僕の自業自得以外の何物でもない。よくよく考えてみれば、今の僕は最高級に恰好悪い。番長に喧嘩を売って返り討ちにされた、情けない三下端役そのものだ。それを庇護しようなど、彼女の思考回路はいったいどうなっているのか。脳味噌プリンか。
 では、その彼女に庇われている僕はなんだ。大馬鹿か。もしくは馬鹿未満の屑か。どちらにしても、どうにかヘリシャを下がらせなければ。でなければ、僕は問答無用で最低野郎になり下がる。今でさえ言い訳が不能だというのに。臥せていた身を、苦心して起き上がらせる。
 勇者が不可解かつ不愉快げに表情を歪めた。吐き捨てる。

「知ったことか。邪魔立てするつもりなら、纏めて死ね」

 真正面から殺気を中てられ、ヘリシャの身体がますます強張る。それでもまだ矢面に立てる根性は、大したものだ。僕は前に出て、彼女を背に庇う。痛む右腕はダラリとぶら下げた。ついでに言っておく。

「……おまえ、実は勇者じゃなくて魔王とかそこらへんだろ」

 興が削がれて帰るくらいはしてみせろ。呆れてぼやくも、聞く耳持たずだ。当たり前か。
 僕としては「今日はこのくらいにしておいてやる」と言いたくて仕方がないのだが、そうは問屋が卸さない。赤光が一瞬ごとに輝きを深めていく。太陽のごとき眩い光が、刃を取り巻き爆ぜている。刀身には、先刻まではなかった幾何学模様が浮かんでいた。

「紋章術法か」

 一度だけ見たことがある。あの昂りは、『盟約者』が有する手札の一枚、必殺技とでも称するべき戦術法だ。無論、紋章術法は攻撃だけではないから、必殺という表現は一つの側面を言い表しているに過ぎないが、とにかくあれは必殺の戦術法だ。
 つまり奴は『盟約者』であるらしい。最初から武装状態だったため、判別できなかった。となると、先程呟いていたのは妖精の名か。道理で強いはずだ。分が悪い。
 大気が轟き、風が哭き叫ぶ。気流が乱れて、空気が灼ける。こんな場所で、あんなものをぶっ放すつもりか。どいつもこいつも正気じゃない。
 せめて、始めた僕が責任を以て始末をつけなければならない。僕は天高くハルを掲げた。

『……ヒイラギ。断っておきますが、あれをやるのは許さないのです』

 険しい声が耳に入る。

『そんな消耗した状態で、下手を打たせるわけには行かないのです』
「分かってるよ」

 言いつつ、〈黎障〉を多重発動。螺旋階段状に足場を作り、天頂まで駆け上がる。最上に到達した時点で、足場の一枚を除き、すべての術法板を削除した。なにをする気なのかと、学生たちがざわめいた。
 高所から勇者を見下ろす。思惑通り、彼は僕のことだけを見ていた。別段気に留めないだけで、自ら進んで他人を巻き添えにするつもりはないようだ。
 とりあえず、空に撃たせれば被害が出ることもないだろう。幸い、学舎は勇者の背後にある。傷つける恐れはない。もっとも、今更心配したところで、手遅れな気もするが。
 さて、と思考を切り替える。勇者の攻撃に対し、選択肢は二つある。
 受けるか、躱すかだ。
 刹那の迷いもなく、僕は選んだ。ハルを構える。

「悪い。付き合ってくれ、ハル」
『しょーもない奴なのです。それも致し方ないことではありますが』

 いつも通りの声が聞こえた。
 戦術法〈護枢掩盤〉を構築。小妖精を集め、勇者の術法に対抗可能な密度にまで高めていく。
 選んだのは、防御の途。仕掛けておいて逃げるなど、僕の中では礼を失した行いだ。もちろん凌げるかどうかは分からない。仮に凌いだところで、次手を打たれれば敗北は必至だ。
 だが、なぜか負ける/死ぬことはないという、確信めいた奇妙な感覚があった。それがいたく気に障った。頭を振り、邪魔な考えを追い払う。

「ハル、頼む」
『ふん。今更なんですか。どんと来い、なのです。ヒイラギ』
「……恩に切るよ、本当」

 蒼穹に、ハルを翳す。切っ先に黒い煌きが集束する。紡ぎ続けていた〈護枢掩盤〉が発動可能状態へ移行。奴の紋章術法発動時に併せて展開し、威力を減殺あるいは相殺する。あとは野となれ山となれ。
 大雑把に計画を立て、勇者を睨みつける。

「あれ?」
『む?』

 ハルと揃って間抜けな声を上げる。勇者がなぜか術法を解除していた。
 勇者の動向に警戒しつつも、僕も術法を解除する。小妖精が霧散した。光が拡散するさまを見届けたあと、僕は地面に飛び降りた。ハルを少女の形態に戻し、肩に置く。
 勇者は赤鉈と何事かを言い合っていた。術法を止めたのは彼の意思ではなく、妖精の意思によるもののようだ。確か、赤い方はノティイと呼ばれていたか。

「おーい」

 話しかける。勇者が舌打ちをして、刃を二振りとも鞘に納めた。射抜くような眼で、僕を見据える。

「どうした。俺を屠るには、絶好の機会だったはずだが?」
「……まあ、そうなんだけど」

 いつの間にか、滾るような戦意が丸ごと消え失せていた。我ながら、毒気を抜かれた、とでも表現すべき豹変ぶりだった。ただ、襲撃したことへの罪悪感も、まったくと言っていいほどない。わけが分からなかった。右手で髪の毛を掻き毟る。激痛が走った。大怪我を負っていることを失念していた。涙目になる。
 馬鹿を見るような目つきで僕を一瞥したのち、勇者が背を向けた。僕は慌てて制止の声を投げかける。

「おい、あんた。ちょっと」
「付き合いきれん。次会った時は必ず殺す。覚えておけ」

 遮るように言い捨てると、勇者はそのまま歩き去っていった。行き先は校舎だろう。止める言葉も思いつかず、僕はただ見送ることしかできなかった。突発的に始まった闘争は、突発的に幕を下ろした。
 止め処なく、次々と疑問が溢れてくる。いったいなんなんだ。今日何度目かの言葉を脳内で零し、思考を打ちきる。今考えるべきことはもっと違うことだ。溜息をつく。
 さて、と後ろを振り返る。痛々しい破壊の跡と、呆気に取られた学生たちの顔とが並んでいた。どうしたものか。最初に吹き飛ばされた時、思いきり学生たちにぶつかったが、無事なのだろうか。顔を覚えていないうえ、姿も見えないようだから確認のしようがない。というか、どう事情を説明すべきなのか。僕から言えることなど、「ムシャクシャしてやった。今は反省している」程度しかないのだが。
 ふとした拍子に、右腕が痛みを訴えかけてくる。視線を遣る。ハルの恩恵で傷口は塞がれ始めているが、早く治療した方がよさそうだ。どこか他人事のように考える。なんにせよ、潮時だろう。怪我をさせてしまった人がいるなら、あとで探して謝罪しよう。
 お騒がせしました、とお茶を濁そうとしたところで、前方で立ち尽くしているヘリシャと目が合った。気まずさに目を逸らす。ここは距離を置いた方がいい。初日から騒ぎを起こした僕の知人だと認識されてしまえば、彼女の学院生活に支障を来たす恐れがある。僕を庇った程度のことなら、これからまだ挽回できるはずだ。ゆえに、彼女には声を掛けないことにした。
 ハルに詫びつつ、再び口を開く。卑屈な愛想笑いを浮かべた、まさにその瞬間のことだった。

「……なにをしているのかしら、この馬鹿弟子は」

 背後から、女性の声が聞こえた。聞き覚えのある響きに、嫌な汗が滝のように流れ出る。
 ドアが軋むような音とともに、僕はゆっくりと振り返る。

「……げ」
「うげぇ」

 僕とハルが、同じような音を発した。そこにいたのは、長い白金髪をお嬢様結びにした、見目麗しい女性だった。
 髪を掻き上げ、彼女は言う。

「どちらも失礼な反応よね。蹴っていいかしら」
「勘弁してください、シラミナさん」
「駄目に決まってるのです、アホ女」
「そ」

 間髪を入れずに拳骨を落とされた。ハルはデコピンをされていた。痛い。

「勘弁してくださいって言ったのに……」
「なんのための確認だったのですか……」

 それぞれ頭と額を押さえる僕らに、彼女はあからさまな呆れの眼差しを寄越してきた。

「蹴りが嫌なら殴るだけよ。騒ぎを聞いて来てみたら、まったくあなたたちは……」

 公衆の面前で、長い説教が始まった。神妙に拝聴しつつ、僕は心の中で嘆息した。
 シラミナ。それが彼女の名前であり、僕の暫定保護者の名前であり、そして、説明もなく僕らをここへ送り込んだ女性の名前であった。


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