「帰還命令ですと?」
キルシュの王都ルシェロ。
戦とエレオスの出現により残骸だらけとなった街だが、まだ幾つか原形を留めている建物もあり、そのうちの一つを赤剣騎士団は仮の宿としていた。
その中でもエレオスとの戦いにより重傷を負い絶対安静を言い渡されていたコンラートだったが、見舞いついでに告げられた言葉に驚きの声をあげた。
「ああ。良くも悪くも戦局は一気に動いた。敵が本腰を入れる前に部隊の再編成をと言った所だろう」
「陛下はリカムとローランドを相手に二面戦争を覚悟してこちらに戦力を集中していたはず。恐らくは我々は西の国境にあるリーメスの攻略に回されるのでは」
「なるほど」
ゾフィーの言葉に続いて言うコルネリウスにコンラートは納得する。
ローランド王国は滅びた。
厳密にはローランドの首都が完全に死者の都と化したのだが、国の中枢を落とされ王も死んだとなれば滅んだも同然だろう。
その用心深さ故に権力を中枢へと集めていた策謀王の政策が裏目に出た形だ。
幸いというべきか王位継承権を持つシドニー王女はピザンに保護されたが、彼女自身に自ら国を奪還するような力はない。今のローランドに彼女を担ぎ上げるような気概のある人物も残っていないだろう。
あるいはピザンが彼女を利用してローランドを再興するかもしれないが、それも戦後の話となるだろう。
今のピザンにそこまでの余裕はない。
「イクサが本腰を上げ、しかも竜まで戦線に投入してきたとあっては兄上が焦るのも無理はない。そなたとリア。そして己自身。ピザンの最高戦力とも言える存在をどこに配置すべきか、頭を悩ませていることだろうな」
「……西側から一気に攻め上がるとお考えですか?」
「恐らくは。折角魔法ギルドが協力を申し出てきたのだ。地理的にもそちらの方が理にかなっている。もっとも東側を手薄にするわけにもいかぬ故、グスタフはこちらに残されるだろうな。キルシュの王都解放という功績をあげたのだ。しばらくは休んでいても文句は言われまい」
「でしょうな」
何せあれほどグスタフへの苛立ちを露わにしていたゾフィーが言うのだ。
夏戦争でのグスタフの禊は終わったと言えるだろう。
それに二十七将たちに混じって竜に挑んで見せたのだ。
将としてだけでなく、一人の兵(つわもの)としてもグスタフは大いに名を上げたと言っていい。
「しかしローランドを放置するわけにもいきますまい。アンデッドは放っておくと増えますぞ」
「そちらは女神教会が何とかするだろう。餅は餅屋。死者には坊主だ。修道派の教皇なのだから迅速に動いてくれることだろう」
「確かに」
突然の女神教会の教皇の交代の情報は瞬く間に大陸全土を駆け抜けたが、前教皇をはじめとした教区派の不正を暴いたとあって、概ね好意的に受け止められている。
さらにイクサだけでなく彼を擁するリカム帝国そのものを異端と認定し、魔法ギルドとの同盟を願い出たのも女神教会側だというのだから驚きだ。
新教皇と彼を支持する者たちは、神官らしからぬ頭の柔らかさらしい。
あるいは毒にも薬にもならないプライドよりも実を取ったのだろうか。
「……このことだったか」
以前クロエが言っていた「近々女神教会に大きな変化がある」というのは、新教皇の台頭のことだったのだろう。
クロエ自身は関わっていないような言い様だったが、事前に知っていたということは新教皇の派閥から信頼され情報を渡されていた可能性もある。
どちらにせよ、魔法ギルドと女神教会の板挟みになっていた彼にとっては良い変化であるに違いない。
「ともあれ団長であるそなたがその有様では動くに動けん。国に戻ったところでしばらくは休養を申し付けられるだろうから、素直に休んでおくことだな」
「その言葉そのままお返しします」
ゾフィーの言葉にコンラートは苦笑しながらそう返す。
元々この姫様は長旅ができるような状態ではないのだ。クロエの治癒によって少しはマシになったとはいえ、そのクロエに出会ったこと自体が偶然のこと。
必要性があったが故の無茶とはいえ、しばらくは大人しくしていてもらいたいのが本音だ。
「どっちもどっちなので素直に休んでください」
しばらくは「そなたが」「いえゾフィー様が」と言い合っていた二人だったが、呆れたようなコルネリウスにぴしゃりと言われて揃って情けない顔を晒してしまう。
どうやらこの副官も上司二人の扱いに慣れてきたようだ。
そう思うとおかしくなり、同じことを思ったらしいゾフィーと二人で笑ってしまったのだが、当のコルネリウスは突然笑い出した二人にさらに呆れを深くするのだった。
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「よう。久しぶりだな坊主」
「お久しぶりです。元気そうで何よりです」
ほぼ同じ時刻。同じ建物にて。
怪我をしたから休ませてくれと赤剣騎士団の下へ押しかけて来たロッドと、それを聞いて呆れていたクロエが顔を合わせていた。
しかしクロエの反応に、ロッドは枕をクッション代わりに上半身を起こしながら「おや?」と感心する。
二年前なら坊主などとあからさまに年少扱いすれば即座に文句が飛んでいたのだが、随分と余裕ができたらしい。
我慢している様子はない。本当にこの程度の軽口は流せるようになったのだろう。
そう思うと兄弟弟子の成長に嬉しく思うやら寂しいやら、中々複雑な思いをロッドは抱く。
「相変わらず好き勝手やってますね。隠密を廃業したわけではないのでしょう」
「そうは言うが俺が加勢しないとヤバかっただろうありゃ。白騎士二人はともかく他の連中は言っちゃ悪いが居ないよりマシ程度だ」
「それはそうですが」
分かっている。分かっているからこそ文句も言いづらいのだ。
決め手がレインの魔術だった以上ロッドが居なくても何とかなっただろうが、時間を稼いでいる内に確実に何人かは犠牲になっていただろう。
それほどまでにこの男の怪力による制圧力は高い。
「それにおまえはおまえでそれこそ隠密みたいな真似してるらしいじゃねえか。ローランドのお姫様に名指しで呼び出されたって?」
「何で知ってるんですか」
「ああ、たまたま聞こえてきてな」
そうとぼけて言うロッドだが間違いなく嘘だろう。
部外者が居ると分かり切ってる場でそんなことを漏らすほど、赤剣騎士団の面々は間抜けではない。
別に赤剣騎士団を探りに来たわけではないのだろうが、それでも情報を集めているあたり、腐っても隠密と言ったところだろうか。
「ジェローム陛下にお会いしたことがあるんですよ。イクサとの戦いで助力を下さることも約束していました。だというのに戻って来たらリカムに寝返ってるものだから騙されたのかと思いましたが、アレで中々義理堅いお人だったということでしょう」
「おまえあの策謀王とよく対等に話せたな」
「師と面識があったそうですよ」
「なんだと?」
思わぬ言葉にロッドが珍しく余裕のない声を出す。
しかしそれも一瞬で、恥ずかしいところを見られたとばかりに頭をかくと、目で続きを促す。
「十七年前。キルシュ防衛線に参戦するか悩んでいたロラン王子を焚きつけたのがベルベッドだったそうです。ロッドさんという兵器を育てていたのといい、余程キルシュを落とされたくなかったんでしょうね」
「誰が兵器だ。誰が」
そう文句を言うロッドだが、実際ベルベッドが彼を弟子にしたのはそのためだったことは察している。
ミーメやクロエとは違い、ロッドはキルシュ防衛線以降はベルベッドと顔すら合わせていないのだ。
用済みとなったと考えるのが妥当だろう。
「あのおっさんも今はどこで何やってんだか」
「少なくとも身動きは取れないのでしょうね。動けるなら間違いなく回収していたであろうモノを見つけましたし」
「なるほど。それがおっさんがキルシュに拘った理由か」
「ええ。私や姉さんの守っていたものと同じでした」
「……」
クロエの言葉を聞いて、ロッドの目の色が変わる。
枕に預けていた上体を起こし、真剣な目でクロエを見る。
「坊主。俺はジレントについてんのはフローラへの義理があったからだ。だがそれだってとっくの昔に返したと思ってる。俺の力が必要なら言え。どうせ故郷と呼べる場所もない根無し草だ。世界を敵に回しても戦ってやる」
「そんな大それた真似をする予定はありませんよ。でも覚えてはおきます」
そう言うと、クロエは礼をするように頭を下げた。