その光景を、王都ルシェロに居た人々は救助の手も逃げる足も止めて見上げていた。
王都の西方向から飛来した白い極光。それが九頭竜の頭の一つを飲み込んだ瞬間、凍り付くのと砕けて落ちるのは同時だった。
「――!?」
それでも極光はなおも止まらず、九頭竜の頭を次々と飲み込んでいく。
最初に極光にさらされた三つの頭は即座に凍り付き動かなくなり、その首によって直撃を免れた幾つかの頭も、極光の飛来する方向へと向き直ろうとして凍りかけの首を無理に動かしたせいで表面が砕けて折れた。
全てを停止し零へと至る冷気の奔流。
これほどの冷気を操れる人間など、レインを除いては師であるミーメ・クラインをおいて他に居ないであろう。
私は姉に劣っていない。
私は姉とは違う。
私は私だ。
私を見てよ。
そんな少女が抱き続けたコンプレックスとそれに負けない意地と矜持の結晶は、確かに彼女が一流という言葉では足りない魔術師であることを証明した。
「ああ。知ってたよレイン。でも謝らなきゃいけないかもしれない。正直ここまでやるとは思ってなかった」
その光景を結界越しに見たクロエは、知らずそう呟いていた。
二年前の時点で、レインはマスタークラスではなかった。ただ年の割には優秀な、それだけの少女だったのだ。
コンプレックスの固まりなレインと、憎まれ口が減らないクロエは喧嘩ばかりしていた。
そんな関係でありながらもレインがクロエに固執したのは、憎まれ口すら言う相手が居なかったからだ。
それほどまでに彼女は孤独だった。
だから|自分は救われた(・・・・・・・)のだと今なら分かる。
なんてことはない。孤独なのはクロエも同じこと。ただ孤独を辛いと思うような可愛げのある性格ではなかっただけ。
そんなクロエに友人という温もりを与えたのがレインと、不本意ながらカイザーだったのだろう。
それはもしかすれば傷の舐めあいのような関係だったかもしれない。
だが二年の別離が結果的にその関係性を変え、相手を信じながらも依存しない強さを育ませた。
ああおまえは強い。素敵だ。最高だ。
友として誇りに思う。
「だから……ここからは私たちの仕事だ」
極光が消え、静寂に包まれる王都。
そこには砕けた竜の頭が七体。完全に凍り付き動かないものが一体。
「……仕留めそこなったか」
そしてその表面の大部分を氷漬けにしながらも、なお健在なものが一体居た。
仕留めそこなったとローシは言ったが、むしろ成果は上々だ。
クロエは竜の頭は半分は残るとみていた。その予想をレインは軽々と上回ったのだ。
だからこそ、彼女に謝ると共にその成果を称えなければならない。
「何。一本くらいなら何とかなるだろう」
「だな! あのときも結局トドメをさしたのはおまえさんだからな」
クロエ以外の人間に落胆が広がる中、そう言って前に出たのはコンラートとロッドだ。
そのなんと頼もしいことか。
ただ武威を誇るだけでなく、その姿で人々を鼓舞する。正に英雄の背中だ。
「はあ。まあ確かにさっきまでよりはマシさね」
「ふん。元よりそのつもりだ」
その背を追うように、リアとグスタフが両の手に剣を持ち進み出る。
「さて。ここからが正念場だが、どうするエミリオ?」
「当然付き合うさ。何ならトドメをいただけないかとすら思っているよ」
そしてそれに続き、エミリオとローシも歩み出す。
それらを見送りながら、クロエは折れそうになる膝に喝を入れる。
実を言えば疲労困憊だ。ずっと防御魔術を維持し続けている上に、先ほどの結界魔術は掛け値なしの全力を尽くした。
だがここで弱音を吐くことはできない。
だってそんなの格好悪いじゃないか。
「レインの意地っ張りを見習うとしようか」
そう呟いて、クロエは残りの魔力を総動員して全員を守護へと回す。
戦況は一気に有利になった。
何せ相手は首一本だ。しかも手足などないものだから攻撃手段は限定される。
数の優位がなくなった以上、決して勝てない相手ではない。
「そら、こっちへきな!」
リアがわざとらしく竜の頭の前に立ちはだかり挑発する。
当然竜は激昂しリアへと襲いかかるが、即座にリアは退避し大口を開けた頭だけが取り残される。
「ハハッ。予想通りの反応だ。あまり大口を開けるものじゃあないと親に教わらなかったかい? 馬鹿に見えるよ」
そしてそんな竜の前に出てきたのはエミリオだ。
手にした弓からは既に矢が放たれており、吸い込まれるように竜の口へと飛んでいく。
「――爆ぜよ」
そして発動した風の刃の爆弾に、竜は口内を切り刻まれ首をのけぞらせた。
どうやら舌はそれほどの強度はなかったらしく、口から滝のような血と共に肉片が零れ落ちる。
「今だ!」
「承知!」
そしてそこに同時に襲いかかるのはグスタフとローシだ。
両側面から飛びかかった二人は剣を腰だめに構え、体当たりするように竜の目へと突き立てる。
「――!!」
「ぐぅ!?」
「がっ!?」
そしてそれは弾かれることなく竜の目を潰したが、すぐさま二人は暴れまわる竜に跳ね飛ばされた。
両の目は潰した。だというのに竜はなお苦悶の声をあげ、暴れまわり、激昂して得物を探し回る。
「大人しくしやがれ!」
そんな竜を、頭上からロッドが戦斧で殴りつけた。
その威力たるや、今までの比ではない。体重そのものを乗せた一撃は竜の頭蓋の表面を砕き、殴り飛ばされた竜は地面へと叩きつけられる。
「――おおおおっ!」
そして地面へと縫い付けられた竜へと落下していくのは、斧槍を構えたコンラートだ。
先ほどのロッドと同じように、自身の体重と剛力全てを乗せて、斧槍を竜の頭へと突き立てる。
「――!!」
「グッ!」
先端部分が完全に竜の頭蓋を突き破り、竜が悲鳴をあげてのたうちまわる。
その頭上で、コンラートは片手でなんとか斧槍にしがみついたまま、腰から聖剣を抜き放つ。
その聖剣は竜の鱗すら切り裂く。
今まで使わなかったのは、竜の体があまりに大きすぎてそもそも刃先が竜の急所へと届かなかったからだ。
魔槍が聖剣に劣らぬ逸品である故に、コンラートは切れ味よりも竜を殴り倒して牽制する制圧力を優先した。
だが今は違う。残る竜の首はただ一本で、万が一仕損じても挽回が効く。
遠慮なしに聖剣を叩きつけてやるチャンスだ。
「――終わりだ」
そして逆手に持った聖剣を、コンラートは深々と竜の頭へ振り下ろした。