時は少し遡る。
コンラートたちが竜の下へと集うその少し前。策謀王と召喚士の戦いは、その僅かな時間で決していた。
「チッ。こういう結果か」
舌打ちをするのは黒の召喚士。その背中からは血に濡れた剣の切っ先が突き出ている。
足止めのはずであった一騎打ちは呆気なく終わった。
一瞬で間合いを詰められたアーストはそのまま腕を斬り払われ、そしてあっけなく胸を貫かれたのだ。
そもそも彼は召喚魔術に特化した魔術師である。
近接戦闘の心得はあれど、その技は修練を重ねた達人の業に届くものではない。
ジェロームをただ策を弄するだけの謀将と侮り、魔術の発動すら許されない近距離に身を晒した油断が招いた結果であった。
「ああ確かに弛んでた。慢心が過ぎるとおまえは笑うか。だが――」
しかし致命的な傷を負いながらも、なおアーストは嘲るように笑っている。
「――強者にはその慢心が許される」
その宣言を証明するように、ジェロームの頭がぐちゃりと潰れた。
「……」
アーストへともたれかかるように剣を突き立てるジェローム。その背に抱きつくように、黒い体躯を持つ巨人が寄り添っていた。
そしてその巨人は顔そのものよりも大きいのではないのかという大口で、むしゃむしゃとジェロームを頭から咀嚼している。
「流石だよ策謀王。アンタは何一つ間違っていなかった。ご丁寧に魔剣まで準備して。普通の魔術師相手なら間違いなくアンタは勝っていただろうよ」
そう言いながら、アーストはジェロームの遺体を巨人に押し付けるように離し、自らの胸を貫く剣の柄に手をかける。
「そう。どこまでも普通だったのがアンタの敗因だ」
そう言って、アーストは剣を無造作に引き抜いた。
剣先から血が滴り落ちるが、その大元であるはずのアーストの傷口はゴムのように圧縮されて閉じ、そしてすぐに傷口そのものがなくなってしまう。
「チッ。とはいえ魔剣の一撃だ。中まで治すには時間がかかるか」
いかにその身が人ならざるものへと変貌していたとしても、人と同じ機構を持つ以上心臓の機能の低下は体全体へと影響する。
ただがわだけを似せた人形ではないのだ。
「ああ分かってる。あいつと遊んでる時間も余裕もない」
だからアーストは、この場に弟が来るであろうことを予期しながら撤退を選択した。
一度は敗れた相手だ。万全の状態でなければ戦うべきではない。
何より二人の戦いは、より相応しい舞台で、ドラマティックであるべきだ。
そうでなければ己があまりにも滑稽ではないか。
「どうせ最後にはぶつかり合うしかないんだ。光に裏切られた英雄と、闇に反逆した化け物と。歪み捩れた俺たちの行きつく先なんて破滅しかないだろう?」
そうこの場に居ない弟へ向けて呟くと、アーストはジェロームの体を食べ終えた巨人を消し、逃げたシドニーを追い始めた。
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英雄たちと竜の戦いは続く。
コンラートやロッドの剛力無双が竜の首を次々と殴り飛ばし、その他のものたちも鱗の剥げた弱い部分を狙い攻撃を叩き込み続ける。
たまらないのは竜の方だ。
例えその傷の一つ一つは人間にとって爪の先程の僅かなものだったとしても、それが全身を次々と襲うのであれば脅威だろう。
故に竜の首は眼前をちょろちょろする虫たちを排除しようと荒れ狂い、他の首のことを考えないものだからぶつかり合うものすら出始めていた。
「うおっ!?」
「ロッド殿!?」
そんな首の暴走に巻き込まれ、ロッドが弾き飛ばされ宙を舞う。
「くっそ! 大丈夫だ! しかしやっこさんお怒りだぞ。こりゃチャンスか?」
「どこが! この有様でその台詞。嵐の最中に水路の様子を見に行く爺かいアンタは!」
リアの指摘通り、他のことなど知るかとばかりに暴れまわる竜の首は、その動きが予測できない分先ほどまでよりも厄介であった。
しかも荒れ狂う竜の首は九本あるのだ。それらがブレスを吐きながらのたうち回りぶつかり回っているのだから、その中心部は嵐さながらの荒れ模様だ。
当初こそ少し余裕があったものの、今では全員三度以上は首にはね飛ばされている。
いくら致命傷にはならないと言っても、蓄積されるダメージは馬鹿にならない。
「まあ僕は最初からあまり近づいてないけどね」
「そうだな。そろそろ他の連中から『あいつは何をしに来たんだ?』と思われているぞ」
暢気にブレスを避けながら言うエミリオに、ローシが呆れたように言葉を返す。
実際のところ、この場で竜にまともなダメージを与えられているのはコンラートとロッドくらいのものだが、エミリオは弓という武器の特性上竜から距離を取っている。
未だ一度も攻撃を受けていないと言えば聞こえはいいが、逆に言えば囮の役割すら果たしていない。
最も彼は王族。しかも今となってはキルシュのヴィータ王家最後の生き残りだ。
役立たずどころか今すぐケツをまくって逃げても誰も文句は言わないだろう。
「ああそれは居心地が悪いな。仕方ない。森の魔女殿に叩き込まれたとっておきだったのだけれど、格好つけるつもりで機を逃せばそれこそ格好がつかない」
そう言いながらエミリオは少なくなった矢を弓につがえると――
「――風の聖霊よ。古の契約の下我が声に応えよ」
――一つしか残っていない目を見開きその呪文を口にした。
「――我が一矢は風刃を宿す。侃侃(かんかん)と貫きたまえ!」
詠唱の完了と共に放たれた矢は、一見すればただ何の変哲もない矢でしかなかった。
しかしその矢が不意にグンと強風にあおられたかのようにその軌道を変え、吸い込まれるように竜の首に刻まれた傷口へと吸い込まれていく。
「――爆ぜよ」
そして矢が着弾(・・)すると同時、火薬が破裂したような爆音が鳴り響き、矢の命中した竜の首の周囲が見えない刃で切り刻まれ、肉がズタズタに引き裂かれる。
「――!?」
矢を受けた竜が、それまでの比ではない咆哮を、悲鳴をあげる。
痛みに耐えかねたように首を打ち付け回り、その度に切り刻まれた肉の一部が地面へと落ちていく。
「うん。やはり致命傷にはならなかったけど、嫌がらせ程度にはなったかな」
「……」
やりきったとばかりに笑顔で言うエミリオに、そばにいたローシは何も言えず沈黙した。
「うわあ。えぐいね。人間がくらったらミンチになるんじゃないかい?」
「……あまり想像したくないな」
思いがけないエミリオの一撃の威力に、コンラートとリアも感心するよりも先に恐れを抱いた。
矢を媒介とした魔術。恐らくは付与魔術(エンチャント)の類だろう。
クロエはエンチャントをただ杖の強度を上げるためだけに使用していたが、今エミリオがやったように武器に魔力をこめ炸裂させるものも存在する。
最も身体強化と似たようなもので、肉体労働は苦手な魔術師の中には使い手が少ない魔術なのだが。
「……」
「おっと! どうされたロッド殿?」
先ほどよりもさらに激しさを増した竜の攻撃を避けながら、急にロッドが黙り込んだのに気付きコンラートが問う。
「……いや。何でもねえ。おら、どんどん行くぞ!」
しかし様子がおかしかったのは一瞬で、そう答えるころにはロッドは戦斧を構えて手近な竜の首へと殴りかかっていた。
不審に思ったものの、コンラート自身もそれほど余裕があるわけでもなく、すぐさま戦いへと集中する。
「……! レインの準備ができました! 皆さん離れてください!」
「来たか!」
クロエの言葉を聞き、一斉に竜から離れクロエのもとへと退避する。
それを追うように首を伸ばす竜だが、根元がすぐさまには付いて来ず、鎖に繋がれた犬のようにバラバラに蠢く。
しかしそれまで別々の意思で動いていた首たちが突然一つの生物としての本分を思い出したかのように、一斉に口をあけ喉の奥からギュルギュルと渦を巻くような音を立て始めた。
「九本同時ブレス!?」
「防げるか坊主!?」
「――――女神よ、我が主よ、私は貴方を頼り訴えます」
焦る周囲をよそに、全員が逃れたことを確認するとクロエは祈りの言葉を紡ぎ始める。
「――敵が私を囲み、仇が私を罵り、悪が私を攻めようとも」
「詠唱なげえぞ馬鹿!?」
「ああ、もう黙ってな馬鹿!」
淡々と口を動かすクロエに焦れたロッドが叫び、その頭をうるさいとばかりにリアがはたく。
「……この呪文は」
コンラートにはその祈りの言葉に聞き覚えがあった。
かつてジレントへと向かう道すがら、遺跡の中でデニスと対峙したときに使われたものだ。
あのときはデニスの大魔術に押され、綻びを許しコンラートの片手が消し炭となる結果となった。
では今回はどうか。
相手は神話の時代の怪物である竜のブレス。しかも九体分だ。
その火力はデニスの大魔術の比ではない。
「――私は恐れずただ願います、貴方が私の魂に触れ、私をお助けくださることを」
だがあれから二年経った。
あの頃より背が伸び、剣の腕もあげたクロエ。だが上がったのはそれだけではない。
元より人並み外れていた結界魔術。その成長は今も止まることなく続いている。
「――女神よ、誠実にして潔白である貴方の僕をお守りください」
竜の炎が解放される寸前。クロエの祈りが届き光の壁が周囲を覆い聖域を形成する。
それとほぼ同時に九つの竜の口から炎が解き放たれ、光の壁とぶつかりあい周囲を膨大な熱量が包み込んだ。