「ッ……。一体何が?」
突然体中を襲った衝撃に、シドニーは顔をしかめながら立ち上がった。
「……え?」
そして気付いた。己の背後。王宮があったはずの丘が消失し、立ち上がる白煙の中で何かが蠢いているのを。
「あれ……は?」
「エレオス。かつてローランの守護として崇められ、そしてローランドに封じられたもの」
「伯父様?」
思わず漏れた疑問に答えたのはジェロームであった。
崩れた内壁の縁に足をかけ、忌々し気に白煙の向こうに居るものを睨みつけている。
「アレがこのような場所に居るということは、イクサは裏切ったということか」
「その通り」
独り言のように漏れた声に答える者がある。
見れば黒衣を纏った青年が、弾け飛んできた大岩の上にくつろぐように腰掛けていた。
その髪は墨を吸ったように黒く、肌もこの大陸では見慣れない黒さだ。
「お初にお目にかかる策謀王。プレゼントは気に言ってくれたかな」
そして喜色に染まるその瞳すら、夜の闇に染まったように漆黒だった。
「クロエ……ではないな。あやつも捻くれてはいたが、そのように顔に歪みが表れるほど性格は悪くない。とすれば貴様がアーストとやらか」
「おや。知っていたか。しかし裏切ったと言われるのは流石のイクサも心外だろう」
そういってくくと笑うアーストの顔は、クロエと瓜二つでありながら明確な別人のそれであった。
そう。それはむしろ人の不幸を嘲笑うネクロマンサーのような。
「クロエと、女神教会と通じていたのだろう。自国可愛さにリカムに付いたのかと思えば、その裏で寝首をかく準備を進めていたと」
「ふん。キルシュに用があったのでな。利用させてもらっただけのこと」
「なるほど。憎きキルシュを滅ぼしつつ、リカムの裏をかくつもりだったと。しかしそれでは戦後にピザンともめるとは思わなかったのかねえ」
「その時は私の首で収めるつもりであったわ。しかしローランドが滅びたとなれば、それも不要となったか」
「……え?」
ジェロームが何を言っているのか、シドニーは咄嗟に理解できなかった。
キルシュを滅ぼしながらピザンと和解するために己の首を差し出す。
何故それほどキルシュを憎むのか。何故そう簡単に己の首を差し出せるのかなどとても納得いくものではないが、考え方としては分からないでもない。
しかしその後。
ローランドが滅びたとはどういう意味なのか。
「おや? 後継者にローランドの秘密を教えてなかったのか策謀王」
「知る必要もあるまい。どうせそれを実際に確認するころには国は滅んでいるのだ」
「……」
アーストと対峙し振り向こうともしないジェローム。
しかし会話の端々を拾っただけで、シドニーは分かってしまった。元よりエレオスの伝説は聞いたことがある。
――曰く、ローラン王国を守護した聖なる龍。
その龍がローラン王国を引き継いだ形になるローランド王国でどのように扱われているのか、シドニーは聞いたことがなかった。
しかしジェロームは先ほどエレオスはローランドに封じられたと言っていた。
つまり――。
「……アレはローランドが滅びた時に現れる?」
「おお正解だ。中々頭が回るお嬢さんじゃないか策謀王」
そう言って顔を歪めて笑うアースト。しかしシドニーは自らの出した答えを口にしながらも、頭の芯で理解することができないでいた。
ローランドが滅びたという悪夢のような答えを。
「大方私の不在をついて侵攻したのだろう。いや。これほど短時間となると、イクサ自身が動いたか」
「ああ。今やローランド王都は死者の都だ。アンタも色々女神教会と通じて対策はしていたようだが、あんな三下どもではアンデッドはともかくイクサ自身には歯も立たなかったよ」
「ハッ。これだから人外どもは。こちらの策を力技で台無しにしてくれる」
そう漏らしながらも、ジェロームの声は心折れたもののそれではなかった。
「シドニー。これを持ってピザンへ亡命せよ」
「お、伯父様?」
そう言ってジェロームが差し出したのは、奇妙に歪んだ形状をした短剣のような何かだった。
思わず受け取ってしまったが、その金属とも陶器ともとれない不思議な手触りに戸惑う。
「王宮を探してもないと思えば、やはりアンタが回収していたか」
「無論。何のために私が自ら手を下したと思っている」
「つまり放っておいても勝手に滅びるキルシュに直接引導を渡したのは、ただ憎いだけでなく俺たちに先んじるためだったと。冷徹なのか感情的なのか分からん人だなアンタ」
「ふん。覚えておけ小僧。そういう矛盾をはらんだ存在を人間というのだ。行けシドニー」
「で、でも伯父様!?」
剣を抜き放ちながらかけられたジェロームの言葉を、しかしシドニーは素直に聞き入れることができなかった。
目の前の黒い男は何かおかしい。見た目はとても強者になど見えないが、纏う空気が人のそれではない。
ジェロームを置いていけばどうなるか、考えずとも分かってしまう。
「行けと言っている。これは命令だ」
「ッ!?」
しかしそれでも、シドニーはジェロームの不器用な命令(願い)に従った。
渡された短剣を胸に抱き、そこかしこに散らばった瓦礫をかき分け走り出す。
「それで? アンタが俺の足止めを?」
「ふん。嘗められたものだ」
できると思っているのか。そう見下した笑みを浮かべて言うアーストに、ジェロームは不敵な笑みを浮かべて相対する。
「私とて二十七将に数えられた男だ。来い。戦場ではついぞ振るう機会のなかった私の剣を見せてやる」
そう宣言すると、ジェロームは跳躍し巨石の上に佇むアーストへと躍りかかった。
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その光景に、ピザンキルシュ連合軍の兵は我が目を疑った。
王宮を目前にしてグスタフの命令で足踏みを余儀なくされた兵たちを襲ったのは、雷を思わせる轟音と弾け飛ぶように四散した丘の残骸であった。
家屋よりも大きいそれらは砲弾のように城内町へと降り注ぎ、幾人もの兵がその下敷きとなり絶命していた。
それでも運よく生き延びた者たちが見たのは、丘ごと吹き飛んだ王宮のあった場所に立ち上る白煙。
「な、なんだアレ!?」
一体何事かとその様子を見守る者たち。そんな彼らの前に白煙を引き裂いて身を晒したのは、巨大な蛇の頭であった。
しかし一見すれば蛇のような頭蓋をもつその生物の口には、鮫を思わせる鋭い歯が剣山のように並び生えていた。
加えてその身を覆う赤茶けた鱗。宝石を思わせる光沢を持つその美しい鱗は鋼鉄よりも固く、その身はそこにあった王宮を一回りするのではないかと思えるほどに長大であった。
「何だアレ!? あんなのありか!?」
「何本あるんだよあれ!?」
ドラゴン。神と並び得る力を持つとされる世界の支配種族。
さらに兵たちを驚かせたのは、胴体と思われる根元から伸びた首が幾重にも別れ、その先にそれぞれ頭が付いていたことだお。
その数九。
それは一匹だけでも人の手に余る竜が九匹居るも同然であった。
「ん? ……待てよ。まさか……」
九つの竜の首の一つが、城内町を見下ろして口を大きく開く。
何をするつもりなのか。そんなの決まっているだろう。
竜が口を開けたのだから、それは食うか吐くかのどちらかに決まっている。
「ま――」
瞬間竜の口から噴出する業火。
頭上から降り注ぎ、地面へと至り舐める様に地を這うその赤い死に、瞬く間に百を越える兵たちが飲み込まれた。
「ブレス! よりによって火竜かよ!」
「うわあ。凄いなあ」
「いや、何でお前はそんな呑気してんだよ!?」
誰もが慌てふためき逃げ場を探しているというのに、感心したように竜を見上げるカールにルドルフが声をあげる。
「いや。確かに今すぐ逃げ出したいんですけど、まあ何とかなりそうな気がするので」
「ああ!? 何とかなりそうって誰がどうやって……」
ルドルフの文句は、いつの間にか自分たちに背を向けて悠然と歩いている男によって止められた。
「……団長?」
コンラート。
自分たちの長が斧槍を手に竜の方へ歩みだす。
「コルネリウス。瓦礫に埋まっている連中を救助しながら撤退しろ。幸いアレはあの場から動けないようだ。ブレスにさえ気をつければどうにかなるだろう」
「……団長はどうなさるおつもりですか?」
「俺は……そうさな。無謀だと分かっているのだがな。どうにもやらなければいけないような気がするのだ」
そう言って笑うコンラートの顔に気負いはなかった。
それを見て、コルネリウスもまた大きく息を吐き、迷いと恐れを振り捨てる。
「……了解。後ろはお任せください。ご武運を」
「応。では行ってくる」
コルネリウスの言葉を受け、コンラートは軽快に駆けだした。
恐怖はある。だがそれはかつてジレントで雷竜と向かい合った時のそれと比べれば随分と軽いものだった。
頭が九つ。なるほどならば同士討ちでもさせてやるか。
そんな風に考えてしまう程度には、その脅威を対処可能な存在として認識していた。
果たしてそれは単なる慢心であったのか、それともコンラートの力が竜などものともしない領域へと至っていたのか。
後者はありえないだろう。あの大口で噛み砕かれ、業火のブレスで焼かれれば、いかなコンラートと言えど絶命は免れない。
「だがまあしかし。何とかなるだろう」
だというのに、コンラートは本当にそんな不確かな希望で走り出していたのだ。
まるで誰かが。己の中に居る者が大丈夫だと言っているような気がして。
そうしてコンラートは丘の残骸を乗り越え、王宮を囲っていた内壁を潜り抜け、九頭竜へと対峙する。
「これは……でかいな」
見上げた竜のその巨大さは、ジレント共和国で戦った雷竜と遜色ないほどだった。
しかし今回は首が九つ。単純にあの時の九倍の相手をするに等しい。
「確かになあ。しかしおまえさんも相変わらず肝が据わってんな」
さて単騎でどう相手をするべきか。
そう考えていたコンラートの隣に、いつの間にか一人の大男が並び立っていた。
「……ロッド殿? 何故此処に?」
「よう。まあ何故かと言われれば隠れて仕事の最中だったんだけどな。おまえさんだけじゃ荷が重かろうと出てきたわけだ」
「なるほど」
隠密だという彼のことだ。この戦の影で何やら暗躍でもしていたのだろう。
ならば姿を晒して大丈夫なのかとも思うが、彼はそういう細かいことは気にしないだろう。まことにもって隠密らしくない隠密だ。
「しっかし首が九本もあるとは厄介だな。まあ一人あたり二本も潰せば釣りが来るだろう」
「二本?」
「馬鹿言うんじゃないよ」
それではとても足りないと言おうとしたコンラートだったが、それを遮るように女のよく通る声が響く。
「アンタらみたいな馬鹿力と違って、こっちはせいぜい陽動が関の山だよ」
「確かに。そもそもあれに心臓の類はあるのか?」
両手に剣を手にリアが颯爽と瓦礫を乗り越えて現れ、それに遅れてグスタフが姿を見せる。
「だがまあ注意を引けばそれだけこちらの勝率は上がるんじゃないかい?」
「アレの注意を引こうなどと思える時点で、おまえも中々大物だな」
さらにこちらへと向かってくるのは、エミリオとローシだ。
世間話でもするような調子でやって来て、丘に根付いた九頭竜を見上げている。
「まったく。何でこんなに命知らずが集まって来るんですか」
呆れたような声で言いながら、また一人死地へとやってくる。
「クロエ殿」
「今レインがツェツィーリエさんの手も借りて、このでかぶつにも通用するような大魔術の準備を進めています。倒せはせずとも瀕死程度には追い込めるでしょう」
「なるほど。では我々はそれまで時間を稼げばいいわけだな」
「そういう……動かないでください」
納得するローシの言葉をクロエが肯定している最中に、事情など知ったことかとばかりに竜の頭の一つが炎のブレスを吐き出す。
かつてデニスが見せた炎の魔術が小火に思える程の業火の奔流が真っすぐにコンラートたち目がけて疾走する。
「――女神よ」
しかしそんな炎を、クロエは呪文詠唱を破棄した簡易障壁だけで防いで見せた。
聖剣を持った右手を翳せば、淡い光の壁が顕現し炎の突進を受け止める。
「これくらいのブレスなら私の防御魔術で防げます。私はブレスへの対処を優先するので、それ以外は各自自分で何とかしてください」
「適当だな」
「何。十分だろう。こちらには神の祝福(ブレス)があるということだ」
敵の攻撃の一つを防げるというだけでも、大いに助けになるに違いない。
加えて稀代の魔術師が後ろに控えているのだ。
ただ時間まで生き延びればいいなど、何と気楽なことだろうか。
「どこがだ。一飲みにされればひとたまりもないぞ」
「ならせいぜい逃げなよ。それを首の一本でも追っかけてくれるなら、そんだけ他が楽になるさ」
総指揮官だというのに参戦するつもりらしいグスタフに、今更戻れと言う気もないのかリアがにやけながら発破をかける。
「エミリオ。おまえは逃げた方がいいのではないか。立場的に」
「いやいや。こんなおいしい状況で逃げるわけないじゃないか。立場的に」
一方此方もやる気満々のヴィータ王家最後の生き残り。
きっと己の主も怪我と呪いがなければ嬉々として参戦していたのだろうなと、コンラートは半ば呆れながら思う。
「さーて。じゃあ竜退治といこうじゃねえか英雄(大馬鹿)ども!」
『応!』
魔術の一種だろうか、どこからともなく取り出した戦斧を構えたロッドが咆える。
それを合図にして、英雄たちと竜の神話の時代を再現する戦いが始まった。