「ピザンの連中出てきませんね」
「そりゃそうだ。頭抱えて震えながら隠れてんだろ」
動きを見せなくなったピザン王国軍と相対するローランドの兵たちであったが、その姿に気負いはなくむしろ気楽さすら感じられた。
城壁を突破されたときは誰もが驚き戸惑ったが、こうして王の策が決まれば圧倒的に優位な立場はそのままだ。
ほぼ一方的に敵を狩れるこの状況で油断するなという方が難しいだろう。
「貴様ら弛みすぎだ! 戦場では何が起こるか分からんのだぞ!」
しかしそんな状況でも兵を叱咤するのが指揮官というものだ。
しかしろくに指揮もこなせない小隊長の言葉に、兵たちはうんざりと言った顔を向けている。
「確かに城壁吹っ飛ばされたのは驚きましたけど、あんな魔術日に何度も使えるもんじゃないでしょ」
「そうそう。敵さんも一度撤退するみたいだし、小休止じゃないですか」
「フンっ。これだから庶民は」
そう言ってやれやれとため息をつく小隊長の姿は、中々にイラッとくるものであった。
「いいか! 常識を捨てろ! 戦場では不測の事態が起きても即座に対処できるように……」
「……え?」
「……え?」
そのまま説教を垂れ流し始めた小隊長であったが、それまで不貞腐れたような顔をしていた部下たちの顔色が変わったのを見て何事かと己の背後を振り返る。
「――ガハッ!?」
しかし何が起こったのか確認することもできないまま、小隊長は地面に叩きつけられ意識を失った。
その姿を見てズルいと思う部下たち。何せこの絶望的な状況を知ることもなく逃げ出すことができたのだから。
「ふむ。別に踏みつけるつもりはなかったのだが、運が悪かったな」
倒れ伏した小隊長を足蹴にしたまま呟いたのは、老木を思わせるようなひょろりと背の高い男だった。
しかし鎧の隙間から覗く体躯を見ただけで、多くの者がその手足から繰り出される一撃が凡庸なものであるはずがないと悟っただろう。
「さて。結果的に単騎駆けになってしまったのだから、一応やっておこうか」
そう言いながら男は背負っていた斧槍を構えると、大きく息を吸い込んだ。
「我こそは赤剣騎士団団長コンラート・フォン・シュティルフリート=ローデンヴァルト! 手柄を欲する者はこの首を取りに来い!」
先ほどの大魔術もかくやという勢いで大地を震わせる咆哮に、ローランド兵たちは揃って悲鳴をあげた。
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「見ろシドニー。馬鹿だ。馬鹿が居る」
戦場で起きていることの一部始終を見ていたジェロームは、建物の上を斧槍を振り回しながら疾走する騎士を指さしておかしそうに言った。
「あれは……何ですか? 人間が四階ほどの高さまで飛んできましたよ?」
「飛んできたように見えたのなら飛んできたのだろうよ。片足がひっかかる程度の足場でもあれば、飛んでくるだろうああいう連中は」
唖然とするシドニーに、ジェロームは何を言っているのだと常識のように非常識を語る。
彼とてリーメス二十七将に数えられた人間だ。例え自分自身にあれほどの身体能力はなくとも、戦場にはああいう人外がごろごろ居るものだとよく知っている。
「あのひょろ長さは巨人コンラートだな。相変わらずの馬鹿力よ」
「一人増えましたけど」
「あの女は死蝶のリアか。おお、白騎士二人が揃うとは。これは相手も本気だな」
「のんきに言っている場合ですか」
突如屋上へと躍り出たコンラートとリアは、それぞれ別方向に駆けていきピザン王国軍を牽制していた弓兵たちを蹴散らしてく。
そして弓兵の攻撃がなくなったとなれば、下に残っていた兵たちも次々と出て来て進軍を再開するのは必然だ。
一度は膠着した戦線が、徐々に押され始めている。
「よく見ておくがいいシドニー。戦場にはどういうわけかああいう馬鹿が絶対に現れる。そしてその馬鹿っぷりでこちらが入念に仕込んだ策をご破算にしてくれるのだ」
「魔術師並みに理不尽ですね」
「そして我が弟にしておまえの父であるロランもリーメス二十七将の中でも一、二を争う馬鹿であった。おまえもきっと馬鹿の血をひいた馬鹿の仲間だから馬鹿の戦いっぷりを参考にしておけ」
「馬鹿馬鹿言いすぎです陛下」
理不尽に己が策を破られたというのに嬉しそうなジェロームに、シドニーはため息を漏らしながら言う。
そして己も馬鹿に違いないと言われ、そういえば思い当たる節もあると気付く。
ナイフとフォークより重いものを持ったことがないような育ちのシドニーだが、ふとした拍子に持ち上げたものがやけに軽いと思うことが多々ある。
そして今の自分には無理でも、少し鍛えれば己と同じ大きさの岩でも持ち上げられそうだという妙な確信があるのだ。
ジェロームの言う通り、少々道を踏み外せばシドニーもまた馬鹿の仲間入りとなる予感は十分にある。
「しかしどうするのですか? このままでは一気にこちらまで攻め込まれますよ」
「何。まだまだこれからよ」
シドニーの言葉にそう返すと、ジェロームはにやりと悪人の見本のような笑みを漏らした。
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「む?」
屋上の弓兵たちを一方的に追い立てていたコンラートだったが、不意に首筋がちりちりと焼けるような感覚を覚えて立ち止まる。
「……まずい!」
そして即座に身を伏せたのは、確信あってのことではなくほとんど勘に任せてのことであった。
瞬間コンラートが居た場所を高速で掠めていく何か。コンラートの動体視力でも辛うじて捉えられたそれは、黒い矢であった。
ただしそれは一般的な矢のそれではなく、その大きさを鑑みれば槍と言った方が正しいだろう。さしものコンラートであっても、正面から受けるのは分が悪い。
「……バリスタか」
槍矢の飛来した方角を見れば、さらに王宮に近い建物の屋上に弩砲が並び立つように設置されていた。
威力こそ破格だが、大型である故に取扱いに難があり固定する必要もある不便な武器だ。あのような位置に設置したところで、足元を狙うことなどできないだろう。
つまりジェロームは、弓兵を蹴散らすためにわざわざ屋上に登ってくる人間が居ることを予想していたということになる。
「流石というべきか」
一台や二台ならともかく、ああも大量に設置されては近づくこともままならない。
幸い弓兵の殆どは片付いている。ここで無理する必要もあるまいと、コンラートは素直に屋上から撤退した。
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城内町の戦いは一進一退が続いた。
策謀王が策を打てばコンラートやリアを初めとした将たちが食い破り、しかし食い破られた先には更なる策が待っている。
イタチごっこの様相を呈していた戦場ではあったが、それでも戦線は徐々に押しあがりピザン王国軍が王宮へと迫っていく。
順調だ。まことにもって順調だ。
だからこそ、総指揮官であるグスタフはこれまでにないほどに策謀王の一手を警戒していた。
「何かある。絶対に何かあるぞこれは」
もう少しで蒼槍騎士団と赤剣騎士団のどちらかが王宮へと達するだろう。
だが達した瞬間に全てが台無しになるという予感をグスタフはひしひしと感じていた。
「……一度進軍を止めろ」
「ええ。止めてどうするんですか。罠があるにしても踏み込む以外にどうしようもないでしょう」
「だからと言って無策で踏み込む馬鹿があるか」
副官の言葉に、グスタフはいつにも増して不機嫌そうな顔で応えた。
「ジレントの姫君に連絡を。罠があるなら罠ごと吹っ飛ばす」
「ああ、そのために温存してたんですね」
グスタフの言葉に納得すると、副官はすぐさま伝令を走らせる。
レインの得意とする氷や雷の魔術は城壁のような大物の破壊には向かないが、対人であればこの上ない効果を発揮する。
伏兵や罠の類があったとしても、人が居なくなればどうしようもない。
これで勝負は決する。グスタフはそう確信する。しかし。
「だが何だ。この悪寒は」
勝利を確信しながらも、なおグスタフは言い知れぬ恐怖に蝕まれていた。
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「そうだ。来るがいい。この王宮へ至った時にこそ貴様らの敗北が決する」
徐々に押されている戦況の中。ジェロームは未だ余裕を持って笑っていた。
それをシドニーは「ああ、また悪辣な罠をはっているのだな」と関心と呆れ半分で眺めている。
「ではそろそろ決着ですか?」
「いや。どうやらあちらもこのままでは埒があかぬと気付いたか。それとも単に怖気づいたか」
ピザン王国軍の進軍が止まったことに気付き、やはりそう綺麗に嵌まってはくれぬかとジェロームは笑う。
「どうするのですか?」
「何。退くというのなら追いはせん。まだやるというのならこちらも手札を尽くすだけよ」
――もっとも。このまま帰ってくれた方がありがたいのだが。
そう口に出さず思うジェローム。
「ああ。しかしそれではつまらないだろう?」
そんなジェロームの内心を見透かしたように、嘲弄めいた声が響いた。
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「団長! ローエンシュタイン公から進軍を一時停止するようにと伝令です!」
「なにぃ!? ここまで来て臆病風にでもふかれたのかあのぼっちゃん!」
幾度も策謀王の罠に阻まれながらもようやく城内町を抜けようという所で、その勢いを削ぐような命令をもたらした伝令にルドルフが不満を露わにする。
他の者たちも声にこそ出さないものの気持ちは似たようなものだろう。ここまで何とか来れたものの、度重なる敵の策により皆フラストレーションがたまっている。
ここで引き返せと言われても、はいそうですかと素直に頷くことはできないに違いない。
「……」
だがそんな空気の中で、コンラートはただ無言であたりを警戒していた。
確かに順調だ。これまでの経緯を考えれば順調というのは大いに語弊があるのだが、結果的に被害を最小限に抑えて敵の喉元に食らいつこうとしているのだから上出来だろう。
だがならばこの暗闇の中で獣に追い立てられたような焦燥感は何だ。
多くの者は何も感じていないのか、それとも戦意がそれを打ち消してしまっているのか。
このまま進んではならない。
いや、この場に留まることすら許されない。
一刻も早く尻尾を巻いて逃げるべきだと、己の中の何かが警告している。
「……? おい、何か聞こえないか?」
「はあ? そちゃ戦場なんだから色々聞こえるだろうよ」
「いやそうじゃなくて。何か軋むというか割れるというか」
兵たちの話す声に紛れてコンラートにもそれは聞こえた。
空がないている。災いの到来を告げるように大地が悲鳴をあげている。
「!? 全員伏せろ!」
「え?」
「団長? 何を言って……」
コンラートの警告に僅かに遅れて、空気が弾けた。
火山の噴火と地鳴りと嵐が同時に起きたような轟音が鳴り響き、王宮の鎮座する丘が鳴動する。
――さあ。立ち上がれ英雄。何。相手はただの神話の残照だ。おまえたちなら抗えると私は信じている。
その光景を誰が予想しただろうか。
魔物や幻獣の脅威が過去のものとされた、後に凪の時代と呼ばれる歴史の終わり。
いや、そんなものはとっくの昔に終わっていたのに、誰も気付かなかっただけなのかもしれない。
「イクサめ。とうとう我慢ができなくなったか」
崩れた王宮と丘を見上げて、ジェロームは忌々し気に呟く。
土煙の向こうでそれが唸り声をあげる。人の手には負えない怪物が目を覚ます。
ルシェロ王都の戦い。
後に同盟戦争と呼ばれる戦争の中でも節目となるこの戦いは、戦争とは別の側面を指して別の名で呼ばれることになる。
――九頭竜討伐戦と。