魔術師に限らずあらゆるものには属性というものが存在するとされる。
有名なものは地水火風の四属性であり、人間でもいずれか一つあるいは二つの属性を持っており、魔術師が扱う魔術もその属性に大きく影響されると言われる。
これは魔術師たちの使う精霊魔術が、それぞれの属性の精霊の力を借りるからである。そして稀にではあるが、自らの属性とは異なる精霊とも相性がいいという人間も居り、そういった人間は複数の属性の魔術を操ることもできる。
現代に生きる魔術師の中で有名なのは、魔女の異名を持つミーメ・クラインだろう。
彼女自身の属性は水なのだが、全ての属性の最高位の魔術を習得しているため、魔術師たちの間ではスペルマスターとも呼ばれている。
正式な魔法ギルドの党員ではない彼女がジレント国内において多くの羨望と尊敬を集めるのも、ただ学者として高名なだけではなく、その実力も他の追随を許さない高みにあるからだと言える。
そしてコンラートの従者であるツェツィーリエだが、彼女はマスタークラスの高みにある魔術師ではあるが、その属性は土の属性に限定され他の属性は火と風の初歩的なものが扱えるだけである。
これはさして珍しいことではなく、複数の属性を操ることのできる魔術師の方が数は少ないのだが、彼女本人にとっては中々複雑な問題であるらしい。
曰く、地味であると。
確かに火のような派手さや、風のような洗練されたイメージは土にはないだろう。
一番初歩的な魔術はそれぞれの属性のつぶてをぶつけるものなのだが、火や風の属性のつぶてならともかく、土のつぶてなど「それ石投げた方が早くないか?」と言われることも多い。
土という物質に依存した魔術である故に、どうにも強さや派手さをイメージされないのだと、酔った勢いでコンラートに愚痴っていたこともあるほどだ。
「だが物質に依存しているが故に、一番破壊力があるのも土属性だろう。ローエンシュタイン公もそのあたりを考えて、あの城壁をどうにかしてくれるだろうと期待しているようだが」
「……誰もがコンラート様やローエンシュタイン公のように道理を分かっていればよかったのですが」
そう言って遥か彼方にそびえ立つ王都の城壁を見つめて、長くため息をつくツェツィーリエ。
これほど気にするとは、過去に属性絡みで何があったのだろうか。もしかしてジレントでは、属性によっていじめが発生したりするのだろうか。
「いえ。ただ私が土属性と言うと、見た目通り地味だと言われることが多いので」
「なんと」
自嘲するように渇いた笑みを浮かべるツェツィーリエだが、まあそれもちょっと分かるとは口が裂けても言えなかった。
確かにツェツィーリエの容姿は派手なものではない。長い草色の髪を束ね、ふちの薄い眼鏡をかけた姿は理知的な印象があるが、華やかさとは確かに無縁だろう。
「だがそんなものは個人の価値観の問題だろう。そなたほどの器量よしならば、色事に気の多い軟派な者などより余程誠実な男が寄ってくるのではないか?」
「そうでしょうか?」
コンラートの言葉に疑いの色を乗せた声を返すツェツィーリエだが、その顔から影がひいたのを見れば機嫌はいくらかよくなったらしい。
実際赤剣騎士団の中では中々に彼女の人気は高いのだ。男所帯の中に例え派手さはなくとも見目麗しい女が居れば、人気が出ない方が嘘というものだ。
しかし団長であるコンラートの従者という立場や、普段の本人のそっけない態度のせいで、どうにも近づきがたいという印象を持たれているのも事実である。
準貴族とも言える魔法ギルドの党員であり、ヘルドルフ伯の義理の姉という立場も気軽に声をかけづらい原因かもしれない。
「それこそ玉の輿を狙えるのではないか? ピザンの貴族は情熱的な方が多いし、魔法ギルドの党員であるそなたならば周囲の反対も少ないだろう」
例えばグラナート伯などは、傭兵上がりの平民騎士であるリアに求婚したことで有名だ。
今ではそれなりに身綺麗になったとはいえ、あの女を捨てているとしか思えないリアのどこに惚れたのかは疑問が残るが、フラれてもフラれても挫けずに求婚を続ける姿に、周囲も盛り上がり何かの祭りのような騒ぎにまでなっていた。
もしリアの方にその気がなければ完全に嫌がらせになっていただろう。そういう意味では素直になれないリアの逃げ場を断ったグラナート伯の作戦勝ちとも言える。
「私は妹が結婚するまでは自分のことは後回しで構いませんので」
「……そうか」
これは間違いなく嫁ぎ遅れる人間の発言だと思ったが、さすがにそれを指摘することはできなかった。
そしてモニカが今の発言を聞けば姉であるツェツィーリエの結婚が先だと同じことを言うだろうなと、実際に聞いてもいないのに確信した。
「かと言ってお嬢様の結婚を早めるのもな」
そもそも自分の結婚をどうするか。
主従揃って何とも色気のない話だと思いながら、コンラートは問題を棚上げにして目前の戦に集中することにした。
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戦というものは、個人での戦いとは異なり完全な勝敗が決まることは少ない。
平野で軍勢同士がぶつかったとしても指揮官が討ち取られることは少なく、余程の兵力差がなければ相手を全滅させることも稀だろう。
攻城戦においても、城を完全に制圧する前に交渉で立ち退きを認めさせるということの方が多い。
勝利とは勝つことそのものではなく目的を達成すること。
そして今回のルシェロでの目的とは、ジェローム王の排除ではなく王都の奪還にある。
「そういう意味ではさっさと尻尾巻いて逃げてくれた方がありがたいのだけれど。戦いが長引いても兵が消耗するだけだ」
他の隊と合流しながら王都へと向かう道すがら、エミリオは何とも覇気のない様子でそう言ってのけた。
「いいのそんなので? 家族や兵士の敵討ちとか考えない普通?」
「不思議とあまり。裏切られたと分かったときもそうだけれど、僕はそういう激情とは無縁の人間らしくてね。我ながら人としてどうかと思うけれど、生き残れたのはこの冷静さのせいだろうから何とも言えないね」
呆れたようなレインの言葉にも肩をすくめて答える。その様子に、レインはどこかうすら寒い感覚を覚えた。
日頃の付き合いでそれなりに分かってはいたが、この王子様は個というものが薄い。他人はもちろん自分の命すらも、状況に利するか否かで考えている節がある。
まるで国という装置を円滑に回すための我欲のない歯車だ。
それは彼の元々の性質なのか、それとも二年間の大敗で色々と壊れてしまったのかは分からないが、信用はできても信頼はできない類の人間であるのは間違いない。
「アンタすっごい名君になりそうだわ。そんで幸福そうな国民に担がれて自分だけ不幸になるの」
「それは本望だ」
「でしょうね」
王としては間違いなく有能だが、人としては壊れている。しかも本人がそれを自覚しているのに治そうともしないし、そもそも必要がないと思っているから質が悪い。
「ああでも、ゾフィー王女と話した時は久々に胸が高鳴ったよ」
「恋……なわけないわよね。まあアンタとは真逆の王様よねあの子は」
エミリオが無欲に国に尽くす王ならば、ゾフィーは自らが先陣をきりその姿で民を導く王だ。
光と影。陰と陽。
どちらが優れているというわけではなく、その性質が面白いほどに異なっている。
「でもあの子はもう王にはなれないでしょ。残念だったわね。その治世が見れなくて」
「そうかな? 僕は不思議と彼女が王になると確信しているよ」
「どうやってよ。今のクラウディオ王は戦場には出てないし子供もいる。死ぬならゾフィー王女の方が早いでしょ」
「うん……例えば僕が死んで彼女がキルシュの王になるとか」
「ないわ。というか何の正統性もないでしょそれ」
ローランドの前身国であるローラン王国から分裂独立したピザンとキルシュではあるが、両王家に血縁関係はなくゾフィーにもキルシュのヴィータ王家の血など入ってはいない。
ローランドの簒奪を非難したピザンが、それを同じことをやるとも思えない。
「交渉の話を聞いた時も思ったんだけど、アンタもしかしてピザンにキルシュを明け渡したいの?」
「まさか。でもその方が民にはいいだろうね。キルシュは疲弊しすぎた。独力で立て直すよりは、ピザンに何もかもおんぶ抱っこになった方が色々と都合がいい」
つまりは自分が王になるよりも、ピザンに占領された方が国民のためだと言っているのだこの馬鹿王子は。
ピザン王家の面々とは逆ベクトルの馬鹿っぷりに、レインは頭が痛くなってくるのを感じた。
「アンタの国でしょうがアンタが立て直しなさい」
「ハハ。レインのそういう遠慮がないところ僕は好きだよ」
「私はアンタみたいなの相手にしてると凄い疲れるわ」
ジレントに居候しているピザンの王子様といい、何故こうも王家の人間というのは面倒くさい人種が多いのだろうか。
やはり政治に関わる人間とはどこか歪んでいくものなのだろうかと、レインはそういえば自分の姉も面倒くさい人だったと思い出す。
「ともあれ全ては国を取り戻してからだ。さて、ピザンの方はどんな風にあの策謀王を打ち破るつもりなのか。楽しみだね」
「アンタはもう少し当事者意識を持ちなさいよ」
客観的を通り越して他人事な様子のエミリオに、レインは大きくため息をついた。
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王都ルシェロの東の丘に建てられた王宮。その王宮の一室にて、ローランドの王ジェローム・ド・ローランは一人物思いにふけっていた。
目の前には玉座。だがジェロームは手の届く位置にあるそれを眺めるだけで、座るどころか触れようともしない。
所詮は他人の玉座。過去に簒奪されたそれを奪い返したなどという妄言も、この国へ攻め入るためにいいわけでしかない。
再びこの地に戻ってくるのにどれほどの時間を費やしただろうか。
キルシュ防衛戦で策謀王子と呼ばれた若き英雄も、今では王位を継承しふてぶてしい顔つきの男となった。
眉間に皺を寄せ不機嫌な様に見えるのも、この男の生きざまを表していると言ってもいいかもしれない。
「陛下」
不意にその背に声がかけられる。
ジェロームがそれに気づいて振り向けば、いつの間にこれほど近くに居たのかすぐそばに一人の少女が居た。
ピザンの王女とは真逆の、華奢で虫も殺せないようなたおやかな姫君だ。纏ったドレスも装飾こそ控えめなものの、戦場と化したこの地にはとても似つかわしいものではない。
「シドニーか。何故此処に居る? 昨夜の内に城を出るよう言ったはずだが」
「納得がいかなかったからです」
見た目からは想像もつかない気丈な目を向けてくる姪に、ジェロームは口元を歪めて笑う。
なるほど。流石はあの弟の娘だ。口で言っただけで従うようならば、最初から苦労などしなかった。
「今日にもピザンが攻めてくるというのに、何が納得いかんというのだ」
「陛下がこの地に残るということです。確かにこの城は高い丘の上にあり防備に優れていますが、いざ城壁が破られ包囲されれば逃げ道を失います。こんな異郷の地で、何故陛下が背水の陣を敷かねばならないのですか」
「……そこまで分かっていておまえが逃げなくてどうする」
ジェロームには子がいない。この用心深い男は、こんな歳になるまで女を愛するふりすらできなかった。もし子ができたとしても、我が子すら疑い、追い詰め、殺していたかもしれない。
だからこそ、ジェロームが死ねば次の王は目の前にいるシドニーということになる。
だというのにこの状況で逃げるのを拒否するとは。似なくともいい所が父親に似ている。
「それに何という屈辱だ。おまえは私が負けるとでも?」
「いいえ。陛下は此度の戦に勝つでしょう。次の戦にも勝つでしょう。そうやって勝ち続けて、そしていつか負けるのです。そこまでしてこの地に居続ける理由は何ですか?」
いつかは負ける。それは確かな事実だった。
キルシュがかつて圧倒的な物量差でリカムに押し切られたように、ピザンとの戦が続けば国力の差でいつかは負ける時が来るだろう。
リカムがピザンを倒せばという展望はジェロームにはなかった。その程度には敵を、かつての味方を信頼していた。
「ふむ。おまえは何故リカムがこの国に拘ったか知っているか?」
「リカムに一番近かった。それだけではないのですか?」
「そうだな。あらかた大陸の北部を統制し、残るは南だけ。かの虐奪帝が侵攻を始めた理由はただそれだけだったのだろう」
グリゴリー1世。たった一代で大陸北部の小国家群を統一し帝国を打ち建てたかの皇帝は、深い思惑などなくただ奪うだけだったに違いない。
「だがな。どうしても奪われてはならないものがあった。それを知っていたからこそ、あの魔術師は暗躍し、ロドリーゴも女神教会をたきつけて戦へと駆り出したのだろうさ」
「奪われてはならないもの? それは……」
「シドニー」
疑問の言葉を遮るように名を呼ばれ、シドニーは目を瞬かせた。
「巷ではこう言われているそうだな。騎士の中の騎士。我が弟にしてそなたの父ロラン・ド・ローランを謀殺したのは、王位を奪われると危惧した私だと」
「そんな!」
聞き捨てならない言葉に、シドニーは声を荒げた。
だがそれはその話を信じたからではない。むしろ許せなかったからだ。
「そのようなはずがありません! 伯父様がお父様を殺したのならば、どうしてこれほど私を愛してくれましょうか!」
「ハッ。おまえは本当に大物だな」
零れた笑みは鼻で笑うようなものだったが、見た目通りにシドニーの言葉を嘲るものではなかった。
ただ我ながら分かりにくく捻くれた己を、まさかこの姪が理解してくれていたとは思ってもいなかったのだ。
思えばシドニーの父であるロランもそうだった。ジェロームが憎まれ口を叩いても笑っているので何故だと問えば「だって兄上は私を愛しているからそんなことを言うのでしょう」と聞いている方が寒気のするようなことを言ってくるのだ。
決して他人を無条件で信用するような能天気ではなかった。だというのに兄であるジェロームには全幅の信頼を寄せてくる。
一度まさかと思い「心でも読めるのか?」とも聞いたが、それにロランは驚いたような顔をして「兄上は意外にロマンチストなんですね」と言い、嬉しそうに笑っていた。
ああ、どれだけ策を弄しても、この弟にだけは自分は勝てないようだ。
そう諦めたのはいつの頃だったか。
「私はおまえに懺悔せねばならん。だがそれは今ではない」
「陛下?」
「もし万が一私が倒れ、それでもおまえが真実を知りたいと望むならば――クロエ・クラインという神官を頼れ。師と違って信頼に足る小僧だ。……いや、もう一人前の男になっている年頃か」
「陛下の口から話してはくれないのですか?」
「ああ。何せこの通りに捻くれた男なのでな。例え死の間際でも本音など漏らせん」
「では試しに死に際まで陛下のおそばに居させていただきます」
「本当におまえたちは私の話を聞かんな」
さっさと離れろというのに言うことを聞かない小娘に、ジェロームは顔をしかめながらも内心で笑う。
こうやって言うことをきかない弟を放っておけなくて、父王に逆らい戦に出て英雄などと呼ばれる羽目になったのだったか。
「まあよい。どうせ今から逃げろと言うのも無茶な話。だが次の機会には縄で縛ってでも帰らせるぞ」
「では縄抜けの練習をしておきます」
「たわけ」
いくら言っても口の減らないシドニーに、ジェロームは不機嫌そうに鼻を鳴らし、内心で笑った。