ティア。リア。そしてコンラート。白騎士と呼ばれた彼らは、いずれも平民出でありながら騎士に任じられた者たちだが、三人を見出した人間はそれぞれ異なる。
コンラートを騎士に任じたのは、当時はまだ王子だったドルクフォード王であった。先王が病に倒れ戦場を離れなくてはならなくなった際に、王は戦線を支えるのに重要な役割を果たしていたコンラートを略式ながら騎士に任じた。
リアを見出したのは、先王が死去した後にドルクフォード王に代わり前線へと出てきたクラウディオ王子であった。コンラートと同じく当事は若造であったクラウディオは、戦死者が続出する中でとにかく能力のあるものを重用した。
そしてティアが騎士に任じられたのは、他の二人と違い戦場では無かった。先王の三人目の妃であり、カイザーの生母である王太后。ティアという女性は、ある日突然太后を守る騎士として表舞台に現れた。
先王が亡くなり太后もそれを追うように身罷られた今では、詳しい事情を知る者は誰一人として居ない。確かな事は老いた王に嫁がされた若き太后と、ティアという騎士との間に友情とも言える絆があったという事。そして太后が亡くなった後に、ティアはその子であるカイザーに忠をつくしたという事だ。
だからこそ、そのティアの裏切りはピザン国内に大きな波紋を呼んだ。
・
・
・
中庭へと通じる通路を、ピザン王国第一王女であるゾフィーは足早に歩いていた。足を踏み出すたびに炎を宿したような赤い髪が揺れ、紫紺の瞳は睨めつけるように前だけを見ている。
ここ数日降り止まない雨が、地面や建物に当たりどこか落ち着くような音色を奏でていたが、それもゾフィーの足音によってかき消されていく。その大きな音は、まるで彼女の内心を表しているようであった。
「淑やかにしろと今更言う気にもならんが、少しは苛立ちは隠したらどうだ? 従者が逃げ出すぞ」
不意に声をかけられて、ゾフィーは足を止める。視線を向けた先には、兄であるクラウディオが通路の手すりにもたれかかってゾフィーを見つめていた。
「自分では抑えているつもりなのですが」
「つもりなだけだろう。ここに力が入っているのが丸分かりだ」
言いながらクラウディオが指先で突くと、ゾフィーの眉間に微かな皺が浮かんだ。素直なその様子が可愛らしく、自然と浮かんだ笑みを隠そうともせずに、クラウディオは口を開く。
「連れ出したのはナノク卿だぞ? 何を考えているかは分からんが、少なくともカイザーを陥れるような真似はすまい。まあそのまま戻ってこない可能性はあるがな」
「戻ってこなければ大問題ではありませんか?」
「おお、確かに大問題だ」
眉間にさらに力をこめ、睨むようにクラウディオに視線を向けるゾフィー。それを見下ろしながら、クラウディオはくつくつと笑った。
周囲の者から恐れられる騎士姫の怒りも、兄でありそれなりの修羅場を潜り抜けたクラウディオからすれば可愛いものであった。普段ならばさらに余計な言葉を一つ二つと重ねる所なのだが、今日ばかりはクラウディオも自重する。
ゾフィーの歳は十八。歳の離れた二人の兄よりも、年下の叔父と仲が良かったのだ。今国内でカイザーの安否を一番気にかけている人間は、間違いなく彼女であろう。
「そう心配するな。親父が念のためと言って俺を呼び出した。恐らく俺も出る事になる」
「それでどう心配するなというのですか?」
「親父の念のためほどあてにならんものは……いや、逆にあてになりすぎるのか。まるで未来を見通しているようだと、付き合いの長いものなら口を揃えて言う」
クラウディオの言葉に、ゾフィーは眉をしかめた。兄の言うような事など、ゾフィーには心当たりが無い。確かに王である父は思慮深く聡明であるが、未来予知じみた先見性など見せた事は無い。
「まあ勘が良いのだとでも思っておけ。俺も勘が良いのは知っているだろう。親父のそれは俺以上だというだけだ」
反論こそしないが、明らかに納得のいっていない様子のゾフィーの頭を、クラウディオは苦笑しながら撫でる。
「それに呆れるくらい運に恵まれた男が居るからな。案外すぐに見つかるかもしれん」
直接の部下では無いが、先の戦争以来の付き合いである騎士を思い出し、クラウディオは呟いた。そして口に出してみると、本当に実現しそうだと思えるのだから不思議なものである。
しかし仮に見つけたとしても、連れ戻す事はできないだろう。その未来もまた決定事項であるかのようにクラウディオには思えた。
・
・
・
壁のように行先を阻む土砂降りの雨の中を、コンラートは突き穿つように駆けていた。
アルムスター公より借り受けた栗毛の馬は、足は速く疲れ知らずな名馬であったが、降り続ける雨は、容赦なくコンラートと馬の体力を奪い視界を遮る。逃げ隠れする相手を追跡するには、悪条件ばかりが揃っていた。
追いかけてどうするつもりかと、コンラートは手綱を握ったまま己へと問う。
王と国へ忠義をつくすならば捕らえるべきだろう。だがティアを、愛する女性を断頭台の下へ引きずり出すような真似をコンラートができるだろうか。
「……考えても答えは出ないか」
コンラートは雑念をはらうように頭を振った。ティアが何を考えてカイザーを連れ出したのか分からない以上、彼女に味方していいものかどうか判断はできない。
彼女を捕らえるにしても助けるにしても、会って言葉を交わすのが先だ。そもそも会えない可能性のほうが高い。そうと気付くと、胸に巣くっていた不安が治まるどころかさらにざわつき始める。
コンラートが馬をアルムスター公の領地の西――王都から見て北方面へと走らせたのは、実の所何か確信があっての事では無かった。ただ少なくとも王都周辺にティアたちは既に居ない。それだけは自信を持って言える。
恐らくティアは馬を使わない。使ったとしても途中で乗り捨てるだろう。そしてカイザーを担ぐなり背負うなりして走って移動するに違いない。
ピザン王国内でも有数の使い手といえば、コンラートを含む五人ほどの人間の名が上がる。しかし一番強いのは誰かという話になれば、名が上がるのはティアとクラウディオの二人だけだ。
ティアは人間離れした速さ、クラウディオは未来予知の如き勘の良さ。特殊能力と言っていいその能力は、それだけで人間という枠から二人を除外するには十分である。しかしさらに二人に共通する異常性として、底知らずな体力が上げられる。
二人が本気で手合わせをすると、あまりの長さに太陽が飽きて寝てしまう。二人の話になると必ず出てくる冗談なのだが、実はそれが冗談でない事をコンラートを含む数人の人間は知っていた。
そんなティアだ。カイザーを担いで走るなど造作も無い。既に王都付近に敷かれた包囲網も抜け出しているに違いない。
「!?」
視界に何か白いものがかすめたのを認め、コンラートは慌てて馬を制止した。突然の事に抗議するように嘶く馬をなだめながら、森を貫くようにのびている街道の脇へと視線を向ける。
山野を駆けて育ったコンラートでも、この豪雨の中で森の中に何か居るか見極める事は困難であった。しかし一瞬だけ、確かに、森の中ではありえない色が混じっていたように見えたのだ。
「ティア……」
呟くように漏れた言葉に返事は無い。
「ティア!」
気のせいだったのかと思いはしたが、コンラートは叫ぶようにティアの名を呼んだ。叫んだ後に、まるで悲鳴のようだと叫んだ当の本人が思った。
「……何故街道を横切ろうとした矢先に、あなたが来るのでしょうか」
諦めたように、街道沿いに生えた木の影から捜し求めていた人が現れた。普段身に着けている胸当ては無く、ワンピースのような部屋着の上に厚手の上着を纏うという奇妙な出で立ち。余程急いでいた事が、その姿から知れた。
「……ティア」
木の影から現れた姿を見て、コンラートの口から安堵したような声が漏れた。それとは逆に、雨具も纏わず濡れた髪を顔にたらしたティアの顔には、明らかな落胆の色が見て取れる。
ティアの出てきた木の向こうからこちらを窺う影がある。頭まで布で覆われ顔は分からないが、僅かに見える髪の色からしてカイザーだろう。助けを求める様子も、逃げ出す素振りも見せないのを確認し、コンラートの予想は確信へと変わった。
「別に殿下をさらったというわけでは無いのだな?」
「……」
確認の意味をこめた問いに答えは無い。ただティアの顔に微かに浮かんでいた戸惑いの色が、徐々に消えていた。
「何故答えん!?」
コンラートの怒声をあびても、雨のカーテンの向こうでティアは表情を変えずに佇んでいる
その通りだと、自分は反逆者では無いと答えて欲しかった。例え国へ反意を抱いたのだとしても、心情的に納得できる理由が語られると思っていた。
だがティアは何も答えず、感情の見えない赤い瞳をコンラートに向けるだけ。それはコンラートが今まで見たことの無い、明確な拒絶の色を含んだ姿だった。
「コンラート。『やはり貴方は運が悪い』……今ここで私と出会わなければ、貴方は貴方の中の私を信じていられたでしょうに」
「何?」
しばらくしてティアが放った言葉は、雨音にかき消されそうな小さなものだった。辛うじてそれを聞き取ったコンラートだったが、その意味するところが理解できない。
そんなコンラートを無視するように、ティアはスラリと腰に下げていたサーベルを抜いた。
「待てティア!」
「待ちません。理由も話せません。ならばこうするしかないでしょう。――貴方は騎士なのだから」
「……」
食いしばった歯から嫌な音がした。会えばどうにかなるのでは無いかという期待は裏切られた。それどころかティアは、己の行動の理由を話すことすら拒否した。
ならばどうするか。
決まっている。王がカイザーを連れ戻そうとしている以上、コンラートは王に仕える騎士としてそれを成すしかない。
「分かった……ティア」
強く閉じていた口を開くと、コンラートは腰の剣をゆっくりと抜いた。青眼に構えた剣の向こうで、ティアは半身になってだらりと腕を下げている。
その一見隙だらけの様子を訝しむコンラートだったが、顔を滴る雨水を拭おうとした瞬間、地が弾け、大粒の雨を蹴散らしながらティアの体が宙を飛んだ。
コンラートが迎撃のために剣を握り直したときには、ティアの体は視界から消えており、辛うじて白い髪の軌跡が目に残っているだけ。しかしコンラートは勘に近い予想でもってティアの攻撃を予測し、自らの右後方へ向けて横薙ぎに剣を振るう。
水滴を散らしながら走る剣。コンラートが後ろへ体を向けたのに引っ張られるように、剣はさらに加速し分厚い雨のカーテンすらも切り裂いた。一瞬だけできた雨粒の存在しない空白の向こうには、コンラートの攻撃を紙一重で避け距離を取るティアの姿。だが途切れた雨が再び地面へと落ちる頃には、コンラートとティアの間合は再び零になっていた。
コンラートは力自慢ではあるが、決してのろまではない。むしろその踏み込みは鋭く、数歩の距離ならば一息でつめることもできるだろう。
だがティアの速さはそれを越える。コンラートが一息ならば、ティアはいつ踏み込まれたのかすら分からない。そんな領域だ。彼女がどこに移動したのか予見していなければ、とても対応できる速さでは無い。
コンラートはティアの動きに対応できているようでいて、その実は彼女を近づけないために大振りの攻撃で対処しているに過ぎない。ティアの残照すら見つけられず完全に見失えば、その瞬間に勝負は決してしまうと言って良い。
だが一見優勢に見えるティアにも、それほど余裕が在るわけでは無い。
移動速度こそ常識を逸脱しているティアも、剣速自体はコンラートとは互角でしかない。そしてコンラートとティアでは、手にした剣の重量が、そして何より体格が違う。まともに打ち合えば、ティアが競り負けるのは必定である。
相手が並みの剣士ならば、すれ違った瞬間に首が落ちている。しかしコンラート相手ではそれは不可能だ。常に移動し反撃が不可能な状態を作り出さなければ、コンラートの剣はティアへと届く。
「ウヲオォッ!」
振りかけた剣に手応えがあり、コンラートは雄叫びを上げながら渾身の力を込めて振りぬいた。遅れて視線を向ければ、剣を右手で握り左手でみねを支えたティアが、弾き飛ばされるように後ろへと跳び地面を滑っている。
手応えは薄く、コンラートの力が逃がされたのは明らかだった。剣の持ち方から察するに、受け流す余裕は無かったのだろう。そのまま受ければ剣が折れると判断し、自ら跳んだに違いない。
よくもこれほど素早い判断が出来るものだと、コンラートは自分の事を横に置きつつ呆れた。
「……」
一気に距離は開いたが、ティアに逃げる素振りは見られない。そもそも逃げるつもりならば、こうして剣を合わせてはいなかっただろう。
彼女が本気になれば、馬でも追いつけるか怪しいと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。事前に思っていた以上に善戦できている事といい、ティアを人外と評するのは間違いだったのか。
「十五年……。決して短くない時間とはいえ、貴方がここまで追いすがる事が出来るとは思いませんでした」
独り言のように呟かれた言葉は、いつのまにか雨がやみ周囲が静寂に包まれていた事もあり、コンラートの耳にもよく聞こえた。そして意味を理解するなり、コンラートの口にその場の状況も忘れたような笑みが浮かぶ。
「そうか。強くなっているか俺は」
「ええ。腕力こそ衰えていますが、強くなっています」
確かに、初めて会ったばかりの頃の手合わせは、コンラートが一方的に負けてばかりだった。力任せに戦うコンラートと、それをひらひらと避け、誘導し、剣を打ち合わせることすらしなかったティア。
良いように踊らされるコンラートの姿を見て、他の騎士たちは自分の事を棚に上げて笑った。コンラートの数あるあだ名の中に、「暴れ牛」などというものが加わったのはその頃だった。
「君のおかげ……だろうな。誰よりも強く、騎士らしく、しかし女性らしさを損なっていない君は、若い俺にとって憧れだった」
そして年を経るにつれて、憧れは恋情へと変わっていった。その中でも変わらなかったのは、ティアという騎士が越えるべき目標であった事だ。
ティアの事を除けても、国内にはクラウディオという最強の騎士がいた。うぬぼれる暇などコンラートには無かったのだ。
「本当に貴方は……。貴方とは本当に、別れ際に会いたくは無かった」
「……そうか」
「しかしそれでも、行かせて貰います」
「……」
無言で剣を構えなおしたコンラートに対し、ティアが腕を曲げ、剣で口元を隠すように構えた。初めて見せた構えと、直前に発した言葉が彼女から僅かな油断も消え去った事を示している。
大丈夫だ。ティアとて化け物では無い。追いきれない速さであっても、こちらを攻撃してくる瞬間を狙えば勝機はある。
そうコンラートは自身に言い聞かせていたが、対峙するティアが唐突に零した言葉に、水面のように澄んでいた心は乱された。
「――風の精霊よ。契約の下、我が命ずる」
「なっ!?」
紡がれた言葉は、紛れも無く風の精霊魔術を使うための詠唱。
ティアが魔術を使えるなどと、聞いた事が無い。しかし空気が震えるかのような独特の感覚は、今正に魔術が構築されている事をコンラートに知らせる。
「クッ!」
混乱したまま、コンラートは半ば反射的にティアとの距離をつめていた。実際それ以外に対処法など存在しなかっただろう。
コンラートに魔術師と戦った経験は幾度かあれど、それによって得られた結論は「剣士は魔術師に勝てない」という多くの人間が知る当たり前のものでしかなかった。
魔術師に距離は関係無い。そして魔術が完成してしまえば、剣士がそれに対処する事は絶望的と言って良い。
故に剣士の勝利するための条件はただ一つ。魔術師の詠唱が終わる前に魔術師を倒す事。その唯一の勝機を手にするため、コンラートは地面を滑るように駆け、その勢いのままにティアの体を躊躇無く薙いだ。
「――天より流れ落ちる雫」
剣を振りぬいたコンラートの背後から、淡々と詠唱を続けるティアの声が聞こえてくる。剣の通ったそこに、ティアの姿は無い。
見えなかった。これまでよりさらに速く動いたのか、それとも何らかの魔術を用いたのか、それすらも分からなかった。
「――其は共に在り集う」
「ぬうッ!?」
しかしそれでも、コンラートは即座に体を反転させ剣を振る。
まだ間に合う。いや間に合わせなければならない。コンラートに魔術への対処法が無い以上、危険であっても攻め続けるしか勝利への道は存在しない。
しかしそんな道は、最初から存在しなかった。
「――来たれ、そして爆ぜよ」
ティアが短く命じた瞬間、コンラートの視界が回った。耳に届いたのは、大砲を思わせる炸裂音。全身を襲うのは、まるで破壊槌をその身に受けたかのような鈍い衝撃。
何が起きたのかも理解できぬうちに、コンラートの体は泥を撒き散らしながらぬかるんだ地面へと叩きつけられ、手足はおろか指先も動かせないまま仰向けに転がった。
「か……はっ!?」
息をしようとすれば、痙攣したようにひきつる喉から空気の塊が漏れた。体を動かそうとすれば、左腕から焼きごてを押し付けられたような痛みと熱が登ってきた。それは久しく感じていなかった、骨の異常を知らせるシグナル。
息をするだけで、体中を電流のような激痛が走った。荒い呼気は火傷するほどの熱を帯びているような気がした。
「ぐぅ……ぬうッ!」
それでもコンラートは体を反転し、無事な右手を泥に塗れさせながら、体を無理矢理持ち上げる。普段なら一瞬で終わるその動きは酷く緩慢で、体のそこかしこから訴えられる痛みは脳を焼き視界を濁らせた。
どうにか立ち上がり周囲を見渡せば、丁度正面にティアの姿があった。あまりの勢いに月まで吹き飛ばされたのかと思ったが、その距離は当初の二人の間合とそう大差は無い。
霞む視界に映るティアの姿は、どこか寂しげで泣いているようにすら見える。そういえば初めて彼女と出会った時は、その白い髪と赤い瞳を見て兎のようだと思ったのだったか。そんな事を思い出して、コンラートは場違いな笑みを浮かべた。
「風の精霊魔術とは……な。よくも十年以上も隠し通したものだ。君が魔術を使うなど……想像すらしなかった」
魔力は誰にでもあるものだが、それを魔術という力にまで昇華できる者は少ない。まして魔術師の殆どは隠遁しており、表舞台に立つものの多くは魔法ギルドに所属している。
ピザン王国ほどの大国でさえ、直接召抱えている魔術師は十人に満たない。こんなところに隠れ魔術師が居るなどと、誰が想像出来ただろうか。
「コンラート……これ以上は……」
「分かっている。俺の……負けだ」
自らの敗北を告げ、コンラートは跪くように膝を折った。もはやコンラートには歩く力も残されていない。もはやティアを倒すどころか、近付く事すら出来ない。
コンラートが認めるまでも無く、勝敗は決していた。
「行け……ティア」
「……」
コンラートの言葉に、ティアは無言で頭を下げると踵を返す。その背中をコンラートはただ見つめる。
聞きたい事がどれほどあることか。今回の事。王弟の事。ティアの事。コンラート自身の事。知りたい事は山ほどある。
だが聞くことは出来ない。ティアはそれを拒絶し、コンラートは負けたのだから。
「……ティア、少し待って」
ティアのそばへと歩み寄ったカイザーが、変声期を終えていない少年特有の高い声で言った。驚いたようにふりかえるティアを気にするでもなく、カイザーはゆっくりとした足取りでコンラートの方へと足を進める。
「この剣を」
かけられた言葉に、コンラートは咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。差し出されたのは、カイザーの腰にかけられていた、幼い体にはいささか不釣合いな身幅と重量のある剣。
互い違いの引っ掛け棒のような鍔のつけられた見慣れぬそれは、装飾の少ない実用本位のもののようだったが、それでも王弟たるカイザーの持ち物であるからには値打ちの低い駄剣ではありえない。
そんなものを素直に受け取るわけにも行かず、コンラートは跪いた体勢のまま首を横に振ろうとした。
「これは騎士の剣。あなたが騎士としての誇りと忠誠を失わない限り、その身は折れることも欠ける事も無い」
「!?」
しかしカイザーから語られた言葉に、コンラートは首を振るのも忘れ、幼い王弟の顔を凝視してしまっていた。
『――あなたに渡したのは騎士の剣。あなたが高潔にして公正なる騎士である限り、その身は折れることも欠ける事も無いでしょう』
それはかつて夢の中で聞いた、巫女の言葉。ただそれだけの言葉。渡してきた人間も、渡された剣も、夢の中のそれとは似ても似つかない。
しかしそれでもコンラートの心は静まらず、カイザーはその心を制するように言葉を続ける。
「どうかその力で、ゾフィー姉様を支えて欲しい」
そして最後にかけられた言葉に、コンラートは現実へと引き戻された。
王はもう高齢だ。それに対し、後を継ぐゾフィーは若い。そう遠くない内に、ピザンは経験の浅い女王が統治する事になる。
コンラートはそれを助けなくてはならない。現王のようにゾフィーがコンラートを重用するかどうかは分からないが、騎士の一人として国と王に仕える事はやめないだろう。ならばカイザーに頼まれるまでも無く、コンラートはゾフィーを支えなければならない。
「……御意」
短く、しかしはっきりとコンラートは言うと、動かない左腕を垂らしたまま右腕だけで剣を受け取る。
怪力で知られるコンラートからすれば、その身幅の厚い剣も今まで扱ってきた武器に比べれば頼りない。しかし右腕に預けられたそれは、今までに持ったどのような武器より重く感じられた。