戦いは唐突に終わりを告げた。
突如現れた青年神官の祈りは浄化の光となって村を覆い、湧き出ていたアンデッドたちはその仮初の生を終え眠りへとつき、清廉なる気は例え相手がイクサといえど侵し得るものではなかった。
正に救世主。村とピザン王国軍の救い手となった青年神官は、しかし礼を言われるのも気に留めず手早く死者の弔いと埋葬の準備を指示した。
正規の手順で弔われた死者はアンデッドにはならない。ならば彼らは誰にも看取られることなく死んでいった者たちなのだろう。
彼らを哀れに思うならば手を貸してほしい。そう言って頭を下げる青年神官に否と言えるものが居るはずがなかった。
村人も、子爵の配下も、赤剣騎士団も総出で働いて、それまで戦っていた相手を弔う準備を整えた。
そうしてようやく日の出という時刻には、大雑把ながらも彼ら全員を埋葬できるだけの大きな穴が掘れた。
いささか大雑把に過ぎるのではないかという意見も出たが、重要なのは心だと他ならぬ青年神官に言われ納得する。
そうして死者たちの弔いが終わり、不格好ながらも彼らを弔う墓ができたころには、太陽は中天を過ぎ傾き始めていた。
この頃には皆疲れ切り、全てが終わると同時に泥のように眠りに落ちる。
しかしそんな村の中で、眠気を感じることもできず起きている者たちが居た。
「ようやく終わった……か。話しには聞いていたが、アンデッドとの戦いというのは予想以上に消耗するな」
「今回は神官が来てくれたので助かりました。あのままでは夜明けまで延々とアンデッドが沸き続けたでしょうからな」
「……十七年前はどれほどの地獄だったのだ」
あのまま神経をすり減らされるような戦いが朝まで続いたであろうと聞き、ゾフィーはげんなりとした様子で息をつく。
その様子を見て、コンラートは言い過ぎたかとも思ったが、事実ではあるので撤回はしなかった。
「まあそれでも終戦が近い頃にはアンデッドとの戦いも楽になっていました。ロドリーゴ枢機卿の手の者が各国の軍に派遣されておりました故」
「ああ。神官でありながらリーメス二十七将に数えられた変わり者だな。父上とも親しかったと聞く」
そう言いながらゾフィーは手の中の聖剣を撫でる。
ドルクフォードの形見であるその聖剣も、ロドリーゴ枢機卿が祝福儀礼を施したという。一国の王と他国の神官に一体どのようにして繋がりがあったのかは不明だが、そんなものを贈られる程度には付き合いがあったのだろう。
「そして、この剣の片割れを持つあの神官。……やはりそうなのか?」
「恐らくは」
コンラートに問いかけるゾフィーの顔は、どこか不安げであった。
それも仕方あるまい。ゾフィーにとってあの時行方不明になった少年神官は己の罪の象徴だ。己の不甲斐なさが彼を追い詰めたと。
事情を聞けば誰もがゾフィーに責任はないと言うだろう。
実際あの場に居たのが誰だったとしても、結末は変わらなかったに違いない。
しかし、それでも。
何かができたのではないか。
あの日。あの時。
あの業を背負うのは己であるべきだったのではないか。
そんな理由のない後悔が波のように襲ってくるのだ。
そしてそれはコンラートも同じであった。
「早々に会って話を聞きたいところだが、あれだけ働かせた後に休ませもしないわけにもな」
「あの、ゾフィー様」
そう結論してとりあえず休もうかといった所で、不意にドアの外からアンナの遠慮がちな声が聞こえてくる。
「どうした?」
「その、例の神官様がお話をしたいといらっしゃってるんですけど……」
「……」
予想外の言葉に、コンラートとゾフィーは無言で顔を向き合わせる。
「礼儀知らず……ということは万が一にもありえんな」
「気を遣ったつもりが遣われた。ということでしょうか」
休息が必要だと思い訪問を控えたのだが、あちらはあちらで事情を説明しないとこちらが落ち着けないと察したのだろう。
妙なすれ違いに苦笑しながら、ゾフィーはアンナに入室の許可を出した。
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「キルシュにアンデッドが出たそうですよ」
「……そうか」
唐突に現れてそんな報告をするヴィルヘルムに対し、クラウディオは視線を手元の書類に向けたまま、さして大したことではないかのように応えた。
「冷静ですね。やはり予想していましたか。いつもの獣じみた勘で」
「何だその悪意のこもった言い方は。勘がいいのは俺だけではないだろう」
予知能力めいた勘の良さは、今は亡きドルクフォードも含めてピザン王家の人間ならば大なり小なり持ち合わせているものだ。
もっとも、普段は己の行動が上手くいくかどうか確信が持てる程度の限定的なものであり、森羅万象を見通した予言のような真似はできないのだが。
「まあゾフィーも自分が動くことで同時にこの戦争が新しい局面へと至ることは予想していたようですね。もっともそれがイクサだとまでは予想していなかったでしょうが」
「ふん。分からんぞ。今ピザン全軍の中で魔術師を帯同しているのはコンラートとフランツだけだ。しかもコンラートに従う魔術師は一人だけだが、そのコンラート自身がアンデッドとの戦いには慣れている。一番アンデッドとの戦いに向いた軍団が、一番にアンデッドとぶつかったのだ。まるで誰かが場を整えたようではないか」
「あえてあちらがぶつけてきた可能性もありますね。場合によってはモーガン卿を前線に派遣すべきかもしれません」
「唯一の魔術師を出すのか? 王都がアンデッドに襲われでもしたらどうする?」
今ピザン王国に所属している魔術師は、コンラートの従者であるツェツィーリエ。アルムスター公に仕える三人の元宮廷魔術師。そして宮廷魔術師長であるデニスだけだ。
そして個人ではなく国に仕えている、完全に自由に使える魔術師はデニスのみ。彼を前線に出してしまえば、王都の魔術的な守りは零になってしまう。
それこそイクサが単騎で特攻でも仕掛けてくれば、そのまま落ちる可能性もある。
「ヘルドルフ伯が居るでしょう。彼女も盲目とはいえマスタークラスだと聞いています」
「……待て。おまえコンラートを怒らせるつもりか?」
平然と、年端のいかない小娘に王都を守らせると言ってのけたヴィルヘルムに、クラウディオは呆れと苛立ち混じりの声を漏らした。
「王国に仕える伯爵に戦に参加するよう要請して何か問題が?」
「ああ問題ないだろうな! だが奴の心象は最悪になるぞ! ただでさえ最近距離を取られているのに、これ以上気まずくなったらどうしてくれる!?」
「知りませんよそんなこと」
真剣に気持ち悪いことを言い出したクラウディオの怒声を、ヴィルヘルムは胡乱な目を向けながら軽く流す。
「この程度で忠義が揺らぐなら貴方の普段の行いが悪いんです。父上がどんな無茶を言っても彼は仕方ないと笑っていましたよ」
「最後には斬られたがな!」
「父上の最期と同じところまで落ちるつもりですか」
ドルクフォードがコンラートに斬られる羽目になったのは、その最期があまりにも王としての道を外れていたからだ。
むしろあらかじめドルクフォードがコンラートを罷免していなければ、彼はそのまま主への忠義を貫き共に地獄へと落ちていただろう。
今にして思えば、ドルクフォードはコンラートを思っていたからこそ騎士の位を剥奪したのかもしれない。
「そうだ。フランツから魔術師を借りるのはどうだ?」
「アルムスター公に仕えている魔術師たちは、父上のジレント攻めで出奔した者たちですよ。今更こちらの言うことを聞くと思いますか?」
加えて最近のアルムスター公の周りには人と力が集まりすぎている。
王家との力関係を鑑みれば、あまり借りを作りすぎると後が怖い。先代のアルムスター公と違って、現アルムスター公であるフランツはどうにも読めない所がある。
反乱……は流石にないだろうが、ゾフィーを王位につけろと問題を蒸し返すくらいはするかもしれない。
「現状一番気軽に頼れるのがヘルドルフ伯なのだから仕方ないでしょう。それともモーガン卿は手元に置いて、ヘルドルフ伯を前線に送りますか?」
「おまえそれこそ血を見るぞ。マルティンが隠居をやめて殴りこんできかねん」
「そうでしょう。いいじゃないですか王都守護なんて万が一が起こらない限りは安全で誉れ高い任務」
実際そんな事態にはならないと、それこそヴィルヘルムは「確信」しているのだ。
イクサはあくまで戦争で決着をつけようとしている。そんな予感があった。
「まあイクサが本気を出すとすれば、我々がリーメスを奪還してリカムの国土に攻め込んだときでしょう。それまでに魔法ギルドか女神教会の協力を取り付けたいところですが……」
「それができたら苦労せん」
未だ糸口すら掴めない両者との関係改善を思い、クラウディオは顔をしかめてため息をついた。
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部屋に招き入れられた青年神官は、椅子を勧められると最初面食らった様子だったが、すぐに苦笑しながらゾフィーの対面に座った。
その苦笑の意味が分からず揃って首を傾げる主従だったが、それを察した青年神官はすぐにその理由を口にした。
「カイ……カイザー殿下にもよくお茶の相手をさせられました。こちらが身分を理由に断ると『友達じゃないか』と拗ねるもので」
「あの馬鹿者は相変わらず子供っぽい……いや、もしや二年前の話だろうか?」
「二年前もそうでしたが、先日久しぶりに会った時にも同じやり取りを。もう十六になるのに昔と同じように拗ねるので、思わず横っ面を殴りそうになりました」
「なるほど。次があるなら遠慮せず殴り飛ばしてやるといい」
夏戦争が終わっても、ジレントへと逃げたカイザーと従者のティアはそのまま留学という形であちらへと残った。
実は魔術の才能があり、あの魔女ミーメ・クラインに弟子入りしたというのだから驚きだが、それを理由にして帰国を先延ばしにし続けているのだ。
クラウディオなどは素直に感心しているが、ゾフィーやヴィルヘルムは単に帰国して王族としての義務を果たすのが嫌なだけだと推測している。
カイザーは外見を取り繕うのは上手いが、その実かなりの怠け者なのだ。首根っこを掴む者が居なければ日がな一日寝て過ごしかねない。
「さて、此度はこの村の窮地を救ってもらい感謝している。そして二年前も。……そなたには助けてもらってばかりだな」
「礼を言われるようなことでは……。私にとってイクサは親の仇も同然。言わば自ら身を投じた私闘であり、神官としてはとても褒められたものではありません」
「それでも我らは助けられた。ありがとう」
「……恐縮です」
ゾフィーの言葉に合わせて揃って頭を下げる主従に、クロエもまた困った様子を見せながらも返礼した。
人の上に立つ者が軽々しく頭を下げるものではないという者もいる。だが感謝や謝罪の気持ちがあれば、自然人は頭を下げるものだとゾフィーは思っているし、コンラートもそのことについてとやかくいうつもりはなかった。
どうせ人目もないのだ。咎めるものも居はしない。
「しかし二年か。失礼だが、もうそなたは見つからないと思っていた」
「そうでしょうね。私も正直に言うと、生き残れるとは思っていませんでした」
ゾフィーの言葉に、クロエは力なげに笑った。
それを見てゾフィーの後ろに控えていたコンラートは思う。
自分は何というものをこの青年に背負わせてしまったのだろうと。
「すまない」
「すまなかった」
「申し訳ありません」
言葉こそ違えど三者が再び頭を下げ、そして予想外のそれにすぐさま頭を上げて目を丸くした。
「……私とコンラートが謝るのは当然として、何故クライン司教が謝る?」
「……一人で何もかも分かったつもりで後先考えずにやらかしたと言いますか。いえ、まあ確かにああする他なかったのも事実ではあるんですが」
ゾフィーの疑問にクロエは自嘲しながらそう漏らす。
確かに、あの時の状況はわけの分からないことばかりだった。
ドルクフォードの突然の消失。
魔界へと繋がるという穴。
そして――。
「そういえば……目の色が戻っているな」
――青く染まったクロエの瞳。
その瞳も、今はその墨を吸ったような髪色と同じ漆黒のそれへと戻っている。
「あれは調停者として選ばれた者の証です」
「調停者?」
聞き慣れない言葉をゾフィーが鸚鵡返しに呟く。知っているかと目で聞かれたが、生憎とコンラートも心当たりはない。
「調停者というのは、世界を存続が危ぶまれるほどの危機を回避するため、女神より知識や力を与えられた存在とされています」
「それは……勇者と呼ばれる人間ではないのか?」
「勇者というのは結果的に世界を救った人間です。調停者の多くは預言者として勇者を導くか、あるいは賢者として勇者の傍らにある者です。
女神は人の意思の力を信じており、自ら力を与えた者が直接的に世界を救うことをよしとしないと言われていますが、確かなことは分かりません」
「まあ女神の意思などそれこそ巫女でもないと分からないだろうな」
巫女という言葉を聞き、コンラートは二人には気取られない程度に体を固くした。
モニカ。巫女と思われる少女に、今の所その兆候はない。
このまま何もなければそれでいいのだろうが、そういうわけにもいかないのだろう。
女神が意思をもってこの世界に干渉しているというのなら、モニカという少女の存在にも何か意味があるはずだ。
あるいは彼女こそが――。
「だからこそ、あの場で私が調停者として覚醒したのは異常でした。先ほども言ったように、調停者が直接的に世界を救うよう配置されることはまずありませんから」
「……待て。何か事が予想以上に大きくなっているのだが。もしやあの穴、放っておいたら世界がどうにかなっていたのか?」
「ドラゴンがトカゲに思えるような怪物が這い出てこようとしていましたね。それこそ世界を四つに引き裂いたとされる邪神のようなものが」
神話における世界の崩壊が再現されると聞き、コンラートは改めて身震いした。
話だけ聞けば荒唐無稽にも程があるが、あの夜の闇よりも深く暗い穴を見た後では本能的に納得してしまう。
それはゾフィーも同じであったらしく、微かに体を震わせると動揺を隠すように茶を口にしていた。
「……そんなものをよく閉じられたな」
「ぎりぎりでしたが。おかげで空間ごと弾き飛ばされて、帰ってくるのにこれほど時間がかかりました」
「二年もかかるとは何処まで飛ばされた。世界の果てか?」
「西大陸です」
「……本当に、よく帰って来られたな」
今でこそ数少ないながらも貿易船が行きかっている大陸間だが、ほんの五十年ほど前にはその位置すらハッキリとはしていなかった。
神話に置いて四つに引き裂かれたというのだから、他にも三つ大陸があるのだろう。そんな認識が常識だったのだ。
もっともそれが常識な時代に、自ら船を出して大陸間を巡ってきた破天荒な王子が居たりする。今この場で呆れているゾフィーの父親であるドルクフォードである。
他の大陸への航路を確立したとして彼の偉業の一つに数えられているが、それを聞いた当時の臣下たちが「何やってんだあの馬鹿王子は」と思ったのは言うまでもない。
「まあ一年ほどは帰る手立てもないので保護された国で働いていただけですが。あちらでは神官も魔術師も数が少ないので優遇されましたし」
「よく言葉も分からないのに馴染めたものだな」
「幸い言葉は分かりましたから。一時期師に連れられて旅をしていましたので」
「……何者だその師は」
先ほども述べた通り、大陸を行き交うことは生半可なことではない。
それをさも簡単なことのように成すとは、さぞ高名な神官なのだろうとゾフィーは思ったわけだが。
「私の師はベルベッド。キルシュ防衛戦にも参加した、流浪の魔術師です」
告げられた名は、確かに高名ではあるが予想外のものであった。