当初の目的地である王都目前の村まで辿り着いた赤剣騎士団ではあったが、それまでの迅速な行軍とは裏腹にしばらくは村に腰を下ろして地味な作業が続いた。
戦局によっては本隊に合流することもありえたのだが、当のグスタフに援軍不要と言われては余計な世話をする義理もない。
故に本来の目的であるキルシュ王国残党との接触を目指すべきなのだが、何せ相手は小勢の上にゲリラ戦を仕掛けているような連中だ。
神出鬼没という表現が適切なほどその行動は読めなかったし、何よりキルシュ国内の地理を知り尽くしている。
ただ闇雲に動き回っても、残党軍を見つける前にこちらがローランドかリカムの軍勢に見つかりかねない。
何処を捜索すべきか。
部隊をどのように分けるか。
どの程度の行程になるか。
物資はどの程度必要か。
知りえる限りの情報を吟味しながら慎重に計画を練る必要があった。
そうして今後の捜索態勢を整え、編成された各班長への指示を終えるころには三日が経過していた。
なるほど。偉くなるとこういった仕事も増えるのだなあと、コンラートは自分の肩を叩きながら息をつき、自分もずいぶんと親父臭くなったものだと自嘲した。
「お疲れさまでした」
「ああ。すまない」
会議が終わり与えられた部屋に戻ったコンラートだったが、すぐに来客がありそれに応じていた。
コルネリウス。氷の彫像を思わせる美丈夫が、わざわざ茶器の準備までして訪ねてきたのだ。
「しかし一体どうしたんだ? 会議の場で何も言わなかったということは、個人的な用向きのようだが」
「はい。その……アルムスター卿のことなのですが」
「カールの?」
もしかしてまた調子に乗って何かやらかしたのだろうか。
そう心配するコンラートに、コルネリウスは慌てたように首を横に振った。
「いえ。どうして私の班に彼を入れたのかと思ったので」
「そんなことで……もしや仲違いでもしていたか?」
「とんでもない。彼は人をよく見ています。ふざける相手は選ぶでしょう」
選んでもふざけるのは駄目だろうと思ったコンラートだったが、それ以上にコルネリウスの言い様がおかしくて笑いそうになった。
部下たちにはその容姿のせいもあり氷の貴公子などと呼ばれているのに、今の彼は礼儀正しく気遣いもできる好青年だ。
少し大人しすぎるのが心配にもなるが、部下の前では取り繕えているので問題はないだろう。
あのインハルト候の息子がまさかこんなに謙虚な青年だとは思わなかったが、父親似だと言われれば大いに納得してしまう話だった。
婿養子であるインハルト候の夫が尻に敷かれているというのは、平民にまで知られているほど有名な話だ。
「その、何故愛弟子をご自身ではなく私の班にと思いましたので」
「……」
愛弟子。そう言われてコンラートは一瞬固まってしまった。
確かにカールをかつて従騎士として指導したし、現在も何かと目にかけている自覚はある。
しかし愛弟子と言われると首を傾げざるを得ない。果たしてアレに可愛げはあるのだろうか。
「うむ。まあ俺の班に入れてしまっては、贔屓をしていると他の団員に思われかねないだろう。いつかはあいつも隊を率いることになる。そなたの下でそれを学んでほしいのだ」
「なるほど。しかし私では……」
「俺に遠慮などしてくれるなよ。他の騎士と同じように厳しくしてやればいい」
「分かりました」
そう了承したコルネリウスは、どこかホッとしたように見えた。
恐らくは団長であるコンラートの弟子だからと、いらぬ気遣いをしそうになっていたのだろう。
「しかし君も心配性だな。それでは気苦労も多いだろう」
「はい。家でもいつも父と一緒に端っこで縮こまっています」
団長としてではなくコンラート個人として言えば、コルネリウスも少し纏った空気を和らげて返事をした。
こんな寄せ集めの騎士団に来るだけはあるというべきか、本来なら格下であるコンラートに思うところもないらしく素直だ。
それでも部下たちに氷と称されるのは、この騎士団での己の役割はそういうものだと理解してそう演じているからだろう。
「母のせいで流れている噂について聞かれたくないというのもあります。特に母がゾフィー様の産みの親などというのは……」
「確かに品のいい話ではないな。しかし殿下は気にしていなかったぞ。むしろ『それならコルネリウスは私の兄だな』と面白そうにおっしゃっていた」
「それは……何といいますか、恐れ多い」
実母の不貞の噂を流されるのは確かに居心地が悪いだろう。
幸いなのは、その噂の当事者の片割れがまったく気にしていないどころか面白がっているところか。
もっとも、もう一方はそのせいでさらに心労を増やしているようだが。
「俺が言うのもなんだが、ゾフィー殿下を一般的な貴族の子女だと思わぬことだ。ドルクフォード陛下やクラウディオ陛下もそうだったが、何かやらかさないか見張っておいて場合によっては首根っこを掴むつもりでいた方がいい」
「……」
コンラートの言葉に、コルネリウスは切れ長の目を大きく見開いて硬直した。
そしてややあって瞼を定位置に戻すと、何やら合点がいったように頷きながら言う。
「だからローデンバルト卿は貴方を後継にしたのですね」
言外に「そんな真似をできるのはおまえらくらいだ」と言われ、コンラートは苦笑するしかなかった。
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まだ日が顔を見せず薄暗い時間に、赤剣騎士団は一班十名ほどの部隊に別れて行動を開始した。
主な目的が捜索とはいえ、いつ敵の部隊と遭遇するとも知れぬ上に、キルシュの残党とも場合によっては戦闘になる可能性がある。
そのため捜索に出た部隊の多くは、早々に馬を置いて山間部や森の木々の間を隠れるようにして移動していた。
鎧兜を身に着けいつ終わるとも知れない道程を進むのは、中々に消耗する。
当然そうしているうちに兵の中からは不平不満が出てくるわけだが、そこをうまく捌くのも隊を任された者の務めだろう。
そういう意味で、コルネリウスという男はある意味合格であり、ある意味では不合格であった。
何せ不満があろうとも、口に出すのを憚られるほどの重圧を背負っているのだから。
「カール様。副団長って人間ですかね」
「それは団長は間違いなく人外だと言ってるのかい?」
少し息が上がっているまだ少年と言える歳の兵士の言葉に、カールは呆れたように返した。
副団長であるコルネリウスの率いる班は、ロードヴァント山の東に広がる森の境界をなぞるように進んでいた。
こういった斥候が主任務となる行軍の場合は、数名を先行させ前方の安全を確認し、その後ろを本隊が追う形になるのだが、この班ではその先行人員を班長であるコルネリウス自らが行っていた。
兵士たちはそれはありなのかと驚いたし、コルネリウスを除き唯一の騎士階級の人間であるカールも、先行させるのは下の兵に任せるべきだと進言した。しかしコルネリウスは相変わらずの凍り付いたような顔で「それが一番効率がいい」と押し切ってしまったのだ。
そして実際のところ、コルネリウスの索敵は見本のように完璧であった。
死角があれば即座に走って確認に向かい、しかし後方の人間は走らせない程度の距離を保ち続ける。
言葉にするのは簡単だがやれと言われてすぐできることではない。というかコルネリウスのような立場の人間がやることではない。
そんなわけで、後ろを付いていくカールや兵士たちは、いくら疲れてもそれを口に出すことができなかった。
一番動いているコルネリウスが汗一つかいていないのだ。そんなことを口に出せる勇者がいるはずがない。
「団長は人外って、そんなの当たり前じゃないですか。リーメス二十七将ですよ。リーメス二十七将」
「君たちの中でリーメス二十七将がどうなってるのか凄い興味が出てきたよ」
一人の兵士の言葉にその通りだと頷く他の兵士たち。しかしそれも当然かとカールは思う。
カールは現在存命中のピザン国内のリーメス二十七将全員と面識がある。そしてその全員の戦いを見て確信したのは、彼らは才能や努力といった言葉では片付けられない、普通の人間とは隔絶した人間なのだということだ。
力、速さ、スタミナ。そのどれもが常人の限界を越えており、修行の果てに身に着けたと言われるよりも、生まれついての異能だと言われた方が納得してしまう程の異常だった。
ゾフィーの話では、恐らく無意識に魔力によって身体能力を強化しているのだろうということだったが、一体どうすればそんな技法が身に付くのだろうか。
気になるなら聞けばいいのだが、実際に聞いてみれば「自然に身に付いた」とか「俺ってそんなことしてたのか」とか言われるに違いないと確信しているので聞いていない。
ただゾフィーのように魔術を学びその真似事はできるというので、カールも魔術の教本を取り寄せ日々勉強している。
もっとも、集中力が続かず枕になっている時間の方が長いのだが。
「ん? ……姿勢を低くしろ!」
「え、は、はい」
前方のコルネリウスが手で指示するのを見て、カールは静かに、だがよく通る声で命じた。
そのまま木々や草の影に隠れるようにして、コルネリウスの元まで地面をなめるように移動する。
「どうしました副団長?」
「敵だ」
コルネリウスが短く答えて指で示した先には、確かにピザン王国とは異なる軍団が居た。
鼠のように隠れているこちらの気も知らずに、堂々と旗を掲げ悠々と歩いている。
顔も判別できないほどの距離だ。こちらに気付かれることはないだろうが、念のため姿勢をさらに低くしてカールは敵軍を観察する。
「……リカムの旗印。数は千前後。馬鹿ですかあれ? 周囲を森と山に囲まれたど真ん中をのんびりと、旗まで立てて」
「あちらとしては大きな問題はない。ピザン王国の本隊は遥か先。私たちのような少数では手を出せない。そもそも数が多い故に、見つからずに進むのは無理だと開き直っているのだろう」
「やっぱり馬鹿じゃないですか。あの程度の規模じゃ、本体に正面からぶつかっても蹴散らされて終わりますよ」
「そうだな。それにやはり迂闊だ。あれほど無防備では少数の兵の奇襲でも瓦解しかねない」
「それって……」
キルシュの残党のことですか。
そうカールが口にする前に、それは起こった。
「何だ!?」
突如響き渡る怒号。地を蹴る音。混乱する声。
カールたちの潜む森とは反対側の木々の影から、リカムとは別の軍勢が飛び出してきたのだ。
彼らはあっという間に行軍するリカム軍の横っ腹に食らいつくと、未だ動揺している敵兵たちを容赦なく屠っていく。
「キルシュ王国の旗! アレが残党軍!?」
「見事な奇襲だ。だがあの人数では」
離れているため正確な数は分からないが、恐らくキルシュ残党軍の数は百にも満たないだろう。
このままではすぐに押し返される。その予想通りに、すぐにキルシュ残党軍は圧力を失い逃走を始めた。
「あ、あれ? 何か早すぎませんか? もう少し粘れたように見えたんですけど」
「……」
カールの疑問にコルネリウスは何も答えない。
ただその切れ長な目をさらに薄くして、じっと戦の流れを見つめていた。
「……伏兵か?」
「え?」
不意に漏れた呟きを拾い、カールは改めて戦場を俯瞰する。
確かに、キルシュ残党軍の鮮やかな撤退は、リカム軍を誘っているようにも見える。
しかしそれはそれでおかしい。
キルシュ残党軍は小勢のはずだ。誘い出したところで、あの規模の軍団を殲滅するほどの伏兵など用意できるのだろうか。
「!?」
その時カールの頭に一つの答えが浮かんだ。
過程を飛ばして、唐突にその光景が見えたのだ。
後から考えればいくらでもその理由は出てきたのだろうが、その時のカールには自分の出したその答えが突拍子もない妄想にしか思えなかった。
しかしそれでも、無視するにはその答えは大きすぎた。
「副団長! 単独行動の許可を!」
「何?」
だからカールは、説明する手間も惜しんでそう口にしていた。
いや、恐らく説明しろと言われてもできなかっただろう。口に出してしまった今ですら「おい馬鹿やめろ」と根拠のない暴走を内心で止めようとする自分がいるのだから。
「……」
コルネリウスは瞳に一瞬戸惑ったような色を映したが、すぐにいつもの氷の顔を作り出してカールを見つめた。
相変わらず何を考えているのか分からない顔だが、コルネリウスも「こいつは何を考えているんだ?」と考えていることだろう。
だというのに。
「許可する。行け!」
コルネリウスは当たり前のようにその不可解な暴走を認めた。
「ッ……ありがとうございます!」
それを聞くや否や、カールは礼を言いながら駆け出していた。
ああ。分かるぞ。リカム軍はまんまと罠にはめられている。
そしてその罠の要は、この森を抜けた先の丘に陣取っているに違いない。
何の根拠もないのにそう確信し、カールは木々の枝に打たれ、肌が浅く切れるのも気にせず走った。
森の外ではまだ軍勢が争う音が鳴り響いている。
それに焦りを感じながらカールは走り、そして森を抜け、目の前の丘を駆け上がった。
そして長い上り坂を終え、ようやく視界が開けたところで――。
「うわっ!?」
――視界を閃光が白く染め上げ、山でも崩れたような轟音が鳴り響いた。
「……何だ……今の?」
ようやく視界が元に戻り、顔を庇っていた右腕を下すと、そこにはもう何もなかった。
いや、何もないのではない。そこには地獄があった。
丘の切れ目から見下ろした先には、焼け焦げた大地が広がっていた。
そしてその上には煙をあげる黒い何か。
それが焼けた死体だと分かり、カールは背筋を何かが這い上がるような悪寒を感じる。
異様で、そして壮絶な光景だ。天上に御座す神の罰だと言われれば誰もが納得するに違いない。
千人は居たであろうリカム王国軍の兵士たち。それが一人残らず炭になって草原に転がっていた。
「……嘘だろ」
その光景にカールは自分でも意識しないうちに震えるように声を漏らしていた。
こんなことが人間にできるのかと、二つの意味で戦慄していた。
そして何より。
「……レイン」
閃光が走り腕で顔を庇うまでの刹那に見えたもの。
白い光を背にしてこちらを振り返ったのは、かつて一度だけ出会い共闘した魔術師の少女だった。