国境を越え幾つかの村や町を経由し、ようやく赤剣騎士団が辿り着いたのは、キルシュ王都を目前に控えた寂れた村であった。
今でこそ人は少ないが、キルシュ王都への旅路の最中あるのだ。昔は商人などもよく滞在しもっと人も多かったらしい。
しかし十七年前のキルシュ防衛戦で多くの男手を失い、さらに二年前のリーメスでの壊滅戦に参加した者たちもほとんどが戻って来ず、村には老人や女子供ばかりが残されたのだという。
そんな事情の村だから、ピザン王国軍は村人たちに歓迎された。
これが略奪を行うような軍なら蛇蝎のごとく嫌われただろうが、グスタフは末端の兵にまで規律を徹底し、村人に無体を働いた兵には例外なく懲罰を与えた。
さらに食料の類は略奪するまでもなく本国から輸送されていたし、むしろ村の新鮮な食料を買い取りさえしたのだ。
かくしてピザンの軍勢は村人たちにかねがね好意的に受け入れられることとなる。
「むう。何とも意外な」
「殿下……」
村に駐留している兵に案内され村の中を歩いている最中。グスタフの非の打ちどころのない村への対応を聞いて、ゾフィーは眉間に皺を寄せながら納得いかないとばかりに呟いた。
それを聞いてため息をつくコンラート。馬車を使わないと決めた時もそうだが、この姫様は一度こうと決めると頑固になるところがあるらしい。
「殿下はどうもローエンシュタイン公を過小評価しているように思えるのですが」
「いや、私もあいつの能力は信頼している。しかしいかんせんあの人格が……」
そう言いながら振り向いたゾフィーは、しばしコンラートの顔を見つめると少しだけ眉間の皺を薄める。
「いや、案外コンラート相手でも殊勝な態度をとるのか? どうも私があいつに侮られているのは、私が女だからというのが大きいようだし」
「はあ」
そして何やら納得いった様子で言うゾフィーに、コンラートは何も言えずただ曖昧な声を漏らす。
何か言おうにも、コンラート自身グスタフとはろくに話したことがないのだ。むしろ仮にも公爵とそんなに頻繁に話す機会があるはずがない。
そういう意味では先代アルムスター公との縁は本当に奇妙なものであったし、何故かやたらとコンラートをフォローしてくるクレヴィング公の行動も本人からすれば謎である。
そういう不思議な縁が多いのも、コンラートが強運と言われた所以かもしれない。
「まあともあれ、ここからどうするかはグスタフの出方次第にもなる。細かいところはここの部隊の責任者に聞いてからにしよう」
そう言って考えを切り上げると、コンラートを従えたゾフィーは軍が間借りしている宿へと向かった。
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この村の部隊の指揮者はエーベルという男だった。一応は子爵位を持ち自身の手勢を率いてローエンシュタイン公の旗下に付いたが、その手勢の少なさ故に前線での活躍は期待されなかったらしく、こうして補給基地となっている村の警備を任されたのだという。
人手が少ないのかそれとも性分なのか、手ずから茶を用意し出迎えるその姿にコンラートはいささか面食らった。
もっとも、末端の貴族ともなるとこういった人種は珍しくないのか、ゾフィーはいたって普通に応じていた。あるいは王族であるゾフィーに下手な茶坊主などあてがえないと、子爵自ら接待したのかもしれない。
「このような遠い地までお疲れさまでした殿下」
茶の準備が終わると、エーベルはテーブルを挟んで向かい合う質素な木製の椅子に腰かけ深々と頭を下げた。
対面にはゾフィーが座り、その少し後ろに控えるようにコンラートは立っている。
コンラート自身も椅子は勧められたのだが、この場での護衛という意味もありそれは遠慮した。こういった話し合いの場で、自分がでしゃばるべきではないと判断したためでもある。
「エーベル卿も。異国の地で慣れない中、手間を取らせてすまない」
「いえいえ。こうして殿下のお顔を拝見できただけでも役得というものです」
そう言って笑うエーベルは、小太りなように見えるが中々愛嬌のある男だった。
歳は少々いっているが、若い頃はさぞ浮名を流したのであろうと思わせる手慣れた空気を感じさせる。
「とはいえローエンシュタイン公の采配が見事というほかなく、私のやることなどないに等しいのです。リカムもローランドも度々こちらの補給線を狙ってきたようですが、全て察知されて撃退されており、私たちの出番と言えば帳簿をつけることぐらいのものでして」
「こんな前線と壁一枚しか隔てていないような場所でか?」
「ええ。おかげで配下の兵にも緩みが見られ、近々一喝してやろうと思っていたところでのゾフィー殿下のご到来。あってはならぬことですが、もし万が一にも粗相をいたしましたら、コンラート殿も遠慮せず叩きのめしてやってください」
「お……私がですか?」
思わぬタイミングで話を向けられ、コンラートは思わず聞き返していた。
どうにもこういった、坂道を転がるチーズのように舌が回る男は苦手だった。
一見何の意味もなさそうな言葉を怒涛の勢いで吐き出して、それをこちらが噛み砕く前に意見を求めてくるのだ。あまり弁の立たないコンラートでは、どう返していいのか分からず対処に困る。
「いやはや。私のような軽い男は部下にも嘗められてしまいましてな。その点コンラート殿のような将の見本のような方に叱責を受ければ、彼らの背筋も伸びるというものです」
「……無論ゾフィー殿下に無礼を働くようならば容赦はしませぬが」
「おお、それは心強い。まったくこのような勇将を傍に侍らせられる殿下が羨ましい」
ここぞとばかりにおだててくるエーベルの言葉はわざとらしくすらあったが、対するゾフィーは「ふふん」とばかりにご満悦の様子であった。
相手がお世辞を言っていることなどゾフィーとて分かっているだろうに。それでも乗って見せるのが貴族の嗜みというものなのだろうかとコンラートは少し悩む。
「ではエーベル卿。そろそろ本題に入りたいのだが?」
「……御意」
ゾフィーがそう言うと、エーベルの纏う空気が変わった。
顔つきは柔和なままではあるが、その目から軽い光は消え凄みすら感じる。
なるほど、これだから貴族という生き物は油断ならない。
そう改めて思いながら、コンラートも気を引き締め直しエーベルの示した地図へと視線を向ける。
「ローエンシュタイン公率いる主力は既にキルシュ王都を射程に捉えるまでに軍を進めております。しかし守勢が有利なのは戦場の常。幾度か兵を進めたそうですが、敵勢の巧みな用兵に翻弄され、最初の城門すら越えられないのが現状です」
「ここまで順調に進軍してきたグスタフがか?」
「様子見ということでしょう。下手に強行突破して、城門の内に罠がないとも限りませんからな。それでも慎重に過ぎるのは、どうもキルシュ王都にジェローム王が来ているという噂がありまして」
「……あの策謀王子か」
ローランドの王。ジェローム・ド・ローラン。
彼は弟であるロランと共にリーメス二十七将に数えられた男ではあるが、その在り方は他の二十七将とは一線を画す。
彼らの殆どはその武勇をもって名をあげた。二十七将等と呼ばれているが、その在り方は個の武によって立つ兵である。
しかしローランドの王子であったジェロームは、その類まれな戦術眼と騙し討ちすら厭わない徹底した策によって戦果をあげた。個人の武ではなく軍団を用いた指揮で名を馳せた、正に将として優れた人間だったのだ。
うだつの上がらない小勢も彼が指揮すれば十倍の敵すら打ち倒す精鋭と化す。そんな噂が立つほどの鬼才とされた。
「だが逆に言えば、ローランドには優れた兵と指揮官は居ても『英雄』はいない」
「はい。ましてこちらは数で勝る。故に対ローランドの戦は、策謀王の奇策を封じてしまえば、順当に事が進み順当に勝利できる実に普通の戦となります。だからこそローエンシュタイン公も、万全の布陣を敷き相手を正面から叩き潰す布石を打っているということでしょう」
「戦いは始まる前に勝敗が決まっているとは言うが。なるほど。なまじ腕が立つだけに自分が前に出る男かと思っていたが、指揮官としても遅れてきた英雄の名に恥じないということか」
相手が策を弄するならば、策など通じない盤石の布陣でもって迎え撃つ。
なるほどグスタフはこの戦において一切の隙を見せず事を進め続けている。
これならば夏戦争での汚名を返上してお釣りも来るだろうと、コンラートは他人事ながら安心する。
「そういうわけでして、えー、その……」
「どうした?」
急に言葉を濁し始めたエーベルに、ゾフィーは訝しげな眼を向ける。だがどうにも、エーベルは迷っている素振りを見せても本気で困っているようには見えない。
「……援軍など不要どころか邪魔なので、さっさとキルシュの残党を探して来いとローエンシュタイン公が」
「……」
その言葉を聞いてゾフィーの動きが止まり、コンラートは無言で天を仰いだ。
何故グスタフはもっと穏便な伝言ができなかったのか。このまま行けば国内の評判だけでなく、ゾフィーからのいささか理不尽とも言える評価の低さも覆っただろうに、鎮火しかけたところに爆薬を放り込むとは。
「ふ……ふふふふふ。相変わらず自信過剰な男だなあのトンチキは!」
「はあ」
案の定怒り心頭なゾフィーの様子に、コンラートはため息を漏らしながらエーベルを見る。するとエーベルも、困りましたなとばかりに肩をすくめる。
なるほど。こうなると予測していたからこそ言い渋り、私はそんなこと思ってませんよとアピールするために困った素振りを見せていたのだろう。
もしコンラートがこんな伝言を任せられたら、実行するまでに胃に穴が開くに違いない。
やはり貴族のやり取りというのは遠回しで面倒くさい。そうコンラートは他人事のように思った。
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「まったくあの男は!」
滞在中お使いくださいと案内された空き家に入ってもなお、ゾフィーはグスタフへの怒り冷めあらぬ様子であった。
なまじこれまで彼の功績を見て冷静に見直そうかと思っていたところに、思春期の男子のような嫌味混じりの命令をされて余計に腹が立ったのだろう。
グスタフも余計なことは付け加えずにただ「援軍不要」とだけ伝えればよかっただろうに。ゾフィーのそばを離れたせいで、折れた鼻がまた伸びたのだろうか。
「わあ、結構いい食器に茶器までありますよ。使わせてもらいましょうか」
一方侍女であるアンナは仮の宿となる空き家の中を見分し、早くもお茶の準備を始めている。
こちらはこちらで、気弱そうに見えるのに中々マイペースだ。ゾフィーに振り回されたせいで自然とそうなったのか、あるいは元々の資質か。
ともあれ今回の強行軍にも平然と付いて来て、こうして平常通りに己の本分を全うするのだから心強い。
しかしゾフィーたちはともかく団員全員が宿泊するほど空き家はないので、他の団員は村の外に天幕をはって休むことになる。
少々申し訳なくも思うが、村人たちが好意で食事を用意してくれるというからそれで我慢してもらうとしよう。
ご馳走という程ではないだろうが、保存食よりは余程マシなはずだ。
「しかしそれなりに歩き回りましたが、お体に異常はありませぬか?」
「この程度でどうにかなるはずがないだろう。まったくコンラートもマル爺も過保護すぎる。ここ最近は車椅子に乗せられてばかりで、歩き方を忘れるかと思ったぞ」
そう言って腕を組んで怒って見せるゾフィーに、コンラートも申し訳ないと苦笑する。
しかし過保護と言われても、よく見張ってないと何をしでかすのか分からないのがピザン王家の人間だ。少し目を離したすきに、肌身離さず持っている父の形見を握って素振りをしていたことなど一度や二度ではない。
せめてやるなら子供の悪戯のように隠れないで目の前でやってくれというのがコンラートの本音である。
「しかしエーベル殿も当たり前のように言っておりましたが、既に前線ではキルシュ残党軍の存在は広く認知されているようですな」
「ん? ああ。小勢故に小回りがきくらしく、様々な戦場に出没しているらしいな。そんな真似を続けられるということはそれなりに兵法に通じたものが率いているのだろうが、さて何者だろうか。まず思い浮かぶのはジャンルイージ将軍だが」
「ジャンルイージ将軍は戦死したとのことですが」
「ああ。しかしあくまで敵であるローランドの発表だ。もしかすればという可能性もある。むしろ私としてはエミリオ王子を取り逃がしたことを素直に認めたのが意外だったが」
「確かに。しかしもう二年も経っています。生存は絶望的では?」
「そう二年だ」
エミリオ生存を疑問視するコンラートに、ゾフィーはむしろその年月を強調した。
「何故キルシュの残党は二年もの間動かなかった? 仮にピザンの出方を窺っていたのならば、何故あちらから接触してこない?」
「……動けない理由があった。あるいは動く理由ができた?」
「どちらにせよあちらにも事情があるのだろう。最悪会っても門前払いは覚悟しておいた方がいいかもしれない」
そう言うと、ゾフィーはアンナが用意した茶に口をつけた。