ピザンの誇る王都シュヴァーンは、夏戦争の終わりと同時に空振によって崩れ落ちた。
その後仮の首都として使われているのは、先々代であるプルート王によって建てられたエルデエンデと呼ばれる平城とその城内町であるが、守りには難があり近々別の城に王宮の機能を移すのではないかとまことしやかに噂されている。
そんな城の仮の玉座の間に、二人の男が居た。
忠誠を誓うように跪くデンケン候。
そして玉座に座るクラウディオ・フォン・ピザン。
二年前よりも痩せた新たな王が、頬杖をつきながらデンケン候を見下ろしていた。
「それで、望みのものは見つかったか。デンケン候」
「ええ、まあ。予想していたよりはリカムも酷い有様のようで」
威圧しているのかと思えるような重々しい声に、デンケン候は気にした素振りもなくいつも通りに答える。
末期の病んだドルクフォードにすら自分の我を押し通した男なのだ。この程度の重圧でどうにかなるような、やわな精神はしていない。
「指揮官クラスはもとより、末端の兵士にまでイクサの横暴ぶりが噂になっているほどです。反乱が起きないのは、ひとえに皇帝であるグリゴリーがイクサの手の内にあるが故。その皇帝陛下を救い出そうと動いた者もいるようですが、皆さん揃ってイクサの忠実な手駒に」
「ふん。ネクロマンサーめ。十七年前も厄介だったが、いよいよ手がつけられなくなってきたか」
死者を使役するイクサに殺されたものは、そのままイクサに操られ彼の戦力となってしまう。
十七年前は単に雑兵が増えるだけでしかなく、それでも厄介だったというのに、今は質まで揃い始めている。
今のイクサの手駒の中には、リーメス二十七将クラスの化け物が何人居てもおかしくない。
「まあ逆に言えば、リカムの将軍たちも従うふりをしながら虎視眈々とイクサを誅する気を狙っているようでして。上手くイクサを排除できれば、恩を売ってこの戦争自体を終わらせられるんじゃないかなあと」
「ほう? 随分とまた面白い冗談を言うなデンケン」
イクサを排除するなど、それこそリカム全軍を相手にするのと同等の難題だ。
まったく笑いの影も見えないクラウディオの言葉に、デンケン候はそれでも余裕を崩さずハハと笑みを零す。
「いやねえ。このまま軍としてぶつかっても、キルシュの二の舞になるのは目に見えてるでしょう。なら少数精鋭を直接ぶつけた方が確実だし被害も少なくなると思うんですよ。あのキルシュ王都の乱戦の中で、皇帝を討ったリーメス二十七将のように」
キルシュ防衛線の最後の戦いは、リカム帝国と連合国、そして傭兵や義勇兵も巻き込んだ多くの勢力が一堂に介した戦いであった。
その中でリカム帝は討ち取られたのだが、そこに至るまでにはリーメス二十七将と呼ばれた各陣営の英雄たちの活躍があったのだ。
傭兵であるロッド・バンスとジレントの魔術師フローラ・サンドライト。
キルシュの将軍ジャンルイージ・デ・ルカとコンラード・マラテスタ。
そしてピザンの騎士であるリア・セレスとコンラート・シュティルフリート。
彼らがほぼ同時に一転攻勢に出たのは単なる偶然と言われているが、その偶然を勝機へと変えたのがローランドの策謀王子ジェローム・ド・ローラン。
そして兄の援護を受けてただ一人皇帝の下へたどり着いたのが、二十七将の中でも騎士の中の騎士と呼ばれたロラン・ド・ローランであった。
圧倒的な兵力差がありながら皇帝を失ったリカム軍は混乱。
そのままリカム帝は亡くなり、キルシュ防衛線は終わりを告げた。
「ふん。あんな奇跡が二度起こるものか。大体貴様は知らんのだ。アンデッドの軍団の恐ろしさを」
「聞いてはいますよ。だから軍としてあたるのは危険だと」
「精鋭ならばなんとかなると思っているのが甘いんだ。あんな地獄……人間が耐えられるものではない」
そう言ってクラウディオは、それまで固まったように動かなかった表情を苦し気に歪めた。
コンラート程ではないが、クラウディオとてあの死者たちとの戦いを悪夢のように思い出すことはある。
クラウディオたちのような猛者ならば、確かに下位のアンデッドなど物の数ではない。
しかし心が、精神が、死体を延々と潰し続けるその苦行に耐えることができなかった。
かつての仲間を、友を、自らの手で切り裂き踏み躙るその罪深さに吐き気がした。
「十七年前はまだマシだった。キルシュのロドリーゴ枢機卿の力添えがあればこそ、あの地獄に人は立ち向かうことができた。だがロドリーゴ枢機卿はもう居ない。教会もピザンに素直に手を貸そうとはしないだろう。挙句の果てが魔法ギルドからの実質的な絶縁状だ!」
「いやー、ドルクフォード陛下の暴走が今になって効いてきてますね」
激するクラウディオに、なおもデンケン候はペースを崩さず呑気に言う。
本当に分かっているのか。そう言いたげなクラウディオの視線に、ようやく笑みを引っ込めてデンケン候は肩をすくめる。
「でも現状はそういうことでしょう。神官も魔術師も頼れない。なら私たちだけで何とかするしかない。だったら少数精鋭をぶつけるのが一番マシだって言ってるんです」
「なるほど。一番マシか」
上策などでは決してなく、むしろ愚策だと分かって言っている。
この飄々とした男がそんな策を出さねばならないほどに、一見均衡を保っている戦況はピザンに不利だということだ。
「まあ私の方でも手はつくしますよ。上手くいけば赤竜将軍と、あとおまけで青龍将軍も味方に引き込めそうなので」
「……リカムの四将軍の半分を引き抜くだと? 本気で言ってるのか?」
「ええ。それだけあちらもイクサがヤバいと思ってるわけですよ。でも引き抜けても現状あまり意味がないと思いますよ。どのみちイクサとぶつかるんだから、死体が増えるだけの結果になりかねない」
「確かにそうだ。クソッ。イクサ一人の相手にここまで苦心せねばならんとは。魔王かあいつは」
クラウディオの愚痴に、デンケン候もそう言えば赤竜将軍が似たようなことを言っていたなと思いだす。
両陣営の実力者からそんな意見が出るのだから、本当に奴は現代に蘇った魔王なのかもしれない。
「……魔王が復活したなら勇者様の再来でも現れてくれませんかねえ」
そんなデンケン候の呟きは、誰にも聞かれることなく消えていった。
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夏戦争が終わりその活躍から爵位を賜ることとなったコンラートだったが、当初その爵位の格を巡ってちょっとした問題が起きた。
まず最初に提案されたのは最下位の爵位である男爵位。
功績を上げた平民に与える爵位としては他国でも一般的であるし、何より領地を持ってなくても問題がない。
逆に英雄と呼ばれた男に与えるには分不相応ではないかと意見も出たのだが、何より本人が過ぎたものを望まない性格であることは知れ渡っていたため、特に滞りなく爵位の授与は行われる予定だった。
そこに待ったをかけたのが、先々代のプルート王の時代から仕えた老臣であり、リーメス二十七将の一人に数えられたマルティン・フォン・ローデンバルトであった。
自分には後を継ぐ者が居ない。故にコンラートを養子として迎えたいと彼は宣言したのだ。
当然多くの諸侯が反対した。
何の縁もゆかりもない平民に爵位を継がせるなど認めがたいことである。
これで前例ができてしまいそれが当たり前となってしまえば、自らの領地と爵位を何かの間違いで平民に横取りされてしまうかもしれない。
彼らはそう考えた。
当然そんなことなど滅多に起こることではないが、普段は自分に都合のいい妄想ばかりしているくせに、自らの損得に関することだけ想像力が豊かになるのが小物というものである。
誰か一人が文句を言えば、普段は忠臣面をしている者たちが我が意を得たりと次々と声をあげた。
一度流れができてしまえばそれを変えるのは難しい。
これはもう無理かとマルティンが思い始めた頃にその流れを変えたのは、誰もが予想しなかった人物であった。
「よろしいのではないでしょうか。元々ローデンバルト家は武門の家柄。白騎士と誉れ高いシュティルフリート卿ならば相応しいでしょう」
反対派が大声を上げる中さらりと言ってのけたのは、まさかのクレヴィング公であった。
これには反対派も声を失った。
あれは誰だ?
本当にクレヴィング公か?
イクサに洗脳でもされたのか?
そんな風に反対派が戸惑っている間に話を進めるクレヴィング公。
そして反対派がようやく我に返り口を出そうとしたところで、またしても思わぬ人物から横やりが入る。
「シュティルフリート卿は他国からも英雄と名高い騎士です。養子の件は保留するにしても、伯爵位と領地を与えるのは妥当では」
まさかのヴィルヘルムである。
前任の白鬚宰相とあだ名された老人とは正反対の、腹黒宰相と呼ばれ敵よりも味方から恐れられる悪魔。
ヴィルヘルムがコンラートに味方したことに困惑する諸侯も多かったが、彼は元々ドルクフォードの下で長く宰相をしていた男である。
ドルクフォードを除いた人間の中で一番コンラートの人柄やその功績を熟知しているのが他ならぬ彼なのだ。普段の様子からは想像もできないが、彼もまたコンラートを高く評価し後ろ盾となっていた人間なのである。
そうして国内で一番恐い人のお墨付きを貰ったコンラートは、めでたくマルティンの爵位と領地を継承することとなった。
本人を置いてきぼりにして決まった出来事に、コンラートが唖然としたのは言うまでもない。
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「それはまた……派手にやってきたな」
「不本意ですが」
リーメスでのデンケン候救出の経緯を聞いて苦笑するゾフィーに、コンラートもまた苦笑しながら返した。
戦場で無茶をするのは初めてとは言わないが、それは大抵の場合止むに止まれぬ事情のあってのことだ。今回のように誰が聞いても「何やってんだ」と呆れるようなことをやってのけることなど、そうそうあるものではない。
「どうぞ」
「ああ、ありがとうアンナ殿」
「いえ」
紅茶を出されて礼を言うコンラートに、アンナはクスリと笑うと従者らしく部屋の端へと控えた。
本来なら侍女や執事に礼など言うものではないのだが、未だに根が庶民なコンラートはどうにも世話になっておいて何も言わないというのに慣れないでいた。
まあアンナはゾフィーの幼馴染だというし、そういう相手ならばゾフィーも普段から礼を言っているだろうと無理やり納得する。
「ともあれご苦労だった。しばらくは体を休めてくれ。場合によっては、そなたたちもしばらくは前線にでることになるかもしれないのでな」
「なんと。私たちのような寄せ集めがですか?」
「その寄せ集めの頭は誰だと思っている」
コンラートがわざとらしく驚くのに合わせるように、ゾフィーもまた分かりやすく不機嫌な様子を見せながら言って見せる。
「蒼槍騎士団とローエンシュタインの手勢がキルシュ攻略へ向けられたのは知っているな」
「はい。クラウディオ陛下が蒼槍騎士団の指揮権をローエンシュタイン公に預けたことに、不満を漏らす者も多かったとか」
「その辺りは兄上なりにグスタフに機会を与えたということだろう。腐っても三公だ。このまま冷遇を続けるわけにもいかん。故に夏戦争の汚名を払拭する分かりやすい功績が必要なわけだ」
「そのような思惑が。しかし万が一ローエンシュタイン公が失態を犯せば、クラウディオ陛下の責任問題にもなるのでは?」
「あれでグスタフは有能な男だ。余裕を持って周りを見ることができるなら、つまらん失敗などしないだろう。だからこそ増長しないよう私の手であの高い鼻を折っておこうと思ったのだが、予想より早くに兄上に取り上げられてしまった」
「……それはまた」
ローエンシュタイン公も助かったと思ったことだろう。そう思いつつもコンラートは口をつぐんだ。
彼の鼻など夏戦争でゾフィーに負けた時点でポッキリとプライドと一緒に折れている。案外クラウディオも、ゾフィーに弄られるローエンシュタイン公が気の毒で前線へと逃がしたのかもしれない。
「それでそのグスタフだが、昨日妙な報告を寄越したらしい」
「妙ですと?」
「キルシュ王国の旗を掲げた小勢が、リカムの大軍相手にちょっかいを出しているらしい」
「キルシュが?」
王国の旗を掲げているというのならば、恐らくはキルシュ王国の騎士なり貴族なりの残党だろう。
だがその行動はおかしなものだ。小勢だというのならばそのままピザンにでも逃げ込んで亡命なり援軍なりを望むだろうに、何故無謀な戦を仕掛けているのか。
「ヴィルヘルム兄様は夏戦争での壊滅戦を生き延びた者ではないかと推測していた。故にピザンも信用できないのではないかと」
「なるほど」
夏戦争でのキルシュ軍の壊走は、ピザンにも衝撃的な事件として伝わっている。
辛うじて均衡を保っていた戦場に、ローランド王国からの援軍が到来。しかしそのローランド王国軍は、仇敵であるはずのリカムではなく、キルシュ王国軍へと矢の雨を浴びせてきたのだ。
かつて連合を築いた片割れが裏切り、そしてもう一方は滅んだ。
これによりピザンはただ一国でリカム、そして裏切りを働いたローランド王国と対峙しなければならなくなり、状況はさらに逼迫した。
「ピザンがローランドと同じように背後から撃つやもしれぬと。しかしローランドの今の王はかの策謀王子ではありますが、こちらはよくも悪くも嘘をつけないクラウディオ陛下ですぞ?」
今では余裕がなく苛烈な印象ばかり強くなっているクラウディオだが、キルシュ防衛戦では王子でありながら自らも最前線で剣を振るい、部下の危機には自らの身を危険に晒した義の将だ。
どう考えても騙し討ちや裏切りのできるような男ではない。
「王はあれでも居るだろう。邪魔になったら表情一つ変えずに後ろから刺しそうな人が」
「……ああ」
誰のことを言っているのか一瞬で理解し、コンラートは短く納得の言葉を漏らした。
色々と世話になっている身ではあるが、そういう点ではある意味信頼している。
「まあそういう流れで、私にちょっとした任務が舞い込んできたわけだ」
「まさか」
「ああ。そなたの予想通りだろうな」
そう言ってニヤリと笑って見せるゾフィーを見て、コンラートは心配するよりも仕方ないという気持ちが強くなった。
何せその笑みときたら、彼女の父であるドルクフォードにそっくりなのだから。
「私が兄上の代行としてキルシュの残党と接触する。そこでどのような交渉をすることになるかは、まあその時の状況次第だ」
そうさも簡単な任務であるかのように、ゾフィーは言った。