その日、大陸の中央部を嵐が襲った。
大陸にまたがるリーメスは、過去幾度となく各国が奪い合ってきた城塞ではあるが、長い歴史の中で朽ち果て、本来の長城としての役割は果たしていない。
それでも長城には幾つかの城塞が付随しており、各国はリーメスを占拠してはその城塞を利用していた。
中でも最西部に位置するリーメス。
キルシュ防衛戦末期にピザンが奪取し、二年前の夏戦争においてリカムが奪還した城塞にも嵐は迫っていた。
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西リーメス城塞の一室。燭台や調度品といったもので飾りたてられてはいるが、無骨な空気の消えない石造りの部屋に、一人の女性が入ってくる。
腰に届く金色の髪をフィッシュボーンに編み込み、きっちりとした赤いチュニックを身につけたその姿は男装の麗人そのもの。しかしその背や体格は平均的な女性のそれであり、屈強な兵と並べば見劣りするに違いない。
それでも女性が纏う空気には歴戦の戦士を思わせる覇気があり、見るものを惹き付ける華があった。
女性の名はサーシャ・カディロフ。
リカム帝国が誇る赤竜騎士団の団長であり将軍である。
「ようやく休めるか。まったくあの馬鹿どもは」
身を拘束するようなきつめのチュニックを緩めながら、サーシャは一人ごちた。
嫁ぎ遅れたと言って良い歳のサーシャだが、四将軍唯一の女性であり、何より見目麗しいため兵からの人気は高い。
しかしそのせいか、直属の兵の中には勝手に親衛隊を名乗り、劇場の男優を追いかける少女もかくやという勢いで騒ぎ立てる者が絶えないのだ。
見せしめにいつもの倍以上しごいても「ありがとうございます!」と叫ぶ強者までいる始末。
放置してもうるさいし、罰を与えてもやかましい。一体どうしたものかと悩み、何故こんなことで悩まなければならないのかと情けなくなってくる。
『……サーシャ』
「!」
上衣を脱ぎ、肌を外気にさらしたところで聞こえてきた声。机に立てかけておいた剣を手に取り、抜剣するサーシャ。
しかし周囲に誰も居ないことを確認すると、ようやく声の正体に思い当たり耳元へと手をそえた。
「……急に話しかけるなセルゲイ。心臓に悪い」
『そう言われましても。呼び鈴を鳴らすこともできませんしね』
左耳につけた水晶のイヤリングを介して伝わる声は、リカム帝国の将軍でありサーシャの幼馴染みである男のもの。
八つ当たりじみた苦言を漏らすサーシャに、どこか楽しげな声色で応える。
『急にすいませんね。ですが帝都の様子を、定期的に教えるように言ったのはサーシャですから』
「そうだったな。それで、そろそろそちらは雪は溶けたか?」
『まだちらほらと。一昨年と昨年に続き、今年も冷夏になりそうです』
「……そうか」
どこか気落ちした声で言いながら、サーシャは用意されていた湯と布で体を拭いはじめた。
リーメス城塞には、風呂などという気のきいたものはない。部下の目を気にしないならば、溜め水でも使って水浴びはできるだろうが、生憎とサーシャは女だ。
切羽詰まった場面で自分が女である事を主張する気はないが、平時から恥を知らぬほど女を捨ててはいない。
「今年も不作になりそうか」
『ローランドから輸入はしていますが、こうも続いては限界があります。ピザンを切り取るのが先か、ローランドを裏切って攻めるのが先か』
「豊穣の大地を手に……か。それだけの理由で有史以来大陸の南北で戦っているのだから、根が深い」
伝説の時代に世界が砕け、南大陸ができて以来、大陸の北部と南部の国や民族は争い続けてきた。
リーメスも、元は大陸北部から略奪に来る蛮族の侵入を防ぐために、ローランド王国が築いた長城だ。
もっとも、民衆に多大な負担を強いた長城の建設によって、反乱とキルシュの建国を招いたのだから、本末転倒としか言いようがない。
「それと……レオニート将軍について嫌な噂を聞いた」
『噂じゃありませんよ。遂に我慢の限界がきたらしく、イクサに挑んで返り討ちです』
自分たちと同じ将軍の死をあっさりと告げるセルゲイ。しかしそれを非難する気はサーシャにはおきなかった。
あのイクサが政に干渉を始めてから、幾度同じことが起きただろうか。
サーシャとて、勝機があれば同じことをしただろう。だが勝てるはずがない。
なまじ魔術の心得があるために、サーシャは誰よりもイクサの力を正確に評価してしまっている。
アレは正に世界を救う英雄の反存在だ。自分達のような端役では、噛ませ犬にもなりはすまい。
「それで、レオニート将軍ほどの武人なら、一太刀くらいは入ったか?」
戦士は魔術師に勝てない。魔剣の類いがあれば善戦はできるかもしれないが、レオニートの愛槍は業物であっても魔力のこもらないただの槍だ。
もし何かの間違いでイクサに攻撃が届いたとしても、その身を傷つけることは夢のまた夢でしかない。
『一太刀どころか、イクサの飼い犬すら越えられませんでしたよ』
「……あの黒騎士か」
いつの頃からか、イクサに重用されはじめた黒い甲冑に身を包んだ騎士。
素性は知れないがあのイクサに従っているのだ。中身はアンデッドであると噂されており、実際他に何人かいる黒い甲冑の騎士は死臭漂うアンデッドナイトである。
『あのレオニート将軍相手に互角でしたよ。イクサの横やりが無ければ、勝負は分からなかったでしょうが』
「横やりが入ったのか?」
『ええ。いきなり足元に影が広がって、ズボッと沈んだと思えば鎧と血糊を残しておなくなりに。死体がどうなったかは私にも分かりませんが』
「……まあ予想はつく」
ネクロマンサーに殺されたのだ。まず間違いなく人形の材料にされるだろう。
しばらくすれば、イクサ配下の黒騎士の中にどこかで見たような顔が混じっているかもしれない。
『サーシャ。そろそろ本気で逃げるか寝返るか考える必要がありますよ』
「……駄目だ。陛下を見捨てられない」
当たり前のように囁かれた、ある意味当然の裏切りの誘いに、サーシャはしばしの沈黙の後答えた。
「陛下さえ開眼していただければ、まだリカムはやり直せる」
『イクサがそれを許しますか。まあ逆に言えば陛下を人質にされているわけですが』
何だかんだと言いながら、セルゲイもまたリカムを捨てない理由はそれだ。
イクサさえ居なければ、自分たちの祖国はやり直せる。だからこそ、従うふりをして牙を研ぎ澄ましてきた。
『ですがサーシャ。引き際を誤れば、全てが失われます。ただでさえ貴女は、反イクサの筆頭と表だって認識されているのですから』
「……分かっている。粛清されない程度に大人しくしているさ」
憎しみを噛み殺し、サーシャは決意を新たにする。
その内心を読み取ったように吹き荒ぶ風と雨が、嵐の到来を告げていた。
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「降ってきたぜ。こりゃ見張りなんてやるだけ無駄だな」
兵たちの食堂として使われている部屋で、休憩に入った粗野な騎士が腰を下ろしながら言った。
「夜も深い。敵さんも夜遊びするほど気合い入ってないだろ」
「ああ、何せこのリーメスを奪ってから二年だもんな。探求王が健在なら、こんなにのんびりできなかっただろうぜ」
「……そうかな」
食事をとりながら言い合う二人の騎士。そんな二人の言葉に、ちびちびとカップの中身を減らしていた生真面目そうな騎士が呟くように言った。
「新たな王であるクラウディオは、反乱分子はもちろん疑わしい程度の不穏分子も問答無用で粛清していると聞く。財産も領地も没収し、ピザン王家の力は建国以来最大と言っていい」
「つまり……どういう事だよ?」
「足並み揃えない部下にキレて、独裁政治で無理やりまとめてるってことだよ」
いまいち話の理解できていない様子の軽そうな騎士に、粗野な騎士があきれ混じりの笑みで言った。
「何だよ。俺はてっきりピザンは正義の味方だと思ってたのに、それじゃうちと同じじゃねえか」
「……おまえ言葉選べよ。レオニート将軍の噂知らねえのか」
「陛下に粛清されたって? 馬鹿にすんなよ。俺だってホントはイクサに殺されたって事ぐらい分かるさ」
「分かった。おまえが馬鹿だってことは分かったから口閉じてろ」
胸を張って言う軽そうな騎士に、粗野な騎士はため息をつく。
「しかしうちもどうすんのかね。いくら兵力でこっちが勝っても、四将軍の一人が欠けたんじゃ不安も残るぜ」
「確かに。四将軍以外に優れた将が居ないでもないが、ピザン諸侯は厄介だ。血塗れ王の粛清劇を切り抜けたのだから、能力も信も高いものが厳選されたとも言える」
「ピザンと言えば、あの噂知ってるか?」
不意に話に割り込んできた軽そうな騎士。それに生真面目そうな騎士は眉をひそめたが、無言で先を促した。
「先月から白竜騎士団がピザンに攻めこんでるだろ」
「ああ。そのせいで俺ら赤竜騎士団は、代わりにリーメスくんだりで留守番してるんだからな」
「その白竜騎士団を、妙な集団が何度も撃退してるらしいんだよ」
「妙な集団?」
「ああ、見た目は騎士だが、武装がまったく統一されてなくて、鎧も兜も得物までてんでバラバラ」
「騎士崩れの傭兵か?」
「だと思うだろ。だが奴らかなり統率されてるらしい。個々の技量も確かで、白竜騎士団は手を焼いてるって話だ」
「あの戦の申し子相手にか?」
白竜騎士団の長であるウォルコフは、指揮官としては問題が多いが武人としては間違いなく大陸最強の一角だ。
それに白竜騎士団には、副将のシルキスがいる。ウォルコフが暴走したとしても、悪手はとらないはずだ。
「何者だそいつら」
「さてね。だが奴ら、一つだけ共通点があるそうだ」
「共通点?」
訝しげに問う生真面目そうな騎士。それに軽そうな騎士は焦らすように口に酒を含むと、何故か得意気に言う。
「奴ら揃って赤拵えの鞘をぶらさげてるらしい。得物は剣やら槍やらメイスにハンマーとてんでバラバラだが、使いもしない鞘だけお揃いってわけだ」
「なるほど。赤鞘の騎士団と言ったところか。同じ赤を象徴する騎士団として、是非闘ってみたいものだが」
「よせよ。あの銀狼を手玉にとる連中だぜ。戦わないに越したことは無い」
今回のリーメスでの留守番のように、赤竜騎士団は貧乏くじをひく割合が高いのだ。
これ以上運気が下がってたまるものかと、粗野な騎士は景気よくカップの中の酒を飲みほした。
「……何か騒がしくないか?」
「ん? まさか親衛隊がまた団長にちょっかいでも出しぃ!?」
生真面目そうな騎士に言われ、粗野な騎士がのんきに言っている最中、突然テーブルが吹き飛んだ。
否。吹き飛んだのは部屋そのものであり、原因は石造りの床をぶち抜いて生えてきた石柱だ。
どうやらそれはリーメスを横断するように生えてきたらしく、崩れた壁の向こう側、食料の備蓄子まで阿鼻叫喚の大惨事となっているのが見えた。
「つっ……だから魔術師は嫌いなんだ! 宣戦布告ぐらいしやがれってんだ! よーいドンで始めないと、こっちは何もできずに死ぬだろうが!」
「生きてるがな。どうやらリーメスの防御を抜くのが目的で、人的被害には期待してないらしい」
頭にスープの入っていた皿を乗せたまま叫ぶ粗野な騎士に、生真面目そうな騎士が石柱をなでながら言う。
「襲撃! 襲撃者だ!」
「遅えよ!?」
今更な情報に咆哮しつつ、粗野な騎士は走りだす。続いて生真面目そうな騎士が、軽そうな騎士を引きずりながら走りだした。