夏の始まりを告げる虫の声。その騒がしいとすら言える鳴き声が聞こえ始めた日ですら、肌に感じる風は春のように涼やかで肌寒さすら感じさせた。
「……ようやく一区切りつきました、陛下」
王都の外れにある墓地。その中でも一際大きく荘厳な墓を、コンラートは訪れていた。
ピザン王家を象徴する赤と青の宝石があしらわれた、歴代の王の墓。この墓にドルクフォードを埋葬することに意見を唱える者もいたが、最終的にはドルクフォードの三人の子が押しきり葬儀もきちんと行われた。
晩節を汚したとも言われるが、それでもドルクフォードは英雄であり皆に慕われる王だった。誰もがその死を嘆き涙した。その光景を見て安堵したのは、コンラートがドルクフォードの葛藤を知る故だったのだろうか。
「こんなところに居たのかコンラート」
不意に声をかけられ、コンラートは目の前の墓から目を離し背後を振り返った。
「ゾフィー殿下。また護衛もつけずにお一人で……」
「ちゃんとマル爺が付き添ってくれている。大体余計な体力を使うなと言われて車椅子など使っているが、押してくれる人間が居ないなら歩いたほうが余程楽だ」
そういう彼女の遥か彼方を見やれば、目立つ巨漢の老人が得意げに親指を立てていた。
どうもマルティンという老人からは、自分が今まで背負ってきた苦労や心労を全て押し付けてやろうという悪戯心を感じる。それだけコンラートを信頼しているとも言えるのだが、その茶目っ気のせいで素直に受け取る気になれないのは仕方ないだろう。
「それにしても、戴冠式が終わるなり姿を消すものだから、兄上が『コンラートは何処だ!?』と騒いでいたぞ。まったく兄上のコンラート好きにも困ったものだ」
「それはまた……」
さっさと逃げておいて良かった。コンラートは口にこそしなかったがそう思った。
こうしてピザン王国に戻ってきたコンラートだが、全てが元の鞘に収まったというわけではない。
理想の主従であると周囲に認められていたドルクフォードは死に、コンラートの後ろ盾となってくれていたアルムスター公を初めとする諸侯も亡くなるか代替わりをした。
以前よりも、コンラートの立場は微妙なものとなった。そのコンラートと即位したばかりで盤石と言える基盤を持たないクラウディオが必要以上に近づくことは、現状に不満を持つ者たちにいらぬ諍いの元を与えかねない。
「確かに、新たにアルムスター公となったフランツなど、露骨にコンラートを嫌っているな。父や弟とは上手くいっていたというのに、何をやらかした?」
「私は何もしておりません。そもそもお父上やカールとは違い、それほど話したこともありませぬ」
フランツがコンラートを嫌う理由。それは単なる嫉妬にすぎなかったりする。
敬愛する父に信頼され、騎士としての理想を体現し、あろうことか最も高貴な女性とすら言えるゾフィーの寵愛を受けている。
若くして公爵として驚くほど有能なフランツだが、羨ましいというだけでコンラートを嫌うあたり、まだまだ青いということかもしれない。
「親から子へ引き継がれていく。だが私は、父の跡を継ぐことができなかった」
少し車椅子を進めてコンラートと並ぶと、ゾフィーは父の眠る墓を見ながら言った。
「玉座を取ると、そなたの主に相応しい人間であると証明すると嘯きながら、もう王としてどころか騎士としても……女としても役割を果たせない。無様だな、私は」
己の有様を卑下しながらも、その姿には己の現状に嘆く弱さは微塵も感じられなかった。
凛と伸ばされた背中。なるほどこの少女は強い。そうコンラートは改めて思った。
しかし故に脆い。生まれながらの王であり折れることを知らない少女は、いつか限界を越えて砕けてしまうだろう。
「……それでも、私の主は貴女です」
しかしそんな事は関係ない。
断言するコンラートに、ゾフィーが目を瞬かせて振り向いた。
「貴女がもう剣を振れぬというのなら、私が代わりに振りましょう。貴女が敵を殺せと命じれば、私はそれに従いましょう。貴女が大義を為すために力が必要ならば、私がその力となりましょう。
貴女にはまだできることがある。剣を振ることしか能がない私などよりも、多くのものが見えている。そんな貴女を支えるために、私は剣を捧げたのです」
「……」
コンラートの言葉にゾフィーは応えない。応えることができずに、ただ驚いたように目を丸くしている。
そうしてどれほどの時間が経ったのか。ゾフィーは諦めたように目を閉じると、安心したような笑みを浮かべて言った。
「無為の信頼がこれほど重いものだとは思わなかった。励まされているはずなのに、さっさとやるべきことをやれと叱咤されているようだ」
「滅相もない」
「分かっている。ただ俄然気が引き締まるということだ。なるほど、父上がそなたを重用した理由の一端が分かった気がする」
そう言ってほほ笑むと、ゾフィーは右手をコンラートへと差し出す。
「コンラート。王にこそなれなかったが、それでも私は王家の人間だ。この国のために身を捧げる決意はとうにできている。そのためにどうか、そなたの力を貸してくれ」
「……御意!」
跪きゾフィーの右手を取ると、コンラートは誓いの言葉を口にした。
もう二度と違えはしない。そうもう一つの誓いを立てながら。
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ドルクフォード王の死から二か月後。ドルクフォードの第一子であるクラウディオ王子が正式に王に即位。前大戦での二つ名「炎将」に倣い「紅炎王」と称される。
新たな王の下団結するピザン王国だったが、リカムによる侵攻と内乱による被害は大きく、国の立て直しに多くの時間と労力をとられることとなる。
その中でクラウディオは、リカムの宮廷魔術師であるイクサに通じている疑いのある諸侯を粛清。その容赦の無さと苛烈さから「血塗れ王」と呼ばれることとなる。
その一方。王妹となったゾフィーは、二百年前に壊滅の憂き目にあい解散した王家直属の騎士団「赤剣騎士団」の再結成を宣言。その団長に前大戦の英雄コンラート・シュティルフリートを任命する。
最初王妹の道楽と諸侯に嘲りを受けた赤剣騎士団であったが、身分を問わず優秀な者を重用しリカムとの戦いにおいても獅子奮迅の活躍、蒼槍騎士団と並び最強の騎士団と呼ばれる事となる。
ピザンとリカム。
二つの大国の睨み合いは続き、決着がつかないまま大陸は次第に荒れていく。
そしてこの硬直状態は二年もの間続くことになる。
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「ようやく戻ってこれたか」
ピザン王国北部ネージェの港町。西大陸からの交易船も訪れるその港に、一人の青年が降り立った。
「西大陸に飛ばされ彷徨っている内に半年。女神教会からのついでと言わんばかりの任務を片付けるのに一年。そこから単に帰る算段をつけるためだけに半年。まったく、師匠と旅をしたときはもっと簡単に他の大陸まで渡れたんだが、どんな無茶をしてたんだあの人」
愚痴るような言葉はしかし楽しげで、声にはようやく帰還できたことへの歓喜が浮かんでいた。
「ともあれ、これでやっと借り物を返すことができる。それに、誓いも果たせた」
大切なものを慰撫するように、青年は腰に下げた剣を――対の聖剣の片割れを撫でる。
「約束通り、死なずに帰ってきましたよコンラートさん。話したいことがたくさんあります」
そう言ってクロエ・クライン。二年の歳月を経て少年から青年へと成長した神官は、歳の離れた友人が居るであろう王都へと目を向けた。
行方不明だった最後の欠片。
彼という役者の帰還を機に、停滞していた時が再び流れ始める。