「戴冠を認めないときたか」
離宮の一室。臨時の次期王クラウディオの公私兼用の部屋にて、主は一枚の紙切れをつまみ上げ苦々しげに言葉を漏らした。
「字が読めないのですか。認めないとは書いていません。条件付きで認めるとあるのです」
一方幽閉されてから体調が優れないらしいヴィルヘルムは、顔色こそ悪いものの相変わらず冷静かつ嫌みにクラウディオに言葉を投げる。
それにクラウディオはピクリと眉を痙攣させるものの、激しやすい己を戒め努めて平静を装い言葉を投げ返した。
「条件というのは『ピザンが不当に奪った教会の領地、及び自治権の返却』のことか?」
「そうです」
女神教会からの書状。それを汚らわしいものであるかのようにつまみ上げながら、クラウディオはヴィルヘルムに言う。
「正気かヴィル? 教会の生臭坊主どもが、うちの庭で何をしたかなど、俺よりお前の方が詳しいだろう」
魔女狩り。
先代プルート王の時代に女神教会の一部過激派が起こした運動は、大陸全土に広がり、ピザンも例外では無かった。
異端狩りは常に行われていたが、それは堕ちた魔術師を討伐するものであり、そう頻繁に行われることではない。
しかし魔女狩りと呼ばれたそれは頻繁に、毎日のように行われた。何故なら魔女とは名ばかりの魔術師や薬師。教会へ不満を持つ者、挙げ句には財産持ちの商人や下級貴族までもが『魔女』として狩られたためだ。
「俺はあの好色ジジイの事はあまり好きでは無かったがな、女神教会の生臭坊主を叩き出したのは、数少ない功績だと思っている」
「好色なのは貴方もでしょう。しかし確かにプルート王の判断は間違いでは無かったと思います」
魔女狩りは、魔女の名を利用した人狩りだった。
教会が反抗勢力を駆逐し、財源を確保するための隠れ蓑に魔女の名が使われただけだった。
「で、どうするのだ? 俺はこんなふざけた要求を飲むくらいなら、破門されるか、いっそリカム正教会に改宗するぞ」
「敵国の国教に改宗してどうするのですか。貴方は信仰というものを軽く考えすぎだ。破門されただけで民の多くは貴方の王気を疑い、改宗しようものなら反乱が起きかねない」
詳しい歴史は省くが、ピザンやキルシュといった旧ローラン王国に属した国は、独立の際に女神教会からの支援を受けた。簒奪とも言える行為を、教会の権威によって正当化したのだ。
王の権威は教会の権威の下にある。王が即位する際には教皇がそれを認め冠を授ける。
権威無く力のみをふるうなら、それは蛮族と変わりない。
民衆の支持を得るためにも、教会という後ろ楯は必須なのだ。
「……民にとって神とはそれほどか?」
「民には教会の恥部など伝わりませんから。毎週の礼拝で神官から有り難いお話を聞くのがせいぜいですよ」
「……それを聞いて俺は益々教会が嫌いになった」
王位を継ぐと決めてから加速度的に増えていくストレスをため息と一緒に吐きながら、クラウディオはどうしたものかと頭を抱える。
「しかし父上の治世の間には放置していた問題を掘り起こすとは、なめられていますね」
「仕方ないだろう。俺は父上とは違い、戦働きはともかく政治的な功績は無いに等しい」
「ですね。しかし彼らも貴方も忘れていませんか? ……父上の統治を支えた臣下は未だ健在だということを」
そう言って笑うヴィルヘルムは黒かった。
腹の中の黒さが滲み出るどころか溢れ出す勢いで黒かった。
クラウディオはヴィルヘルムの機嫌が微妙に悪いのは察していたが、ようやく真実に気付いた。
この弟は兄と一緒に自分も侮られたと判断したのだと。
そして弟の機嫌は微妙どころではなく、近年まれに見るほどに最悪だったのだと。
「……何をする気だ?」
「弱みを握ったと勘違いしてはしゃいでいる方々には、キツイ灸を据えて現実を直視してもらいましょう」
そう言って笑うヴィルヘルムは、どこから見ても悪人かあるいは悪魔だった。
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どのようにして女神教会を陥れようかとヴィルヘルムが考えているほぼ同時刻。ピザンのとある街のとある屋敷をさる神官が訪ねていた。
サントという名の神官。彼は修道司教の地位にあり、経験も実力も確かな高位の神官である。
しかし今回彼が受けた依頼は、久方ぶりに緊張を強いられるものであった。
治療を頼まれた事など数えきれない。治癒魔術に特化している故に修道司教に甘んじているが、逆に言えば治癒魔術のみなら最高位の修道枢機卿にも負けないと自負している。
しかしそんなサントにも、今回のそれは難易度が高過ぎた。
治療するのは訪れた街、スタルベルグを治める伯爵にしてピザン王国第一王女ゾフィー・フォン・ピザン。
さらに彼女を蝕むのは、リーメス二十七将にかぞえられた魔術師イクサ・レイブンの呪いだったのだから。
「……無理です。私の手にはおえません」
ゾフィー王女の私室の中。招かれた高位の神官は、ついに匙を投げた。
「そなたほどの術者でもか」
元より期待は薄かったが、それでも治療を諦めるのが早すぎる。
故にゾフィーは手に終えぬ理由を訊ねた。
「治癒そのものは難しいものではありません。しかし呪いが……解呪だけでも私には手が余るというのに、一度解呪してもカビのようにどこからかわきでてくるのです」
「つまり解呪しながら治癒ができる神官ならば……」
「かのネクロマンサーの呪いを解くだけでも枢機卿クラスの力が必要です。重ねて治癒を行うなど……」
「クライン司教はやっていたが?」
「あの方は特別です」
ハッキリと言われ、ゾフィーはどういうことかと問う。
「ジレントの出身ですし、噂では使用を自粛しているだけで、精霊魔術や暗黒魔術にも通じているとか。
修道枢機卿になるに足りぬは年齢だけ。敵味方を問わずそう評価された神童です」
淀みのない賛辞に、ゾフィーは平静を装いながら盛大に汗をかいていた。
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「……そんな世界の宝のような神官を戦争に巻き込んでしまったのか」
「……面目次第もございません」
サントが帰り、静かになった部屋にコンラートを招き入れると、ゾフィーは椅子に腰かけたまま呻くように言った。
落胆もあったのだろう。力無く椅子の肘掛けにもたれていたゾフィーだったが、コンラートの沈んだ声を聞くと慌てて姿勢を正した。
「いや、そなたのせいではあるまい。それに、そなたはもう後がないという時に、最高の援軍を連れてきたのだ。誇るが良い、我が騎士よ」
『我が騎士』
そう強調して言うゾフィーに、コンラートは笑いをこらえながら頭を下げた。
ゾフィーからすれば、子供の頃から憧れ、見上げていた騎士が己に仕えてくれているのだ。
隠しきれない喜びを醸し出すその様は子供のようであり、そういえばまだこの方は二十歳になっていなかったなと、今更ながらにコンラートに思い出させた。
「しかしそなたがジレントからヘルドルフ伯の娘を連れ帰るとは思わなかった。モニカと言ったか。最初侮っていた役人が下を巻くほど優秀と聞いたが」
「はい。盲目故に軽んじられたようですが、モニカ様は盲目故に一度聞いたことを忘れぬとか。義姉であるツェツィーリエの補助もあり、経験を積めば問題なく領主としてやっていけるとのことです」
そうコンラートは本人たちから聞いたが、実際にはまだまだ問題は多いのだろうと察している。
だがマリオンが当主を継ぐ以前の、マクシミリアンに仕えていた旧臣やその縁者が続々と戻っているとも聞く。彼らならばマクシミリアンの遺児であるモニカを支えてくれるだろうと、コンラートは半ば楽観視もしている。
「まだ十五になったばかりだったか。クライン司教といい、カイザーといい、十五年前に生まれた者は、何かの祝福でも受けているのか?」
ついでにフェンライトという商家では、十五歳の養女が家の実権をほぼ握り類い希な商才を見せつけていたりするのだが、今の二人は幸か不幸かそれを知らない。
もっとも後日『大陸制覇』を掲げる彼女と嫌でも関わる羽目になるのだが。
「新たな時代の担い手……やもしれません。私やクラウディオ殿下も、十五年前の戦の最中にはそう呼ばれたものです」
「……十五年といえばコンラート。前々から疑問だったのだが」
急に態度を変え見上げてくるゾフィー。
その様子をはてと見下ろし、コンラートは既視感を覚え僅かに身を固くした。
ゾフィーの顔は悪戯を思い付いた子供のようだった。
見覚えがある。あって当然だ。その顔は彼女の父であるドルクフォードが、何やら悪巧みを思い付いたときのそれと瓜二つなのだから。
「そなたの実年齢が四十を越えているというのは本当か?」
「……それが本当ならば、私はドルクフォード陛下に拾われた時には二十二、三の成人だったことになります」
その十歳分のサバは何処からわいて出たのかと考え、己の老け顔のせいだろうと自己完結する。
確かに歳のわりには皺や白髪が多いが、十も歳を間違われるほどだろうか。
「うむ。そうだな。私が十五年前に見たときは、確かにまだ幼さが残る顔立ちだった。……そなたいつの間にそれほど老けた?」
純粋に疑問におもっているのであろうゾフィーからは、まったく悪意が感じられない。
恐らくコンラートは、この程度の悪ふざけは気にしないと確信しているのだろう。
実際コンラートはあまり気にしていないが、うら若き乙女であるゾフィーに『老けている』と言われると、少し、ほんのちょっぴりだけ、胸が痛くなるのは仕方あるまい。
「……主にドルクフォード陛下にこき使われたせいかと」
故に少しばかり意趣返しに走ったのだが、効果はてきめんだった。
目を驚愕に見開き、血の気の失せたゾフィーの顔はさながら罪人のようであった。
「私は、そなたに無理は言わぬからな。父上の分まで責任を持って労るからな」
そして慈愛に満ちた顔で、まるで老人を労るかのように手を握ってくるのだ。
コンラートをからかうための演技なのだろうが、本音も混じっているであろう上に迫真すぎて、反応に困る対応である。
「……ありがたき幸せ」
そしてその優しさは嬉しかったが、それほどまでに自分は老け込んでいるのかと、少し心配になったコンラートだった。