ピザンの王都を大地震が襲い、国内は混乱に見舞われた。しかしゾフィー王女の無事と狂王の最期が伝えられると、皆は安堵と希望に沸き立った。
特に国民を喜ばせたのは、行方不明だった白騎士コンラートの帰還であった。騎士の位を剥奪されながらも、王女を救うために単身戦場へ乗り込み、外道に堕ちたかつての主を誅殺した。
さながら物語の英雄のような偉業に、誰もが歓喜し、酔いしれる。
しかし誰も知らなかった。
何故王都を突如地震が襲ったのかを。
何故地震の規模の割りに被害が少なかったのかを。
そして栄光の影で、命を賭して世界を守った少年が居たことを。
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マルティン・フォン・ローデンヴァルト。
齢五十五という高齢でリーメス二十七将の一人に数えられた猛将であり、七十を迎えてなお戦場に立った最後の老兵。
先々代であるブルーノ王の時代からピザンに仕え、四十年前に起きたグルーノの変と呼ばれた内乱においては、先代であるドルクフォードと敵対する兄王子に付き、彼を大いに苦しめたという。
負傷した部下三人を背負い山を越えた。暴走した馬車を身一つで止めたなど幾つもの武勇伝を持ち、もはやその存在は生ける伝説と言って過言ではない。
そんな彼に先の大戦の後に任されたのは、最前線の辺境の領地で無ければ、精鋭を集めた軍でも無く、当時四歳を迎えたばかりの王女の従者であった。
多くの者は親馬鹿な王の身勝手で益の無い人事だと笑い、一部の者は老いたマルティンへの気遣いに違いないと訳知り顔で納得して見せた。
しかし誰が予想しただろうか。幼い王女一人の世話が、万敵にも劣らぬ難事であると。
「ピザン家の女は、男に比べ聡明で分別があるなどと誰が言い始めたのか。わしに言わせれば、好奇心と賢しさと行動力が無駄に高い悪ガキだ。いや、単純なぶん悪ガキの方がいくらか扱いやすい」
何度拳骨を落として叱ったかと、マルティンは愚痴混じりに言う。
王女を拳で殴るなど、普通ならば首をとばされてもおかしくない暴挙である。しかしドルクフォードやクラウディオといったピザンの男たちに振り回されてきたコンラートからすれば、大いに納得してしまう事でもあった。
騎士修行を平然とこなしてしまうゾフィーだ。今では振舞いに隙無く美目麗しきお姫様も、昔はさぞお転婆だったのだろう。
唐突にマルティンに食事に誘われ、何事かと身構えて彼の屋敷を訪れたコンラートであったが、前菜が運ばれてくるなり始まったのはゾフィーに関する愚痴であった。
それなりに長い付き合いではあるが、まさか主君の文句を垂れ流されるとは思わず、コンラートは苦笑いをするしかない。
「しかしローデンヴァルト様がこのような屋敷をお持ちとは知りませんでした。かなり古いもののようですが」
地震により多くの建物が崩れ落ちた王都ではあるが、震源地である城から離れた建物はそれなりに残ってはいた。
マルティンの屋敷もその一つであり、今は家を失った人々の避難所として解放されている。
「ここはわしの家が代々継いでいる別邸だ」
「別邸ですと?」
それにしては立派すぎないかと、コンラートは首をひねった。
自らの領地を持つ領主たちは、当然ながら王都に長期間滞在するための別邸を持っている。
ピザンのような封建制国家では、領主同士の繋がりが重要だ。そのため王都での活動の拠点となる別邸は、仮宿だからと質素になったりはせず、むしろ見栄をはり大規模になる。
しかしローデンヴァルト家は軍事に力を入れている家系であり、いらぬ見栄をはるような家柄とは思えない。
故にコンラートは不思議に思ったのだが。
「わしの五代前くらいだったか。『領地の経営は苦手だ。適任者に任せて自分は軍に専念する』と言って領地を代官に丸投げしたらしくてな。別邸のはずの王都の屋敷が本邸になってしまったわけだ。
……いや、気持ちは分かる。だがわしも代官に頼りきりだが、さすがに暇を作って視察や確認はしておるぞ?」
あまり領主として褒められたものではないと自覚しているのだろう、長い白髭を撫でながら言い訳をするマルティン。
そんなマルティンに、コンラートは苦笑しながら返す。
「お気持ちは分かります。俺もモニカ様をお支えせねばならぬのですが、領主の仕事とやらはさっぱりで。従者が私などと比べるも無く博識故、口を出す必要も無さそうですが」
ピザンに戻ったは良いが、当初コンラートはへルドルフ家に関する問題をどうすれば良いかを、まったく考えていなかった。
いきなりモニカの爵位継承を訴えても、それが認められるはずがない。ゾフィーやクラウディオとて、コンラートをそういった形で贔屓などするはずがない。
故に手詰まりに等しかったのだが、事態は思わぬ方向へ進んだ。
かつてへルドルフ伯に仕えていた騎士や兵士、使用人たち。彼らはモニカの事を聞き付けると、一斉にモニカが前へルドルフ伯の娘であると証言し、さらに現へルドルフ伯マリオンの罪を責め立てたのだ。
ほとんどの者は尻馬に乗っただけらしいが、一部は本当にモニカの事やマリオンの悪事を知っていたらしい。
無論そんな人間はマリオンに頭を押さえられていた。しかしマリオンがジレントに手勢をほとんど連れていった隙に、さらにコンラートという中央に顔が利く援軍を得て、一斉に動き出したということらしい。
結果マリオンは義姉殺しの罪に問われ、ジレントに惨敗して逃げ帰ったところを拘束された。
あまりにあっさりとした幕引きに、ツェツィーリエなどは気どころか魂が抜けたように呆然としていた。もっとも一日も経った頃には立ち直り、モニカをもり立てるために奔走していたが。
「ふむ、新たなヘルドルフ伯に義姉の女魔術師か。今の内に主導権を握っておけコンラート。女というのは感情で動いているように見えて、観察眼は鋭く時に道理を越えて答えに辿り着く難解な生き物だ。
上司であれ部下であれ、自分より頭の回る女子が職場に居れば、肩身が狭くなる」
苦笑いを隠すように葡萄酒を口に含むマルティン。そんなマルティンにコンラートもまた苦笑で答えた。
マルティンが言っているのは、間違いなく経験談だろう。ゾフィー王女という、世界でも有数に難解な姫君に付いていたのだから、さぞ苦労も多かろう。
「まあその苦労もぬしに投げて仕舞いだ。ようやくわしも隠居できる」
「……俺は騎士ですらありませんが」
今のコンラートは、未だ浪人の身だ。騎士任命の話は当然あり、クラウディオに騎士の誓いを捧げるのだろうと周囲は予想していたらしいが、コンラートはそれを断った。
その際の混乱は凄まじかった。
「忠義の騎士がピザンを見限った」と大騒ぎ。沈没間際の船から逃げ出す鼠を見たかのような有り様であった。
無論コンラートがピザンを見限るはずがなく、騎士任命を断ったのはクラウディオではなくゾフィーに剣を捧げると決めていたためである。
国王への忠を拒み、王位を逃した王妹に忠誠を誓うコンラートに、周囲は相変わらず変わり者だと呆れた。
逆に事前にコンラートがゾフィーに剣を捧げる約束をしていたと知る面々は、彼らしいと笑っていた。
そしてアルムスター公フランツは羨ましさと嫉妬からコンラートを睨んでいた。
「……失礼。どうも弱気になっていたようです」
「なに、迷うのがおぬしらしい。他にもな、普通ならば切り捨てるようなものに悩む。そんなおぬしの甘さと誠実さを、わしは気に入っておる」
そういってカカと笑うマルティン。しかし不意にその顔から笑みが消え、皺だらけの顔が獅子のように厳ついものに変わる。
「コンラート……」
「……何か?」
ただならぬ様子に、コンラートは肉を切り分けていた手を止めマルティンを見る。
「おぬしわしの養子にならぬか」
「……は?」
知らず間の抜けた声が漏れた。
何を言われるのかと身構えはしたが、出てきた言葉はまったく予想の範囲から外れたもの。
ここで呆けずしていつ呆けるのか。そんな思いが浮かんだコンラートだったが、すぐに正気に戻り開いていた口を閉じて開き直す。
「失礼。しかし何を急におっしゃるのですか」
「何かおかしいか? わしは後継ぎを先の戦で亡くし、子宝も期待できん。家を存続させるためにも、養子をとるのが自然ではないか」
「そこで俺を選ぶのがおかしいかと」
普通は遠縁の親戚か親い貴族か、百歩譲っても貴族の血を引いた庶子だろう。
コンラートのようなどこの馬の骨ともしれぬ輩を、後継者にするなど聞いたことがない。
「うちは代々戦馬鹿だからのう。血筋にはあまり拘らんというか、拘っておったらとっくに断絶しておる。わしとて父は家を飛び出した三男坊で母は踊り子だ」
「ならば尚更、誰でもいいならば何故俺を?」
「まあわしもな、領地は王家に献上するつもりであったが、おぬしに託した方が結果的には良い方向に動くのではと思ったのだ」
そう言って茶をすするマルティン。
「ゾフィー様を守り立つならば、おぬし自身が力をもつべきだろう。何よりヘルドルフの後継の後ろ楯となるなら、一騎士よりよほどやれる事は多くなる」
マルティンの言葉にコンラートはなるほどと頷く。しかし肯定のためにもう一度首を振る気にはならなかった。
ローデンヴァルトが代々継承しているのは伯爵位。そのような分不相応なものを、コンラートのような謙虚で頭の堅い男が受けとるはずがない。
「どうせ男爵位を授けようという動きはあるのだ。少しばかり色がつくだけだろうに」
「……少しではありませぬ」
基本ピザンでは、男爵というのは領地を持たない。未だ家督を継いでいない子息や功績を立てた平民に送られる、名誉職のようなものでしかない。
しかし伯爵ともなれば話は違う。公爵や侯爵より下位ではあるが、立ち回り方によっては国政にも食い込める正真正銘の貴族だ。
コンラートのような成り上がりが伯爵となれば、いらぬ諍いを生みかねない。
「カッ! そんな小さい連中なぞ蹴散らしてやれ。」
しかしマルティンは気弱なコンラートに一喝すると、無茶な事を言い始める。
マルティンの言い分も分かるが、コンラートには無茶でしかありえない。
「もう決めた。ぬしに断る権利はない。なに、ゾフィー殿下に進言すれば、喜んで賛同して下さるじゃろう」
したり顔で言うマルティンに、それは違いないとコンラートは同意したくないが同意した。しかしゾフィーやクラウディオが認めても、ヴィルヘルムや諸侯は認めないだろう。
そう楽観的に構えていたコンラートだったが、後日何故かヴィルヘルが賛同し、さらにクレヴィング公をはじめとした諸侯まで味方になってしまい、完全に逃げ道を失うのであった。