「離宮を使う時が来るとはな」
王都の中心から離れた、ほぼ無人となっていた宮殿。それでも使用人たちは仕事に手を抜かなかったらしく、床には塵一つ落ちていない。
そんな離宮の長い通路を、クラウディオはヴィルヘルムを伴って歩いていた。
「先々代が戯れに造った余分です。守りには難がありますし、何より趣味が悪い。高価なものを使えば良いものができるというわけではないのに」
「ほう、珍しく意見があうな。だが、今から城を建てる時間も金もないぞ」
地震と思われる災害により、王都の中心にそびえ立っていた城は崩壊し、周囲の建物も砂のように脆くも崩れ去った。
不幸中の幸いというべきか、戦の最中であったため住人たちは避難していた。しかし住む家を失った彼らは途方にくれたし、主要施設を失った統治者も頭を抱えた。
クラウディオがヴィルヘルムの顔を盗み見れば、まだ本調子ではないであろう血色の悪い顔に皺を刻んでいた。
「当たり前でしょう。今の王都の惨状を見て、余計な出費を提案するようなら暗殺しています」
「父上ではあるまいに」
「父上はああ見えて細かい計算は得意でしたよ。旅暮らしで身に付いた……のでしょう」
そこまで言うと、ヴィルヘルムが不意に立ち止まる。
何事かとクラウディオが振り向けば、ヴィルヘルムと目があった。
冷たく、しかし吹き上げる熱を秘めた瞳と。
「父上は多くの苦労を背負い、多くの責務を果たしていた。貴方とは違う」
今更ながら、クラウディオはヴィルヘルムの内心に気づいた。
この妹以外に興味の欠片も無いはずの弟は、ともすれば兄や妹よりも父を慕っていたのだ。
いや、そもそも父に最も近い場所にいたのは、宰相という立場にあったヴィルヘルムなのだ。その偉大さと苦労を、間近で見てきた彼が、父を認めぬはずがない。
「貴方では、父上の代わりにならない」
「……」
敵意すらこもった言葉に、クラウディオは何も言い返せなかった。
反論できないからではない。この弟が自分に向けてきた苛立ち。その理由の一端がようやく知れ、納得したためだ。
「……確かに、父上は凄いな」
放浪時代ばかりが有名なドルクフォードだが、旅をやめ国に戻ってからもその人生は波乱に包まれていた。
クラウディオが生まれたばかりの頃、ドルクフォードには兄にあたる人間が六人居た。精力旺盛なプルート王にしては少なかった王子たちは、決して愚かでも欲深くも無かったが、生まれた時代が悪かった。
いつからか領主たちの力が増し、選定候の存在すら形骸化していた時代。その結果繰り広げられたのは、各々の領主の同盟が次期王を祭り上げての継承戦争だった。
結果国は割れ、血で血を洗う戦が起こった。その中でドルクフォードは兄たちを蹴散らし、背後にいた領主たちをねじ伏せたのだ。
王が王として君臨し、選帝侯が正常に機能している今の状態は、ドルクフォードと彼の忠臣たちの活躍がなければありえないものだった。
「認めようヴィル。俺は父上に敵わない。王としても将としても、親としても男としても、勝てるはずが無いと逃げてきた」
もしクラウディオにドルクフォードに打ち勝つ強さがあれば、少なくともジレントに戦を仕掛ける事は無かっただろう。そして戦友をむざむざと国から去らせるような真似はしなかった。
「以前おまえは言ったな。ゾフィーに重荷を背負わせるのは可哀想だと。ああ、まったくその通りだ。何より十以上も年下の妹に全て押し付けて逃げるなど、情けなくて仕方が無い」
「……遅すぎますよ」
「まったくだ。だが、俺にもまだできることがあるのなら、あいつの代わりが務まるのなら、国と民のために、この身を捧げよう」
宣言するように言いながら、クラウディオは目の前の重厚な扉を押した。
長い年月で痛んでいたのか、軋んだ重い音を立てて開く扉。その扉が開ききったそこには、部屋を占拠するほど巨大な円卓。その円卓を囲むように、5人の男女が座っていた。
「揃っているな、選帝侯」
「クレヴィング公とローエンシュタイン公が居ませんが」
「クレヴィングには雑務を任せている。今一番この国の状況を知っているのはやつだからな。グスタフについては療養中だ」
「療養……ですか」
クラウディオの答えに、アルムスター公フランツは微笑みを浮かべた。
相変わらず小娘たちが見れば騒ぎ立てそうなそれは、しかしどこか油断できない胡散臭さを感じさせる。
クレヴィング公の変わりようにも驚いたが、こちらの若き公爵も父の死と英雄との戦いを乗り越え一皮むけたらしい。
頼もしいことだとクラウディオは顔に出さず笑う。
「さて、おまえたちを集めた理由に察しはつくな?」
「王都の惨状やリカムの事ならこの面子にはならないでしょう。ゾフィー様の戴冠式の先伸ばしについてですか?」
「いや、王には俺がなる」
「なんですって!?」
クラウディオの言葉に、腿まで伸びた美しい銀髪の女――インハルト候が円卓を叩きながら声をあげた。
「どういうこと? 私たちはゾフィー殿下を支持して動いたのよ。何であなたが出てくるの」
「ゾフィーは王都の戦いで重傷を負った。命にかかわるものではないが、しばらくは絶対安静だ」
「教会から枢機卿でも教皇でもひっぱってきなさい!」
「無茶を言うな」
予想通りの反応にクラウディオは頭を抱える。
このクラウディオと同年代に見える女は、ドルクフォードの治世に貢献した忠臣の一人だ。ドルクフォードに懸想していたと言われ、一時期はゾフィーの母なのではと疑われたこともある。
もちろん事実無根の噂でしかないが、そんな疑いをもたれるほどのゾフィー贔屓だということでもある。彼女曰く「可愛くない」クラウディオがゾフィーにとって変わるのは、面白くないに違いない。
「デンケン! あなたもゾフィー殿下を支持していたでしょう」
「僕もというより、グスタフくん以外みんな支持していたでしょう」
インハルト候に話を向けられ、デンケン候は困ったようにあご髭を擦る。
「でも今クラウディオ殿下に王位を託すのも、妙手なんですよねえ」
「何でよ!?」
「僕だってゾフィー殿下には期待してますよ。今回の立ち回りも中々良かったし、お会いした時に感じた覇気は正に王のそれだ」
そこまで言ってデンケン候は肩をすくめる。
「でもゾフィー殿下はどちらかというと治世の賢王だ。国が落ち着くまでは、乱世の英雄であるクラウディオ殿下にでばっていただくのもありでしょう」
怪我をなさっているのなら療養してもらいたいですしね。
そう付け加えるとデンケン候は再び肩をすくめてみせた。
それを見てインハルト候はさらに反論しようとするが、それは第三者の声に遮られた。
「ゾフィー様なら乱世でもやってけると思うけど、怪我をなさってるなら確かにね。良いんじゃない、ゾフィー様が持ち直すまでは、クラウディオ様に血をかぶってもらうってことで」
「……くっ」
肩口まで伸びた金髪を後ろでまとめた小柄な青年――アルダー候までも納得して見せたため、インハルト候も勢いが削がれる。
「私は反対です」
だがそんなインハルト候に加勢する声が上がる。
この場の選定候の中では最年少だが、爵位では最上位であるアルムスター公フランツだ。
「クラウディオ殿下が王となり、結果その支持者が増えれば、ゾフィー様に王位を譲るべきでないと言う輩が現れるに決まっています。その場凌ぎのために混乱を招く必要は無いでしょう」
「ほう」
アルムスター公の意見に、デンケン候が感心したように声をあげる。
二対二。意見が割れたことにより、自然その場にいる者の視線は一人に集まった。
「……」
アングリフ候。岩から削り出されたような武骨な容貌の男は、腕を組み瞼を閉じたまま身動きひとつしない。
しかし自身の意を求められた事に気付いたのか、目を見開くとゆっくりと周囲を見渡し、低い声で言った。
「……ゾフィー殿下の容態と、ゾフィー殿下御自身の考えが聞きたい」
どっち付かずの発言は、しかし同時に正論でもあった。
今度は選定候たちの視線がクラウディオへと集まるが、彼は何故か苦虫を噛み潰したように口元を歪めていた。
何か後ろ暗いことでもあるのか。そうインハルト候が言いかけた所で、不機嫌そうな男の声が響いた。
「王女様は悪い魔法使いに呪いをかけられました」
「は?」
おとぎ話の一説のような一言に、誰かが呆けた声を漏らした。
間髪を入れず入り口の扉が開かれる。現れたのは眉間にしわを浮かべたグスタフと、柔和な顔付きのクレヴィング公。そして彼に押される車椅子に腰かけた、美術品のように麗しき容姿の王女だった。
「ゾフィー!? 安静にしていろと言われただろう! 何故連れてきたクレヴィング!?」
詰問するように言うクラウディオ。それにクレヴィング公はゆっくりと顔を向けると、突然顔を青ざめて震えた声を出し始める。
「ゾ、ゾフィー様に脅されたのです。『私を選定候の下へ連れていけ。従わねば干物のような貴様を、縛って吊るして本物の干物にしてくれる』と。私とて妻子ある身。干物にされてなるものかと、泣く泣くゾフィー様に従ったしだいでして」
嘘だ。そう全員が思った。
以前までのクレヴィング公ならばあり得る話だが、彼はクラウディオに問い詰められるまで平然としていた。
この腰抜け爺、どうやら腰を落ち着かせたついでに、愉快な方向に趣旨変えしたらしい。
「……で、おまえはどうしたグスタフ? 何ださっきのどこぞの語り手のような説明は?」
「……殿下に脅された」
らしくない言葉に誰もが耳を疑う。
「フフ」
どういうことかと重ねて問う前に、不意にゾフィーが笑みを漏らす。するとグスタフは体を震わせると、焦ったように視線をゾフィーからそらした。
とうやらこちらは本気でゾフィーの言いなりらしい。
「さて、私の体だが芳しくない。内臓をやられた故、満足に食事もできぬ」
「だから、高位の神官か魔術師に治療を!?」
円卓に身を乗り出して言うインハルト候。しかしゾフィーの口から語られた言葉に、凍りついた。
「無理だ。今の私には治癒魔術は効かない」
空気が軋む音が聞こえた。
インハルト候はもちろん、それまで不動の姿勢を崩さなかったアングリフ候すらも、何を言われたか理解できず目を剥いた。
「イクサの呪いだ。治癒だけでなく、私の身に流れるあらゆる魔力が阻害されるらしい」
おかげで己自身も魔術が使えないと、ゾフィーは痛むのか腹部を擦りながら言った。
「……つまりゾフィー殿下の怪我は治らないと?」
「いや、魔力を阻害されるだけ故、魔力によらない自然治癒はできる」
それはつまり治らないも同然だ。
魔術という奇跡なくして、無くした腹の中身が元に戻るはずがない。
「まあ要するに、私は二度と剣を振れぬ体になったわけだ」
落胆した様子もなく、あっさりとゾフィーは告げた。