ガンと、岩でも殴ったような音が響いた。
立っている者のいない血塗れの玉座の間の中に、いつの間にか現れた男が二人。
一人は長い灰色の髪を垂らした魔術師の老人。悪名高いリカムの宮廷魔術師長にして、リーメス二十七将に数えられたネクロマンサー――イクサ・レイブン。
一人は長剣を携え、斧槍を構えた長身の男。白騎士と呼ばれ、リーメス二十七将に数えられた巨人――コンラート・シュティルフリート。
かつて一度だけ対峙した二人の「英雄」がそこに居た。
「……」
ゆっくりと、コンラートは周囲を見渡した。
ドルクフォードが倒れている。玉座にもたれるように、縋るように。
カールをはじめとした騎士たちが倒れている。手足をもぎとられ、壊れた人形のように。
ゾフィーが倒れている。あの騎士姫が、ただの力無き姫君のように、体を穿たれて。
「イクサァッ!」
「クカッ。十五年ぶりだな小僧。このタイミングか。このタイミングで来るか! 相も変わらずの英雄様よ!」
憎悪。嘆き。憤怒。激情を込めて咆哮するコンラート。
期待。享楽。歓喜。目と口を大きく開き嘲笑うイクサ。
振り下ろされる腕。それに呼応するようにコンラートへと襲いかかるは、音速の影。
「フゥー……ハァッ!」
コンラートは手にした斧槍を構える。息をつき、間を置いて振り下ろされたはずの斧槍は、しかし音速の影の襲撃を凌駕し神速の断頭台の刃となって影を叩き落とす。
「落とすか! 我が謹製の使い魔を!」
イクサが手を振れば、さらに影が現れる。その数は五。ほぼ同時にコンラートへと襲いかかる。
だが見えている。音速の影をコンラートの眼は確かに捉える。
刃がバラけた鋸のような腕を持った小人。その存在の希薄さからして、実体を持つのは鋸の部分のみ。
「……フッ」
見えているのならば、やることは一つしかない。息を吸い、少しだけ吐き出すと、呼吸を止めて斧槍を振りかぶる。
袈裟懸けに振り下ろした斧槍が影を二つまとめて吹き飛ばし、勢いを殺さず背後へと振り上げられた瞬間、いつの間にか回り込んでいた影を跳ね飛ばす。
「……ハァッ!」
そして振り上げられた斧槍が一時止まった後、地面へと振り下ろされ、瞬く間に再び背後へと一閃された。
「……凄い」
その姿を、カールは呆然と見上げていた。
自分たちが対応すらできず、ゾフィーすら追い込まれた影を木の葉でも払うように撃退する師の姿。
自分の師はやはり英雄だと感動し、今の有り様を忘れそうにすらなる。
「よく頑張ったカール殿。後は俺に任せ休むと良い」
場にそぐわない、優しい声だった。そしてその声に合わせるように、広間の床から光が立ち上る。
太陽を思わせる暖かな光。それに包まれてカールは眠るように意識を失った。
・
・
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「かたじけない。クロエ殿」
突如発生した光の渦は、血塗れの床を滑るように移動し、倒れていた騎士たちを包み込んでいた。
治癒の魔術。そうあたりをつけたコンラートは、それを成したであろう神官の姿を見つけ、謝意を述べる。
「……久しぶりです。私の魔力が尽きそうになるのは」
いつの間にか広間の入口に居たクロエは、相変わらずの無表情で言う。しかし冗談めかしたその言い方からして、言葉の意味は本位ではないのだろう。
知れば知るほど内面がひねくれているのが分かってくる。中々厄介な性格の少年だとコンラートは苦笑する。
「ツェツィーリエも、助力感謝する」
「当然の事をしただけです」
クロエの隣に居るツェツィーリエに礼を言うと、どこか誇らしげな言葉が返ってきた。
こちらはこちらで、本気でコンラートの従者をやるつもりらしい。
まったくもって己は運が良い。
「クカッ……クカカッカッカッカッ!」
不意に、狂った笑い声が響いた。
三人が同時に視線を向けたそこには、玉座のそばに立つイクサの姿。
上半身だけを抱えるように曲げ、何かを押さえるように両手を巻き込みながら、大口をあけて壊れた歯車のような笑い声を漏らしていた。
「おまえが、おまえが来るか。今日は何という日だ。吉日か。なあ、テラス・レイブンよ!」
「……私をその名で呼ぶな」
今まで聞いたことのない声だった。
意図的に殺意をのせたわけでもない、感情を排したわけでもない、ただひたすらに冷たい声だった。
「カカッ。失敬、今はクロエ・クラインと名乗っていたか」
イクサの言葉を聞きながら、コンラートは先ほどのやりとりを反芻していた。
テラス。それは恐らくクロエの本来の名なのだろう。そしてレイブンという姓。
その姓を持つ者はこの場にもう一人いる。
「コンラートさん」
「む?」
コンラートの思考を遮るように、クロエが声をかける。その顔は相変わらず無表情ながらもふてくされたようであり、先ほどのような冷たさはない。
「このヒーリングフィールドは本来最高位の治癒魔術なのですが、 私が使ったのでは重傷者の命をつなぎ止めるのが精一杯です。何より王女殿下は術を止めたら死にかねません」
坦々と語られたそれに、コンラートは慌てて倒れ伏したゾフィーを見やった。するとそんなコンラートの反応を予期していたかのように、クロエはゾフィーのそばへと移動していた。
「私は治癒に専念します。……貴方は勝てますか? イクサに」
クロエの言いたいところを理解し、コンラートは渋面を作る。
回復も戦闘も等という器用な事は、いかなクロエでも不可能。
彼はいざとなったら見捨てると言っているのだ。騎士たちも、ゾフィーすらも。
「……クロエ殿」
「はい」
「ゾフィー殿下を頼む」
「……はい」
絞り出すように言った言葉に、クロエはしばしの迷いをもって答えた。
気づいたのだろう。いざとなればイクサや己の命すらも後回しにしてゾフィーを守ってほしいという、コンラートの思いに。
「ツェツィーリエ」
「はい」
「付いて来るなと言った手前勝手だが、助力を請いたい」
「もちろんです」
こちらは微笑みで応えてくれた。
相手はたった一人で戦局を塗り替えた、リーメス二十七将に数えられた者の中でも最強に近い魔術師。同じ二十七将でも、下から数えた方が早いコンラートでは、一流の魔術師が味方でも勝機はないに等しい。
それでも、ツェツイーリエはそれが当たり前であるかのように、コンラートの後ろに侍るように並んだ。
「クカッ。気の早いことだ。小僧。おまえがわしを倒せるとでも? そんな事はできぬし、やる意味も無い。何しろわしよりも先に貴様は退治せねばならぬ『敵』が居るだろう」
愉しげに、笑みを浮かべて言うイクサ。その言葉の意味が分からず、所詮狂人の言う事と気にせぬようにと自身に言い聞かせるコンラート。しかしふとイクサの側で動くものを見つけて、すぐにその真意を知る事になった。
「さあ、そろそろ目は覚めたかドルク。ぬしならできるはずだ。運命を踏破すると誓い、その生涯をもって戦い続けてきたぬしならば!」
期待するように、言い聞かせるように言葉を紡ぐイクサ。そのイクサの言葉に応えたかのように、それまで力なく項垂れていたドルクフォードの体が持ち上がった。
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「先生? 何してるんですか?」
ジレントの首都ランライミア。その中央街の宿屋へと師を訪ねてやってきたレインは、魔女の工房と化していた部屋が少しだけ、本当に少しだけ片付いているのを見て疑問の声をあげた。
相変わらず大量の本は本棚に納まりきらず溢れ出しているし、天井から見た事も無い植物やら生物の干物がぶらさがっているが、床が見えているだけでずいぶんと片付いているといえるだろう。
何せこの師は、自分の部屋の片付けはできても工房の片付けはできない。部屋の大きさに対してものが多すぎるので、いくら片付けてもすぐに溢れ出すのだ。
そんな師の工房が、比較的綺麗になっているのを見てレインは驚いたわけだが、当のミーメは気にする様子も無くお茶の準備などを始めている。
「今日はお客さんが来るのよ。だから少しくらいは綺麗にしておかないと」
「……ここに呼ぶんですか、お客さん?」
何というチャレンジ精神だろうかと、レインは呆れてみせる。
本が溢れているのはまだいい。奇妙なキノコがぶら下がっているのも、まあまだ許せるだろう。
だが蝙蝠なのか鼠なのかそれとも実は猿なのか。魔物と言われれば納得してしまいそうなナマモノがぶらさがっているのは駄目だろう。まともな神経をしている人間なら、入った瞬間に後ずさりしてそのまま部屋を出て行くに違いない。
「魔女としての私に用があるのだから、仕方が無いでしょう。それに知り合いだから大丈夫よ」
「知り合いですか?」
「レインも知ってる子よ」
そう言われてレインは首を傾げた。魔女に用があるようなお客は、ミーメから「子」と呼ばれる程度の年齢でしかないらしい。
魔女の客に来る子供。そんな知り合いは居ただろうかと悩むレインだったが、答えは突然現れた。何の前触れも無く、ドアを開け放って。
「お邪魔するぞミーメ殿!」
元気よく挨拶をしながらも、挨拶の前にドアを開け放つ無法者。一体誰だと視線を向けたが、その正体にレインは呆気にとられる。
「ふむ。レイン・フィール・サンドライトも居たのか。久しいな」
そう言ってニヤリと似合わない笑みを浮かべるのは、レインとそう変わらない歳の少女。
肌はこの大陸では珍しい褐色で、腰まで届く髪は闇を溶かしたような黒。そして自信に溢れ輝きを放つ目は、これまた夜のような漆黒だった。
自身の友人にどこか似た、だが内面はまったく似ていない少女を見て、レインは半ば叫ぶように声をあげていた。
「な、何であんたが此処に!?」
「何って商談だが? 私の実家が何をしているのか、忘れたわけではあるまいレイン・フィール・サンドライト」
「一々フルネームで呼ぶな!?」
会うなり喧嘩……というよりレインが一方的に突っかかっているだけだが、ともかく微笑ましいやりとりをする二人にミーメはクスリと笑う。それに気付いたのか、レインは一旦矛先を収めると、自らの師に詰め寄るようにして問いかける。
「先生どうしてカムナが居るんですか!?」
「どうしてって、商談よ。私の薬の製法をカムナに教えて、売りさばいてもらってるの」
「はい!?」
まったく知らなかった事実に、レインは本日何度目か分からない驚きの声をあげた。
ミーメの魔女としての技術、所謂ウィッチクラフトは、ミーメの一族が細々と伝えてきたものだ。確かにそこいらの薬よりは強力だが、その製法を赤の他人に教えたあげく、売りさばく事まで許可するとは。弟子でありながらウィッチクラフトについては一切教えられていないレインからすれば、驚天動地の出来事であった。
「その薬だが、丁度大陸の南の方では風邪が流行っているそうでな、売れに売れているぞ。カンタバイレの商人共も歯軋りしている事だろうな」
「……何で先生の薬が売れたらカンタバイレの商人が悔しがるのよ」
まったくついていけない話題ながら、疑問に思ったことをぶつけるレイン。するとカムナは「ふむ」と顎に手をあてると律儀に説明をしてくれる。
「元々薬の分野は、カンタバイレのノートン大学と、スポンサーとなっているフート家が独占していてな。他の商家は参入しても旨みが無いので、ここ五十年ほどはその状態が続いている」
「じゃあ何でアンタは参入したのよ」
「レイン。よく効いて安い薬と、あまり効かなくて高い薬。商人が売れて嬉しいのはどちらだと思う?」
「そりゃ高いほうが……ってまさか」
「そのまさかだ。長く一家が一つの分野を独占していると、腐り果てるといういい例だな」
そう言ってニヤリと笑うカムナ。要するに、この少女は不正がまかり通っている商業ルートに正道から殴りこんだのだ。
「……アンタ恨まれるんじゃないの?」
「ふっ、向かってくる根性があるならば、表も裏も叩き潰してやるまでだ。我がフェンライト家、既に大陸の西部は掌握しているに等しい。いずれ全土に進出するだろう」
さらりと大陸制覇宣言をするカムナに、レインは驚くよりも呆れた。
自分よりも一つ年下のこの少女は、どうやら自分の家どころか他の商家も制御下に置いているらしい。彼女の親が無能だったのか、それともカムナが優秀すぎるのか。あまり認めたくは無いが、間違いなく後者だろう。
「ところでクロエはどこかな? この街に滞在しているはずだが」
一転黒い笑みから可愛らしい笑みに変わるカムナ。それを見てレインは確信した。
当主自らわざわざ説明に来るまでも無い商談の話しにきたのも、商談に来たのに肝心のミーメとあまり話していないのも、全て本命のついででしか無いためだと。
「クロエならついさっき転移でピザン王国まで飛んで行ったわよ」
「何と!? クッ、さすがに転移を使われると情報収集が追いつかん」
悔しそうにテーブルに手をつくカムナ。その様子をレインはハッと嘲笑う。
「相変わらずのストーカーっぷりね。クロエに嫌われるわよ」
「嫌われてもクロエに尽くせれば満足だ。私が実家に力をつけさせたのも、クロエの後ろ盾となるためだしな」
「……その行動力だけは凄いと思うわ」
そしてそれは、単なる色恋沙汰だけが原動力では無いのだろう。
見た目から分かるとおり、カムナはクロエと同じ黒き民。その聡明さを買われ、フェンライト家に迎え入れられた養子だ。
黒き民というのは同朋意識が強く、例え他人であっても長らく苦楽を共にした家族や友人であるかのように助け合う。
本当の家族に裏切られたクロエからすれば、カムナという少女は救いともなっているのかもしれない。
「しかしピザンか。もしや件の白騎士の……?」
不意に言葉を止めたカムナ。訝しげにレインとミーメは視線を向ける。
「く……アアアアァァァァッ!?」
「え? ちょっと、どうしたのカムナ!?」
「顔がどうかしたの!?」
突然。カムナは顔を両手で覆って蹲った。その様子に、レインはうろたえながらも声をかけ、ミーメも治癒呪文の発動準備をしながら歩み寄る。
「ああ……目が……」
「……目?」
言われて見てみれば、カムナの両手は確かに顔では無く目に当てられていた。余程痛むのか、いつも余裕綽々と言った態度を崩さない少女が、外聞も取り繕わずにのたうちまわっている。
「どういう……ことだ……ミーメ・クライン?」
「……え?」
今の状況にミーメがどう関っているのか。疑問に思うレインだったが、ガバと顔を上げたカムナを見て、その異常に目を奪われる。
「この時代に……生まれるはずが無い。居るはずが無いのに!?」
友人と同じ、夜を宿したような漆黒の瞳。しかし今そこにあるのは、血のように赤く染まった赤色の瞳だった。
・
・
・
「……」
「……? どうしたのティア?」
宿の一室。カイザーはお茶を入れていたティアの動きが止まったのを見て、何かあったのかと声をかけた。
ティアはしばらく呆けたように動かなかったが、しばらくすると見慣れた笑みを浮かべてカイザーに答える。
「いえ、今日のお茶のお供は何にしようかと思いましたので」
「何だ。それならこの間にレインが作ったクッキーでいいんじゃない? クロエが手伝ったおかげで、何とか食べられるものになってたし」
「ではそうしましょうか」
そういって微笑むと、一旦その場を離れるティア。ドアを抜け、静かに閉めたところで、片手で顔を覆うとゆっくりとその場に座り込んだ。
「……慣れませんねこの痛みは」
右手に覆われた瞳。その色はいつもと変わらないルビーのような赤色。
「ドルク。あなたなのですか?」
静かに放たれた問い。それに答える者は居なかった。