城壁を越え城へといたる道をコンラートは駆けていた。踏み慣れた石畳の道は進む度に軽い音を返し、このような状況でありながら王都で過ごしてきた日々を思い起こさせる。
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ドルクフォードという王は、ピザンらしいと言うべきか非常に気さくな王様であった。コンラートがただの子供であった時はもちろん、騎士として部下になっても気軽に声をかけてきた。
それはコンラート相手に限ったことではなく、他の誰にだってドルクフォードは自然であった。
白騎士と呼ばれ始めた頃に、ティアやリアと共に王宮の離れへ向かう所を偶然ドルクフォードに見つかった事がある。するとドルクフォードは、供の騎士を引き連れて、友人にでも会ったかのように話しかけてきた。
「白騎士三人が総出とは、うちの庭でどのような事件が起きたのだ?」
聞かれた三人は揃って呆気に取られ、一番ドルクフォードに慣れていたコンラートはいち早く正気に戻ると、苦笑しながら答えた。
「事件も大事件。離れの塔の物置にて、夜な夜な怨霊が彷徨うているとの事です。獣のような声で恨み辛みを唱え、誰彼構わず冥府へ引きずり込まんと徘徊しているとか」
「ほう。それは確かにおもし……由々しき事態じゃな」
「ちょっ、本気にしないでくださいよ陛下。本当に怨霊なんて居るなら、あたしらじゃなくて神官呼んでますよ」
さも大事であるかのように語るコンラートに、興味津々なドルクフォード。その様子に焦ったように、リアが口をはさむ。
「大体そんな与太話ほっといたら良いんですよ。なのにコンラートが調べるだけ調べようってきかないから」
「確かに与太話だろうが、使用人の一部が怯えているのも事実だ。何もないなら何もないと、俺たちが保証するだけで彼らも落ち着くだろう」
思いのほか真面目に言われて、リアは決まりが悪そうに目をふせた。自分と同じく剣を振るしか能がないと思っていた男が、そこまで考えて行動を起こしたとは思っていなかったのだ。
「ふむ、ならばここは王自ら臣下の心の安寧をはかるべきか」
その言葉にリアが呆気に取られ、ティアが苦笑し、コンラートはまた始まったと眉間を押さえた。
「大臣。午後の政務は遅らせて大丈夫か?」
「多少は融通がきくかと。後回しになって困るのは、今のところ陛下だけですな」
ヴィルヘルムの前任であり白髭とあだ名される大臣は、穏やかな口調でそう言ってのけた。するとドルクフォードは、玩具を見つけた子供のような顔で歩き始める。
「そうか。では行くとするか。ああ、ぬしらも来い。白騎士三人でも護衛は十全とはいえ、仕事をせぬわけにもいくまい」
自分がサボるのを棚に上げて言うドルクフォードに、お付きの騎士たちもやはり苦笑いで応じる。
付き添いをしているだけあり、ドルクフォードの行動にも慣れているのだろう。
「……申し訳ありません。陛下の気を引くような言い方をすべきでは無かった」
「気にするな。我らを置いていかないだけ、今回はマシだ」
謝罪するコンラートにも、気を悪くした様子もなく答える。
どうやら置いて行かれる事が多々あるらしい。他の国なら責任者の首がとんでいる。
「ほれ、どうした。早く怨霊とやらの正体を拝みに行くぞ」
子供のような王様に、騎士たちは皆笑いながら付いていく。
もっとも怨霊が実在し、二百年に及ぶ悲劇と愛憎の結末を目撃する事になるとは、その場に居る誰にも予測できないことであったが。
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「……ありえない」
目の前の光景に、カールは意識せず呟いていた。
ゾフィーが放った一閃は正に目にもとまらぬ一撃であり、斬られたはずのグスタフが投石機に乗せられた岩のように壁まで吹き飛ばされていた。
何故剣で斬って吹っ飛ぶのか。斬って当然のように真っ二つになっても困るが、どのみちグスタフは生きているのか。
自らの主の予想外の強さに、カールは感動など覚えずひたすら呆れていた。
「どうだ。うちの姫様は強いだろう」
「強すぎますよ!? 遅れてきた英雄を余裕で追い越して、伝説にでもなる気ですか!?」
カールの叫びに、グスタフ配下の騎士たちも同意するように頷く。彼らからすれば、英雄に匹敵すると思っていた主が見た目可憐な姫君に倒されたのだから、さぞかし内心は複雑だろう。
しかしそれも「ピザンだから」という誰かの一言で納得に変わる。
ピザン王家は元は騎士の家系であり、民衆や騎士たちの支持を受け圧政から人々を救うために立った、いわば騎士たちの王なのだ。
騎士の頂点に立つ騎士の王が最強でないはずがない。そんな摩訶不思議な認識がまかり通るのがピザンである。
無論そんな国は大陸はもちろん世界中を探してもピザンだけであり、代々化け物を輩出している王家もピザンだけである。
「さて、そなたらの主は倒れたが、まだやるか?」
「やりませんやりません。やる気がないことくらい、さっきからグダグダしてるのを見れば分かるでしょうに」
どうやら副官らしい騎士の言葉に、その場の空気がゆるむ。気づいてみれば、その場で剣を抜いているのは先ほどまで戦っていたゾフィーだけであった。
「やはり今回のことは、グスタフの独断か」
「そりゃ家臣一同止めましたとも。しかしそこで突っ走るのがローエンシュタインというか。……やっぱりお家とり潰しですかねえ?」
「潰すつもりは無いが、グスタフの他に有能な血族が居ないのが悩ましい。しばらくローエンシュタインには不遇の時代が続くであろう」
「寛大な処置に感謝いたします」
臣下の礼をとる騎士にゾフィーはただ頷いて返した。
そして広間の奥を見やると、無言で歩き出す。
「……身体強化か。何でもっと浸透しないんですかね。ダメ元で使ってみようとすらしないなんて」
「正確には使わないのではなく、使っているのに気づかないそうだ」
呟きに明確な答えが返ってきて、カールは驚いて視線を上げる。するとゾフィーが悪戯に成功した子供のように笑ってみせる。
「不思議に思ったことはないか、コンラートやマル爺たちの怪力無双ぶりを。体格が良いというだけでは、あの馬鹿力は説明がつかぬ」
「そりゃあまあ……て事はまさか?」
「コンラートと並ぶ怪力で知られるロッド・バンスは、無意識に身体強化を行っている事が発覚し、魔術の習得にも成功したそうだ。彼らの多くが持つ無尽蔵の体力も、恐らくは魔力による補正が働いているのだろう」
言われてみれば納得してしまう仮説であった。
魔術師と並ぶ常識はずれな戦士たち。彼らも術とは別の形で魔力という力を行使していたのだろう。
「まあその辺りは、そのうち魔法ギルドが論文にでもするであろう。問題は、意識的に身体強化を使えるようになって、私はようやく英雄と並び立てたと言うこと」
突き当たった扉を、ゾフィーは無造作に片手で押した。すると重厚な、見るからに重そうな扉が、それが己の役割であるかのようにゆっくりと道をあける。
「父上。王位をいただきに参りました」
「来たかゾフィー。我が娘よ」
ゾフィーの言葉に、ドルクフォードは玉座に頬杖を付いたまま応えた。
見た目は既に老体そのもの。しかしドルクフォードが閉じていた瞼を開いた瞬間、玉座の間を重圧が包み込んだ。
探求王。キルシュ防衛戦が起きた時には既に全盛期をとおに過ぎていながら、自ら前線に立ち多大な戦果を上げリーメス二十七将に数えられた武の王。
老人だからと言って侮れぬ。先ほどグスタフと戦ったときとは比べものにならないプレッシャーをゾフィーは感じていた。
「父上。最初に一つ問いを。何故ですか?」
「曖昧な問いであるな。聡明な我が娘らしくもない」
そう言いながらも、ゾフィーの真意は伝わったのだろう。ドルクフォードは一つ吐息を漏らすと、ゆっくりと語り出した。
「何故かと聞かれれば、わしにも分からん。強いて言うならば、未来に恐怖した」
「未来に?」
「わしは賢者や預言者と呼ばれる存在に幾度も出会ってきた。だが彼らは助言や預言を明確な言葉にする事を嫌う。
その意味を理解するのは多くの場合後になってからだった。あの言葉はそういう意味だったのかと、過ぎ去った過去を省みてようやく気づく」
そこまで言うと、ドルクフォードは息をついた。
そして謡うように、悲しげに言葉を紡ぎ出す。
「ピザンは二度王が変わりし後に滅ぶ」
「災いは不義より沸き立つ」
「生まれるはずのない赤子。それこそが世界を殺す悪魔の子である」
語られた言葉は、最初の一つ以外は具体性に欠けその真意を読み取れない。
「異なる三人の預言者から、わしはそれを聞かされた。一見関係のない三つの預言。
だが我が血に宿る宿命が訴えた。それらは決して無関係ではないと。
そして我が身に宿る呪いが教えてくれた。過程を飛ばし、ただ一つの答えだけを」
救いを求める罪人のように、怨みを残す咎人のように、ドルクフォードは震える声で言う。
「カイザー。あの子は悪魔の子だ。あの子の存在が世界を滅ぼす」