遅れてきた英雄。
グスタフ・フォン・ローエンシュタインの代名詞とも言えるその称号は、その武を賞賛すると共に少ない揶揄が含まれている。
彼と彼の同世代の人間は、後世に谷間の世代と呼ばれている。
キルシュ防衛戦にて活躍した、クラウディオ王子やコンラートを初めとして若手の英雄たち。彼らの多くは、15年後のピザン動乱に端を発した同盟戦争においても戦力の中枢を担い、その圧倒的な存在感を示した。
そして同盟戦争において名をあげるゾフィー王女やクロエ司教、アルムスター兄弟を初めとした新たな時代の担い手たち。
その二つの世代の板挟みとなったのが、グスタフを初めとした谷間の世代であった。
「全軍コンラートには構うな! 余計な被害を出すだけだ!」
そしてドルクフォード派の指揮官であり、今敗軍の将へとなりかけているルクス・フォン・ガーランドも、グスタフと同じく谷間の世代と後世に呼ばれる年代であった。
元々中堅の伯爵家の末っ子であるルクスは、大きな功績もなければ失敗もない、まこと無難な男であった。ただ王に忠誠を誓い、生きる意味の半ばをそれに預けて生きてた。
王の命に従い、結果追いつめられた今の状況。それを今までの人生を省みて自業自得と思う程度の殊勝さはルクスにもあったが、トドメをさしにきたのが行方不明だったコンラートであったのには、中々複雑な思いを抱いた。
立場的には、ルクスとコンラートはかつての同僚である。むしろ歳も経歴も上なのはコンラートであり、もしもルクスに周囲の目を気にしない度量があれば、彼に敬意を払っただろう。
だがルクスは実に無難な男であり、コンラートは身分というものを呆れるほど尊重する男だった。
十も年上の同僚に、丁寧に接せられるのは、ルクスにとっては居心地の悪いものでしかなかったのだ。
できる限り、ルクスはコンラートから距離をとった。そうしないと、余計な派閥争いに巻き込まれるかもしれないという懸念もあった。
しかし少しだけ、残念そうにこちらを見てくるコンラートに思うところが無かったわけではない。
もしも自分がもう少しだけ図々しくて、コンラートと歳が近ければ、自分たちは親友にだってなれたかもしれない。
それがあまりに都合の良い妄想だとはルクスにも分かっていた。
だからこれは罰なのだろう。
密かな憧れを抱いた彼に挑み、華々しく散ろう。そんな微かな願いを踏みにじるように、背後の部下であったはずの男に貫かれたのは。
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「ルクス殿!」
かつての同僚が胸を刺されるのを目の当たりにし、コンラートは悲鳴じみた叫びをあげた。
焦点の合わない、明らかに正気でない兵士。その兵士に背後から裏切りを受けたルクスは、何が起こったか分からないとばかりに視線を彷徨わせ、最後にコンラートをみると、何故か安堵したような笑みを浮かべてその場に崩れ落ちた。
「クッ、どけぇっ!」
城壁の上にひしめく兵の群を文字通り吹き飛ばし、コンラートはルクスの下へと駆けた。
多くの兵はコンラートの暴威を恐れ、自ら道をあけたが、仕事熱心な何人かの兵は果敢にコンラートに挑みかかり、即座に叩きふせられた。その中に死人が居ないのは、流石と言うべきであろうか。
「ルクス、ルクス殿!?」
周囲の兵をあらかた片付け、コンラートはようやくルクスへとたどり着く。その上半身を抱き上げ名を呼べば、ルクスは少しだけ驚いたような顔をして、そして微笑んだ。
「俺の名を……覚えてくれていたかコンラート殿」
「当たり前でしょう!」
当たり前と言われ、ルクスはあまりの彼らしさに苦笑した。今は敵となった自分を労るコンラートに、自分でも知らぬうちに歓喜した。
「すまん……コンラート。俺は……陛下を……陛下を正せなかった」
誰よりも王に厚い忠誠を尽くしたコンラート。しかし彼は王の下を追われ、そして道を踏み外した王への刺客となって戻ってきた。
そうさせたのは自分だ。自分ならば、コンラートにそんな決意をさせる前に、王を止める事だってできたのだから。
「いえ。俺も陛下を……陛下のそばにあれば、忠言はすれど行動に移すことはできなかった」
コンラートの言葉に、ルクスはああと納得する。
きっとあの時、コンラートが騎士の位を剥奪されたのは必然だったのだ。
悪へと堕ちた王を討つために、彼は王の騎士ではない、他の誰かになる必要があったのだ。
「だが、ありがとうルクス殿。間違っていても、間違っていると分かっていても、よく陛下の騎士であり続けてくれました」
礼を言われ、ルクスは照れたように笑う。確かにコンラートならば、主が世界の敵になっても、共に世界と戦っていただろう。本当に義理堅く、不器用な男だから。
自分はどうだろうか。晩節こそ汚したが、かつて名君と讃えられた主に相応しい騎士として生きられただろうか。
「コン……ラート……陛下の最期を……頼んだ」
そう言って、ルクスは二十数年の生涯に幕を閉じた。
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「姫様そこです!」
「惜しい! 惜しいですぞグスタフ様!」
「どこが惜しいんだ。てめえの目ん玉はタピオカか!?」
「うるさい邪魔するな!」
ゾフィーとグスタフのぶつかる広間は、一種異様な熱気に包まれていた。
一騎打ちを行うゾフィーとグスタフ。その周囲で戦う配下の騎士たち。
グスタフの優位に気を逸らした騎士をトーマスが蹴り飛ばし、ゾフィーのピンチに気もそぞろなカールの頭を敵の騎士が戒めるように剣の腹で叩き、野次を飛ばす騎士をルドルフが同じく野次を飛ばしながら投げ飛ばす。
皆一様に二人の一騎打ちに見入っており、真面目に戦っている者は皆無であった。そんな配下たちにゾフィーはあきれ混じりに笑みを向け、グスタフは眉間のしわを深くしてみせる。
「さて、皆も興が乗ってきたようだ。ここは一つ、私も隠し芸でも披露すべきか」
「下らん」
ゾフィーの言を一蹴し、グスタフの剣がゾフィーの顔めがけて走る。それを素早く受けたゾフィーだったが、その一撃は重く、たまらず一歩後退ってしまう。
「つまらぬ男だな貴殿は。慢心しているくせに余裕は無い。まあ当然か」
「知った風な口を!」
再び放たれた一撃を、ゾフィーは余裕をもって受ける。しかし力の差は歴然であり、ゾフィーの体は少しずつ後退していく。
「知った風な口……とな。むしろ気づいていないのか、自信に満ちた貴殿に余裕が足りないわけを」
「黙れ!」
また一歩、グスタフの剣戟を受けてゾフィーが下がる。
舌戦では優位に立っているように見えるゾフィーであったが、実際の一騎打ちでは圧倒的に不利であった。相手は二十七将に匹敵すると言われた遅れてきた英雄。弱いはずがない。
体格も純粋な力も、男であるグスタフが勝る。経験においてもグスタフに軍配が上がる以上、小手先の技や速さで埋められる差ではない。
このままではゾフィーはなぶり殺しにされる。だと言うのに、ゾフィー配下の騎士(カール除く)たちは一様に主の勝利を信じ、疑っていなかった。
「隠し芸と言えば、私はジレント留学の折に魔術を学んだのだが、才能が無かったらしく、こんな手品紛いのものしか覚えられなかった」
言いながらゾフィーはそっと自らの髪を撫でる。すると後頭部で編み上げられた赤い髪が、瞬く間に金色へと染まってしまう。
「……それは自分が王家に相応しくないという皮肉か?」
「そうかもしれぬな。物事の表面しか見ない者には、良い目眩ましだ。赤い髪が無くなるだけで、目の前にいても私だと気づかなかった男も居た故」
それが誰であるか、言われなくともグスタフは理解する。そして怒った。この女は不遜にも自らを試し、不甲斐ないと笑っていたのだと。
「……貴様」
「こういった詠唱を必要としない、術者の力だけで発現する魔術は単に『魔術』と呼ばれている。まあ細分化する必要も無いほど、初歩的で簡単な魔術だということだ」
「黙れ!」
己の心情など知ったことかとばかりに説明をするゾフィー。その口上を、生意気な囀りを止めるためにグスタフは何度目か分からない剣戟を放つ。
「な……に?」
しかしゾフィーの剣はその剣戟を打ち払い、グスタフの喉元をかすめた。
「そして今私がやったような事は、魔術師からいわせれば『魔術』ですら無いらしい」
そう言ってゾフィーが放った剣戟は三度。袈裟、正面、逆袈裟を通る単純な連撃。
見え見えなそれをグスタフは当たり前のように防ぎ、そしてたたらを踏んで後退った。
「グゥッ!?」
「魔力による身体能力の強化。魔力を使ってはいるが、術の形など成していない、ただの力」
重ねられる攻撃に、グスタフは声も上げられず防御に専念するしかなかった。
先ほどまでとは打って変わり、ゾフィーの剣戟を受ける度にグスタフの体が後退していく。
女性らしさを損なわない程度の体格のゾフィーが、長身のグスタフを力でねじ伏せていく。それは斜面を転がる岩を小石で押し返すような、見る者は目を疑わずにいられない異様な光景であった。
グスタフは内心で舌打ちする。身体強化を実戦で使う者が、これほど身近に居るとは思わなかった。
身体強化は魔術ですらない。だが魔力の扱えない非魔術師に使える技法でもない。
そして魔術師たちは一部の物好きを除き身体強化を使わない。いくら力を増しても、付け焼き刃の格闘で戦士に勝てるはずがないからだ。
一部しか有効に扱える者が居ないマイナー技法。そんなものを自国の王女が切り札にしていたなど、どうして予測できようか。
「さて、ズルをしているようで些か心苦しいが、次で決めさせてもらおう」
そう言うと、ゾフィーは腰を落とし剣を水平に構える。
「なめるなよ小娘!」
放たれたのは、単純な横薙。防げる。防げないはずがない一撃をグスタフは余裕を持って受け止める。
そしてそのままグスタフは意識を失った。
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魔法ギルドの戒律の一つに「党員の私闘を禁ずる」というものがある。一見当たり前とも言えるその戒律は、魔術への理解の深い者ほどその重要性を実感する。
何故なら魔術師の戦いは、周囲を巻き込みかねない。むしろ巻き込むのが当たり前な広範囲に及ぶためだ。上位の魔術師が人災と呼ばれるのは、決して比喩ではない。
「要するに、迷惑だから暴れんなという事ですね」
クロエの言葉に、ツェツィーリエはばつが悪そうに視線を逸らす。
しかしその先に見えたのは、更地となったかつての森。二人の魔術師が大暴れした結果であった。
「……今日初めて、戒律を本当の意味で理解できた気がします」
「それは何より。三流魔術師なら理解しなくても問題無いのですが、ツェツィーリエさんは間違いなく一流ですから」
年下の少年に戒められ、ツェツィーリエはそっと吐息をもらした。思いの外戦いやすく、調子に乗ったのは否めない。
ツェツィーリエのような完全後衛型の魔術師の弱点は、詠唱が終わるまで無防備に近い状態になることだ。その問題に対処するために、魔術師は剣士を相棒にしたり使い魔を盾にしたりと試行をこらす。
そういった意味で、クロエという存在は魔術師にとって反則に近い。無詠唱でも限定的に上位魔術すら防ぐ結界のエキスパート。本人は女神の盾を名乗っているが、最早その盾っぷりは万能の盾と銘打てるほど。
現に魔術師としては格上のデニスを、まったくの無傷で撃退できたのだから。
「さて、放火魔も尻尾を巻いて逃げましたし、さっさとコンラートさんを追いましょう」
「協力してくれるのですか?」
内乱に手は出せない。そう言っていたクロエの変化に、ツェツィーリエは疑問をもらす。
するとクロエは、無表情に、だが少し嫌そうな顔で答えてくれた。
「イクサが絡んでいるのが確定した以上、神官として見逃せません」
そして見逃すつもりもない。自分と兄の運命を歪めたあの男を。
黒い瞳を闇色に沈めながら、クロエはツェツィーリエに気付かれないよう呟いた。