赤い騎士を始めとした騎士道物語に、男ならば一度は憧れを抱くだろう。
忠義を尽くし、正道を貫く誇り高き生き様。教会が積極的に騎士道という概念を広めたこともあり、騎士は人々の模範となる生き方を定められ、神官と並び規範を守ることを求められた。
だが実際には、誇り高き騎士など都合の良い偶像でしかない。
命がけの戦の中で礼を尽くす騎士など一握りにすぎない。
領主が配下の騎士に裏切られた例など枚挙にいとまがない。
そんな中で騎士の中の騎士と呼ばれたリーメス二十七将の一人ロラン・ド・ローランや、白騎士コンラートは騎士道を体現したかのような存在であった。
片や王命に逆らいながらも、人々を守るために戦い大戦を勝利に導いた英雄。
此方は絶対絶命の状況下、自らの命よりも王への忠を取った忠義の騎士。
そんな忠義の徒であるコンラートは、どのような思いでかつての主ドルクフォードへと対峙したのだろうか。
――もしもあなたが悪ならば
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「南の森で……とにかくいろいろ起こっています!」
「見れば分かる!」
部下の報告に、クレヴィング公は怒鳴るように言い返す。
王都の南側の森で火災が起きた。その報告がもたらされて五分も経たずに起きたのは、局地的な天変地異であった。
岩石の群が津波のように木々を押し流し、炎の竜巻が木と岩を巻き上げながら燃やし尽くし、閃光が走ったと思ったら地面が爆発する。
確かめるまでもなく、魔術師という名の人災が戦いを始めたのは明らかであった。
「土属性の魔術師は、恐らくはコンラートの仲間であろう。炎はデニス・モーガン……やはり動いたか」
「……こちらに来なかったのは幸いですが」
疲れを滲ませた声で言うクレヴィング公。
蒼槍騎士団に続き、デニスがこちらへ攻撃を仕掛けていたら、間違いなく壊走の憂き目をみていただろう。
出てきたタイミングといい、魔術師を味方につけてきたことといい、コンラートというたった一人の援軍がもたらしたものは大きい。
「しかし……私が偽物だと気づいていたようだな。挨拶の一つもなしに突撃とは」
「まさか。陛下を優先しただけでしょう」
そばに居るクレヴィング公でさえ、隣に居る少女が影武者だと忘れそうになるのだ。
あのような遠目から、看破できようはずがない。
「いやはや、流石は白騎士。熱い戦をしおる」
不意に聞こえた声に視線が集まる。
そこには体を覆うほどの大盾を背負った老騎士マルティンが居た。馬の手綱から手を離し、見事な白髭を撫でながら、しわだらけの顔に生気を漲らせながら笑っていた。
「たぎるかマル爺?」
「枯れたと思うたこの老骨にも、熱き血潮は未だ流れていたようです」
「ならば、そろそろ本気で攻めるとしよう」
「なんですと!?」
アンナの言葉に、クレヴィング公は思わず声を上げていた。
「ア……ゾフィー様。我々の目的は陽動であり……」
「時間は十二分に稼いだ」
「敵方の被害も抑えよとのご命令のはず」
「このままずるずると続けても、双方の被害が増すだけだ。一度敵を蹴散らし引かせた方が、結果的に被害は少なくなる」
「むう……」
一理ある。何より敵を気遣って、こちらの兵を損じたのでは本末転倒だ。
「マルティンを先頭に、騎士団で突破口を開く。クレヴィング公は援護を」
「……御意」
淀みのない指令に、クレヴィング公は諦めたように答える。
アンナの姿は、もはやゾフィーと見分けがつかない。軍議の場でうろたえていた侍女と同一人物とはとても思えない。
「行くぞ! 王女直属の騎士団の武勇が、決して蒼槍騎士団に劣らぬものである事を見せつけよ!」
影武者であるアンナの号令を受けて駆ける騎士団。
その後ろを追うクレヴィング公。その最中にありえない光景を目にする。
先頭を駆けるマルティンが徐に下馬し、大盾を構えて走り出したのだ。
御歳七十歳とは思えない健脚ぶりに目をむくが、同時に後続を置き去りにして突貫する姿に焦りを覚える。
たぎりすぎだ。自殺するつもりかあの爺さんは。
そう叫びそうになったクレヴィング公であったが、赤い弾丸と化して走り抜けるマルティンに、そのような心配は杞憂でしかなかった。
「ふんぬ!」
マルティンが敵兵目掛けて突っ込むなり、大盾にぶつかった兵たちが馬車にはねられたように吹き飛ばされた。
それは先ほどコンラートが蒼槍騎士団に突撃した光景の焼き直しのようであり、さらに続く騎士団が腰の引けた兵たちを蹴散らしていく。
「……」
そうだった。あの爺様もリーメス二十七将(非常識)の一人だった。凡人の常識など通じるはずがない。
「……我々も続くぞ」
必要無さそうだが。
その言葉を飲み込んでクレヴィング公は馬を駆けさせた。
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「下手に踏み込むな! 迂闊だぞ!」
「カール! トドメを!」
「任せてください!」
乱戦と言って良い戦いの中、カールは銀の短剣片手に縦横無尽の活躍を見せていた。
これは何も、彼がアンデッドを仕留められる武器を持っている事だけが理由ではない。
当初こそ自分の身を守るだけで精一杯だったカールだが、戦場の空気に慣れ余裕が出てくると、本来の力を遺憾なく発揮し始めた。
敵の間合いに素早く踏み込み、的確に攻撃を当ててみせる。言葉にすれば簡単だが、間合いをはかり取り合うというのは、戦いの基本である故に難行である。
コンラートはカールを鍛える上で、当然ながら自身のような力に任せた戦いを彼に期待しなかった。剣の振り方や、足運び、馬の御しかたや馬上での戦い方など、徹底的に基本となる技術を体に覚えさせた。
基礎を異常なまでに仕込み、後は実戦で自身にあった戦い方を模索させる。一見無責任なようだが、コンラートの目論見通り、カールの戦才は戦いの中で開花しようとしていた。
「ここを抜ければ玉座の間は目前だ。続け!」
「了解!」
黒騎士を蹴倒して奥へと向かうゾフィー。トーマスとカールがその背を追い抜き、重厚な扉を走り込んだいきおいそのままに蹴り開ける。
「……え?」
「……は?」
「……ほう」
扉の先に広がる光景に、トーマスが驚き、カールが呆れ、ゾフィーが感心したように声を漏らす。
恭しく剣を胸の前に掲げ、道を成すように整列する騎士たち。厳かな儀礼の最中であるかのような広間。その支配者を気取る男が、ゆっくりとその姿を現す。
全身を覆う白銀の鎧。下げられた剣は二振りあり、華美な装飾を施されながら実用性を損なわぬよう作られた逸品であった。
焦げ茶色の髪は撫でつけられたように全て後ろへと流されており、一目で神経質だと分かる顔にの眉間にはしわが浮かんでいる。
遅れてきた英雄。
二十七将に匹敵する武勇を持つとされながら、歳幼き故に前大戦に参加できなかった男がそこに居た。
「足癖の悪いことだ。飼い犬は主に似ると言うが、本当のようだな」
「グスタフ……いや、ローエンシュタイン公と呼ぶべきか」
ゾフィーの声に、グスタフは眉間にしわを寄せたまま、つまらなそうに鼻を鳴らして答えた。
その不遜な態度に、同じ三公の出であるカールはあからさまに顔をしかめるが、ゾフィーに手で制され前に出そうになった体を押し止められる。
「それが貴様の新たな犬か。そんな若造に寵愛を与えるとは、兄上方ほど人を見る目は無いようだな」
「父上に尻尾をふる犬が言う。随分と不機嫌のようだな。そんなに私に求婚を拒まれた事が堪えたか?」
「……は?」
さらりと告げられた言葉に、カールを含む数人から間の抜けた声が漏れた。
「求婚って、ローエンシュタインが王家に婿入りなんて話、初耳ですよ!?」
「私も婿をとるつもりはない。いや、可能性自体はあり得たのだが、この男、他に王に相応しい男は居ないと、自信満々に言い寄ってきてな」
ゾフィーの説明に、配下の男どもは呆れと敵意のこもった視線を向ける。
対するグスタフは、ただ不快そうに眉間のしわを深くし、低い声で言う。
「貴様と婚姻が可能な貴族の中で、最も優れているのは私で相違ない」
「否定はせぬ」
「ならば、王に相応しきは私のみ」
「ハッ、つまり貴殿は私が王に相応しく無いと言っているのだろう」
吐き捨てるように言うと、ゾフィーは鋭い視線とともに剣先をグスタフへと向ける。
「一つ勘違いしているようだが、私の婿となる者は王ではなく王配となる。王はあくまで私。王配が有能であるに越したことは無いが、それ以上に求められるのは、無用な権力闘争を起こさぬ無欲さだ」
「夫を飼い殺すか」
「そうなるな。故に野心の塊のような貴殿を、王配に据える事は万が一にもあり得ぬ。そして何より……」
一度言葉を区切ると、ゾフィーはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「傲慢な男は私の好みではない。クレヴィング公に謙虚さを見習って出直すことだ」
付け加えられた言葉に、不機嫌を貼り付けたようなグスタフの顔が怒りに塗りつぶされる。
グスタフはクレヴィング公を嫌っている。見下していると言って良い。そんな男を引き合いに出し、あまつさえ自身をその下に置くなど、耐え難い屈辱であった。
「そのような口、二度ときけぬよう躾てやろう」
「拒まれたから無理やりか。まるで強姦魔だな」
「貴様!」
ゾフィーのからかうような言葉に激昂するグスタフ。その怒りに応えるようにグスタフ配下の騎士たちが抜刀し、ゾフィー配下の騎士たちが剣を構え直す。
「加減はせん。死よりも無惨な結末を覚悟しろ」
「せいぜい盛れ。私の躰、犬に許すほど安くはない」