英雄たちに二つ名があるように、王や皇帝といった指導者たちにもあだ名がつけられることは多い。
リカムのグリゴリー一世ならば「虐奪帝」
ピザンのドルクフォードならば「探求王」「黄昏王」
そしてアレクサンドロスならば「禿頭帝」というように、中には不名誉なあだ名をつけられる者もいる。
ドルクフォードの後を継ぐこととなるゾフィーは、波乱万丈な生涯を送った父同様、様々なあだ名をつけられることになる。通りが良いのは「騎士姫」「暁の女王」等だが、中には「墓穴王」等どという不名誉極まりないものも存在する。
父が戦略を得意としていたのに対し、ゾフィーは戦術、あるいは前線での指揮に優れた才覚を表した。それ故か、戦略的な失敗から罠にかかることが多く、ついたあだ名が「墓穴王」
墓穴を掘っていたのは、正式に王位を継いでいない未熟な時期ばかりなため、一部では「墓穴王女と呼ぶべきだ」という意見もあるが、なんの救いにもならないだろう。 現にゾフィー王女に仕える人間がこの話を聞いても、何の役にもたたなかったのだから。
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隠し通路を抜けた先は、ごつごつとした岩の隙間から、背の高い草の生い茂る岩場であった。カールは狭い出口から、鎧をそこかしこにぶつけながら這い出ると、疲労困憊といった様子で吐息をついた。
「ちょい急ぎすぎたか。大丈夫か坊ちゃん?」
「……大丈夫だと強がる程度には大丈夫ですよ」
にやけ面で聞いてくるルドルフに、カールは胡乱な目を向けながら立ち上がる。
悔しいが、侮られるのは仕方がない。ルドルフはともかく、カールに続いて洞窟から出てきたゾフィーすら余裕が見て取れるのだ。コンラートにしごかれ、それなりに体力に自信はあったのだが、どうやらそれは自惚れであったらしい。
「まあ年季の差ってやつだな。積み重ねってのは大事なもんだ」
「ルドルフさんは積み重ねたものが崩れ始める歳でしょう」
「お、言うじゃねえか」
カールの言葉に、ルドルフは気を悪くした様子もなく豪快に笑う。
ルドルフは騎士ではあるが、領地を持たない雇われ騎士――ミニステレアーレとも呼ばれる下位の騎士だ。高潔どころか気安く、漁師のおっさんのような雰囲気を醸し出している。
「二人とも黙れ」
「……はい」
ゾフィーに冷たい声で言われ、カールは叱られた犬のように身を縮める。
敵地に潜入しているというのに、騒いだのだから叱責はやむない。しかし声を潜めているとはいえ、一番うるさいおっさんがまだ笑っているのはなんだか納得がいかなかった。
「……すまぬな皆。どうやら罠にはまったらしい」
「……え?」
ゾフィーの言葉に抜けた声を返すカール。しかしすぐにその意味を察し、剣へと手をかけると周囲を伺う。
「待ち伏せか!?」
ルドルフが叫ぶのを待っていたように、草場から、岩影から騎士たちが現れる。
「この臭い……まさかアンデッド!?」
黒い甲冑に身を包んだ騎士たち。その騎士たちから漂う死臭をかいで、トーマスが悲鳴のような声をあげた。
アンデッドいえばイクサ。前大戦に参加した者たちにとっては忌々しき敵であり、直接知らぬ者にとっては御伽噺の悪魔にも匹敵する恐怖の対象だ。
「数は五十か。カール、これは多いのか少ないのかどちらだと思う?」
「どう考えても多いでしょうに!?」
五十人近いアンデッドの騎士たちに対して、ゾフィーに随行している騎士は八名だけ。死に損ないの騎士を相手にするには心許ない。
そう思いカールは半ば自棄になって叫んだが、それを聞いたゾフィーは不敵に笑って言い放った。
「そうか? 私は足りないと思うのだが……」
言いながら、ゾフィーは抜刀し悠然と足を踏み出した。そしてそれに呼応するようにゾフィーの騎士たちが構え、トーマスが心得た様子でゾフィーの背に控える。
「トムは私の背を任せる。ルドルフはしんがりだ」
「はい!」
「あいよ。任せといてください」
ゾフィーの命に、二人は気負った様子もなく応える。
「残りは私に追従しろ。……食い破る!」
「この人無茶苦茶だぁ!?」
王女自ら吶喊を始めるのを見て、カールは命令通りに後を追いながら叫ぶ。
しかしながらゾフィーはただのお姫様ではない。群がるアンデッドの剣を避け、受け止め、弾き返し、お返しとばかりにアンデッドを斬り裂き、斬り伏せ、叩き潰し、時には蹴り飛ばしながら進軍を続ける。
その姿はさながら戦乙女。もし自らに命の危機が降りかかっていない状況であれば、見ほれていだたろう。
ちなみにカールの兄でありアルムスター公であるフランツが後に戦場のゾフィーを見て、
「さすがはゾフィー様! 戦場の花、いやその美しき苛烈さは薔薇に例えてまだ足りません。火花、いえ炎纏いて舞い踊る不死鳥にも勝る装厳でありながら華々しきお姿は、正に戦の女神ルクツェルヌの化身!」
と訳の分からない賛美をしたとかなんとか。
「……無茶苦茶だ」
そんな光景を見て、銀の短剣でチクチクとアンデッドにトドメをさしながら呟くカール。
しかし後にクラウディオがコンラートを救うために単身敵軍に突撃したという話を聞き、ピザン王家の気質とコンラートが一部貴族に嫌われている理由を、呆れ混じりに納得するのだった。
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ピザン王都シュヴァーンでの戦いは、膠着状態となっていた。
それも当然のことで、攻め手のクレヴィング公は消極的な攻めしかしない。対する防衛側の指揮官は、王直属の騎士の一人であるルクスという男だったが、こちらも当然守りに徹し反撃も些細なものだった。
「ありがたいと言えばありがたいのだが……」
王都を囲む城壁の上から、ルクスは来たと思ったらすぐに退いていくクレヴィング公の軍を眺めていた。
いくらクレヴィング公でも、このような意味のない前進と後退を繰り返すだろうか。よく観察してみれば、ゾフィー王女らしき赤髪の女騎士が、クレヴィング公に何やら文句を言っているのが見えた。
王女がしびれをきらし、本格的な戦いが始まるのも近いかもしれない。
「どうしたのですか? 相手が本腰を入れる前に、一発やってしまえば後が楽だと思うんですがねぇ」
「……デニスか」
いつの間にか背後に居た顔色の悪い男を、ルクスは嫌悪の色も隠さずに振り返った。
「籠城中に打って出るなど愚の骨頂」
「籠城というのは援軍が来るから意味があるんですよ。来ますかねぇ援軍?」
デニスの言葉に、ルクスは苦々しげに顔を歪めた。
来るわけがない。最早国内の殆どはゾフィー王女に組している。今王都に居るだけが、ドルクフォード派の全戦力なのだ。
負けは確定したも同然。ならばせめて被害が少ない状態で降伏しようと思ったが、ドルクフォードはそれを予期したようにデニスを見張りにつけた。
今降伏などすれば、デニスは味方諸共兵たちを焼き払うだろう。この男にはそれができる力があり、それを戒めるものも存在しない。
「おや、また性懲りもなく来ましたよ。伏兵を使う機です」
もっとも機はこれまでに幾度もありましたが。
そう嫌みたっぷりに言われ、ルクスは唇を噛んだ。
「……合図を送れ」
そのたった一言で、ルクスは己が堕ちたのを自覚した。
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クレヴィング公は、城門前で適当に矢を放ってお茶を濁している最中、突然現れた集団に度肝を抜かれた。
王都の横手に広がる森から飛び出してきたのは、青い甲冑に身を包んだ騎士たち。蒼槍騎士団――クラウディオ王子自らが厳選し、鍛え上げた王国最強の騎士団であった。
その最強の騎士団が、騎馬を駆けてこちらの軍勢の横っ腹を目掛けて突撃してきたのだ。気の小さいクレヴィング公でなくても驚くし慌てただろう。
「陣形を組み直せ! 城門は気にするな!」
しかしながらゾフィー――のふりをしたアンナは冷静であった。慌てふためくクレヴィング公を横目に、蒼槍騎士団の進行方向に城門からの攻撃が届かない事を確認すると、迅速にその突撃に対処する。
だがその行動も焼け石に水。
青い塊となった蒼槍騎士団と接触した瞬間、クレヴィング公軍の兵が幾人か吹き飛ばされた。
「耐え……いや退け!」
クレヴィング公が辛うじて言う頃には、蒼槍騎士団は軍勢を貫き通しこちらへ背を向けていた。その背に矢をかける余裕もない。
五千を越える軍勢を、たった二百の騎士たちが蹴散らしている。王国最強の騎士団。敵にしてみればとんでもない悪夢であった。
「また来るぞ!」
「ぐぬぅ」
反転し再び迫る蒼槍騎士団に、クレヴィング公は唸ることしかできなかった。
どうすればあれを止めることができるというのか。このままでは無意味に兵を失うだけだ。
「……来た」
「何?」
クレヴィング公が撤退も考え始めたその時、アンナが静かに呟いた。
その視線を追えば、普通のものより二回りは大きい馬に乗った騎士が、こちらへ向けて駆けていた。その騎士はクレヴィング公軍と蒼槍騎士団の間まで来ると馬を止め、おもむろに背負っていた斧槍を構える。
「馬鹿な、無謀だ!」
単騎で蒼槍騎士団に向けて駆け始めた騎士。それを見てクレヴィング公は無意識の内に叫んでいた。
「いや、彼ならば――」
――コンラートならば可能だ。
囁くように言うアンナ。
そしてコンラートと蒼槍騎士団がぶつかり合った瞬間、その言葉は現実のものとなった。
「ぬおおぉぉ!」
雄叫びが戦場に木霊した。
同時に振るわれた斧槍は蒼槍騎士団の騎士たちの胴体を切り裂き、幾人かの騎士たちが殴り飛ばされ宙を舞った。
しかも斧槍が振るわれたのは一度ではない。相当の重量があるであろうそれが、羽のように素早く一閃される度、蒼槍騎士団の騎士たちが木の葉のように舞い散っていく。
「……コンラート」
その光景を、クレヴィング公は半ば呆然としながら見つめていた。
ああそうだった。十五年前の戦いでも、彼や二十七将に数えられた英雄たちは、単騎で戦果を挙げ味方を鼓舞していた。
そんなコンラートを、クレヴィング公は嫉妬しつつ確かに認めていた。何故あの時、アルムスター公のように彼を庇えなかったのだろう。
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「……ぬるすぎる」
コンラートは、蒼槍騎士団の中を駆け抜けながら、違和感に顔をしかめた。
王国最強の騎士団。その名に相応しい力を確かに蒼槍騎士団は持っていた。自分一人に、ここまで一方的にやられるはずがない。
よくよく見てみれば、彼らの動きはどこかぎこちなかった。それが僅かな行動の遅れにつながり、その遅れによりコンラートの攻撃が一方的に通る結果を生み出している。
アンデッド。その可能性が浮かんだが、彼らの返り血は温かかった。
しかしクラウディオの命に従っていない事といい、彼らに何かが起こっている。
「む!?」
コンラートが蒼槍騎士団を突き抜け、距離を取ったところで彼らの身体が弾け飛んだ。
見れば地面が山のように隆起し、そこから巨大な石の柱が針鼠のように何本も突き出していた。突然現れたそれに跳ね飛ばされ、残っていた蒼槍騎士団はあっさりと全滅した。
「……付いて来るなど言ったのだが」
それが誰の仕業であるか察し、コンラートは馬上で吐息を漏らした。
しかしいつまでも呆れてはいられない。コンラートは馬の腹を蹴ると、クレヴィング公の下へと駆け出した。