敵の正体が分かったところで、コンラートにできる事は少なかった。
アンデッドは普通の武器では倒せない。その体を操っている怨念なり魔力なりを断たない限り、彼らは心臓を貫かれようが頭を潰されようが活動を続ける。全身を潰してしまえばさすがに動きようが無いが、そんな暇などありはしないだろう。
アンデッドへの有効な攻撃は少なく、魔術や魔法の武器で霊的なダメージを与えるか、破邪の力を持つとされる銀製の武器を使うかに限られる。そしてこの場に魔法の武器も銀製の武器も無い以上、頼れるのは魔術師であるレインだけであった。
「うーん。一晩でこんなに劣化するなんて、やっぱり向いてないのかな私」
そう呟きながら地面に刺さった杭を睨みつけるレインを、コンラートは興味深げに眺めていた。結界の基点だという杭は手の平に収まる程の大きさで、それらが三歩……歩幅の大きいコンラートならば二歩程の間隔で埋められている。それが小さいとは言え村全体を囲んでいるらしい。全部で何本あるのか、コンラートは数える気にもならなかった。
「もうこれならやり直した方が早いわね。カール水汲んできて」
「はあ? 何で僕が?」
「他に誰が居るのよ。まさかコンラートさんに行かせるつもり?」
「う……」
反論にあっさりと正論で返され、カールは呻くような声を漏らすと素直に踵を返した。さらに言い返さないあたり、カールも根が素直という事だろうか。先ほどの口答えも、不機嫌なために反射的に返してしまっただけであり、レインを殊更邪険に扱うつもりは無いのかもしれない。
「すまぬな。いつもはもっと素直なんだが」
「あれが? ……いえ、私の言い方にも問題ありますよね。どうも同年代にはキツイ話し方をしてしまって」
「ほう?」
意外とも言えるレインの態度に、コンラートは感心した様子で小さく声を漏らした。
出会って短い時間でコンラートがレインに抱いた印象は、とにかく真っ直ぐな娘だというものだ。よく言えば純粋、悪く言えば短気。そして真っ直ぐである故に、悪意を向けられればそれが小さなものでも反抗してしまうのだろうと。
しかし今見せた自身の行動を省みる謙虚さは、短気の一言で彼女の性格を表すのは失礼だったとコンラートに思わせた。
「歳の近い知り合いが一人しか居なくて、その子がまた口が悪いんです。それで仲良く喧嘩するのが当たり前になってて……」
話しているうちに気分が沈んできたのか、レインは地面に突き立てた杖に持たれかかるように額を乗せた。
「私昔から全然友達ができなくて。実家の都合のせいだと思ってたんですけど、もしかして性格悪いのかな私……。「何でそんなに生意気なの?」って言ったら「おまえもだろ」って返されたし……」
「ふむ……」
どこでスイッチが入ったのか、レインは顔を地面に向けたまま延々と愚痴り始める。それを隣で聞いていたコンラートは、困ったように口髭を右手で撫でた。
困るといえば困るのだが、こういった感情は一度吐き出し始めたら全て吐き出した方が良い。そう判断し、コンラートは時折相槌を打ちながらレインの愚痴に付き合った。
「……それ何の呪いだい?」
レインが額でグリグリと杖を押し、このままでは物理的に沈んでいくのではないのかと思われたとき、両手に水の入った桶をぶら下げたカールが帰ってくる。そしてレインを見るなり訝しげな視線を向けたが、彼女の怪しげな謎の動きを見れば当然だろう。
「……地脈の流れを感じてたのよ」
堂々と偽りを言い放つレインに、コンラートは拍手を送りたくなった。落ち込み始めたときには心配したが、この様子なら恐らく大丈夫だろう。
しかし当分はレインとカールが打ち解ける事は無さそうだと思うと、口元に苦笑が浮かんでしまう。そういった意味では、この少女の愚痴を聞かせてもらったのは、ある意味光栄な事なのかもしれない。
・
・
・
村を守る結界を構築する作業は、コンラートにとってはともかくカールには退屈なものであった。村の外周を回りながら、手の平に収まる程の大きさの杭を抜き、よく洗った後にレインが埋める。それを延々と繰り返すという、とても地味で根気の要る作業だ。
「さっきから何やってんだいそれ?」
「結界の基点を作ってるのよ。魔力を効率よく通すための目印でもあり……要するに水を流すために水路を作るみたいなものね」
そこまで言うと、レインは実演して見せるように木の杭を両手で握り、祈るような動作をした後地面へと埋めた。
「何か地味だなあ。呪文だけ唱えてパパッと終わらないの?」
「呪文唱えて「はい終わり」っていうのは、何らかの短期的な現象を引き起こす魔術に限られるわ。結界とか魔力付加みたいな効果が持続する魔術は、事前の準備をしっかりしてないと、効果がすぐに切れちゃうの。私にワンちゃんたちが居なくなるまで呪文唱え続けてろって言うの?」
「はあ、銀の短剣でもあれば、その間に僕が退治してやるんだけどね」
そう言って架空の剣を握り締め、剣舞を見せるカール。鍛えたかいがあるというべきか、その動きはコンラートから見ても及第点を与えられるものだ。しかしレインの目にはどう映ったのか、彼女はしばらくキョトンとした様子でカールを見つめると、唇の端を持ち上げて人の悪そうな笑みを浮かべた
「そうね。もしもの時は頼りにしてるわ騎士様」
・
・
・
「――父なる天、母なる大地、そして四方を守護する偉大なる神々よ」
胸の前に杖を掲げ、歌うように言霊を紡ぐレイン。その姿には先ほどコンラートに見せた弱さは見受けられず、集中するためか目を閉じた顔は、見るものを惹きつける美しさすら感じられた。
「――私の願いを聞き届けてください。慈悲深き女神の子たる私たちをお守りください」
空気が変わったのが、コンラートにも分かった。この村に来た時は、結界の存在に気づきすらしなかったコンラートにそれが分かったのは、単に目の前の少女の空気に呑まれた故の錯覚だったのかもしれない。
しかし結界がはられたのは間違いないらしく、それまで口以外はまったく動かさなかったレインが、大きく息を吐きながらコンラートたちの方へと歩み寄ってきた。
「これでアンデッドは勿論、悪魔だとか魔物だとかいった悪しきものは村に入れません。まあ私には信仰心なんて雀の涙ほどしか無いから、神様に見放される可能性もありますけど」
「え……? 今のって神聖魔術だったのかい?」
今更気付いたといった感じで驚いてみせるカール。だがそれも仕方が無いかもしれない。
神聖魔術とは神々への信仰心を力の源とする、本来ならば神官の得意とする魔術だ。この村の神官は魔力が少ないために使う事ができないが、だからと言って魔力があるから使えるというものでもない。
本人は否定しているが、神聖魔術が神聖魔術として成り立っているのは、術者であるレインに確固たる信仰心があることの証だ。
「今のは基本にして最高と言われる結界魔術よ。境界の内を女神の御座す場に見立て、女神を守る四柱の神の力を借り聖域と成す」
「へえ、神様も随分と太っ腹だこと」
「まったくね」
ニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべながら言うカール。しかしあっさりと肯定で返され、その笑みは戸惑ったものへと変わる。カールからすれば、出会った瞬間から衝突していた相手の態度が突然軟化したのだから、わけが分からぬだろう。戸惑うのも無理はないが、事情が分かっているコンラートから見ればそれも微笑ましい光景だ。
「さて、これで村の安全は確保できたが、狼たちはどうする? できる事があるなら無論手伝うつもりだが」
「そうですね……」
狼たちは夜になると村にやってくる。レインが二日前に結界をはってからはそれも不可能となっていたのだが、それでも彼らは村の周囲をうろついているのだという。
もしレインが結界をはっていなければ、いくら戸締りをしても村人は安心しきれず、無謀な行動に出ていたかもしれない。村人たちの精神は、篭城している兵のようにすり減らされていた。
「結界越しに魔術を使ったら、境界線を侵食してしまう可能性があります。迎撃するにしても結界の外に出なければならないし、そうなると狼たちも襲ってくるでしょうね。コンラートさんはアンデッドと戦った経験は?」
「十五年前のキルシュ以来だが、まあどうにかなるだろう」
「え? キルシュ防衛戦に参加してたんですか?」
レインの言葉にコンラートは無言で頷いた。それを見たレインの顔に影が差したのは、恐らく伝聞で当時の状況を知っているからだろう。
無差別に人々を蹂躙しながら進軍する死者の群と、それを食い止める軍人や傭兵、義勇兵たち。コンラートが騎士に任じられたのは、その時の活躍を評価されたためだが、それを誇る事ができないほど失われたものの多い戦争であった。
「それなら、コンラートさんは大丈夫ですね。ついでにカールも、頼らせてもらって良いかしら?」
「いや……できればそうしたいんだけどね」
コンラートに言われた言葉を思い出したのだろう。カールは困ったようにレインから視線を反らすと、コンラートへ懇願するような目を向けてくる。それだけでレインは事情を察したのか、呆れたような声を出す。
「過保護過ぎませんか? アンデッドと言っても下位、殺せないだけで普通の狼とそう違わないし、鎧をちゃんと着てれば死にはしないと思いますけど」
「む……それはそうだが」
過保護と言われて、コンラートは言葉につまった。カールはコンラートにとって恩のある貴族の次男坊であり、初めて引き受けた従騎士でもある。心の底に遠慮が無かったと言い切る事はできない。
それにコンラートの身に着けている使い古したブリガンダインとは違い、カールの鎧は全身を覆うプレートアーマー。狼の牙など通さないであろうし、オーダーメイドのそれが致命的なまでに動きを妨げる事は無いだろう。確かに心配し過ぎなのかもしれない。
何よりも、自分と同年代の少女が戦っているのを前にして、ただ何もせずじっとしていろというのも酷だ。多少危険でも、戦わせてやった方が良い結果を招くかもしれない。
「……そうだな。俺一人が頑張っても、狼全てを相手にはできまい。レインに近付く狼はカール、おまえが止めるんだ」
「え……? は、はい。頑張ります!」
何を言われたのか分からなかったのか、カールは間の抜けた声を返した。しかし少ししてコンラートの言葉を認識したのか、背筋をピンと伸ばし、はりのある声で返事をした。
「あ、ありがとな」
レインに向かい礼を言うカール。それにレインは見惚れるような笑みを返した。
「大丈夫。誰にでも初めてはあるから。……そう言って私の先生は、暗くて何か変な臭いのする迷宮に私を引きずり込んだわ。何とか生き残れたけど、今でもトラウマよ」
抜け落ちるように表情が消えていくレイン。それを見たカールは引きつった顔をコンラートへ向ける。コンラートの顔も若干こわばったものだったが、それでも激励するようにカールの背を叩いたのは年長者の余裕であった。
・
・
・
日が落ちてしまえば、人々は眠りにつくのが当たり前の事となっている。それは暗闇の中でできる事は少なく、あえてするような事も無いため。そして何より、明かりを灯すための油も勿体無いからであった。
しかし太陽が姿を消し、月が地を見下ろすようになっても、グラウハウの村人たちは眠りについていないらしい。時折家のドアや窓がそっと静かに開き、コンラートたちの様子を窺っている気配がした。
「頑張ってくださいの一言くらい無いんですかね。遠巻きに眺めて視線すら合わせないなんて、感じ悪いったらありゃしない」
「そう言うな。何もこちらを嫌っての行為ではないだろう」
カールを嗜めるコンラート。しかし彼も村人たちの様子に、不満が無いわけではなかった。
騎士や貴族といった存在を、畏怖する人間は少なからず居る。そこに魔術師まで加われば、警戒するなという方が難しいだろう。
「……」
視線を村の反対側へ向けてみれば、結界の境界線に立つレインの後姿が見える。彼方に見える森を睨め付けて動こうとしないその姿は、背後にあるものを拒絶しているように見えた。
魔法ギルドの党員と言っても、他の魔術師と変わらぬと考える者は多い。このような扱いに、レインは慣れているのかもしれない。コンラートにはそれが腹立たしく思えた。
「……来ました!」
森を見続けていたレインが叫ぶ。コンラートとカールも慌てて駆け寄りながら視線を向けると、森の中から幾つかの影が出てくるのが見える。それらの影は迷う様子も見せず、一直線にこちらへと向かって来ていた。
「まずは大き目の魔術でまとめてやります。残りは一匹ずつ狙いますから、フォローをお願いします」
「了解だ」
「分かった」
結界から歩み出たレインを守るように、両脇に二人の騎士が立つ。その姿を認めたのか、狼たちはただ一点を目指し一つの影となって駆ける。
「――氷の精霊よ。古の契約に従い、我が声に応えよ」
祈るように杖を掲げるレイン。その口から呪文が紡ぎ出され、淡い光に体が包まれる。
魔術において重要なのは意思であり、呪文はただの言葉だとコンラートの知る魔術師は言っていた。だが実際に耳を通るレインの声は、強い力を感じさせる。あるいはそれこそが、声に意思を乗せるという魔術師の力なのかもしれない。
「うわあ……来てる。来てるよ」
「――集い満たせその身にて、汝ら儚くも美しい」
狼たちは近付いて来る。後十秒としない内に接触するであろう時になって、カールが情けない声を上げた。しかし肝心のレインは焦る素振りも見せず、憎らしいほどゆっくりと詠っている。
「――大気よ、凍れ」
それは短く、シンプルな言葉だった。ただそれだけで、間近に迫っていた狼たちを閉じ込めるように、大地に巨大な氷の花が咲いた。
「――氷の精霊よ」
なおもレインが呪文を唱えるのを聞き、一瞬呆けていたコンラートは剣を握りなおし走った。小さな小屋ほどの大きさはあろう氷の檻に、とらえきれなかったものが居る。散り散りになっている今が機だ。攻撃を受けても怯まないような連中にまとめて来られると、さしものコンラートでも分が悪い。
狼に近付くにつれ、獣の臭いと腐肉の臭いが混ざり合った、嗅いだだけで胃液が逆流しそうな臭いが漂ってくる。人と狼の違いはあるが、アンデッドと相対した経験が無ければこれだけで戦意を喪失していたかもしれない。それほどまでに臭いは酷いものだった。
腐敗が進んでいるのか、腹から腐肉をぶら下げている一体が、コンラート目がけて跳びかかる。所々毛皮が剥がれ落ち、肉を露出させているその狼は、村人の証言通りコンラートの知る狼より一回りも二回りも大きい。しかしコンラートは相手の大きさなど関係無いとばかりに、剣を両手で握り渾身の力でもって叩き落した。
「――貫け!」
頭蓋の中身をぶちまけ、それでも立ち上がった狼の体を、後方から飛来した氷柱が打ち抜いた。返り血がコンラートの顔に付着し、辺りに漂う腐臭が強くなる。しかしそれを気にする余裕は無かった。コンラートは喉元に食らいつこうとした狼の足を切り落とし、遠ざけるように蹴り飛ばす。
敵わないと判断したのか、残りの狼が慌てて森へと引き返す。しかしそれらはコンラートが追うまでも無く、虚空より発生した雷にうたれて硬直し、そのまま地面へ倒れた。
「ほう」
足に食らいつこうとした狼の首を刎ねながら、コンラートは感心した様子で声を漏らした。コンラートに向かってきた狼より、逃げる狼を優先する。相手を全滅させる事が重要である以上、それは正しい。しかしコンラートを信頼していなければ、あっさりと彼の周囲に居る狼を後回しになどできなかっただろう。
「――凍れ!」
また一体、最初より小さな氷によってその身を閉ざされた。予想していた以上の手際の良さに、コンラートは何度目か分からぬ感嘆の声を漏らす。
判断に迷いが無い。そして迷いが無い故に速い。それはもしかしたら、先生とやらに迷宮に引きずり込まれた時に身についた、生き残るための決意なのかもしれない。
「き、来た!?」
カールの怯えたような声が響く。見れば先ほどコンラートが蹴り飛ばした狼が、カールとレイン目がけて駆け出していた。足を一つ失っているはずのそれは、不気味なほどの速さで二人に迫る。
コンラートが今から向かっても間に合わない。いや、元より間に合わせるつもりなど無かった。その狼がカールたちの方へと向かっているのに気づきながら、コンラートは他の狼を優先したのだから。あるいはレインもコンラートの思惑に気付き、その狼への対処を後回しにしたのかもしれない。
「う……うわあ!!」
足を無くしても構わず動く狼に、カールは怯えながらも自ら向かっていった。しかし両手で力任せに振り下ろした剣は、狼には当たらず地面を砕き、辺りに土が飛び散る。
薪を割るのではないのだから、そんなに大振りをしてどうするのだ。そうコンラートは苦言を漏らしそうになったが、その場は黙ってカールの戦いを見守った。カールも目の前の相手に集中しているのか、コンラートに助けを求めようとしない。我武者羅に、だが次第にいつも稽古でやる通りに、必死に剣を振り回し狼を寄せ付けまいとする。
剣が何度か狼に当たり、その姿を形容しがたいものへと変えていく。それでも牙を剥き続ける狼。アンデッドゆえか、体を省みない突進がカールに届きそうになった所で、それまで停滞していたレインの声が響いた。
「――貫け!」
横合いから飛んで来た氷柱に、狼は弾き飛ばされ地面をバウンドしながら転がった。それきり動かなくなったのを見て、剣を青眼に構えたままのカールが尻餅をつくように座り込む。張り詰めていた糸が緩んだのだろう。
「無事かカール?」
「……無事ですよ。色々納得いきませんけど」
頬から滴り落ちる程の汗をかいたカールにジト目で見上げられ、コンラートは苦笑するしかなかった。当たり前といえば当たり前だが、カールはコンラートがわざと狼を逃がしたのに気付いていたのだろう。それはレインに過保護と言われ、コンラートなりに考えた結果の行動であった。しかし当の少女は、座り込んだ少年と似たような視線をコンラートへと向けてくる。
「わざわざ危険を減らしてやるなんて、やっぱり過保護じゃないですか」
「む……」
そう言われてしまえばコンラートに返す言葉はない。レインの師のようにいきなり迷宮へ叩き込むのはやり過ぎだが、いささか温かったのは事実である。
「はいはい、どうせ僕は臆病だよ。無我夢中で剣振り回して、はたから見れば滑稽だったろう」
「そんなわけ無いでしょう。一所懸命戦ってる姿のどこが滑稽なのよ」
その言葉を聞き、カールは呆けたように動かなくなってしまった。否定されたのが意外だったのか、それを言ったのがレインであったのが意外なのか。どちらにせよ言った本人は納得いかなかったらしく、拗ねたように視線を反らした。
「さあ終わったって村の人たちに知らせないと。行きましょうコンラートさん」
「え? あ、ごめん! じゃなくてありがとうなのか? とにかくごめん!」
まるでそこに存在しないかのように横を素通りされ、カールもようやく相手の機嫌を損ねたと悟ったらしい。足をもつれさせながらも慌てて立ち上がり、謝罪と礼を繰り返す。
その光景を眺め、コンラートは笑みを浮かべながら感心していた。友達ができないのは、自分の性格が悪いからではないかと悩んでいたレイン。しかしそれは本人の考えすぎだったらしい。今のレインとカールの関係は、友人のそれと変わらないのだから。
そうなるともう一つの原因である「実家の都合」とやらが気になるが、聞くのは野暮だろう。コンラートは開きかけた口を閉じ、レインとカールの……仲良く喧嘩する二人の後を追った。
・
・
・
「アンデッドか。他にもいるやもしれんが、何よりも如何にして湧き出たものか。……調べる必要がありそうじゃな」
コンラートの報告を聞き、王は頬杖をつきながら言った。
余程の強い未練を残さない限り、死体が独りでに蘇るという事は無い。何より人間ほど知能の高くない動物は死の際に怨念が残り辛く、外的な要因が加わらない限りアンデッド化する事はまず無いと言われている。何者かが意図的に狼をアンデッド化させた可能性は極めて高い。
「それで共闘したレインという魔術師じゃが、容姿はどのようじゃった?」
「年の頃は十六程で、胸元辺りの長さの金色の髪。背はそれなりにありましたが、魔術師らしいというか細身でしたな。しかし報酬はいらぬと本人が申しておりましたが」
「むう……」
説明を聞いて唸る王を、コンラートは訝しげに見つめた。王は特に魔術師に隔意は無いはずだが、何かしら懸念でもあるのだろうか。
「どうかなされましたか?」
「いや。この数年でおぬしの強運も尽きたかと思うたが、まだまだ健在のようじゃと思うてな」
「確かに。グラウハウに魔術師が滞在していたのは幸運でありました」
「うむ。……ご苦労であった。下がって良い」
「ハッ!」
退室の許可を得たコンラートは、気になる事はあったが詮索はせず素早く王の前を辞した。その場に他の臣下は居らず、玉座に腰かけた王のみが残される。
「ジレントの姫君とは。さて、どう借りを返したものか」
困ったような、しかしどこか楽しげな声で王は呟く。
ジレント。それは小国ながら決して無視する事ができない力を持つ、ピザン王国の北に位置する国の名前であった。