隔離都市物語
09
撤退戦
≪勇者シーザー≫
火矢を番え、じりじりと横に歩き続ける。
目的は広間の隅で倒れている少女から敵の目と攻撃を逸らす為。
もう一撃を食らってしまっては彼女は最早助かるまい。
……ここは勇者として私が何とかしないと。
「アラヘンのシーザー、参る!」
「来いよ!最近碌な事が無くてストレス溜まっているんだ!」
久々に勇者として何一つ後ろめたい事無く、誇りをもって行動できる展開に不謹慎ながら心が躍る。
細心の注意を払いつつ彼女が敵の背後に回るまでじりじりと距離を取るように円運動を続け、
ここなら絶対に彼女に攻撃が行く事は無いという地点まで移動した時、ここぞとばかりに矢を放つ。
「熱っ!……だが大して効かないのは判ってるよな?」
「無論だ」
一本、二本、三本……。
燃え上がりながら突き刺さる矢は、その周囲を焼く事しか出来ない。
だが、現状これが最も確実な攻撃手段。
賭けに出るにはまだ早すぎた。
それにだ。
「じゃあ俺の番だ!」
「ぐっ!」
この距離ならば、あの突進を辛うじてだが回避できる。
剣で斬りつけた後では決して避けきれないが、
これならこちらのダメージを最小限にして戦う事も出来よう。
……勝てるとは思えない。
だが、今回の勝利条件はそもそもヒルジャイアント打倒ではないのだ。
優先順位を間違える訳にはいかない。
……まずは、時間を稼ぐ事。それが肝心だ。
……。
《戦闘モード 勇者シーザーVS四天王ヒルジャイアント》
勇者シーザー
生命力70%
精神力100%
ヒルジャイアント
生命力40%
延焼率50%
特記事項
・ヒルジャイアント、連戦により疲労状態!
・不適切ながら、あえてその体に火傷の及ぶ範囲を"延焼率"と呼称
ターン1
シーザーの攻撃!
火矢がヒルジャイアントに突き刺さる!
「あちちちちっ!しつこい奴だな……!」
「褒め言葉だな、それは」
ヒルジャイアントに軽微なダメージ!
炎がぬめる軟体を焼いていく……。
ヒルジャイアントの火傷が悪化!
延焼率が3%上昇した!
「押しつぶす!」
「させるかっ!」
ヒルジャイアントの反撃!
ヒルジャイアントは巨大な体を横倒しにして回転しながら迫ってくる!
シーザーは飛び退いた!
「う、くそっ……火傷のせいで傷の治りが……」
「どうやら思ったよりも火には弱いようだな」
ヒルジャイアントの自己再生!
圧倒的な再生力によりヒルジャイアントの生命力は毎ターン10%回復する。
だが、再生力は五割を超える火傷のために激減している!
延焼率低下3%が精一杯で、生命力回復は不可能!
……。
ターン2
ヒルジャイアントの速攻!
前ターンより続く回転移動により、再度の押しつぶしがシーザーを襲う!
「く、そっ!」
「避けてばかりで、勝てると思うなよ畜生!」
シーザーは回避に専念!
シーザーは攻撃を回避した!
「ひぃ、ひぃ、火傷が染みやがる……」
ヒルジャイアントの自己再生!
圧倒的な再生力によりヒルジャイアントの生命力は毎ターン10%回復する。
だが、再生力は五割を超える火傷のために激減している。
延焼率低下3%!
「だが……少しはマシになってきたぞ……!」
「くっ、継続的に焼いてやらないと回復に追いつかれるのか?」
延焼率が五割を割った事で、自己再生が再度機能し始めた!
……。
ターン3
シーザーは火矢を放つ!
ダメージ軽微、延焼率3%上昇!
ヒルジャイアントの自己再生能力が停止!
「……っ!?」
「どうやら、ネタ切れか?今度は俺の番だ!」
シーザーは火矢を使いきった。
ヒルジャイアントの突進!
シーザーは辛うじて回避した。
が……弓を取り落とした!
「っと。そう何度も焼かれちゃ敵わん」
ヒルジャイアントの追加攻撃。
弓は鈍い音と共に押しつぶされた!
「はっはっはっは!これでお前はこちらに有効な武器を失った訳だ!」
「……その隙が命取りだ!切り札を切らせて貰う!」
シーザーの再攻撃!
紅蓮の火球が敵を襲う!
『我が指先に炎を生み出せ、偉大なるフレイア!火球(ファイアーボール)!』
「!?」
ヒルジャイアントの胴体を炎が覆う。
延焼率10%上昇の上、生命力にも中規模ダメージ!
「ぎゃああああああっ!?」
「今だ!」
……。
ターン4
ヒルジャイアントは炎に包まれのた打ち回っている!
シーザーは駆け出した!
……。
ターン5
ヒルジャイアントは地面をのたうち回り、全身を包む炎を消化しようとしている!
シーザーは走っている!
シーザーは回収を行った!
……。
ターン6
ヒルジャイアントを包む炎が消えた!
シーザーは走って行く!
……。
ターン6
ヒルジャイアントは火傷部分の修復に全力を注いでいる。
シーザーは走り去った!
「……あー?あのへっぽこ勇者は何処だ?」
ヒルジャイアントはシーザーを見失った!
ヒルジャイアントはシーザーを探している……。
……。
ターン7
ヒルジャイアントはシーザーの戦線離脱を理解した。
ヒルジャイアントは"戦闘に"勝利した!
「野郎、逃げやがったな……まあいいか。さて、あの女を食ってやる……」
ヒルジャイアントは周囲を見渡す。
……フリージアの姿は無い。
「もしかして、逃げられた?」
シーザーはフリージアを背負って戦線離脱していた!
フリージアの救出に成功。シーザーは目的を達成した!
……。
≪勇者シーザー≫
気を失ったままの少女を背負い、先ほどまで進んでいた道を下っていく。
残念ながら、上層への道が判らない上に人を背負っている以上、
上り坂を敵から逃げながら進むのは不可能と判断した故だ。
「大丈夫か!?」
「……ううーん」
残念ながら彼女はまだ目を覚まさない。
これはもう、一度ブルー殿と合流し彼女を託して行く他無いだろう。
一度見つかった以上、相手は更に警戒を強めているだろうが、
彼女を見捨てられなかったのだから最早止むなしである。
「ふん!ぬうっ、ぐううっ……」
縄で体を固定し、必死になってはしごを降りていく。
たかが人ひとり、されど人ひとり。
気絶した人間の重みが私の体力を奪って行く。
だが幸か不幸かここまでの道程で結構な数の巨大ミミズなどを討ち取っていた。
その為に戻りの道で誰かに会う事も無く順調な移動が続く。
……とは言え、この行為は地上への脱出からすると逆行だ。
それに対する落胆は隠せないが。
「弓も失ってしまった……ブルー殿にも詫びねばならん」
「ガルッ、ガルッ、ガルルルルルルルッ!」
……呟きをかき消すような唸り声。
しまった。追っ手か!?
敵はワーウルフのようだ。
鼻が効く種族だ……人を背中に背負っていては最早振り切れまい。
振り返り、剣を抜き放った。
「ガルルルルルルッ!」
「ガアアアアアッ!」
「匂いを辿られたか!」
背後から迫るワーウルフを切り裂く。
たった二頭だからよかったものの、今後も追っ手が来るのは避けられまい。
……追っ手をかく乱したい所だが、それだけの余裕は無い。
これは、拠点を突き止められるのも時間の問題だ。
あの部屋に隠れている訳にもいかなくなりそうだ。
「くっ、ブルー殿は足を痛めているというのに!」
最早一刻の猶予も無い。
急いで彼と合流し、別ルートを探さねば。
敵の総数は未知数だが、
「ガアアアアアアアッ!」
「こう頻繁に襲われる以上、敵は少数ではあるまい!」
少なくともこちらより優勢な敵相手に、
気絶した人間を背中に背負って戦えるほど私は自信家ではなかった。
……急がねば。
もし、先回りでもされてしまった日には目も当てられない。
……。
「ブルー殿!一大事です!」
「鍵なら開いている。どうした?敵の囲みを抜け切れなかったか?」
部屋のドアを乱暴に開け中に飛び込み、急いで鍵をかける。
時間稼ぎにしかならないだろうが、今は僅かでも時間が欲しい。
「それどころではありません!敵に追われています。振り切れませんでした」
「……想定内でも最悪の展開か。まあいい」
ブルー殿の足元からはぎしり、と包帯を巻く音が聞こえる。
ただ気になるのは巻くと言うよりは締めると言った方が適切なほどにきつく包帯が巻かれていた事。
……これを予測していたと言うのだろうか?
既に最低限の荷物と思われる背負い鞄も用意され、部屋の片隅に積まれている。
「敵は軍隊だ。敗北してもまだ無事ならば、後を追われるのは当然だろう」
「そうですね……実際この有様です」
背負っていた彼女は既に毛布に降ろしているが、未だ目覚める様子は無い。
彼女の事も一体どうすれば良いのか。
念入りに装備の状況を確認しているブルー殿の表情は見えない。
不安そうにしている様子が無いのは正直とても心強かったが、今後の当てはあるのだろうか?
「しかし、彼女を庇って移動するだけでも一仕事です。別な脱出ルートは無いですか?」
「庇う必要はあるが戦力外ではないぞ?フリージアの射撃術は第二王妃様直伝だ」
そう言うとブルー殿はゆらりと立ち上がり、松葉杖片手に彼女……フリージア殿の元へと向かい、
その脇に座り込むと腰の小さな鞄から一粒の丸薬を取り出した。
「気付け薬だ……済まないフリージア、だが現状は一刻を争う」
「何故気付け薬を飲ませるだけで謝る必要が?」
相変わらず良く判らない展開だ。
普通なら感謝される所だろうに何故詫びる必要があるのか。
「原材料に唐辛子などがふんだんに使用されている上、唾液で溶けると鼻の奥に刺激臭が……」
「……成る程、理解しました」
正気に戻す為には手段を選ばない薬と言う訳だ。
だが、効き目は確かなのだろう。何となくそう思う。
第一、そこまでやって効かないのなら薬の存在意義が問われるに違いない。
「……むぐ……ぎゃあああああああああっ!?く、口の中が噴火したのだゾ!?」
「フリージア。シバレリア大公ともあろう者が不覚だったな」
「大公?」
「む!ブルーではないカ。助けてくれたのだナ?危ない所だったのだゾ!」
「いや、フリージアをここまで連れてきたのはそこのシーザーだ。感謝はそちらにするといい」
ブルー殿がそう言うとフリージア殿はくるりとこちらに向き直った。
そしてぐっと頭を下げる。
「危ない所だったのだゾ。私はお前に感謝するのだナ!」
「いえ、人として当然の事かと」
「そう言えば、お前がシーザーか?ふむ、アルカナやクレアに聞いていた通りの男だナ」
「お二人とお知り合いなのですか」
「うむ。私はシバレリアの大公フリージア。あの二人とは従姉妹に当たるのだゾ」
「……大公殿下であらせられますか……」
驚いて目を見開く。そう言えばブルー殿もそんな事を言っていた。
……それにしても、大公自らが直接乗り込んでくるとは。
「部下の方はどうされたのです?はぐれたのですか?」
「ん?どう言う事なのだナ?」
「……まさか大公ともあろう者が一人で敵地に乗り込む訳が無いと思うだろうさ。普通なら」
呆れたようなブルー殿の声。
まさか、本当に一人で?
「そうなのか?私としては私怨に部下を巻き込みたくなかっただけなのだがナ」
「母君の仇討ちならば、むしろ国を挙げて行うべき事業だと思うのだが」
「何か深い事情がおありのようですね。失言をお許し下さい」
私が深々と頭を下げると、フリージア殿はそれを手で制する。
何事かと思うと、彼女はニカッとした笑いを浮かべるとこう言った。
「命の恩人に失言も何もあるものか。それとシーザー、クレア達同様私にも普通に話して構わんゾ?」
「宜しいので?」
「叔父上達もそうだが、私も堅苦しいのは苦手なのだナ……なんなら命令しても良いゾ」
「ならば自然体で話させていただく。アラヘンのシーザーだ。フリージア殿、宜しくお願いする」
「うん。宜しくされたのだナ」
フリージア殿の差し出した手を取るとブンブンと強く握手をされた。
面食らうが、そのためか何か不自然な点に気付いた。
……改めて彼女を見てみる。
「時にフリージア殿」
「なんダ?」
「……このマントを羽織ってくれ」
「何でなのダ?」
「フリージア、お前の格好だが、知らない者から見たら下着丸出しにしか見えんぞ」
そう。彼女は下半身が下着のままだった。
きっと戦闘中に破れてしまっていたのだろう。
私としたことがこんな格好に長時間気付かないとは……恥をかかせてしまったな。
幾ら緊急時だったとは言え、騎士としても紳士としても失格だ。
「む?この格好の何処がおかしいのダ?」
「水着の上に胸甲、皮手袋とブーツのみ……その格好の事を言っているのだ!」
「……まさか、その……その格好で普通?そんな馬鹿な」
余りの事態に呆然としていると、フリージア殿は胸を張って言い放つ。
「叔父上が言う所の水練着スクミズ。水に入る事をも想定した装備だゾ?」
「戦闘の事を考慮して欲しいと昔から何度も言って居たのだが」
「その為の胸部アーマーなのだナ!」
「昔から思っていたが……少なくとも冬と森の国の姫君の格好ではないぞ?」
「気にするな。私は気に入っているのだゾ、幼馴染よ」
「傍から見ていると目のやり場に困るのだよ」
……言葉が出てこない。
「見てみろ、シーザーも呆れかえっているではないか。これが普通の反応だ」
「私は気にしないゾ!褒めてくれる人も一杯居るゾ!」
「それは鼻の下を伸ばした男達以外の何者でもないような気が……」
私はどうしたら良いのだろう?
「……フリージアを矯正しようとした私が愚かだった。こうなる事は判りきって居たのだがな」
「判りきって……ですか……」
「ああ、それよりこの場から脱出する事を考えたほうがよほど有意義だ」
「そうですね、他人の趣味に無闇に口出ししても仕方ありません」
どうしようかと困り果てていると、
ブルー殿が兜を外し、髪をガシガシとかき上げて話題を転換してくれた。
正直に言えばどうして良いか判らなくなっていた為助かったと思う。
しかし、不毛な話題だったが良い事もあった。
出会ったばかりの私達だが、
この僅かな会話でまるで10年来の友人のように打ち解けたような気がするし、
精神的にも色々と解きほぐされたのも事実。
とは言え、これ以上は貴重な時間を浪費するだけだ。
あの時点での会話切り上げは見事としか言いようが無い。
……まさか、ブルー殿がそこまで計算していたとは思わないが。
「さて、では現状を確認する」
その言葉に合わせ、三人で輪になってそれぞれの状態を報告しあう。
「では、シーザーに関しては弓を失った他は万全といって良いんだな?」
「剣も盾も健在です……火球に関しては、使いすぎると気を失うので当てには出来ませんが」
私のほうはまだ大丈夫だ。
疲労はしているが、休めば何とでもなる。
それより問題なのは、
「……では、ブルーは満足に戦えないのカ?」
「ああ、足の骨が完全に折れている……実質片手でしか戦えないし、走る事も出来ない」
「済みません、弓さえ無事だったら良かったのですが」
ブルー殿の武器が剣しかなくなってしまったと言う事実だ。
弓は私が借りている時に壊してしまったし、盾は今も私が使っている。
それについては元々片腕は松葉杖に占拠されているので問題が無いと言えば無いが、
満足に体が動かない状態で遠隔攻撃手段を失ったのは痛過ぎるのではないだろうか。
更に、
「済まんが私のほうも余り期待するナ。武器の大半を失っているし残弾も残り少ないゾ」
「フリージア、残存戦力はどうなっている?」
「無事な装備は拳銃が一丁にアサルトライフルひとつ……だナ。ただし残弾は殆ど無いゾ」
「……済まないが荷物持ちを頼めるか?銃の音はこの坑道では響きすぎると言う事情もある」
「いえ、ブルー殿……荷物なら私が」
「シーザー。現状ではお前が主力を務めねばならないのだ……体力は温存してもらう」
「そうだナ……まあ仕方ない。ブルーの判断が間違っている所を見た事もないしそれが妥当なのダ」
フリージア殿も戦える状態では無い様子。
実質、満足に戦えるのは私一人になると言う事だろう。
「ライフルは借りるが良いか?……無論、お前の所には敵を出来るだけ向かわせないようにするが」
「ふむ。まあ仕方ないナ」
フリージア殿からブルー殿にアサルトライフルと言うものが手渡された。
鉛の粒を飛ばす小型の弓のような物との事だが、肝心の矢が殆ど残っていないらしい。
心許ない装備だが、それでも止むを得ないのだろう。
「……今、表が騒がしくなかったカ?」
「そろそろ嗅ぎ付けられる頃だ。鍵のかかった扉の奥に人間の匂い……完全に補足されたな」
「くっ!」
既に周囲は包囲されているようだ。
この囲みを破り、何とかまずは地上まで逃れねばならない。
……。
私は敵が少ないうちに突破しようとしたのだが、ブルー殿によってそれは止められていた。
彼の言う事には、むしろ集まってくれた方が都合が良い、と言う事らしい。
体を休めつつ、警戒だけは解かずにドアを凝視する。
「……気配が増えてきたゾ」
「そうだな。だがまだ突入までは時間があったはずだ。今の内に今後の作戦を説明する」
ブルー殿の言う事には、上に戻る事が出来ないのなら最早道は一つしかないとの事だった。
そのたった一つ残った道と言うのが……。
「私達が落ちてきた穴を逆流する」
「無茶ではないのですか?どうやってあの崖を上るつもりなので?」
「……そろそろあの広間が水没する頃だ」
「そう言う事、ですか」
「何のことだかさっぱり判らないゾ!?」
成る程、落ちてきたのは穴だが今その場所は水没しつつある。
水に満ちた穴ならば泳げば戻れるだろう、という事だ。
「水は穴の上までは届くまい……だから、水面に辿り着き次第ここで見つけたこれを使う」
「杭とハンマーなのだナ?」
「足場が出来ればハシゴと変わらないという事ですね」
しかし、それなら最初からあの場所で待っていれば水没した時にそのまま上へ……、
いや、それだと穴の中腹で立ち往生か。
「問題もある。水に潜り浮上する以上、金属製の装備は持ち出せないだろう」
「鎧は置いていくしかない、と言う事ですか」
「シーザー、剣だけは手放すんじゃないゾ。上も敵に占拠されていないとは言い切れないのダ」
しかも、失う物も多そうだ。
……だが、命には代えられん。
「敵がドアを破ったタイミングで反撃、殲滅しそのまま坑道を下る。質問はあるか?」
「特に無いゾ」
「最早選択肢はそう多くありませんしね」
私達の答えを聞いて、ブルー殿は自身有りげに頷いた。
それにしても凄まじい胆力だ。
敵に包囲されつつある現状、しかも満足に戦えないと言うのに。
一体、彼の自信は何処から来るのだろう?
そんな事をふと思う。
「……私はな、模範であらねばならんのだ」
「え?」
もしかしたら無意識に呟いてしまっていたのだろうか?
驚いて顔を上げるが既にブルー殿は明後日の方向を向き、剣の曇りをチェックしていた。
……幻聴だったのか?
「いかんな。緊張しているのかも知れん」
「ふむ。実は私もダ。装備をここまで失う事はそうそうなかったからナ」
「そう言えば、凄まじい威力の攻撃だった……あれなら魔王相手でも楽に勝てるのではないのか?」
「ははは、まさか。弾き返されて終わりダ」
お互い緊張しているのだろう。
フリージア殿と他愛も無い話をして気を紛らわせてみる。
だが、その間にも……敵の気配は更に濃くなっていった。
「そろそろだな。二人とも準備しておけ」
「はい……」
「判ったのだゾ。銃のセーフティも解除しておくのだナ」
すらり、と剣を鞘から抜く。
フリージア殿はテーブルを倒すとその後ろに陣取った。
ブルー殿はドアの脇……ドアノブ側の横に立ち、剣を振り上げた体制のまま静止している。
……ドアに衝撃が走った!
「グオオオオオオオッ!」
「側面注意、だ」
ドアが吹き飛び、一頭のワータイガーが部屋に踊りこむが、
側面に待機していたブルー殿の一撃で首を飛ばされ前のめりに転がる。
「「「バウウウウウウッ!」」」
「迂闊すぎ、だゾ!」
続いて三匹のワーウルフが飛び込んでくるが、
フリージア殿の手元から破裂音がしたかと思うと、
獣の額から血が噴出し、悲鳴と共に次々と倒れていった。
「フフン。まだまだなのだゾ?」
「まだまだなのはそっちもだフリージア!良く見ろ、まだ死んでいない奴が居る!」
「え?」
「ぐお、グアアアアアアアッ!」
「させん!」
だが、その内一匹が渾身の力を振り絞って立ち上がり再び駆け出す。
倒されたテーブルに手をかけ、その爪がフリージア殿に振り下ろされ、
……てしまう前に何とか私の剣が間に合った。
「が、ううううう……ぅぅ」
「び、ビックリしたのダ」
「大丈夫ですか?」
背中から斬られ、断末魔の声と共に倒れるワーウルフ。
フリージア殿は面食らいながらもその死体を脇に退けている。
「まだ来るぞ……私はここを動けない。体勢を立て直すんだ!」
「判りました!」
「り、了解なのだゾ!」
破られたドアの向こうでは敵が半円を描くように取り囲んでいる。
横の同僚を小突いたりして、私にはこちらに突入する面子を押し付けあっているように見えた。
……奴等も、恐ろしいのだ。
「グオオオオオオオッ!」
「ぐうっ!」
僅かな時間が経過し、一際体格のよいワータイガーが突入してくる。
私は盾を前面に押し出し正面から受け止める……が、
「オオオオオオオオッ!」
「お、押し負ける……!」
種族としての元々の地力が違うのだろう、じりじりと後ろに押しやられていく。
「シーザー!ちょっと待て、今何とかしてやるゾ!」
「駄目だ!フリージアは敵の牽制に専念するんだ!」
「だ、大丈夫だ……私は、勇者……この程度の事で……!」
フリージア殿は銃と言う武器で飛び込んで来ようとするワーウルフ達を牽制している。
こちらの援護に入ったら、その一瞬の隙を突いて敵の大群が攻め込んでくるに違いない。
そしてブルー殿は歩けないのでドアの脇に寄りかかりながら戦っている。
この魔獣は私一人で何とかせねばならないのだ。
しかし、人の腕力では敵に敵う筈も無い。
ならば……!
「グギャッン!?」
「搦め手から攻めるだけだ!」
体制を崩したふりをして相手の力をいなしつつ、
鉄の脛当てに守られた足で相手の膝と足首の中間あたり……弁慶とか言うらしい急所を蹴り飛ばす。
骨が折れる事こそ無かったが痛みにうずくまる敵の背中を取り、
背後から、貫く!
「卑怯、な手段なのだろうな……だが、今の私では正面からでは勝てない……」
「それで良いんだシーザー。何時か正面から戦える日が来たら、背後からの攻撃を封印すればいい!」
敵が息絶えたのを確認し、ドアの正面に向き直る。
幾つか死骸の増えた室内には、いつの間にか侵入者が入って来る事も稀になっていた。
ただし、包囲は続いている。
あくまで、無理をしてこの部屋に直接攻撃を仕掛けるのをやめただけだ。
「攻撃が止んだのは良いが、敵が遠巻きにしてるという事は策があるのではないかと私は思うゾ?」
「当然だな。敵は指揮官が来るのを待っているんだ」
「しかしブルー殿。ヒルジャイアントはこの狭い坑道まで入れませんよ」
そう、彼の魔物は巨体だ。
荷車が通れる広さのこの坑道でさえ、その巨体が収まるには小さすぎる。
それとも、他に指揮官が居るというのだろうか。
魔王ラスボスの軍勢には大将格と兵士が居るだけで、細かい部隊を率いる士官階級は居ない筈。
それはアラヘンでの常識だったのだが。
「常識は書き換わる物。それに奴もこの一連の戦いで大損害を受けて、増援を呼んでいる筈だ」
「アリシア様達の率いる諜報部隊の成果だナ?相変わらず非常識なのだゾ」
「向こうは随分長い間増援要請を無視し続けて居たのだが、要請の余りの頻度に面倒になったらしい」
「奴等も厳しい、と言う事ですか」
「まあ当然だ。叔父上の臣下でも最強格の部隊が対処に当たっているからナ」
「増援部隊の敵将についても情報がある。ワーベアと言う熊と人を混合したような魔物だ」
「人狼、虎人に続いて熊人ですか……アラヘンでも見た事の無いタイプだ」
人狼(ワーウルフ)は戦力こそそこそこだがその幾ら倒しても減る事の無いような数が脅威だった。
虎人(ワータイガー)は戦力が高く個体数が少ない。
そこから察するに、
熊人(ワーベア)は個体数が絶対的に少ない代わりに極めて強大な種族の可能性が高い。
「腕力だけでは無いぞ。彼らは比較的人間に近い知性を残している。人語を操る個体も居るんだ」
「ふふん!コボルトやゴブリンも喋れないけど理解はしているのだナ!負けてないのだゾ!」
「……頭に"ワー"の付く種族はほぼ全員人語を理解はしているのだ。そうでなくば命令も出来まい」
「そ、そうなのかブルー。むう、だが我等が同胞が劣っているとは思いたくないゾ?」
「同胞?……ああ、いや集落が普通に認められているのだからそれも当然なのか」
要するに、極めて強力な敵がこちらに近づいていると言う訳か。
しかしそんな奴を、ブルー殿はまるで待っているかのようだ。
「シーザー……来たぞ」
「あれが!?」
「熊が斧を持ってるのだナ……しかも筋肉が凄いゾ……むきむきダ」
まるで待ち焦がれていたかのようにブルー殿が呟く。
ドアの外がにわかに騒がしくなり、人垣が割れてそこから一頭の魔物が姿を現した。
「ガハハハハハ!俺は魔王ラスボス様の僕、ワーベア族のハリーだ!人間ども出て来ぉい!」
「なんか、馬鹿っぽいのが来たゾ?」
「……言うなフリージア」
「あれが、ワーベア……」
それは巨体の熊だった。
ただししっかりと二本の足で大地を踏みしめ、片手には巨体に比べると小さめの斧まで装備している。
全身は毛皮の上からでも判るほどに筋骨粒々で、明らかに高い腕力を持っていることが伺えた。
「……行くぞ」
「え?何を言っているのだナ?」
「正気ですか!?」
敵は多数で、その上群れを率いるに相応しい個体まで現れた。
もし飛び出すのなら、ワーベアが来る前の方がよほど良かったと思うのだが。
「何か策があるのですかブルー殿」
「策は無い。策は無いが問題もまた無い、心配するな」
「判ったゾ。どうせ銃も弾が殆ど残ってないし、ナ」
それでも他に道があるわけでもない。
足を引きずりながらもブルー殿が先頭に立つ形で私達は敵の群れの包囲網の中に進んでいく。
そして相手が口を開くその前に、場を支配するかのように高らかに言い放った。
「敵将よ。私はブルー!貴殿に一騎打ちを申し込む!」
「なっ!?」
「正気なのカ?」
状況を優位に運ぶ為にはこちらからの積極的な働きかけが有効だ。
だが、魔物相手には少々無謀だったのではないだろうか?
じりじりとワーウルフ達がその包囲を狭めて……、
「待て……お前達、下がっていろ」
「「「「ギャウ?」」」」
ワーベアに制された。
ワーウルフ達はすごすごと下がり元の位置に戻る。
「お前、馬鹿だろ?その折れた足で何が出来るというんだ?阿呆だな、ガハハハハ!」
「……もし、その折れた足で貴殿を倒せたならば私達を見逃してもらえるか?戦士よ」
そうか、ブルー殿の狙っていたのはこれなのか。
統率の取れた集団ならば、交渉するのはその上位者だけでいい。
後はそれが下位の者を抑えてくれる。
しかし、そもそも交渉を飲んでくれるとは思わないのだが。
「ガハハハハハハハ!馬鹿め!このワーベアがそんな訳の判らない条件を飲むと思ったのかよ」
「思わんよ。貴殿は戦士だ……戦わぬ者に敬意は持ち辛いだろう。だが……これならどうかな?」
「「「「キャイイイイイン!?」」」」
「あ、私のアサルトライフルだナ……しかし、フルオートでは弾がもたんゾ……」
私が不安に思っていると、ブルー殿は借り受けた武器に手をかけた。
軽快な、と思ってしまうような炸裂音が響き渡り、
続いてワーウルフの屍と重症のワータイガーが幾つも出来上がる。
……目を見開くワーベアに対し、ブルー殿は不敵な笑みで応えた。
「こう言う事だ。この武器の前では貴殿はともかく部下は助かるまい」
「……ふん。勿論俺との戦いでその武器は使わんのだよな?」
「無論だ。もし断るのなら貴殿に討たれたとしても、せめて部下には皆道連れになってもらう」
「……」
恐ろしいハッタリだ。
あの武器はもうあまり長くは使えないはず。
いや、恐らく最後の一撃だっただろう。
もし見破られたら私達は終わりだ。
……だというのに。何故ブルー殿はあれだけ自然にしていられるのか……。
「……ガ……ガハハハハハ!別に部下などどうなっても構わんが、お前に興味が沸いた!」
「そう言う事にしておこう。とにかく受けてもらえるんだなハリー?」
「ああ。お前が勝ったら全員見逃してやるさ」
「……ついでだから一つ条件を付け加えさせてもらえるか?」
「ん?何だ?」
「この二人に関しては今の時点で見逃して欲しい。負けた場合は私の命を差し出そう」
何?いや、それはおかしい。
ブルー殿は命を対価として差し出しているように見えるが、
実際のところ負けたら今の状態では全員殺されるのは間違いない。
これではこちら側が有利すぎると想うのだが。
……横ではフリージア殿も不思議そうに首を捻っている。
やはりその条件はおかしいのではないか……?
「まあいいぜ?どうせここから逃げるにも四天王様の居る部屋を通らにゃならない。同じ事だ」
「宜しい、交渉成立だ」
だと言うのに何か通っちゃったんだが!?
良いのかそれで?
……まあ、こっちが有利になったのだから良いのか……。
とは言え、
「ブルー殿を残していくのは心苦しいのですが……」
「気にするな。上に戻れたら私の事を伝えてくれれば良い。迎えを寄越すようにとな」
「わ、判ったゾ……まあ、大丈夫だとは想うが無理はするなヨ?」
ここでこのまま進むのは、味方を見捨て敵に後ろを見せるかのようで辛い。
だがここで全滅しては意味が無いのだ。
時として味方を置いて進む事も必要になるのを私は知っていた。
そう、あの魔王ラスボスとの戦いの時のように。
「必ずブルー殿の事は伝えます!ご武運を!」
「ここは頼むゾ!」
「ああ。まあ心配は要らんさ……むしろヒルジャイアントまで倒してしまうかも知れんぞ?」
「ガハハハハ!大した自身じゃねえか!その顔引き裂いてやるぜ!」
私達はワーウルフ達が空けた道から坑道の奥へと走り出す。
あの時落ちてきたあの場所を目指して。
ただひたすらに。
……。
≪ワーベアとの対峙から数時間後・旧アラヘン王宮・第三魔王殿にて≫
「……我はそのような冗談を好まん。ふざけた事を言うな」
「いえ、事実です……魔王様。ヒルが……ヒルジャイアントが討たれました」
魔王殿に、魔王ラスボスの激怒の声が木霊する。
側近の小者どもは既に逃げ去り、
玉座の前には四天王主席、竜人ドラグニールの姿のみ。
魔王でなくとも泣きたくなる様な配下の体たらくを見せつけられ、
ラスボスは深く溜息をついた。
「馬鹿な。せっかく久々に出来たワーベアを送り込んだのだぞ?奴はどうしている」
「……半死半生で床に伏せているとの事」
ピシリ、と窓にひびが入る。
魔王の怒りが大気を震わしているのだ。
最早溜息などで解消できるレベルのストレスではなくなっていた。
「それもまた、ヒルジャイアントを殺した奴の仕業か」
「はっ。その人間はそのままヒルの元に移動し、八つ切りにした上で焼き殺したとの事」
「有り得ん……」
「幸い肉体の一部が生き残りましたので再生は出来ますが」
「もし元に戻るならお前は"討たれた"等とは言うまい!?奴は元に戻るのか?」
「……いえ」
怒りを隠そうともしないラスボスと、落胆した様子のドラグニール。
末席とは言え四天王を失ったという意味は重い。
何故なら魔王と言う存在が四天王と言う配下を持っていた時、
多くの場合それは魔王の力たる象徴であるのだから。
「再生したヒルの欠片達は記憶を継承していませんでした……別個体として扱うべきでしょう」
「ぬ、ぐうっ……ヒルジャイアントよ、何故だ……何故お前が……馬鹿者……」
暫し魔王は天を仰ぎ、そして冷静さを取り戻すと表情を消して部下に向き直る。
「四天王主席、竜人ドラグニールよ」
「はっ」
「ヒルジャイアントに代わる四天王を至急選定せよ。欠員を何時までも放ってはおけん」
「「「でしたらここは私に!」」」
「「「いえ、俺に任してください!」」」
「「「ひゃっひゃっ!そんな奴等よりわしの方が」」」
そして次なる四天王を選ぶよう命を下す、とそこに押し寄せる魔物達の群れ。
魔王ラスボスの配下にとって四天王になるという事は支配者の最も信頼する部下になるという事。
それはつまり支配階級のトップに立つと言う事だ。
当然、ろくでもない輩も集まる。
「……急げ。それと我は気分が悪い。全員下がれぃっ!」
「「「「「「「「ひいいっ!?」」」」」」」」
「教授……ゴート……グリーン……お前達は幸せだったのかも知れんぞ……」
余りにも見苦しいその光景に、かつての四天王の勇姿を知る竜人は嘆きの吐息を吐くしかなかった。
かつての最精鋭部隊は10年前の戦で影も形も無く。
……数のみを頼りにするほか無い現状に、彼はほとほと困り果てていた。
「ふひゃひゃひゃ……婆さんは何処かのう?あんたは何を困っているのかのう?」
「む?顔無しゾンビか。いや、次なる四天王を選ばねばならんのでな」
「ひゃひゃ。なら選べば良いのう。飯はまだかのう?」
「……選べるほどの人材が居れば困りはせん。出来れば昔のように誰にしようかと悩みたかった」
悲しい事に、今や直属の部下の中で知恵を借りられそうな者が、
この鼻から上が無い、何処か人格に異常のあるゾンビ一体しか居ないと言う始末。
「なら、探す他無いのう。漁るしかないのじゃ。婆さん、飯はまだかのう?」
「探す、か。まあ止むを得まい……お前に心当たりはある、訳は無いか。出来たばかりのお前に」
しかも、つい先日作られたばかりと来たものだ。
だが、それでもそれに頼らざるを得ないという彼らの状況は、かなり酷いと言わざるを得なかった。
「さあ、のう?全然判らんのじゃ?」
「くっ!所詮は人間ベースか。使い物にならん……いや、待てよ」
ドラグニールは顔無しゾンビに鉄の兜を被せ、一本の杖を手渡した。
「お前が生前使っていた杖だ。それでアンデッドの群れを率いて彼の世界へと渡るのだ」
「判りましたのう……婆さんを探しに行きますじゃよ……」
そしてよろよろと歩いて行く顔無しのゾンビを見て呟く。
「どうせ倒されれば新しい四天王になるだけ……ならば誰でも良いではないか」
「婆さん、飯はまだかのう。行き先はまだかのう?」
彼は心底どうでも良さそうに手持ちの書類にサインをした。
そこには"四天王第四席(仮)顔無しゾンビ"の文字。
「顔無しゾンビ……お前の勇者の下へ行け。行って人間ども同士で潰し合うが良いさ」
だが、適当に選んだその人選はかなり的をついた物だった。
彼のゾンビは暫く前に魔王ラスボスに挑み、殺された老魔道師の成れの果て。
そう。かつて勇者シーザーが老師と呼んだ、あのパーティーメンバーの老人だったのだ。
……かつての仲間が牙を剥く。
勇者シーザーに次なる試練が降りかかろうとしていた……。
続く