隔離都市物語
21
深遠の決闘
≪勇者シーザー≫
人間、いかなる状況にも慣れるものだ。
そう気付いたのはいつの事だったろう。
「よっ、はっ、とう。なのだゾ」
「この罠をかわしながら移動するだけで別料金が欲しい所だ……」
地雷原をステップを踏むように前進し、
「じゃ、お願いしますね」
「了解。クレアさん達は少しそこで待っていてくれ」
「頼むおー?」
振り子の要領で迫る丸太を盾で受け止める。
……気が付けば、これも息をするように自然に出来るようになっていた。
慣れとは恐ろしい。
「そうだお。ハー姉やんから伝言だお。もし今の実力でラスボス倒すならチャンスは今しかないお」
「それは一体?」
その話を聞いたのは、門番であるカーヴァーズスケルトンを盾押しで粉砕し、
更に地下奥深くに潜っている最中の事だ。
もし、そうだとしたら確かに千載一遇の機会なのだが。
「ラスボスの転移門は姉さんの結界により、迷宮内でしかその効果を発揮しません」
「待てよ。じゃああの街にあった門は一体どうなるんだ?金を積んでどうにかなるもんじゃないだろ?」
「良くわかんないけど出口の片方が迷宮にあったから、らしいお……名目上は」
「名目上?」
「そもそも街が罠なら門を開けたのも罠なのら。あり姉やんのお腹は真っ黒黒助なんだお!」
「要するにですね。自力のみでの転移により魔王ラスボスは魔力の枯渇が起きかけている筈なんです」
「けど、時間をかければそれも回復してしまう。生ものや儲け話と一緒で機会も鮮度が命って訳か」
周囲を見渡すと幸か不幸かここまで辿り着いた盗賊風の男達が、
上下運動するトゲ付き天井に幾度と無く押しつぶされていた。
……文字通りの串刺しだ。私も何時かああなっていたのだと思うとぞっとする。
因みにこの区画には一般立ち入り禁止。
ここに人間が居る以上、ラスボスに放り込まれた者達と考えて間違いは無い。
「人間は条約外だから人間を使って攻めようとは、けち臭い事だな」
「そう言うな戦士殿。私達もその穴をついて、こうして戦いに赴いているのだ」
それにしても、祖国の人々を売って自分達だけ良い思いをしていた者達が、
今やただの尖兵として無意味に命を落としている。
奴等とて望んでここに来た訳でもないだろうが……自業自得だ。
私は通路のあちこちに転がるそれを見ながら、
この地で聞いた因果応報と言う言葉の意味をかみ締めていた……。
「そろそろ守護隊が駐屯していた場所か……」
「もう誰も居ない筈だお」
最早この程度の敵には不要だと、無人となった駐屯地から中途リアル迷宮を抜ける。
激戦の跡として所々に血のしみが残るその区画を抜け、無銘迷宮に入った。
……当初はここに辿り着くだけで生きるか死ぬかだった。
変わったものだ。事情も、私自身も。
「……しかし、静かだな……」
変わったといえば、無銘迷宮に入り込んでから敵対者と出会う事が無くなっていた。
暫く前までは、何だかんだでワーウルフあたりには必ずと言って良いほどに遭遇して居たのだが、
その気配すらない。
「罠が無いからナ……食い物すらない賊徒兵はさっさと上に行くし、今や魔物は元々立ち入り禁止ダ」
「そうなると、どうしても無人になる、か」
かつて探索に一日二日と時間を要していたそのエリアを、
地図があり敵がいないとは言え、1時間単位で進んでいく。
時折襲い掛かってくる原生生物にももう慣れてしまっていた。
「……そこっ!」
「お。巨大ミミズなのだナ」
「シーザーさん凄い!一撃で倒しちゃった」
「でかい体の割に脳味噌ちっちゃいからそこを狙われると弱いんだお」
「大した勘じゃないか。ま、楽に稼げて良いがね」
「コケッ」
かつて幾度と無く殺されかけた巨大ミミズも、今となっては迷宮内で遅れをとる事はまず無い。
軽く警戒さえしていればその挙動を察する事が出来るようになったのだ。
……これは大きな成長ではないだろうか?
思えば武具に頼っている部分はあれども兄さんとまともに切り結べたのだ。
この地に来たその時より、私は絶対に強くなっているのだろう。
「あ?転移門がぶっ壊れてる!?勿体無いぜ!?」
「あの街に飛ぶための物だから仕方ないお」
「賊徒兵が万一にもあの大陸に渡らないようにと破壊されたらしいですね」
そして件の転移門に辿り着く。
……ここから先は余り探索が進んでいない。
エゴマキチラース卿を筆頭としたナカマ達と共に潜ったエリアは、
彼らの相手だけで精一杯だったという思い出しかない。
やはり、背中を任すに足る仲間達と言うものはよいものだ。
……背中を任すに足る仲間、か。
「済まないが、今日は少し戻った隠し部屋で休もうと思う」
「だお?」
「そうですね。この先は……あまりまともに探索もしていないし、良い事だと思いますよ?」
わたしは思う所があり、少し引き返して以前の探索で使った隠し部屋に入った。
何だかんだで皆、疲れていたのだろう。
食事をして暫くすると、思い思いの寝床を用意して皆眠りこけてしまっている。
そして私は休憩に入る仲間達を置いて、とある場所に向かったのである。
……。
「木こり殿……私は、薄情だな……」
私は自分自身が作った簡素な墓の前に立っている。
そこは老師と再会した場所。
そしてワーベアのハリー……つまり、木こり殿の成れの果てが眠る地でもあった。
私はあの時何も気付かなかった。
アルカナ君が回収した斧があっても気付かなかったのだ。
気付いたのは魔王が人間を魔物に変える力があると知った時。
即ちついこの間の事でしかない。
「……勇者ともあろう者が、な」
既に人としての記憶は残っていないなかったろう。
だが、その性格や言葉の節々に彼の面影があった。
「とは言え、同時にそれに気付いていたら負けていただろうな……」
逆説的だが、その薄情さ故に私は生き延びたのだ。
我ながら私の理想の勇者とは程遠い。
……所詮は数合わせに任官された騎士にして残り物の勇者と言う事か。
アラヘンの所有する神器・聖剣の類は、
ラスボス出現以降、多数旅立った勇者達に一つづつ与えられていて、
私に与えられたのは最後の一つ……つまり残り物だった。
要するに、私はその程度の期待しかされていなかったと言う訳だ。
幸い攻撃性能はアラヘンの神器でも上位にあたるらしく、
当時の未熟な私でも魔王に傷を与える事が出来たが……。
「我ながら、何とも情けない勇者ではないか!」
思わず地面に拳を叩きつけていた。
不甲斐無い自分自身に殺意すら覚える。
「…………ガ、ウ?」
「!?」
だが、それに対し思いもしなかった反応が返ってきた。
嫌な予感に突き動かされ、唾を飲み込みながら顔を上げる。
……墓の根元から、一本の熊の手が突き出していた。
「ウガ、が……」
「あ、あ、ああ……」
それは段々と地面から這い出してくる。
目は蝋細工のように変質していて、毛皮も所々剥がれかかっていた。
ましてや腹の肉が腐り落ちて背骨が見えているなど、まともな状況ではない。
「……アンデッド?」
「ウガ?……が、あ、あ……」
確認するまでも無い。
それは、死した怪物。
朽ち落ちた肉体に仮初の命を与えられた呪わしい存在でしかなかった。
だが、それは同時に……。
「……ぐうっ!?私は……私はもう一度彼を殺さねばならんのか!?」
「……が、あ……」
ドロドロになった肉体を引き摺ったまま、
ゾンビと化したワーベア……木こり殿は私に構う事すらなく歩き出した。
……何処へ?と疑う間も無く彼は通路の奥、死角になった部分を進んでいく。
「行かねば……」
何処に行くのかは判らない。
だが、私はそれを放っておくと言う事だけは出来そうにも無かった。
取るものとりあえず後ろを付いて行く、
……と、後ろから肩を掴まれた。
「おい雇い主!何勝手に出歩いてるんだ!?」
「戦士殿!?」
「何か顔が青いからおかしいぜと思って付いて来てみりゃこれだ。護衛が難しくなるから自重してくれ」
「し、しかし木こり殿が……」
戦士殿はざんばらと伸びるがままの髪をぼりぼりと掻く。
「どう見ても罠じゃないか!俺なら幾ら積まれたって付いてなんか行かないぜ?」
「……確かに、そうなのだが……」
とは言え、心がはやる。
……常識的判断は判るがかつての仲間に対する贖罪意識が私の心を引き裂かんとするのだ。
やはり、罠だとしても行かねばならん……。
「……ああ糞!その面見れば言いたい事は判る。仕方ない、お姫様達呼んでくるから目印置いてけよ?」
「頼む!」
その言葉を聞いて私は走り出した。
何故、彼が突然アンデッド化したのか。
そして何故私の前で墓から出てきたのか……。
私はそれを確かめたい。
「……あうう……う、が」
「木こり殿……」
木こり殿は何やら行き止まりの部屋の奥に、私に背を向けたまま佇んでいた。
……微動だにしないその姿に私は暫く警戒していたが、
それでも何かがおかしいと警戒しながら近寄る事にした。
「……アンデッド化はそのままか。ここで立ち止まるよう命令があったのだろうが……何故だ?」
木こり殿は答えない。答える知能ももう無いのだろう。
……だが、その答えは意外なところから理解する事が出来た。
「振動……!?」
木こり殿の正面の壁が崩れ落ち、深遠へと続く穴になったのだ。
……魔王軍用の隠し通路だろうか。そう思ってその穴を覗き込む。
「ウガアアアアアアアアアアアッ!」
「!?」
次の瞬間、それが罠である事に私は気付いた。
だが時既に遅し。
壁に向かって立っている木こり殿=ワーベアとその正面の穴。
それを横から覗き込んだ私と言う位置関係だけで判るだろう。
背後から不意打ちで力ある存在に突き飛ばされては抵抗する余地も無い。
「滑り台!?」
視界の先でワーベアが私を押したままの体勢で停止していた。
……この先に何があるのか。
体を捻った私の目に飛び込んできたもの、それは。
「転移門だと!?これでは、避けられない!」
滑り台の先にこれ見よがしに設置された転移門。
私は避ける間も無くその中に吸い込まれていった……。
……。
「……ようこそ、って所かい?勇者さんよ」
「突然の訪問に歓迎痛み入る。それで、これは罠と言う事で宜しいか?」
我ながら何を言っている、と言った所か。
転移した先は分厚そうな壁に覆われた一室だった。
背後では転移門が輝いている。
「ここは、まあお前の故郷の端っこって所か。牢獄だったらしいが、今は俺の巣穴って訳だ」
「……確か、魔王軍四天王、名はナインテイル殿……で宜しかったか?」
その巨大な蠍は重々しく頷いてきた。
厄介な事だ。十分な準備も無いままたった一人で故郷に放り出されるとは。
帰郷は嬉しいが、つまりそれは今の私が孤立無援である事を示しても居る。
「ああ。そうだぜガチガチ!四天王第三席、九尾の蠍ナインテイル様よ!」
「……」
私は無言で剣を構えた。
こうなった以上戦う他あるまい。
……ただし私は今まさに罠に嵌っている最中だ。
せめて周囲への警戒は怠らないようにせねばな。
「おい、流石にそれは俺に対して失礼じゃないか?……心配すんなよ、ここには俺しか居ない」
「……何故そう言い切れる?」
しかしナインテイルはそれが不満なようだ。
とは言え応答しながらも周囲への警戒は怠らない。
その言葉自体が罠である可能性も捨てきれないのだ。
「ん?強いて言うなら俺のプライドだな。他の連中とは違い俺はあくまで武人として四天王をしてる」
武人……となると当然個人戦闘能力は高い筈だ。
どれだけ警戒してもし過ぎると言う事は無いが、
確かに同時に周囲の警戒をしながら相手取れるのだろうか?
「……なあ勇者。お前もハインフォーティンの軍勢は見ただろ?」
「それがどうかしたか?」
「俺はな、10年前も連中と戦って完治までに2年もかかる大怪我を負った……外側だけでな」
「外側?」
内側の傷とは何の事なのか。
「トラウマって奴よ。先日も俺は内心体の震えが止まらなかった」
「それで、それが今回の事とどう繋がると言うんだ!?」
つまり、全力の私を叩き潰す事で自信を取り戻したいと言う事だ。
ならば乗ってやるのも一興だ。
ナインテイルはそれだけ言うと、その名の通りの9本の尾を放射状に広げた。
「ま、誇りを取り戻すため、って所か?……はは。お前を殺せりゃ俺は奴の呪縛から逃れられる……」
「そんな理由で!?しかも何故そうなる!?」
「お前にも判るんじゃないか?戦うしか能の無い奴がそれを否定された時の喪失感はよ」
「……さて、な」
そして次に巨大な両腕の鋏を軽く持ち上げる。
……それは威嚇にしては重厚すぎた。
それは明らかに此方を殺す為の構えだ。
「ま、勝手に付き合ってもらうぜ?なにせ……お前に拒否権は無いからな!」
「……だろうな!」
口の奥には不揃いの牙が並んでいるのが見えた。
……これで蠍だと言うのだから恐ろしいではないか。
だが、同時にチャンスでもある。
「一つだけ聞く。ここでお前を倒せたとして、私が生きて戻れる保障はあるか?」
「あ?さっきも言ったがこれは俺の独断よ……俺に勝てたら転移門で勝手に帰れば良いさ」
……何となく、今回の真相が見えてきた。
「あの転移門……条約後に動かしたのか」
「ああ。顔無しの爺さんに頼んでお前用の釣り餌も用意してもらった……条約?俺は知らねえ!」
その顔には憤怒があった。
その目にはどうしようもない悲しみがあった。
そしてその目にはどこか寂しげな、達観が、あった。
「魔王様が他の誰かに屈する所なんか見たくなかった……俺は、ハインフォーティンが、憎い!」
「それと私とのこの戦いがどう関わるというのだ!?」
私は所詮外様だ。ハイム様にとっては代えの効く駒にしか過ぎないだろうに。
「俺は奴の思惑を僅かでも潰せりゃそれで満足よ!脳筋舐めんじゃねえぞ!?」
「……っ!?」
ズシン、と重い音と共に鋏が振り下ろされた。
しかしまるで鉄塊だ。
こんなのに押しつぶされたり挟まれたりしたらそれだけで終わりではないか!
「つー訳でお前は消えろ!オラオラオラオラっ!」
「うわっ!?」
ナインテイルはその巨体をもって突進してくる。
速いとはお世辞にも言えないが、その重量感溢れる突撃は見ただけでその危険さが判った。
「今度はこちらの番だ!」
「甘い。避ける必要すら無いぜ」
幸い動きは鈍重だ。
私は鋏に飛び乗るとその巨体の割りには小さな頭部に剣を叩き付けた!
まるで刃が通らないのを確認すると、
今度は顔の脇に降り立ち、腕の関節に切りかかる。
……私は飛びのいた。
「……で、感想はどうよ?」
「関節部にすら刃が通らないとはな」
信じたくも無いが関節にまともに入ったはずの剣でさえ、当たり前のように弾き飛ばされた。
もしあそこに後一秒でも留まっていたら、そのまま食いつかれて居たに違いない。
しかし、関節部も駄目となるとどうする?
やはり、あそこしかないか。
「次は、これだっ!」
「……危なっ!」
頭部で赤く輝く両の瞳。
それを狙って突き出した私の剣は重厚な盾の如き鋏に阻まれた。
……やはり、目だけは話が別か。
ならば狙い続ける他無い。
「よぉし、これでお互い狙いどころは分かった訳だ。俺はお前を捕らえられれば良し……覚悟しな」
「悪いが柔らかい部分を狙わせてもらう……遅かれ早かれ当たる相手。覚悟するのはお前だ!」
言葉と共に振り払われた左の腕に飛び乗り顔の前に飛び降りる。
「そう簡単に行くかよコラ!」
「……右ッ!?」
逆の鋏による横殴り。
思わず左に飛ぶと、今度は先ほど振り払われた左腕が、私を捉えるべくその鋏を開いて戻って来た!
「まだまだーーーーっ!」
「こっちもだぜっ!……そろそろ少し気合入れるか!」
攻撃のチャンスの為に逆に攻撃を受けては堪らない。
バックステップを繰り返し距離を取った私に、幾つもの細めの影が覆い被さった!
「俺の尻尾は、狂暴だぜーーーーっ!?」
「こ、のっ!」
四方八方から迫る巨大な針、いや杭の猛攻!
後ろに下がり、盾で受け、体を捻って避けた先に突き刺さるその杭は、
毒液を撒き散らしながら壁に、床に穴を空ける。
「なんて威力だ!?」
「おまけに毒もそれぞれの尻尾で違うんだぜ?中には象を一撃で殺す猛毒もあるからな?」
ある尻尾から放たれた毒液は何とも言い難い異臭を放ち、
また別な尻尾からの毒は周囲の壁に反応して腐食させている。
中には腐りかけた果実のような妙に甘い匂いを放つものまであり、その異様さを更に際立たせている。
「そらそらそらーーーーーーっ!四方から迫る死神に、お前はどう対処するんだ勇者さんよーーっ!」
「ぬっ!ぐっ!……はあっ!」
次第に攻撃の精度があがっていく。
こうなれば、覚悟を決めねば。
そう思い、私は足を止めた。
ここぞとばかりに迫る尻尾が、私に一斉に殺到する!
「覚悟決めたのかよ?へっ。所詮は、その程度かあああああああっ!」
「おおおおおおおおおおおおっ!」
私が待っていたのはその瞬間。
逃げられないように一斉に迫る尻尾……それはつまり、敵の武器が一点に集まる事でもある。
私はそれを見るや、盾を構えて一気に回転した。
……さあ、鍛錬の成果を見せる時だ!
「これが私の……回転防御だ!」
「盾持って回っただと!?何でそれだけで俺の尻尾が悉く弾かれ、いなされてくんだよ!?」
要は私自身に当たらねば良いのだ。
そして私はその方法として回転切りの軌道で盾を構え、敵の攻撃のベクトルをずらす事を思いついた。
弱めの攻撃なら弾き、強い攻撃でも直撃をさせないための防御技法。
そして、
「更に……それに回転切りを重ねる!」
「!?」
二回転目は剣を前面に押し出した回転切り。
弾かれるほどに軽い攻撃なら届く事は稀だが、いなすのが精一杯だった強力な攻撃ならば、
文字通り手が届く位置にまだ残っている。
「攻防一体!二段回転撃だぁっ!」
「うぐっ!?俺の尻尾がーーーーっ!?」
特に太い尻尾三本が毒腺の部分から切り裂かれ、地に落ちる。
尻尾そのものに当たった部分は弾かれた。
……意外な事だが毒腺は脆かったのだ。
「ちいっ……毒を扱う為に毒腺が脆い事を良く見抜いたな」
「……」
私は黙って剣を構えた。
実は偶然だった、等と言える訳も無い。
「けど、考えが足りないぜ?……良く自分の姿を見てみろ」
「……ん?これは……!?」
雫が落ちる音がする。
何処から?
私の鎧から……。
と言う事は!
「へっへっへ。被ったな?俺の毒液をまともに食らったな!?」
「……!?な、なんだ!?」
幸か不幸か、先ほど周囲を腐食していた毒腺は破壊していない。
だが、未知の毒薬が私の体を蝕んでいく。
……これは、何だ?
「えーと。砕かれた毒腺はこれ、これ、これ……で、お前が被ったのは……これか」
ナインテイルは自分の頭上に掲げた九つの尻尾を見てニヤリと笑う。
その内三つの毒腺は破壊されていたが、本体にはまるで堪えないようだ。
……そして、私が受けた毒の種類を確認し、更にもう一度笑う。
「運が良いのか悪いのか……同時に破壊された麻痺毒と睡眠毒は上手くよけたみたいだな?」
「当たっていたらその時点で終わりか……で、私が受けたのは何なのだ?」
「ある意味最悪の毒だ。痛覚過敏化……意味が判るか?」
「……それだけか?」
ナインテイルの顔色が変わった。
明らかに怒っている。
「……何も分かっちゃいないな……その報いは手前えの体で受けやがれーーーーっ!」
「!?」
そして、ドシドシと足を小刻みに動かしたかと思うと、両腕を広げて一気に距離を詰めてきた!
9本の尾も毒腺の有無に関わらず、再び私に一斉に迫る!
口は大きく開き、不揃いな牙が一本一本己の意思を持つかのように蠢いている。
「……これを、かわせるかよーーーーーっ!?」
「避けきれ、いや避ける場所が無い!?」
その時、何故か先日の兄さん達との一晩の事が思い出された。
酒を浴びるほど飲み、久々にお互いの事を語り合った。
リンカーネイトの国王陛下も……ああ、そうだ……そう言えばその時、
「おらあああああああああああっ!砕けろやああああああああああっ!」
「…………!?あ、アガアアアアアアアアアアアアアッ!?」
その時、私は全身が弾け飛んだような錯覚に襲われた。
おかしい、おかしいぞこれは。
確かに痛みは倍増されているのだろう。
だが、倍なんてものではない。
何故なら、今回のこの感覚は件の初見殺しの時に受けたあの衝撃と同じ……!
「どうだ?壁に押し付けられただけ……精々ワータイガーの体当たり程度の威力だぜこれは?」
「……」
ぱくぱくと、陸に上げられた魚のように口が動く。
肺に空気を取り入れようと必死に喉が動く。
だが……それは叶わない。
何故なら、既に肺にははちきれんばかりに空気が溜め込まれているからだ。
それでも、それでもそうせざるを得ないほどに……私の感覚は狂わされていた。
「どうだ?痛覚を限界まで過敏にされた気分は……今のお前は軽く小突かれるだけで死ねる状態だぜ?」
「……ごはっ……」
続いて鋏で叩き潰された。
挟まれなかっただけまし、と考えられるとは私にも余裕が残っているのか。
それともただの現実逃避か……。
「そして、俺の毒腺には一本だけ毒が無い奴がある……これだ」
「……う、ぐ、が……」
必死に見上げると、その尻尾だけ毒腺の形が違う。
いや、あれは……、
「ま、見ての通り針と言うよか槍の穂先だな……と言う訳だ、食らえ」
「……!?」
続いて鎧を容赦なく突き抜けて、鞭の先に付いた槍の穂先とでも言うべき物が私を貫く。
確かに痛い、先ほど同様余り経験の無いレベルの痛みだ。
普通ならばその痛みだけで即死するに違いない。
「一本だけ毒が無い、という毒だ。偽りの希望とか言う奴かもな……まあ実際は一番痛いんだけどよ」
「ふ、ふ……ふふふ……」
だが、隙は見えた。
……いける。何も判っていないのはナインテイルのほうだ。
それに気付いていないなら、私にも勝機はある!
「……へえ、流石は勇者。まだ立てるのかよ」
「無論だ!私は勇者シーザー……この程度でへこたれては居られん!」
突き出された腕を盾を構えて正面から迎え撃つ。
勿論巨大な大蠍の腕力に人の身の上で勝てるはずも無い。
だが、その一撃をいなせれば、体勢さえ崩さなければ私にも……!
「盾で受けるってか?狂ったか。俺の攻撃を受け止めた衝撃だけでもショック死するレベルだぜ?」
「同じだよ!同じなんだ!」
盾に重みを感じた途端、
それは全身の細胞一つ一つに剣を差し込まれたような激痛へと変化する。
先ほど同様、普通なら即死するレベルの痛みだ。
いつかアルカナ君と一緒に落とし穴に落ちた時、地面にぶつかった時の痛みと同等か。
「だから、同じ……どれだけ痛くとも痛いだけならば、傷の多寡でどうすれば良いか決めるだけだ!」
「正気か!?普通死ぬぜ?」
傷の痛み?それがどうした。
死ぬほどの痛み?食らい慣れた。
重要なのは体を動かし続ける為に損傷を最低限に抑える事。
……痛みなどは本来警報に過ぎない。
「はああああああっ!」
「動きが、鈍くなる筈なんだ……普通は、もう、倒れてる筈なんだぜ!?」
痛みなどに負ける余地は無い。
敵から与えられる苦痛の中でも、肉体的な苦痛に屈する余地は無い。
知らずに虐殺を行った。
気付かずに戦友をこの手で討った。
実の兄を敵とした。
この一年にも満たない時間で……これ以上無いほどの汚名に塗れた。
その心の痛みに比べれば、戦場での苦痛など語るに及ばない!
「この一撃を、受けろーーーーーーーっ!」
「……いやむしろ、動きが……鋭く?冗談だろ!?」
毒腺が体を掠める。
針を無くした尻尾が鞭のようにしなり、私に叩きつけられる。
その一撃一撃が意識をもぎ取ろうと死神の鎌を構えて来る。
だが、そんなのは関係ない。
「ちっ!ちょこまかと!」
「……チェックメイト」
背を這い回り、鋏を掻い潜り、遂に頭部の上に立つ事に成功した。
狙うは赤々と輝くその瞳。
下向きに構えた剣の切っ先がナインテイルの瞳を捉え、吸い込まれていく。
そして、
剣の刃先が、
砕け散った。
……。
「……か、は……」
「ふう。良いところまで行ったなぁ……だが、根本的に間違ってるぜ?」
私は腹に数箇所の穴が開いた状態で転がっていた。
剣が砕けて一瞬呆然とした所に四方から来る毒針に貫かれたのだ。
咄嗟の防御で直撃は3箇所に収まったが、それでも全身が異様に震え、
まるで真冬に裸足で歩いているかのように寒さが背筋を駆け上がってくる。
だが段々と寒さを感じなくなっているような。
……これはまずい。
「俺の目の硬さは他の部分以上でな……」
もしや、麻痺毒が全身に回っているのか!?
……いや、まだ体は動く。
「へえ。まだ立てるのかよ?」
「……どうやら体が動かなくなる系列の毒ではなかったようだな……」
幸いにも体の動きにはまだ支障は無い。
全身が震え、痛覚は未だ過敏なままだが……体が動くなら何の問題も無い!
……しかしあの鉄壁の守りをどう崩せばよいのか……?
「無駄無駄。どんな攻撃も効かなきゃ意味が無いんだぜ?ガチガチ」
鋏を鳴らしながら挑発を続けるナインテイル。
確かにそうだ。現在の私に奴の装甲を傷つける武器など……そうだ!武器では無いなら!?
『我が指先に炎を生み出せ、偉大なるフレイア!火球(ファイアーボール)!』
「残念だったな。その程度じゃ俺の殻に焦げ目も作れないぜ?」
起死回生にと放った火球も空しく弾かれた。
あの未熟だった頃ですら、魔王に傷を付ける事が出来たのになんと言う体たらくか。
……魔王!?
「そうだ……思い出せ、魔王ラスボスと最初に戦ったあの日の事を!」
「ほう?何か手があるのかい?俺としてはもう少し粘って欲しいんだがよ?」
そうだ……私には聖剣があるではないか……!
と、ここまで考えて気が付いた。
「……聖剣、部屋に置いたままだ……」
「ちょっと待て!聖剣の一本も無しで魔王様と戦うつもりだったのか?ふざけんな!舐めるなよ!?」
ナインテイルの怒りもある意味もっともだと思う。
ただ、この数ヶ月の戦いの中、
いざと言うときまで聖剣には頼るまいと誓ったあの時から、
私は務めて聖剣に頼らないように、そして考えないようにしていた。
……まさかこの大事な時にまで持って来るのを忘れるほどになっていたとは……!
「それに……考えてみればここ暫く手入れもしていない……」
「おいおい、勇者!?何考えてるんだよ!?」
厳密に言えば例のマケィベントでの一ヶ月以来だ。
帰って来てからも部屋に戻ればすぐ寝てしまうと言う生活を送っていたため、
もしかしたら今や蜘蛛の巣が張っているかも知れない。
しかも……そう言えば寝る前には何時も何となく話をしていた気もするが、
何時も半ば寝ぼけながらだったような……これは、もう……。
「……下手をしたら聖剣から見放されているかも知れん」
「……まぢで?」
先ほどとは違った意味で滝のような汗が垂れる。
背筋が震える。
……あの世界に落ちてから何回めかの致命的な失態だ。
本当にどうすれば良いのか!?
「ふざけんなよ!最後の最後まで俺達を馬鹿にしやがって……馬鹿にしやがってっっ!」
「う、うわああああああああっ!?」
その時私は見た。
ナインテイルの瞳から涙が零れるのを。
……彼の魔物もまた武人であり、主君を想う忠臣だったのだ。
戦争に敗北し、敵の温情で生かされているこの状況がそもそも許せなかったに違いない。
そしてその上に私のこの体たらく……その怒りはもっともだろう。
「今すぐ死ね!死んで魔王様と俺達に詫びろっ!……畜生!これも奴の計算なのかよ!?」
「うあああああああああっ!」
物凄い勢いで敵の両腕に殴り飛ばされ、壁に叩きつけられた所に鞭のようにしなる尻尾が、
嵐のように叩きつけられる。
「これが……俺達に対応する勇者だってか!?ふざけんな!舐めんな!消し飛べ!」
「お前がナ」
……その時私は聞いた。
ナインテイルの装甲を吹き飛ばす爆音と、頼れる仲間の声を!
『竜王の名の下に!来たれ!酸の雨よ!』
「ピヨちゃんは洞穴の前でお留守番だお♪帰り用のロープの端っこを握ってくれてるんだお!」
「まだくたばってないな雇い主!」
敵の猛攻から解放された私を少々乱暴に引き起こす戦士殿の腕。
目を開けるとフリージア殿が構えたロケットランチャーとやらが煙を上げ、
クレアさんの呼び寄せた雨が、何故かナインテイルの装甲を溶かそうとしていた。
アルカナ君は薬らしいビンを私の口に突き刺そうと悪戦苦闘している。
「シーザー、飲むお!」
「ごぼっ……助かる……」
「ったく。自殺志願者かよ今回の雇い主は」
「違います。シーザーさんは戦友を見捨てる事が出来なかっただけです!」
「惚れた弱みだゾ?やれやれだナ……」
そして、私は。
「お酢だお。体に良いお!」
「ぶはああああああっ!」
盛大に噴き出した。
「シーザーさん!?アルカナ、何て事するの!」
「だおだお♪勝手に罠にかかる阿呆にはお灸を据えとけってブルーが言ってたんだお!」
「無難だな。勝手に死なれちゃ俺の給料にも響く」
「ああ、そう言えば数日前に何か話していたナ」
……言われて見れば、いや言われるまでもなく今回の危機は私の独断による失策だ。
ブルー殿の呆れ果てる顔が目に浮かぶ。
「それと。おとーやんとのお話を思い出せって言ってたお!重要事項だそうだお!」
「……え?」
そう言えば、さっき思い出しそうになっていた事がある。
兄さん達と飲んだあの晩、皆が寝静まった頃に私は国王陛下に首根っこを掴まれた。
そして、例の射的屋の奥に連れて行かれて……。
「く、糞っ!不意打ちとは卑怯じゃねえか!」
「やかましいゾ。あれだけ大仰な罠で釣っておいて何を言っているのダ?」
……ナインテイルが目を覚ましたようだ。
先ほどのクレアさんとフリージア殿の攻撃で黒光りする装甲には所々ヒビが入り、
毒腺もほぼ全てが破損し針そのものはともかく毒は全てが流れ出てしまっている。
だが、その目に宿る闘志はそのまま。
いや、むしろ強くなっているようにも見えた。
「はっ。まあ、ハンデとしちゃ丁度良い……全員纏めてかかって来いや!」
「よし、まだ弾はあるからナ。文字通り蜂の巣になるがいいゾ」
「次は武器庫から爆弾を召喚します……シーザーさんを苦しめたその報いを受けよ!」
「高い給料貰っといて何もしない訳にもいかない……とりあえず前で防御固めとくか」
「アルカナはお歌を歌うお!」
……だが、私はそんな皆を手で制した。
「いや、ここまでで十分……後は私に任せてもらえないか?」
「だお!?殺されかけておいてまだ一人でやる気かお?」
「だから!死ぬ気か雇い主!?」
「装甲にヒビは入ったが、その刃こぼれ剣で貫けるほど甘い装甲じゃ無いと思うゾ?」
仲間たちは一斉に危険だと声を上げる。
だが、ただ一人だけそれに異を唱える人が居た。
「……いえ。ここはシーザーさんに任せましょう」
「おねーやん?」
「馬鹿言うナ!シーザーを信じたいのは分かるけどナ!?無茶と無謀って物があるのだゾ!?」
「確かにそうだと思うけど……シーザーさん。切り札を思い出したみたいだし」
「ああ。そう言えばクレアさんもあの日一緒に居た筈だな」
クレアさんが皆を手で制し、私は一人ナインテイルの前に歩き出す。
……痛覚過敏化はまだ解けてはいない。
だが、それでもやらねばならなかった。
「……私は、勇者としては何処まで行っても半人前だ」
それは独白。
そして、ある種の懺悔でもあった。
「何も出来ず流れ着いた場所で、人の好意に甘えて生きてきた」
「それは違う!違うんですシーザーさん!」
「……いや、ちょっと黙って聞いてやれ、姫様」
手に持つ剣は伝説の聖剣ではなくただの剣。
纏う鎧は紛い物で、頼りの盾は貰い物。
敗北と勘違い。そして愚かな独断先行を繰り返し、
それでも生き延びてここに居る。
「誇りか……私もそれは失って久しい。無礼を承知で言うが、お前の気持ちは判るぞナインテイル!」
「だったらあんな体たらくするんじゃねえ!伝説の武具に蜘蛛の巣たからせる勇者が何処に居る!?」
まったくだ。
そして今も戦友の遺体に引き摺られ、見え見えの罠に引っかかる始末。
……けれど、それもそろそろ清算しても良いのではないだろうか。
勇者の名誉だけでなく、誇りを取り戻すために足掻く時が来ているのではないだろうか。
「フリージア殿。蟻の一穴の確保、感謝する」
「うん。だがそれだけで勝てる相手では無いと思うゾ。気をつけるのだナ」
「フリージアの勘は当たるから気をつけるんだお!」
「シーザーさん。偉大なる我が父、カルマの加護があらん事を」
「ここで死んでも料金は通常どうり貰うからな?死ぬんじゃ無いぞ雇い主!」
ああ、勿論だ……勝ち目はある。
いや、最初から勝ち目はあったのだ。
ただ、私自身がそれに思い至らなかっただけで。
「では、行くぞ……」
「良い面構えになったな!……へっ。死ぬには良い日だぜ勇者!?」
鋏がガチガチと音を立てる。
鞭のような9本の尻尾が風を切る。
そして爛々と輝く赤い瞳を正面から見返しつつ、私は叫んだ!
『人の身は弱く、強き力を所望する。我が筋繊維よ鉄と化せ。強力(パワーブースト)!』
その宣言と共に、一瞬の内に全身に力が沸き上がる。
……一歩前へと踏み出す。
想像よりずっと先に体が進む。
「出過ぎだぜ!迂闊すぎるぞ!?」
「そちらがな」
突き出された鋏、その先端が私を襲う。
だが、私は盾で受け止めた。
……そしてそのまま前進する。
「なっ!?俺が、俺が押し負けただと!?」
「おおおおおおおおおっ!」
敵の鋏を腕ごと持ち上げ、その下を前進する。
押さえつけようとするその力を、技巧ではなく腕力で撥ね退ける。
人知を超えたその力が他ならぬ私の体から出たとは正直信じられなかった。
「何を、何をしやがった!?」
「国王陛下は約束を守って下さった。それだけの話だ!」
初めて出会った時、国王陛下は私に魔法を授けると共に、
私にまた出合う時があったら次なる魔法を授けると言い残された。
そして、再び出会ったあの日。
その約束どおりに次なる力を私に授けてくださったのだ!
「くっ!こ、このっ!?」
「甘い!」
突き出された槍の穂先のような毒無き毒腺を、
私は脇で受け止め、そのまま握りつぶした。
桁外れの腕力を術者に与える"強力"(パワーブースト)は、
正面戦闘を好む私との相性が極めて良かった。
増強された筋力は、力強さだけでなく速さをも与えてくれる。
「……は、ははは……何だよ。何でいきなり強くなってるんだ!?」
「自分でも詳しくは判らん」
あの日。酒に侵された頭は完全に寝ぼけていて、私はその時の事を先ほどまで完全に忘れきっていた。
だが、一時的に瞬発力、持久力共に神がかった力を発揮できるようになる。
それだけは確かなようだった。
「当たれ、当たれ!……当たれーーーーーっ!?」
「遅い!」
先ほどまで私は敵より明らかに劣る身体能力を必死に埋めるための戦いをしていた。
だが今は、その立場は逆転している。
そして、技量の上で私はナインテイルを上回っているようだった。
直撃さえ受けなければ、最早負ける事はありえない!
「さて、と」
「……くっ!」
そして、敵の猛攻をかいくぐり、受け止めつつ私はナインテイルの眼前に立った。
……問題はただ一つ。
私の剣でどうやってこの装甲を破るか、と言う事。
先ほどの攻撃で、剣はその切っ先を失っている。
しかし、だ。
「ナインテイル!今やお前の装甲にも亀裂が走っているぞ!」
「……そんななまくらで、ヒビが入っていようが俺の装甲が抜ける訳が無い!」
結論から言うと、ナインテイルの言葉は正しかった。
「どうだ!ヒビが入ろうが関係ない!俺の装甲は誰にも抜けない!ただ、魔王様を除いて!」
「今さっきフリージア殿に抜かれたばかりだろうに!」
もし、これが聖剣だとしたら。
そうでなくとも硬度が同等であったのなら結果は違ったのだろう。
だが、私の剣はヒビの入った装甲に叩きつけると同時に無残に折れて飛んで行った。
……そして床に金属質の音が響き渡る。
「甘いんだよ!そんな柔な鋼の剣なんかじゃ俺を殺せやしない!」
「……そうか」
だから、私は。
今や最も信頼する武具を高く掲げ、振り下ろした!
……。
≪それから数時間後の同所にて≫
……不気味な、そして沈痛な沈黙が周囲に広がっている。
「何故だ。何故死んだ。ナインテイルよ……何故こんな無残な姿に?」
「魔王様……!」
「この折れた剣は、シーザーの?」
その場に立ち尽くすのは魔王ラスボス。そしてその側近達である。
彼らは急報を聞きつけ、この地にやって来ていた。
「奴の鎧を、奴の殻を打ち破れる人間が居る訳が無い。ハインフォーティン、早速約定を破ったか!?」
「いえ。魔王様……信じられませんがヒルの息子達の証言があります」
「それに、この散らばる残骸は他ならぬシーザーの装備……」
百を超える共を連れているものの、口を開くのは四天王クラスのみ。
ただの魔物達は恐れて居たのだ。魔王の逆鱗に触れるのを。
そして……屍と化した四天王第三席ナインテイル。
その亡骸は全身の装甲にヒビが入り、
頭部を鈍器のようなもので叩き割られると言う凄惨なものであった。
……ただ一つ救いがあるとするなら、残った顔に安堵のような安らかな雰囲気が感じられる事か。
絶叫を聞きつけ駆けつけたヒルジャイアントの息子達に、彼は簡素な遺言を残し息を引き取った。
【最後の反撃の機会を逃した気分だぜ……魔王様に、すまねえ。と伝えてくれ……】
【何言ってんだよ大将……】【何で寝るの?まだ朝だよ?】【死んじゃ嫌だよ】【そんなぁ……】
これが魔王軍四天王第三席、九尾の蠍ナインテイルの最後の言葉だったと言う。
「弱った装甲を打ち破られたか!?勇者め、忌々しいが奴も中々やる!」
「いえ……それが鈍器で叩き割られた跡にはヒビが殆どありません」
「信じられないがシーザーは、無傷の頭部装甲を一撃で貫いた事になる……」
「人間どもの腕力で出来る訳が無い!デスナイト、弟の事とは言え贔屓目をし過ぎではないか!?」
「ではこの陥没跡をどう説明するのだドラグニール殿は!?」
「よさんか!我の配下同士での私闘はこれを禁じる!」
「「ははっ!」」
魔王ラスボスは転移門に目を向けた。
……そしてそれを一瞥すると問答無用で破壊する。
そして死んだ側近の名を呟き重々しく溜息をついた。
「……勇者を迎え撃つ為の舞台を用意していた所だと言うのに……お前の穴をどう埋めろと言うのだ?」
「その、よってたかって……が気に入らなかったのでは無いか?」
「無礼な!魔王様の方針に異を唱えるつもりかデスナイト!?」
肩を落とす魔王の内心を推し量れる者はこの場に居ない。
ナインテイルを近くに墓地を作って埋葬するように命を下すと、
魔王は再び第三魔王殿に戻ろうと飛び立った。
「ゴート。それに教授、グリーン……魔王様を見守ってくれ。魔王軍は私が必ず守り抜いてみせる……」
「落ちぶれたものだな。だが、一度誓った忠誠は反故には出来ん……シーザー……私は……!」
そして、残る四天王もそれぞれの思いを旨に帰って行く。
その姿にかつての覇気は無く、魔物たちは否応なく魔王軍の斜陽を思い知らされつつあった。
……それを見てヒルジャイアントのとある息子は思う。
(勇者は急に強くなったみたいだ……あいつを倒さないといけないよね)
盾の角で打ち破られ息絶えた……父親代わりだった鉄蠍を見ながら、
かつての四天王ヒルジャイアントの息子は巨大な軟体をくねらせる。
(……でも、どうすればいいんだろう……?)
だが巨体に比べて小さなその脳味噌では効果的な策を思いつく事が出来ず、
いつしか彼はそれを考える事をやめていた。
(ま、考えても仕方ないよね。きっと魔王様が何とかしてくれるよ)
……それが彼らの最大の弱点だと気付く事も無く。
「あ、朝焼けだ……綺麗だよね……と僕は思う」
「えー。そうかなぁ?」
「私はどんより雲とか湿気の多い天気が好き」
「僕も」
荒れ果てた大地を照らす朝焼けは、ただひたすらに不吉な空気だけを運んで行く。
……。
魔王殿と名を変えた旧アラヘン王宮に戻っても、
魔王ラスボスの顔色が改善される事は無かった。
後任を決める為の会議でも、その言葉に切れは無い。
「魔王様。ナインテイルの勝手な行動は今までの武勲をもって是非帳消しにして頂きたく」
「うむ……しかし、我の配下には最早次なる四天王に推挙できる者は残っておらぬ。どうすれば……」
ともかくこうして魔王軍四天王にヒルジャイアントに続く空席が生じた。
だが……魔王ラスボスが次なる四天王を指名する事は、遂に無かったのである。
この日より、魔王軍の軍編成には櫛の歯が欠けるような欠員が目立っていく事になる。
魔王ラスボスの威信も衰え、散発的な内乱も起こり始めた。
……その惨状は、まるで目に付く畑を荒らしつくした後の蝗の群れの末路にも似ていたと言う……。
続く