隔離都市物語
02
とある勇者の転落
≪勇者シーザー≫
見知らぬ土地に迷い込んで早三日。
私が訳が判らなくとも世界はそれに関係なく時計の針を進めていく。
「……体の傷は癒えたか」
召喚主の館で傷を癒していた私だが、傷が治れば体を動かしたくなってきた。
正門を開け、近くの木陰で愛用の長剣を抜き放つ。
現状何も出来ないし、元の場所に戻れる算段も無い。
だが、それでも。
いや、だからこそ剣を握り、無心に振り下ろし続ける。
……そうでもしないと、狂ってしまいそうだった。
「400、401、402……」
「だお!だお!だお!」
いつの間にか横ではアルカナ君が棒切れを無造作に振り回していた。
ただ、私の素振りとタイミングを合わせているように見えることからして、
もしかしたら私の訓練に付き合ってくれているつもりなのかも知れない。
その微笑ましさに思わず笑みが零れ落ちた。
「何笑ってるお?」
「いや、中々どうして堂に入ったものだったのでね」
その小さな子供はふん、とふんぞり返って殊更大げさに言う。
「当然だお!おとーやんの鍛錬に付き合って素振りしたりするんだお!」
「ほお。父君も剣をお使いになるのか?」
しかし、何処まで行っても微笑ましさの抜けないその姿は、
ただただ笑いを。それも失笑を誘う類の動きだったと思う。
「強いお!才能は殆ど無いって皆が言うお。でも最強なんだお!」
「……ふむ。私は君の父君は商人かとばかり思っていたが?」
ただ、そんな底抜けの能天気さが今の弱りきった私には随分と心地よかった。
時折ふんぞり返ってそのまま後ろに倒れたり、突然無意味にうずくまったり転がったり。
その何処か間の抜けた行動は私の精神に僅かばかりの余裕を取り戻させてくれる。
「間違って無いお!でも、戦竜とか外道王とか書類埋没男とか言われる事の方が多いのら」
「……二つ名持ち……随分勇ましそうだったりする物もあるが……君の父君は騎士、なのか?」
驚いた。
いや、考えてみれば護衛の彼等は明らかに騎士の装いをしていた。
ならば彼等を従えている以上その主人の地位は限られる。
「どっちかって言うと騎士を一杯従えてるのら。でも一番大事なのは商会だっていつも言うお?」
「……領主。それもかなり位の高いお方のようだな。あれだけの騎士を多数召抱えておられるとは」
「領主と言うか、一応王様なんですよ。うちのお父さん」
振り返るとクレアさんがこちらに向かって歩いてきていた。
どうやら随分と話し込んでしまったらしい。
訓練でかいた汗も、既に乾ききってしまっている。
「と言うか、国王陛下であらせられましたか……む。となると、あなた方は……」
「世界で一番お姫様だお!頭が高いお!ひかえおろう、だお?」
……汗と共に血の気が引いた。
私とした事が数日もの間、何という無礼を働き続けていたのか?
急いで膝を折り、今までの無礼を詫びねば!
「これは、知らぬ事とは言えなんと言うご無礼を。何卒、寛大なるお心でお許し下されますよう」
「許すお!ちこう寄るお!」
「シーザーさん、貴方は私達姉妹の恩人。過度な例は不要です……それとアルカナ?」
「なんだお?おねーやん」
「無礼なのはあなたの方でしょう?むしろお礼を言うべき立場なのに」
「それは良いけどおねーやん」
「よくは無いの。いい、アルカナ?貴方はね」
「シーザー、さっきから膝を折ったまま動かないお?」
「……シーザーさん。顔を上げていただけますか?先ほども言いましたが過度の礼は不要ですので」
「承知いたしました」
何とか顔を上げる許可が取れたので地面から視線を離す。
ふう、どうやらアラヘンの騎士として最低限の勤めは果たせたようだ。
騎士が貴人に礼を失するなどありえざる失態だ。
異郷の地で、我が祖国の恥を晒すなどあってはならない。
「何にせよ、傷は癒えたようで何よりです」
「はい。しかし我が祖国は今や何処にあるかも知れず……途方に暮れているのが正直な所ですか」
「帰るのかお?」
「ええ。成さねばならぬ事もありますゆえ」
「……なんか、言葉遣いが変わったお。腫れ物扱いは気に入らないから元に戻すのら!」
「どれだけワガママなの貴方は!?シーザーさん、貴方の使いやすい喋り方でいいですからね?」
……流石に一国の姫君相手に素の言葉で話すわけにも行かない。
ここは礼を失せぬようそれなりの言葉遣いを続けるべき、なのだろう。
ただ、私は先ほどの言葉が引っかかっていた。
「腫れ物?」
「皆、アルカナを腫れ物みたく扱うのら!気に入らないのら!不満だお!」
「私達が腫れ物のように扱われるのは当然なの。わがままを言っては駄目なのよアルカナ?」
手足をパタパタさせながら抗議の声を上げるその姿に私は少しばかり心を動かされていた。
……どうせ長居する事は無いだろう。
送還用魔法が存在する事は先日の夕食の際に聞きだしている。
ならば、向こうの望みに合わせてみるのも良いかも知れない。
「では、素の言葉で話させてもらうが構わないのだなアルカナ君?」
「だお!」
「すみません。却ってやり辛いでしょうに。……あ、私にも普通の喋り方で構いませんからね」
アルカナ君は非常に満足そうに頷く。
姉であるクレアさんのほうは感情を抑えたような抑揚の乏しい声だが、
それでも申し訳無さそうな気持ちは十分にこちらへ伝わってきた。
素の言葉で構わないといったその時の言葉には多少の茶目っ気すら感じられたのだ。
もしかしたら、そちらの方が素なのかも知れない。
「実際の所、気を使われるのは気が滅入るのも事実なんですよ。仕方ない事ですが」
「正直な事だ」
「生まれだけで判断されるのは正直好きではありません……見た目で判別されるよりはましですが」
「そうだお!アルカナは可愛いけど、それが全てでは無いのら!」
表情抜きで気持ちを伝えるのは高等技術である。
ただ私は完全に他人だ。
と、言うのに本音を隠そうともしないその姿勢は、
王族ともなれば本来軽率に過ぎる行為だと思うのだが……。
「不思議な人だな。クレアさんは」
「そうでしょうか?」
「別に不思議でもなんでもないお?」
「いえ。王族なれば本音を隠す術を持つは当然だが、貴方は表情を隠しても感情を隠していない」
「あー、そう言う事かお。いまんところ宮廷闘争とかは無いから、もーまんたいだお」
「温かさが自慢なんですよ、我が国は」
「気に入らなかったら、王様相手に好きに殴りかかるなり切りかかるなりしてもOKだお!」
「大抵返り討ちに遭いますけれどね」
「……それは国家としてどうかと思うが」
臣下が王に剣を向けるのを容認する国など聞いた事も無い。
そも負けたら死んでしまうかもしれないし、
生き残ろうが、威厳と権威の低下は避けられないではないか。
無制限の王の権威の低下。
それが、その国の為になるとはとても思えない。
「王の威厳と生命はどうやって守られている?私には理解できないのだが」
「おとーやんは強いお!って言ったお!」
「ですから、全て返り討ちです。例え相手が軍であろうが神であろうが……普通じゃないですよね」
確かに普通ではない。だが、ある意味納得はした。
ここは並外れて強大な王が強権で治める類の国家なのだ。
ならば、その力が衰えるまでは有効な統治手段であろう。
力衰えた後については……他国民である私の関与するところでは無いか。
「成る程……ところで私の帰還準備にはあとどれだけの時間が必要なのだ?」
「おねーやんたち、随分ゆっくりと作業してるから……わかんないお」
「良く判らないんです。普段なら、送還術の準備なんて一日で終わる筈なのに」
……思わず考え込んでしまうが、心当たりはある。
魔王ラスボスは私の故郷を蹂躙しているだろう。
そんな所に世界の壁をも越える大魔術のゲートなど安心して開ける訳が無い。
だとすると、無理強いは逆にこちらが迷惑をかけることになるか……。
やはり帰還方法は己で探し出す他無いな。
幸い、元の世界に戻る術自体は存在するのが確実なのだ。
何、修行のついでだと考えれば苦にもなるまい。
「……では、私はそろそろお暇させて頂こう」
「だお!?」
「なんでですか!?待っていれば帰る準備は何時か終わるんですよ?」
「しかし、私の個人的事情で無理をさせるわけにはいかない」
「いえ。これは召喚士たる私の責任なんです。責を取らせてください」
「そう、です」
「それに、送還準備に既に結構なお金が動いてるんでありますよ?」
「あたしらのめんつ、つぶさないで、です」
「……あなた方は?」
今度は似たような顔の行列だ。
何やら荷物を抱えた子供の群れがこちらにゾロゾロとやって来ている。
「この子達のねえちゃであります」
「しょうじんかんきょをしてふぜんをなす、です?」
「暇だから色々嫌なこと考えるのであります。どうせなら、お仕事手伝うであります!」
「にもつもち、です。トレイディアまで、はこんでほしい、です」
……こちらの懸念も焦りも、全てお見通し、か。
やれやれ、こんな子供達にまで心配されてしまうとは私も焼きが回ったものだ。
「貨物の輸送か……まあ、私は構わないが」
「姉さん。お客様に雑用なんて……」
「はたらかざるもの、くうべからず、です」
「動けるなら、働いてもらうのがあたし等のジャスティス、であります」
「まあ、らくなしごと、です」
「にやにやにやにや、であります」
ともかく、地図と背負い鞄に入った荷物を受け取る。
うむ。結構な重さだ。訓練にも丁度良い。
暫く世話にもなったし扱いも良かった。
ここいらで少し手伝っても罰は当たらないだろう。
「では。北に向かえば良いのだな?」
「そうであります。街道沿いに進むであります」
「おおきなじょうもんみえたら、そこのもんばんにわたすです」
「はなし、とおってる、です」
「……もう。最近の姉さん達ちょっと変よね」
「へんちくりんなのは昔からだお?とにかく頑張るお!このおねーやん達は太っ腹だお!」
その言葉に頷くと、私はゆっくりと歩き出した。
この先に待っているものに、
不安八割と、二割の好奇心を感じつつ。
……。
森の中は中々気持ちが良い。
不安を吹き飛ばすような抜けるような青空の下、
私は余り使われていないように見える街道を北に向けて進んでいく。
「……ご愁傷、いやご苦労様」
「確かに荷物は渡したぞ」
街に着いて、その巨大な城門に驚いて固まると言う失態こそ見せてしまったが、
それ以外には特に問題らしい問題も無く、私は荷物を担当の衛兵に手渡していた。
城門前は十数名の兵によって護衛されていた。
どれがその門番なのかと一瞬焦るが、幸い向こうが私を、
いや、正確にはその背の荷物を覚えていたらしく比較的スムーズに話は進んでいく。
そうして一通り荷物を渡し終え、私は元来た道を戻り始めていた。
「……良い気晴らしではあったな」
今回の散歩のような旅路は私に考える余裕を与えてくれていた。
近視的な物の見方に陥っていたが、考えてみれば確かに向こうの面子を潰しかねない愚行であった。
あれではまるで貴様らでは役に立たんと宣言しているようなものではないか。
やはり焦っていたのだろう。
もう少し、先を見据えた物の見方を……、
「あの!軍の方でしょうか!?そのお姿は騎士様とお見受けしますが!」
「え?」
横を見ると、森の街道から少し離れた所から小さな街道が枝分かれしていた。
そこから出てきた中年女性から私は声をかけられたのだ。
「私でしょうか?」
「そうそう!そのお召し物の紋章、リンカーネイト王国のものですよね!」
鎧が壊れて借り受けた衣服。
その背中には何かのエンブレムが刺繍されていた。
屋敷で働く使用人の中でも位の高そうな者が良く身に着けていたので余り気にしていなかったが、
これはクレアさん達のお国の紋章だったらしい。
……戦闘用とは思えないが、腰に剣を下げているので確かに軍人に見えない事も無いかもしれない。
「いえ。これは借り物でして……ですが何かお困りのようですね?」
「ああ、そうなんですよ!うちの家畜小屋が近所のコボルトの悪がきどもに燃やされちまいましてね」
「家畜小屋が燃やされた!?」
「あの悪ガキわんこども、悪戯が過ぎるんですよ。軍の方なら何とかしてくれるかなと思いまして」
コボルトの名は聞いたことがある。
小型のワーウルフとでも言うべき魔物の一種らしい。
先日暇を潰すべく借り受け屋敷で読んだ古い魔物図鑑に載っていた。
「私は軍に所属している訳ではありませんが」
「あらら。引き止めて悪かったね。じゃあ街まで行って領主様にお願いしてくるかねぇ」
一個一個の個体は弱く、大軍となり纏まらない限り大きな脅威ではない。
ただ、作物や家畜を荒らすので注意が必要、とその古い辞典には書かれていた。
「……数はどれほどでしょうか。余り多く無い数なら私が何とか出来るかもしれません」
「え?いいのかい!確かに今も村で暴れてるんだ。早く解決できるからそれに越した事は無いけどさ」
ただ、大した礼は出来ない、とその中年女性は言った。
私は関係ありません、と答えたのである。
……弱き物を助けるは勇者の務め。
それに、浅ましい事だがこれで自身の自信が取り戻せるのではないかと言う期待もある。
そうして私は街道を外れ、近くの小さな集落へと向かっていったのであった。
……。
細い道を進む事暫し。
太陽が西の空に消えていこうとし始める中、
私は村はずれの火災を消しとめようと必死に活動する村人達と出会った。
どうやら、ここが問題の村らしい。
「爺様ーっ。助けが来たよーっ」
「早いのう!?……あの犬っころども、今は畑で遊んでおるよ」
「新鮮な作物が……」
視線の先で夕焼けに赤く染まった畑の中を荒らしまわる魔物の姿が見える。
……あれがコボルトか。犬が直立したほどの大きさだな。
「剣士さん。奴等を追っ払ってくださいな」
「……任されました」
このままではあの畑は全滅だろう。
私は軽く答えると畑に向かって走り出した。
……向こうは無警戒だ。
一撃で仕留めるべく剣を抜き放つ。
「お、おい。あの剣士さん白刃を抜いちまったぞ!?」
「なあおばさん。この間の大陸外から来た勇者様みたいな事にならないだろうな!?」
「いや、リンカーネイト王家の紋章の入ったシャツを着てたんだ。まさか……」
ニンジンを掘り出し、放り出して遊んでいる一匹の元に駆け込み、
一息で首を切り飛ばす。
「あああああああああっ!?」
「……えーと……」
「こりゃあ、あれじゃな」
「うん。全く迷いが無い……少なくとも盗賊の類では無かろう」
二匹目は呆然と立ち尽くしていた。
仲間の死に気を取られている隙を付いて、胸元に剣を突き出す。
「そんな。王家の紋章の入ったシャツを来て居なすったのに……」
「のう。あの男本当に王家の方じゃったのか?」
「そういえば、服は借り物とか何とか……」
「キャイイイイイイイン!?」
「あちゃー……こりゃまずいぞ……」
三匹目は茫然自失から即座に立ち直り、走り出した。
残りも猛然と一方向目指して走っていく。
……素人だな。
群れの本隊が何処にあるか、一目瞭然だ!
魔物が走っていく方向に、私自身も走っていく……!
「行っちまうが……?」
「急ぐんじゃよ!また大問題になるぞ!?」
「おばさんはものぐさ過ぎるんだよ。そう都合よく軍の警邏に出会う訳が無いだろうに」
「また虐殺コースかねぇ……」
「おい、若い連中から二~三人、軍を呼んで来ておくれ!今度は本当に急を要するよ!」
……。
驚いた事に、問題のコボルト達の集落は、先ほどの村からそう離れていない森林の中にあった。
驚くべき事に街道で繋がってさえ居る。
ここの軍隊は何を見ているのか、理解に苦しむな。
……ともかく、あの村の人たちのためにも奴等を壊滅させておかねばならないだろう。
「「「き、キャイイイイイイン!?」」」
「ガル!?が、ガルウウウウウウゥゥゥ!」
村の入り口らしき場所には門番が立っていて、中々立派な槍で武装していた。
先ほど逃げ出したコボルトたちはその脇をすり抜け村の中に逃げていく。
「逃さん!」
「が、が、がああああああおおおおおおっ!」
門番が殊更大きな叫びを上げながら槍を無造作に突き出してくる。
だが、本当に素人のような動きだ。
ただ突くだけの槍。しかも一人きりでは、ある程度腕の立つものを押し止める事など出来ない。
剣の腹で槍を押し止めると、そのまま滑らせるように敵の手元に走りこみ、
まるでどうしてよいのか判らないように固まっている門番の手首を切り飛ばし、
痛みに転がった所を首への一突きで止めを刺した。
「ワン!ワン!ワン!」
「グルルルルルル!」
「ば、ばうっ!」
「……まだ来るか」
今度は三匹か。
手斧持ちが一匹、鉈を持った者が一匹。
もう一匹は何も持たず、両腕を広げながら威嚇をしている。
もしかしたら格闘家なのかも知れない。
……だが、私の敵では無い。
戦士特有の気配が、目の前の三匹からは感じられないのだ。
「はあっ!」
「「「がふっ!?」」」
流れるような動きで一頭づつ斬って行く。
仲間が斬られている内にこちらに攻めかかればいいのにそれをしない所を見ると、
余り戦い慣れている訳ではないのだろう。
お前達はやりすぎたのだ。人の領域に手出しさえしなければ命を失う事も無かったろうに!
「……さて、さっき逃げた奴等は……居たか」
軽く周囲を見回すと、納屋らしき場所の奥でガタガタ震える見覚えのある毛皮。
……仲間に戦わせて自分は隠れていたのか臆病者め。
「悪行の報いを受ける時が来たな」
「き、きゅうううううん……」
哀れっぽい鳴き声を上げても無駄……
足元に違和感?
「が、あ、おおお……」
「き、キャイイイイイイン!」
振り返ると、先ほどの内一匹が全身を痙攣させ、這い蹲りながらも私の元まで前進し、
足を掴んでいるのだった。
……そうしている内に怯えていたそのコボルトは逃げ出した。
「仲間を逃がすべく命を張ったか。敵ながら見事なり!」
「ガハッ!」
その勇気と根性に敬意を表しつつその背に剣を突き立てる。
魔物といえど時として人をも超える情を見せる時がある。
私はこの一年で幾度と無くそれを見てきた。
故に、気高い行為に対しては種族に関らず賞賛を惜しむつもりは無い。
ただ、今回我等は敵同士だった。
それだけの話なのだ。
「……戦えない者まで斬り捨てるつもりは無い。森の奥で静かに暮らせ」
まあ、理解できる訳は無いだろうが一応声をかける。
かける先は先ほどの納屋の中。
……警戒こそ解かないままだが剣を鞘に収め、三歩ほど後ろに下がる。
「ぐ、グルルルルルルルッ!」
「「「「キャン、キャンキャンキャン!」」」」
そして、私の攻撃範囲から離れたのを察したのだろう。
納屋の中から子供を抱きかかえた母親らしきコボルトが森の中に逃げ去っていく。
……将来の禍根と言う点について、私は愚かしい事をしていると思う。
だが、例え邪悪な魔物と言えど何も知らぬ幼子まで手にかけてしまってもいいのか?
私は最近そう考える事が多くなっていた。
「なんにせよ、あの村が襲われる事は暫くはあるまい……まずはこれで良しとしようか」
空は夕暮れから段々と夜に移行しかけていた。
今から戻るとすっかり真夜中だろう。
それに服も汚れてしまっているし、怒られてしまうかも知れない。
……そんな事を考えながら街道に戻ると、
「……剣を抜くっす」
「……誰だ……!?」
私は一人の剣士に剣を突きつけられていた。
……。
空に星が瞬き始める中、
私は突然現れた男に剣を突きつけられている。
……山賊か?
いや、それにしては身なりが良すぎた。
夜の森の中という都合上殆ど目がきかないが、
それでも金属鎧特有の光沢が全身を覆っている事は判る。
「剣を抜くっす……アンタ、悪事の報いを受ける時が来たっすよ」
「……悪事?人違いではないのか?」
復讐の人違いか?
だが少なくとも私がこの地を出歩いたのは今日が始めて。
少なくとも悪事を仕出かしてはいないし、仕出かす暇などあるわけも無いのだが。
「……ひとつ質問っす。アンタ、この大陸の人間じゃないっすよね?」
「ああ。そうだ……私はアラヘン王国から来た」
「そうっすよね……大陸の人間がこんな馬鹿な事仕出かす筈が無いっすからね」
「……馬鹿な事?」
すっと音も無く白刃が上段に構えられる。
……こちらも構えろと言う事か。
相対する様にこちらは肩口に剣を構え、正面に突き出した。
本当は盾が欲しい所だが贅沢は言っていられない。
「判らないならそれはそれで良いっす。この大陸だけのローカルルールっすからね」
「知らない内に罪を犯したというのか私が……一体何を?」
何を?と問いかけた瞬間、
甲高い音が至近距離から響き、相対するものの顔が火花によって一瞬照らし出される。
凛々しい顔立ちの青年だが、獅子の如き気迫を持ってそれは私に相対し、
「……所変われば品変わる……多分今のアンタには決して理解できないっす」
「……!?」
気が付いた時、私は剣を弾かれた上に、
全身を細切れに、切り裂かれ……!
「ちょ!まつ、です!」
「衛生兵!衛生兵であります!」
「……おかしいと思ったら、姫様達の策謀っすか……蘇生準備万端って事は自分がここに来るのも」
「いくらなんでも、こまぎれはよそうがい、です!」
「道理で蘇生じゃなくて復元の準備をしておくようにと言われる訳であります!」
……。
「主文。被告人アラヘンのシーザー=バーゲスト……迷宮隔離の刑に処す」
「……」
そして、私は……裁判にかけられ。
「わらわはお前に同情しよう。だがな、遺族の心情を考えると死刑以下の刑罰には出来なかったのだ」
「隔離が死より重いのが、この地の理なのか?裁判長殿」
「……そうだ。囚人は普通の職に就く事が出来ぬ。迷宮に潜るより他に無いのだ」
「迷宮で死ぬまで苦しみ続けろと言う訳か……」
「お前は知らなかったろうな。我が国では法を守り税を納めるものなら何でも国民になれる事を」
「善良な魔物が普通に人と共に暮らしている。など……どうして想像できようか……」
「あの一件は悪戯坊主に手を焼いた村人が隣村に注意をしてくれと陳情しようとした、それだけなのだ」
「……理解はした。私の勘違いであり、成した事は集落への襲撃に他ならなかった事は!」
「よい。事情を知っているゆえお前を怨みはせん」
「……私は、一生迷宮を這いずり、惨めに死んで行く他無いのか……」
「よく聞いてたもれ?彼の迷宮には異界に通じる門が各所にある」
「異界……の門?」
「そうだ。その中にはお前の故郷に通じる道もあるやもな?」
「見つけたら、私は帰ってしまうかも知れないぞ?」
「異界に飲まれた者の事まで法は縛れぬ、もしその万一があれば、勝手に帰るが良い」
「帰れ?……この」
「む、どうしたシーザーよ?」
「……この、惨めな気持ちを抱えてかっ!?」
隔離都市・エイジス。
そう呼ばれる街へ、連行される事となったのである。
ここはリンカーネイト大陸。
人と魔物が共存する地。
私が、罪を犯した地。
そして私が落ちてきて。
……堕ちてしまった地である。
続く