隔離都市物語
11
姫様達の休日
≪勇者シーザー≫
暗い。
真っ暗な良く判らない場所を浮遊しているような感覚。
横たわる私の横では何故か沢山のアルカナ君が思い思いの大工道具を持って何かを修理していた。
『あ、しーざー、もうすこしで、なおるお』
『もうすこし、まつんだお』
『はーねえやん、きたら、きっちりなおしてくれるのら』
『それまで、おうきゅうしょちだお!』
全く、一体何を直しているのやら。
それになんでアルカナ君が沢山居るのだ?
……ああ、そうか。
「これは夢か」
『そうだお。あるかなほんたいは……おなかのうえで、たしたし。してるお』
『まだしゅうふく、おわってないんだから、ゆらさないでほしいんだお……』
『それでもがんばるあるかなだおー♪だおだおだおー♪』
トンテンカンテン音がする。
何かを治す音がする。
どこかで聞きなれた……音がする。
今日も今日とて、音が、する……。
……。
「……よっと、これでひとまず問題ないぞ。うむ、良く耐えた物だ。かつての父を思い出すな」
「おとーやんが心臓ぶち抜かれた時、ハー姉やんはまだ生まれてなかった筈だお!」
「はい。ですが女神様の言うとおりですよ?陛下は何時も苦難続きで御座いましたから」
「そんな事よりシーザーさんは大丈夫なの姉さん?……大丈夫だよね?」
……誰かの声が聞こえる。
クレアさんアルカナ君。それにゲン司教殿か。
もう一人は……確かに聞き覚えがあるが、何処で出会ったのかは判らない。
「何にせよ、彼が助かるのは必然です。何せ女神様が直接お力を振るわれたのですから」
「まあ、そんなに褒めても何も出んぞゲン。って何だこれは?」
……何処だろう。
思い出そうにも頭がぼんやりして余り役に立ちそうも無い。
「はい。不治の病に倒れた信徒たちのリストで御座います」
「いや待て!わらわに治せと言うのか!?いや、忙しいから!出向いてる暇は無いぞ!?」
「「そう仰せられると思いまして、全員連れてきてあります!」」
「あ。リーシュさん、ギーさん、お元気そうで何よりです。教団のお仕事は順調ですか?」
「うはうはに決まってるお!神様に直談判できるなんて恵まれすぎだお!」
妙に周囲が騒がしいが、それ以外は実に何時も通りだ。
……何時も通り、か。
そうなるとここは……塔の二階にある教会だな。
どうやらまた死に至りかねない大怪我を負ったらしい。
まあ、あれだけ無茶をしたのだから当然だ。
むしろ我ながら良く生き延びたものだと感心する他無い。
「ふん!だがそういつも懇願に乗ってやるものか!それ、これを持って行ってたもれ?」
「「これは!国王陛下宛の書状……ですね?」」
「おお、陛下は広範囲回復魔法をお持ちです。この書状を見せればそれを使って頂けるようですぞ!」
「「流石は女神様!実はそう仰せになると思って患者は王都に集めていたのです。では!」」
「え?ちょっと待てリーシュ、ギー!?どういう意味だ?って、こら!逃げないでたもれーっ!?」
バタバタと2人分ほどの足音が遠ざかっていく。
忙しい事だ。
同時に司教殿の声が聞こえたのだからきっと教団関係者なのだろうが。
「えーと…………はっはっは!何時でも願いが叶うと思うなよ!?」
「おとーやんに頼るって……今回も十分頼みを聞いてると思うお」
「良いじゃないアルカナ、助かる人が居るんだし。それよりシーザーさんは?」
そっと、クレアさんと思われる手が胸の上に置かれた。
「心臓、ちゃんと鳴ってる……良かった……良かったよぉ……」
「泣くなクレアよ。後で姉どもはボコっておくから泣き止んでたもれ?」
「何であり姉やんがボコられるんだお?わけわかめだお」
ああ、温かい。
生きているということを実感する。
「……まあ、色々あるのだ馬鹿妹」
「アルカナ馬鹿じゃないお!馬鹿って言う奴ばーか!おぶぁーっか!」
「ふふ、アルカナ。今自分で馬鹿って言っちゃったじゃない」
どうやら、クレアさんの誘拐を阻止する事は出来たらしい。
……良かった。
これすらも出来ないならどうしようかと思っていた所だ。
「誰が馬鹿だ……まったく、親の顔が見てみたいわ」
「ハー姉やんのおかーやん、でーべそーっ!」
良かった、本当に良かった……。
「シーザーさん……良かった……温かい……」
「……突っ込まんかクレア!」
「おねーやん!ツッコミ入れるお!」
「え?あ、ゴメンね。聞いてなかった……後、ルン母さんはお臍出っ張ってないよ?」
「そう言う問題じゃないお!……お互いの悪口が自分のおかーやんの事を言ってるってネタだお!」
「そこは聞いてたのかい!……なら今度は"姉さんの親でもあるんじゃ……"とか言ってたもれよ?」
何とも気の抜けるやり取りではある。
そのやり取りが予想以上に私のツボにはまったのか、
まるで咳き込むように喉の奥からくぐもった笑い声が漏れた。
「ぬおっ!?わらわを脅かしてどうするつもりだ!?」
「あ、シーザー起きたみたいだお」
……それにびっくりしたのか、
周囲に居た全員が私の寝ているベッドの横に集まってきたようだ。
クレアさんの両手が私を揺すっているのがわかる。
「シーザーさん!意識が戻ったんですか!?」
「落ち着け!こ奴も重体患者だぞ!?」
「だお!シーザーが生還したお!」
静かに目を開けてみる。
……窓の横にある光の当たるベッド。
そしてそれに横たわる私とそれを取り囲む人々が居た。
「良かった……間に合ったんだ……」
「おねーやん、良かったお!」
「はは、心配かけて済まない」
軽く手を伸ばすとアルカナ君がはしっ、と私の手を掴んで。
そして親指を押さえると何故か数を数えだした。
「いちにいさん……じゅう!アルカナの勝ちだお!」
「指相撲か!?馬鹿な事はしないでたもれよ……まったく」
「……あ、貴方は裁判長殿?」
私の指を押さえたまま後ろから引っぱたかれたアルカナ君。
そして後ろに目をやると、何時ぞやの裁判で私を裁いた女裁判長の姿があった。
……先ほどの話からすると、彼女がクレアさん達の姉君なのだろう。
そう言えばアルカナ君が成長すれば同じ姿になるのでは?言うほど良く似ている。
良く見ると頭の両脇で纏める髪形も同じだ。うん、良く似ている姉妹だな。
「うむ……久しいな。妹どもが世話になっていると聞いた。感謝するぞ」
「むしろお世話してあげてるんだお!迷宮案内だお!」
「アルカナ!シーザーさんにも姉さんにも失礼でしょう!?」
クレアさんはアルカナ君を抱き上げると部屋の隅に連れて行って降ろし、
自分もしゃがみ込んでお説教を始めた。
「だからね?年上相手には社会的立場はどうあれ失礼な事をしちゃいけないの。判る?」
「判ったお!本当だお!とりあえず首を縦に振っとけば怒られタイム終わるとか思ってないお!?」
……どうやらお説教は長くなりそうな雰囲気だ。
やれやれと思いつつ裁判長殿の方を向く。
「……何時ぞやは大変ご迷惑をおかけしました」
「いや、いい。そもそもあれは、後で聞いてみたらむしろわらわ達の落ち度ではないか……」
頬をかきながらむしろ申し訳無さそうに言う裁判長殿。
「それよりこの地には慣れたか?何時も迷宮に潜るばかりで息抜きもして居らぬと聞いておるが」
「不要です。私は一刻も早く魔王を打ち倒し祖国を救わねばならないのです」
「……ふふ、魔王を倒す。か」
「確かに笑われるような無理難題ではありますが、万に一つの可能性があるなら決して諦めはしません」
そう。今の私にはそれしかないのだ。
アラヘンの民が今も苦しんでいると言うのに私一人がのんびり等していられよう筈も無い。
「その余裕の無さは良く無いぞ……ふむ、ならば丁度良いか」
「何がです?」
「……異邦人シーザーよ。リンカーネイト第一王女ルーンハイム14世として命ずる!」
「はっ!」
裁判長殿は私の答えを聞くと苦笑をもらしていたが、突然襟を正すと凛とした声で命を発した。
……本来私はこの国の民ではないが、
この地に在り、アラヘン王の命も無い以上その命を受けるのが当然だろうと頭を下げる。
「今後一週間は肉体の休息期間とし、迷宮に潜る事を禁ずる!」
「はっ!…………は?」
のは良いのだが……今、この方はなんと言った?
「あの。裁判長殿」
「……わらわの事もハイムで良いぞ。時と場合を考慮してくれればな」
「ではハイム様。その……今何と仰せで?」
「迷宮探索禁止一週間。それがお前に下された処分だと言っておる」
「馬鹿な!ではその間何をして居ろと!?こうしている間にも魔王の間の手はこの世界にまで!」
「あんな雑魚、問題にもならん。それに意味はあるぞ?たまには体の回復期間を設けてやってたもれ」
……肉体の回復は魔法で何とかなる筈ではないのだろうか?
それなのにわざわざ時間を置く意味が判らない。
「お前の故郷の文明レベルではまだ判らんだろうが、肉体は酷使すれば良いと言う物ではないのだ」
「超回復って奴だお!」
「こらアルカナ!……ああもう。ごめんなさいねシーザーさん、騒がしい子で」
こちらの会話に食いついたのかアルカナ君がベッドの上に飛び乗ってきた。
しかし、超回復とは一体?
「……人が鍛えて強くなるのは、一度破壊された肉体が修復される時、少し余計に修復されるからだ」
「その、少し余計を繰り返して人は強くなって行くんだお!」
「そうなのですか。ですがそれなら尚の事時間を置く意味が判りません」
そうだ。人が鍛えられる事が、破壊された肉体を余分に修復する働きがあるせいだとしたら、
むしろ酷使する方が効率が良さそうな物だが。
「色々理由はあるがな。とりあえず……近年判った事だが、治癒魔法ではその超回復が起きんのだ」
「超回復前に魔法で元の状態まで戻るから、それ以上の回復が起きないって事らしいです」
「"治癒"はその名とは裏腹に肉体を元の状態に復元する魔法らしいのら!」
「女神様のお言葉ですが、つまり成長するには自然治癒力に任せる他無いと言う事です」
そうか……このまま治癒魔法で一気に回復してしまうと、
あれだけ体を動かして得た肉体的な鍛錬成果をドブに捨てる事になるのか……。
だから治療も最低限と言う事なのだろうな。
道理で体が満足に動かないと思った。
「それに、精神的にも追い詰められて居るようにわらわは思う。少し休暇を取れ……命令だ」
「それが良いと思います……シーザーさんは無理をし過ぎです。私も心配ですよ」
「だお。顔色が悪いお。それに最初一緒に迷宮に行った時に比べて眉間に皺が寄ってるお!」
どうやら私は、自分で思っている以上に追い詰められていたようだ。
観念して首を縦に振ると、特にクレアさんは心底ほっとしたように安堵の息を漏らした。
……どうやら酷く心配をかけてしまったらしい。
まあ、ボロボロになっていただろうしそれも当たり前だが……。
「ともかく、そう言う事ならありがたく休暇を頂きましょう。感謝します、ハイム様」
「うむ、じっくり休んで英気を養ってたもれ?」
それだけ言うとハイム様は軽く手を振って歩いて行ってしまった。
……それにしても何とも堂々とした後姿だ。
華奢な見た目に反して威厳が生半可ではない。
一国の姫君なのだから当たり前と言えば当たり前だが、むしろあれでは王の域ではないか。
「ふっ、決まったぞ」
「……何もかも台無しだお」
成る程。国王陛下やハイム様の様な方々の元ならばあれだけの精鋭が整えられるのだ。
そしてそれ故にこの国には魔王にも屈しない磐石な態勢が整えられているのだろう。
……私は祖国の事を思い出し、この国の現状をそう結論付けたのである。
「よいしょ、よいしょ。シーザーはお休みだお……と、言う事は……遊んで欲しいお!」
「駄目でしょアルカナ。シーザーさんは疲れてるんだから休ませてあげないと」
そんな事を考えながらぼんやりとハイム様を見送っていると、
アルカナ君が私を運ぶ為と思われる車椅子を押して……、
しかもハンドルまで手が届かないのか、背もたれを押して現れた。
「……遊ぶ?」
「だお!一緒に虫取りするお!バスケットボールでも良いお!」
「出来る訳無いよ!体がボロボロで休んでるのに……シーザーさん?気にしなくて良いですからね?」
その上で遊んで欲しいとせがんでくる。
……考えてみるとアルカナ君にも良くして貰ったが、私自身は何一つ恩を返せていない。
それに息抜きをしようにも、
牢人殿の騒動で判った様に私はこの街の事を殆ど知らないのだ。
ならばここはこの小さなレディにお付き合いして、
そのついでに街を案内して貰うべきだろう。
「判った。アルカナ君……ただ私はこの街の事を知らない。面白い所があるなら案内を頼めるか?」
「わーいだお!うんうん、面白い所一杯あるから案内するお!一緒に遊ぶんだお!」
「……ごめんなさい、折角の休日なのに……え、と。ところで私もご一緒して宜しいですか?」
司教殿に見送られながら、私達は明日からの予定を立てていた。
アルカナ君が無茶な計画を立て、クレアさんが慌てて訂正し、私はそれを静かに見守る。
意外な事にクレアさんが妙に乗り気だったのが印象的だった。
「おし。シーザー車椅子移乗完了だお!」
「私が押しますね。数日もすれば歩けるようにはなるってアリサ姉さんが言ってましたよ」
「……明らかに足が折れているが、数日で治るのだろうか……いや、最後は魔法を使うのか?」
……本当に、久々にのんびりとした時間。
私は祖国アラヘンにも、こんな時間を取り戻したいのだ。
だが今は、今だけは歩を止める事を許して欲しいと思う……。
……。
「……と、言う訳で明日から一週間は迷宮立ち入り禁止になってしまった……」
【勇者と言えど人の子。たまの休息は必要でしょう】
そして、祖国の苦しんでいる人々を残して自分だけ楽をする罪悪感からか、
その日の夜、私は首吊り亭の部屋に戻ると剣の精霊に許しを乞うたりしている。
しかし我ながら何とも心の弱い事だ。
どちらにせよ自分では覆しようも無い事なのだから、普通に受け入れれば良いものを……。
【正直、私としては時折こうして手入れをしてもらえる方が良いですがね】
「……蜘蛛の巣が張ってしまうまで放置して申し訳ない……」
故に、私はこうして聖剣の手入れをしながら、
こうして剣の精霊と話をしているのである。
【まあ良いですがね?使命を忘れずに居るのですから。そうでないなら見捨てるを通り越す所ですが】
「見捨てる以上とは一体!?いや、部屋に戻り次第即死んだように寝てしまう私が悪いのだが!」
お陰で余計な藪を突付いてしまい蛇が出てきてしまったが。
……しかし、伝国の聖剣に蜘蛛の巣を張らせてしまうとは、
我ながらなんと不甲斐無い勇者なのだろうか……。
【……ですが、これも良い機会。世話になったと思うのなら彼女達を楽しませる事です】
「いいのだろうか?国を放り出して遊んでしまっても」
【大事な事は最終的に魔王を打倒出来るか否かですが、これはそのために必要な事でしょう】
「最終的にアラヘンを取り戻せればそれが私達の勝利、か……」
【私達の目的は忘れないように。それさえ守れるならたまの休日くらい有っても良いのでは?】
「その言葉に感謝する。剣の精霊よ……」
そうして私は眠りに付く。
……それは久々に心安らぐ眠りだった……。
……。
「シーザー!起きるお!遊ぶお!」
【待ちなさい!そこの貴方、危ないですよ!?】
……ばしばしと顔面を何かで叩かれている。
この声は、アルカナ君か?
しかし随分と痛いのだが……。
「時間だお!遊ぶお!お迎えに来たお!」
【伝説の剣を目覚ましに使うとか!ちょっ、まっ、そのっ!?】
なるほど、これは聖剣か。
鞘に入れたままとはいえ剣で顔面を叩かれているのだからそれは痛いはずだ。
……聖剣?
「待ってくれっ!?」
「あ、起きたお」
【はぁ、はぁ、はぁ……い、一時はどうなる事かと……】
にこやか、かつ朗らかな笑顔でアルカナ君は私の腹に乗っていた。
そして伝説の聖剣で私を起こそうと叩き続けていたらしい。
……まったく、なんと言う事を。
「アルカナ君、刃物を人に向けてはいけない。鞘に入っているとは言えやはり刃物は刃物なのだ」
【ただの刃物扱い!?】
剣の精霊が抗議の声を上げるが、そこは我慢して欲しいと小声で話しかけておく。
やはり、ここは年長者として一般常識を教えてあげないとなるまい。
「いいかな?例えばアルカナ君に刃物が向けられたとして……良い気分はするかい?」
「別にどっちでも良いお。ハー姉やんにはしょっちゅう刺されてるんだお!」
【……どんな家族なんですか】
駄目だ。この子には一般常識が通用しないのだった。
何時ぞや一緒に落とし穴に落ちたときがあったが、その時普通にひき肉と化していた筈なのに、
私が教会で目覚めた時にはもう普通に走り回っていたな……。
「ともかく行くお!遊ぶお!遊ぶお!」
「待った!引っ張らないでくれ!?」
【ふう、勇者よ。束の間の休暇を楽しんでくるのですよ……はぁ】
そんな事を考えつつ着替えを終えると、
私はアルカナ君に車椅子に乗せられ、部屋から押し出された。
剣の精霊に見送られながら酒場に行くと、
そこには片腕を吊ったままの竹雲斎殿の姿。
そして。
「おお、シーザーか。お互い無事で何よりじゃな」
「……キャラ被りの爺に台詞まで取られたぞい……トホホ」
「あ、シーザーさん。おはよう御座います!」
ガルガン殿とクレアさんの姿。
特にクレアさんはトレードマークでもあった覆面も外し、
申し訳程度に帽子を目深に被ってこちらに手を振っている。
……うん。元気になったようで何よりだ。
「ガルガン殿、不肖シーザー、生きて帰還に成功した」
「うん。しかしまさかあそこで生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされるとはのう」
「ガルガンよ。あそこも一応迷宮内じゃし、そもそも危機も罠に嵌ったからこそじゃ」
「……本当に、一時はどうなる事かと思いましたよね」
コトリ、と私の目の前に温かなスープが置かれた。
どうやら軽めの朝食らしい。
スープを片手で持って、車椅子を近くのテーブルまで押してもらう。
「まあ、食わんと力が出んぞい?さあさあ食った食った」
「ガルガン殿、感謝する」
「……だおー……」
「こら、物欲しそうに見ないの!」
スプーンで湯気の昇るスープに掬い上げる。
ジッと私の手元を覗き込んでいるアルカナ君にも悪いのでさっさと食べ終え、
そしてクレアさん達の方へ向き直った。
「では、今日は街の案内を宜しくお願いする」
「はい。任せてください」
「任されたお!」
一礼をすると二人から返礼がかえってくる。
そしてクレアさんが車椅子の背後に回りこみ、アルカナ君が宿のドアを開けた。
「では行きましょうか」
「とりあえずお店に行くお!でもコタツの出入りしてる怪しい店じゃないのら!」
「今から行く所はカルーマ商会のエイジス支店です……実は母が来ているんですよ」
……ほお。
クレアさん達の母君か。
「母さん、先日の礼をしたいと強く要望してるんです。無理して時間作ったみたいですよ?」
「ハピおかーやんにとっておねーやんは商会と同じくらい大事なものなんだお!」
ちょっと待て。
その優先順位はおかしい。
「ふふ、うちの母は元々父さんの妻になれるとは思ってなかったそうなんです」
「だからおとーやん達と育て上げた商会は、ハピおかーやんにとって文字通りの"我が子"なんだお!」
「……あ、ああ。そう言う事か」
一瞬子供より金の方が大事なのかと激昂しかけたが、どうやらそう言う事ではないらしい。
逆に自らが関わり作り上げた組織が我が子同然と言う意味だったか。
良かった。クレアさんの母君ともあろうお方がそんな情の無い方だとは思いたくなかった。
「あ、あそこが商会の支店だお」
「まるで城だな……と、言うかだ。私はあれがここの王城だとばかり思って居たのだが」
「……いえ、ただの百貨店です。我が国の大使館などは別にあるんですよ」
幾つかの通りを抜け、見えてきたのは城のような巨大な城門。
無論、上の方は首吊り亭でも見る事が出来る。
多分あらゆる意味でこの街で一番の建物ではないだろうか?
「ようこそ勇者シーザーさん。カルーマ商会副総帥にしてリンカーネイト第三王妃、ハピと申します」
「はっ。お初にお目にかかります!……第三?」
「そうなのら。おねーやんのおかーやんだお」
第三と言う事は……いや細かい事は考えない事にしよう。
ともかく、なるほど確かに品のある女性だ。
服装などから見ても貴族と言うより商人に見えるが、
先ほどの話からすればそれも当然の事なのだろう。
……邪推では有るが、この方は第三王妃だという。
となると第一、第二の王妃がいらっしゃる事になるが、
この方は他の王妃と違う面で存在感を持つ事で、身分等の差を補おうとしたのかも知れない。
何となくだがそんな風に思う。
さて、何時までも一国の王妃を放って置く訳にも行くまい……まあ、何にせよまずは挨拶からだな。
私は車椅子の為立つ事が出来ない。両手を膝に乗せると深々と一礼した。
「王妃様にはご機嫌麗しゅう」
「はい。この度は我が娘を助けて頂き、本当に有難う御座いました」
一国の王妃とは思えない腰の低さ……で驚いている私のほうがおかしいのだろう。
いや、最早この程度で驚いてはいられない。
「しかも、幼い時よりの持病まで直すきっかけになって頂いたとか」
「……持病?」
「ふふ、シーザーさんも知ってるはずですよ」
クレアさんは薄く笑って言った。
しかし、彼女は至って健康な筈だが、何処に持病が……あ。
「クレアさん!?笑っていて大丈夫なのですか!?」
「……はい。もう大丈夫です。あの日以来、力の制御に成功しましたので」
「おねーやんは一皮剥けたんだお!」
美しい笑顔に一瞬魂を鷲掴みにされたような感覚に襲われる。
そして次の瞬間、頭の奥底から亡者の如き声が私を惑わそうと近づいて……、
「!?……ハァッ!」
「きゃっ!?」
「ど、どうしたお!?」
……近づいてきたので気合を入れて煩悩を心から追い出した。
私は仮にも勇者。か弱い姫君をそんな目で見る事など許されよう筈も無い。
今の私には勇者としての名誉以外何も残されていない。
魅了された程度の事で自制心を失う訳にはいかないのだ。
「申し訳無い。少し気を入れただけだ」
「びっくらしたお」
「私も驚きましたよ。さあ勇者さんもこちらへ……せめてものお持て成しをさせて頂ますよ」
そして私は奥に通された。
随分と地味だが、その見栄えとは逆に実に高級な一品を惜しげもなく使った応接間。
故郷の王宮でも見たことの無いようなその部屋には色とりどりのご馳走が所狭しと並んでいる。
「首吊り亭に連絡し今朝の食事は軽めにして頂きました。時間が取れず午前中で申し訳ないのですが」
「い、いえ、望外とはまさにこの事!ありがたくご相伴に預からせて頂きます」
「アルカナも食べるお!」
「ふふ、アルカナはこの為に今日の朝ご飯食べてないものね?」
アルカナ君はテーブルの上に手が届かないのか、
クレアさんに抱き上げて貰いつつ、立食形式で料理を皿に乗せていく。
まあ、車椅子の私にはどちらでも同じ事だが。
それにしてもとんでもない歓迎ぶりだ。このワインなどどう見ても最高級品ではないか。
私が異常なまでの歓迎に二の足を踏んでいると、
王妃様御自らが料理を幾つか取り分けてこちらに差し出す始末。
……受け取らない訳にも行くまい。
少し面食らいながらも礼を言いつつ皿を受け取る。
「素晴らしい料理です。わざわざ用意していただいて有難う御座います」
「いえ。クレア・パトラを助けて頂いたのです。あの子の事を考えるとこんなお礼では足りません」
第三王妃様が横の従者に目配せをすると、
ずっしりとした麻袋がトレイに乗せられてやって来た。
王妃様はそれを私に手渡すと少し申し訳無さそうに言う。
「私は王妃より商人の割合が多いんです。感謝をお金でしか表せないのが恥ずかしいのですが……」
「いえ……お気持ちは十分に伝わりました」
異様に重い袋とその中に袋の形が歪になるほどに詰め込まれた黄金の輝き。
……この国における金貨の価値が異常に高い事は知っている。
王家の人間といえど僅かな期間にそうそう集められる物ではあるまい。
しかも、自身の本質は商人だと言う方が金銭感覚が狂っているはずも無く。
だからその袋の重さは王妃様の感じている恩の重さなのだろうと私は思う。
「私も総帥も何も知らされていませんでしたからね……事の次第を知った時は気を失いかけましたよ」
「ごめん、です」
「……色々と謝るであります」
……いつの間にかアリシアさん達が頭に大きなこぶを作った上で横に土下座していた。
流石に諜報機関の長として責任を感じる所があったのだろう。
しかし、あれだけの大規模な謀略……察せられたとしたらそれこそ普通ではないと思うが。
「ともかくクレアさんは無事だったのだから良いではないですか、王妃様」
「……そうですね。長年の心配も無くなった事を考えると……ですが、それでも……」
「だから、ごめん!です。にらむ、だめです!にいちゃに、さきに、おこられた、ですから……」
「もうしないから許してであります!はーちゃんにも派手に殴られたからそれで許してであります!」
オロオロしながらも地面に額を擦りつけたまま部屋から出て行くアリシアさん達。
こうしてどこかドタバタしたりもしたが、その後は特にトラブルなどもなく、
腹いっぱいにご馳走を詰め込んで食事会は終了した。
続いて少し商会の中を見せてもらっていると、いつの間にか太陽が頭上に来ている。
そろそろ行かねばならないだろう。
「そろそろ次行くお!」
「……そうだな。王妃様もお世話になりました」
「いえ、こちらこそ」
深々とした一礼で見送られた私達は、次なる目的地へと向かう。
「次はどうするのだ?」
「次は的当て屋さんなのら!弓で狙って高得点を出したら景品がもらえるお!」
「シーザーさんは弓が使えますよね、確か」
無論だ。先日実戦で使ったばかりだし、そもそも故郷で一通りの武具は使えるように訓練されている。
しかし的当てか。
懐かしい。故郷でも訓練中に同僚達とよく賭けをして楽しんでいたものだ。
騎士団長が来ても訓練にしか見えないし、
逆に真面目にやっているなと褒められた時は、後々見習い騎士全員で大笑いしていた記憶がある。
……もう、その中に生きている者は一人も居ないが。
「どうしたんですか?顔色が悪いですよ?」
「もしかして自信が無いのかお?」
「え?ああ。いや、何でもない」
まあ、全ては詮無きことだ。
それに私の都合で彼女達を心配させる訳にも行くまい。
殊更に笑顔を作り、腕を曲げると力こぶを作った。
「まあ、自信はあるぞ。無論百発百中とは行かないし……この足で何処まで行けるかは判らんが」
「だお!実は高得点域に欲しい景品があるお!取って欲しいのら」
「期待していますよ?」
二人に背を押されるように店の戸を潜る。
意外なほどに立派な建物の中に、室内射的場としてはかなり大規模な設備。
恐らく本来は軍の訓練施設だったのではないかと思うほどに本格的だ。
的は円形で縞模様のようになっているオーソドックスな物。
ありがちだが中央に近ければ近いほど高得点のようであった。
「ククク。お前らか……ふぅん。新顔かよ……若いの。俺様の店に良く来たな」
「やっほい!ビリーおじーやん。元気そうだお!」
「こんにちは。えーとシーザーさん、こちらはビリーお爺さん。ここの店長さんです」
この店の経営者はビリーと言う名の老人だった。
元は傭兵を生業にしていたらしい。
聞くとこの店も元々傭兵の組合だったらしいが近辺の傭兵達は大体定職に就く事に成功したのだとか。
そして役割を終えた組合の建物はギルド長だったこの老人の"勿体ねぇ"の一言で、
訓練場に多少の改装を加えられ、こうして射的屋として機能していると言う。
「いずれ俺様の孫がこの大陸全てを統べる事になるのよ……ククク、笑いが止まらねえ……」
「グスタフ兄さんの事ですね。次期リンカーネイト連合王国の長になる事が決定しているんです」
「王様を統べる王様だお。偉いお!でも実際は面倒事を押し付けられただけなのら……」
しかも、リンカーネイト王国第二王妃様の義理の父上であり、
かつては一国の王だったらしい。
……やはりこの世界は何処かおかしいと思う。
どうしてそんな大物がこんな所でこんな事をしているのだろう……。
「ククク……言いたい事は判るぜ?一つだけ言っておく。……書類はもう嫌なんだよ……」
「とか言ってタクトおじーやんのほうは今も書類に埋もれてる筈だお!」
「だからビリーお爺さんの方は外で自分のしたい事をしているの。それをとやかく言っちゃ駄目よ?」
良く判らないがきっと突っ込んだ話をしてはいけないところなのだろう。
余りに重い雰囲気を察し、私は話題の転換を試みた。
「……それはともかく早速始めたいのだが……」
「ああ。矢を一本射る度に銅貨一枚だ。得点が規定まで溜まったら景品と交換できるぜ」
弓矢を受け取る。
銀貨を一枚渡したら100本の矢束が普通に渡されたのを見ると、
時間と資金さえかければ誰でも、そしてどんな景品でも一応手が届く事になっているのだろう。
腕があれば相場より安く、腕がなくともいずれは望みの品に手が届くのか。
私の腕の見せ所だな。
「では……始める」
とりあえず放った矢は正面の的の中央左寄りに命中した。
「おお、やるじゃねえか。最初から70点だぜ」
「シーザーさん。真ん中だと100点です、頑張ってください!」
「アルカナが欲しいのは大きな熊のヌイグルミだお!150万点だから頑張るんだお!」
……アルカナ君のほうをまじまじと見た。
150万点?
全部真ん中に当てても1万点にしかならないのだが?
「良く見ろ。奥の壁に10万点とかのボーナスゾーンがあるぜ」
「……その中央が10万点……しかし、遠い上に小さい的だ……」
言われて首をずらして後ろを見てみると、
的の後ろ、死角になっている壁に小さく丸が書いてある。
横の文字は小さすぎて判別できないが、どうやら法外な点数が書いてあるようだ。
「ククク、簡単に渡せない景品の点数は少々馬鹿高く設定させてもらってるんだぜ」
「悪い顔してるお!」
「えっと……シーザーさん?無理はしなくて良いですからね……」
思わず冷や汗が一筋流れる。
クレアさんは余り気にするなと言ってくれるが、膝の上に飛び乗りズボンの裾を掴んで、
期待の眼差しをこちらに向けるアルカナ君を見ていると応えたいと思わず考えてしまう。
「……確実に、とは言えないが最善は尽くそう」
「良く言ったお!シーザー!」
「ああもう、この子は……」
「ククク……仲が良いなあ、お前ら」
目を閉じて数回の深呼吸。
呼吸を整えた後、無駄な力を抜いて的に神経を集中する。
狙うべき的はそれより遥かに大きな普通の的に阻まれている。
……弓を引く力に加減を咥え、山なりに矢を放つ。
だが足が使えないので唯でさえ精度が低い矢は、無様なほどに右往左往を繰り返した。
そして……。
「外れがひいふうみい……お、この位置だと1万点だぜ?で……合計で1万と700点だな」
「……だおぉ……アルカナの熊さんが……」
「アルカナが無茶言ったからでしょ?」
景品の棚を占拠する、人より大きな巨大ぬいぐるみ。
それをガラス越しに張り付いて穴が開くほど見つめているアルカナ君には悪いが、
私の力は及ばなかったのだ。
幸い国王陛下ならば手に入れるのは容易かろう。
残念だが今回は諦めて直接父君に頼んで欲しいと思う。
だが……せめてもと思い、
まともな点数の景品棚からあるものを貰うとアルカナ君を呼び寄せた。
「じゃあ、これは代わりの品だ」
「だお?紐?……リボンだお!」
「アルカナ良かったね。……本当に良いな……」
何処にでもある材質の極普通のリボン。
幸い低い点数でも手が届いた為アルカナ君へのプレゼントとして贈る事にしたのだ。
小さいながらも彼女とて立派なレディの卵。きっと似合う事だろうと思う。
「はい、出来たよ……それにしてもこの格好……ああ、今日だったんだ……」
「わーい。わーい。貰っちゃったおーっ」
うん。実に似合っている。
……まさかその場で着けるとは思わなかったが。
「クレアさんには……これかな」
「おいおい、相手はクレアだぜ?そんなブローチなんぞ自称婚約者どもから腐るほど贈られてきてるぞ」
「え!?いえ!頂きます!大事にしますので!それはもう!……本当に大事にしますね……」
クレアさんには残った点数で取れる中で一番高い装身具を。
意外にしっかりとした造りの銀のブローチがあったのでそれを贈る事にした。
ビリー殿の言うとおりクレアさんならそれ以上のものを幾つも持っているだろうが、
まあ、そこは気持ちと言う奴だ。少なくとも無駄にはならないだろうし。
「じゃあ次だお!ビリーおじーやん。バイバイだおー!」
「おうよ。またな!」
「それでは失礼する」
そう言えば仮にも王家に連なる人間に対しこの口調は拙かったな。
……とは言え、何故かこの世界の王族の方々には多少ざっくばらんな口調の方が受けが良いようだ。
まあ、今更変えるのもまずかろうし、注意されるまでこのままで行く他無いか……。
「……何かいいな、これ……」
「おねーやん。なんで宝石も入ってないただのブローチに見とれてるんだお……」
その後、店を出た私達は近隣の施設や有名な場所を一日かけてぐるりと一回りした。
その強行軍は夕暮れ時になる頃には遊び疲れてしまうほどだったが、
精神的には限りなく素晴らしい休暇になったと思う。
「お、おおおおっ!ひ、姫様だあああっ!」
「下がりなさい!」
「は、はいいいいいいっ!」
「……はぁ、驚いた……」
「また撃退だお!」
時折クレアさんの笑顔に引かれてやって来る者どもを、彼女は一喝して下がらせる。
確かに彼女は一皮剥けたのだ。
それは私のお陰だと言われたが、もしそうならそれだけでもこの世界に来た甲斐があったというもの。
嬉しそうに街を歩くクレアさんを私は目を細めながら見ていたのである。
……。
「どうでしたか?この街は」
「ああ。活気に満ちた良い街だ。暫く世話になっていながら私は何も知らなかったのだな……」
「事情が事情だから仕方ないお」
そして今、私達は迷宮のある塔の最上階から街を見下ろしていた。
流石に元灯台と言うだけあって素晴らしい眺めだ。
段々と明かりの増えてきた街並みを夕日を背にして眺めていると、
自分が悩んでいる事が何故だか小さな事のようにすら思えてしまう。
「だったらこれから色々知っていけば良いと思います。私も少しはお手伝いできると思いますし」
「……感謝する」
「アルカナもだお!早速明日も色々案内するお!」
その言葉に思わず涙腺が緩んでしまい、慌てて夕日を見るふりをして上を向く。
……涙が零れる前に乾くまでそのままでいて、ようやく落ち着いたので後ろを振り向くと、
「だおぉーーー……」
「アルカナーっ。昔の私によろしくねーっ?」
アルカナ君が謎の穴に落ちていく最中だった。
……しかもクレアさんは至って普通にしている。
普通慌てるのではないか?一体これは何事なのだ!?
「昔、私が小さい頃なんですけど……初めての召喚でアルカナを呼び出した事が有るんですよ」
「それが今のアルカナ君だと!?」
「はい……あのリボンを見て召喚されるのが今日だと確信しましたから心配はありません」
「えーと、それは過去で無事に戻れる結果を知っていると言うことか?」
「そうですね。リボンを貰った日に呼ばれたって言ってましたから」
「……そう、なのか。しかし判っているなら止められたのではないか?」
にわかには信じ難いことだがクレアさんはこくりと頷いた。
止められたと言うのに何故……?
「当時色々とあって塞ぎ込んでいまして……あの子に救われた事実があるので止められません」
「そうか。しかし召喚術とは世界はおろか時間すら越える術なのだな……凄まじい」
それにしても過去に飛んだアルカナ君が昔のクレアさんを救う、か。
何か卵が先かニワトリが先かと言う感じの……どうも歯に物が挟まったようなもどかしい話ではある。
「みたいです。過去何例かの前例もあるようですよ」
「そうか……せめて私はアルカナ君の無事を祈ろ、フガっ!?」
「ようやく帰れたお!ただいまだお!」
それで……アルカナ君の無事を祈ろうと天を仰いだら当のアルカナ君が空から降ってきた訳だ。
着替えた跡があるし、ようやくと言う台詞からも結構な時間経過があった事が判る。
本当に……召喚魔法とは恐ろしい物なのだな……。
「……ところでシーザー。首、大丈夫かお?」
「アルカナがやったんでしょう!?」
「あ、いや、大丈夫……だと思う……」
とりあえず、降ってきたアルカナ君が直撃したから痛むだけだ。
……彼女達を送ったら最後に医者に寄って行こうかと思う。
どちらにせよ、既に日は傾いている。そろそろ帰るべき時間だろう。
休暇なのだから少し茶目っ気を出してもいいだろうと、出来る限りの優雅な一礼。
そのまま片膝を付いて、淑女に対する作法とも言える社交辞令を口にした。
「では姫様?そろそろ日も暮れますし、お屋敷までお送りしたします」
「そうですね。今日は楽しかったですよ……え、と。お礼です、手を……」
「お手を拝借、だおっ!」
そっと差し出された手の甲に軽く口付ける。
勇者と言うよりは騎士の礼儀だ。
姫の手への口付けは最大級の名誉。今の私にとっては何物にも代え難い報酬。
……今日は喜んでいただけたようで何よりだ。
「どしたお?おねーやん。お顔が赤いお」
「え?…………ゆ、夕焼けに照らされてるからじゃない?」
言われて見ると、素晴らしい夕焼けが街を赤く照らし出していた。
……美しい。
そう感じると共に、この世界をも飲み込もうとする魔王ラスボスへの怒りがふつふつと湧いてくる。
「うおおおおおおっ!わらわ、今日は折角の休暇なのだぞーーーっ!?遊ばせてたもれーっ!?」
「「女神様、次はこちらです!隣の大陸のとある村で疫病が!」」
「だあああっ!これで最後だぞ?本当だぞ?……ええい!縋りつくな!分かったから!……転移っ!」
「「行きましょう!女神様のお力を求める信徒の下へ!」」
「ハー姉やん、忙しそうだお」
「でも何処か楽しそう、かも。やっぱり頼られると嫌と言えない姉さんだものね」
騒がしいが既にアラヘンが失ってしまった活気に満ちた街、隔離都市エイジス。
私はこの街を守りたいと思った。
……無論、故郷アラヘンを救う為という大前提は忘れていないが……。
「明日はどうするんだお?アルカナは」
「駄目。アルカナ、昔に行って来たんでしょ?お父さん達にその事をお話しないと」
「だお?呼ばれたすぐ後の時間軸に飛ばして貰ったから言う必要ないと思うお」
「……おとうさん達はアルカナが何時過去に飛ばされるかは知らないの。安心させてあげるべきよね」
「そうだな。何時の日か娘が行方知れずになる事を知っているなど、不安の種以外の何物でもない」
彼女達を仮の宿へと送る道すがら、そんな取り留めの無い会話をしていた。
しかし、二人は帰るのか。どうやら明日は完全に自由時間のようだな。
さて、明日からはどうしよう。
「では。私はこの辺で失礼する」
「お見送りありがとうだお!」
「さ、明日はお家に帰るからね。ご飯食べたら転移の準備だよアルカナ」
ようやく辿り着いた彼女達の泊まる宿は、流石の一流店。
私の格好では中に入る事すら許されなかったので、宿の前で別れの挨拶をした。
「……本当に楽しかったです。シーザーさん、また一緒に何処か出かけましょうね」
「はっ」
「その時はアルカナも連れて……!?……行って貰うかも知れないお」
……。
そうして私は首吊り亭に戻ったのだ。
だがそこには予想もしない人がいたのだが。
「ブルー殿!?」
「元気そうで何よりだ。シーザー」
ブルー殿だ。
しかも足も治ったようで元気そうにしている。
……良かった。彼も助かったのだ。
「迷宮に暫く出入り禁止のはずだな?明日の予定は空いているか?」
「ええ。空いていますが」
私の答えに彼は不敵な笑みを浮かべ、何かを手渡してきた。
「そうか。ならば付き合え……武具を失っただろう?新しい物を新調するぞ……これ以外はな」
「この獅子の紋章盾は、元々貴方の物ではないですか」
「助けられた礼の先払いと最初に言ったはずだ。もう既にお前のものだ、大人しく受け取れ」
「そう言う事でしたら……」
ブルー殿が差し出してきたのは、私が借りていた筈の盾だった。
私の武具は先日の戦闘でくず鉄同然になってしまい、既に手元には無い。
愛用の剣も折れてしまい最早使い物にならないだろう。
……だと言うのにその盾には傷すらない。その防御力は驚異的だ。
これだけの一品を手放させるのは申し訳ない気もするが、
今の私にはどうしても必要なものだ。ありがたく使わせていただこう。
「……守りたいもの。守るべきものの再確認は済んだか?」
「はい」
「そうか。何時かお前もそれに押しつぶされる日が来る。かも知れん……だが決して諦めるなよ」
「無論です」
それを聞くとブルー殿は何処か満足そうに頷いて店を出て行った。
……どうやら明日はブルー殿に付き合う、
と言うかブルー殿がこちらの武具の新調に付き合ってくれるらしい。
ついでにあの後どうなったかも聞いてみようかと思いつつ、
私は体の疲れを癒す為、部屋へと戻って行ったのである。
……それにしても、エレベーターとは便利なものだな。
これがなかったら私は部屋に帰り着く事すら……、
「キシャアアアアアーーーッ!」
「っ!?」
結局私が部屋に帰りついたのは、それから三時間後の事。
部屋の辺りに殺人巨大ミミズが出る事をすっかり忘れていた私のミスであった。
夜道を教会から車椅子で戻るのは少々肌寒く、その上に惨めだった。
……部屋に入るまでは安心してはならないというのに……無念だ。
……。
≪某一流ホテルにて≫
和気藹々と会話の弾む姉妹の部屋の前に、一人佇む男が居る。
賊だろうか?……いや、この宿の警備は万全だ。
「ところでおねーやん。もしかして、シーザーの事好きなのかお~♪」
「なっ!?そ、そんな事無い…………事も無い、かな?」
男は姉妹の会話を暫し聞いていたが、必要な事は聞けたとばかりその扉の前を離れる。
……何故か、ホテルの従業員達がその男の行動に異を唱える事も無かった。
「……姫」
「貴方とレオ将軍には地に頭を擦り付けて詫びねばなりませんね……アオ」
いや、もう一人。
サンドール系の顔立ちのその美女……ハピは、共に居たブルーに対し心底済まなそうに頭を下げる。
「……私は、あの子の幸せを願っています。だからこそ、貴方だった訳ですが」
「私が姫様を想う事と姫様が誰かを想う事は別です、王妃様。私の事は考慮するに値しません」
「私はあの子が選んだ人が居るのであれば、それを優先したいと願ってしまいますよ?」
「姫は力を得られた。王たるものが力を得たなら己の望みを叶えられて当然かと」
淡々と語るブルーの顔に表情は無い。
何処か達観したようなその顔に、ハピの目じりには涙すら浮かんできた。
「……何時かあの子と貴方の婚約を破棄すると言い出すかも知れませんよ?本当にいいのですか?」
「姫の望みが叶う事が第一です。私の事はお気になされませんように」
アオ・リオンズフレア、それは王女クレアの婚約者の名でもある。
昔、まだ幼いにも関らず鎧で歳を誤魔化して守護隊に入隊した彼は、
驚くべき才能を発揮し、瞬く間に副長まで上り詰めた。
血筋、忠誠、能力、そしてクレアへの想いと態度の全てが優れていたアオではあったが、
それをひけらかすのを良しとせず、普段はブルーと言うただの一騎士として振舞っている。
「守り抜けるなら一生守り抜けば良いのでは?それさえ確約してくれるなら……」
「私にとっては姫が幸福である事が一番大切です」
それをカルマ達に評価され、
生涯守りぬける伴侶が必要であったクレアの夫として白羽の矢が立つ。
それからはクレア自身にすらその事を気取らせず、アオは陰ながらクレアを守って居たのだ。
……だが、状況は変わった。
クレアが自身の能力を克服した事で、絶対安心な誰かに任せなければならない必要はなくなっていた。
無論、伴侶はクレア自身に決めさせたい。
と言いながら苦虫を噛み潰したように言うあたり、カルマが馬鹿親である事は間違いなかったが。
……何にせよ、代わりが居ないが故に安泰だったアオの立場が、
シーザーの登場によりかなり微妙な立ち位置になってしまったのは間違いない。
「まさか。こうなる事を予期していた!?貴方にとって利は何一つ無いのに?」
「姫は女王となるお方。誰かの後ろに居ないとならないのでは後々致命的な事になりかねませんから」
痛々しい沈黙の中、
がり、と歯を食いしばる音がする。
「貴方はそれで良いのですか?アリシアさん達に相談しても予定調和だとしか言ってくれない」
「……私にとって、姫の心が他の男に向くのは死ぬほど辛い」
「では何故!?」
「それでも。姫の心がシーザー・バーゲストに向かないのも、私にとってあってはならない事ゆえ」
意味が判らない、と夫の名を呟きながらその場にへたり込むハピ。
それを尻目にブルー、いやアオ・リオンズフレアは静かに歩き出した。
「あれを鍛える準備がありますので今宵はここで。今頃油断して死んでいる頃でしょうしまだ鍛えねば」
「それで、それでアオは満足なのですか?総帥も困惑していますよ!?」
「……今の私に出来る事は、あれを姫の想い人に相応しい勇者に鍛え上げる事だけなのですよ……」
「アオーっ。次の準備できたよー」
「ぎみっくよし、てきはいち、よし、です」
「あたし等クイーンアント一族に不可能は無いのであります」
彼が何を考えているのか。
それを知るのは……世界を裏から牛耳る見た目は可愛らしいクリーチャー達だけであった。
続く