その日の夕飯は、これまでになく豪勢なものに仕上がった。
◆ 鋼鉄製の最高級広東鍋
詳細: 両側に把手の付いた丸底鍋。
アールが大きく浅めに作られているため、鍋の場所により火の通り方が違い、
意図的にそれを利用した調理が可能となっている。
具体的には中央部で炒めた後、周辺部に置き、じっくりと火を通してから
再び中央部に移し、強火で仕上げるというような調理法である。
炒める、焼くはもちろん、煮る、揚げる、蒸すなども可能であり、
幅広い料理法に対応できるため万能鍋とも言われている。
基本取引価格: 120000 グローツ
──といっても、メニューは一品だけ。
砦の厨房からくすねて来た塩胡椒で味を調えたケタ肉とキャベツを、同じく厨房由来の中華鍋でもってザクザク炒めただけの代物なんだけどな。それがもう、やばいくらいに刺激的だったんだよ。
具体的に言うと、自分の出した唾液の量に驚かされた。
いくら調味料を口にするのが久しぶりだからってなあ……。胃の方も収縮しっぱなしだったしよー。最悪、体が受け付けずにアレルギーでも起こすんじゃねえかと思っちまったぜ。
……あ、でもそうか。体か。
この身体には塩を摂取した経験がないんだろう。そりゃ俺の臓器も驚くわ。内陸育ちの原始人が初めて海水飲んだみたいなもんだ。
未曾有の衝撃。肉体で直接味わう大カルチャーショックってやつだな。
厨房のゲテモノは好奇心もあるが探索のついでで、更に言うと火傷の痛みを誤魔化すために食ってたようなもんだからな。この感動には及ばない。
◆ アンクル・ジャムのバゲット
詳細: レドンヘイムに本店を置く老舗のパン工房〈アンクル・ジャム〉のバゲット。
エゼルシャで最も香りと食感に優れていると評されている、
また値段も手頃で庶民の口にも入りやすいため、非常に人気が高く、
レドゥンを代表する味の一つとされている。
基本取引価格: 1 グローツ 20 セント
あと、ティーナが持っていたバゲットも旨かった。
香り高い皮のパリパリ感が堪らない。焼きたてとなれば尚更だ。アイテム収納能力の素晴らしさを改めて実感させられたよ。
本場フランスでも一流の扱いを受けるであろう名店の味を、時と場所を選ばずに楽しめるんだからなあ……。我ながら反則的な利便性だ。人類が長い年月を掛けて築いてきた英知に真っ向から喧嘩売ってやがる。
まとまった数のエトラーゼがちょっと組織的に動くだけで、地球の何処よりも優れた宅配サービスが成立しちまうぞ。
荷物の保存だとか載せるスペースだとかを考慮しなくていいわけだしな。掛かるのは人件費と足代くらいなもんか。
こりゃあ、絶対に誰かが起業して儲けているに違いない。
「えー? どうかしら? わたしもエトラーゼだってことで届け物の依頼を受けたりはしたけど……。あ、もちろん簡単で安全なやつね」
「つまりはただのお使いか」
「新人だったんだから仕方ないでしょ。遠出する時のついでにこなすといい小遣い稼ぎになるのよ」
そう思って訊いてみると、曖昧ながらも予想外な答えが返ってきた。
こいつが簡単安全って言うくらいなんだから、本当に子供のお使い程度の依頼なんだろう。危険のない荷物なら普通は民間の業者に頼むはずなのに、わざわざアウトロー斡旋所みたいな冒険者のギルドに預けるという非効率ぶり。これは多分、俺が思ってたほど物流が発達していないって事なのかね。
…………理由はさっぱり分からんが。
「でも、個人規模で行商や交易をやってるエトラーゼは多いみたいね。わたしも結構お世話になったし」
ある程度の規模の町村を繋ぐ街道がしっかり整備されてて、しかも国策が拡大路線の帝国主義ときたら、人間コンテナになれるエトラーゼを起用しない手はないと思うんだがな。
ティーナの分の情報を更新したマップを取り出した俺は、帝都レドンヘイムより続く帝国の偉大な道路網を眺めながら、地面に敷いた毛布の上に寝転がった。
◆ 冒険者の毛布
詳細: 冒険者のために作られた綿毛製の毛布。
携帯性を重視した薄い仕上がりながらも保温性に優れており、
同素材の衣服よりも耐久性に富む。
また洗濯が容易に行えるため、衛生面に関しても特に目立った欠点はない。
長く使える費用対効果の高い品である。
基本取引価格: 30 グローツ
……いつの間に毛布なんか手に入れたのかって?
そりゃあもちろん厨房を探っていた時にだよ。肉詰めの元になった連中からいただいたんだ。
料理されたエトラーゼはアイテムであると同時にアイテムを抱えた死体でもあった。そのまま収納できれば枠の節約になるかと思ったんだが、残念なことにアイテム欄を空っぽにしてからでないと無理みたいなんだよな。そうそう上手くは行かねえってわけさ。
いや、むしろ上手く行ってる方か?
機能重視のごわごわとした安物でも最初の頃の死体の山の中とか石畳の上とかに比べりゃ天使の抱擁、格別の寝心地だしな。
夜空も綺麗だし虫の鳴き声も控えめで風流だし、俺を抱き枕にしていたカーリャも居ないし。うんうん、開放感たっぷりで結構な事じゃねえか。
今夜は久しぶりによく眠れそうだ。
「…………」
長耳娘の非難がましい眼なんぞ、まったく全然気にならん。
今日死んだばかりの仲間の持ち物を漁って使ってゴロゴロしてる奴が傍に居るんだから、気分が悪いのは分かるがな。
「……ねえ、その、とりあえず帝国から離れるとは言ってたけど、行くアテはあるの?」
「ない。そっちはどうなんだ?」
「実家のあるタキスの森くらいしか思いつかないわね。でも、いつまでも居たい場所じゃないし……」
「その森ってこれか? また随分と遠くから来たんだな」
帝都を挟んで丁度反対側じゃねえか。
現在地は帝国の東の外れ。そこから更に東の開拓地へと続く街道脇の草っぱら。タキスの森とやらは北西の隅の方で……え~と、あの木までの距離が大体10メートルだから、その10倍の10倍の……大体1500キロメートル?
フロリダからテキサスまでと同じくらいか。歩きだと余裕で一月以上掛かるな。この帝国、メキシコ湾より広いぞ。
「里帰りがしたいんなら一人で行ってくれよ」
「行けるわけないでしょ。最初の約束もあるし、キリのいいとこまで付き合うわ。けど、帝国の外のことは私も初めてで詳しくないから、ガイドとしては期待しないでね」
「あいよ。じゃあ、俺が共通語ってのをマスターするまででいいや」
ヨシノとティーナから聞いた情報によると、アリュークス共通語は異文化間での交易を円滑に進めるために作られた言語で、ヒト族──いわゆるヒューマノイド型種族の生活圏でなら、どんな田舎でも必ず何人かは通じる相手が居るという旅人の必須スキルなのだとか。
地球で言うところの英語やスペイン語みたいなもんだな。こっちは共通語さえ覚えとけば何とかなるらしいから楽で便利で有り難い話だよ。
幸い言葉を覚えるのは得意な方だ。いくら何でも日本語より難しいなんて事はねえだろうから、
「え? それだと三日くらいで済んじゃうんだけど……」
長く見積もって三ヶ月もあれば日常会話には充分だろ。
…………んぁ、何だって?
「お前さん、そんな教え上手なのか?」
「というより、エトラーゼが……覚え上手? 《語学》技能を上げて特技枠を一つとDPを10使うだけで1言語習得したことになるんだから。凄いわよねえ」
まったく、凄いと言おうかズルいと言おうか。
「ああ。だが、枠はともかくDPが10か……」
破格のお手軽感だとは思うが、残り12DPしかない身の上としては微妙なラインだな。
「そう、一つ目で10、二つ目で20っていうふうに言語一つ習得するたびに消費DPも10ずつ増えていくのよ。安くないから、何を覚えるかはよく考えた方がいいわね。わたしもエルフ語と共通語と日本語にしか振ってないし」
「日本語? こっちじゃ日本語が役に立つのか?」
「……オリジナルのジャパニーズ・コミックが読みたかったのよ」
「こっちにもあるのか?」
「だから、よく考えた方がいいって言ってんのよ」
なるほど、つまり楽をしちゃいかんって事だな。
日本語だけじゃない。この女、エルフの両親のところに生まれついたくせに母語たるはずのエルフ語と必須スキルの共通語をDPで覚えてやがるしよー。勉強を面倒臭がって安易な選択をしたのが見え見えだ。
大した反面教師だぜ。
「分かった。DPは使わない。ちゃんと自分の頭で覚える」
「その言い方、なんかムカつくんだけど……まあいいわ。しばらくは一緒ってことね」
この一連のやり取りで案内役としても教師役としても期待できそうにないのが明らかになったわけだが、果たして俺はこいつと一緒に旅をする必要があるんだろうか?
「……まあ、居ないよりはマシか」
「…………」
しかし、旅の途上でこのバカから物を教わるってのは中々骨が折れそうだ。
できれば何処か安全な場所に腰を落ち着けて勉学に励みたい。あとは飯が旨くて8歳児のエトラーゼでも……あのクソ骨女が出てくる前はそういう予定だったんだよな。
リンデン王国のリンデニウム。マップに載ってないって事はかなり遠いのかね?
徒歩で行ける範囲にあれば嬉しいんだがな。はぐれちまった他の連中もとりあえずはそこを目指すだろうし。俺も借りを返すために合流の努力をすべきだろう。
「さっきアテはないと言ったが、行きたい場所はあるんだ」
俺はこっちの世界で目を覚ましてからの事を話した。
「レディ・ダークの騎士に会って? 創世の魔獣が出てきて? 精神世界でぶっとばした?
あんたそれが本当なら神話級のクエストよ? どっちも伝説でしか知られてない存在なんだから」
理由を説明するための前振りでしかないから大きく端折ったつもりなんだが、それでもティーナには荒唐無稽な内容に思えたらしい。形だけはいい顔を胡乱げに歪めて口を挟んでくる。
「伝説と言われてもな……。新参者にも理解できるように例えてくれ。どんな感じに嘘っぽく聞こえるんだ?」
「ムー大陸でナチス残党のゾンビに襲われているところをクレオパトラと円卓の騎士に助けられて意気投合、みんなで仲良く巨大UFOをおやつにしたってくらいの毒電波に聞こえるわね」
……アルバトロス配給のZ級映画に匹敵するあらすじだな。
「OK分かった。理解には程遠いが、お前が俺の正気を疑ってるのはよく分かった」
こりゃ正直には話せんな。
同じ元地球人のエトラーゼにすら信じてもらえないのだ。こっちの住人に昔の事を訊かれたら、子供らしく適当な身の上話でもでっち上げておくのが無難というものだろう。
鬼とか悪魔とか罵られてキチガイ扱いされるのは一向に構わんが、危ないクスリに手を出しているとだけは思われたくない。
「――で、リンデン王国が何処にあるか知ってるのか?」
「もちろん。エトラーゼが沢山いる国だしね。何もしなくても情報は自然と入ってくるわ」
「自然と?」
得意げに笑うティーナに向けて、今度は俺が疑惑の視線を投げ掛ける。
エトラーゼ同士でのコミュニティがあったりするのか? まあ、社会にとっては華僑やユダヤ人以上の異物だろうから相互補助だの情報の共有化だのは自然と行われていくのかもしれんが。
「そう。これ見てくれる? 21世紀の先進国に居たならすぐ分かると思うんだけど」
◆ エトラーゼ・タブレット
詳細: エトラーゼにのみ使用可能な情報媒体。
理論上の効果範囲はアリュークス全土に及ぶ。
星海に漂う名も無きパワーを媒介としているため
魔法障壁や物理的な障害物などによる干渉を受けることはない。
取得した時点で専用化がなされており、持ち主の死と共に消滅する仕組みになっている。
特殊効果: 〈専用化〉
…………ん~~?
石で出来ているようだが俺の目がおかしいのかな?
「エトラーゼの石版、略して〝エト版〟っていうのがメジャーな呼び方ね」
タブレット型のPCに見えるぞ。
「地球じゃインターネットっていうのかしら? これも似たようなのに繋いで色々と見れるのよ」
ああ、やっぱりそうなのか。
またえらく近代的なアイテムが出てきたもんだな。
「わたしが生きてた頃にはなかったけど、現実ってSFの世界よりも進んじゃってるのねえ」
「まあ、特定の分野に関してはな。……ん? ってことは、お前さんいつごろまで向こうに居たんだ?」
「1958年生まれよ。何歳で死んだかは覚えてないわね」
58年っつーと、スプートニク1号が飛んでヨハネ23世が教皇になって……チキンラーメンとスーパーカブが発売された年だな。
当然ながら俺はまだ生まれてすらいない。目の前の長耳娘は完全な年長者というわけである。
……マジか。
「人間、見かけや物腰じゃ分からんもんだな」
「エルフだけどね。使い方はマップと同じような感じで……」
操作方法は液晶らしき部分に直接触れてのタッチパネル式。どうやら本当に見た目通りの代物のようだ。
だが、その機能はメモ帳とウェブプラウザのみに限定されている。
表計算も画像編集もできなければ、メールすら打てないお粗末ぶり。PCなどの多機能ツールではなく、あくまでもネットを閲覧するためだけの情報端末という扱いなのだろう。
その肝心のネットにしても、現代の地球と比べればまだまだ発展途上といった風に見受けられる。
検索に引っ掛かる記事は少ないわ、フリー編集の百科事典系サイトの記事も少ないわ、匿名での投稿ができない仕組みになっているからか掲示板サイトには当たり障りのない事しか書かれてないわで、全体的に活気に乏しい感じがして物足りないのである。
「ウェブ広告や通販サイトがまったくないってのも寂しいもんだな」
あと、ネット販売やウェブ取引といったサービスの類も基本的に存在しないようだ。
もちろん商取引に関するサイトがないわけではないのだが、品探しと軽い打ち合わせに用いられるだけで、実際の商談は直接顔を合わせて行うというのが大半のところらしい。
……まあ、住所不定放浪中の浮浪児には縁のない話なんだがな。
「このエト版もクエスト報酬で手に入るのか? エトラーゼ専用らしいけど」
「察しがいいわね。報酬で《その他のアイテム》を選んだ時に最初にもらえるのがそれなのよ」
ほう、じゃあ次の報酬はこれで決まりだな。
情報を得るための手段は早い内に取っておくに限る。暇潰しにもなるとなれば尚更だ。
少しやる気が出てきたぞ。
ティーナを助けて達成されるかもしれないクエストだけじゃいつになるか分からんから、何か手っ取り早く済みそうな依頼を請けて報酬のアテを増やしておく方がいいな。
そのためにもガキにお使いをさせてくれる人間が居る場所を目指さんと。
俺はティーナと顔を並べて彼女お薦めの旅先紹介サイトを眺めながら、複数のエトラーゼによって提示された各地の概要を照合し、漠然としたアリュークスの全体像を頭の中に描いていった。
ふむふむ、リンデン王国は東のルゼリア大陸にあるのか……。
んで、レドゥンからの直線距離は約2万キロメートル、と。
…………地球の直径って確か、赤道面でも12756キロだったよな。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
冒険者ギルドとは、アリュークスの何でも屋たる冒険者達のための互助組合の事である。
全ての起源は二千年前、不動の名声を得ていた数組の偉大なる者の集まりが、ある日を境に自らを冒険者であると定めたのが始まりであった。
その中にはゼイロの知る〝レディ・ダークの騎士団〟も居たのだが。彼には関係のない話なので仔細は省く。
とにかく、彼らは声を揃えて冒険者という呼び名に対する認識を広めた。
流れ者、犯罪者予備軍、遺跡荒らし、自由を尊ぶ社会のゴミ。
例え英雄や勇者と持て囃されようとも、自分達の本質は所詮そんなもの。一介の自由人に過ぎないのだと。
それは即ち、彼らの帰属先と思われていた国家や種族、地域に対する事実上の独立宣言。
神をも斃せるまでに極まってしまった力を移ろいやすい欲望の矛先にしないための、時の権力者達に愚かな選択をさせないための方便。
超越した者にのみ許された処世術であった。
軍事力の枠を超えた、世界の抑止力とでも言うべき概念の誕生である
今でこそ冒険者は無数の意味を内包した何でも屋として、程よく世間から浮いた職業という位置に収まっているが、最初にその名乗りを上げた者達はアリュークス全土を震撼せしむる最大級の脅威であったのだ。
感覚としては意思を持った複数の巨大隕石が何処にでも自由に落下できるように衛星軌道上を回っているようなものである。
筆舌に尽くし難い恐怖だが人間というのはいい加減なもので、どんな事象にも慣れるように出来てしまっている。
年月と共に過去の恐怖は薄れ、冒険者は英雄を指す言葉の一つとなっていった。
元々が一世を風靡したサーガの主人公達だったのである。この変遷は必然の流れと言えるだろう。
更に彼らが謳った自由人としての側面が、多くの冒険者を生み出す要因になった。
『あの人みたいな英雄を目指す』とか『未来の勇者の旅立ちを祝ってくれ』とか『追い剥ぎにでもなんべ』とかいったセリフは恐れ多いやら照れ臭いやら情けないやらで中々口に出せるものではないが、不思議と『冒険者になる』程度の事なら言えるという若者が大勢居たのである。
恐らくは通り一遍の英雄譚から脱却した、より身近で日常的な冒険者達の物語が当時から現代へと続く人気娯楽の地位を築くに至ったように、大衆の内に自由と野心とが芽生え始めていたからなのだろう。
英雄達が生み出したのは単なる冒険者という職業だけではない。
我らは我が力と意思により自由と独立を維持する。
我らは従来の権威から自由であり自己決定権を持つ。
そういう自由主義、個人主義にも似た思想的価値観をも世に解き放ったのだ。
王は神ではない。王権は絶対ではない。
神ですら絶対ではない。
運命に選ばれた王子や神の祝福を受けた騎士だけが英雄になれるわけではない、と。
偉大なる者達は自らの手によって垣根を払い、可能性を示したのだ。
アリュークスの人々の心に強く強く、自由なる甘美な風を吹き込んだのである。
そして、冒険者の時代が始まった。
冒険者ギルドが設立されたのは、かの先達の宣言より百数十年後。ソロスという名の都市国家での事だ。
理由はそれまで個人経営の酒場や地域の顔役などに寄せられていた依頼の窓口を一元化し、効率良く遂行していくため。
人口の増加と生活圏の拡大に伴って多様化していった冒険者の飯のタネが、ついにお役所レベルでの管理統制を必要とするまでに膨れ上がってしまったが故の、自然な成り行きの結果である。
設立当初はまだまだ職員も少なく、勘違い野郎共の斡旋所でしかなかったギルドだが、本格的な登録制度を採用する事で冒険者の地位向上に大きく貢献し、依頼を介して有力者との関係を強化する事により、徐々にその社会的な影響力は高まっていった。
現在ではアリュークス最大の規模を誇る非政府組織として知らぬ者は居ないとされているほどだ。
世界中に支部を持ち、人の住むあらゆる地域に根付いている。
しかし、組織という樹木は往々にして腐敗の危険を孕んでいるもの。
巨大であればあるほど枝葉に出来る虫食いの跡は小さく些細なものに映り、やがては目に付かなくなる。
ギルド本部から遠く離れた地域にある支部では、所在地が属する国家や文明圏ごとに異なる理念での運営がなされているというのが偽りのない現状だ。
ただ単に特定種族が多いといった牧歌的なものから、現地の有力者達に乗っ取られてしまったもの、汚職が蔓延った末に無法者の巣窟と化したもの、王や領主の私兵集団となって久しいものまで千差万別。もはやローカル色が強いなどという言い訳では済まされない問題が山積みとなっているのである。
中でも下から数えて十指に入るくらいの酷い事情を抱えているのが、ここ。
「おい、次の生贄はどうするんだ?」
冒険者ギルド、レドゥン帝国支部である。
「また若手から適当に活きの良いのを見繕うしかないかと」
「またか」
「またです」
この支部の問題点は大きく分けて二つ。
一つは、職員の半数以上が人間に化けた魔族とその僕で構成されているということ。
もう一つは、支部所属の冒険者が彼らの主の餌として差し出されているということだ。
「最近、質が落ちてるって苦情が来たんだよな。こないだの……えー、何てったっけ?」
「チーム☆ケツ顎」
「そう、あの異様に顔が濃いパーティー。ダンジョン入ってすぐのピットフォールとモンスターの波状攻撃であっさり全滅したんだそうだ。最短記録更新なんだと」
アリュークスの常識では魔族は異世界から来る悪の生命体とされており、ほとんどのヒト族の社会では問答無用で討伐の対象となっている。
有害な魔物や邪妖族と変わらない、モンスター扱いの種族なのだ。
レドゥン帝国でもその常識は正常に働いているので、表立って魔族の味方をするような不心得者は存在しない。
「当たり前ですよ。定期的に目立った連中を送ってるんですから、後に残るのは小粒だけです」
そのような国家のド真ん中にあって何故、冒険者ギルドだけがリアル伏魔殿と化してしまったのか?
原因は遡ること111年前、当時の帝国で最強の名を欲しいままにしていた冒険者パーティーに端を発する。
〝魔族殺し〟と呼ばれた彼らは、その異名が表す通りに大陸中に巣くう魔族を片っ端から討って回るという狂気の沙汰に臨んでいた。
動機は定かではない。──が、当時のギルドや自治体は魔族の首に多額の賞金を懸けていた。〝魔族殺し〟の他にも多くの実力ある冒険者達が討伐に参加していたのである。そういう風潮だったと言うしかないだろう。
兎にも角にも冒険者にとっては熱く激しい時代であった。
魔族側にとっても、それは同じである。
千にも届こうかという数の上位魔族が討たれ、魔界騎士が敗れ、ついには魔領主の1体までもが滅ぼされるという大番狂わせに直面した彼らは熱狂し、喜びに打ち震えた。
そう、大いに喜んだのだ。
アリュークスにおける魔族とは異質の価値観を備えた種族であり、彼らの思想は〝デモニズム〟と呼ばれ、一般的に忌むべきものとされている。
性格は基本的に残忍でグルメ。これに戦闘狂、お祭り好き、破壊魔、トリックスターなどの困った色を付ければ出来上がり。大体の者が当て嵌まるだろう。
その上で弱肉強食と下克上の気風を好み、悪徳と誇りを愛し、戦いの過程と結果を重んじる。
特に食事に対する拘りは凄まじく、並々ならぬものがある。
血肉を啜り、魂を貪り、力の一片も無駄にしてはならぬと咀嚼する。強者を打ち倒し、その全てを取り込む事こそが魔族にとっての理想の食事なのである。
人間であろうが同じ魔族であろうが親兄弟であろうが、対象に例外はない。
力を尽くした決闘によって僕が主を倒し、糧とするは誉れ高きこと也。
正々堂々たる決闘によって子が親を倒し、家督を受け継ぐは目出たきこと也。
持てる全てを振り絞って弱者が強者を倒し、新たな敵へと育つ姿は微笑ましきもの也。
その逆もまた然り。
それこそが魔界の住人の文化なのだ。
だから彼らは自分達を倒せる強い冒険者の台頭を心より歓迎し、遠慮なく迎え撃った。
結果として〝魔族殺し〟は全滅し、主だった冒険者達も後を追い、魔族側が勝利を収めたわけだが、それで大陸の平和が目に見えて脅かされるという事態にはならなかった。
魔族にとって一連の戦いは楽しい祭りのようなものだったのである。終わってしまえば後片付けをして帰るだけ。遺恨など残るはずがないのだ。
しかし、まったく何も後腐れなく済んだわけではない。
生き残った魔領主達の心に、冒険者への妙な愛着が芽生えてしまったのである。
彼らは新たな祭りの準備のためという名目で、冒険者の育成に手を貸す事に決めたのだ。
実際は片手間で行われる迷惑な暇潰しでしかなかったのだが、その適当さがモチベーションの持続に繋がったのだろう。
百年掛けてじわじわと繰り返された水面下の攻防の末、レドゥン支部は陥落。
魔領主達の玩具箱になった。
──といっても、ギルドを支配下に置いて何かを企むわけではない。
成長を促すためと称して、見所のある冒険者にギリギリ全滅するくらいの試練を与えているだけである。
「もう若手で今日の連中以上のは居ませんよ」
ティーナのパーティーが壊滅の憂き目に遭ったのも、その試練の対象に選ばれてしまったから。
魔領主達も別に皆殺しなど望んではいないのだが、彼らが用意するのはどれもこれも匙加減を間違えまくったデスダンジョン。ほとんどの者が早々に食卓に上り、僅かに生き残った者は挫折して冒険者を辞めてしまう。著しく常識と良識を欠いた連中がゲームマスターの座に就いているせいで、誰にとっても嬉しくない結果が続いているというわけである。
「とんだ悪循環だな……。領主様方に手心というものはないのか」
「あと100パーティーくらい犠牲にすれば覚えてくださるかもしれませんね」
ゼイロとティーナが帝国から離れようとしているのも、ブラッドの矢文にその辺の事情が大雑把に記されていたからだ。
「おーい、試練が終わったぞ。今回は生き残りが三人も出たそうだ」
「なに!? 初の快挙じゃないか!」
「確か、本部からのエージェントが紛れているかもしれないとの事でしたが、それはどうなったんですか?」
知ってしまえば逃げるしかない。誰もこんな蟲毒の器みたいなギルドの世話にはなりたくないのである。
「弓使いがそうらしいな。領主様方の千里眼に映るやいなや、スッ飛んで逃げていったとか」
「随分と勘のいい奴みたいだな。足取りは掴めているのか?」
「いや、追っ手は全員返り討ちに遭ったそうだ。領主様方からは好きにしろとの仰せだな」
だが、敵は黙って見逃しくれるほど甘くはない。
「残りの二人については?」
「適当にやれってさ」
かくして、リンデン王国を目指すゼイロの冒険が幕を開けたのであった。
口うるさくてボケた道連れと、
「……『好きにしろ』と『適当にやれ』の違いは何だ?」
「さあ?」
うんざりするほどのオマケを付けて……。
あとがき
お待たせしました。
とりあえず状況説明のための回みたいな感じですね。
設定とか裏事情とかを考えるのは楽しいんですが、いざ書き起こすとなると大変で中々展開が進みません。
次のお話は、サクッと進んでいくと思います。
感想でアヤトラの接吻未遂がよくつっこまれていますが、あれは半ば無意識の行動です。
顔が近かったから勝手に体が動いたんでしょう。
初恋なんだけど本人は気付いてないって感じですね。