撃って撃って撃ちまくり、夜空を煩く飾り立てる。
凍てつく魔獣の体表に、炎の花を咲かしむる。
「バカタレェェ! 手を休める奴があるか! 泣く暇があったら撃て! 腰を抜かす暇があったら撃て! 逃げる暇があったら撃て!」
「んな無茶な!? 串刺しになっちゃいますよ!?」
「大丈夫だ。リフレッシュストーンがあるからな。即死以外ならいくらでも治せる」
反撃は、降り注ぐ槍の如き毛針の雨。
「……でも、痛いんですよね?」
「根性を養う良い機会じゃねえか。腹に穴が空いた時の戦い方なんて、そうそう学べるモンじゃねえぞ」
「誰か助けてー!!」
「諦めろボケ!」
へたれるウェッジのケツを蹴飛ばし、駆けて転がり逃げ惑う。
「ゼイロくん! そこちょっと危ないわよ!」
何処からともなく現れたスノーサーヴァント共を迎え撃つのは、シャンディー姉さんのお仕事だ。
俺が創った火炎放射器を四本の腕で豪快に取り回し、押し寄せる雪獣の群れを薙ぎ払う。
「あっちぃぃぃぃ!? 味方を巻き込むんじゃねえェェェ──ッ!!」
「よかったですね、お兄さん。火達磨になった時の戦い方を学べる良い機会じゃないですか」
「お裾分けだァァ!!」
「うわァァ!! こっち来ないでぇー!」
威勢と共に最初の祝砲を上げてから、およそ五分ほど。俺達4人は声の限りに危うい危うい大立ち回りを繰り広げていた。
もう20発以上は当てているはずなんだがな。マーナガルムの野郎め、まったく応えやがらねえ。
たった一発で重武装ヘリを鉄屑のクズに変えちまうスティンガーミサイルなのにだぞ? ちょっと焦げ目が付くだけでネズミ除けの超音波発生装置より効き目が薄いってのぁどういう了見だ?
いくらバカでかいつっても、生物としてその耐久力はおかしすぎるだろ。
「右京権太夫、源三位頼政!! 毘沙門天の加護を受け、今此処に推参推参推参推参推参ッッッ!!!」
「平家物語か! ヌエ退治やってんじゃねえだぞ!」
アヤトラの矢に対しては痛がる素振りを見せているから、物理じゃなく精神的な威力とかの問題なんだろうけどな。
「同じ事よ! 古来より邪悪な物の怪は武士によって退治される物と相場が決まっておるのだ!!」
本当にこいつは……。羨ましい精神構造をしてやがるぜ。
『鰯の頭も信心から』だったっけか? 思い込みの度合いが存在の強さに繋がるこの世界じゃあ馬鹿にできない言葉だな。
心の底から強く想えば、原始的な弓と矢が残弾無限のロケットランチャー以上の効力を発揮する。
そんなバカの壁を越えられそうもない俺には、少々厳しい法則だった。
奴が地上に降りてきたらM72かRPGのどっちかに切り替えようかと思ってたんだが……こりゃまともな携行火器での応戦は自殺行為だな。
「お兄さぁぁん!! オレ達、全然役に立ってませんよねぇぇ!? 他に何かないんですか!?」
「安心しな。あってもお前にゃ扱えねえよ」
距離も詰まってきたし、姉さんもいい加減しんどそうだし、ウェッジの泣きっ面も鬱陶しいし、頃合いと見て良いだろう。
俺は正攻法に見切りを付け、予定通りの搦め手で魔獣の相手をする事にした。
「プランBだ、アヤトラ! よぉ~く見せ付けてやってくれ!」
「心得た!」
威勢良く弦を鳴らし続けていたアヤトラが一呼吸置き、新しい矢をつがえて放つ。
蟇目鏑矢とかいう笛のような音を立てて飛ぶタイプの矢だ。
五月蠅い上に明るい火が灯っているので、この夜空では嫌でも目立つ代物である。
さて、狼さん狼さん、テメェのオツムはどの程度だ?
『……ッ!?』
反応有りか。分かりやすいねえ。
視界をかすめ、月を目指して飛んでいく鏑火矢にあからさまな警戒の色を滲ませる狼の双眸を見て、俺は自身の見込みが間違っていなかった事を確信した。
何の確信が得られたかって?
そりゃあもちろん居場所だよ。この世界の何処かで眠りについてるっていうモドキの母ちゃんの居場所だ。
正確には魂の在処だとか、精神だか自我だかの中心とでも言うべきところなのかね?
とにかく彼女が意識を取り戻しさえすれば、マーナガルムは身体の制御を失って再封印される。……らしいから、その手助けをするのが俺達の役目なのだ。
倒す事が目的じゃねえんだよ。
まあ、単純な火力勝負でぶっ殺せるようなら押し切るつもりだったんだけどな。無理っぽいから初志貫徹の路線で行きましょうってなわけだ。
あとはもう二、三の事項を確認するだけ。
それで具体的な方針が固まる。
「いいぞ! 今度は目一杯だ! どんどん撃て!」
俺の手拍子に応えたアヤトラが更に呼気を鋭くし、満月を射落とさんばかりの勢いで鏑火矢を連射する。
これに対し魔獣は吠え声を上げて急上昇、すべての矢をその身に受けて食い止めた。
……随分な慌てようだな。
念のためにもう一度、魔獣を迂回するコースで月を狙わせたら、また大急ぎで盾になりに行きやがった。
ふむ……矢の威力は関係なし、と。
とすると、何だ? ほんのちょっとの刺激でモドキママが目を覚ますかもと心配してんのか? それとも、切羽詰まった俺達がモドキママを殺そうとしてるんじゃないかと疑っているとか?
ってことは、意外に脆い?
いずれにせよ、魔獣の奴がモドキママへのアプローチを恐れている事がよく分かった。
ずっと月に引き籠もっていたのも、俺達の力を測るためというよりは単純に万が一の事態が怖くて動けなかっただけなんだろう。
どうやらこの世界、想像以上に不安定な状態の上に成り立っているみてえだな。
「リザード! 聞こえるか?」
『へーい坊ちゃん、バッチリ聞こえてやすよ。そっちの具合はどうですかい?』
「まあ、まだまだ様子見ってところだな。3番のやつを上げてくれ」
『了解しやした! えーと、3番3番……っと』
トランシーバーで別の場所に居るリザードの奴に指示を送りながら、アヤトラにも軽く目配せ。次なる検証へと移る。
といっても、別に大した事をやるわけじゃない。
「たぁ~~っまやぁ~~~っとくらぁ!!」
雪原のそこかしこから地響きが興り、飛び出した火の玉が空気を震わせ、満開に咲き誇っては夜空を照らす。
ただの打上花火を間断なく披露し続けるってだけの、単純な嫌がらせだ。
見た目がド派手でクソやかましいから、目眩ましにゃ打って付けなんだよ。
煙が立つから鼻の方も誤魔化せるだろうしな。空中に居るイヌ科怪獣には、かなり鬱陶しい代物なんじゃないのかね?
「おおっ、此が花火とやらか……。種子島や大筒ばかりが火薬のもたらす物と云う訳では無いのだな」
「風情がねえのは勘弁してくれ。とあるカス共のケツにぶち込んだやつをコピーしただけなんだからよ」
「いやー、見応えありますよ。全部同じ形でもこれだけ多いと……って、今何か凄いこと言いませんでした?」
苦労に見合う眺めとは言い難いが、素人が創った急拵えの仕込みとしちゃあ充分すぎる結果だろう。
天上から様子を窺う犬っころの眼を欺くために、かまくらの中に穴を掘って作業開始。
スコップやら火炎放射器やらを手に六人一丸となって巨大な地下空洞を形成。
幾通りもの対策案を練りながら、経験則で大量の罠を設置。
姉さんの料理を平らげてから魔獣に顔を出させるまでの数時間はそうやって、この打上花火のような諸々の小細工を仕掛けるために費やしていたというわけである。
まあ、俺のポリシー……というより、強迫観念から来る行動だな。
どんな相手であろうとも決して嘗めて掛かってはいけない。事前の準備を怠ってはならない。
一種の職業病ってやつかね? 石橋を叩いて叩いて叩き壊して、自分の裁量で造り直すくらいの用心深さがないと生き残れないような人生を歩んでいると嫌でも染み付いちまうんだよ。
「おーい、見入ってねえで仕事してくれ」
「む、面目無い」
初めて見る花火に目を輝かせていたアヤトラが咳払いと共にサムライの顔へと戻る様は、肉体年齢相応の気恥ずかしさが多分に含まれていて中々に可愛げがあった。
そして、四度目の試し撃ち。
今度のは鏑火矢じゃなく、普通の矢だ。
「あっ、上手くいきそうですね」
花火に気を取られて月まで素通りさせてしまった魔獣を見上げ、呑気な声でウェッジが呟く。
確かに、この程度の仕掛けで見失ってくれるってんなら楽なもんだ。
……で、どうする?
モドキの奴にとっとと母親を起こしに行ってもらうとして、もう少し引き付けてから打ち上げるか?
地下に拵えた巨大パチンコ発射台に固定され、月に昇る時を今か今かと待ち構えているであろうモドキの姿を思い浮かべながら、高速で脳内の段取りを整える。
そう、もしかしなくてもアレだ。ゴム動力のやつな。
射出角度も適当だが何とかなるだろう。少なくともモドキの自力だけで飛ぶよりかはマシなはずだと思いたい。
本当は宇宙ロケットにでも縛り付けて飛ばすのが一番なんだろうけどな。俺個人のイマジネーションじゃあゴムパチンコ程度の手段が限界なんだよ。どうしてもってんならNASAのエンジニアチームを連れてきてくれ。
「よくやった、リザード。次は5番の落とし穴だ。誘導が成功したら合図を送るからな。焦って動かすんじゃねえぞ」
『へいへい、了解しやした。お任せ、お任せ、お任せあれ~っと』
無意味に明るい返事を垂れ流すトランシーバーをライディングウェアのベルトに引っ掛け、ひらりと跳躍。自然極まりない小気味良さでスノーモービルのシートに跨る。
ここぞとばかりに群がってきた雪獣共には、用済みのロケットランチャーをぶん投げてやった。
「一旦退くぞ! 誘き寄せて罠に嵌める! アヤトラはしばらく奴をからかってやってくれ」
アクセルを噴かしながらの指示に頷いたウェッジが走り、姉さんが飛び立ち、アヤトラが歯を剥いて大量の矢を撃ち放つ。
息の揃った、申し分のないスタートダッシュだ。
満足のいく食事を取り、きちんと英気を養った上でミーティングをこなしたからこその良反応だな。これがぶっつけ本番だったらウェッジとか絶対にスッ転んでるところだぞ。
……それ以前に泡食って使い物にならねえか。
とにかく一時退散だ。
こっちに来て以来、逃げるのは生活の一部みたいになっちまってるからな。気持ちの切り替えが楽でいいやね。
8歳児の小さな身体を前後左右に傾けて、急加速、急転進。
「ぃやっほ──い!!」
暴れる牛馬を乗りこなす要領で、襲い来る雪獣共を煙に巻く。
「お兄さーん! ちょっとこれ何とかしてぇぇ!!」
近くを走るウェッジのスノーモービルに爪を立てていた連中には、愛銃ブレス・テンから鉛玉をプレゼント。雪達磨並みの強度しかない頭を粉々に吹っ飛ばしてやる。
そしてそのまま、怯えるハゲ頭へと銃口を──。
「なななな、何考えてんですヵ!?!?」
悪戯心に任せて少しだけ真面目に狙ってみたら、水槽を叩かれた熱帯魚みたいな反射速度で射線を外されてしまった。
うーむ、中々の生存本能だ。
「冗談だ。それよりもっとスピード上げろ。今度は助けてやらねえぞ」
「無理ですって! 自転車しか乗ったことないのに、今日いきなりでそんな上手く動かせるわけないじゃないですか!」
「にしちゃあ、よく扱えてる方だと思うが」
「必死なんですよ!」
だろうな。その辺は見れば分かるさ。
だが、世の大多数の人間は命懸けって程度の理由じゃあ物に成らんように出来ている。
特にこういう常識なんぞクソ喰らえな化け物や事態が相手となるとな。元が平和な国の一般人とくりゃ尚更だ。
今この場に居て自己の最善を尽くしているってだけで、結構凄い奴なんだよ。お前は。
……口に出して言うつもりはねえけど。
言ったら絶対に危なっかしくなる。俺の経験上、ウェッジみたいな奴は手放しで褒めたりすると死ぬ確率がグンと上がってしまうのだ。
よって鞭9、飴1くらいの割合で接するのが一番良い。
「アクセルアクセル! Hurry、Hurry、Hurry!! 何なら思い切って飛んでみるか? お前ならそっちのが速いだろ」
その方が本人の資質も伸びるだろうしな。
「やぁぁめてくださァ──ッい!!」
創り出した無限サブマシンガンの弾を何度も何度もバラ撒きながら、俺は流れる景色と一体になるような感覚で白い息を紡いだ。
傍目には雪獣共と一緒になってウェッジの奴を追い回しているように見えるんだろうが、気にしてる場合じゃねえやな。
こうでもせんと本当に置いてきぼりにしちまいそうだったし、モタモタしてるとそれだけアヤトラに余計な負担を掛ける事になっちまうしで、どうしても死ぬ気以上で急がせる必要があったんだよ。
おかげさまで俺の苦労は天井知らずだ。
細心の注意を払ってウェッジを追い込み、落とし穴を用意した地点へとひた走る。
目印は地下から突き出た一本のポールだ。
棒高跳びに使うアレくらいのサイズだが、目立つように虎縞模様にしておいたので視界に入ればすぐに分かるだろう。
念のため先の部分にだけ白いペンキを塗るといったカモフラージュを施しておいたから、ずっと月に居た魔獣に怪しむ余地はなかったと思う。
よし、見えてきたぞ。
「待たせたな、姉さん!」
先に到着して手を振っていた姉さんの横に滑り込むようにしてスノーモービルから降り、素早く伏せて三脚付きのM2重機関銃を創り出す。
敵は大群だ。狙いを付けるまでもない。
駄々っ子みたいに両耳を押さえて転がり込んできたウェッジを姉さんの方に蹴飛ばし、息切れを知らない50口径のドラゴンに火を噴かせる。
「うははははははは!!」
芯まで響く反動に耐えて銃身を二巡三巡、十数秒。
たったそれだけで、しつこく追い掛けてきた雪獣共は完全に沈黙した。
ん~やっぱり銃は楽でいいなあ。
特に好きなタイミングでぶっ放せるってところが最高だ。持ち運びに費やす労力が解消されるという利点は余りにも大きい。
「持ち帰らせてくれねえもんかね?」
現実世界でもアイテム収納の能力を活かせば同じような事ができるんだがな。そしたら後は弾の心配だけしてりゃあいい。
拳銃さえ手に入れれば今日から君も早撃ちの名手、粗製ワイアット・アープだ。
……撃たれる側にとっちゃ堪らん話だな。
ヨシノが言ってた原住民のエトラーゼに対する忌避感とか警戒心ってのはどの程度のもんなのかね? NBCR兵器の使用以上にそういった不意打ち行為が自粛されていると助かるんだが……。
他人の良識に期待しても仕方ないか。
せいぜい気を付けると致しましょうかね。あと、外の世界が銃社会でない事を祈っておこう。
「ゼイロくん、トラちゃんへの合図はどうするの? 早く報せてあげた方がいいわよ」
「ん、そうだな。ウェッジの二の舞にはさせられんか」
思考を切り替え、残ったアヤトラの様子を双眼鏡で確認する。
「オレの? どういう意味です?」
「さすがに髪が抜けるまで頑張ってもらうのはどうかな~って意味だ」
「…………ああ……え? 気にしてくれてたんですか?」
「別に悪いとは思っちゃいねえぞ。借りが一つ出来たってだけの話だ。いつか返すから覚えとけよ」
まあ、最初に助けたのは俺の方だから貸し借り無しでもいいんだが、あれはリフレッシュストーンの効果を確かめるついでみたいなもんだったからな。俺の中じゃあ貸しの内には入らねえんだよ。
「消したい奴や欲しい物があったら、遠慮なく言ってくれ」
そう言われたウェッジは冗談だとでも思ったのか、カビの生えたチーズを鼻に詰められたみたいな顔をしていた。
失礼な奴だな。せっかく人が素直に協力を申し出てやってるってのに。
「姉さんも服の貸しを覚えといてくれよ」
「はいはい、ゼイロくんは律儀で偉いわね」
姉さんも姉さんで軽く流しちまうし……。そんなに俺の言葉は信用ならんかね?
もしかして見た目が原因なのか? だったら仕方ねえやな。自分でも不気味だと思ってるんだから咎めようがない。
……アヤトラと同じで、特性【美形】のはずなのにな。
目鼻立ちで劣ってるってわけでもねえから、内面の違いってのが滲み出てるんだろうけどよ。いくら何でも明暗が分かれすぎだろ、クソッタレめ。
レンズ越しに輝くサムライボーイの横顔に束の間の羨望を感じ、思わず自嘲めいた笑みを浮かべてしまう。
十文字の槍を執り魔狼相手に白銀の月下を舞うその姿は、まるで流れる星のよう。
人間ではない、人の域を超えて更なる高みを目指す、美と戦いの化身を眺めているかのようだった。
…………CGで作るとなると数十万? いや、数百万ドルか? 巨額の費用が必要だな。
って、弓矢捨てて接近戦かよ。危ねーな、おい。
「あのバカ、本当に49だったのか?」
チラッとでもかすめたらお終いじゃねえか。一人で楽しく遊びすぎだ。命知らずにも程があるぞ。
「トラちゃんは元々ロマンティストで英雄願望が強い子だから。ああいう如何にもな怪物と戦えるのが嬉しくて堪らないのよ」
「なるほど、確かにオデュッセウスと自分を重ねたりしてたな。やっぱ頭の中まで退行しちまったのかねえ」
「あら、ゼイロくんは純真さを子供だけの特権とでも言うつもりなのかしら?」
「いや……むしろ……うん、あー、話が逸れたな。とにかくアイツの危なっかしいとこを見てると、嫌な汗が出てくるんだよ」
短い付き合いだが、よく分かった。ありゃ大喜びで火事場に飛び込んでいく類の人間だ。
理屈や損得なんかには最初っから目もくれちゃいない。道連れになっちまった連中はさぞかし苦労するだろうねえ。
一緒に戦うってだけなら頼もしい気性なんだがな。
さあ、夢見がちなアヤトラ君を五体満足で魔獣と引き離してやらんと。
俺は双眼鏡の倍率を最大にして争う両者の呼吸を窺いつつ、空いた右手で懐中電灯型のサーチライトを創り出した。
こいつを上手く魔獣の目元に当てれば注意は逸れるし、アヤトラへの合図にはなるしで一挙両得ってな寸法よ。
花火とかの他の方法だと、アヤトラ自身にも隙が出来ちまう恐れがあるしな。
些細なミスにも気を遣った、我ながらベストな選択だ。
「あの、それ下手したらアヤトラさんも眩しかったりするんじゃあ……?」
「心配すんな。何を隠そう、俺はこのやり方でヘリを落とした事があるんだ」
自画自賛では決してない。実績に基づいた自信を含む判断なのである。
「…………ランボー?」
「誰がラジー賞の常連だ」
「懐かしいわねえ。三作目のロケ地には何度かお参りに行ったことがあるわ」
アホの呟きにも乱される事なく、正確に血走る魔獣の眼を照らす。
お、こっち睨んできやがった。
生意気だからモールス信号で『お座り』とでも送ってやろうか。
……………………んん?
違和感は、犬ッコロの奴が遠吠えを上げた瞬間に起こった。
汗を散らして振り返ったアヤトラが何事かを叫ぶ前に全力で、なりふり構わず横に飛ぶ。
直撃を回避できたのは、純粋な勘のおかげ。
その後の衝撃が数本の骨折だけで済んだのは……俺の場合、悪運の成せる業とでも言うべきかなのかね。
いや本当に、よく死人が出なかったもんだよ。
俺もウェッジも姉さんも、あとコンマ何秒かでも反応が遅れていたら雪と一緒にシャワーになってるところだった。
「いいぃ、いきなりすぎるぅぅぅぅ!!!?」
ああ、まったくだ。
少し首を伸ばせば牙が届く。そんな危険極まりない距離から睥睨してくる獣の眼に、俺は虚勢満面の苦笑いで応じた。
信じたくないが本物のマーナガルムだ。
いきなり俺達の背後に回って、いきなり前足を振り下ろしてきやがった。
絶対に10キロ以上は離れてたはずなのによ。一瞬で詰めてくるとかどういう超スピードだ? ロケットブースターでも付いてんのか?
風圧もソニックブームもなかったから、まさか瞬間移動とか?
…………舐めやがって。
「こん畜生がァァァ――――ッ!!」
役が揃ったところでテーブル引っ繰り返すような真似しやがってよォォォ!!
怒りの叫びで本能的な恐怖を払っての即イメージで、両手にスタングレネードを創造。
最速の動きで跳躍、投擲、リフレッシュストーンによる治療を平行して行う。
「二人とも離れろ!」
無力化兵器の花形選手は予想以上の効果を発揮してくれた。
魔獣にとって網膜を焼く閃光と鼓膜を貫く爆音は、ミサイルよりも遙かに厄介なモンだったんだろう。舌出して泣いてやがるぜ。ざまーみろ。
……二度目が通用するかどうかは分からんがな。
クソォ! 手札一枚切っちまったー!
本来ならこれで怯ませて穴に落とすはずだったのによ。その場凌ぎにしかなってねえ。位置取りも最悪だ。
「お兄さぁぁん! なんだか予定と違うみたいなんですけどぉぉ!?」
「よくあることだァァ! 当然と思って受け止めろ!」
もう走って逃げるしかない。
測られてたのは俺のオツムの方でしたってか? 犬に化かされるたぁ情けねえ話だぜ。
「しゅしゅしゅ修正は!? 修正は効きますかね!?」
「お前、テレポートしてくる怪獣の足止めとかできるか?」
「え? えーと……無理?」
そうだよ! あんなイカサマに対応できるプランなんかあるわきゃねえだろがよォォ!! ボケ!
銃やナイフが得意だとか、格闘技に秀でているとかいった類の敵の相手はピンからキリまでこなしてきた。
機銃付きの軍用車両や戦闘ヘリに追い掛けられた事もあれば、粉微塵になって降ってくる遮蔽物に咳き込みながら戦車の砲塔から逃げ回った事もある。
暴力沙汰に関する経験だけなら、俺は恐らく二十一世紀の地球でもトップ10に入る経歴の持ち主だろう。
けれども、だ。
さすがに超能力者の相手までした事はないのである。
クソでかいとか空を飛ぶとかいった事には我慢できても、最低限の物理法則まで無視されちまったらお手上げなのだ。
どんなに思考を巡らせても、良いアイディアが浮かんでこない。
やばいぞ、これは。
「っでもでも、何かあるはずですよ! 例えば……あーほら、変じゃないですか!!
どうして今まで使ってこなかったのか、とか! 絶対理由があるはずですよ!」
む、ウェッジめ、意外と冷静じゃねえか。
散々追い詰められて吹っ切れたか? こいつはそういうタイプだよな。
確かに、魔獣は瞬間移動を出し惜しみしていたフシがある。
理由があるとすれば回数制限なんてのが妥当かね? 使ったら相応に疲れるとかいう仕組みだと有り難いんだが……。
『げっ!?』
違うみたいだな。
前触れもなく目の前に出現した魔獣の鼻面に、声を絞り出す俺とウェッジ。
あと一歩で口内にご招待といったギリギリのところで直角に曲がって避けて──。
『ひえええええ!!?』
もう一回。
それを避けても、まだまだ続く。
ちょっとしたループ状態だな。今の俺達は、きっと歪んだ渦巻きを描いて逃げ惑っているに違いない。
つまり、どう足掻いても最後にはゴールインする運命にあるってわけだ。
「ふざけんな!」
野郎、犬のくせにネズミ弄ぶような真似しやがって! 人にトラウマ残そうってか!?
上等だ、こらァァ!!
「マスタードで召し上がれ!!」
二枚目の手札である超有名な毒ガスを抱えて、いざ魔獣の腹の中へ。
「この食わず嫌いがァァァ!!」
「わ――――ッッ死ぬぅ!!」
しかし、よっぽど不味かったのか、喉に達する前にブリザードで吹っ飛ばされた。
「ちょっとー!?」
姉さんが自前の糸で引き寄せてくれなかったら、二人とも氷漬けになってたかもしれねえやな。
「ゼイロくんがヤケクソになってどうするのよ! 最期まで知恵を絞って戦いなさい!」
そうやって叱咤激励してくる彼女の方も、かなり慌てているようだ。いつもの艶っぽい余裕はすっかり失せてしまっている。
「そりゃ俺だってクールに振る舞いたいけどよ。ありゃ悪知恵で攻略できる範疇を超えてるだろ」
瞬間移動に制限がないんじゃあ、何したって無駄だ。モドキを行かせても先回りで殺されちまうのが関の山だろう。
気付かれなければ大丈夫? 無理だな。目眩ましにも限度がある。
囮作戦は有効だが、稼げる時間が少なすぎる。
「弱気なんてらしくないわよ! そんなゼイロくん見たくないわ!」
「そうですよ! 弱音を吐くのはオレの仕事じゃないですか! しっかりしてください!」
現に、こうして脳味噌を脈打たせている合間にも窮地の連続に遭っているわけだしな。
「うるせー! お前らも俺にばっか頼ってねえで、ちったぁ頭働かせろい!」
10秒先の自分達の命すら保証できない状態だ。1分後とかになると想像も付かん。
というか、したくない。
あ~あ~、月が綺麗だな~あ。
って、アホアホアホアホ!! ランナーズハイなんぞに浸っとる場合か!
考えろ考えろ。物心付いた時から知恵を絞ってきたからこそ、今の自分があるんじゃねえか。
そうだ、俺に絶望はない。
……夢や希望があった覚えもねえんだけどな。
だああああっ! んなこたぁどうでもいいわ! 閃け閃け! 何か手があるはずだ!
何か……こっちも何か超能力が使えりゃあなあ。多少はマシになりそうなんだが。
ったく、空は飛べるのってによ。精神世界つっても現実と大して変わりねえみたいだし、アストラル体も思ったより制約が多くて──。
……………………多くて?
制約が? 何でだ?
感覚と思い込みの匙加減一つで重力の縛りすら抜けられるなんていう、馬鹿げた身体をしているんだぞ。
創造の限界を定めるのは自分自身。そんな独我論的イデアリズムに満ちた世界だぞ。
制約なんて存在するのか?
存在したとして何処から何処までがそうなんだ?
根本から勘違いしてたんじゃねえのか?
ええい、これ以上は考えたって埒が開かん。
一縷の望み。一輪咲いても花は花。俺は俺の閃きを信じるぜ。
「スーパーファイヤァァァ――――ッ!!!」
感覚だ。感覚を喚起して爆発させろ。
そうだ、爆発だ。膨らませるなんて大人しすぎる。吹き荒れろ、吹き荒れろ! 俺の中で嵐になれ!
ガ=オーになれ!!
風と炎でガ=オーになれ!!!
「お、お兄さん?」
足を踏ん張り雄叫び一つ。現れた魔獣が吐く氷雪の風に真っ向から挑む。
熱く盛る炎の吐息で、押し切らんと腹の底から振り絞る。
ぶつかり合う、渾身の熱と冷気。
赤と白のマーブル模様が歪な球体を形作り、揺らめいて影を落とす。
勢いは〝口径〟の大差に反して五分と五分。
なら、勝敗を決めるのは?
色々あるが、この場合は互いの身体の造りかねえ?
奴は獣で俺は人、どっちが有利なのかは言うまでもねえよな。
そう、お手々が空いてる賢い方だ。
『!!』
再びのスタングレネードに耳目をやられ、反射的に身を捩るマーナガルム。
その期を逃さず、俺のスーパー火炎ファイヤーがブリザードを塗り潰してホットドッグを拵える。
「マスタードは譲るぜ。テメェの方がお似合いだ」
どう見たって食えた代物じゃねえけどな。
炎に巻かれて悶え苦しむ魔獣に背を向け、俺はお気に入りの店のホットドッグにかぶりついた。
うん、美味い。
ここから出たら二度と食えないのかと思うと、染み入るようで涙が出てくるぜ。
「お前らも食うか? 俺のお薦めだぞ」
「あ、どうも。いただきます」
「私のはチリソース多めでお願いね」
事態が呑み込めなくて立ちんぼになっていた二人にも分けたところで、息を乱したアヤトラがやって来た。
「おお、是色よ! 其方もしや三宝荒神の生まれ変わりではあるまいな!?」
何のこっちゃ。
「生憎と仏教徒でもサムライでもなかったよ。それより時間がねえから簡単に説明するぞ」
意味不明の興奮で瞳を輝かせているアヤトラの口にホットドッグにねじ込み、魔獣が息を吹き返さない内にと注意を払いながら言葉を紡ぐ。
「ウェッジ、マーナガルムがブチ切れるまでテレポートを使わなかった理由は分かったか?」
「へ? あーははは、忘れていたのを思い出しただけ……なんてことはないですよね~」
うむ、言うだけ言って肝心の試行錯誤は俺に丸投げだったのが透けて見える態度だな。
こいつの言葉が糸口になった事は内緒にしておこう。
「ヨシノが言ってただろ。俺達も魔獣も『結局は同じアストラル体』なんだって。
現実世界ならいざ知らず、精神世界という箱庭の中で、どちらかにしかできない事なんてのはないんだよ。
イメージを明確にして感覚を発露させる事さえできれば、本当にどんな現象でも起こせるようになるんだ」
裏を返せば、感覚として体現できない現象はどんなに想像を膨らませても起こせない、という事でもある。
想像力だけでは駄目。
精神世界で超能力を使うには、そのイメージを身体感覚レベルにまで高めなければならない。
俺が魔獣を圧倒するような炎を吐けたのも、現実で使いまくってた火炎ファイヤーの経験のおかげだしな。
ただそれに【激怒】と【咆哮】を使った時の強烈なイメージを織り交ぜて吐き出したってだけで、本質は同じ。
アイテム創造みたいな覚えのある感覚を活かした、延長線上の行為に過ぎないのだ。
「アイテムにしたって結局は過程、プロセス、心の準備。感覚を助長するための物でしかないんだ。
この服を着てるから大丈夫なはず。この武器だから通用するはず。このホットドッグだから旨いはず。
そうやって思い込むから見た目通りの、現実と同じような結果になる。
大事なのは、その結果だ。
ただ俺達が無意識に意味を求めちまってるだけで、道具を使うとかいった過程に意味はねえんだよ。
ほら、俺達みんな空を飛べるだろ?、ヘリにも飛行機にも乗ってないってのに。
それが答えだ。ちゃんと自分の中で折り合いを付けることさえできれば、何もいらねえ。
火を吐ける。空を飛べる。傷を治せる。
身体一つで戦える。
万事全てが自分次第。それが精神世界のルールなんだ」
敢えて言うなら、自らの常識こそが制約だったってわけだな。
しつこいくせに抽象的だったヨシノの説明の意図がようやく分かったよ。体験しない内から詰め込んでも視野を狭めるだけだと思ったんだろう。
百聞は一見に如かず。この世界で真の力を振るうためには、自分の感性で本質を捉える必要がある。
そのために、予備知識は最低限じゃなけりゃいけなかったんだ。
「此も旨いな。狗肉とは思えぬ味ぞ。形も何やら珍妙で面白い」
「ソーセージっていうのよ。犬じゃなくて牛と豚の合い挽き肉だから、勘違いしないでね」
「創世寺とな? 寺の坊主がこの様な生臭物を? 実に怪しからん! 一向宗に連なる輩に違いあるまい」
……単純に時間の無駄だと見限られただけなのかもしれねえけどな。
呆けるこいつらの相手をしてたら、嫌でもそう思えてくらぁね。
話、聞けよ。
「はあ……えー……つまり、その……真似されたくなかったからってことですか? テレポートを?」
お前はお前で聞いててそれか。理解が足りんぞ。
「違う。俺達に現実の枠組みを超越するような力を持たせたくなかったからだ。
自分の優位が失われる恐れがあるわけだからな。些細な判断材料も渡したくなかったんだろう」
賢明な判断だが、ケダモノらしい沸点の低さがすべてを台無しにしてしまった。──と、まあそんなところか。
手札一枚晒したくらいじゃ気付かれねえとでも思ってたのかね? 堪え性のないバカ犬め、俺を舐めたのが運の尽きだ。
「じゃあ、オレたちテレポートできないんですか?」
「いやー、できるはずだぞ。精神世界に距離の概念はないはずだからな。ただ肝心のテレポートの感覚が──」
「あ、ほんとだ! できました、できました!」
「──掴めねえことには……おい、何処行った?」
あ、戻ってきた戻ってきた。
そしてまた消えた、と。
もはや言葉もない。電灯のスイッチを切り替えるような気楽さで消えては現れを繰り返す、ウェッジの奇天烈ぶりであった。
まさか、できると言っただけでマスターしやがるとは……。
「ふむ、てれぽーととは縮地の事であったか。成る程成る程、神仙に成ったつもりで挑めば良かったのだな」
勝手に納得したアヤトラの奴もあっさり習得しちまうしよ。これじゃあ、できない俺の方がおかしいみたいじゃねえか。
「私には向いてないのかしらね? どうも上手くいかないわ」
いやいや姉さん、多少時間が掛かるとかそういうのは失敗の内に入らねえから。
瞬間移動なんてワケの分からん感覚を物にできる時点で、充分あんたも不思議ちゃん。俺の常識の外で踊るファンタジーの住人だ。
「しかし、絡繰りに気付いただけでこうも容易く成り果てるとはな」
適応力というか、理解してからの飛躍ぶりが異常すぎる。
「せっかくの興が冷めてしまったわ」
瞬間移動での往復を済ませ、槍に付いた鮮血を払い落とすアヤトラ。
飛び散ったドス黒い赤色に点々と染まる雪原。
舌を出したまま落ちて転がる、巨大な生首。
一瞬で起きたそれらの意味するところに、俺は軽い目眩を覚えた。
……野郎、ほんの少し目を離しただけでこれか。
魔獣の首、刎ねやがった。
思い込みの強い奴だってのは分かってたが、こうもいきなり無茶苦茶されるとリアクションに困っちまうな。
ぶっ飛んだセンスしてやがるぜ。
ビシャモンテンだったっけ? 本気で自分を神様の生まれ変わりだと信じてるのかね?
世の歴史に残る大半の英雄は自分こそ神に選ばれた者だと豪語はしても、生まれ変わりであるとまでは言わなかったもんなんだがな。多くの宗教が入り混じった土地に住む、日本人だからこその価値観ってやつか?
……考えるだけ時間の無駄だな。
アヤトラの精神力の根源が分かったところで真似なんざできねえだろうし。俺は俺で自分の身の丈に合った役割を果たせばそれでいいんだよ。
差し当たっては、台無しにされたプランの修正を図るとするかね。
「あぇ? は? おぅわっ!!?」
一拍遅れで驚くウェッジにそこはかとない安心感を覚えながら、精神的疲労に喘ぐ脳髄を働かせる。
「って、まだ元気そうなんですけどぉぉ!? どうなってるんですか!?」
……んーむ……うん…………んん~~~~~??
「ふぅむ、どうやら不死の存在と云う話に偽りは無いようだな」
「トラちゃん、頑張って~!」
うはは、想像の余地が多すぎてシミュレートが追いつかんぞ。
「ひぃぃぃっ気持ち悪い!!」
「はっはっはっは!! よぉーしよぉーし! 此は骨が折れそうだ!」
手札というか判断材料が一気に増えたからな。制約のない、できる事だらけの世界ってのも困りもんだ。
…………けど、まあ、結局やる事に変わりはねえのか。
シンプルかつダイレクトに行ってみよう。
「おいこら、しっかりしろ。他人の心の中に来てまで吐く奴があるか」
俺は食ったばかりのホットドッグを台無しにしようとしているウェッジの背中をどやしつけた。
「研究所で人間のを散々見てきただろうが。今更犬の中身くらいで胸ヤケ起こすんじゃねえよ」
「でも、大きさとか臭いとか……。それにアレ動いてるじゃないですか」
その辺は、むしろ笑えるところだと思うんだがな。
アヤトラの槍に刻まれて、なおも蠢く魔獣の姿は奇っ怪そのもの。大昔に人気を博したグロテスク系のホラー映画を思い出させるシュールさだった。
いやー、不死身ってのも場合に依りけりだねえ。
「まあ、見たくねえってんなら丁度良いや。こいつをカーリャに届けてくれ」
くだらない話を切り上げ、リザードとの連絡に使っていたのと同じトランシーバーをウェッジに預ける。
「ちょっとしたアドバイスをしてやりたいんだ。お前さんのテレポートなら、あっと言う間だろ」
戦況を見る限りじゃあそう急ぐ必要もねえんだろうが、また何か突飛な事をされても困るしな。
ここは一気に畳み掛けるのがセオリーってもんだろう。
「そ、そうですかね? 見えない場所に飛ぶのってかなり不安なんですけど」
「んなもん、小刻みに順路を飛んでいけばいいだけの話だろうが」
「あ、そっか。じゃあ行ってきます」
「おう、頼ん――」
む。
「……だぞ~」
今気付いたが、これって見送る側がかなり間抜けに映っちまうんだな。
情緒の欠片もなくパッと消えたバカタレの居た虚空に対して一頻りお手々を振り振りした俺は、投げ出すような勢いで雪原に腰を落ち着けた。
……後ろで見てる姉さんの視線が温すぎて堪らんぜ。
『もしもし~、お兄さん聞こえますか~?』
緊張感のない通信が入ったのは、それからすぐの事だった。
恐るべきは瞬間移動……というより、俺以外の連中の呑み込みの早さか?
「ああ、問題ない。そっちはどうだ?」
『はい、聞こえます聞こえます。カーリャちゃんに代わりますね』
少しばかり悔しいが、おかげで心置きなく任せてみようって気になれるやね。
『おう、なん……れ? ……る…?』
『あー、そうじゃなくて。ボタンは押しっぱなしにしておくんだよ』
『おうおう、これでいいのか? めんどくさいな!』
「面倒なら使わなくていいぞ。テレパシーで直接伝えりゃいい」
『ええ!? そんなことできるんですか?』
「精神世界の仕組みからすると、まあ可能だろうよ」
今の俺達は要するにアレだ。同じ器の中で溶けた、ミルクか砂糖みたいなモンだからな。
混ざり合ってる精神の間には、本当の意味での距離など存在しない。
あるのは、ただ距離という概念だけ。
互いにそうだと思い込んでるから離れている、違う場所に居ると感じてしまう。それだけの話なのである。
「テレポートの存在がそれを明白に示している。後はその感覚をどうやって掴むかだな」
『どうやってつかむんです?』
「知らん。分かってたらお前をパシリになんぞやらんわ」
『あー……なるほど。難しそうですねえ』
ま、俺とお前にはな。縁遠い業だと思うよ。
「カーリャ、テレパシーだ。使えるだろ?」
だが、モドキにとっては違うはずだ。
『てれぱしー?』
「ほら、研究所が崩れる前に母様がどうのこうの言ってたじゃねえか。俺達と言葉が通じるのも、そいつのおかげなんだろ?」
俺達は普通の人間だから、未だにこういった道具を介してでしか遠くに声を伝えられない。
けど、カーリャには離れた相手に思念波を送る能力がある。すでに必要な感覚を掴んでるんだよ。
となれば、あとは簡単だ。ほんの少しのアドバイスで事足りるだろう。
『おう、もしかしておまえ、ネンワのこといってるのか? アレ、はなれすぎるとダメ。ツキまでとどかない』
「月とか距離とか、そういう面倒な事は考えなくていい。とにかく呼び掛ける努力をしてみてくれ」
『どりょくかー』
「そうそう、努力努力。それと自分を信じるのも大切な事だな。頭の中空っぽにして絶対に上手くいくと思い込むんだ」
『また、いかにもな精神論ですねえ』
いいんだよ。コツさえ分かっていれば精神論で充分。個人の殻を破るためってんなら尚更だ。
〝おうおう、どうだ? へんじできるか?〟
現にこうして来てるわけだしな。……視床下部の辺りに響く、モドキの声が。
どんな感じかって? まあ少なくとも、不愉快ではないとだけ言っておこうか。
〝モドキってなんだ?〟
って、筒抜けかよ!?
やべえな、おい。柄にもなく焦っちまうじゃねえか。テレパシるなんて初めての体験だから、どうしていいのか全然分からんぞ。
〝モドキってなんだ?〟
とりあえずは思考の調節が第一か? ポーカーフェイスは得意な方なんだが……そういうのとは別次元の話だよなあ。
だったらどうする? 心を閉ざして物を考える? そんな東洋の仙人や偉い坊さんじゃあるまいし、俺みたいな煩悩を抱えた普通人にはどう足掻いても不可能だ。
二進法で考えるという手もあるが、これも無理だな。ジョン・フォン・ノイマンにすらできそうにないし。というか、何故思い付いた俺?
〝おまえのこえ、はやすぎてカーリャわかりにくい。もっとゆっくりしろ〟
いっそのこと頭にアルミホイルでも巻いてみるか? テレパシーで送受信される情報が脳波とイコールの代物とは限らんが、試してみるだけなら……何だって?
速すぎて? 分かりにくい?
なるほど。答えはもっと単純だったか。
恐らく、思考中の思念というのは元来から読み取りにくく出来ているんだろう。
言葉と違って実体がない。だから音に対しての耳のような、受容するための器官が物理的に存在しない。もしかしたら脳の何処かがそれに該当するのかもしれんが、そもそも〝伝えよう〟とする意思がまったく働いていないわけだからな。早口小声の独り言みたいなモンだ。
全部拾えたら人間じゃねえ。兎さんだよ。
〝うさぎはネンワできないぞ〟
物の例えだ。気にするな。
つまり思考に緩急を付ければいいってわけだ。伝えたい部分だけをゆっくりと明確に晒すことで、隠しておきたい心の内──究極のプライバシーが守れるのである。
〝ぷらいばしー?〟
だから気にするなって。……で、何だ、かなり距離があるはずの俺に念話が届いただろ? お前の母親にも同じようにしてみるといい。
絶対に届く。ここはそういう世界なんだよ。
〝おう、そうか! とどくのか! それがツルツルのいってたアドバイスなのか?〟
ああ、そうだ。
〝……なんで、むだなジュンビさせた? ツキまでとばなくていいなら、カーリャここにいるイミないぞ〟
悪かったな。俺もついさっき気付いたばかりなんだよ。
けど、無駄なんかじゃねえぞ。結果だけ見れば大半が無駄に思えるだろうが、その時点でのベストを尽くした選択だったわけだからな。
いいか、用心に用心を重ねて徒労に終わったとしても、それは用心しすぎたってだけの笑い話くらいにしかならねえだろう。
だが、用心を怠って死んじまったら? 取り返しが付かねえよな?
本当の間抜けってのは、必要な労力を惜しむ奴のことを言うんだよ。
〝…………おまえ、いいわけうまいな〟
違うわ!
……あーでも、今の俺が言ってもガキが屁理屈こねてるようにしか見えねえか。
〝やっぱりいいわけか〟
「うるせー! いいからとっととテメェのママを起こしやがれ! そんでもってクソ世界ともクソダンジョンとも永遠にオサラバだ!!」
〝おーう!〟
『いきなりキレられても……。一体どういう風に話がついたんです?』
「良い方向に、だよ。カーリャはそこで、お月様と交信だ。お前はリザードに状況を説明してやってくれ」
『はい。えっと、その後は?』
「待機だ」
会話から取り残されたウェッジに適当な指示を与えて黙らせた俺は、トランシーバーのストラップを弄くり回しながら温かいミルクココアを創造し、一息に呷った。
脳が疲れた時は甘い物に限るやね。
「ひとまず様子見といったところかしら?」
「まあな。これで変化がなかったら当初の予定通りだ。カーリャにアームストロングになってもらう」
姉さんには改めて説明するまでもなさそうだな。察しが良くて助かるぜ。
「距離は関係ないんじゃなかったの?」
「そうだが、距離だけが問題とは限らねえからな。カーリャの母親がテレパシーを受け付けない状態にあったとしたら、どうする?」
「んー、行って確かめるしかないでしょうけれど……」
良い女ってのは、総じて理解力に優れているもんだ。
学があるとかそういう意味じゃなく、物事の本質を捉える力ってのかな? 見る眼があるとか勘が鋭いとかでもいい。とにかく馬鹿な勘違いをしない何かがある。
「私達が同じ器の中で溶けているお砂糖みたいな物というゼイロくんの例えに沿うなら、
カーリャちゃんのテレパシーは、そこに起こる波紋。するとレイシャさんの自我は……器その物?」
「正解だ。波紋が器をどうにかできればそれで良し。できなきゃ相応のお膳立てをしてやるまでって事よ」
俺に好きな女のタイプとかはないが、もし付き合うとしたらその〝何か〟が絶対条件だろうな。
「この短い間で、よくそこまで考えをまとめられるわね。私、ゼイロくんのことトラちゃん並みの超人だと思うわ」
「嬉しくねえ褒め言葉だな。姉さんも理解できる頭があるなら一緒に考えてくれよ」
「それは無理な相談ね。こう見えても限界が近いの」
やけにさっぱりとした調子で言う姉さんの顔を見上げると、確かにそんな感じ。穏やかな表情の内で張り詰められた正気の糸が軋んでいるのが、よく分かった。
ちょっと離れておこう。
首でも絞められたら適わん。
「正気を保っていられるのは貴方達に判断を委ねているからよ。テンちゃんとウェッジくんもそうね。
この悪い夢みたいな中で、ゼイロくんとトラちゃんの存在に依存してるわ」
「ふーん」
「蹴り飛ばしてもいいかしら?」
蹴ってから言うんじゃねえ! ──と、言いたいところだが、俺が避けるのを分かっててやったな。
「勘弁してくれ。そういうしんみりしそうな話は苦手なんだ」
「そう? 誰かに悩みを打ち明けられるのは嫌い?」
「相手にもよるが基本的には大嫌いだな。そもそも好きなんて奴ぁ居ねえだろ。居たとしたら、そいつは絶対ロクデナシだ」
追撃の気配がないのを確かめて、再び腰を落ち着ける。
特に仕込んでおくこともねえから、アヤトラの応援でもしとこうかね。あいつが頑張っててくれないと、こっちは一気にゴールを持っていかれるだろうし。
最初の内は肉片にされる一方だった魔獣の奴もやられる内に学習したのか、閃く槍の切っ先を躱しながら牽制の攻撃を繰り出している。再生も順調に進んでいるようで迫力は増すばかり。
油断はならないが、アヤトラにも余裕がありそうだから両者の攻防はまだまだ一進一退だろう。
時間稼ぎとしては、理想的な流れだな。
そして手を出す隙もない。
下手な真似してまた逃げ回るような目には遭いたくねえし、こりゃ本当に応援だけになりそうだわ。
「どれくらい待つつもりなの?」
「カーリャが根を上げるまでだ。じゃねえと、納得して次のプランに取り組んでくれねえだろ」
……何でそこで笑うのかね、姉さんは?
俺、おかしなこと言ったか? いや、おかしいのは向こうだな。自称限界ギリギリの女だし、いつ奇声を上げて踊り出すか分かったもんじゃないぞ。
念のため、もうちょっと距離を置くか。
距離は関係ないとか散々言っといて何だが、これは気持ちの問題でもあるからな。そうしないと落ち着かねえんだよ。
「ねえ、ゼイロくん」
こら、肩を寄せるな。
「あれ、上手くいってるんじゃないかしら?」
んあ?
艶めかしい褐色の指に従って見上げれば、満天の月。
姉さん、アヤトラじゃなくてそっち見てたのか。まあ化け物同士の戦いなんか……おおおおおおおおおおお!!?
その明らかな異変に、俺は身体全体で声なき大絶叫を轟かせた。
なんと月が震えているのだ。
天体という大地よりも確かで揺るぎない物が、今にも崩れそうな勢いで揺れ動いているのである。
こぉぉれは怖いぞォォォォォォ!!!
地震や津波の被害に遭ってきた俺が言うんだから間違いない。直径数百キロメートルの隕石が降ってくるのを眺めてるような、最低最悪の気分だ。
どうしよう、これ?! 地球滅亡の使者だよ! アルマゲドンでディープインパクトだよ!!
ジェット機使ったって逃げられる規模じゃねえ。シェルター創っても直撃コースじゃ無意味だろうし、ああああああっもう!! あーあー、でも落ちてくる気配はなさそ…………げぇっ!?
割れた……。
崩れそうだと思ってたら本当に崩れやがった。
月自体がモドキママの意識を封じ込める檻の役割を担うものだったとすれば、まあ娘の呼び掛けで目覚めつつある以上、充分に妥当な現象ではあるんだが……そんな理屈じゃ冷静になれんな。
しかも、しかもだ。
お月様がぶっ壊れて、出てきたのがアレじゃあな。
欠け落ちた月面の奥でギョロギョロと動く目玉に引きつり、段々と顕わになっていく造作に恐怖し、舌なめずりをする豊かな唇に腰を抜かす。
出てきたのは女だった。
モドキの面影があるから、アレが件の〝かあさま〟なんだろう。
北欧系の結構な美人だ。色の薄い金髪がオーロラのように煌めいて広がる様は、夜空を抱く月の女神を想わせた。
断っておくが、比喩表現ではない。
実際に月から出てきた月並みのサイズの女の髪がオーロラのスケールで波打ってるんだからな。もう見たまんまの印象なわけだよ。
あ、いや、でも月の女神ってのは美化しすぎだったか。
神は神でも、ありゃ破壊神の類だよ。
どっぷりと微睡んだ瞳にあるのは原始的な欲望だけだ。己を満たすことしか頭にない。
ちっぽけな俺達なんぞ、眠気覚ましのライム程度にしか見えてねえだろう。
「お兄さん! こっち凄い揺れてましたけど一体何が…………あ゛」
テレポートで様子を見に来たらしいウェッジが、一瞬で彫像と化す。
まったくタイミングが悪いと言おうか何と言おうか。
おかげで俺も姉さんも足が勝手に動いちまったじゃねえか。
あのまま金縛り状態でいても未来はなかったろうから別にいいんだけどよ。回れ右して全力逃避ってのも悪手なんだよな……。
逃げたせいで、ママの狩猟本能が刺激されちまったみたいだし。
「待ってくださぁぁぁぁぁい!! 逃げるなら! 逃げるなら一緒に!!」
だから、お前の方が速いだろうに。そんなに一緒がいいのか。
「なんなんなんなんなんですか、あの人!!? 入道雲より大きいじゃないですか!?」
「カーリャちゃんのお母さんのレイシャさんでしょ! 信じたくないけど!」
「ええええ!? 起こしたら解決するんじゃなかったんですか!? 何で事態が悪化してるんです!?」
「さあな! 目覚ましの仕方が悪かったのかもなァァ!!」
考えてみりゃ肉体は怪獣になっちまってるわ、精神には異物が沢山だわで、気持ち良く起きられるような状態じゃないんだよな。少しばかり正気が削られてても不思議じゃない。
憶測だが、今の彼女の主観は夢よりも虚ろなのではなかろうか。
つまり、超盛大に寝惚けている。
普通なら可愛げがある行為なのかもしれんが、この場合は世界の支配者……じゃなくて、世界その物が相手だからな。寝惚け眼の地球が牙を剥いたようなもんだ。
正直言って、何もかもを呪いたくなるくらいに厳しい状況である。
「どうするんですかどうするんですかもうお終いですかそうですか今まで本当にありがとうございましたッッッ!!!」
「大の男が泣くんじゃないわよ! ああ、幸せな家庭を築きたかったッッ!!!」
「お前らなあ……」
泣くか走るかどっちかにしろ。
一秒の空白が生死を分けるって時に頭の働きを鈍らせんでくれ。俺まで泣きたくなってくるじぇねえか。
「是色ぉーっ!! 何事だあれは!? かぐや姫の乱心か!?」
戦いを切り上げてすっ飛んできたアヤトラも似たようなもの。いつもの涼しげな顔を恐怖に歪めた、実に見応えのある狼狽ぶりだった。
そのくせに目が輝いてるってのが怖いところなんだけどな。
こいつ絶対、心のどこかで楽しんでるだろ……。
喉元まで来た皮肉の言葉を呑み込み、俺は目線だけでアヤトラに尋ねた。
「うむ」
いやいや、そんな一言じゃ分からんって。
俺達を追い抜いて走る狼さんについて訊いてるんだよ。何で一緒に逃げてきたのか説明しろ。
……まあ、大体の察しは付くけどな。
マーナガルムも宿主の前では俺達と同じ。無力な存在に過ぎないって事なんだろう。
尻尾を丸めて一心不乱に逃げる姿には、怒りも狂気も重圧もない。もはや魔狼は地に落ちた負け犬と成り果てていた。
「うはははははははは!! これで多少の溜飲は下がったな!」
「ふははははははは!! 某としては飛んだ横槍であったがな!」
一頻りヤケクソ気味に笑ってから、改めてアヤトラに向き直る。
姉さんもウェッジも人の話を聞く余裕はなさそうだしな。アフターケアは二人でするしかねえだろう。
「アヤトラ! あれがカーリャの母親だ! 完全に目を覚ましてもらうには多分、あと一押し刺激がいる!」
「成る程、刺激とな。手っ取り早く一刺しと参ろうか?」
確かに痛みを与えるってのも有りだが、蚊とティラノサウルス以上のサイズ差じゃお話にならねえっての。
第一、攻撃自体が通用するとは思えん。あのビッグママは精神世界の絶対者なのだ。
俺は揚々と槍を掲げるサムライボーイには応えず、一方的に自説を唱えた。
「手っ取り早いのは望むモノを与えてやる事だ! 生き物が本能的に求めるモノは何だ!?
いくつかあるが、推理するのは簡単だ。あの女は、元に戻るために補うモノを欲している!」
ここまで言えば、分かるよな?
「っしゃ、行くぞォォォ!!」
得心がいったと言わんばかりの笑みを浮かべるアヤトラを振り切って、全身全霊のスピードアップ。
残念ながら打ち合わせをするような時間は残されていないのだ。
ビッグママが地上に降り立ってしまったら、すべてが終わる。
何故かと疑問を抱く奴は、巨大隕石が地球に衝突したらどうなるかとかいった類の仮説や映像に目を通してみるといい。
そのまんまの事が起きるとは限らんが、とにかく膨大な質量が近場に降ってくるんだ。
一瞬で死ねる事は間違いねえやな。
「早駆け早駆け早駆け早駆け早駆け早駆け早駆け早駆けはやがきゃれられられ……ッッ!!!」
それが嫌だから急ぐんだよォォォォ――――ッ!!!
特技【早駆け】を使用した時の加速の感覚を繰り返し繰り返しイメージする。
ウェッジに掛けてもらった【増速の気流】とかいう魔法も再現だ。
どんな些細な恩恵でも構わない。速度を上げるために使えるリソースは余さず残さず注ぎ込むぜ。
俺は風だ! 風より速いロケットだ!!
「待てやコラァァァァァァァ──ッッ!!!」
前を行く魔獣に追いつけ追い越せぶっちぎれと、風を切って突き進む。
スピードは、こちらの方が僅かに速い。
追いつく! 追いつく! 追いつくぞッッ!!
あちこちからするガラスの軋むような音を無視して跳躍。巨大な後ろ足にしがみつく。
両腕で、両足で、口まで使って全身で。
激怒激怒激怒激怒激怒激怒激怒激怒激怒ォォォ……おおおおおお!!!
こっからは速度じゃなくて、腕力だ。
人生全部費やす覚悟で強烈な〝力〟のイメージを喚起する。
10秒でいい。一度だけでいい。
こいつをねじ伏せられるまで高まってくれ……!!
あとはアヤトラが何とかしてくれるはずだ。
「おおぉぉわっとっとっとっと!」
──と思ってたら、先に何とかされちまった。
「是色! 足は止めたぞ!」
「へいへい、ありがとさん!」
回り込んで前足を切り飛ばしたのだろう。雪玉になろうかという勢いで転ける魔獣から素早く離れ、雪原に身を投げ出す。
ついでに事態の方も投げ出して眠りたいところだが……俺が締めなきゃならんのか。
まだ何も結果を出してねえからな。アヤトラの期待に応えてやらんと。
俺は身体が発する休息願いを揉み潰して、目の前にある魔獣の尻尾をむんずと掴んだ。
抵抗はない。随分転がってたから、まだ意識が朦朧としてるんだろう。
深く大きく、息を継ぐ。
「要はなぁ……!!」
萎えてしまった精神を奮い立たせんと噛み締める。
必要なのは怒りだ。怒りで輝く精神のパワーだ。パワーがもたらす圧倒的な力だ。
色褪せちまった憤怒の記憶を掘り起こせ。
「テメェが!!」
怒りの化身の真価を見せろ。
「喰われりゃあ!!!」
本日二度目のガ=オー降臨だ。
「済む話なんだよォォォォォ゛ォ゛ォ゛――――ッッ!!!」
掴んだ尻尾を起点にハンマー投げの要領で、魔獣の巨体をぶん回す。
でかいとか重いとか、もうそんな常識は頭にない。できると自分を鼓舞する事もしない。
やるのだ。
自分はすでに人間ではない。一個の現象なのだ。現象に迷いはない。
やるべき事をやり遂げるだけなのだ。
「ォ゛ォ゛ォ゛――ッォ゛ォ゛ォ゛――――ッッ!!!!」
耳を打つのは己の叫びか風の唸りか、それとも魔獣の断末魔か。
果たして、8歳児が興した竜巻から弾き出されるように飛んだマーナガルムの身体は、一直線に夜空を切り裂き──。
宿主の元へと還った。
……………………と、思う。
「ぉぉぉおおおお……おえっぷ」
ビッグママの顔の辺りに投げられたのは確かなんだがな。遠すぎて正否が分からん。
分かったところでどうしようもねえけど。
今の回転投げで燃え尽きちまった。回りすぎたせいで気分が悪いし、身体に力が入らねえし、頭は割れるように痛いし。本当に駄目だ。自分の身体が立ってるのか寝てるのかすらもあやふやだ。
〝おう、かあさまからへんじきたぞ! うまくいったな!〟
そうかそうか。よかったね、そりゃあ。
じゃあ積もる話もあるだろうし、俺はしばらく黙ってることにするよ。
いや、むしろ寝る。
寝かせてくれ。
限界だ。限界だ。限界だったら限界だ。こりゃ明日に響くな。外に出たら日光浴だ。あー雪国以外ならどこでもいいや。しばらく雪は見たくねえ。風呂入りてー。
くそー、どうだー、また生き残ってやったぞー。
温泉、温泉のあると……こ、ろ…………が…あー……も……寝む…………。
あとがき
大変長らくお待たせ致しました。
今回は分けるのも微妙かと思ったので一気に決着まで持って行きました。
ステータス関係なしの精神世界の話ですからね。正直、書いていて余り面白くありません。
おかげで随分な分量になってしまいましたが……その辺は勘弁してください。