***** 下ネタギガ注意 *****
2-3
――衣類。
ヒトをヒトたらしめている概念のひとつで、ヒトが社会の中で生きていくためには必要不可欠なものである。
まず大前提として、体温調節や表皮の保護が、衣類の存在理由として挙げられるだろう。
寒いところでは服を着込み、日差しが強いところでは布を被り、硬い物で負傷しないよう革で防ぐ。
外套や手袋、防具などは、ヒト自身を守るために作られ、使われてきた。
しかし、自身を守るだけならば、毛皮を発達させればそれで済むことも多い。
実際に、多くの獣や魔物は、自身の体表を進化させることで、様々な環境に適応していった。
“隠すこと”
それが、ヒトとケモノを分けるひとつの要因である。
ヒトが社会の中で生きていくためには、“ヒトらしくないこと”は表に出すことができない。
制約を守り、周囲と協調していくことで、ヒトは社会性を維持しているのである。
その“社会性の維持”に欠かせないのが、衣服によって己の一部を隠すことだ。
人前では、服を脱いではいけません。
全ての状況に当てはまるわけではない。
しかし、この世界において、最も多くのヒトが遵守しているルール。
ヒトが服を脱ぐのは、ヒトである必要がなくなったとき。
ケモノと変わらず、本能のために動くとき。
人前で満たすことを許されない、原初の欲求を満たすとき。
すなわち、排泄と生殖である。
そのための器官を衣類で隠すことで、ヒトは社会に適応できる。
そして。
そのための器官を晒すことが、カキヤの能力解放へと繋がるのである。
腕や顔を露出させることも、部分開放にはなっている。
実際、長袖より半袖の方が体調も崩れにくくなったりする。
しかし、それらは微々たる変化でしかない。
大きく変わってくるのは、体幹部だ。
乳首や下半身を晒したときに生じる“力”こそが。
カキヤを“竜神の生まれ変わり”と言わしめているのである。
故に。
(……まずいな……。今の状態だと尻を半分出すのが精一杯だ……!)
拘束されて逸物を晒せない今の状況は。
なにげにピンチだったりする。
「……もぞもぞして、どうしたんですか?
はっ!? まさか背中に虫がはいったとか!」
「(びくっ)ああいや、ごめん何でもない。
それより――えっと、リシトアーキ? 君は敵対する者が後を絶たないって言ってたけど」
「? はい。私の眷属を狙う者は多いですが……それが?」
「いや、竜族を狙うなんて、とんでもない輩がいたんだな、と思って。
……やっぱり、他の魔族とか、そういう連中なのかな?」
訊ねながら。
カキヤはこれから自分はどう動くべきか、考えていた。
今回の事件は。
ほぼ間違いなく、自分たちが巻き込まれただけの話。
自分やノユキに危害が及ばないのであれば、静観すべき問題だろう。
ただ、自分はこうやって縛られていて。
そしておそらく、ノユキも捕らえられている。
故に、脱出のために力を振るわなければならない。竜神としての力を。
この、蛇竜の女性の目の前で。
竜神が魔物全体から狙われているのは、嫌というほど理解している。
今はまだ、あやふやな情報でしか“竜神転生”の事実は魔物内に広まっていない。
先日の角娘のときのように、やむを得ない場合のみ正体を明かして倒しているが、それは高位の魔物に限った話である。
実力の高い者ほど、自分が負けた話など吹聴しないだろう。
カキヤはそう判断し、実際、カキヤが旅を続けていても、魔物内で自分の噂が広まる気配は感じなかった。
重要なのは、自分の正体を明かしても、それが魔物達に広まらないことである。
たとえ現状の窮地を打破できたとしても。
噂を聞きつけて、大量の魔物が連日して襲いかかってくるような事態になったら。
いくら竜神としての能力を発揮できるとしても、すぐに限界は来てしまうだろう。
自分やノユキの命を守りきるのも、難しくなってしまう。
だから、自分の能力の使いどころは、慎重に選ばなければならない。
目撃者が人間や下級の魔物が相手なら、それほど心配する必要はない。
せいぜい「変態だーっ!?」と思われる程度で済む。
彼らは竜神について深くを知らないし、たとえ吹聴して回っても、信じる者は少ないだろう。
しかし、高位の魔物となると話は違う。
上述したように、相手に屈辱も与えておかないと、高確率で噂が広まってしまうだろう。
蛇竜の女性――リシトアーキが、ヒトを害することも厭わない存在だったなら。
自分はそれほど迷わずに鉄棒制裁を加えることができ、そのまま逃亡も容易となる。
しかし。
もし、仮に。
「ああ、いえ。
私達を狙っているのは、魔物ではなくヒトなのです。
私の祖父は、昔から一地方の守護をしていまして……どうも、そういうのが気に食わないヒト達も多いようなのです」
この蛇竜が、“いいやつ”だったならば。
「とはいえ、私もヒトを傷つけたくはありませんし……。
今までは私が頑丈だったから何とかなっていましたが、すみません、巻き込んでしまって……」
「……………………」
「あ、で、でも大丈夫ですよ!
きっと私にトドメを刺すために、誰か来ると思いますから!
そのとき、貴方は助けて貰えるよう、一生懸命お願いしますから!」
「……どうして、ただのヒトに、そこまで気を使うんだ?」
「え……?
どうして、って……私のせいで巻き込まれてしまったのですから、当然じゃないですか。
ただのヒトとか、そういうのは関係ないと思います。
私、ヒトとは仲良くしたいと思ってますから。だから御爺様にも無理を言って、こうして旅しているわけですし」
……内心で、重い溜息を吐く。
こんな“いいやつ”に、力尽くで口止めなんて、できそうになかった。
ならば、することは、ひとつ。
手早く脱いで、この場を脱出する。
それだけなのだが――
(くそっ……これ以上ズボンを下ろせない……!)
後ろ手に縛られているので、今以上にズボンを下ろすことができない。
すなわち、これ以上の“部分開放”が困難だということ。
臀部を半分だけ晒している今の状態では、せいぜいリシトアーキの能力に耐えるのが限界である。
カキヤを縛っている縄は蛇竜を縛るための特殊仕様のようで、生半可な力では千切れそうもなかった。
この縄を千切るには、最低限、臀部を全て解放するか、逸物を外気に晒するか。それくらい露出しないと難しいだろう。
尻の一番膨らんでいる部分を出しているのだから、あとは身体を捩るだけで全部脱げる――と最初は思っていた。
しかし。
とある事情により、それは困難となってしまっていた。
(くそっ……! 鎮まれ……! 鎮まれってんだよ……!)
縛られている、という非日常性と。
薄闇のなかでもよくわかる、リシトアーキの着衣の乱れが。
カキヤの一部を、変形させていたのである。
ぶっちゃけると、引っかかってこれ以上脱げなかった。
「あの……先程から動いていますが……本当に大丈夫ですか?
苦しいとか……まさか、何か持病をお持ちなのですか!?」
きかん坊が言うことを聞かないだけです。
などと言えるはずがない。
というか、這いずりながら近付いてこないでくれ!
シャツの襟元がよりヤバイ開き具合になるじゃないか!
というか、このままだと野営テントに気付かれてしまう!
「な、何でもないからっ!」
慌てて転がり、背中を向ける。
尻が見えてしまうが、やんちゃな男の子を見られるよりは幾分かマシだ。
――と、思ったら。
勢いがつきすぎて。
うつぶせの姿勢になって。
後ろ手に縛られてて。
体重が一点に集中して。
緊張と焦燥感と、あとは魔族にもいいやつはいたんだなーというよくわからない嬉しさが混ざり合って。
何の意図もなく身体を揺すったりしてしまって。
「……うっ!?」
どしん、と岩牢が揺れた。
尋常ではない振動である。
リシトアーキが慌てて周囲を見回すと、揺れは治まることなく続いており、時折天井の欠片が落ちてきていた。
――まさか、このまま自分たちを埋めるつもりなのか。
なるほど、とリシトアーキは歯を食いしばった。
これなら自分の姿を見ずとも、確実に息の根を止められるだろう。
一緒に捕まってしまった男性も、逃げられずに。
それはダメだ、と思った。
自分が殺されるのは仕方ない。
敵が多いというのを理解しているのに、無理を言って旅をしていたのだから。
自業自得としか言い様がない。
故に今までも、襲ってきた相手に報復するとか、そういうことは一切考えていなかった。
しかし、他人を巻き添えにするのはいけない。
この男性には何の落ち度もなく。
ただ、自分と一緒にいただけ。
それだけで、命を奪われようとしている。
そんな理不尽、認めたくなかった。
種族の違いとか、そんなのは関係ない。
だってこの人は、きっと、いいひとだから。
思い出すのは馬車の記憶。
リシトアーキが寝入る前。
きっと、彼はこちらの不自然さに気付いていた。
しかしそれを暴き立てるようなことをせず、共に馬車に乗り込み、事を荒立てないよう寝たふりまでしていた。
それは何故か。
理由は簡単。傍らにいた銀髪の少女を、不安がらせないため。
少女はとても安穏とした表情で、彼と共にいた。
まるで全ての幸せが、そこにあるかのように。
あのような――のニオイを纏う少女に、あそこまで信頼されているのだから。
そんな彼が、悪い人の筈が、なかった。
なのに。
今、自分のせいで。
リシトアーキは頭の回転の早い方ではない。
よく竜族仲間には、どんくさいと言われている。
そんな彼女が、必死になって考えていた。
どうやったら彼を救えるか。
どうやったら、この窮地を逃れられるか。
わからない。
わからなかった。
少しずつ、今いる場所が崩壊していく感覚。
ゆっくりと、諦観が心の中に忍び寄ってくる。
身体を竜形態に戻せば、縄を千切ることは可能だろう。
しかしそのときは、岩牢に収まりきらない巨体が、そのまま生き埋めになるだけである。
しかも、傍らのヒトを押し潰す形で。
もう、どうしようもない。
そう思い、せめて最後は、相手の顔を見て謝罪しようと顔を向け、
何故かちょっぴり爽やかになった顔で。
男性が、ズボンを脱ぎ捨てていた。
そして。
――栗の花の香りと共に。
強烈な“ニオイ”が、リシトアーキの嗅覚を灼いた。
――今度こそ、お礼を言おう。
ベラウは心の中で、そう呟き、勇気を振り絞って声を出そうとする。
しかし、彼女の喉が空気を震わせる前に。
大きな声が、彼女の決意を吹き飛ばしていた。
「こらーっ! カキヤから! はなれろーっ!!!」
響いたのは舌っ足らずな絶叫。
声の主は、可憐な銀髪の女の子。
その表情を憤怒で真っ赤にし、怒りの対象に唾を飛ばしていた。
ちなみにベラウのことではない。
逞しいカキヤの腕に抱かれている、翠髪の女性に対してだ。
「す、すみません。腰が抜けてしまいまして」
「あー、いいって。この場に置いておくのも危なそうだし、とりあえず次の街までは運んでやるよ」
「だめ! そこはわたしせんようなんだから、ぜったいだめー!!!
そこはハダカじゃないといちゃいけないばしょなの! それでわたしはカキヤせんようなのっ!」
「いや違うし。というか誤解を招くこと言うんじゃねえっ!」
女の子に注意しつつ、ベラウの方を窺うカキヤ。
それに対して、苦笑いで手を振ったりでもすればフォローになったかもしれないが。
とっさのことで、つい一歩退いて目を逸らしてしまう。
(……あ、落ち込んだ)
心なし肩を落としたカキヤは、上半身に何も身に付けていなかった。
下半身は、女性用の外套を巻き付けることで、なんとか隠れているが、その下は全裸である。
ちなみにベラウの外套だ。返ってくることは期待していない。というか返されても着られないだろう。
やはりというかなんというか。
ベラウと女の子を助けに来たとき、カキヤは全裸だった。
目にも留まらぬ早業で誘拐犯達を気絶させたカキヤは、やっぱり全裸のまま、ベラウ達を連れて逃げ出していた。
今回は4人ということもあり、歩ける者は歩いての移動とはなったが、唯一の男性が全裸ということに変わりはなかった。
これでは見た目があまりにもアレなので、ベラウは自分の着ていた外套を貸し、今に至る。
どうして全裸で助けてくれたのかはさっぱりわからないが、
そういう性癖なのだろう、とベラウは深く考えるのを止めていた。
そんなことより、助けてくれたお礼を言わなければ。
そう思い、何度か声をかけようとしているのだが。
女性がカキヤにお姫様抱っこされているのが、そんなに気に食わないのか。
銀髪の女の子が、烈火の如くお怒りになっていた。
その怒り具合たるや、生半可な覚悟では近付くことすら困難で。
ベラウはお礼を言いたくても言えないもどかしさを抱えたまま、彼らの後ろをついていくことしか、できなかった。
ふと。
女の子のわめき声に紛れながら。
小さな声が、聞こえてきた。
「……あの、カキヤさん。あ、ありがとうございます。
私、男の人にこうしていただくの、はじめてで、その」
何やら、お礼を言っているようだった。
私も言いたいのになあ、とちょっぴりジト目で、ぽーっとした翠髪の女性へ視線を向ける。
と。
「あれ……ねむ…………ぁ……――――」
女の子の倒れる気配。
しかしそこまで気にする余裕もなく。
ベラウの意識はそこで途切れた。
「お、おい。リシトアーキ?
能力が暴走してないか!? 俺も眠気がやばいんだが……!」
「す、すいません!
……お、おかしいですね。もう平気の筈なのですが、どうしてかドキドキして息苦しくて」
――そんな声が、聞こえたような、聞こえなかったような。
(第3話につづく)