忙しい日々の中で、少しずつ平穏に慣れていく。
慣れれば慣れるほど、どこか不安な気持ちになった。
希望を信じられない理由は分からない。
第八話 分かってるから、賭けに出るんだろうが
戦に勝利したバロイ砦は、様々な問題に揺られながらも、順調に改築増築がなされていた。
アーサー王子の指示の元で、山の斜面を少しずつ造成して階段状の要塞へ改造しようという動きだ。将来的には、そこにバリスタやカタパルトを配備しようというのだが、今現在は砦の改築に必要な木材を切り出すついでというのが正しい。
「しかし、本当に来たなあ」
「ほんとに来たねぇ」
アギラとユウは、砦の中で勝手に教会を作り始めた連中に呆然としていた。スレルやガロル・オンと顔見知りで、邪妖精にも迎え入れられていてゴブリンやリザードマンには無視されている連中は、砦にくるまでは普通の隊商という出で立ちだったが、入り込んでからは黒いローブを羽織って、何やら妙な像を組立て始めていた。
「邪神の信徒、異形だったらステ回復タダじゃなかったっけ」
「ここじゃそういうのは無いだろ」
回復魔法、という便利なものは存在しないと言っていい。傷の痛みをやわらげたり、治癒を促進するものはあるが、重戦士ヒロシの使っていたような再生魔法は存在しなかった。
邪神神殿がくみ上げられていくのを見ながら、王様の二人はぼんやりとそれを見送っていた。
「やることないなあ」
「ないよねぇ」
細々とした政治は、全てアーサー王子によるもので、何の役にもたたない二人は日々肉体労働と剣の稽古くらいしかしていない。特に、アギラとの模擬戦は全く人気が無い。
シキザの細作はアーサー王子が借り受けていて、忙しく外と中を行き来している。当のシキザはなかなか返らず、忍者たちは文句も言わずに王子に従っていた。
そうやって王様たちが無為に過ごしている間、王子様は各亜人のリーダーたちと会議の真っ最中であった。
「山の財は、多くはありませんな。残念ながら、我々にはその価値も分かりませんし」
最初にスレルはのんびりと言った。
「俺らだって自分の財産を分けてやんのはなあ」
次にゴブリンは拒否した。
「我等が貧しいのは知っているだろう」
リザードマンに財は無い。
「祖先の殻より鍛え上げた刀を売るなどできることではない」
ガロル・オンは金のことなど気にしない。
「あたしたちの宝石は分けてあげるけど、瘴気がこもって人の体には毒」
邪妖精は論外だった。
「物資が無いのにどうしろってーのよ」
王子は上半身裸のまま苦悩した。
役に立たないと分かっていたが、中断した会議にアギラは呼ばれていた。
「ん、金ならあるぞ」
体の中から吐き出されたのは、百枚近い金貨だ。
呆然と、王子はそれを見ていた。
「あ、あ、アギラ、あんた最初から出しなさいよ。それにこれ、貴族金貨でこっちは古代金貨じゃない。よかった、これでなんとかなるわ」
バルガリエルなら全部くれるだろう。たしか、唸るほどあったはずだ。
「あとロイスさんから貰ったのもあるよ」
やることがなくてついて来たユウも、マルガレーテお嬢様護衛の報酬である貴金属を差し出した。
「早急に、お金になる産業つくんないと、すぐに破綻するわよ」
とは言われても、山の幸以外に何も無い。
「食料は近くの農村を襲ったらいいだろう」
「そんなのじゃ足りないの。砦を維持する人手に三百はいるのよ、略奪だけで賄うなんてできないわよ」
アギラの非道な発案は却下されたが、山の民は全くと言っていいほど市井に通じていない。当たり前だ。
「畑とかないもんねぇ。ていうか、どこから買うつもりなの。アーサーは?」
王子様、から名前に変わったのに驚いたのは、アギラだけだった。
「商人っていうのはね、どんなとこにも現れるのよ。命より金。ロイスの領地やハジュラにいくのはさ、この砦の街道を使うのが一番速いの。蜥蜴山脈の迂回ルートは幾つかあるんだけど、他は時間がかかりすぎるのよ」
金より命の商人は、それでも多いものではない。細作を使って、今は噂を広めているところだ。
邪神の信徒は続々と集まってくる。彼らはそれなりに保存食などを持ち込んでくるのだが、それが足しになるものでもない。
「おお、アギラ様だ」
邪神の信徒たちは、なぜかアギラの姿を見かける度にありがたいものでも拝むかのようにして祈っていた。中には感極まって失神する者もいたりで、居心地の悪いことこの上ない。
「大人気だね」
「ちょっと違うと思うぞ」
邪神の信徒たちは、一つの神を崇めているという訳ではなく、土着の宗教の集合体のようなものだった。シアリス正教に弾圧され、改宗を余儀なくされた者たちであり、半ば亡命のようにして砦にやって来る。
邪妖精たちが、女王から託された物資を運んできたが、瘴気でまともに触れられない宝石は、宝物庫に収められた。クチナワ代官の隠し資産の入っていた場所なのだが、砦が陥落した際には何も残っていなかった場所だ。
王子が精力的に働いている間、アギラとユウは狩りに出かけたり肉体労働を手伝ったりで、政治においては何の役にもたたない王様だった。
アギラとユウがだらだらしていると、休息を取れたアーサーがやって来る。
「あんたたち、仲いいわねぇ」
どこか呆れたように言うと、二人の間にむりやりケツを入れて座り込む。錬兵所の日陰に座り込んでいるトップスリー。
「アギラさんとはなんにもしてないよ。あたしは別によかったんだけど」
「返答に困ること言うなよ」
「はいはい、いいわよその辺りで。あんたたち、アタシのこと信用してんの?」
本気の問いかけに、しばし沈黙があった。
「信用っていうか、今の流れだと裏切ることもないだろうし、それに、お前いつも必死だからな。考えなかったよ、そういうのは」
アギラは言うが、どこか歯切れが悪い。
「あたしは信用してるよ。理由はなんとなくだけど。ああ、アギラさんもそう言いたいんだけど、ほら、ツンデレだから」
誰がツンデレだ。
「アハハ、あんたたち、ここに来てよかったわ。あんたたち、ほんとにおかしいもの。こんなの、ゾレルみたいなのがいるなんて」
何がおかしいのか、アーサーはひとしきり笑うと、笑みを浮かべたまま立ち上がった。
「あー面白かった。じゃあまた後でね、王様たち」
なんともよく分からないが、彼はそれを確認したかったようだ。
「王子もツンデレだねえ」
「それ、使い方間違ってると思うぞ」
シアリス正教と竜王の騎士団が敗北したことにより、バロイ砦周辺の治安は悪化していいた。
山賊が村々を蹂躙し、今まではなりを潜めていた邪神の信徒たちが教会に火をかける。さらに、無法のならず者たちが宿場に吸い寄せられていた。
七台の高級な馬車が、バロイ砦に最も近いイズモの宿場に入ったのはその日の正午のことだ。
荷を守るために残った護衛は、揃いの衣装を身につけ、通りに群がる無法者たちを睨みつけながら、その手の得物を手の中で遊ばせている。一目で、カタギとは縁の遠い者たちであることは分かった。
ハジュラとガザの最新ファッションである衣服を纏った彼らは、取囲む無法者たちを全く恐れていない。
一方、宿に入った一団は、リーダー各と思しき女が主人に詰め寄っているところだ。
「部屋はあいてますが、そのう」
酒場兼宿のグリムイン、その店主は女に睨みつけられて、気の毒になるくらいに顔を青くしていた。
「泊められないってことだね」
「は、はあ」
そんな中で、酒場のテーブルにいた男たちが立ち上がる。
「ここは、俺らが仕切ってんだぜ」
数で勝っているとはいえ、二十人の一団にタンかを切ったのは、どこにでもいる小悪党風の男だった。女に睨まれて、奥にいた男の影に隠れる。
マントをつけた黒髪黒目の、見慣れない刀をつけた男だ。この男、タツヤ・イスルギと名乗っている風来坊である。悪党のボスとして山賊家業を続けるヴァルチャー・オンラインの異邦人だ。
侍、レベル22。専用装備の鎧と刀しか身につけられないが、気を使った強力な攻撃スキルを持ち、攻撃魔術を行使できる上級職だ。
マントは鎧と武器を隠すためのもので、彼は山賊としてこの世界に馴染む無法者だ。力を行使することにためらいを持たない、この世界での辛い生活は彼をそう変えていた。悪党たちとの生活で、タツヤに油断は一片も無い。同郷の者、より高レベルの者を数人斬っている。
「どこのお人か知らないが、ここにはここのルールがある。荷の半分は置いていきな」
「クチナワの関税よりひどいじゃないか。聞いてられないね」
間合いは五メートル。タツヤの射程内だ。
「そうかい、じゃあ」
と、そこまで言った時、女が小さなものをバッグから取り出して、引き金をひいた。とっさに身をひねったタツヤだが、兜をつけていないのが災いして耳が飛んだ。
「おのれっ」
動こうとした時には、女の背後の一団が鎖分銅を投げつけていた。さらに、無言で迫った彼らは隠していたボウガンを一斉に発射した。背を向けた女はバーカウンターのランプを取ると、いつのまにかくわえられた葉巻に火を点けていた。
「化物っていってもね、噂の狂戦士とアギラでもなきゃこんなもんさ」
紫煙を吐き出した女は、つぶやいて、暖炉から火かき棒を取った。今の季節は使われず、煤にまみれたそれをレースのハンカチで握ると、槍で滅多刺しにされたタツヤの前に立った。剣は取り落とし、立ち上がることもできない彼の瞳が女を見る。
「金貨三枚の賞金首、毎度お世話様」
額を、鋭い火掻き棒が貫通した。
「みんな、そいつらの中にも小遣いがいるかもしれないよ。取った者勝ちだ」
白い、上等な衣服のヤクザ者たちは、それぞれ得物を取り出して悪党たちに襲い掛かる。女は、カウンターのバーテンに包丁を持ってこさせると、タツヤの首をはねた。
血が、女のコートに降り注ぐ。
そのまま、周囲の喧騒を無視して外に出た女は、首をぽんと荷車の前に向けて放り投げた。
「あんたらのお頭はぶっ殺したよ。さあ野朗共、掃除の時間だ」
荷車の護衛にいた男たちが手の武器を持ち直し、荷車に隠れていた者たちも飛び出した。恐慌状態に陥っている無法者たちは、血反吐を吐かされてうずくまったり命乞いをしたり、一方的な戦いだ。
それを眺めてから、女はゆっくりとグリムインの主人の元へ歩んだ。
「掃除してやったんだ。宿代は半分にしな」
宿帳を取ると、彼女は服の胸元から取り出したペンでサインをする。
リンガー商会。
主人は、それを見て腰を抜かした。
「ちゃんと料理は出すんだよ」
ハジュラの都で半年ほど前に設立された新たな商会組織。ヤクザ者たちの抗争の中から生まれた半非合法組織である。今では、ハジュラの闇で最も恐れられる組織であった。
「さてと、一泊して、ついにアギラとやらとご対面か」
中ほどまで灰になった葉巻を落として踏みつけると、馬車から降りた貴婦人に、女は頭を垂れた。
「ミス・エリザベート、今はこのようにむさ苦しい状態ですよ」
「いいえ、いいのよ。彼もいるんだし、馬車の中だと退屈だわ。それで、サムライというのはどんなものだった?」
「仲間にする価値もありません。ただの小悪党でした」
「アリスが言うなら、間違いないでしょう」
貴婦人エリザベートはアリスと呼ばれた女の青い髪をなでる。返り血で乱れた青い髪のシャギーを手櫛で整えた。
赤毛の貴婦人は、血で汚れた手をハンカチで拭きとって捨てた。
「俺が出る幕も無かったな」
と、声が響いて宿の二階から、ぼろぼろのコートに身を包んだ男が飛び降りてくる。着地と同時に、がしゃりという音が鳴った。
「ふん、あんなヤツあたしらだけで充分さ」
「あらあら、その汚い格好はよしなさいと何度言ったら分かるの。わたしたちはもうヤクザじゃないんだから。リンガー商会は商取引の企業なのよ」
ボロをまとい、革のマスクを被った男。マスクの穴から、青い光が漏れている。
「とりあえず、その汚くてダサいマスクはなんとかなさい」
貴婦人の言葉に、男はマスクを脱いで、エリザベートに手渡す。
それは、見ようによってはフルフェイスの兜にも見えただろう。鋼鉄で形作られた頭部、目と思しき部分には青い光が宿っていた。人のものとも、異形のものとも違う頭部。全身が鋼で形作られた『機人』。機銃を使用することが唯一可能な職業タイプ。
魔銃を使う銃士とは逆に、遠距離攻撃は持たないが、近距離のレーザーブレードと内臓式マシンガン、腹部プラズマバルカン、異形と同じ特殊種族だ。
ヴァルチャー・オンラインでは、あるゆる回復施設と回復アイテム、回復魔法の効果が無効。休息意外の回復手段が存在しない。また、固定装備以外の武装が不可能。ステータスダウン攻撃無効、雷撃に300パーセントダメージという特性を持つ。
「シャルロットお嬢様の作ってくれたマスクだ、捨てたら殴るぞ」
「ミスエリザベートになんて口の利き方だ貴様ッ。ここで叩き壊すぞ」
「アリスにタキガワ、やめなさい。タキガワ、あなたは私の護衛について、アリスは掃除を進めなさい。いいですね」
ミスエリザベートは、出来損ないの、被ることでより凶悪に見えるマスクに微笑むと、機人タキガワへ返した。彼は、またもそれを被る。
「まあいいわ。でも、そのコートはそろそろ変えなさい。買ってあげるから」
「すぐにボロくなる……」
「それでも変えるの、いいですね」
宿の一番上等な部屋に消えたエリザベートを見送って、アリスは馬車から愛用のハンマーを取り出して掃除に参加した。その背中を、タツヤの生首が恨めしげに見つめていた。
忍者たちの報告で、王子はため息を吐いていた。
「なーんでアタシの死体が王都にあるのよぉ」
と、口では言っていても、半裸の王子様はもう理解している。
錬兵所の青空の下でテーブルを囲む一同は、忍者の持ち帰ったをまとめる王子に多様な反応を向ける。
前回の戦で、王子は完全に亜人から迎え入れられている。相続争いなどに無縁な彼らでも、勝手に自分が死んだことにされたら困るなあ、という程度でアーサー王子の状態は理解できていた。
「アーサーよ、生きているのだしそう悩むな」
ガロル・オンの族長ショウの的外れな慰めに、アーサー王子、いや元王子は青空を眺めて自嘲的に笑った。
「ま、いいわ。次にしかけてくるのがロイスだってことが分かったしね」
流石に、その一言には皆騒然となった。アギラとユウは単純に驚き、亜人たちは妖精族との対立に息を呑んでいる。
「おーい、ガファルとニンジャたち集合」
アギラとユウの魔界語でたびたび忍者と呼ばれていた細作たちは、すっかりニンジャと呼ばれるのが定着していた。
ユウに向けられたアーサーの視線で、彼女も頷く。ショウも理解したようだ。
思い思いの作業をしていた忍者たちが集まるなり、アーサーは切り出した。
「シキザさんたち敵になっちゃったわ。当然、ロイス伯もこっちの敵よ。あんたたちどうする? 帰ってもいいし、ここで死ぬ覚悟でアタシ狙ってもいいし、残りたい、なんて人はいないわよね」
ガファルは呆然と口を開けていて、忍者たちは無表情だがわずかに目が見開かれている。
「そ、そんな馬鹿なことが」
ガファルがくってかかるが、アーサーは口元に人差し指を立てて黙れの合図。
「一応監視つけるけど、シキザさん帰ってきたら相談してね。それじゃ解散」
忍者たちは信じられないアーサーの言葉に固まっていたが、すぐに散った。彼らは彼らなりに、ここに居心地の良さを感じている。ガファルに至っては、溶け込んでいると言っていい。
「悲惨なことになったな」
青空の下で触手を栗のように無数に出したアギラが、アーサーに向けて言った。
「うーん、予測できたことなのよ。でも、こんなに早くやるなんて思ってもなかったわ。ロイスは、アタシを捨てていいくらいの切り札を持ってるってことかしらね」
「頼まれた仕事はしたし、敵に回すのは別にいいけどね。あのイケメン団長が厄介なんだよねぇ」
雷鳥の騎士団だけならば、なんとでもなるだろう。しかし、背後から雷鳥の騎士団、大河側から別の敵、となった場合には勝てる見込みが無い。
「我等も、妖精族との対立は避けたいところだ」
蛙人間スレルのジ・クの言うことはもっともだ。ロイス伯爵領の妖精の森は、妖精郷と呼ばれる空間に通じており、そこには強烈なパワーのトレントやゴーレムがひしめいているという。その潜在的なガーディアンのおかげで、ロイス伯爵領はレミンディアの辺境でどこからも侵略を受けなかったのだ。
「どこか味方作らないとね。そのためには、残った時間で情報とコネ作りよ」
「つーか、残った時間って、すぐ来るんじゃねえのか」
アギラの問いに、アーサーは人差し指を振って答えた。
「いいこと、この砦を攻略したいヤツらはたくさんいるのよ。ここを奪回したってことは英雄様になれるの。相応のタイミングと相応の立場のヤツがくるってこと、それには時間がかかるわ。少なくとも、半年くらいは稼げるはずよ」
内心で、アーサーはあと五年欲しいと歯噛みしている。顔には出さないが、そま胸中には激しい焦りがあった。
「妖精王となら、女王様がお話できるわ」
歌うように、邪妖精がふわりと舞って囁いた。
「邪妖精の女王ね、会ってみることができるのかしら?」
「やめといた方がいいよ。死ぬほど怖いもん。もうちょっとで漏らすとこだったし」
ユウが本気で止める。実際、少し漏らしていた。胆力がどうこうという問題ではないのだ、アレは。
「人間があそこにいったら、多分死ぬぞ」
アギラまでが止める。使えるものならなんでも使う、というのは普通の相手に対してだけだ。邪妖精の女王はそういったものを超越している。
「ふふふー、ダメよお。王子様は瘴気で死んじゃうから」
邪妖精が歌う。
「シアリスを敵に回してくれるとこなんてどこにあるってのよ。あー、もう、どうしたらいいのよこれ……。ちょっと頭冷やしてくるわ」
席を立ったアーサーを引き止める者はいない。彼がこの程度の逆境で消えるようなタマじゃないのは皆が知っている。でなければ、あの戦を前にして嬉々としてなどいられない。
そうこうしている数日の間に、遂に砦の通行を願う隊商が現れた。
亜人や邪妖精に怯えていた商人だが、クチナワ代官のころよりは多少良心的な関税には飛びついた。ゴブリンが何かと買い求めたこともあり、彼の蛮勇で通行者は増えることになるだろう。目的地についた商人は、バロイ砦の通過を情報量こみで垂れ流すのだ。
税収があれば、何かと売りつけにくる連中もいる。足りなかった物資はアーサー元王子の指示で、アギラの金貨で購入していく運びになった。
「俺の金なんだけどなあ」
実際はバルガリエルの金だ。
夕暮れの時刻、十台近い馬車が砦の通行を求めてきた。全て、高級な乗合馬車のような黒塗りで、ある程度の貴族でなければ乗れないように代物である。
アーサーの指示で中に入れてから検分になったのだが、ユウとアギラも連中の剣呑な雰囲気に、いつでも飛び出せる体勢を取っている。
「ギャングかよ」
「カッコイイ」
アギラとユウは素っ頓狂な連中に見とれてしまった。
全ての馬車からは、サスペンダーと黒ズボンの男たちや、男装にツイードハットの女、さらに、最後に開いた馬車からは日傘をさした貴婦人とボロをまとったマスク男が降りてきたのだ。
禁酒法時代のギャングのような連中は、手に持った武器を隠そうともしない。
「お初にお目にかかります。ハジュラより参りましたリンガー商会、副社長のエリザベート・クセファ・リンガーと申します」
貴婦人が優雅に名乗り一礼するが、部下たちは臨戦態勢だ。
「ここで財務官みたいなことしてるアランよ。ものものしいけど、通行料は変わらないわよ。積荷が人だけみたいだし、全部で銀貨二枚でいいわ」
偽名を名乗ったアーサーは、怯むことなく応対した。いつもの半裸である。
「ホホホ、アーサー様のお間違えでございましょう。邪神の砦にはるばる参ったのは、アーサー元王子に用があったからですわ」
どう聞いても挑発にしか取れない。ですますで喋っているが、礼儀はわざと無視している。
「ふうん、話なの? 命ってなら、こっちも相手するけどさ」
ガロル・オン、そしてリザードマン、さらには弓を構えたゴブリン。邪妖精は戦いの歌声を上げている。
「ケッ、死んだことになった王子が偉そうに」
ツイードハットの女、アリスが肩がけにしたハンマーをもてあそびながら、挑発した。
「だからさあ、そういうのいいから話か命か答えてよ」
「さすがはバロイ砦を勝利に導かれた王子様。お話ですわ、それもビジネスの」
「あら、いいわね。ここの風って気持ちいいから、そこのテーブルでお話しましょ」
トレルが椅子から降りて、場所を空けると、カード賭博をしていた亜人たちがいっせいにテーブルを片付けた。
テーブルに対面で座った二人の後ろに、それぞれの仲間たちが睨みあうように直立する。
「ハジュラと違ってよい風ですわね」
「大自然しかないもの。これで空気がまずかったら詐欺よ」
詐欺のところをわざとらしく強調すると、エリザベートの背後でアリスが舌打をした。アーサーが注視していたボロをまとったマスク男は、ゴブリンの持っているガラクタを興味ぶかげに物色している。そこからは、笑い声まで聞こえた。
「シアリスと竜王が卑怯な手で負けたとか、負け犬の遠吠えをしておりましたわねえ」
卑怯と負け犬を強く言うエリザベート、ご丁寧に背後の連中も口元を笑みに歪めている。
亜人たちは、今ひとつ意味が分かっておらず、変なヤツラだなぁ、と思っているにすぎない。
「嫌味合戦だよ。凄くないあの人?」
「まーた変なことになるんじゃねーのか」
ユウとアギラは物陰で見物していた。
「ま、いいか。こういうの久しぶりで楽しかったわ。アタシが公式に死んだの知ってて、それからここにいるアタシが本物だって分かってるゴロツキがどういう用なの?」
今度は全く普通に、気軽な世間話をするかのように、元王子は尋ねた。
「あら、わたしも楽しかったんですけど。実を言うと、我々はハジュラのコカク侯爵の手下なんですよ。王家簒奪を企てておりまして、お力をお貸し願おうと」
「あら、あんたコカクって言ったわね。ってことは、ゾレルについてんの?」
「ゾレル様の言う通り、それだけで察せられましたか。その通りですわ。今は亡きイシュルテ様の忘れ形見、ゾレル・コカク侯爵を王とするため、リンガー商会は立ち上がったのでございますわ」
アーサーは、犬歯をむき出しにして笑った。ああ、この凶相が王子の本当の顔だ。
「思い出したわ。リンガーね、そう、あなたが長女?」
「ええ、つい先日まではハーラルの情婦でしたが、今はリンガーに戻りましたわ」
ふと、エリザベートはガラクタに夢中になっているマスク男を見やった。
「ふうん、じゃあ証拠見せて。ゾレルとアタシだけしか知らないことがあるわ」
「初めての交渉は十一歳の時、ミレイユという侍女だそうですわね。二人共にお相手をされたとか。今でもお持ちのようですわね。ゾレル様と王子、ミレイユの三人が持つ指輪。占星術師のラドが三人の記念に作られた『愛欲の蛇』でしたか」
懐かしいものを思い浮かべた王子は、うなずくだけだ。
「ミレイユはその後、お手討ちになったそうですが、ゾレル様が墓標を作られました。その場所は、遠乗りで出かけて三人様が愛欲に濡れたハルネスの別荘地だとか」
「初めての女は忘れないのよねぇ。今もつけてるわよ」
と、右手の小指にはめたルビーの指輪を見せた。悪趣味なデザインだ。
「ミレイユの最後の言葉は『神様のバカ』ですわね」
「ふふ、あんた悪趣味ねぇ。もう一つ答えて、ゾレルの頼みは?」
「いいえ、これはわたしの独断ですわ。今のままでは、苦しいことになります。もう王子、宮廷の、ゾレル様の側にお戻り下さいませ。報酬は、われ等リンガー商会の力、ひいてはゾレル様が王となられた後の助力にございます」
すぐに用意できるのはヤクザ者のちょっとした力。そして、成功するかどうかも分からないのに、命をかけて戻れという。
「ゾレルなら、言わないでしょうね。アタシの望みを知ってるもの」
「それ故、わたしが参りました」
「ごめんね、でも断るわ。今のここには、アタシが必要なの。彼らを裏切れないわ、それにゾレルは望んでないのよ。友達でいられないわ」
はっきりとした拒否である。
「無理にでも、と言ったら?」
エリザベートの背後で危険な空気が蠢いた。殺気に、亜人たちも血に飢えた顔を見せる。
「アーサー、行けよ。こっちはこっちでなんとかする、ゾレルってヤツが大切なんだろ」
と、意外な一言を発したのはアギラだった。
「な、王様がそんな言うんじゃないわよっ」
エリザベートは、闖入者に訝しげな視線を送る。イーティングホラー、危険な化物だ。しかし、これは確実に噂の異形だ。
「このままじゃどうにもなんねえって、お前が言ってただろ。くだらねえ理由つけてないで、やることやれ」
「あ、あんた、いつも聞き役のくせに、こんな時に何言ってんのよ。そんなこと言うヤツじゃないでしょ」
「お前がいなかったら俺も破滅する。前からチャンスはいつもこんな状況だったんだ、だったら今度もそうだろ。やろうぜ」
「そうそう、珍しくアギラさんが熱いこと言って、ぶっちゃけいうとブツブツ言ってたからあたしがけしかけたんだけど、やろうよ」
ユウまで現れて加勢する。
『王子の根性見せてやれ』
邪妖精が歌いはじめ、今度はショウやスレルが『友のために行くとはアーサーは男だな』などと状況が分かってないようなことを言う。
「決断の時ですぞ、王子」
ガファルまでが言いだした。いや、彼の場合は脳の大部分が筋肉でできているために、友情は麗しい程度の認識だろう。
「あんたたちは、ここがどうなると思ってんの。あとどれくらい時間があるか、ほんとに分かってんの」
「分かってるから、賭けに出るんだろうが」
アギラに言われて、アーサーは髪をかきあけで黙り込んだ。そして、低く笑い始める。
「フフ、アハハハハ、そうだったわね、亜人、いいえ、アギラとユウの国は、アタシと一蓮托生。そうね、ビビってる訳にいかないもんね。ミスエリザベート、行くわ。細かいこと詰めるのはいつがいい?」
この状況に、呆気にとられていたエリザベートは、慌てて説明を始めた。
ハジュラ王家簒奪作戦。
この日、レミンディアの真の王子は生き返ることを決めたのである。