蜥蜴山脈は、亜熱帯の気候と山の奥深くより発生する瘴気により、多少まともではなくなった一帯だ。
毒を持つ生き物が無数に存在し、危険な亜人も多く住む。
レミンディア国が成立する以前、亜人と人は今よりも友好的な関係だった。シアリス正教の教義が変化するにつれ、人と亜人の溝は深くなった。
第六話 悪役だよね、あたしたちって
獣道をさらに外れた道を行くこと四時間。
山の奥深く、リザードマンの集落まで案内された一行は、人間にも食べられるものでもてなしを受けていた。
イーティングホラー、アギラのために生きた猪が用意されていた、血を吸い取るのを見せると、何故かリザードマンから歓声が上がる。
アギラを除いた全員、近くの河で水浴びをしてから食事となった。
夜が更けていくにつれ、続々と亜人たちが集まってくる。
最近では見かけなくなったゴブリン、ガロル・オンと呼ばれる人型昆虫亜人、蛙亜人のスレル、邪妖精の一族、一般的に友好的とは言えない自然界の脅威が一同に会している。
レドの案内で、一行は中心に座ることになった。
「あなた方を招待したのは、他でもない、あのバロル砦とシアリス正教、それから化物についての話があったからだ」
アギラとユウは、化物、というのが自分たちを含めたヴァルチャー・オンラインの力だということにすぐに気づいた。
ガロル・オンの代表者、カブトムシ人間のショウが口を開く。
「我らの殻をヒトが求めるのは今までもなかったことではない。だが、あの重戦士が現れてから、人間共は我らを滅ぼさんとしている。硫黄の匂いと共に鉄を吐き出す忌まわしい呪いの棒で、我らの仲間が十殺された」
「ヘヘヘ、ムシ野朗は馬鹿だな。ありゃあガザの都で機人の使う銃ってヤツさ。道具さえありゃあ俺たちでも作ってみせらあ」
ゴブリンの族長、トレルは緑色の鷲鼻をトントンと叩いて、挑発する。
「よさんか馬鹿者が。我ら山の民は一丸となる時ぞ。我らスレルも、山の賢者ではいられぬ。狂戦士に人の言葉を操る優しき異形よ、お前たちのような力を持つ者が現れるのは実に三百年ぶりのこと。あの時、我は幼かったが、お前たちがもたらした新たな知恵によりネルガドゥ帝国を追い払った。また、力を貸してもらいたい」
スレルの族長、巨大な蛙のジ・クの言葉に、ユウが素早く反応した。
「ちょっと、三百年前にあたしたちみたいなのがいたっていうの」
「御伽噺だと思ってたが、蛙のジジイは嘘はつかねぇ」と、ゴブリンのトレルが口を挟む。
「うむ、自らをニホンジンと名乗り、時の王に助成した。その力は凄まじく、一人で騎士団と同等の力を持っておった。我らはレミンディアの王と妖精王に助力して、東の海よりやってきたネルカドゥ皇帝の放った兵士と戦ったのだ」
焚き火の爆ぜる音がやけに大きく響いた。
「バロイ砦が増強されただけで、協力して頂けるというのは少し良すぎる話ですなあ」
シキザはいつものように髪を直しながら、どこかのんびりとした口調で言った。
「我らスレルは、妖精族との交信でそちらの事情を知っておる。邪神の使徒とガザの者たちとも繋がりを持っていると言えば分かろう。蜥蜴山脈の地形は長きに渡って人間共の争いの障害であった。それは理解しておろう」
蜥蜴山脈がなければ、レミンディアは四方より攻め入られていただろう。そして、ハジュラとガザも、どこかの侵略を受けていたはずだ。この難攻不落の山々が、戦争を小さなものにしていた。
「なるほど、シアリス正教でございますな。こちらの放った細作は全て還らず、不穏な空気ありとは思っていましたが」
「あの重戦士と同じ力を持つ者を従えた正教騎士団は、銃の開発を進めておる。邪神の信徒にガザは、彼らの工作に頭を悩ませ、ここを通る者たちの情報を邪妖精と我らスレルに求めたのだ。このままでは、我らは百年と待たずにシアリスの悪魔共に滅ぼされるだろう」
山の民のいくつかは、何を馬鹿なことを、と思っているかもしれない。しかし、アギラとユウはよく理解している。
銃と、多少の化学的な知識で、蜥蜴山脈を攻略することは可能だ。トンネルを掘ることも、やろうと思えば蒸気機関を作ることも可能だ。高卒のアギラには無理だが、どこかの大学生が数人いれば無理な話ではない。単純な知識だけでも、手探りではなく、何をすべきか分かっていれば、この世界の学者たちで充分に対応できる。
「バロイ砦の攻略と王子の身柄を無事救出できた暁には、蜥蜴山脈とバロイ砦は我々山の民にお譲り頂きたい。ロイス伯とは友好的に接すると約束しよう」
シキザは、スレルの賢者ジ・クの提案に言葉を失った。
「な、そのような無法を突きつけられるか」
と、驚いたふりをしているシキザだが、即答できないだけだ。時間稼ぎである。
「キャハハハ、オッサンの時間稼ぎだよ。ジ・ク、騙されるなよ」
ふわりと飛んできた邪妖精が耳障りな笑い声を発した。蛾の羽を持った妖精だ。
「使いを出すなら、我らで送り届けよう。我ら山の民であれば、二週間で戻れる」
ラストチャンス。元より、バロイ砦は敵であるクシナダ侯爵の持ち物だ。戦の世であれば進軍を阻む砦だったが、今現在は街道を通る隊商から税をむしるためのものだ。敵方を肥えさせるだけの厄介なものにすぎない。
最初から、この砦は頭痛の種であり、常に警戒すべき敵地である。ならば、捨ててしまうのが得策。だが、間諜、細作のシキザはそう考えても、ロイス伯はどう思うか。このことが露見すれば、ロイス伯は魔の洗礼を受けたとして処断される可能性もある。
「我々がバロイ砦を襲ったことにすればよいであろう、な」
ジ・クの見透かしたセリフに、山の民の頭脳であるとスレルと邪妖精は、ガザと邪神の信徒に深く通じていることが理解できる。ハジュラやガザに潜む邪神の信徒は、山を通って行き来しているという噂は、以前からあった。
「ロイス伯へ書状を送ります。私の部下を二人、二週間で戻らせて下さい。ロイス伯ならば、どのような決定にしろ即断されます」
忍者の一人が、紙と筆を取り出した。
「貴君らが断った所で、我らはこれ以外に方法がない。狂戦士に異形よ、助力を頼めるか」
ユウの視線に、シキザは首を振った。好きにしろということだろう。
「んー、やりたいとこだけど、ロイス伯爵を裏切るのはダメだわ。恩はないけど、受けちゃったからには、伯爵に従う」
意外な言葉だった。アギラも動揺する。しかし、ユウは全くの平静。結論は変えないだろう。
「俺も、そのつもりだ」
邪妖精やスレル、ゴブリンは面白くなさそうだったが、友好的なまま宴の幕は閉じた。
蜥蜴山脈の伝説の始まった日でもある。
軟禁生活が待っていると思っていた一行だったが、書状を運ぶ忍者たちが去って以来、リザードマンの集落で狩りの手伝いや剣の稽古にあけくれていた。
自由すぎる生活で武器もとりあげられない。シキザは、素性を隠す気はなくしたらしく、それにロイス伯がどう決断するかも予想しているようで、棒手裏剣の稽古に余念が無い。
ガファルはリザードマンとガロル・オンたちと剣の稽古に明け暮れていた。
「まだまだ、もう一本」
ガファルは、ガロル・オンの剣士と対峙している。
ガロル・オンは甲虫だが、その両手には彼らの殻から作られた鋭い刀を持ち、羽を使って飛びながらの剣技に、ガファルはいたく執心だ。
「人間の剣士、ガファル、いくぞ」
大剣と刀、力は鍛え上げたガファルが上だが、総合的な能力では、空を飛べるガロル・オンの剣士に分がある。
「ガロル・オンって強いね。ゲームじゃいなかったけど、あれは合わないかな」
ユウはそれを眺めながら、つぶやいた。
傍らには、従者のようにしているレドがいた。
「竜を倒すユウ殿の言葉ではありますまい」
「ううん、強いよ。重戦士とは相性悪いけど、多分、あたしじゃ十が限界。一斉にこられたら負けちゃう」
多少の攻撃に耐えて回復を行い、一撃必殺で敵を叩く重戦士は、言うなれば盾だ。逆に、狂戦士は何物をも貫く剣である。
「ガファル殿もお強い」
レドはぽつりと言った。人間とは思えぬ膂力で大剣を操るガファルは、流石は騎士団で三番目の強さだ。一番は、ユウが見た所あの団長だ。タイマンなら勝てるが、あれはあれで天才的な強さだろう。
ユウは少し離れた所でゴブリンや邪妖精と談笑するアギラに視線を移した。
邪妖精は、小人に蛾の羽のついたものだが、どれも美しい人のミニチュアだ。しかし、大きな黒目と触覚がどうにも悪役を連想させられる。ゴブリンも同じく、小柄な緑色の体に、皆工具のようなものを持って、何か得体の知れないガラクタをいじくっている。
「アギラさんはああいうの好きだからなあ」
と、ユウが言うように、アギラはゴブリンたちと共に、河のダム計画について話し合っている。水力を使った水車を発展させてどうこうと言っていた。
「ガザじゃあ銃は軍隊だけしか持ってねえが、こういうボウガンなんかはいいのが広まってる。外国には売らないっつーことだがよ、まあ俺らにも手に入るんだ、どこの国も一つや二つ流れてんだろうな」
ゴブリンの族長、トレルは並外れた知性で、アギラの言った理屈についてきている。そして、彼らはどうすれば使いやすいか、と尋ねてくる。木材と黒曜石で作ることのできる矢は山の民には安価に手に入る。が、鎧などの鉄は鉄鉱石が無いと始まらない。
「ヘヘヘ、鉄の作り方はちょっとは分かってんだが、鉄鉱石がなくてよう。この山にもありそうなんだが、まだ見つけられねぇのさ」
「鉄の匂いは嫌いよ、トレル。アギラ様、邪神神殿のお話を聞かせてほしいわ」
邪妖精の一人がアギラにしなをつくる。
妖精族から離れることになった邪妖精。彼らは集団で人を捕食することもあるが、御伽噺の中では人に恋をすることもある不思議な存在だ。蜥蜴山脈には彼女たちの女王がいるというが、その姿を未だ見せてはいない。
「ガファルさん、それからみんな、多数との稽古したいから、みんな一斉にかかってきて」
ユウの叫びに、ガロル・オンやリザードマンの戦士、そしてガファルが嬉々とした表情で駆け出す。
誰も木刀を使おうとせず、真剣で斬りかかる。統制は取れていない。しかし、二十近い数との戦いの中で、ユウは凄まじい速度で駆け抜ける。
アギラもそれに加わった。
死角から襲い来る触手に手を取られたユウだが、凄まじい力で逆にアギラを投げ飛ばす。弾かれたアギラをぶつけられたガロル・オンが墜落する。
「シキザ殿、あなたまで行かれることはありますまい」
棒手裏剣を両手に持ったシキザは、部下とジ・クに止められた。
ガロル・オンの族長、ショウはそれを眺めながら、書状の返事によれば勝てると確信していた。血が騒ぐ。元より、山の民は血に飢えている。人と暮らせぬのは、全ての民が人より強いからだ。人が皆、ガファルのような者であれば、彼らも山の中で暮らすことはなかっただろう。
二週間がすぎるころには、ガファルは亜人の見分けがつくようになり、普通に名前で会話することが可能になっていた。
アギラとユウも、顔つきで誰が誰かだいたいは判別できていたが、ガファルほど溶け込めてはいなかった。
「そろそろだね」
忍者たちの集めてくる情報で、敵の戦力は分かっている。
一日でケリをつけて、王子を救出する。そして、後からやって来るであろうシアリス正教騎士団と竜王騎士団への対応も準備万端だ。
砦は、山を背にした難攻不落の代物だ。近頃の熱さに東を流れるデュクの大河も、水位が半分に下がっている。
シキザの部下である忍者たちが戻り、ロイス伯の返答が明らかになった。
『王子さえ頂ければ異存無し。だが、我らの関与は内密とする』
苦笑して発表したシキザはどこか満足げだ。主人の豪胆さに間違いがなかったことが一つの要因であり、彼もまた勝てるという希望を抱いていた。
作戦会議は以前と同じく焚き火を囲んだものになった。
ゴブリンたちが作り出した巨大なバリスタ、邪妖精の作り上げた強力な毒矢、総勢二十名のガロル・オンの戦士。リザードマンの槍兵が二十、魔術を操るスレルが五。
相手は騎士団と傭兵の総勢百名。半分の戦力である。
邪妖精とゴブリンの隠密部隊は総勢で二十名。だが、彼らは騎士と直接戦うものではない。
「この戦に勝利すれば、他の同胞も納得するだろう」
ショウのつぶやきに、シキザとアギラは苦笑した。蜥蜴山脈のごく一部、革新を求める者たちだけしかここには集まっていない。だが、山の民の未来はここにある。
「無茶な作戦だね。ま、やるけどさ」
夕暮れの時刻に完全武装の戦士たちは、どこか静かに最後の晩餐を取っていた。
「ユウ、俺たちが失敗したら終わりだが」
「今更そんなこと言わない。アギラさんたまにビビるよね」
「な、そんなことないぞっ」
よく言えば思慮深いイーティングホラー、アギラの慌てた様子に邪妖精たちが遠慮の無い笑い声を響かせた。
「みんな、俺は人間だが、仲間だと思っている。勝つぞ」
ガファルが剣を天に掲げた。
戦士たちがそれに倣う。ゴブリンや邪妖精たちは『熱いなー』と、苦笑してそれを見守った。
「王子たちの救出はお任せ下さい。この戦、多数に見られています。無様な姿は晒されないよう、お願いしますよ」
シキザの意味深な言葉に、ユウは首をかしげ、アギラは苦笑した。
皆、動かない。誰かの言葉を待っている。アギラが、ユウをつついた。わざと目を作って、ぐるりと辺りを見回す動作を繰り返した。
「みんな、勝とう」
歓声が上がった。
バロイ砦の跳ね橋は閉ざされている。
アギラとユウは、たった二人で松明をかざしてその前に立っていた。
「重戦士殿、おられるかっ」
アギラが叫ぶと、見張りの兵士が慌てて中に入っていく。イーティングホラーは夜目が利く。そして、ユウもまたヘルメットのおかげで夜目は問題なかった。
「何者だー、異形めっ」
「我らは重戦士殿に用がある。ヴァルチャーと伝えよ」
重戦士は、バロイ砦にきてから盗賊と亜人の虐殺を行っている。正義を掲げてシアリス正教の名を広めているというのだから、挑発する手も考えたが、それよりも確実なのはこれだった。
しばらくして、跳ね橋が下りた。
山の急斜面を背にして、大河にかかる橋を塞ぐ砦。正面から行くのは無謀だ。
「おお、我が同胞よ、よく来た」
でかい、声もでかいが、その体躯も鎧で増えた分二メートル近い。顔も体も全てを覆うフルプレートメイル。ユウとアギラには、それがゲームよりのものだと容易に理解できた。そして、その背にかけた戦槌からは、炎がゆらりと立ち上っている。
「よかった、アンタも日本からきたんだな。俺は伊藤だ、少し話をしたい」
「お前イーティングホラーか。ふうん、レアだな。そっちへ行く、待ってろ」
鎧の音を鳴らして、重戦士がやってくる。
「はじめまして、狂戦士のユウだよ」
間近で見ると、その威圧感に圧倒される。そして、アギラは彼の言葉の端にぞんざいなものを感じ取り、不快な気分に陥っていた。
「もしかしてハジュラのか」
「アハハ、有名になっちゃったね」
「ヘヘヘ、よかったぜ。お前ら、死ね」
重戦士は言った瞬間、パンチを繰り出した。ユウが後ろに飛んでかわす。
「おもしれぇ。俺は神聖シアリス正教騎士、神の戦槌ヒロシだっ。ハジュラで無辜の民を殺害し、クシナダ姫に粗相を働いた狂戦士を討ち取るぞ」
最初から、仲間に引き込むつもりなどなかった。しかし、ここまでの反応は予想できていなかった。戦うことは理解できていたが、こんなにも敵対されるとは、やはりお互いに思っていなかったのだ。
「待てっ、お前は同郷だろう」
「うるせえぞっ、邪悪な異形が。貴様らみたいな人殺しと俺は違うんだよっ。くらいやがれ、レベル31のアグニハンマーをよおっ」
人殺しだと、貴様も同じ穴の狢だろう。
「クアアアアアア」
アギラが怒りにつかるより早く、ユウが雄叫びを上げた。それは、大地に響き渡る、人間からは程遠い怪鳥を思わせる音だった。
「テメーッ、勇者さま気取ってんじゃねえぞっ」
篭手からは鉤爪、その状態で二本の剣を抜いたユウが叫ぶ。
「この世界じゃ俺は勇者だっ。悪党は倒すっ」
傷を癒せて、輝く白銀の鎧は皆に迎えられた。そして、シアリス正教の司祭の下でヒロシは騎士になった。それ故に、彼は正義に疑問を持たない。
生きるために罪悪感を捨てたユウとアギラは、こいつを憎いと思った。
「ユウっ、やるぞ」
「分かってるっ」
ハンマーの一撃をかわして跳ね橋に跳んだユウの背後から騎士が斬りかかってくる。が、ユウは後ろに目がついているかのように、振り返りもせず首を刎ねた。
「ぐっ、ゲイル。皆、俺に任せろ。こいつらは俺がやる」
ヒロシの声に、騎士たちはおとなしく下がった。絶大な信頼。この砦にやってきて数ヶ月、幾多の悪党と亜人を滅ぼした神の騎士、彼らはその力に心酔していた。
アギラが犬の形で走りながら触手を飛ばすが、堅い鎧はそれをはじく。神聖属性鎧の効果だ。設定上は150パーセントダメージなのだが、鎧はその設定よりも強い。
「くそっ、こんなに硬いとは」
「あいつ、ウゼぇっ」
吐き捨てたユウは、凄まじいスピードで重戦士に肉薄するが、炎を撒き散らす戦槌に、その突進を阻まれる。一撃必殺、ユウの人間を越えた速度と動体視力でかわす自信はあるが、その戦槌による軽い一撃で動けなくなることは明白だ。
かわしそこねたアギラが、柄による一撃を食らった。凄まじい衝撃で、地面を転がる。予想していたが、あまりにも強い。
「攻めてこねぇと、俺には勝てねえぞっ。最強ブロッカーの俺にはよおっ。バランスもくそもねえソロプレイの狂戦士が僧兵に敵うと思ってたのか。ハハハ、レベル31が怖くねえならかかって来い」
31、か。廃人度合いじゃ負けてない。
優勢のヒロシに砦から歓声が上がる。
「クソ、パーティ組んでなんぼのノロマが言ってんじゃねーよ」
アギラはまた犬の形態で立ち上がる。が、足がふらついている。
「邪悪なヤツはここでも邪悪なんだなあ。PK大好き野朗がっ、死にやがれ」
イーティングホラーへの強制メタモルフォーゼ条件、PKとNPC殺害数。と、ゲーム的には推測されていた。
「アギラさん、まだ我慢できる?」
「ああ、ユウも我慢しろ」
「もう限界」
よたつくアギラに振り下ろされるアグニハンマー。触手ではかない抵抗を試みた、ようにヒロシには見えただろう。
あさっての方向に飛んだ触手はユウの手に絡みつき、ユウはそれを力いっぱい引っ張る。ハンマーに当たる前に空を舞ったアギラは、落下しながらヒロシの首元に触手を放った。唯一の、鎧の隙間だ。
スキル吸血の発動で、さっきの一撃で受けた傷が癒える。無茶苦茶に戦槌を振り回したヒロシから逃げたアギラは、ユウの隣に降り立った。
「気持ち悪い手ぇ使いやがって」
言いながらも、ヒロシは回復魔法で傷を再生させる。肉が、時間を撒き戻すように癒えていく。
「反則だよね、ああいうの」
「ああ、だけど、回復する前にやっちまえば問題ない」
跳ね橋は開いたまま、そして兵士たちはこの戦いに釘付け。早くしろよ。
「手加減無しだぜ。プロテクション、レッサーヘイスト」
戦う内に、跳ね橋から離れた所で両者は向かい合う形になっている。
わざわざ声に出してスキル発動すんじゃねえよ。どうせ、もう遅い。
「おい、最後に質問だ。お前、生きたいか? だったら、今すぐ俺たちに従え」
「ちょっと、アギラさん。こんなヤツ、あたしヤだよ」
「ふざけたこと言って」
と、ヒロシの言葉はそこまでで遮られた。
背後の、砦の騎士から悲鳴。ガロル・オンの戦士たちが騎士たちを斬りふせていたのだ。
「お、お前ら」
「悪いな、騙し討ちだ。属性は邪悪でな、こういうのは平気なんだよ」
砦の中からときの声が響く。
ガロル・オンに抱えられて、この騒ぎの隙に背後の山の斜面から飛んで侵入したリザードマンたちだ。
「跳ね橋をあげろおおおお」
ヒロシの叫びは、もう遅い。
砦の門をしめようとしていた所に、バリスタが打ち込まれた。スレルの魔術により気配を遮断し、夜の闇に紛れるようにバリスタそのものを黒く塗っていたのだ。入り口に打ち込まれたゴブリン製のバリスタは、さらなる混乱状態に陥れるに充分なものだった。
亜人を駆逐して膨れ上がった砦は、今その復讐を受けている。
「これで時間稼ぎは必要なくなったな。ユウ、ムカツクこいつをぶっ殺そう」
ゴブリンの小柄な戦士たちが正面から走りこむ。そこには、青白く輝く邪妖精たちもいた。
「血の海で暮らしてたあたしが、……こんなヤツに負けるわけないでしょっ」
ユウの怒りが大気を裂いた。
ヒロシにも苦労があり絶望があり、そして希望を持った経緯がある。しかし、ユウはその希望が許せなかった。なんであたしだけ。ただそれだけの醜い嫉妬、だが、誰がそれを止められる。
ゲームの属性、ユウもアギラも属性に邪悪を持っていた。それが顕在化しているのか、それとも、人として感情に身を焦がしているのか、それは分からない。
「おお、俺の仲間たちをっ」
ヒロシは決して弱くはなかった。だが、圧倒的な不利や、死の恐怖を経験していない。それが、敗因だったと言える。
動揺して大振りになっていた重戦士の隙をついたユウは、その懐に入り込んで囁くように言った。
「あたしはレベル45だよ」
一瞬力の抜けたヒロシの腹に、鎧を気にすることなく全力のパンチを叩き込む。二百キロ近い巨体か浮いた。戦槌を取り落として崩れ落ちる。
ゲロを吐きながら、兜を外した重戦士に、ユウとアギラが歩み寄った。
「た、助けてくれ。なんでもする、従うから、頼む」
うん、ぶっ殺そう。
アギラとユウが笑顔で頷いた時、彼女だけはその殺気に気づいていた。狂戦士の肉体が勝手に動く。アギラをつかんで伏せようとした。だが遅い。
轟音の後で、アギラの体が半分弾けていた。
何か言う前に、それが飛んできた方向を見る。
最早死に体である青蛇の騎士団の奏でる絶叫に満ちたバロイ砦、その城壁の上で、巨大な銃を構える者がいた。
ヴァルチャー・オンラインにおける最強の攻撃力を誇る武器、魔銃を唯一装備可能な職業タイプ、銃士。遠距離攻撃にのみ特化し、全ての能力は低いものの、気配遮断と隠密行動スキルを持つ狩人の上級職。
「はは、アイツ、いやがったのか。おおーい」
喜色満面で叫ぶヒロシが見たのは、銃をかまえるシルエットだ。そして、銃口より放たれた閃光。銃弾が叩き込まれて、飛び散る脳漿。
つば広の帽子を被ったシルエットは、背を向けて駆け抜けていく。
「あああ、ねえ、死んでないよね、アギラさん、アギラさん、やだ、死んだら、あたし、頭おかしくなるよ。ねえ、死んでないよね」
「くそ、死ぬかと思った。ユウがいなかったら、死んでたぞ」
わりと平気そうな声。
「大丈夫だ、溶けた傷口は全部捨てた。もう痛くない。体が小さくなっただけだ」
「ちょっと、馬鹿、心配したじゃない」
「仕方ないだろ。傷口をほっとくと痛いんだ、必死で使えなくなった所を捨ててたんだ」
ほっとしたユウは、大きく息をついた。それから、重戦士ヒロシの亡骸から鎧をはがし始める。
「おい、その鎧どうすんだ」
「あのねえ、採食スキルできるのって新鮮な死体だけでしょ。アギラさん小さくなったら弱くなるんだから、食べやすいようにしてるの」
強いなあ、ユウは。
死体採食、今まではっきりと言ったことはないが、あまり気の進むものではなかった。だけど、彼女は認めてくれる。こんな姿を見たら、母は泣くだろうか。いや、もう会えない。なら関係ない。
ちらりとしか見なかったヒロシの顔。銃で吹き飛ばされたせいで、兜と声の印象しかない。見た目には普通のデブだった。いただきます。
神聖属性の肉。美味い。
肉を食めば、異形の肉へと変わる。
敗走を始めていた青蛇の騎士団の誰かがそれを見ていた。人食いの化物と狂戦士。
脱獄不可能、ハジュラのホドリ監獄より脱獄。難攻不落のバロイ砦。亜人を率いて陥落。
「悪役だよね、あたしたちって」
「今更言うようなことか?」
死体を食い尽くすと、疲労は消えていて、体が一回り大きくなっていた。
「さ、みんなの手伝いにいこう」
「ああ、行こう」
駆け出した悪魔は、こうして大陸に名を轟かせる。
ガファルの大剣で、最後の護衛が倒れた。
「王子、お迎えにあがりました」
物憂げにベッドから身を起こした王子は、大あくびで彼らを迎えた。
大河の水位が下がっていたことから、敗走は比較的楽に進んだ。
青蛇の騎士団は逃げていく。追う余力はないが、邪妖精たちが遊び半分で矢を射掛ける。彼女たちは歌っていた。
『やれ逃げろ、悪魔が背中にいるぞ、お前の仲間が食われているぞ、やれ逃げろ、仲間も女も捨てて逃げろよ人間』
地獄めいた歌声に送られて、人間たちは逃げ出す。
シキザはそんな中で、代官クチナワの執務室へ突入していた。
「おや、これはこれは」
執務室には火がかけられ、代官は椅子に座ったまま頭を撃ち抜かれて死んでいる。
敵の情報は、全て消えてなくなった。焼け跡を捜しても何も見つかるまい。
「あの巨大な銃を抱えた男、逃がすべきではありませんでしたかな」
満身創痍の部下たちのことも含めて、相手にせず逃がしたが、失敗だったかもしれない。シキザは、後にこのチャンスを逃したことを悔やむことになる。
配備されていたはずの数丁の銃は一つも見つからなかった。見事なまでの撤退を行った銃士と再会するのは今しばらく先の話である。