「うわ、何だコレ! どうしたんだ?!」
昼、ランの教会がある山村にドロアは戻った
ロードリーの町に極めて近いこの山村は、便宜的にロードリーの村と呼ばれている。ここも例に漏れず戦陣を潰して作られた村だが、最早その名残は無いと言って良いだろう
そこでドロアを出迎えたランの第一声が、正にそれだった。ドロアが結局そのまま買い取った駿馬に引かせた荷馬車を見て、ランは仰天したのだ
「道理から外れる事はしてない、俺とてこの国を追われたくはないからな。寧ろその真逆だ。賊どもから巻き上げてやりました」
ランはその言葉に唖然とした。荷馬車に高く詰まれた金銀の山は、とてもじゃないけれどボロ小屋には入れられる間が無い。それにその馬は何なのだろうとランは上手く回ろうとしない頭を必死に回す
ふと見れば村人たちが回りで野次馬をしていた。それはそうだ。いきなりこんな物が村の中にでん、とあったら、誰だって気付くだろう
近所の悪戯小僧が荷馬車に忍び寄り、やんちゃな笑みを浮かべてその中身を抜き取ろうとする。しかしそれを既に看破していたドロアは、悪戯小僧の鼻を摘んでぐりぐりと揺すっていた
「こら、手癖が悪いぞ」
その様子が切っ掛けで、漸くランの意識が正常に戻る
ランは顎に手を当ててうーむと唸った後、他に思い浮かばないため、一つの言葉を発した
「…………コレ、何に使うのさ?」
「色々。衣食住は勿論、その他諸々に金は必要だ」
至極当然の話だ。ランは再びうーむと唸る
「それに……ランさんを医者に見せたりもしなければいけない。ロードリーで既に馬を用意してきた。王都へ行こう」
「えぇ?! いきなりだな、私何も聞いてない」
「言ってないから、当然さ」
それだけ言うと、ドロアは衆目を全く気にせず荷馬車を移動させ、ボロ小屋の隣で待機させる。それからランを読んで中に入ると、あっという間に必要な物を纏め、旅支度を整えてしまった
「善は急げと言う。善悪定からぬ場所で生きる身ではあるが、これは少なくとも善行だと思う」
「え、え? それは確かに、ドロアの気持ちは嬉しいけど…」
そして出立。ランは二、三日ポカンとしている間に、気付けばユイカ国の王都に居た
ランはその時、心底から恐怖を覚えた。それは我が自慢の息子の、想像を絶する行動力に対してだった
オリジナル逆行6
ドロアはユイカ王都、ラグランにて一般に開かれている国立医局で、驚愕から声を荒げた
「ふむ、お前さんの母君の身体だが………」
「……………………………」
「おぉ、心配せんでも問題なく治るぞ」
「何ッ?!」
少し離れた位置にある寝台で、眠りを誘う香で意識を閉ざしているランを見る。裸体に薄布一枚掛けただけのランは、特に何か変わった様子は見当たらない
だが、目の前の老医師は治ると言った。前の世の歴史を覆せると、この老医師は明言したのだ
「しかしながら、時と金がかかる。時は三年ほど。金はお前の持ち込んだ額の…………そうさな、四倍は掛かろうな。目玉が飛び出る額だ」
ドロアは椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、そして医局の石壁に頭を打ちつけた
一瞬にして顔が屈辱の朱に染まる。何の事は無い。前の世であろうとも、自分が気付けばランは助かった筈なのだ。金。ランの病は不治でも何でもない。金を積めば治る物であったのだから
これ程己を無様に感じたことは久しい。ガシガシと何度も頭を打ちつけ、割れた額と噛み締めた唇から血が滴ってきた。この場に居るのが常人であれば腰を抜かしただろう。男が一人、流れ出る血も構わず無表情のまま壁に頭を打ち付ける様は、かなり恐怖を煽る
(阿呆め)
悔やんでも悔やみ足りん。しかしだからと言って、悔やんでいても意味がない
助かるとこの医師は言ったのだ。病如きに奪われた母の命を、今こそ取り戻す好機。この一度死した筈の生の意味が今、確立されようとしている
(………これこそが俺の意味やも知れん。我が母を救う事こそが、俺の)
石壁に小さい穴が一つ開いたところで、ドロアは血を拭いもせず、老医師に向き直った
白髪混じりの彼はドロアの様子など気にも留めず、墨汁を染み込ませた筆で獣皮に何やら書き込んでいる。日ごろ書類と薬類に囲まれて生活しているにしては、大した冷静さだ。しかも向き直ったドロアを見ると、医師は何でもないようにしれっと言う
「気は済んだか?」
ドロアはその問いを無視した
「今日持ってきた分でどれほど尽力して貰える?」
「……十月分。来年の六月までは我々としても手を尽くせる。それ以上は貴様が追加を払わねば、薬を取り寄せる事も出来んぞ。我々は患者を診るが、薬の金までは都合してやれん。ユイカ国とて同様だ」
「解った。足りない分は、俺が必ず稼ぎ出して来よう。あの人を頼む」
ドロアは両の手を握り締めて頭を下げた。ドロアは下を向いていたため、老医師が既にドロアに背を向け、己の職務を再再開した事に気付かなかった
「任せておけ。ワシはユイカ最高の神医だからな」
……………………………………………………
「う…頭がズキズキする。これだから催眠香は嫌なんだ…」
「大丈夫か?」
「うーん、あまり…。それよりどうだったんだ、私の病気」
ラグランの医局より出て、ドロアとランは西へと歩く
ドロアはラグラン西の主要通りに、宿屋の一室を用意していた。長く時が掛かる為、既にラグランへの移住許可を申請しているが、早々簡単に認められる物ではない
それでも他国よりかは融通の利く方だ。通常は国の生産基盤を確保する為、農民、工民問わず民のの移住許可など絶対に下りないのが普通だが、ユイカではそれが下りる。その場合畑や鍛冶工場などはユイカ国に接収される事となるが、無駄に遊ばせておくよりかは良いだろうと言うのが一般的な考えだ。因みに、商人に限っては殆どその規制がない
ドロアの用意した宿はそれほど上等な物では無かったが、ドロアにもランにも、不満は無かった
「時間はかかるが、問題なく治るそうだ。良かったな。……………………あぁ、良かったな」
「そうなの? ………はは、うん、良かった」
そうだ、本当に良かった
のんびりと昼過ぎの通りを歩く。軍改革が始まってからこのラグランも騒がしくなり、ドロアのように武器を持ち、鎧で身を固めている者がよく見受けられる
ガチャガチャと言う金属的な音と共に、剣呑な雰囲気を感じるのはどうしようも無いが、それも暫くすれば慣れてしまった。ランにしても元々胆力並々ならぬ女性だとドロアは知っている。そしてその記憶通り、ランは少しも物怖じしていなかった
「……一ヵ月後に、新生ユイカ軍の遠征か。ドロア、本当に良かったのか?」
「気にしなくても良い。俺は、俺がこれをやりたくて今こうしている。決して自分が枷だとか、そんな下らない事を考えないでくれ」
「それは……それはドロアの穿ちすぎだよ。私はこう見えても神経が図太いからな。そんな殊勝な事は考えない」
小さく笑いながらランはドロアの直ぐ後ろを付いてくる。ドロアはランの歩幅に合せ、些かゆっくりと歩いているのだが、それでも少し早いようだ
ドロアは笑った。槍を肩に担いで、からかい混じりの表情だった
「ランさんは嘘が下手だ」
ごんと拳が飛んでくる。ランだ。背丈が違いすぎるから、ランは背伸びをしなければならない
ランはドロアを追い抜いてずんずんと歩く。ずんずんずんずんと進んでふと立ち止まると、急に方向転換して酒家に入った
何を隠そう、ランもかなりの酒豪だった
……………………………………………………
「実は酒場とかに入るのって初めてなんだ。昔は私もラグランに居たんだけど、村には酒場なんて無いから」
辺りを珍しそうに見回すランの姿は、確かに慣れている風には見えなかった
どっかりとカウンターに陣取る。ランを酒屋の主人の前に座らせ、ドロアはその直ぐ背後の立ち席に着き、じろりと辺りを見回す。酒の屋だけあって、中は他には無い雰囲気がある。言ってしまえば、柄の悪そうな類の者しか見受けられない。ランは美人だ。気を配って置かねば、ちょっかいを掛ける輩が居るかもしれない
空いてるのだから、座りなよ、そんなランの言葉を、ドロアは謹んで辞退した
「しかし、何でまた酒家に? 酒が呑みたいなら途中で買っていけばいいだろう」
「いや、何ていうのか……うーん、何でだろうな。ほっとしたら何か気が抜けたって言うか。ちょっと変わった事がやりたくなったのさ」
「………まぁ、咎めはしないさ。俺とて酒は好きだ」
適当に注文して寛ぐ。ランが調子に乗って、まだ何も来ない内から幾つも幾つも酒を注文する物だから、ドロアは少し笑ってしまった
「頼み過ぎだ、ランさん」
「何を軟弱な事を。全部呑めば良いんだ、頼み過ぎたって」
ランはまず来た一杯目を一息に飲み干して言った。剛毅な事だとドロアは肩を竦め、自分の所に給仕の娘が運んできた酒をあおる
強い匂いのその酒は思っていた以上に上手い。二口目で酒杯を開けて、ドロアは漏らす
意図しない呟きだった
「上手いな」
「そうでしょう? ウチに来られた方は皆そう言いますよ」
給仕の娘が嬉しそうに相槌を打つ。ふと見遣れば、長い黒髪を一束に纏めた、小鼻、小口の並外れて美しい娘だ。美味い酒に美人の給仕。客は柄の悪そうなのしかいないが、よく儲かる事だろう
そんな事を思っていると、ランがドロアの腕を引いてきた。懲りずに、席に着けと言う事らしい
暫し逡巡。その後、ク、と笑いを漏らしてドロアは今度はその誘いに乗った。目を光らせる気分ではなくなった。無粋だ
明るい見通しが立った直後だ。本当に良い気分なのだ。先には何も気を張り詰めさせ、危ぶむ事が無い。安穏としており、将軍職に就いていた者としては特に動ずるべき所は何も無いが、退屈とも言えるそれが不思議と悪い気分ではなかった
戦場に喜び、敵と相対し気が猛るは武人。そして、母と共に酒を呑み、その安穏を分け合いながら感じるのもまた、武人。少々奇妙な二面性であった
「同じのをもう一杯。…………酒入れごとくれんか」
カウンター席に座って直ぐ、丸禿で眼光の鋭い店主に頼む
店主は何かしらの作業で手が離せないらしく、給仕の娘に視線を送る。すると娘はてきぱきとしながら、ドロアに酒を入れ物ごと運んできた
「親父さん、子豚を焼いてください!」
とうとうランがつまみに手を出し始めた。子豚の丸焼きか、ラグランの豚はよく肥えていて美味い。焼きたてともなれば、それはもう口の中でとろける
本当に良い気分だった。ドロアは何も無いのに、堪え切れなくて笑った
……………………………………………………
夕暮れ時。酒豪で鳴らすランをして、漸く酒杯を傾ける手が緩くなった頃合
付け加えて、リロイと名乗った美しい給仕に、ドロアが何度目になるか解らない酌を受けていた時だった
「お代わりをどうぞ。……………でもドロアさんって、何だか他の傭兵の方とは違いますよね。兵と名のつく職の方は、荒々しい人ばかりだと思っていたんですけど」
「礼節も必要だ。戦場での武働きは最も判りやすい勲功だが、人の上を目指そうと思うのなら、能力だけでなく人間としての礼も要る」
「あらあら? そんな格好良い事言って。幾らリロイちゃんが美人だからって、この母の目の前で口説くのは駄目だぞドロア」
酒家の入り口の扉を吹き飛ばさんばかりの勢いで突っ込み、衆目を全く気にする事なく笑う青年が一人
「おぉー! リロイさん! 今日も来たぜぇー!」
だが青年は固まった。何故って、ドロアとリロイを見て
もっと詳しく言おう。青年は、今にも頬と頬が触れ合いそうな至近で話しているドロアとリロイを見て、固まったのだ
「お、おぉぉ、き、今日も……、き、来た……ぜ」
身なりの良い青年だった。つんつんと逆立つ青い頭髪に、まだ幼いながらも並みの大人では相手にならないほどガッシリ鍛えこまれた体躯。背丈もドロアの頭一つ下まではある。それを覆い隠すように纏う青い外套は、上等な仕立てで一般市民が気軽に着れる物ではない
そして瞳までもが青。腰に下げた剣と身のこなしから、戦士の類なのは解った
「ギル君、今日は遅かったわね」
リロイが青年――ギルに向き直る。何か呑むかと問いかけるが、ギルはぶんぶんと首を振って断った
ふい、とギルは顎に手をやり、なにやらうんうん唸る。そして熟考した後、やや座った目でのしのしとドロアに向かって歩いてきた
ランが警戒を籠めた眼差しでギルを睨んだ。しかしギルの方は、ドロアの横でほろ酔うランなど眼中に無いようで、全くの無視であった
リロイの横を素通りするギル。彼はドロアの近くまで来ると、カウンターにどん、と手を置き、挑戦的な目をして、こう言った
「なぁアンタ。悪いんだが、其処は俺の予約席でね。譲っちゃくれないか」
「え? ちょっと、ギル君!」
ドロアはギラギラと光るギルの目を見る。そしてすぐさま、フイ、と逸らした。貴様など眼中に無いぞ、そう示したのである
「断ると言ったらどうする」
ギルは外套を勢いよく脱ぎ捨て、吼えた
「表へ出な、力ずくで貰い受けるぜ!」
大層な荒くれ者だ。武辺者は快活で、判りやすい
断る気など毛頭無かった。勝負と来れば決して退けないのが、武人であった
――ランク「リーヴァの御手付き」
…………………………
さて、一日フライングしたがどうなることやら
また数日後にでも会いましょう