「逸れた本隊の位置は」
「この崖の向こうだと、大将はお考えで?」
「そうだ、ヴォーダンの軍が斥侯を出しながら少し遅く進んだとすれば、我が軍はこの向こうの位置で待ち受けるだろうぜ」
最低限の武装以外全てを外した状態で、ドロアは崖を上る。猛烈な勢いでごつごつとした岩の出っ張りに手を伸ばし、疲労した身体を無理矢理持ち上げる
すぐ後に続くのは負けるものかとばかりに力むクラード。一心不乱に、ドロアの背だけを追った
「だぁ、はっ、ひぃ、はぁ…! ゴードンの野郎にやらされた糞訓練並みに厳しいわッ」
頂上まで辿り着く。ドロアは墳、と気合を入れて、それを昇りきった。先のほうを一瞥すれば其処には予想通りの光景。しゃがんでクラードに手を差し出したとき、ドロアは薄らと微笑んですらいた
「大将、笑ってますぜ」
「笑いもするぜ、見ろよ、どんぴしゃだ」
崖を上りきるとそこからは急な坂道になっている。そして其処を降りきった平地では、ドロアとクラードの所属するユイカ軍と、敵軍が激しくぶつかり合っていた
激しい剣戟の音がここまで響く。敵軍の猛烈な突撃に、ユイカ軍はじりじりと後退していく。勢いに乗られるとは非常に面倒な物
味方の窮地は、即ちドロアの好機でもある
ここは命の賭けどころ。ここから駆け下りれば、もしかしたら敵軍の最後尾に位置する将を襲えるかも知れない。そんな位置だ。だが無謀と言えば無謀。ドロアとクラードの二人だけで切り込んでも、敵は容易に二人を囲むだろう
ドロアは猛然と上を目指している。崖の上とかそんな意味ではない。軍団の中での上と言う意味だ。命を賭けずして得られる物ではない。だが
クラードはどうなのだろうか。己の野望の為だけに、この忠実な部下を巻き込む事は、しては行けないような気がした
「…うへ、今すぐ切り込みてぇー! って顔ですね」
「なんだ、解るのかよ」
そりゃもう完璧に。がっはははと笑うクラードをドロアは殴った。人の気も知らないで
体中から流れ落ちる汗を払った。どうせこんな物、直ぐに気にならなくなるだろうが
打ん殴られたクラードは、冗談の混ざった空気と共に笑みを消した。そして、唯一腰に残っていた剣を抜き
「行きましょうや。俺は、足手纏いって言われるのが嫌いでしてね。特にアンタには」
頭の悪い提案をしてみせる
「良いのか。俺は何人ぶった切っても勝つ心算でいるがよ……、お前についてこれるのかよ」
「えぇ行きまさぁ、行きますとも! 死ぬまで」
ドロアはもうそれ以上は聞かなかった。ありがたい事だ。こんな身分も後ろ盾も無い俺の我儘に付き合ってくれるのか
細く頼りない剣を抜く。それを手放してしまわないよう、服の切れ端で縛った。これより先は、正に死地だ
「底抜けの馬鹿だな手前! あの世の果てまでついて来いよ!」
「応ッ!!」
――
それから結局、ドロアとクラードはたった二人きり、物陰に隠れながら敵軍最後尾に忍び寄り、急襲をかける
咄嗟に敵近衛兵が組んだ円陣をただの一撃で破りぬいたドロアとクラードは、敵将を切り捨て、その場で勝ち名乗りを上げた
その後は当然死ぬ目に会った。実際死んだかとも思った。兎にも角にも討ち取った首を抱えて逃げ出した二人は、だがしっかりと生き抜いたのであった
それも今では、未来の昔話である
オリジナル逆行20
「座れ、ギルバート、敵意剥き出しでどうする心算だ。俺の客だぞ」
ゆっくりと酒杯を置くドロア。ギルバートは不愉快だと眉を顰める
「あぁ? ……あのなぁ、ああ言う前口上吐いて酒場に来る奴ぁ、大抵一暴れしに来てんだよ。見過ごせる訳ねぇだろうが………。大体、俺じゃなくてお前を訪ねてってのも何だか気に入らねぇな…」
「解っている。だが、俺もお前も酒が入ってる。暴れに来たとは言っても、そんな相手と戦って喜ぶような奴は武芸者とは言わんだろ」
すぱん、とドロアは唐突にカモールの頭を叩いた 「あだッ!!」
こちらはこちらで目立たないように、机の下で短剣を引き抜いていた。この直情径行どもめ
「大人しくしてろ。そう喧嘩腰では話も出来ん」
なぁ? とドロアは毒気を抜かれ、奇妙に面食らったような表情になっていたクラードに呼びかけた
「いや、あんなぁアンタら、俺まだ何にも言ってないだろうが…」
クラードの言葉を無視し、納得行かない表情ではあったがギルバートが座りなおした。こうなるともう、クラードとしても脈絡無く暴れては格好がつかない
「リロイ、アイリエンの酒をくれ。…好きだろう?」
「人の話聞けよ…。そりゃ確かに好きだけどよ…」
「あぁ、そんな顔をしているぞお前。代金は俺が持つ。兎に角座ると良い」
「そんな顔ってお前……」
ドロアは嘗ての部下の好みの酒を未だに覚えている。クラードはまた表情を変えた。逆立ちしようとして失敗した子供のような顔だ。何と無く気分悪そうにしている
実際気分は悪かろう。なんだこの見透かしたような馴れ馴れしさは。まぁ、ただ酒飲めるってんなら遠慮はしないけど。ドロアには、座ったクラードが何を考えているのか容易に解った
「ギルバート、早く肉を食ってしまえ」
「五月蝿ぇな、お前は俺の親父かよ!」
「いや、あのよ………」
クラードは当初酒場に乗り込んできた勢いは何処に行ったのか、どうにもしおらしい
リロイが酒を運んできてからは、尚の事口を挟めなくなった
「よかったです、一悶着かな、とか思って戦々恐々でしたから。ほっとしましたよ」
「うん…あぁ…うむ………」
――
暫くして、ドロアはクラードを潰した。言葉巧みに酒戦に誘い、ベロンベロンにしてしまったのである
カモールは二人のあまりの飲み様に胸焼けでも起こしたのか、しきりにどんどんと胸を叩いている。ギルバートも顔色は良くない。リーヴァに散々に打ち負かされた直後だからだろう
兎に角クラードはまずい。近所の洟垂れガキの方がまだしまりのある顔をするよ、と評価されるゆるんだ顔で、彼は消えかける意識を必死で繋いでいるのだ。だがしまりが無いので格好が悪すぎる
ドロアだけがほろ酔いながらも涼しい顔つきであった。クラードはぐらぐらと揺れる頭を必死に支え、意味も無くがははと笑いながら己の敗北を認めた
「…それで、俺への用件は何だ。手合わせが望みか」
「いんやぁー……最初は…ここいらで……うはッ、名前がやたら売れてる庸兵…の、面を拝んでみようぅ、と思ってよぉ~。強そうだったら、うっく、一つ斬り合ってみようかとも…思っちゃァ居たんだが」
「強ぇ~…! アンタ強ぇぜぇ…!!」 たった独りで大岩を持ち上げ続けるような、悲壮な決意。正にそんな心持で頭をもたげていたクラードは、矢張りと言うか、とうとうと言うか、顔面から机に沈んだ。まともな会話が出来たのは、其処までだった
「酒の強さを見に来た訳じゃないだろうに」
自然な感じでドロアは苦笑を漏らす。やはり、当然、当たり前の事だが
クラードの自分を見る目。期待と好奇心が満載された、しかし“初見の他人”を見る目
そういうものと、理解している。感傷も何もある物か、あってたまるか。ドロアは吐き捨てるのだが
それでも、クラードにむかってこの馬鹿野郎と罵りそうな自分が居るのを、確りと自覚していた。ドロアにはどうしても似合わない感覚だった
「……チ、女々しい…」
「ドロアさん」
「何だ」
「持って帰ってくださいね、その人」
「……………………」
……………………………………………………
槍を振っていた。それは過去、己の生きる術を見出した時から始めた事であり、今も、未来も、変わらず続けていく動作だ。実際続けていた
奇麗に決められた型の訓練ではない。それをしては縦横無尽と言う言葉が消える。最初に始めた時は、明確な意思も目的意識も無いただ凶器を振るうのみの薄っぺらな動作だったが、その動作が全くの無意味で無い事をドロアは知っていた
「精が出るねぇ」
鎧を外して身軽なクラードが居る。ドロアは気付いていたのかそうではないのか、クラードを振り返りもしない。クラードは伸びをしていた。至極自然体だった
無視されたとか、そうでないとかは、彼に取ってどうでも良い。故郷を出てから幾つ歳を経たのか覚えていなかったが、クラードにとって武芸に根ざす諸国遍歴と言うのは、ただ戦い続けると言う事のみであった
「俺ぁさ、酒が身体に残らん体質なのよ」
そういったがどうかの間、槍を振るドロアの間合いにクラードの気配が入り込む
止めはしない。止める筈も無い。クラードとて止まるなどと思っていない。この二人にとって今ここで逢うと言う事は、やはり、ただ戦い続けると言う事のみであった
何の脈絡も無い癖に極自然に当たり前だとでも言いたげな表情で、二人は切り結んだ
「えぇぇぇいぁッ!」
「応ぁッッ!!!」
遠心力で速さを得た槍。横なぎに来た槍にしては幅の広すぎる刃を、クラードの槍が迎え撃つ。真正面から受け止めると思いきや、足と腰と背を落として跳ね上げた。反動を押し殺す鈍い音は、クラードだけに聞こえている
顔の横を通り過ぎていく風切りの音に、クラードの太い眉根が歪んだ。激しい負担と苦痛。あまりの鋭さに逸らした力の軌跡すら自由にならない。いや、今の一撃、受け止められたのが奇跡か。この威力を知ってしまっては体に余分な力が入り、もう率先して受け止める事はできまい
だが、勝利の機とは刹那の間にひそむ物と心得るクラードは踏み込む。その鼻面の先をドロアの振り下ろした槍の穂先が掠めていった。ドン、と言う轟音、地面に減り込んだそれを握るのは、なんともしなやかに力強い右手のみ
膂力だけで無理矢理槍を引き戻した。力任せの反応に、しかし失われていない鋭さ。コイツは本物だ。“強”が肉の服を着て歩いているのだと、そう思った。今の一瞬ではっきりとした武の優劣でも解る。一瞬、たったの一瞬で
ぎゅぅ、と顔面から血の気が引き、クラードは冷や汗を噴き出した。恐怖と言う弱い感情を噛み殺すため、ガキンと歯を噛みあわせると、身体は震えだそうとまではしなかった
今のは俺の負け!
「もう一本!」
「フン…」
更に力強く動き出した二人を、顔を出した陽光がギラリと睨みつける
今、互いが互いの目の前に居ると言う事は、当然、ただ戦い続けると言う事のみであった
……………………………………………………
カモールは市中でばったりとランに出くわした。カモールは目を剥いた物である。ランは重傷の身だと言うのに、こんな所で何をしているのか
「ランさん、何でこんな所に…! 無理しちゃ駄目だって言われたでしょう」
「あぁ~、うん、抜け出して来た。…だが、そんなに酷い怪我じゃ無いと思うんだけどな」
「立派に重傷ですよ。ほら、荷を貸してください…って、あッ痛ぅ~…!」
半ば強引に荷を奪ったカモールは、胸からビリリと走った痛みに呻いた。ランが慌てて荷を持とうとするが、カモールは虚勢をはる
そして二人して歩き始めた。行き先はランとドロアの家までだ
――
「………まぁ、そんな訳で、休暇を貰った訳なんですが……。遠征軍からは外されてしまうし、溜息しか出てきませんよ」
「私には少し解らない感覚だな。それで良いような気がするんだけど、やっぱりカモちゃんにとっては、駄目なんだろうな」
「…えぇ、それはまぁ。ギルとも差がついちゃいますしね」
ゆっくりゆっくり歩く二人の会話は、歩行速度に無さに反比例して多くなる
カモールはルルガン王から通達された療養休暇の話を、溜息混じりに語った。ずっと遠征の日を見据えて様々な訓練を積んできたと言うのに、直前でこれでは、正直とんでもない肩透かしを食らった気分である
カモールはこの休暇、故郷に帰る心算だった。静養すると言う意味では間違っては無い。まぁ、良いかなと半ば開き直った感もあるカモールは、一つの計画を実行に移す
「実は少し故郷の方に顔を出そうと思っているんですが、もしご迷惑でなければ、招待されてくれませんか? 私が言うのもなんですけど、良い所ですよ」
ランは唐突な申し出にキョトンとする
「思えば私、以前の騒動のお礼、まだしてないんですよね。勿論招待するんですから、精一杯の事はさせてもらいます。どうですか?」
最初渋ると思っていたカモールの予想に反して、ランは意外や意外、乗り気であった
大人しい感じのするランだが、その実彼女は好奇心が人一倍多い性質なのである。普段表には出てこない面だが、いまここでは、カモールの提案に食らいついた
「ドロアに頼んでみよう!」
……………………………………………………
ランとカモールが辿り着いた時、ドロアとクラードの戦いは
何故か、ギルバートに乱入されてしまっていた
「うんがぁぁああああ!!!」
真正直に一直線の振り下ろしを紙一重で避ける。ギルバートの巨剣は空間を断ち割って、先ほどのドロアの槍のように地面に減り込んだ。神経を削る回避である
しかし、反撃を見越した回避と言うのは挙動が小さければ小さいほど良い。ドロアは掌の上で真紅の柄をギュン、と回転させ、思い切り斬り上げる。ギルバートは巨剣を手放すと思い切りよく前に出て、槍の柄を押さえ込んだ
ドロアは少しも動揺せずに更に力を篭める。満身の力を篭めて掛かれば、いくら怪力のギルバートとは言え、崩れた体制でどうこう出切る筈は無い。予想どおりギルバートの身体は浮き上がり、そのまま投げ飛ばされた
ふと、向かって左側に大きく上体を捩る。今までドロアの頭があった所を、クラードの槍が背後から突っ走っていった。ドロアはぐんと伸びたそれを掴むと、前に引きずり出す。宙を泳ぐクラードの体に膝蹴り
「!」
ドロアは息を飲んだ。クラードが胃液を吐きながら槍を掴んだ腕を捕らえたのだ。ギュル、と旋風のようにクラードは身体全体でドロアの右手を捕える
其処に、巨剣を取り直したギルバートが上空から襲いかかった
「早くやれえぇぇーッッ!!」
槍で防ごうとしてその思考を却下した。全体重乗せて、全力を振り絞った超重量剣の一撃。しかも振るうはギルバート。生半の守りでは、今度はこちらが砕かれる
ドロアはクラードに抑えられた右手を無理矢理地面に押し付け――否、叩きつけ、バリバリと歯を食いしばりながらまたもやギルバートの斬撃を避けきった。しかしギルバートの本気は、ここから
ギルバートは避けられた巨剣を押し留めようとしない。それどころか更に体を捻り、尚も回る。並々ならぬ身体能力で重心を保ったまま、速度だけが増した
回転斬り。まるで曲芸にも見えるその一撃に、ドロアは本気にさせられた
「ギルバァァート、スラァァァアアッッッッシュ!!!!」
メリ、と、ドロアは組み付かれた右腕の間接を無理矢理曲げる。クラードの決死の拘束が緩んだ
ここから先は動体視力。目に映る光景の中で、神速を以って振り下ろされんとする巨剣の切先を見つけ出すのだ
――捉えた! ドロアも槍を振るう。全身を覆う筋肉の尽くを使い果たして、天まで延びるような突きを繰り出した
その時にはもう、ギルバートの巨剣とドロアの槍は密着していた。次の瞬間己が両断されていても構わぬ覚悟でドロアは槍を押し出し、巨剣を真正面から弾き返した
「ギルバートスラッシュ、敗れたり…!」
たたらを踏むギルバートを尻目に、クラードを蹴り倒し、胸板を踏みつけて自由を奪う
そうしてから改めてギルバートの喉首に槍を突きつけた。ギラギラと目だけが燃えるギルバートは、冷や汗を一つたらしてから舌打ちした
「――お前等、二人纏めて漸く半人前だな」
「「もう一本!」」
「何度でも来い」
三人が一気に飛び跳ねる
――
「ぎゃ、ぎゃぁッ?! あれ真剣、真剣ですよ! 何でこんな真昼間から全力で殺し合いしてるんですか!」
「え、…さぁ? 私が抜け出した時は、ドロアとクラード君だけだった筈なんだけど」
「と、止めないと!」
焦るカモールに、ランは待ったをかける
「止めといた方が良い。男の子って、こういうの邪魔されるのが嫌いなんだ」
あんな連中捕まえて「男の子」なんて呼べるのは可笑しいですよ、とカモールは訴える。特にドロア
カモールは何と無く解った。この人、少し何処かズレてる
「そんな事言ってる場合じゃないでしょうが!」
カモールは腰の剣を引き抜いて駆け出した。獲物を構えたのは、動物的な本能からだった
――ランク「血風ドロア」
……………………………………
うぉ、汗臭い。そして話自体は余り進まない。
うむ、これぞ主人公最強っぽいな、とか思ったり。
まぁ、こんな日もあるかとか思いますた。
f氏の指摘に愕然。修正し猛省する次第です。埃の誤字指摘もありがとうございました。