「軍でもずっと使えそうな奴を探していた。ユイカの軍は弱いともっぱらの評判だから、そんな惰弱な軍ならば己の力も目立ち易かろう、そういう考えで有能な者が集まっている。見所のある奴は結構多かったぞ」
あぁ、はいはい。目を隠し、表情が読めなくなったリーヴァに対して、カモールは適当に受け答えした
と言うか、表情など元より読む必要も無いか。そういう風に感じる。どうせ、一体どこから来るのか解らない自信に満ち溢れた顔つきで、全て我が物とでも言うように話すのだ。会って一日どころか、数時間しか経っていないが、容易にそれは予想が付いた
最初は、カモールはこのリーヴァと言う少女が自分を嫌っている物だとばかり思っていた。否、事実嫌われていたようである
しかしとんでもない醜態の後、苦り顔で少し言葉を交わす内に、リーヴァはカモールの事を『敵に成り得ぬ』と判断したようだった。それはそれで気に入らないような気もするが、態々反発出切るほど、カモールは向こう見ずでは無い
だが、本当を言えば、やっぱりカモールはリーヴァが少し苦手だった
「…あぁ、手当たり次第粉かけたって噂が立ってましたよ。ちょっとは遠慮して貰わないと…、大体戦を控えた今、勧誘されたからすぐさま軍を退くなんて出来ないんですから」
「解っている。下調べと言う奴だ、まだ誰も誘ってなど居ない。今はユイカと言う国を学ぶべし」
「学ぶ、とは?」
カモールの見遣るリーヴァは、背筋をピンと伸ばしている。その華奢な体の上に乗っかった頭が、くるりとこちらを向いた
「訳の解らない者よりも、解る者の方が安心するだろう。ユイカを学び、私がユイカの士にとって解り易い者になってやれば、人も集まり易くなろう」
カモールには解るような解らないような、不思議な心持だった。少なくとも、今のリーヴァは解らない
こんな事を堂々と言ってのけるコイツは何者だ。あぁ、西方馬民族の氏族長さんでしたね。偉いんでした
何と無く首を捻る。その、リーヴァが目をつけた者達と言うのが、戦が終っても生き残っていれば良いのだが
「やけに入れ込むんですね。そんなに気に入った人が、ユイカに居るんですか?」
「…………あぁ、そうだ。気位の高い奴で困っていたが、もう大丈夫」
「?」
「ユイカに一般的に流通する書を読んだ。強兵は強い者にこそ惹かれるとそれにある。正に最もな事」
ふふん、と鼻を鳴らしたリーヴァが胸を反らす。そして、顔の前に垂れていた髪を払って瞳を曝け出した
「こう言う事だ」
リーヴァが真正面からカモールを見据える
(うわっ、凄い可愛い…)
何て考えられたのは一瞬。重なった視線の色が全く変わった
カモールは腰が抜けるかと思った。最初力強いながらも静かだったリーヴァの目が、急に殺気と暴力を満載した危険な物に変わったからだ
殺される そう思ったのも仕方無い。カモールは何時の間にか肩を掴まれていて、傷から走る激痛に耐えてまで剣を抜こうとしても、抜けなかった
「――お前、私の部下にならんか?」 ゴゴゴ…! と耳鳴りがする
まさかこれが、こんな野獣のような凶相で言うのが勧誘の心算なのか…!
リーヴァが部下にならないかと発した瞬間、冷や汗がだくだくと流れ出す。だらり、とカモールの体から力が抜けた
「…………それ、絶対に間違ってると思いますよ……」
「? 何? 駄目か……?」
盛大な溜息でカモールは緊張を解いた。このおとぼけ馬民族、一体何をどう勘違いしているのやら
丁度その時、入り口を乱暴に開きながらギルバートが現れた。カモールは視線で指し示す、アイツはどうだよ
この少女は少し常識を知った方が良い。あんな、殺せる物であれば殺してやると言わんばかりに睨み付けられて、竦まない者が居るものか。ギルバートで試せ
そんなカモールの胸中も知らず、リーヴァは今度こそ、と席を立つ。ギルバートは突如として現れた、仁王立ちの格好のリーヴァに、少々意表を突かれたような顔をした
そして一撃
「――私の部下にならんか?」 ゴゴゴ…! と耳鳴りがする
「な……何ぃ?!」 キューンッ!
途端にギルバートの顔に朱が乗った。怒りとかそういうのでは無くて、純粋にリーヴァに漢惚れしそうな感じのそれである
ブフッ、とカモールは口に含んだ水を噴出した。キューンッ! じゃ無いよ大馬鹿
(き、効いてる………)
――
もういい加減帰ってくれないかな
一部始終を見ていてそんな風に、リロイは長机の向こうで呟いた
――
オリジナル逆行20
ドロアは練兵場にて、アルバートとの縁の深さを感じる
広大なそこを駆け抜ける騎馬の一団、それの最後尾にドロアは着いていた。軍が動き始めるのは二日後。その日に備え、懸命に部隊の練度を上げようと苦心するユイカ軍の部将に、ドロアは招かれた
聞けばアルバートの陪臣だと言う。確かに他と比べれば、頼み易いと言った感情も理解できた
「右ぃ! 速さを逃がさず南へ向かえい!」
ドロアが怒鳴りつける。騎馬達はそれに従いぐいぐいと右に曲がった。何時もなら軍の中核か先頭で示す下知だが、最後尾であっては上手く通らない
平たく作られた地を行き、備え付けられた木の柵に木目がはっきり見える位置まで接近。ごぉごぉと跳ね上がる土煙の様子を見つつ、ドロアは次は左に行けと指示した
ちらりと見遣ればランが居る。練兵場の隅で座り込んでいた
「今日は歩兵に足を合わせる必要は無いぞ! 調子に乗れ!」
――
ドロアを招いた将は、ドロア自身より一回り以上年をとっている。しかしそれでも三十そこそこ。経験が備わり、正に人生で最も強い時期に差し掛かる将だ
ドロアは散々に走り回らせた兵達を尻目に下馬し、一礼した。無精髭を生やしたその将は、己が率いる兵達には普段殆ど見せないであろう笑みを浮かべながら、ドロアを迎えた
「いやいや、流石。ドロア殿が最後尾に侍ると言うだけで、こやつ等全く気合の乗りようが違う。感謝いたす」
確かに部隊の尻で怒鳴り散らした物の、ドロアは何でも無い事のようにその言葉を辞した。事実、何でも無い
外の者が本来それを率いる者よりも鋭く隊を動かしては、相手の面子が立たない。この先の指揮、及び士気にもかかわる。ドロアは意識して細かく命令をしないでいた
相手の将もそれを感じているようで、その意味では苦笑も混ざりつつ、ドロアに礼を言うのだった
「下馬ぜよ、全員休んで構わん!」
ふと、思い出す。ドロアが兵達の上に立つようになった時の事だ。何分昔の事であるから、細かい時期までは覚えていないが
あの頃は誰も反抗などしない物の、皆不満がありありと眼に表れていた。随分と居心地の悪い思いを……。否、ドロアはしていない。気に入らない目付きの者は尽く屈服させた。そして戦場では必ず敵の刃を受ける位置で戦い、内外で己の実力を示すうちに、全てが従うようになった
軍略も戦術も学ぶ以前の事だ。他に何も持っていなかったドロアは、渾身の武と命を掛けていた
「お疲れ様。いやさ、全く立派に育っちゃって。ドロアがこう言う事に慣れてるとは知らなかった」
「…まぁな。しかし、俺は本来こういう目的で呼ばれたのでは無いだろう。腕力を買われて兵達と組み打ちでも頼まれるのかと思ったが…、何故こうなっているのやら」
「む、今露骨に話を逸らしたろ」
近寄ってくるドロアをのんびりと迎えるラン。クスクスと笑う。埃っぽい練兵場の土から腰を上げた
「済まん、詰まらなかったろう」
「全然ッ、……息子の成長を間近で見れるって言うのは、嬉しいぞ」
だけど、とランは零す
「なんだか、何と無くなんだけれど……変わり過ぎてしまって、寂しいな、とかも思うぞ」
苦笑いしながらランはドロアの胸をトン、と叩いた
その後結局ドロアは、何人もの兵達を相手取って実戦さながらの訓練を行った
この機を逃してなるものかと、何人も何人も挑んでくるのだから、かなり時間を食った。最後の方はドロアを招いた将までまざり、一対多数での白兵戦である
その真っ直ぐな姿勢と気性にドロアは懐古の念を抱く
自分も、この中で生きていたのだな、と
……………………………………………………
夜になり町に出、ドロアはリロイの酒場が、既に行きつけになっている事に漸く気付いた
意図しての事ではないが、行き着けと言うのはまぁそんな物だろう。ドロアはリロイの酒場に、見知った顔が集っているような気さえした。飽くまで勘だが
(………ランさんも連れてくるべきだったか)
もう道程も中ほどまで来て、ドロアは今更振り返る。思えばこうしてドロアが町に出た時、ランは独りなのだ
今まではそんなに気にもしなかったが、これはランに酷い真似をしている。矢張りエウリの奴を何処にもやらず、ランと自分の傍にでも置いておけば良かったかと、ドロアは頭を振った
「省みすぎているか? この俺が」
再び歩き出して呟いた。自分はここまで、終った事をグダグダと言うような、女々しい男だったのだろうか
――
リロイの酒場に入った瞬間、ドロアは表情に出さずに驚く
もしかしたならばとは思っていたが、まさか本当に居るとは。しかも何の間違いか、リーヴァまで席の一つを陣取ってギルバートと酒戦を争っている
方やドロアのような傭兵を招き、兵を鍛える者が居れば、方や酒場の一角を占拠し、従業員を半泣きにさせている者も居る。最早諦めたような表情で愛想を振りまくリロイを見て、ドロアは眉間を一度だけ揉んだ
ドロアの姿に一番最初に気付いたのは、リーヴァだ。彼女の視界には、しっかりと酒場の入り口が収まっていたのである
「ふ、ク。待っていたぞ、ドロア。ここに居ればお前に会えると聞いていた」
同時にリーヴァは漸く己の時が来たことを感じた。それもそうだ。ずっとこの酒場に居たのは、カモールとどつき漫才をする為でも、ギルバートと酒樽を飲み干す為でもない
この赤い髪の男だけを求めて、ずっとずぅっと待っていたのだ。リーヴァは今しがた己が潰したギルバートを放り出し、席を立った
その行動の速さと言ったら、カモールがドロアに挨拶をする間すら無し
「もういい加減私を焦らすな。お前の為に荷馬車三台分の金銀を用意してきた」
「あぁ?」
リーヴァは椅子を一つ蹴り動かし、ドロアに差し出す。ドロアが相変わらずの無表情でそれを無視すると、リーヴァはそれでも構わないとドロアの頭に腕を回して引き寄せた
「――私について来い、武名と誉れが諸手を挙げて寄って来るぞ」 ゴゴゴ…! とやはり耳鳴りがする
ドロアは無視する。怯みもしない。だが、睨みつけてくる目を、リーヴァ以上に見据え返した
「――そんな事よりも、俺の嫁にならんか? 強い子を産める強い女がよい」
完結に言えば、その一言にリーヴァはブチ切れた
―― メ ゴ !
返事として襲い掛かってきた唸り声を上げる鉄拳を、ドロアは左の頬で受け止めた
――
「え、えぇ?! い、今のって本気ですか?!」
「そんな訳あるか馬鹿者が、とっとと其処で潰れている青二才を叩き起こせ、邪魔だ。リロイ、酒をくれるか」
「あ、あぁ? はい…。冗談だったんですか…」
ドロアとカモールは二人して、今凄まじい勢いでリーヴァが駆け抜けていった酒場の入り口を見遣る。扉の片方が破壊されていた。あれは木板ごと新調するしかない
ガリガリと馬蹄が土を跳ね上げる音が遠ざかっていった。なんか、ちょっと可哀想かな、なんてカモールは頭の隅で考えた
「……幾ら勇将の気質でも、如何せんまだ子供か。………否、俺が期待し過ぎただけなのだろうな、あの女に」
いびきもかかずにぐるぐると目を回しているギルバートを揺すっている最中、カモールはドロアの呟きを聞きつけた。些か理不尽では無いだろうか。ドロアの発言は、全く何の関係も無かったような気がするのだけど
ギルバートは起きない。仕方無いので、カモールは痛い痛い傷を我慢してギルバートを引き摺り、店の隅っこの方に寝かせた
今の今まで気付かなかったが、店の中にはドロア、リロイ、酒場の主人、そして自分以外誰も居ない
やっぱり騒ぎ過ぎだったか。カモールは幾つもの意味を篭めて、盛大に溜息を吐く
……………………………………………………
で、ドロアを打ん殴ったリーヴァは、夜になってもまだ仕事の消えぬ、軍師ダナンの所に押しかけていた
「あの無礼者が、人がどんな気持ちで待って居ったかも知らぬ癖に、いけしゃあしゃあと下世話な話をしおって…! 何故私が動揺せねばならんッ」
「戯け、動揺する方が悪い。そんな事で責任ある立場が務まるのか?」
「勤め上げている! 何だ叔父貴殿、私の仕事に何か文句でもあるのか!」
「無い。過不足なくこなしておるな。だが、態々ここまで愚痴を言いに来るでないわ」
リーヴァの氏族は、ダナンの族と呼ばれる。軍師ダナンの兄が馬民族の女に恋をし、終いには実力で氏族長の座を受けた事から、ユイカの内では現リーヴァの氏族をその当時から既に名の売れていたダナンのそれをつけて呼ぶようになった
リーヴァの目も髪も爪も肌も全て馬民族の物だが、血は半分、ユイカのそれが流れている。血縁であった
「何が不満だ…。叔父貴殿、私はそんなに無能に見えるか?」
「見えぬ。見えぬが、それだけが仕える理由にはなるまい。そのドロアとやらは、己の生き方をしている。その生き方が、お前の生き方と重なっておらんだけだ」
上に立つ風格を身につけたかと思えば、男一人の事でここまで揉める。ダナンは、幼い頃から幼くなかった兄の娘がこうまで荒れるのを初めて見た。やれやれ
ドロアとやらの顔を一度拝んでみたくなった。ダナンは、執務を一切の停滞なく続けながら、それでもしっかりとリーヴァに応答する
血を分けた者の忘れ形見だ。どうして可愛くない筈があろうか。ダナンは、ふ、と少しだけ笑った
「それにしても、あぁだこうだと騒ぎおって。お前は恋する乙女か、生娘でもあるまいに」
「な…! 私は生娘だ叔父貴殿!」
「ぶ、ば、馬鹿者。大声で何をほざく」
……………………………………………………
ギルバートを起こしたのは結局、ドロアの拳骨だった
ひりひりと痛む脳天を押さえながら、ギルバートは大人しく肉を食っている。ドロアはやれやれとでも言いたげな表情で、静かに酒を呑んでいた。カモールが酒の相方だ。傷に障らぬ程度である
「全く、好き勝手騒いじゃって。ギル君ってこう言う事になると本当に子供みたいなんだから」
「済まねぇ、リロイさん。いやぁ、あのガキ酒強ぇよ。この俺と同じ量を呑んでるのに、まるで酔っちゃいねぇんだから。…あっ痛ぅ~」
何時だって子供だと思うがな。ふと、ギルバートの情けない横顔を見たドロアは、しかしその思考を打ち消した
(うん、子供だと思っていたが……)
どうであろうか。もう、おおっぴらに子供と馬鹿にする事は出来ないのでは。そう思わせる程、ギルバートは逞しくなった気がする
体の事ではない。たしかにそれもあるのだが、もっと根本的な物だ。人間としてギルバートは逞しくなった。堂々と男の太さを誇れる、そんな風に
結構な事よ。ジーッと自分を見つめるドロアをギルバートが訝しんだ時、若い声が場に響いた
「たのもぉー!」
現れたのは傷だらけの革鎧を着込んだ男だった。いや、革鎧だけではないか。本人もかなりの傷を身に受けているようで、どうしても荒い戦いの匂いを振りまく男だ
ドロアと同年か、それよりも下。楽しげに笑いながら、男は言う
「ここにくりゃぁ、ユイカでいっちゃん強い男に会えるって聞いたんだがよぉー!」
あぁ? と柄の悪い声を上げてギルバートが立ち上がった
「俺はクラード! 今をときめく『血風』ドロア殿はいらっしゃるかい?!」
――ランク「血風ドロア」
…………………………………
まぁ、こんな日もある。
リーヴァはもうちょっとの間ツンツンしててくれ、とか思いました、すいません。