階段を降りきった瞬間に、ドロアに向かって人影が飛んできた
向かってきたとかそう言うのではない。言葉通りに、飛んできた
「ぬぐッ」
咄嗟に受け止めたのは良い。問題はその後だ。怒声に目を上げてみれば、其処には長剣片手に踏み込んでくる大柄な傭兵が一人
「邪魔よォッ!」
しかも今しがた降りてきたドロアごと抱え込んだ者を斬ろうてか、何の迷いもなく剣を振り下ろしてくる
足を振り上げる。ブーツは鉄板入りの特性だ。体勢の崩れている今、退くに退けず、前にも出れず、であればこの傭兵の太刀、真正面から受け止めるより他無い
ガン、と言う衝撃は予想以上に重かった。ドロアは蹴り払ってその剣を跳ね飛ばすと、問答無用で傭兵の顔面を殴り飛ばした
同時に抱きかかえていた人間を降ろす。足手纏いだ。一階は、乱戦の様相を呈していた
「こンの野郎……いきなりしゃしゃり出て何をしやがるッ!!」
ドロアに殴り飛ばされた傭兵が起き上がり、折れた歯を吐き出し、灰色の髪を振り乱して吼える
俺ごと斬ろうとしておいてよくもまぁそんな事が言えると、ドロアは机の上に置いてあった銀細工の壷を手繰り寄せながら思った。ここいらの感性は、ドロアにはよく解らない
ただ解るのは、今のでドロアが完全に敵と認識されたと言う事だ。何の事もなかった。乱闘とは、何時もそのように拡大していく
「貴様が其処で暴れている連中の首魁か」
「馬鹿め! 一対一でそんな些事は関係ない!」
傭兵が踏み込んだ。戦士の技は流石に早い。当然迷いも無かった。一撃を真正面から食らえば死ぬ
だがドロアと競うにはまだ足りん。ドロアは傭兵の渾身の身の振りも、剣の早さも平然と無視して、銀細工の壷でその面を張り飛ばす
おまけとばかりにその頭を掴んで床に叩きつけた。木の床にメリメリと言う異音が走ると、その姿は歪んで割れてしまっていた
「でかいのは威勢だけか?」
返答は無い。泡を吹いて意識を失っている
ドロアは気絶した傭兵達の首領と思われる者を放り出し、今の一撃で乱闘も止め、静まり返った場に怒鳴った
「兵士が来るぞ! とっ捕まりたくなければ争いなぞ止めて、尻に帆を掛けて逃げよ!」
弾かれたように傭兵達は動き出した。気絶した首領を抱えて、大慌てで逃げ去っていく
そして本当に兵士が現れた。街でこんな騒ぎを起こせば当然だ。それにしても、動きが早い
ドロアは先程自分に吹っ飛んできた人間に歩み寄った
それはユイカには珍しい短髪の、旅衣を着込んだまだ若い女だった
「…女?」
……………………………………………………
「で、何故俺が捕まっている」
「知るか、派手に暴れたせいだろう。お前ラグランに来てからまだ三週間も経ってねぇのに、三回も牢屋にぶち込まれるってのはどうなんだよ、無双の傭兵として」
「内二回はお前もだろうが」
「五月蝿い」
最早見慣れたラグランの牢屋で、ドロアはギルバート相手に不毛な言い争いを続けていた
ドロアは事の後、真っ先に捕まった。自分はほんの一人を殴り倒しただけなのだが
そしてドロアに吹っ飛んできた女もまた、ドロアとは別の牢屋に入れられている。見て居た者によれば、一番最初にあの女が傭兵の首領に切りかかったらしいが
どの道、女が気絶している状態では聞ける筈も無かった
「…納得行かんな」
「だぁ、一日くらい我慢してろよ! 親父が何だかんだやってるから、どうせ直ぐ出られるだろ」
「? アルバート殿が何故…?」
「け、一時的に俺の面倒を見るんだとよ。あー胸糞悪い。お前は首を突っ込むな」
ギルバートの物言いにカチンと来たドロアは、意地悪そうに鼻で笑った
「アルバート殿の子守り付きか。如何にもお坊ちゃまで可愛いなお前は」
ギルバートの目が据わった
オリジナル逆行13
鉄格子を挟んでドロアとギルバートは押し合った。力比べ再びである
勿論棒は無いから、ドロアとギルバートはガッシリと手をつかみ合って、そのまま押し合っている。鉄格子の間から手が出る余裕があれば十分だった
あらん限りの握力で互いの手を握り締めながら、あらん限りの腕力で互いを押し合う。棒は折れるが、二人の手は折れない。加えて心も折れないとなれば、この勝負何時まで続くのか予想できなくなる
勿論双方引く気は無い。二人が空いた手で握る鉄格子の方が、曲って折れてしまいそうだった
「この野郎、良い度胸じゃねぇか、毎度毎度人の親父を引き合いに出しやがって…!」
「お前がそれを一々気にするのは、アルバート殿に情けない引け目を感じているからだろうが、この未熟者め…!」
ドロアは何とも自分らしくない事をよく自覚していた。下らない挑発をしてこんな力比べに持ち込んだ。鬱憤が溜っているのか?
もしかしたら、乱闘騒ぎなんて物に巻き込まれたせいで知らず血が滾っているのか
確かな事は、こうやってギルバートと競う事が、面白くて仕方無いと言う事だった
だがそれに水を差す人物が現れる。当のアルバートだ
「何をしておるギル。囚人への暴力は棒罰だぞ」
「げ、親父?!」
アルバートの登場で、自然二人の争いも止まる。がっくりと来る感じである
極最近にも同じ様な事があったなと、ドロアは不満気に息を漏らした
……………………………………………………
「例の娘が目を覚ましたので、貴殿にも報せるべきかと思ってな」
「……まぁ、今回の件、元はと言えば俺はその女の起こした乱闘に巻き込まれた訳ですからな」
平然と乗り込んでいったのだが、其処は伏せておく
「それで結局、何故あの女は傭兵団の頭なんぞに襲い掛かったのです」
「仇討ちと本人は言っておる。親の仇だそうだ。仇の名はアイゲン。灰色の髪をしているから、それなりに目立つ」
「…俺が殴り倒した男も確かに灰色の髪をしておりましたな。砂漠の国の出か」
南方の砂漠の国の出身者には、不思議と灰色の髪が多い
アルバートとドロアは薄暗い廊下を歩き続けながら話した。その直ぐ後ろを、気にいらなそうな表情でギルバートがついてくる
ご大層な事だとドロアは思った。今の世、仇討ちは義士の行いとして広く容認されてはいるが、実際に血縁の者を殺されたからと言って実行する者は少ない
いや、居ないと言う訳ではないが、仇討ちの相手を探し出し、己の手でそれを殺すとなると、余り現実的ではないのだ。日常の全てを捨てなければ大勢の中の人一人を追い続ける事など出来ない
アルバートは更に続けた
「私の立場としてあの娘の仇討ちを止める事は出来ぬ。が、アイゲンはあの娘の話とは別に、咎人として追われておるのだ」
「…罪状は?」
ギルバートが忌々しげに口を挟んだ
今の彼にとって忌々しいのはドロアではない。アイゲンと言う灰色の髪の傭兵が行った、罪の所業だ
「山賊行為だ。野郎、反吐が出やがるぜ。どうせ海洋諸国…」
「ギル!!」
アルバートが怒鳴る。ギルバートにそれ以上機密を漏らしてもらっては拙い。ドロアは傭兵だ。ユイカの兵では無いのだ
ギルバートを一喝すると、アルバートはそれだけで何も気にしていない風に前を向いた
ドロアは聞かなかった。どうせ口を割らないと、解っている
「ここだ」
アルバートが牢屋とは違う、尋問室の鉄の扉を開いた
……………………………………………………
「御免」
机を挟んでドロアと向かい合った女は、ゴン、と机に頭を打ち付けて、ドロアに詫びた
女はエウリニーゲと名乗った。エウリは血と泥に塗れた装いであったが全くそれを気にした様子も無く、ただ頭を下げていた
――
「俺の親父は、元は何処か別の国の兵士だったんだ。それが村に流れてきて……その時に、俺は親父に拾われた」
短髪の頭を抱え込むようにしながら、エウリはぽつり、ぽつりと語る
彼女が語る限りでは、エウリはどうやら親を持たぬ子であったようだ。ドロアはその境遇を知っていた。他の何でも無い、ドロア自身がそうである
「あいつ等が村を襲ってきた時にも、親父は一歩も退かないで戦ったんだ。故郷でも何でも無いんだ、逃げちまえば良かったのに……」
「歴戦の誇り高い兵は、ここぞと言う時決して退きはしない。お前の親父殿もそうだったのだな」
「…でも、殺されちまったよ………」
エウリはそれっきり俯いて、何も話そうとはしなくなった
ドロアは部屋の隅で聞いていたギルバートに問う。質問の内容は、アイゲンの行方だ
「何処かに身を隠しちまった。アイゲンの傭兵団の連中は粗方捕まえたんだがなぁ……。今は手の空いてる兵が総出で探してる最中だ。あのカシムとか言うオッサンも間諜を使って動いてるらしいから、どうせ直ぐ見つかる」
「しかし何故、そんな男をむざむざとラグランに入れたのだ」
「アイゲンがラグランに来た時は、まだソイツが山賊野郎だったなんて報せは入ってなかったんだよ」
ドロアは一つ勘違いしていた事に気付いた
エウリの父が殺されたのは、つい最近の話なのか
アルバートが低く言う
「国内の情報伝達が遅過ぎる」
――
結局聞けた話はそれだけで、ドロアは釈放された
その折、ドロアはアルバートから一つ頼まれた。それは、エウリの監督である
エウリの目的が仇討ちであるからして、ユイカ軍に任せて大人しくしていろと言っても絶対に聞くまい。ならばその監視をしてくれと頼まれたのだ。いっその事、アイゲンを探し出して殺してくれても良いぞとアルバートは言っていた
普通であればこんな頼みは絶対に受けない。しかし、相手は他ならぬアルバートだ。ドロアは断りきれず、結局彼女の面倒を見る事になってしまった
何より、ランに無承諾のままなのがドロアには痛い
「……ふん、相も変わらず、アルバート殿はどうこう言っても女に甘いな」
エウリの身の心配など、本来ならアルバートはしなくても良いのだ。それを態々、このドロアに守らせるような真似までする
“以前”でもこんな感じであったような気がする。アルバートは親馬鹿だったが、それと同じくらい妻を愛していた
帰り道も半ばまで来た時、エウリが口を開いた
「なぁ、アンタ、御免な。迷惑かけ続けで…」
「お前が言う事ではない。お前の面倒を見るのは、アルバート殿が仰られたからだ。侘びも礼も全てあの人に言うのだな」
「…解ったよ。だけどアンタ、冷たいな」
エウリが立ち止まる
「何がだ」
「声と、口調」
「その歳、その境遇で優しくされたい訳でも無かろう。……ん? お前、年は?」
「………さぁ、十六~八くらいだ。今まで特に気にした事も無かったから、よく解らない」
そうか、と呟くと、ドロアはエウリに歩くよう促す
世に出るには十分な年齢だ。今更余人の口調だの何だの程度で、女々しく言う事もあるまいに
ドロアは背後にエウリが着いてくるのを確認しながら、漸く家に辿り着いた
「子供のように甘やかして欲しいならランさんに頼め。仇討ちの為に日常を捨てたなら、見栄と外聞も捨ててしまって構わんだろう」
「ランさん…?」
「義母だ。俺が早々に巣立ったのがご不満のようでな。子を甘やかしたい時期なのかも知れん」
エウリは開かれた扉を見ながらも立ち竦む。それはそうか。ついた途端に、こんな訳の解らない台詞を吐かれたら、誰だってそうであろう
ドロアは腕組みしてエウリが中に入るのを待った。そんな様子を見てか、エウリが一言
そんな真顔で言うなんて
「アンタって解らない人だな」
笑った。エウリはドロアが見る中では、初めて笑っていた。ぼんやりと、何処か遠くを見ていたような精気の無い瞳が、今は確りとドロアを映している
だが、ドロアの無骨な慰めは、どうやらエウリには届かなかったらしい
――ランク「引く手あまた」
…………………………
来週と言いつつフェイント 同じネタだが私は(以下略
決してGWだからと調子に乗っている訳ではありません。
そして、ゴムさんの忠告をありがたく受け止め、猛省する次第です。どうもありがとうございました。
また明日にでも会いましょう。嘘ですが