「良い気分だったぞ」
王城門を越えて直ぐの石畳の上でルルガン王
ドロアは頭脳の中であるがままに言葉を見比べてみても、どれも抜きん出る物が無い。それは即ち、今は目の前の男に捧げても良い言葉が無いと言う事だ。ルルガンの少しの遠慮も無い視線に顔を上げられないドロアは、跪きながらそう自問自答した
「兵達にはそれぞれ昇進と金を褒美に与えておいた。さて、主要を担ったお前達には、どんな見返りが似合うと思う?」
正面のカモールとその横のギルバートは身じろぎもしなかった。ルルガンの言葉の意味を図りかねている
褒美が欲しくて戦った訳では無いが、傭兵の身で清廉を気取っても意味は無い。さして興味の無い物でも、受けて置いて損は無いだろう。いや、いっその事、受けて得になる物でもねだって見るか
不遜であろうが、これで良い。大義、正義と口に出すのは数度。胸の中でそれが炎の如く燃えていれば、後は迷わず進める
ドロアは例え“以前”の全てを裏切っているのだとしても、思うままを貫けば良いのだ。ドロアはドロアのままであれば、ただそれだけで恥じ入る事は何一つ無かった
(……ではルルガン王。貴方は今、どんな様子で居られる)
そうすると、無性に今のルルガン王の事が知りたくなる。声に混じる自信だけは今も“以前”も変わらないが
だが、今はどんな目で世を見ていらっしゃるのか。今はどんな風に部下に下知を下されるのか
ドロアは固く目を閉じた
「うーむ、………よし」
ルルガンがツンと上向き、見下ろすように視線を使いながら、眼を細める
「ではカモール及びギルバート、お前達二人は今日から俺の軍団で部将として禄を食め。このルルガンは若い可能性には甘い、そこで軍才を魅せよ」
「ッ! はっ!」 「あ、在り難き幸せ!」
大抜擢。部将とは言っても使い走りと大差無い待遇であろうが、一兵士からの出世と見れば大した物だ
だが大した物でも、それほど珍しい話ではない。今のユイカであれば寧ろこのような事例が無かったのが奇妙とも言える。それに、問題があればそれは別の類だった
当然ではあるが高々一部将とは言えその責務は甘くない。無学の者が一念発起しただけでこなせる仕事では無いのだ。学ぶべき事が多々あるし、ドロアとてそうだった
では、このカモールとギルバートにそれを躾けるのは誰か。ドロアはふと頭を巡らせる
「そしてドロア。お前、俺の傍を護らんか? 破格の待遇を約束しよう」
ルルガンの言葉をドロアは意図的に聞かないようにした。ここいらは、理屈ではない
考えが行き着く。此度の遠征、確かルルガン王の軍団には、あのダナンが軍師として付いていた
成る程、ダナン軍師に押し付ける心算か。見聞きさせ、指導し、学ばせるには良い人事やも知れぬな
胸中としては複雑。嘗ての味方であり、敵であり、そして今またユイカの為に尽くす軍師。こういう状況は、一体何と言い表せば良いものか…
ドロアは立ち上がって一つ頭を下げた。口から漏れ出た言葉は、全くの無意識の内だと言うのに、少しも淀みなかった
「残念だが、俺ではルルガン王殿のお役には立てますまい」
此度の褒賞は、ルルガン王直々の誘いを一蹴する、その無礼とで相殺よ
オリジナル逆行11
「固い男だな。取り付く島も無いぞ」
むん、と唸ってルルガンは呟いた。ニヤニヤと石畳の上に胡坐をかく姿は、全く以ってその性質を掴みがたいと感じさせる。なんとも言えない突拍子の無さがルルガンにはあるのだ
ルルガン王の誘いを蹴ったドロアの事、その心象を悪い物にしない為にはどうすればとカモールは必死に考えながら、額を石畳に付けんばかりに頭を低くする
カモールにしてみればそんな事をする義理は無い。だが彼女は生来、他人から良く言われる損な性格をしている。面倒見が良く、節介を焼きたがる。もし道端で倒れ伏す病人や怪我人がいたら、カモールはそれを救う為に命がけだ
だから、今度のドロアの無礼な態度も何とか擁護しようと考えた。しかもカモールにとってドロアは赤の他人ではない。恩人であった
しかし、ルルガンはそんなカモールの胸中も知らず、あっけらかんと言って見せる
「よし、カモール」
「はッ!!」
「お前に与力を一人まで認める。あの男を口説き落とせたら、そのままお前の副官として養っても良いぞ」
カモールは眼をぱちくりとさせた。そのまま迂闊にも、許されて居ないにも関らず顔を上げてしまい、カモールは慌ててまた下を向く
怒っていないのか?
一瞬だけ見たルルガン王は胡坐の上に頬杖をついて矢張りニヤニヤと笑っていた。カモールの確認できたのはそれだけである
ルルガン王の言う意味が咄嗟に噛み砕けず、カモールは必死に頭を回した。簡潔な筈のルルガンの言葉がやけに難しく感じられ、簡単な一つの答えに辿り着くのに、カモールはかなりの時を要した
「あの男、軍略はどうか知らんが武は凄まじい。上手く使いこなし、駆り立てる事が出来れば、もしやお前今年の内に二つ名持ちの将軍に成り上がれるかもしれん」
わっはっはっは、何て、豪快に笑いながら言う。カモールには冗談なのか、本気なのか、全く判別出来ない
と言うか、カモールは今理解した。真正面からこの君主と対峙すれば、自分はただただ振り回される事になるだろうと。役者が違うとかそういう話ではなくて、そういう相性なのだ。こればかりはどうしようもなかった
ザ、とルルガン王が立ち上がった。何も言わないと言う事は、このまま平伏していろと言う事だ。ルルガン王が背を向ける気配がするが、カモールは平伏したまま送る
「俺はもう行く。お前達も今日は宿舎にて沙汰を待て」
つい先程の事など無かったかのように、ずんずんとルルガン王は歩いていく。忙しい身で、よくもまぁここまで時間を割いてくれた物だなんて考えながら、カモールは漸く安心して思考に没頭していく
誰を誰の副官にだって?
あのドロアをこのカモールの副官にだって?
――何を馬鹿な事を。大体、ドロアにしてみればこんな小娘を相手にする理由があるまい
――しかし、もしかすると、もしかしたら? もし、ユイカ国ではない、カモールへの仕官を、あのドロアが認めたら?
かなり遠くまで行ったルルガン王が、ふと振り返って叫ぶ
「それとな、ギルバート! 今回の貴様の人事には、親父は関係しておらんからな!」
隣でガバ、と顔を上げるギルバートに、カモールは良かったね、なんてお座成りな台詞をうわ言のように考えた
――例えルルガン王が本気でなかったとしても、言質はとった事になる。許されない何て事は無い筈だ
――と言うか――お墨付き
ルルガン王の背中が視界から消えた時、カモールとギルバートは一緒になって飛び上がった
「「いよぉっし!!」」
……………………………………………………
異例の人事の起きた三日後、内々的な処理の御蔭で、己の身近で大事件が起こったなど、少しも気付かなかったリロイは、まだ日も高い内からカウンターに居座るランに掛かりきりだった
「ランさん…ほら、もうそんなに泣かないで。ドロアさんだって良い年した大人なんですし、四ヶ月と半月働き詰めだったんでしょう? そんな事もありますよ」
「ドロアはまだ十八歳だ! そ、それなのに……」
「え…? じ、十八歳?! 私より二つも下なの…?!」
ランはホロリ、ホロリと涙を流しながら、次々に酒を注いでは、片端からその酒杯を空にしていく
かなりの勢いだった。ランがこの酒家に来るようになって早二週間。数少ない女性客ともあってリロイとランは直ぐに打ち解け、リロイはランの人となりも大分知った心算だったが、だからこそ飲みすぎだと解る
漏らした溜息はもう数え切れない。ランがどんよりとした空気を纏って現れ、蚊の羽音程度の声で「ドロアがグレた…」なんて泣き出した時、自分はもうとっ捕まっていたのだなと、リロイは思った
(別に良いじゃない、楽夜街から帰って来ないくらい。まだ一週間とか、そんなに経ってる訳じゃないんだから)
楽夜街とは、ラグランの歓楽街にあるとびきりの娼館通りの事だ。ドロアがそこに行ったまま帰らないと言うなら、女遊び以外に考えられない
(ランさん、こんなのはオトコの甲斐性ですよ……。しかし、十八歳かぁ……)
こっちはこっちで、リロイにとっては衝撃の事実である
……………………………………………………
「追い撃つ戦いと言うのは追う側にしてみれば存外に戦い難い物だ。逃げる時とは大抵兵は傷つき、士気は低下している状況だが、上手くやれば被害を抑えられる事もある」
「あ、ハイ。ダナン軍師も似たような事を仰っていました。確か、敵に背を向けたまま敷く陣とかもあるんですよね?」
「そうだ。追撃は機動力のある騎兵が行うのが常であるから、専ら対騎兵の物が多いな」
楽夜街の一角にある上品な酒家で、ドロアはカモールに講釈を垂れていた
机を挟んでドロアの話を聞くカモールは、最初はこんな事をしに来たのではなかった。ここ数日、ドロアの前に現れては副官を務めてくれと頭を下げているのだが、何時もドロアが断り続ける内に、こんな風に話がすり替わってしまうのだ
今ではカモールは、勤め先の上司である軍師ダナンとドロアの両方に、昼夜を問わず軍学を学んでいる状態であった
「……で、…それはそうとして、……そろそろその、目のやり場に困るんですが…」
一舐め、二舐めと、僅かずつ酒を呑んでいたカモールが、そう言って唐突に話を変える
原因はドロアの周りに侍り、しな垂れる艶やかな美女達だ。人差し指と中指で自らの口を押さえ、クスクスと妖しく笑う彼女達は、カモールと然程歳の変わらない者も居れば、深い色香を放つ妙齢の者も居る
共通しているのは、誰もが皆とびきり付きの美女と言う事だ。望めば閨の共から酒の相手までしてくれる彼女達は、楽夜街の高級娼婦だった
ドロアがカモールに向かって、まるで平静に言う
「恩知らずだな、お前は。彼女達は勉学に勤しむお前のために、態々こうして口を噤んでくれていると言うのに」
なぁ、とドロアが問えば、彼女達はニコリとしながらウンウンと頷く。その仕種一つをとっても上品な感じが漂う。媚びるだけではない彼女達は、とても高いのだ。一人一人にそれなりに金がかかった女性達であった
「でも……いくら楽夜街って言ったって、そんなに女性を引き連れてるの、ドロアさん以外に居ませんよ。欲張りすぎですって」
カモールの声が上擦る。どうやら先程までは、出きる限り意識しないようにしていたらしい。娼婦だ亡八だと騒ぐような潔癖症では無いようだが、免疫があると言うわけでも無いと見える
ドロアは腕組みする。そして暫し熟考
その後にドロアが吐いた言葉は、何時もの彼には似合わない曖昧な口調だった。ドロア自身疑問を感じているような
「……俺が最初に酒の相方を頼んだのは、一人だけだったと思うのだがな」
「へぇ、………モテる男は辛いですね、ドロアさん」 カモールは少しだけ理解する
勝手について来た訳か。玄人の、娼婦らしくない真似をしたのは、彼女達自身も自覚しているらしい
客を選んでついてきた彼女達は、そこで初めて声を発し、たまには良いじゃないと笑った
「長くこの仕事やってると、良い男はついつい気合入れて相手したくなっちゃうのよね。やっぱり、何度も来て欲しいじゃない」
一人が言った台詞に、彼女達はまたもやウンウンと頷く。本気ならば大した職業精神だと褒める他無い
こんな事を言われたら、大抵の男は一発だろうよと、艶やかな娼婦達の心の中まで読めないドロアは思った
……………………………………………………
アルバートは差し迫った執務の大半を片付けると、夜半の無礼を承知でダナンの執務室を訪れていた
「どうされた、アルバート殿」
低い声で羊皮紙の山が呻く。性格にはその中で仕事を続けるダナンだが
アルバートはまず詫びた。仕事の邪魔をして済まぬ、その思いを正に「済まぬ」の一言で片付けると、ダナンは「詮無き事」と言い捨てた
「最近抜擢された将の様子を聞きたい。ダナン殿が指導しておられると聞いた」
ふむ、とダナンが頷く。羊皮紙に囲まれた中で筆が猛然と往復する音が鳴り続け、アルバートはどんな問いを投げかけられても平然と仕事を続けるだろうダナンの禿頭を、ハッキリと想像する事が出来た
ダナンは筆と口を同時に動かした
「悪くは無い。二人ともそれなりに能はある。どのような伸び方をするかまでは未だ解らぬが、全く使えぬと言う事は無いだろう」
「やってゆけるか」
「うむ。…得にカモールと言う娘は面白いぞ。まるで未熟者である癖に、時折幾度もの死地を駆け抜けた歴戦の猛将のような事を言いおるのだ。あの気質は意外に新生ユイカ軍と合うやもな」
ダナンは付け加えるように、「今は件のドロアとか言う男を口説きに行っている」と言った。「どうせ、今日も鳴かず飛ばずであろうが」
ギルバートは沈黙した。ダナンは、そんな様子など気にも留めず仕事を続ける
今のダナンに一瞬たりとも暇な時間など無い。元よりルルガン王と遜色無い激務をこなしていたのが、厄介な事に新人を二人も押し付けられたのだ。その苦労は更に増えた
だが、例え如何なる重責、苦難であろうと、それが実現可能な事であるのなら、眉も動かさず達成してみせるのが軍師と言う物だ。仕事が面倒だなどと、ダナンは思うはずも無い
平坦な口調のままでダナンは話した。ダナンがギルバートの名を口に出し、既に堂々と兵を率いる胆力のある彼の者は、手勢を持たせて賊の討伐に向かわせたと言うと、アルバートは俯いて右目を固く瞑る
ダナンは知る由も無いが、アルバートが照れ隠しの為に無意識に行う仕種だ
アルバートは、自慢の息子が既に将として立派に責務を果たしていると知ると、何とも誇らしい気分になるのだった
――ふと、ダナンが言った
「そういえばアルバート殿、ルルガン王より、貴殿に口頭でのみ伝えよと言われておる事がある」
「…む?」
「海洋諸連合国の事だ。このユイカで、大分好き勝手にやっていたようだな」
――ランク「正義のマザコン戦士」→「非行青年」
…………………………
ドロアがグレた…………
身に余る感想の数々、どうもありがとう。しかしドロアがつんでれとは、これはまた新しい境地だ(何
また近い内に会いましょう