さて、二日目の迷宮探索も幸いな事に無事終了し、社内に戻ったよしおである。
今回の迷宮探索で入手した資源を手に、早速総務へと換金手続きの為に急ぎ、彼は10840マネーをその懐に納めた。
今朝のような使い方をしてはならない。このお金には言語を超えた粋な友情が詰まっているのだ。
本当に必要なものの為に使おう、とよしおは決心する。
続いて彼が向かったのは購買である。
購買では迷宮探索に必要な救急セットやアウトドア用品、刃物や銃器などの武器、安全ヘルメットや防刃ベスト、ガスマスクなどの防具、果てはテレビやパソコンなどの家電用品など品揃えが豊富に揃っており、まるで何処かのデパートのような広いスペースが取られている。
武器や、防具の置いてある一角を除けば現代日本と同じような製品が置いてある事によしおが既視感を感じてしまうのも仕方のないことだろう。
「お会計合計で1960マネーになりまーす。ありがとうございましたー」
まず先にとよしおは最も安価な救急セットを二つと簡単な食料を購入する。
水分補給用の飲料水などは購入しない。
今朝、購買で飲料水を購入するお金すら持っていなかったよしおは社内の自販機近くのゴミ箱にてペットボトルを入手。
トイレの洗面器で無料で飲料水を確保していた。
周りの人からジロジロと見られたが、いつ死ぬか分からない迷宮探索に恥など不要。
そんな物は迷宮内でポチにでも食わせてやったほうがマシである。
安価な2500円の掃除機を買う母を親に持つよしおである。
食堂での失態はあったが、その節制意識を持つ母の遺伝子は確かに彼にも継承されていた。
とりあえず迷宮探索に最低限必要な物資を購入したよしおは、ブラブラと購買内の商品を見回る事にした。
テレビ、パソコンなどの家電製品に加え、現代日本では見る機会の殆どない実際の銃器や武器としての刃物など買えなくても見て回るだけでも楽しいものである。
よしおは時間を忘れ、購買の散策に楽しむのであった。
展示用のテレビに流れる巨大な人型ロボットが手から何か体に悪そうな光線を放ち、目の前の恐竜型の巨大生物がその光線接触した瞬間、光線に含まれる何らかの物質αが励起状態から基底状態に戻り、ΔEのエネルギーを放出する事で爆発を起こす子供向け特撮番組をぼんやりと眺めるよしお。
「先に行け!俺は敵の兵糧にダメージを与えてから向かう!」と肥満体質のイエローがカレーの匂い漂う敵アジトの食堂へ突貫していき、[決死の覚悟で仲間達のために敵のアジトに残ったイエロー。彼の運命や如何に!]とナレーションが流れたところで番組は終了した。
続いて、ボウリングのように投手が転がした球を別の選手が前方へ蹴り飛ばすという何かのスポーツの番組が始まった事でこの場を立ち去ろうとするよしお。
そんな彼の目に何かの製品が派手展示された一角が移る。
(これは…ボイスレコーダーか?)
もしかしたら大特価セールなのかもしれない。
製品のサンプルを手にして、値段を確認する。
(一番安いので3980マネーかぁ)
よしおはその場にしばらく留まり、思考を続ける。
このボイスレコーダーが言語の習得に役立つのではないかと考えたのである。
よしおは現在翻訳機の役目となっているピアスを耳につけており、これのお陰で日本語へと変換され、相手の言葉を理解することができる。
これを外してしまえば、耳には公用語そのままで伝わってしまい、よしおは相手の言葉を理解できない。
これを利用するのである。
ボイスレコーダーに誰かの声を録音し、ピアスをつけた時とつけていない時に聞こえる声を比較する事によって、言葉の意味を理解しようというのだ。
友人に言葉を教わるのもいいが、相手の都合を考えず四六時中教えてもらうというのも失礼だろう。
よしおはかなり迷ったが、このボイスレコーダーの購入を決めた。
そして、早速購入したボイスレコーダーを何かの映画を流している展示品のテレビの横に置き、録音を開始し、映画を楽しむよしおの姿があった。
■現在の 所持金は 4900マネー です。■
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翌日、よしお達新入社員は本来の集合時間には早い早朝に呼び出され、迷宮前へと集合していた。
「一体何が始まるんです?」
「第三次新人研修だ」
新入社員の一人が質問し、教官がそれに答える。
新人研修最終日である本日。
教官から説明された最後の課題というのは地下4階の拠点まで新入社員の力のみで辿り着き、そこに駐在する担当員より判を貰い、帰還せよというものである。
初日、1日目は入り口から1時間程度で辿り着ける地下2階の採掘場にて採掘を行うというのが課題であった。
対して、今回の課題である地下4階の拠点までの到達はモンスターの遭遇率にもよるが慣れている社員でも3時間半程度かかる。
地図は配布されているものの、慣れていない新入社員ではそれ以上の時間がかかる事は間違いないだろう。
「地下3階と4階に出てくるモンスターは地下1、2階に出てくるものと比べて強いぞー。お前らーちゃんと教科書読んで予習してるかー?」
(拙い…忘れてた…)
ボイスレコーダーに録音した言葉の勉強に夢中で、予習の事など頭から抜け落ちていたよしお。
とは言っても、文字の読めない彼が満足に予習など出来なかったであろうが。
だが、そんな青褪めるよしおとは対照的に他の同僚達は何か不安はなさそうな表情である。
各々がしっかりと予習していたというのもあるが、やはりよしおの存在が大きい。
大丈夫!俺たちのエース、桃色回路さんがいるよ!なんて同僚一同は思っていたのである。
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「ダニー、グレッグ、生きてるかぁ!?」
「あ"ぁ、な"んとかな"ぁ」
「上から来るぞ!気をつけろぉ!」
「こっちだぁ、越前…」
「何だ、この階段は!?」
「兎に角入ってみようズェ」
迷宮に潜って2時間半、ポチや天井に張り付くトカゲに何度か襲われ、多少危ないところはあったものの人員の欠損無くなんとか地下3階まで到着した一行。
ここから先は予習していないよしおにとってはいよいよ未知のエリアである。
どんなモンスターが来るか分からないという恐怖は自然とよしおの心臓の動きを早くさせた。
早くなった鼓動が落ち着かないまま15分ほど通路を歩き続けているが、今の所モンスターとの遭遇はない。
パーティにも張り詰めた空気が少しながら緩くなってきた所である。
このままモンスターに遭遇せずに拠点まで到達できるかもと少しの期待をしていたが、
「“共鳴無惨”ーッ!後方ッ40メーターッ!」
と後方の同僚が恐怖を含んだ大声をあげたことにより、驚いたよしおは心臓が止まりそうになる。
後ろを振り返ると2メートル近くの体躯と大きな腕を持ち、頭の大部分を左右に大きく分かれた口とそれに並ぶ牙が占める二足歩行の毛むくじゃらの何かがドスンドスンと音を立てながらこちらに向かってくる。
更に
「ッえあぁ!?前方も!?“酩酊蜂起”ッ!――2体ッ!」
と先頭からも大声。
モンスターの挟みうちに一気に混乱状態へ陥った新人パーティ。
混乱したパーティを復帰させようと落ち着けと叫ぶ者。恐怖に悲鳴をあげる者、尻餅をついて動けない者、現実を直視しないよう頭を抱えて蹲る者。
初日の桃色暴動遭遇時の様に一気に絶望がパーティを支配する。
そんな中、よしおはこちらに向かって確実に距離を縮めてくるあの見るからに凶暴なモンスターを視界に入れて、他の同僚達同様混乱状態に陥っていた。
(無理ッ!マジかよッ!あんなん絶対無理ッ!)
あまりの動揺と恐怖によしおは前方にもモンスターがいるという注意を聞き逃してしまい、後方のモンスターから逃れようと前方へ走る。
(早くッ…早くッ…!)
よしおの思考回路からはもはやその言葉しか出力されていなかった。
息が荒い。呼吸がしにくい。心臓が痛い。
人を搔き分け、必死に先頭へと躍り出たよしおは止めること無くその足を動かすが、何か軽いものがよしおにぶつかり、体勢を崩してしまう。
体勢を立て直したよしおの目に映ったのは胸に張り付く巨大なガガンボのような虫であった。
「……ッ!……ッッッ!」
虫嫌いなよしおは恐怖と嫌悪感を同時に抱き、ゾッと背筋が凍る。
言葉を発することすらできない。
神速と言っていいほどの速さで反射的にその虫を自分の胸から払ったが、
"ブ、ブブブ、ブゥーン"
そんな音と共に再度巨大なガガンボがよしおに向かって飛んでくる。
「ひぎぃっ!」
その光景に更なる恐怖を抱いたよしおは妙な叫びと共に手に持った剣を目の前の存在に叩きつける。
巨大ガガンボは剣に叩きつけられて床へ仰向けに落下したが、更なる追撃がそれを襲う。
自身を恐怖に陥れた脅威を排除しようとする防衛本能に動かされたよしおが巨大ガガンボを何度も全力で踏みつけたのだ。
巨大ガガンボの体液だろうか謎の黒い粘液が靴と床に糸を引かせても、明らかに対象が沈黙していてもよしおは踏みにじり続けた。
そんなよしおが次の行動を起こしたのは新たな脅威が発生したからである。
もう1匹の巨大ガガンボがよしおの視界を"ブゥーン"という音と共に横断し、防衛本能が再度正しく作動したよしおが「キェェー!」と奇声を発しながら、壁に張り付いたそれを剣で串刺しにする。
その時のよしおの脳内には嫌悪感と恐怖を与える巨大ガガンボを排除することしか存在しておらず、後ろから近づいてくる体躯2メートル近くのモンスターの事など頭から抜け落ちていた。
それを目撃した同僚の何人が叫ぶ。
「落ち着け!前方のモンスターは桃色回路さんが倒した!後方にだけ注意を払えばいい!」
「よく見ろ!相手の動きは速くない!動きをよく見るんだ!落ち着いて対処すれば倒せる!」
それを聞いて立ち直った何人かと共に、恐れながらも彼らは後方の巨躯に立ち向かっていった。
目の前の脅威を排除したよしおは正気に戻り、暫く荒い息をついていたが、後方の存在を思い出し、目を向ける。
「ィ"イ"イ"ェ"エ"エ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!」
巨大な顎に捕らえられ、高く抱えあげられた同僚の一人が手足をバタつかせながらそんな断末魔と共に上半身と下半身に噛み千切られる光景がそこにはあった。
その光景を目にして再度恐怖がぶり返す。
しかし、その光景から逸らし、逃げ出すわけにはいかない理由があった。
(ユーマッ!?何やってんだ!早く逃げろって!)
見ると、ユーマが尻餅をつき、剣をモンスターに向けながらじりじりと後ずさろうとしている。
あのモンスターに立ち向かっていった一人だったのだろう。
他に立ち向かっていった同僚は犠牲になった同僚を目にして恐怖と警戒を感じたのか、モンスターから距離を開けている。
足腰が恐怖で言う事を聞かないのだろうか、ユーマのあの姿は逃走という言葉からは程遠かった。
そんなユーマのいる方向にモンスターが体を向ける。
(ヤバイって!早く立てってば!)
しかし、ユーマは恐怖の表情を顔に貼り付けたままジリジリと後ずさるだけだ。
このままでは次の犠牲者が彼になってしまうのも時間の問題であろう。
ユーマに向かってゆっくり近づいていく巨大なモンスター。
よしおは昨日見た映画を思い出した。
ありがちな戦争映画だった。
途中、ピンチに追い込まれちゃって主人公の十数年来の友人が「悪いねNOBITA、この脱出カプセルは一人用なんだ」っていって主人公を気絶させて脱出カプセルに押し込んで
ボタンを押して無事脱出カプセルが発射されたのを見て安心した表情を見せて自分は体に爆薬を巻きつけて「ママーッ!」って叫びながら敵陣に特攻、自爆しちゃって、
脱出カプセルで気がついた主人公は友人がいない事に気づいて一緒に生き残れなかったことを酷く後悔していた。
別に今はそんな映画みたいなシチュエーションじゃないし、
(ウソだろ…?どうすんだよ…!)
あの馬と出会ってたった2日しか経っていないし、
(うぁぁっ…!マジかよ…!)
あの馬の事なんて殆ど知らないし、
(あ"あ"あ"ぁ"ぁっ!マジでやんのッ!?)
しかも少し粗暴で、厨二病を患ってたりするし、
(あ"--------ッ!!)
だけどそんなヤツだけど、言葉も話せなかったよしおを仲間と呼び、困った時は助けてくれると言ってくれた仲間であり、
(あー)
よしお自身の命をベットするくらいは価値のある存在なのであり、
(マジかよ、畜生。怖ぇ…)
そして、よしおはあの映画の主人公みたく後悔するのは御免なのである。
よしおの足は震えは止まらなかったけど言うことは聞いてくれた。
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ヒロイン(馬)が絶体絶命の危機である。
ここで助けねば男が廃る。
距離は15メートル。
右手で剣の柄を掴み、左の掌を柄の先に当て、目前の目標の脇腹目掛け突進する。
「タマとったらあぁぁぁーッ!!」
よしおの青銅の剣は運動エネルギーによって攻撃力上昇補正され、見事目標の脇腹に深く突き刺さり、
「ま"っ!?」
よしおの左手首に痛みを与え、ボキリと折れてその役目を終えた。
青銅の剣と左手首の捻挫を犠牲によしおは多大なダメージをモンスターに与える事に成功した
――はずなのだが、
「こいつ…動くぞ!」
毛むくじゃらの彼はまだ存命なようである。
“共鳴無惨”はゆっくりとよしおに体を向け、その逞しい右腕を後ろに大きく振りかぶる。
まもなく凄まじい一撃が来るだろう。
とんでもない威圧感を感じる。
武器も壊れてしまった。
だが、しかしよしおに恐怖はない。
実際に行動に起こすと、恐怖は何処かへ飛んでいき、よしおはハイな気分になっていた。
今のよしおはよしおではない。真・恐怖を克服したよしおなのだ。
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃぁッ!呼吸をみだすのは「恐怖」!
だが「恐怖」を支配した時!呼吸は規則正しくみだれないッ!波紋法の呼吸は「勇気」の産物!
人間賛歌は「勇気」の賛歌ッ!! 人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!! いくら強くてもこいつらモンスターは「勇気」を知らん!ノミと同類よォーッ!!
(ですよねッ!ツェペリ卿ッ!)
あまりにハイになりすぎて、よしおは電波を受信していた。
「メイン盾舐めんなッ!」
よしおは左腕につけた青銅の盾でガチガチの防御の構えを取り、衝撃に備え、
「呼吸は!規則正しく!乱れな…イ"ぶッ!?」
“共鳴無惨”の一撃をくらい、青銅の盾を大きく凹ませながら、5メートル以上飛ばされた。
ボスッという着地音の後、ゴロゴロと転がり、モンスターから10メートルほど離れた所で飛ばされたよしおの勢いは止まった。
(痛ぇ…口切った…鼻血も出てる…)
口内に鉄の味を感じ、自分がまだ生きている事を実感する。
視界がぼんやりとしたままだが、早く起き上がらねば追撃が来る。
何とか立ち上がろうとするよしおであったが…
「“共鳴無惨”が倒れたッ!桃色回路さんがやってくれたッ!」
「今のうちに止めを刺すんだッ!斬るんじゃなくて刺して攻撃しろ!」
どうやら致命傷だったのか倒れた“共鳴無惨”に初日の桃色暴動達のように群がっていく同僚達が見える。
四方八方から串刺しにされた“共鳴無惨”はその生涯に幕を閉じた。
「桃色回路さん!大丈夫ですか!?」
「パネェッス!桃色回路さんマジパネェッスよ!マジソンケーッス!」
「私男だけど桃色回路さんになら抱かれてもいい」
同僚の手を借りて、何とか立ち上がる。
俺をその名で呼ぶんじゃねぇ、と思ったが、よしおにはそれを表現できる言葉がなかった。
体の節々が痛むが、どうやら大きな怪我は幸い無さそうだ。
「桃色回路、助かったぜ。礼を言う。しかし、やっぱお前は凄いヤツだな。大きな借りを作っちまった」
「流石桃色回路ッ!本当に凄い奴だよ、君は!」
無事魔王から救出された助けられたヒロイン(馬)とサブヒロイン(猿)がよしおに話しかけ、友人達の無事に安堵したよしおは鼻血を流しながらも、グッと親指を上げ、お互いの無事を祝いあうのであった。
そうして、一人の犠牲者を出しながらもどうにか落ち着きを取り戻した一行は拠点に向けて進軍を再開する。
道中、何体かの“酩酊蜂起”やポチとトカゲにも遭遇したが、同僚達が問題なく対処してくれ、虫嫌いのよしおは戦うことが無くホッとしていた。
さらに“共鳴無惨”1体にも遭遇したが場所が広場だったことも幸いして、一方の部隊が前方から囮となり、気がそちらに向いている“共鳴無惨”を後方から別部隊が刺殺するという戦術により、これ以上の人員の欠損なく討伐する事が出来た。
かくして、一向は4時間半かけて折り返し地点である拠点に到達し、一息つくことができたのである。
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第七話 設定
トロール…二つ名は"共鳴無惨(グロテスクハウリング)"。外見は本文参照。攻撃力は非常に高いが、動きはそれほど速くない。加えて単細胞。一つの物事にしか目が向かない。なので一方が囮になる戦法が有効。
ダディロングレッグ…二つ名は"酩酊蜂起(ビースティミラージュ)"。ガガンボは英語で別名ダディロングレッグ(足長おじさん)と呼ばれているらしい。太く堅い口吻で獲物に突き刺し、血をチューチューしてくる。麻痺毒があるので注意。
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第七話あとがき
今回の話は少し長め。
第三次新人研修後半に続く!