ダニーは若き青年である。
彼の一日はいつもの日課である自身の鍛錬によって始まる。
何故、彼が身体を鍛えているのかは周囲は誰も知らない。
ただ分かるのは、彼は一日も休むことなく、毎日毎日愚直に鍛錬を重ねていることだけだ。
少なくともそんな彼は周囲から奇異の目で見られている。
何故なら、彼の同族達は身体を鍛えるようなことはしないからだ。
否、そもそも身体を鍛えるという概念すら知らなかったのだ。
ダニーには好きな人がいる。
その人はとてもキレイな人だ。
でも、彼女が自分をどう思っているのかは知らない。
彼女の前だと緊張してしまってしどろもどろになってしまう。
それでも、彼女はそんな自分に笑いかけてくれた。
それだけで、死んでもいいと思えるほど嬉しくなってしまったのを覚えている。
ダニーには尊敬する人がいる。
それは今は亡き彼の父である。
記憶に残る父の姿は殆ど色褪せてしまっている。
それでも、今でも色褪せずに思い出せる父の背中がある。
母がモンスターに襲われ、危機に陥った時、父は恐れることなく立ち向かっていった。
そしてその時、父の繰り出した“技”は数少ない色褪せない記憶の中でもより鮮明に思い出せる。
いつしか自然、ダニーは父のようになりたいと思うようになったのだ。
ダニーは臆病者である。
同族達からも臆病者だとからかわれていた。
そして、ダニーもそれを自覚し、臆病者な自分を嫌っていた。
だからこそだろう。好きな人にはそんな臆病者の自分を見せたくなかった。
それでも、彼女を守りたいと、いつしか彼女が危機に陥った時、父が母を救ったように、自分も彼女を救えるようになりたいと思っている。
ダニー自身も身体を鍛えるという概念も知らず、身体を鍛えているという自覚もなかったのかも知れない。
しかし、父のようになりたいと思うダニーは記憶に残る父の技を見様見真似で日々再現する。
本人に自覚は無くとも愚直に繰り返されるそれは確かに鍛錬と言えるものであり、ダニーは周囲の同族の一角をなす実力を持ち合わせていた。
そして、明日、ダニーは初めて“狩り”へと行く。
そこで、自分は臆病者のレッテルを返上して、彼女の隣に立てるようなそんな男になりたいと思っているのだ。
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70年ぶりに退職届を出した剛の者が居る。
その噂は、マツオカ教官を始点として社内に鼠算式に広がり、それが事実であるという事が判明するまで時間はそうかからなかった。
彼は自殺志願者なのか?
退職届を出したよしおという人物像について様々な憶測が流れるが、調べてみれば、今一番期待されている新人チームのエースと呼ばれている事、更には袋小路で社員殺しと対峙し、ただ一人逃げ延びたという実績もあるのだという。
そんな者がこんな回りくどい方法で自殺を考えるのだろうか?
彼が自殺志願者だという推論では整合性が合わない。
必然、“よしお自殺志願者説”は弱体の一途を辿る。
ならば、一体何が彼に退職届を出させるという理由になったのだろうか。
ある人曰く。
「彼は2ヶ月の減給処分を受けているらしい」
まさか、減給処分で生活が苦しいから、より給金を貰える探索部に異動しようというのか?
確かに浅い階層だと唯でさえ少ない給金が、減給処分によって雀の涙ほどのモノと化してしまう。
だからと言って、よりにもよって“あの”探索部に自分から望んで行くというのか?
確かに浅い階層で掘り続けるよりは多くの金を稼げるかもしれないが…。
社員達は推測を続ける。
というのも探索部の“現在の状況”というものについて考えると、「減給処分を受けて苦しいからもっと稼げる所に異動する」という理由だけでは少し弱いのである。
ならば、彼を探索部に向かわせる、もう一つの何かの理由があるはずなのだ。
また、ある人曰く。
「彼が退職届を出したのは、自身のキャリアアップの為という理由も含まれているからに違いない」
成る程。
確かに期待の新人チームのエースであり、社員殺しから単独で逃げ延びるだけの腕があるのならば、浅い階層での探索など、彼にとっては遣り甲斐の無いものなのかもしれない。
減給処分の件はきっと切っ掛けに過ぎないのだ。
もっと厳しい環境で自分を磨き続けたい。
そんな彼の願いが退職届を出させる最大の理由となったのだろう。
そうだとすると、よしおという人物像は実績だけではなく、その心構えもエースと呼ぶに相応しいだろう。
このよしおという人物ならば、もしかしたら今の探索部の現状を打破することが出来るかもしれない。
「スゲェな、よしおとか言う奴は!」
「ヤベェですよね、よしおって言う人は!」
「パネェんじゃよ、よしおという名の者はのう!」
いつの間にか社内の噂は、よしおスゲェヤベェパネェというものに変化していった。
こうして、よしおという人物像は、スーパーウルトラエリート社員として、社内全体に知られていくようになる。
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議事録
[内容]
よしお氏(以下被告人)は、退職届を作成しており、第三者が無断で退職届を総務に提出した事により、
パーティを脱退せざるを得なくなった。
被告人は、頻繁に購買の展示テレビ前にて音声の録音を行うという周到な準備を行っており、今回の事件
は計画的な犯行であることは明らかである。
しかし、被告人は公用語が話せない為、共犯者の疑いがある重要参考人、虎次郎氏が召喚された。
虎次郎氏は、
「よしおさんに退職届の作成を依頼されたのは確か」
と証言しており、事件の関与を認めた。
被告人が今回の事件を引き起こした動機について質問されると、
「よしおさんはお金が欲しいんじゃないかと思った」と語った。
よしおの生態、心理に詳しい藤吉郎氏は、
「動機は間違いなく勘違いによるもの。おそらく、退職届を総務に提出すればこの会社を辞められると被告人
は考え、退職届の作成を計画したものと思われる」
と、犯行時の被告人の心理状態について、情状酌量の余地があると話した。
また、総務入り口にて挙動不審な様子の被告人の目撃情報があり、退職届の提出を躊躇っていたと思わ
れる事からも、寛大な措置を取って欲しいと陳述した。
実際に退職届を総務に提出したのは、マツオカ容疑者であると考えられる。
マツオカ容疑者は被告人の自室に無断で侵入し、退職届を盗み、無断で総務へ提出を行った。
また、マツオカ容疑者は後日、被告人の元を訪ね、犯行声明を出しており、同室の虎次郎氏もそれを目撃
している。
また、被告人本人は、当初精神錯乱状態であり、意味不明の供述が続いていたが、今は落ち着いており、
反省の色が見られるとの事。
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どげざ【土下座】[名](スル)
土の上に直に坐り、平伏して座礼を行うこと。日本の礼式のひとつで、極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪、お願いの意を表す場合に行われる。
今も尚日本に残る美しい文化の一つである。
よしおはその誇るべき日本の文化をまざまざと同僚達に見せつけていた。
その姿はまさに“This is Japan”というフレーズを表現しきっていると言っても過言ではない。
明日より迷宮探索部に配属となるよしおは不本意ながら、新人パーティを抜けることとなってしまう。
別によしおが抜けたからと言って、迷宮内に潜れなくなるという訳ではない……が、戦闘力に関しては一般人の域を出ないまでも、これまで精神面で同僚達を支え続けていたよしおは同僚達にとって確かにエースなのだ。
よしおがパーティを抜ける事によって、士気の低下は避けられないだろう。
よって、緊急会議が行われた訳である。
マツオカ教官の策謀に嵌められたとはいえど、よしお自身が退職届を作成したことが今回の発端となったのである。
そりゃあもう同僚からも怒られた。
どう足掻いたって明日から探索部へ配属させられるのは最早避けられない。
一頻叱られた後、よしおは明日からの生存確率を少しでも上げるため、探索部の現状について同僚達から教えられた――――
のだが、話の内容を聞くと、探索部の現状はやっぱり想像以上にアレなもので、世界はいつだってこんなはずじゃないことばかりであった。
探索部についておさらいしよう。
探索部は最前線に立ち、迷宮のより下層への到達を最大の目的とする部署であった。
その業務内容は多岐に渡り、未知モンスターの情報収集、迷宮構造の情報収集、到達済みの階層の未探索部分の調査等も行われる。
迷宮は下層に降りる程モンスターも強くなる傾向を持つ。
また、情報が迷宮探索において極めて重要視される要素の一つであることは周知の事実であるが、探索部は、地下へ地下へと迷宮を開拓する以上、地図情報など持つ事は出来ないし、未知モンスターとの戦闘も当然の事ながら頻発する。
彼らにとってこの情報という要素は供給する側であって、享受する側ではないのだ。
そんなわけで最前線へと送られる探索部の損耗率はそりゃあもうヤバイ。
どのくらいヤバイかというと、マジヤバイ。
しかし、ここまでは対外的に知られている部分であって、同僚達から聞いた探索部の実態は更に拙劣なものであった。
現在、迷宮は地下9階まで開拓されていることは承知の通り。
科学技術の爆発的な発達は迷宮の探索をも著しく進捗させることとなった。
にもかかわらず、地下9階以下の階層は未だ攻略されていない。
何故か。
別に地下10階への入り口が見つからないというわけではない。
そんなものは疾うの昔に発見されてしまっている。
ならば、何故地下10階の攻略は未だされていないのか?
答えは簡明。
地下10階への入り口が一方通行なのである。
一度入れば戻れない。
これまで何人もの探索部の社員が地下10階層へと降りていった。
だが、その後の彼らの姿を見たものは誰一人居ないのである。
その為、地下10階についての情報など一切存在しない。
地下10階層には一体何があるのか?
それは、屍と化しているであろう地下10階へと降りていった者にしかわからない事である。
閑話休題。
上記の理由で、迷宮は地下9階までしか攻略出来てはいない。
さて、そんな攻略状況が進捗しない探索部の現状とはどういったものであろうか。
より下層の攻略という最大の目的を達成できない以上、探索部は到達済みの階層の未探索部分の調査や階層深くでの採掘などを行って、給与を得ている。
確かにこれだけでも浅い階層で採掘を行うよりも、お金を稼ぐ事は可能である。
「より下層の攻略が出来ないなら、未知モンスターとも戦わずに済んで、むしろいいんじゃないの?」
そんな考えは甘いと言わざるを得ない。
いつまで経っても地下9階以降を攻略できない探索部。
さて、そんな結果を出せない攻略部を総務はどう思うだろうか。
結果は至極単純。
探索部の予算は大幅に減らされる事となったのは言うまでもない。
予算の大幅な削減は、唯でさえ高い損耗率を大幅に引き上げ、さらに結果を出せなくなり、また予算を削減されるという負のスパイラルが生み出されることとなった。
対外的には、花形と称される探索部であるが、その実態は予算不足に喘ぎ、ただただ腐り続ける最悪の部署であるのだ。
この悪循環を停止させるためには地下9階以降の攻略が必須である。
だが、地下10階への情報が何もない事、そして何より、入り口が一方通行であることが、それを阻んでいた。
どうしようもない状況に陥ってしまっている。それが探索部の現状なのである。
(終わった…)
少しでも生存確率を上げるため、同僚達から探索部の現状について教えられたが、こんなん知らされてどうやって生存確率を上げろっていうのか…。
知らない方が良かった事実というものがあることを生まれて初めて実感するよしおであった。
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嘆いても泣き伏しても状況は良くならない訳で。
結局、生存確率を上げるための具体的な方法などというものは都合よく存在するはずもなく、会議はお開きとなった。
準備を整えて、少しでも明日に疲れを残さないため、今日は早めに寝ておけ、という同僚達の配慮によるものだ。
連休の最終日にして、明日の始業開始時間まで後10時間余り。
よしおは自室のベッドの中で眠りにつこうとするも不安で中々寝つけないでいた。
よしおは自分の考えの甘さを痛感していた。
よくよく考えて見れば、退職自体が自由に出来るのならば、こんな会社に社員など存在しないはずである。
ならば、退職できないシステムがある。冷静に考えればそこまでは推測できたかもしれない。
言い訳になるかもしれないが、何故かこの世界に放り込まれて、悉く自分の想像以上の出来事が起きて、冷静になる機会など存在しなかった。
決して、よしおの頭脳がアレだった…という事はないはずだ。
もっと冷静でいれば…あの時ああしていれば…アレさえどうにかしていれば…
よしおの頭に思い浮かぶのはIFの事、そして自分の行動に対する後悔ばかりである。
そのうち、過去に対する後悔ばかりで、これからどうするかという事を全く考えていない事を思いたったよしおは、ベッドの中で大きくため息をついた。
このままではいけない。
かつてのクレバーなよしおは何処へ行ったのか。
(クールになれ…クールになるんだ、よしお…)
何かのアニメで見たフレーズを脳裏に思い浮かべる。
ネガティブシンキングはよくない。
起こってしまった事をあれこれ考えたって意味がないのだ。
これからの事を考えなくてはならない。
ポジティブシンキングだ。
こういう時のためにジョースター理論というものがある。
逆に考えるんだ。
「仮に退職できていたとしても、あのまま無一文で放り出されていたら何処かでのたれ死んでいたかもしれない。
むしろこの会社に残れてラッキー!」
そう考えるのだ。
無茶苦茶な理論であるが、同僚達と離れ離れにならずに済んだという点を考えれば、落ち込んだ気分も少しマシにはなりそうである。
だが、如何にプラス思考を行おうとしても、明日からはその頼りになる友人達とのパーティを抜け、独り探索部への配属となるのは事実。
プラス思考はあっという間に不安に流されてしまった。
結局、よしおはまたしてもネガティブ思考に陥り、不安で中々寝つく事が出来ず、絶好調とは言えない体調で朝を迎えるのである。
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■現在位置は ブーヘンヴァルト株式会社 探索部第三課 (G-4) です。■
翌日の朝、探索部第三課のドアの前によしおの姿はあった。
実はよしおは30分以上前に既に部屋の前まで来たものの、踏ん切りがつかず、ドアの前で立ち尽くしているのである。
(……、トイレ…!)
本日3回目のトイレである。
トイレは用をたす為にのみ用いるべきという意見は今のよしおにとっては酷く狭窄的なものに感じてしまう。
トイレの個室とは一つの聖域なのである。
誰にも邪魔されず、静かに己と向き合い、精神を鎮めるのに最適化された空間なのだ。
個室の便座に腰掛けて、耽るよしお。
静寂が空間を支配する。
この閉鎖空間によって隔離されたよしおという存在は、その瞬間にのみ辛い現実から逃避することが可能なような、そんな気がするのだ。
しかし、既に始業時間20分前。
そろそろ、行かないとかなり拙い。
(行きたくねぇ…)
なんて思っていても、このままこの素敵空間にこもり続けていても無断欠勤3日目となって確実に死ぬ。
ならば、たとえ生存確率が那由他の彼方であったとしても、探索部の扉を開くという選択肢を選ぶしかないのである。
生き残りたい。
心の底からそう思うよしお。
だけど、きっとそれは出来ないだろう。
「あーあ…」
上を向いて、額に掌を被せ、よしおは間延びした声を出した。
俯き、大きくため息をついた後、よしおはゆっくりと立ち上がり、個室のドアを開く。
その時のよしおの表情は、疲れきった中年のおっちゃんのようであり、結局、彼の腹を決めさせたものは、まさしく諦観という感情であった。
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「本日より新人が入る事はすでに承知であると思う」
首から上がブルドッグの男が、探索部のメンバーに向けて、朝礼を行っている。
よしおは、自身の半分くらいの背丈しかないブルドッグ男の隣に立ち、メンバーの視線を一身に浴びていた。
「この桃色回路という男はこんなクソッタレな部署に自らやってくるクレイジーな度胸を持つ野郎だ!」
よしおの背を叩き、ブルドッグ男もよしおの方に顔を向けた。
「貴様が新人のエースと呼ばれている事は知っている。しかし、だからといって贔屓はしない!貴様が一番下っ端だ!それを心に留めておけッ!」
大声で罵倒するように言われたが、ブルドッグ男のそのつぶらな瞳は何か癒しを感じさせるものだった。
「アイツが件のエース…」
「見かけはヒョロそうに見えるな…」
「フフッ!緊張しててカワイイわね」
よしおの姿を見て、素直な感想を小声で述べるメンバー達。
ブルドッグ、ゴリラ、ブタ、ヤギ、キツネ、クマ、アリクイ。
探索部第三課は、新人パーティーメンバーと同じように、動物王国であった。
しかし、第三課メンバーの中でも一際、異彩を放ち、熱い視線をよしおに向けてくる者が一人。
(何あれ、なんだアレ…凄ぇ…)
口紅を塗った、服がピチピチなオカマっぽい豚が凄まじい存在感を放っていた。
「うふふ」
よしおと目があったそのオカマ豚は、身体をクネクネさせながら、投げキッスを行った。
普通ならば、その姿を見て、よしおは「うへぇ」とか思って、それで終わるはずであったのだろう。
しかし、オカマ豚のその動作は現代科学では説明もつかない現象を伴うものであり、よしおを酷く混乱させることとなった。
視認出来る紫色のハートの形をした何らかエネルギー物質が、投げキッスと共に彼(あるいは彼女)の口腔より射出されたのである。
「あっ!」
不意打ち気味に飛んで来たその紫色のハートの形をした何らかのエネルギー物質をよしおは避けることなど出来ず、吸い込まれるようによしおの左胸へと消えていった。
(なんか入った!ヤバい!体の中になんか入った!何…、何なの!?)
得体の知れない何かが吸い込まれていった左胸を押さえ、よしおは酷く狼狽した。
今のは一体何だったのか。意味が分からない。
酷く混乱していたよしおの脳裏にアレの正体の推測が思い浮かぶ。
(…放射線!放射線!?)
どちらかというと理系タイプと自称するよしおは、放射線にはαとかβとかγとかあるのを知っていた。
詳しく知っているわけではないが、αよりβの方が何か進化していそうでたぶん強いはずだ。
そして、γは多分一番進化してて強いのだ。
もし、自分の体に入ったのがγだったらヤバイかもしれない。骨とか溶ちゃったりするんだろうか。
それに何だか気分も悪くなってきたぞ。
「うあッ…うあぁッ!」
よしおは恐怖のあまり、叫んだ。
そんなよしおの姿は探索部メンバーを引かせるには十分であり、「ホントにコイツで大丈夫かよ…」と不安にさせるのであった。
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実はよしおの身体に吸い込まれていった紫色のハートの形をした何らかのは、魔導によるものである。
とは言っても、別に攻撃魔法だとか呪いだとかそんなものではない。
オカマ豚は単に魔力なんていうファンタジー要素をハート型に形作って、飛ばしただけである。
魔導を用いて、挨拶を彩る所謂一つのエフェクトを演出したに過ぎない。
魔導について少し踏み込んで説明しよう。
他の漫画や小説なんかだと知らないが、この世界において、魔力は属性を持って、初めて作用する。
例えば、魔力に『熱』という属性を持たせる、あるいは『固体化させる』といった属性を持って顕現するのだ。
属性を持たない魔力は視認も出来ないし、外部に影響も及ぼさない。
つまり、魔力に属性を持たせて、出力する事を魔導と呼ぶのである。
今回、オカマ豚が行った投げキッスに伴った紫色のハートの形をした何らかのエネルギーの射出は、魔力に対して、
①可視化
②固定化(ハート型に整形する応用付き)
③推進力
という3つの属性を持たせていた。
実はコレだけでも、結構レベルが高いのである。
魔導には、
①属性の種類
②属性の質
③魔力の総量
④属性を付加させる魔力の量
大別して、この4つの要素がある。
わかりやすく以下に例を挙げる。
ゲームにありがちな炎熱魔法について、魔導を用いて実現してみよう。
デ〇ゴスティーニ出版、月刊「魔導の世界」を読み続けて15年、ブーヘンヴァルト近郊に住む会社員、西村氏(41)に協力していただいた。
100ポイントの最大MP値を持った西村氏がギラを唱えるとしよう。
ギラに必要なMPが10ポイントだったとする。
ドラクエならこの10ポイントのMPの消費で、ポンと炎が出る。
しかし、魔導を用いて、ギラっぽいモノを出そうとすると、話は単純にならない。
魔導では、
100ポイントのMP(魔力の最大値) = ③魔力の総量
メラに必要なMPが10ポイント(消費MP) = ④属性を付加させる魔力の量
である。
『属性』を付加しない魔力は外部に影響も及ぼさないのは、先程述べた通り。
よって、消費MPである10ポイント分の魔力に対して、『属性』を持たせてやらないと、何の意味も無いのだ。
ギラっぽいモノを出すには、この魔力に対して少なくとも、
①熱
②推進力
という2つの属性の付加は必要だろう。
そして、重要なのは『属性の質』という概念である。
熱という属性の質を上げれば、ギラの熱量が上がり、威力が上がる。
推進力という属性の質を上げれば、ギラの射出速度が上がり、命中率が上がる。
質は魔導の性能を左右し、魔導を扱う上で避けて通れない要素だ。
しかし、属性が2つ以上付加されている場合、それぞれの属性の質には一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないというトレードオフの関係にある。
豚の紫色のさっきの紫色のアレは固定化の質を上げていなかったため、よしおの左胸という障害物にぶつかり、容易く四散してしまったわけである。
どれだけ威力を上げたって、亀のスピードで放たれたギラなど容易に回避されてしまうし、逆に射出速度を限界まで上げたギラは、威力など期待できないのだ。
しかし、メラだと単体攻撃しか出来ず、俺TUEEE!!で無双したい西村氏は物足りないらしく、俺だってベギラマ唱えて範囲攻撃してぇ!などとワガママを抜かすのである。
その場合についても考えてみよう。
範囲攻撃を行う為には、消費MPも更に必要になるのはドラクエなんかにおいては当然である。
攻撃範囲を広くするために、消費MPが増加するのは、魔導においても同じである。
ベギラマの消費MPがギラの2倍の20ポイントだったとしよう。
魔導の場合、この20ポイント分の魔力に①熱、②推進力という属性を付加させる必要がある。
さて、魔導を用いて、ギラっぽいモノを出す場合において、推進力を一切犠牲にして、熱のみに属性の質を上げる状況を考える。
威力、命中率云々は置いておいて、このギラは100ポイントのダメージを与えられるとする。
同じ様に、ベギラマの消費分のMP20ポイントに対して、熱のみに属性の質を上げる事を考える。
これまた同じ様に威力、命中率を考えず、このベギラマの場合について与えるダメージを考えた場合、どうなるだろうか?
答えは、ギラの時の半分の50ポイントのダメージしか与えられない。
何故なら、西村氏はギラの時の倍の20ポイント分の魔力に対して質を上げないといけないからである。
1リットルの水と2リットルの水を同じ熱量で同じ時間温めた場合、前者の方が温度が高くなるのは自明であろう。
即ち、②属性の質 と ④属性を付加させる魔力の量 もトレードオフの関係にあり、少ない消費魔力の方が、質を上げ易い。
魔力に付与する属性の数、及び消費する魔力の量に比例して、制御の難易度が高くなるのはこういった理由による。
さて、こんなクソ仕様の魔導であるが、魔導で唱えたギラにはメリットとなりうる点が一つある。
“目に見えない”のである。
当然である。可視化という属性を持たせていないためだ。
これは、敵に対して、回避を大幅に難しくするだろう。
…と、ここまでは理論の話である。
実践でこのギラを行う場合、全く持って使えない。
ここまで長々と語ってきた話が、実践となると、外因的要素により、全く無駄になるのである。
最初は魔導には自信があると意気込んでいた西村氏であったが、実践での結果は散々なものであった。
西村氏の実践の結果を混ぜながら、解説しよう。
先に結果を述べておく。
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結果
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CASE1:熱量を犠牲にして、推進力を重視した場合
→10メートル離れた位置にある目標的につけられた温度計が1℃上昇した。
CASE2:推進力を犠牲にして、熱量を重視した場合
→西村氏が火傷をした。
CASE3:熱量、推進力を50:50で等割した場合
→あったかい空気が西村氏から目標的へ向けて流れたが、すぐに消えてなくなった。
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何故、このような結果になったか。
2つの要因がある
一つはどれだけ熱量の質を上げたところで、人間の力は高がしれているという事。
推進力を犠牲にして、熱量を重視した場合でも、80℃くらいが限界だったのである。
敵に十分なダメージを与えるほどの『熱』という属性の質を上げるのは、人間の力じゃ、無理なのである。
そして、もう一つの要因は“熱の分散”である。
淹れたての熱いコーヒーは放って置けば周囲に熱を分散させ、当然冷める。
同じ様に推進力を犠牲にして、熱量を重視した西村氏のギラは周囲に熱を分散させ、西村氏自身を火傷させてしまった。
そして、熱量、推進力を50:50で等割した西村氏のギラも、的へ向けて流れる最中に、熱を失ってしまった。
ギラを唱える上でこの熱の分散が地味に厄介である。
西村氏のギラは最大でも80℃程度までしか温度が上がらなかったからマシである。
例えば、突然変異の超スーパーウルトラハイパーエリートチートアームストロング美少女アームストロング魔導士がいたとしよう。
この、超スーパーウルトラハイパーエリートチートアームストロング美少女アームストロング魔導士は属性の質も魔力量もパネェくらいに設定された魔導式ベギラゴンもどきを放つことができる。
前提条件に疑問を持ってはいけない。思考実験では、どんな条件でも設定可能なのだ。
さて、この魔導式ベギラゴンはゾーマだとかバラモスなんかに1000ポイントなんていうダメージを与えてしまうものだとしよう。
しかし、この超スーパーウルトラハイパーエリートチートアームストロング美少女アームストロング魔導士は魔導式ベギラゴンを作ろうと熱の属性の質を上げていくが、当然熱の分散により、自分も焼けてしまう。
つまり、下手に威力を設定しすぎると自分も熱の分散により、ダメージを喰らってしまうのだ。
これを防ぐには、例えば時間差で熱量を発生させる、一定時間の熱を遮断するといった、また新たな属性の追加が必要である。
新たな属性の追加によって、そちらにも質を分配しなくてはならなくなり、普通の人間にとっては、ただでさえアレな魔導式ギラシリーズが更に弱くなるのは言うまでもない。
このように、属性を持たせると、周囲の外的要素によって、魔力は容易く影響を受けてしまうことが多い。
「それじゃあ攻撃魔法なんてできねぇんじゃね?」なんて思われるかもしれない。
出来る。出来るのだ。
科学が爆発的に発達する前、人間はどのようにして、魔導を攻撃手段として用いてきたのか。
例えば、その方法の一つは、魔力に『燃え易い』という属性を与えるのである。
属性には質の上げやすいもの、上げにくいものがある。
『燃え易い』という属性は、比較的質を上げやすく、また、周囲の気温等の影響を受けにくい。
このように外部から影響を受けにくい属性も存在する。
この『燃え易い』魔力に、推進力を付加して、射出する際にアナログで引火させるのが当時の主な魔導攻撃手段であった。
いや、むしろ推進力という属性の変わりに、固定化の属性を付加させて、手で投下したほうが効率がよかったりする。
固定化された燃え易い魔力を投げ合う戦闘。あたかも火炎瓶を投げるような暴徒達の如くである。
魔導はゲームや漫画のように煌びやかなモノではない。とても泥臭いものなのだ。
属性というものも、魔導の必要不可欠な要素である事は分かっていただけただろう。
そうなると、魔導研究での第一目標は当然、新たな属性の発見となる。
魔導は発展とはより汎用的な『属性』を創造する事と言っても良い。
そして、新たな『属性』の創造にはその構造、メカニズムが解明されている事は必須である。
『燃え易い』という属性を例に挙げよう。
石と紙がある。
紙は燃えるのに、石はなぜ燃えないのだろうか?
答えは、紙が燃える構造をしていて、石は燃えない構造をしているからである。
『燃え易い』という属性の創造の為には、燃え易い物質構造の把握が必要であり、それを実現させたのがまさに科学であった。
魔導が科学と共に発展して来た理由はここにある。
しかし、魔導は科学と違い、習得の為には、感覚的な部分を多いに必要とさせる。
科学ならば、
「AはBである。故にCである」
といった具合に説明が理論的だが、魔導は
「魔力をこう…ギュィィインッ!ってするんだよ。なんていうかさ…脳をスパークさせるような…、わかる?わかるよね?」
といった具合に非常に説明がしにくいことも多くある。
長くなってしまったが、以上が大まかな魔導の説明である。
魔力に対して属性を付加する、という言葉は何でも出来そうなイメージを感じ取れるかもしれない。
それはおそらくその通りで、魔導は属性の組み合わせによって、様々な汎用性を持つ可能性のあるモノだ。
しかし、人間の持てる魔導の力などちっぽけなものであり、それこそが魔導に汎用性を持たせないという制限を加えているのだ。
属性の組み合わせ次第では、ホイミだとかケアルだとかも出来るのかもしれない。
だが、その為には、人体の傷が治るメカニズムを知る必要があるし、仮に科学の発達によってそのメカニズムの更なる詳細が判明したとしても、果たして人間の持つ力量の範囲でそれが実現できるかと聞かれれば疑問に思わざるを得ない。
ベビーサタンはイオナズンを唱えた!しかしMPがたりない!
厳密には違うが、魔導を表すものとしては、この言葉がピッタリだろう。
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初めて魔導というモノを見たよしおが、その得体の知れなさに恐怖を覚えてしまったのも仕方の無い事である。
しかし、異世界住人の方々からすれば、魔導は現在こそ滅多に見るモノではなくなったが、身近なものであった。
つまり、今の状況を例えるなら、現代にタイムスリップしてきたアウストラロピテクスが、自動車とか電車とか見て恐れ慄いている感じである。
そんなアウストラロピテクスのマジビビッてる姿を見て、自動車とか電車とかを知っている現代人が抱くのは、「何ビビッちゃってんの?」なんていう感想だろう。
「落ち着け!魔導の応用だろうが!何を混乱してる!」
よしおを落ち着けようと、ブルドッグ男が慌てて声をかける。
その言葉を聞いて、ピタリと動きを止めるよしお。
マドウ――!
マドウというのはたしか魔法みたいなもんのハズである。
自分の心臓に吸い込まれていったあの紫色のハートの形をした何らかのアレの正体は魔法だった――!
しかし、正体が分かったからと言って、安心など出来るはずがない。
一体どんな魔法を掛けられたというのか。
呪い…?豚の呪い…。まさか、自分は豚になってしまうのか?
そういえば金曜ロードショーで見た「クレナイの豚」は格好良かった。それならまだ良い。
だけど「戦闘千尋の神隠し」の主人公の両親みたいになったらどうするっていうんだ。
恐ろしい―、なんて恐ろしいんだ――。
恐怖の目でオカマ豚を見つめるよしお。
そんなよしおの姿に小動物的な愛らしさを感じたのだろうか、オカマ豚は艶かしい笑みを湛えて声をかける。
「心配しなくてもさっきのアレには別に害はないわ。唯のアイサツよん」
その言葉と共に尻を撫でられた。
「ひっ…!」と引き攣った声と共に仰け反るよしお。
よしお脳内危険人物リストが即座に更新され、この男の危険人物ランクははマツオカ教官と同率一位へと駆け上った。
例の紫のアレに害はないというが本当だろうか。
というか紫のアレ以上に、この男自体に害がある気がしてならない。
「よし…落ち着いたようだな!では、第三課のメンバーを紹介しよう」
よしお自身はちっとも落ち着いて居なかったが、いい加減話を進めたいのだろう。ブルドッグ男がこれまでの話を断ち切るように少しばかり大きな声を出した。
「俺が踊る童話だ。ヨシムラ係長と呼べ!」
またアレな二つ名が出たが、よしおももう慣れたものである。
もしかしたらこの世界にはちょっとアレな二つ名で名乗るという文化があるのかもしれない。
郷に入れば郷に従えと言う。
自分も恥ずかしがらずに桃色回路という名前で名乗るべきなのかもしれない。
しかし、よしおとしてはもっと格好いい二つ名がよかった。
何なのだろうか、桃色回路とは。
頭の中はいつもピンク色!みたいなイメージを持たれてしまいそうじゃないか。
「奥に座っていらっしゃるのが、ギリェウ…ギレ…ギリェルモ課長だ。今は人形を作ってらっしゃるから、そっとしておいてくれ」
奥のデスクに座って、よしおを一顧みもせずに、噛みそうな名前のゴリラがその太い腕で黙々とフィギュアと思しき何かを作っている。
デスクの上には、フィギュアがずらりと並んでいた。
アレは確か…、新世紀アルパカゲリオンのフィギュアのはずだ。暴走すると臭い唾で威嚇するという一風変わったコンセプト、そして初号機のあまりのイケメンフェイスさに老若男女問わず、メロメロなのである。
良く見れば、部屋中もポスターが至るところに貼り付けられている。
ポスター内の二次元の獣人美少女が、よしおに向けて優しげな笑顔を向けていた。
なんというか
(アクが強い…)
もしかして、探索部には変な人間が集うのだろうか。
ますます不安になってしまうよしお。
そして、最もよしおを不安にさせる人物の紹介が始まった。
「そこのオカマがドミニクだ。役職は係長になる」
(出た…)
「ドミニクよぉん。お姉ちゃんって呼んでもいいのよ?」
(え…?何?ごめん、ちょっと何言ってるかわかんない…)
素で何を言っているのかわからなかった。
もしかしてツッコミ待ちだったんだろうか。
「こんな奴だが、コイツの持つ戦闘テクニックやサバイバル技術は目を見張るものがある。ウザイのを我慢さえすれば役に立つ奴だ。」
「あぁん、酷いわぁ。でもそんなに冷たくされたら……、フフッ、燃えちゃうじゃない」
オカマ豚がくねくねする。
あからさまにブルドッグ男はそれを目に入れないようにしていた。
「そこのクマ男がエルヴィン、アリクイがファルコ、キツネがギルベルトだ。」
ブルドッグ男に紹介された三人組はよしおの顔を見て、ニヤニヤと笑みを溢していた。
イヤな笑いである。
この後、「オイ、転校生!ちょっと体育館裏までツラ貸せよ」とかなんとか言いそうな奴らだ。怖い。
「そこのヤギ男がジェイソンだ。こいつも2日前に入ったばかりだから、お前と同じく新人だな」
なんというか眼鏡で暗い…典型的な引きこもりタイプという奴だろうか。完全に名前負けしているヤギ男である。
あんな細腕では、間違いなくチェンソ-なんて重くて持てないだろう。よしおと目が合うと、彼は目を逸らすようにすぐに俯いてしまった。
どことなく内面的な雰囲気が虎次郎に似ている。外見は正反対だが…。
「以上が、探索部のメンバーだ。この間は新人3名と異動してきた中堅が1人退職しちまったからな。早いとこ補給が来て助かったぜ」
「アイツらには美しさがなかったワ。勇気を持つ者特有の美しさがッ!見て!アタシを見て!勇気を宿す者はこんなにキレイッ!」
不安にさせるようなことをベラベラと喋るブルドッグ男と世迷言を抜かしながらくるくる回る豚野郎。
探索部が最大の損耗率を誇るという話は本当のようである。信じたくない話ではあったのだが。
探索部メンバーより、嘗て在籍していた結成1ヶ月程度の新人パーティの同僚達の方が頼りに思えるのはどういうことだろう。
「だけど、本当に勇気がない者は早死するわよぉン。探索部が求めるのはアタシのハートに響くような勇敢な戦士なのよぉ」
どうやらチキンなよしおには、厳しそうな職場のようである。
「暫くの間は、貴様を監督する教育係をつけることになるが…」
その言葉と共に何故かオカマ豚のくねくねするスピードが速くなった。
くねくねしながらバチンバチンと何やらウインクを寄越す豚。
(何…何なの…)
何モジモジしちゃってんの…。
トイレだろうか。トイレに行きたいのだろうか。
行けばいいじゃん。そんなの俺に伝えられても困るよ…。
「ドミニクが貴様の教育係となる!奴の持つ全ての技術を学べ!」
「フフッ、任せてぇん。バリバリ教育してアタシ好みのオトコノコにしてあげるわぁん…!」
オカマ豚が教育係になったようだ。
ドン引きのよしおである。
アレから何の技術を学べというのか。アッー!な事を強制的に教授するんじゃないだろうか。
先行きに不安しか感じないよしお。
一同の顔合わせも滞りなく済み、よしおの探索部での初探索の開幕となった。
今回の探索では、地下7階での未到達部分の調査、及び可能であればその近辺での採掘を行う予定である事が、ブルドッグ男ことヨシムラ係長から伝えられる。
それを聞いた本日から配属の新人が日本語で思わず「すいません、勘弁してください…」というかすかな呟きを洩らしたが、生憎ここは異世界である。
自身を除いて日本語を理解できる者は存在せず、他メンバーは、まるでいつものことだと言わんばかりに着々と探索の準備の最終確認を行っていた。
こうして、よしおは探索部配属初日から、4日前に文字通りの死闘を繰り広げた巨大カマキリの生息する地下5階を越えて、さらに地下6階をすっ飛ばし、いきなり地下7階へと行く羽目になったのである。
「よーし、準備は出来てるなー?それじゃオメェーらぁ、行くぞぉ!唱和っ!今日もにっこり笑顔で勤務!」
「「「「今日もにっこり笑顔で勤務!!」」」」
ブルドッグ、ゴリラ、ブタ、ヤギ、キツネ、クマ、アリクイがニカッと笑顔を作る。
正直不気味だった。
『死ぬ…ゼッテー死ぬって…』
よしおのか細い呟きは、誰にも伝わる事はなく、透き通った青い空へと消えていった。
地下4階の拠点へと向け、進行を開始する一行。
「いいかしらん?桃色回路ちゃん」
よしおは、その道中、オカマ豚ことドミニクから探索部で活動する上での諸注意や身の振り方の教授を受けていた。
「間違っても9mm拳銃を買っちゃ駄目よぉ?その程度の銃弾じゃモンスターに対して有効じゃないから。
というか銃器全般は個人的にあまりオススメしないワ。予算が無いから弾薬代は自腹になっちゃうわよぉん?」
最初は教育係として全く期待していなかったよしおだが、彼の教えを聞いてみれば為になることが多く、よしおはこの豚を少しだけ見直すことができた。
特にドミニクが強調して伝えたのは、遠距離戦よりもむしろ近接戦の大切さである。
これには彼が言っていたように探索部の予算が非常に少ない事が要因として挙げられる。
銃器の弾薬代を出せないくらいに予算が少ない現状では、必然近接戦がメインとなるのは当然である。
リスクが高いのは言うまでもない。そこを工夫してリスクを出来る限り下げていくことが肝心であると彼は言う。
では、どう工夫すれば言いのだろうか?
「毒よ」
近接武器に毒性物質を塗布するのが、方法の一つである。
モンスターも所詮は生物。毒物が人間より効き難かったり、全く効かないモンスターも存在するが、それなりに多くのモンスターには通用する。
では、どうやってそんな危険物質を入手すればいいのだろうか。
それは特定のモンスターを討伐して素材を得たり、採集によって入手が可能である。
購買でも注文すれば、手に入れる事は出来るが、わざわざ金払って買うもんじゃないわよぉ、とドミニクは言う。
モンスターの素材の中には高く売れるモノだけに目が行きがちなよしおであったが、このように冒険に役立つモノも存在しているようだ。
少ない予算に苦しむ探索部は、物資の現地調達は必要不可欠なのである。
「近接戦こそ男を輝かせるのよぉ。肉体と肉体の激しいぶつかり合い…
そうよ!パンツ!パンツを奪い合うの!尻を叩くのよ!」
ただ話の内容のレベルが高すぎてよしおには理解できない部分もある。
近接戦とパンツの奪い合いの関連性がイマイチよく分からない。
尻?尻を叩く?尻が弱点のモンスターが多いということか。
成る程、凄く勉強になる。
「お」
戦闘を行くヨシムラが何かを見つけたようで立ち止まった。
進行方向の左手方向を指差すヨシムラ。
「あら」
「おわっ、何やってんスか。アレ」
ヨシムラの指差す先には、桃色暴動達が、焚き火を囲んで踊っていた。
(何?何やってんの、アレ…)
よく見ると、何かを焼いているようであった。
何かの儀式…?お誕生日パーティだろうか。
少し離れているのでよく見えないが焼いているのは…まさか人間だったりする嫌なオチなのだろうか?
「あいつらが火を使っている所初めて見るな」
「人間の真似をしているのかしら。頭いいわねぇ」
そういえば、桃色暴動は人間の武器を奪って使う固体も存在していた。
アイツラは馬鹿だが、決して知能が無いというわけでは無いらしい。
「写真を撮っておく。こんなんでも報告すれば、多少は給与になるかもしれないからな」
ヨシムラが写真を撮ろうとデジカメを構える。
「おっ?」
デジカメのズーム機能で桃色暴動が何をしているのか分かったようであった。
「何よ」
「モー焼いてるっぽい」
モー…。
モーとは確か脅威度ゼロの食肉用モンスターだったような気がする。
遭遇する事はなかなか無いとの話であり、事実よしおも遭遇するのはこれが始めてである。
「ついてるわね。奪うわよ」
ドミニクのその言葉で今後の行動方針は決定した。
桃色暴動は完全にカツアゲ対象と化していた。
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極めて迅速で無駄の無い美しいカツアゲだった。
(何これ、うめぇ)
奪い取った肉をモシャモシャと食べるよしお達。
一方、そんなよしお達を遠巻きに眺めることしかできない桃色暴動達の姿がそこにはあった。
桃色暴動達は謎の武装勢力の介入によって追い払われ、彼らの至福の時間は砂で作られた城の如く崩れ去った。
(んめぇ)
ちらりと横目で桃色暴動達を見るよしお。
『ギギギ…』
桃色暴動は 涎を溢して、プルプルと震えている。
仕事と睡眠以外の時間はテレビに噛り付いて、公用語の勉強は怠らないよしおである。
そろそろ彼の語彙にもバリエーションが揃ってきた。
こういう時、あの涎を溢して悔しそうにしている彼らに言ってあげるべき言葉があるのだ。
よしおは桃色暴動に見せつけるかのように、肉に齧り付きながら言う。
「くやしいのう!くやしいのう!」
『ギギゥ!ギギイイィィー!』
言葉は分からなくとも思いは伝わる。
よしおのこの態度に、さすがの桃色暴動達も、おどりゃクソ森いいかげんにせい、と言わんばかりに、地団駄を踏んで悔しがり、今にも襲いかかってきそうなほど敵意を剥き出しにしている。
しかし、腕っ節では適わないことは明白であり、彼らもその事を解っている。
ならば、残された手段は言論を持って、相手の良心に訴えかけ、奴らの弱者に対する認識姿勢を糾すことだけであった。
一匹の桃色暴動がこの略奪行為に対して糾弾を行い始め、それに他の桃色暴動達も同調して、その声は大きくなっていく。
『(意訳)人間として恥ずべき許されざる行為。極めて遺憾。我々弱者の思いというものをないがしろにしている』
「やかましいわよッ!弱者がガタガタ抜かすんじゃあないッ!」
弱い。
この迷宮ではそれは罪なのである。
まるでファシズム政権下であるかの如く、略奪を糾弾する言論は、封殺された。
軍靴の音が何処からか聞こえてきそうである。
そして、いつしか肉は無くなった。
骨しか残らなくなったモーの変わり果てた姿を見て、ただただ呆然とする事しかできない桃色暴動達。
一方、略奪を行った謎の武装勢力ははいそいそとこの場を去る準備をしているようだ。
桃色暴動達の中の一人、若き戦士は思う。
あの謎の武装勢力に挑んだところで返り討ちに会ってしまうのが関の山だろう。
だからこそ、ここで指を咥えて見ているのが、吉っ……!それがベスト…!
しかし、それで…それでいいのか?
命は助かるだろう…。だけど…ここで奴らを逃せば…もっと大切な何かを失ってしまうんじゃないか――?
彼は心に思い浮かべる。自身の尊敬する父の姿を。
父のような勇敢な戦士になるという「信念」か命を奪われるという「恐怖」か。
葛藤に揺れる一人の若き桃色暴動。
そして、そんな極限状態の中で、彼は頭の中に誰かの声が響くのを確かに聞いた。
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!
謎のツェペリ電波を受信した桃色暴動の青年は、恐怖を乗り越えた花京院ならぬ、桃色暴動となった。
奴らに一矢報いる…!
決意を固め、敵性分子の方へ振り向く。
見れば、謎の武装勢力は自分達に対して皆、背を向けていた。
今しかない――!
静かに迅速に行動を起こす。
焦ってはならない!
ハートは熱く…!頭はクールに…!
音を殺し、最短距離で、謎の武装勢力の一人の背後へたどり着く。
ヤツは気付いていない――!
完全な死角――!
繰り出すは、ただただ愚直に繰り返し鍛錬された今は亡き彼の父の必殺技―!
武器等に頼らない。信じるのはただただ己の肉体のみ。
愚直な研鑽によって培われた鋼の右足は、その威力の反動に耐えるだけの頑強さを持つ!
そして、謎の武装勢力の一人の右ふくらはぎに若き桃色暴動、ダニーの渾身のローキックが炸裂した!
「おぐぁ」
豚のような悲鳴をあげて、よしおは崩れ落ちた。
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突然、左脹脛に生じた痛み。
床に膝をつきながらも急いで後方を確認する。
よしおの目に入ったのは一匹の桃色暴動であった。
(追撃―ッ!?)
桃色暴動がローキックを放つ姿勢を取ったのを見て、よしおは急いで床を転がり回避を試みる。
間一髪、追撃のローキックは、よしおの背をかするのみに留まり、よしおは急いで立ち上がり、敵に相対する。
(ぬぅぅッ…!)
想像外の威力―!
コイツのローキック…!そこらの桃色暴動とは違う――!
目前の敵をよしおは、メンチをきる。
並の桃色暴動であれば、これだけで戦意を失い、逃走を図る。
しかし、目の前の存在は、その範疇には当てはまらなかった―!
恐れるでもなく、その目に戦意を湛えたまま、その桃色暴動は静かに佇んでいた。
(こ、こいつ…!)
よしおは確かに、目の前の桃色暴動の目の中に、ダイヤモンドのように固い決意をもつ「気高さ」が見えた…ような気がするのだ!
その目を見た瞬間、先程の突然の不意打ちに対する怒りなど消えてしまった。
コイツとサシで戦ってみたい。
そんな少年ジャンプ的な感情が、アニメによって毒されているよしおの心を支配したのだ。
(多対一の状況になることを恐れず飛び込んでくるとは…。お前のその勇気…、敬意を表するッ!)
自身の愛用武器、マチェットナイフを取り出す。
油断はしない―!こいつは決して『雑魚』とは呼べない!
こいつには、やるといったらやる……『スゴ味』があるッ!
決闘条件は勿論、一対一!デッドオアアライブ!
無粋な第三者の介入などあってはならないのだ。
研ぎ澄まされた感覚により、他の桃色暴動達や探索部メンバーの姿など映らない。
目に入るのはお互い、相手の姿のみ。
よしおは、どこか世界に自分と、この気高き桃色暴動しか存在しないような、そんな奇妙な感覚に囚われていた。
(わかる…!こいつの存在はもっと自分を高みへと誘ってくれる…!)
言葉も通じず、種族も違う。
しかしながら、奇しくも二人の思った事は全く同じ事であった。
誰にも邪魔されない、彼らだけの聖地がそこにはあったのだ。
桃色暴動のつま先に力が入ったのをよしおの研ぎ澄まされた感覚は感じ取る。
(来る…!)
きっと奴が放ってくるのは、あの愚直なまでに磨き上げられた伝家の宝刀――!
凄まじい威力だった。
先程のダメージが抜けていない。
機動力を見込めない以上、先手を取ろうとするのは愚策!
ならば、後の先―!
敢えて、ローキックを受ける!
そして、自分の最高の一撃を出すのだ!
肉を切らせて骨を断つ―!
痛みを伴う構造改革―!
「うおぉぉぉぉッ!」
口腔から自然と雄叫びが漏れる。
数瞬の後には、決着がついてしまっているだろう。
このまま戦い続けていたい…。
よしおは、決着がついてしまうことに何処か寂しさを感じていた。
「何やってんだよ」
第三者、ヨシムラ係長によって振り下ろされた剣によって、必殺技発動直前の気高き桃色暴動の首はポーンと飛んでいき、決着はついた。
『な、何をするだァーッ!』
思わず日本語で抗議するよしお。
一対一の神聖な決闘を邪魔されたよしおの怒りは有頂天になった。この怒りはしばらくおさまる事を知らない。
「あぁ?何遊んでんだよ。仕事しろよ」
(あれっ?怖い)
これまで癒しを感じさせていたブルドッグの顔が、一気に般若の様相に変わった。
あまりの変貌振りにライバルを殺されたよしおの怒りは何処かへ飛んで行ってしまった。
上司に逆らえないというのはどこの会社でも同じのようである。
周囲の桃色暴動は既に逃げ出した後の様だった。
(あの桃色暴動の一撃…重かったな…)
未だに痛む左脹脛を擦る。
そして、跳ね飛ばされたあの桃色暴動の頭に目を向けた。
顔はよしおのいる方向と反対を向いているため、その表情を伺う事は出来ないが、さぞや無念な顔をしているのだろう。
好敵手の無残な姿に、やりきれない思いを抱きながらも、やっぱりこの世界は甘くは無い事を再び強く実感したよしお。
「桃色暴動は臆病者よ。討たれた仲間の仇を取ることもなく、こうして一目散に逃げ出してしまうわ」
跳ね飛ばされた桃色暴動の頭に目を向けているよしおにドミニクが声をかける。
「アイツらから見た人間がどうかは分からないけれど、アタシ達から見た桃色暴動という種族は醜いわ。内面も外面もね」
よしおだって、桃色暴動という人間に敵対的な種族に対して、友愛精神など持ち合わせてはいない。
それでも、戦闘が終わり、冷静になった今でもよしおはあの桃色暴動に対してだけは敬意を感じている。
こんなことを思うのは我が儘なのかもしれないが、ドミニクの言葉があの勇敢な好敵手を他の桃色暴動と一緒にしている様で、よしおは少し不快感を感じた。
しかし、それを口に出しては言わない。よしおの性格はそんな熱いタイプではないのだ。
「それでもアタシは彼だけは評価するわ。彼の目を見て分かった。勇気を持つ者特有の美しさが彼にはあった…」
ドミニクのその言葉で、よしおは彼に対する評価を少しだけ改める。
種族としては評価に差別はあるのかもしれないが、少なくとも個人として見た時、彼はその人物を正しく評価するのだろう。
外見的に言えば、ドミニクも十分アレなのだが、もしかしたら少しは信頼できる人間なのかもしれないとよしおは思う。
そして、その予感は正しく、この時のよしおは知る由もないが、このオカマ豚こそが、よしおにとってのただ一人の生涯の師となる人物であり、彼から様々な事を学ぶ事となるのである。
“ブーヘンヴァルトの峰不二子(自称)”ことドミニク・ニーデルマイヤーと“桃色回路”、よしお。
二人が初めて邂逅した一日はまだ始まったばかりである。
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あとがき
更新の件正直スマンかったです('A`)
忙しかったのと引越しとかあったので暫く執筆に手をつけて無かった。
次はもうちょっと早く更新したいなァ…
第2章の話しの大筋は出来ているのですが、そこまでどうやって進めるかという細かい部分が全く白紙の状態で、超難産でした。
今回の話では思いつきで少年誌でよくあるアレをやりたかった。
ライバルの出現→互いに戦い、傷つけ合い、そして強くなっていく主人公とライバル→第三者(ラスボス)の卑怯な手にかかり、ライバルが死亡→ 穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた、伝説のスーパー野菜人だ!
それを一話で無理矢理ライバル作って、纏めるのは正直無理があったぜ…
ところで、豚野郎は重要人物ですが、当然ヒロインじゃないです。
それと、魔導に関しては深く突っ込まんでください。
この話では魔導は殆ど活躍しないんで適当です('A`)
次回、第一回探索部迷宮探索 後編!