「またこの男…」
医療室の主、ロゼット・リュドヴィッグは医療室に筋肉質な猪頭によって運ばれてきた黒髪の男を見て、顔を歪めていた。
ふわふわの金髪に隠されているが、彼女のこめかみには静脈が浮き出て、少年誌の不良漫画の如く、ピキピキと音が聞こえてきそうである。
猪頭はいつもの優しげな表情から般若の形相へと変化するのを見て、そそくさと医療室を後にした。
仕事が一段落し、休憩に入ろうとした途端にまたしても運び込まれてきたこの男。
軽く診察をしてみたのだが、やはり外傷は見当たらなかった。
怪我をしているのなら兎も角、診断結果はただ単に寝ているだけ。
猪頭によると、この男は前回と同様に迷宮内入り口で寝ていたとの事だ。
(一体何なのだろうか、この男は。寝るなら自分のベッドで寝ろよ。何故、そんな所で寝る。アレか、わたしに対する嫌がらせか)
ロゼットは金にならない商売が嫌いである。
“人は、金を払って初めて客になれる”を自論として持つ彼女は、その通り、客となった人間に対しては礼儀正しいが、それ以外の人間に対しては厳しい。
しかし、彼女の持つ医療技術は並大抵のものではない。
彼女自身、自分の持つ医療テクニックは追随を許さないと自負しているが、確かにそれは事実であり、多くの者が彼女に命を救われてきた。
そんな彼女が治療費も払わず、ただ自分の城とも言える医療室にあるベッドで前回と同じ様にグウグウと眠り続ける男に対して苛立ちを感じないというのはやはり無理なことであった。
怪我をしているのであれば治療して、後から無理矢理にでも治療費を徴収すれば良いが、怪我も無く、単に寝ているだけというのがまた厄介だ。
追い出したい所であるが、一応は患者という扱いをせねばならない。
暫く椅子に座って、イライラしながら、紅茶を啜っていたのだが、彼女の脳裏に天啓が閃く。
逆に考えるのだ。
彼は単に医療室に眠りに来たのでは決してない。
「限界まで血を抜いてくれ…これで多くの人が助かるのなら…」と殊勝な彼は少しでも多くの患者を救うため、献血にやってきたのだ、と。
輸血パックというものは実は中々高いのだ。1つ5000マネーくらいはする。
ここで彼から限界まで採血しておけば、少しは予算が浮く。余った予算は自己投資に費やすことで還元される。
(1L…いや、1.5Lまで行けるかしら…?)
ベッドには相も変わらずに眠り続ける男。
ロゼットはその男を一瞥して、どれだけ血を抜けるか冷静に分析しようとする。
しかし、時折、男の口から出る意味不明の寝言のようなものが、更に癇に障らせ、彼女の判断に確証バイアスをかける。
(行ける…!)
無根拠の判断と共にロゼットは早速行動を起こす。
急ぎ、献血器具を準備しなくてはならない。
奴が起きる前に全工程を終了させなくてはならないのだ。
たしか、献血器具は倉庫で埃を被っていたはずである。
重要なのは衛生面ではない。スピードなのだ。
ドタバタと忙しなく動き始めるロゼット。
そんな彼女の思惑とは別に、ベッドに横たわる男は今、目覚めようとしていた。
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■Game Over■
■ホームポイントへ帰還しますか? Yes/No■
→Yes
■現在位置は ブーヘンヴァルト強制収容所 医療室 C-5 です。■
■Try again your stimulative life.■
よしおが目を覚ましたのはロゼットが必要な器具を倉庫に取りに医療室を出ていった暫く後である。
「ぅんん…?」
起き上がって辺りを見回すとどこかで見た事のあるような部屋である。
近くの窓のブラインドに指を掛け、外の光景を確認してみたが、隙間から覗く光景は地上の広場の石碑であり、外はすっかり薄暗かった。
(地上…?)
確か自分は虎次郎に背負われて、拠点に向けて帰還中だったはずである。
見覚えのある部屋だと思ったが、どうやらここは医療室のようだ。
虎次郎がここまで送ってきてくれたのだろうか。
ポリポリと“左腕”で頭を?くよしお。
とりあえず、誰か呼んだ方がいいのかなー、とぼんやりと考えていたよしおであったが、
「…えぁ?…アレッ!?」
迷宮探索中に失ったはずの左腕が依然として胴体に付いているのに気がついた。
(え、何?超意味分かんないんだけど…)
左腕には何の違和感もない。それどころかペタペタと身体中を触って確認してみた所、身体には傷の一つも見当たらなかった。
一体どういうことなのか。あの迷宮探索で左腕を千切られた痛みはとても夢であったとは思えないのだが…。
よしおはその時の状況を思い出し、ブルリと震えてしまった。
そのまま震えながら、暫く思案を続けていたよしおだったが、
(え?マジで?夢オチなの?)
そうとでも思わないと辻褄が合わないのである。
小説とか映画とかだと、金返せレベルのあんまりの展開に呆然とするよしお。
しかし、夢オチだというのなら、何故自分は医療室にいるのか?
その理由が全く分からないのだ。まるで今日一日の行動に空白の時間が出来てしまったようだ。
生まれて初めて、リアルキングクリムゾンを喰らったよしおはその場で困惑し続けるのだった。
困惑し続けていたよしおであったが、ガチャリと扉が開いた音がして、よしおは再度ビクリと肩を震わせる。
急いで音のした方向に顔を向けると、視界に映ったのは開いたドアの前に何らかの器具を持って満面の笑顔で立つ美少女。
どこかで見覚えがある。というか、以前にもこういうシチュエーションがあった気がする。
思い出した。以前、プランAをギッタギタに破綻させたあの少女だ。
そのまま、しばし、見つめ合う両者。
よしおの優れた脳内コンピューターはこの状況にすぐさま解答を出す。
コレはあれだ。恋の駆け引きに違いない。視線と視線がぶつかった時、二人のドラマが始まるのだ。
恋の駆け引きは一瞬の油断が命取り。迂闊な真似はできない。
まずは相手の出方を探るのだ。そして、適切な受け答えと共に素敵な言霊を彼女に投げかけ、二人のドラマを次のステップへと紡ぐのだ。
その為には“待つ”…!それが今の自分の取るべき行動…ッ!
「…空気を読むって言葉、知ってる?」
待ちに徹したよしおに満面の笑みのままの美少女から投げかけられた言葉はよしおにとって意味不明のものであった。
困ったことに投げかけられた言葉に対する適切な受け答えが思い浮かばない。
拙い。ここはとりあえずドラマで学んだ素敵な口説き文句をこちらから投げかけて、彼女の様子を見るのだ。
「神様は君が天国から逃げてきたって事、知ってるのかな?」
口説き文句は何処か80年代の素敵な香りがした。
しかし、その言葉をトリガーとしたのか、目前の美少女の表情がみるみるうちに般若の形相へと変わる。
どうやら、掛けるべき言葉を間違えたようだ。女心は全く分からないものである。
「よしわかったお前喧嘩売ってるのね」
(えっ…何この人…何で怒ってんの…)
般若と化した少女の低く深めて呻るような声での怒声を聞いて、よしおはビビる。
般若は手に持った何かの器具を勢いよく自分の足元に投げ捨てた。
ガシャンとした音によしおは、床に落叩きつけられた器具に目を向ける。
何かを固定するためのベルトと透明アクリルの長い管のようなものがそこにはあった。
(え…?これって…まさか!?)
その時、よしおに電流走る―――!
夢オチ、記憶に存在しない空白の時間、美少女に擬態する般若、固定ベルトや透明アクリル管等の怪しい器具。
これら全てのピースが一つの可能性を指し示している!
即ち、ここで行われていたのは改造人間手術――!
よしおはここで何らかの改造手術を受けていた可能性がある――!
空白の時間…!それは記憶を操作された証!周到にも迷宮探索に潜っていたという偽の記憶まで植え込まれている―!
美少女に擬態する般若――言うまでもない!こいつは女幹部!記憶操作が完璧でないまま、目覚めた自分を見て、本性を現し、自分を消そうというのだ!
固定ベルトと透明アクリル管等の謎の器具…!これから更に何らかの改造手術をよしおに行うつもりだったのか!
この事が事実だとすると、このブラック企業は社員を知らぬ間に改造人間にしてしまうシステムを併せ持っている!
(馬鹿な…!そんな事があり得ると言うのか…!?)
現実社会であれば一笑に付す仮説も異世界のブラック企業であれば別――!
あり得ないという事こそがあり得ない!
(なんと卑劣な…!)
よしおの中の熱き正義感が燃え上がるのを感じる。
よしおは目の前の般若を睨みつけた。
「あ"?」
しかし、逆によしおのものとは比較にならないほどの般若の睥睨を貰ってしまった。
(あっ…ヤダ、怖い…)
燃え上がる熱き正義感はあっという間に鎮火して、よしおは目を逸らした。
改造人間説が実際に正しいのかは今現在判断がつかない。
しかし、悪の組織の女幹部かどうかに関係なく、この女自体が危険だということは間違いない。
このままここにいたら餌食になる!可及的速やかに脱出せなばならない!
医療室のドアの前には女幹部(仮)が立ち塞がっており、前方からの脱出は不可能――ならば!
「あっ…!待ちなさい!」
よしおはその場を振り返って、急いで窓に走り寄り、脱出を図る。
流れるような手付きで窓のロックを外し、窓を開放する。
窓から流れ込む新鮮な風が、「自由はこの先にある」と導いているようによしおは感じていた。
「待ちッ…待てやオラァッ!!」
(うわっ…!怖っ!何なのあの人…!)
マジやべぇ。
あんなのに捕まってしまえばどうなるか分からない。
窓枠を乗り越え、広場に降り立ったよしおはそのまま全力疾走を行う。
社員殺しに追われていた時と同じ位のスピードで広場を走り去ったよしおの姿は米粒のように小さくなっていき、すぐに見えなくなった。
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■現在位置は ブーヘンヴァルト強制収容所 自室 (K-9)です。■
どうにか女幹部から逃れられたよしおは寮の自室に戻り、もう一度考えを巡らせていた。
もう一度今日の出来事を整理するため、適当な紙に記憶にある今日のスケジュールを書き出してみる。
[よしおスケジュール]
①AM8:45 迷宮入り口前に集合。
②AM9:00 出発
③PM1:00頃 拠点到着
④PM4:00 拠点出発
⑤PM4:45頃 戦闘勃発
⑥PM5:00~PM6:00の間 左腕を失う
⑦PM?:??-PM7:45頃 キングクリムゾン(空白時間)
⑧PM7:45頃 女幹部との邂逅
①~⑤までの時間について、よしおには今日迷宮探索を行い、左腕を失ったという記憶がある。
しかし、その失ったはずの左腕が、現に今もこうして存在している。
この事から思い浮かぶ要因を、書き出してみる。
A:左腕を失ったのは事実。その後、虎次郎達によって運ばれた自分は、女幹部による改造手術を受け、左腕を取り戻した。
これについては致命的な矛盾が一つある。
よしおが左腕を失ったのは、PM5:00~PM6:00くらいの間だと思われる。
そして、気を失った自分が次に目覚めたのは地上の医療室、この時の時刻、その日のPM7:45。
つまり、極短い時間で、迷宮内から地上へ帰還し、かつ改造手術を受けているという矛盾。
流石に、不可能である筈だ。
よしおはA案に線を引く。
A:左腕を失ったのは事実。その後、虎次郎達によって運ばれた自分は、女幹部による改造手術を受け、左腕を取り戻した。
続いて、B案。
B:①~⑤までの記憶は、女幹部によって植え付けられた偽の記憶。⑦と⑧のみが真であり、この⑦の時間になんらかの処理(改造人間手術?)が自分に行われた。
一笑に付したい所だが、あり得ないと思えないことが恐ろしい。
脳内に植え付けられた偽の記憶という物がその可能性を否定させないのだ。
他人の脳に偽の記憶を植え付けるという非人道的かつ得体の知れない科学力。改造手術が行われたはずがないと誰が否定できようか。
よしおは恐ろしくなった。
ライダーなら兎も角、ショッカーになるのはよしおは嫌なのだ。
いや、というか改造手術を受けていたとすると出勤状況とかどうなっているのだろうか。
改造手術されてたんで、出勤できませんでしたー、なんて事になるとヤバイのではないだろうか。
(あれ?もしかして俺詰んでない…?)
もし出勤してませんなんてことになるとよしおは無断欠勤3日目で、処刑なのだ。
しかし、今現在、特に総務の動きがない。不気味だ。アレだ。学校とかであった公欠扱いみたいな感じになってるんだろうか。
そうだ。きっとそうだ。そうに違いないのだ。
よしおは涙目になった。
しかし、この仮定が真だとするなら、一体何処からが偽の記憶なのだろうか…。
これは同僚達に聞いて、確認を行わなければならないだろう。
そうと決まれば、早速同僚達を探しに行かなくてはならない。
早速、腰を上げようとしたが…
(そういえば…)
ある過去に起きた事件について思い出したよしおは再びベッドに腰を落とす。
過去に起きた事件とは社員殺しと遭遇したあの事件のことだ。
あの時、自分は社員殺しに殺されたはずなのだが、何故か次に気がついた時、医療室だった。
これは、今回の事について何らかの関係性があるのではないだろうか。
思考を巡らせていたよしおであったが、一つの考えがよしおの脳裏に過ぎる。
(……)
よしおは急いで脳裏に浮かんだ考えをなんとなく紙に書き連ねてみる。
(…これはひどい)
自分で思いついたことながら、流石にこれはないだろうとよしおはC案に取り消し線を引いた。
C:自分自身には何らかの神秘のパワーがある。社員殺しに遭遇した時もその神秘のパワーで地上に脱出した。今日の出来事もその神秘のパワーによるご都合主義によるもの。
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■現在位置は ブーヘンヴァルト強制収容所 社員寮 (J-7)です。■
(…おらん)
知り合いを探そうと彼方此方動き回ったよしおであったが、誰一人見つける事は出来なかった。
どういうことだろう。どこかで会議でもしているのだろうか?
仕方がないのでよしおは自室に戻る事にした。
ルームメイトである虎次郎なら、部屋で待っていればその内戻ってくるだろう。
彼に今日の出来事について聞けばいい。
しかし、夜遅くまで待っていたよしおも眠気を堪えきれずウトウトし始め、その内ベッドの上で意識を手放してしまった。
■現在位置は ブーヘンヴァルト強制収容所 自室 (K-9)です。■
■Good morning, Yoshio!■
翌日AM6:30。
(……)
寝ぼけ眼のよしおは隣にある虎次郎のベッドを眺める。
結局、虎次郎は朝になっても戻ってこなかったようだ。
(大丈夫なのか…アイツ…)
迷宮内で死んじゃったりしてないよな、と心配になるよしお。
とりあえず同僚達の誰かに会って、昨日の事だけでなく、虎次郎の事についても聞いてみようと思うよしおであった。
■現在位置は ブーヘンヴァルト強制収容所 社員寮 (J-8)です。■
何故か寮の同僚達の部屋には誰一人いなかった。
どうもおかしい。ここまで誰にも会えないというのは変である。
(腹減ったなぁ…)
朝早くから動き回った事と昨日晩飯を食べてなかったので、腹の虫が鳴るのを抑えられない。
食堂に行ってメシ食うかー、と食堂へ足を向けようとしたが、
(あっ…!)
不意に今の状況に対しての一つの考えが思い浮かぶ。
同僚達が誰もいないとなると今日はもしかして自分一人で迷宮に潜らなければならないのではないだろうか。
このブラック企業の事だ。あり得る。
いや、あり得るどころか多分そう、絶対潜らないとダメ。
(マジで…?その死亡フラグは流石に折れないんじゃ…?)
自身の脳裏に過ぎった考えに背筋が凍るよしお。
迷宮に潜れば死、サボれば死。前門の虎、後門の狼とはまさにこのことである。
(ああぁ…!どうすんのよ!)
頭を抱え、その場をキョロキョロと見回し、不審な動きをするよしお。
もう一度、同僚達を探してみようと、焦りながらよしおはその場を急いで後にした。
■現在位置は ブーヘンヴァルト強制収容所 食堂(K-3) です。■
「フフ、フフフ、ウフフ、フヒッ…」
最後の晩餐。
キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いたものだ。
情景こそ、その絵画のものとは似ても似つかないが、よしおの今の状況はまさにそのタイトル通りのものである。
よしおは食堂へ足を踏み入れて、食事を取っていた。その顔には狂気の笑みが張り付いている。
(朝から焼肉定食を頼んでやった!ざまあみろ!)
何に対して、ざまあみろと嘲っているのか分からないが、食堂には自分の少ない所持金を省みず、朝からモリモリ焼肉定食を食う自暴自棄状態のよしお。
結局、同僚達は誰一人見つからず、よしおは焦りに焦って悪い意味でハイになっていた。
このまま一人で迷宮探索に向かわなくてはならない。
そんなどうあがいても絶望な状況によしおは、むしゃくしゃしてついカッとなって焼肉定食を頼んでいた。
いっちゃった目をして、物凄い速さで焼肉定食を食い漁る。
そんなよしおを不気味に思ってか、周囲の社員達はよしおの傍を離れてヒソヒソ話をしていた。
(まだだ…!まだ終わらんよ…!)
焼肉定食を食い終わったよしおは狂った笑みのまま食券販売機に向かう。
食券販売機に自分の持つ最後の1000マネー札を飲み込ませ、焼肉定食のボタンを連打する。
そして、血走った目をしながら、カウンターに焼肉定食の食券を叩きつけるよしお。
食堂のおばちゃんはガチでドン引きしていた。
この自暴自棄になった愚挙により、よしおは貯蓄していた所持金のほぼ全てを一食に費すこととなった。
■現在の所持金は、132マネーです。■
焼肉定食二膳目も物凄い勢いで消費するよしお。
よしおの精神状態が正常に戻ったのは、自分の名を呼ばれた事による。
「桃色回路!!」
「は?え?うええっ!?桃色回路いるし!?」
ヤバげな目をしたまま、声のした方向を向いたよしおだったが、名を呼んだ人物が目に入ると、その眼から狂気の色はあっという間に消え去っていった。
(おぉ、おぉぉ…と、友よ…!)
よしおの二つ名を呼んだのは、昨日から姿を見せていなかった同僚達であった。
どうやら助かった。これでどうにか一人で迷宮へ潜らなければならない事も回避できた。
よしおには目の前の同僚達が救世主のように見えていた。
「ちょ!?なんでお前がここにいるんだよ!?」
「やっぱり妖精…!初めてリアルで妖精を見た…!」
「てか、なんで無傷なんスか!腕どうしたんスか!あっ…!もしかして生えてきたとか!?やっぱり桃色回路さんは一味違うッ!」
急いでよしおの元に駆け寄ってきた同僚達は、何か興奮冷めやらぬ様子で矢継ぎ早によしおに質問する。
その尋常でない同僚達の様子に、よしおも状況が理解できない。
(何でここにいるかって…メシ食ってたんだけど…)
とりあえずよしおは一番最初のユーマの質問の解答として、食事をしているという意味を込めて、焼肉定食を指差してみるのだが、
「そうじゃねぇよ!迷宮からの帰還中にいきなり消えちまったって聞いたぞ!」
(へぇあ?)
よしおは口をポカンと開けて訳がわからないといった顔をする。
迷宮の帰還中にいきなり消えたとは何だ?何を言っているのだ?
というか、昨日迷宮に潜ったのは、偽の記憶だったのではないのか?
昨日の出来事が現実だったとするなら改造人間説は破綻してしまうのだが…。
(どういうことなの…)
頼りにしていたはずの同僚達の証言は、事件をより、混迷させるものであった。
迷宮内で起きた事件なだけに、迷宮入りだとでもいうのか。
「うぅ…、桃色回路が、ぶ、無事で良かったよ…」
涙に濡れた目元を拭いながら、安心したのか藤吉郎がそう口からこぼした。
それに追随して、同僚達も目に涙を浮かべ、よしおの無事を喜んだ。
当のよしお本人は、いきなり涙を浮かべた同僚達を見てどうしたらいいかわからずオロオロするのだった。
「それで、どういうことなんだ」
いち早く落ち着いた九郎が腕を組み、よしおに昨日の出来事について詳しく聞こうとするが…
「お"お"お"ーーーーんッ!桃色回路さん"ん"ーーッ!!」
食堂内に歓喜の叫びが木霊し、一同は思わずそちらを振り向く。
そこには涙を滝のように流しながら、食堂の入り口に立つ虎次郎の姿があった。
「あお"っ!あお"お"お"ーーーーんッ!!」
泣きながらこちらに向けて突進してくる虎次郎。
食堂内の床にボルトで固定されているはずのテーブルをまるで発泡スチロールかのように破壊しながら、一直線によしおへと迫る筋肉戦車。
「へアぁッ!?」
いきなり突っ込んでくる虎次郎にビビったよしおだったが、このままでは激突は必死である。
急いで回避行動を取り、筋肉戦車の進路上から逃れようとするよしお。
しかし、筋肉戦車はあたかもよしおをロックオンした追尾ミサイルの如く、進路を変え、
「え"おふッ!?」
見事よしおに命中し、よしおにダメージを与える。
しかし、それだけでなく、
「あ"お"ぉ"ぉ"お"お"ぉッ!?」
虎次郎は両の豪腕でよしおをがっちりとホールドし、よしおを胸に埋め、ギリギリと締め付けた。
(ダメぇッ…!出る…!焼肉定食出ちゃう…ッ!)
折角食べた焼肉定食が胃からせり上がってきそうになる。
しかし、そんなことを気にする余裕もないのか、虎次郎は涙を流しながら更に締め付ける。
「おいッ、虎次郎!止まれッ!このッ、聞けよ!」
同僚達の制止の声も聞こえないのか、涙を流しながら、よしおを締め続ける虎次郎。
なんとか吐き出すまいとしていたよしおもあまりの圧力にそのまま意識を失ってしまうのだった。
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■現在位置は ブーヘンヴァルト強制収容所 自室 (K-9)です。■
■You should not get nothing but sleep. Take the moderate exercise, and keep healthy life in mind.■
ひぎぃ!という叫びと共によしおは飛び起きた。
嫌な夢を見たのだ。
虎次郎が「筋肉の海で溺れろ!」という決め台詞と共に自分に開脚屈伸式ダイビングボディプレスを叩きつけるものだった。
「うおっ!?」
「うわっ!どうしたのさ、桃色回路!」
部屋の中にはいきなり飛び起きたよしおに驚く藤吉郎とユーマの姿があった。
(え?あれ?)
辺りを見渡すと、どうも自分の部屋のようだ。何故、自分の部屋に藤吉郎とユーマがいるのだろうか。
何が何だか分かっていなさそうなよしおに藤吉郎が答える。
「虎次郎君に気絶させられた桃色回路を僕達が運んだんだよ」
「あの筋肉馬鹿は今説教中だ」
なるほど、と納得したよしおだったが、ふと自室の壁に掛けられている時計を見て、血の気が引いた。
時計の針は10時40分を示していた。完璧に遅刻である。
ただでさえ無断欠勤を2日行っているというのに、これまた遅刻となると凄くヤバイことになるのではないか
恐慌状態になったよしおは時計を指差して、藤吉郎とユーマに遅刻しているということを伝える。
「…? どうしたんだよ、桃色回路」
「…時計がどうかしたの?」
よしおの挙動不審な様子を見て、考え込む二人。
「もしかして、遅刻してるって言いたいのか?」
ユーマの的を得た発言に、よしおは大きく首を縦に振る。
「…今日は休みだよ。明日“忘れられた地獄”が来るらしいからね」
それを聞いたよしおはピタリと動きを止め、首をゆっくりと回し、藤吉郎の顔を見る。
よしおの、え、なにそれ、俺知らんよ、そんなの、という表情を見て、藤吉郎は苦笑して答えた。
「心配しなくても、休日の申請は九郎がもうしてくれてるはずだよ」
「掲示板に“忘れられた地獄”の発生予測日書いてあっただろ…って、そうか、お前字が読めないんだったな」
「それに僕達は一日中迷宮に潜っていたからね。総務に申請すれば、残業した分だけ始業開始時間を遅らせることもできるよ」
どうやら、一人で迷宮に潜らなければならないのでは、とあれこれ心配したのは取り越し苦労だったようだ。
よしおはそのまま力が抜けたかのようにベッドの上に腰掛けた。
しかし、払った犠牲は大きい。その取り越し苦労のお陰で、焼肉定食二食分の金銭を失ってしまったのだ。
よしおは顔を両手で覆い、「フヒッ、フヒヒッ」と引き攣った笑い声を上げながら酷く後悔した。
そんな様子のよしおを見て、ユーマと藤吉郎の二人はやっぱり何処か後遺症があるのかとちょっと引きながらもよしおを心配するのであった。
こうして無事、同僚達と再会することができたのだが、実は更なる問題が発生していた。
以前に少し述べた事があったかと思うが、社員証にはマイクロチップが埋め込まれており、迷宮内入り口と拠点入り口に設置された無線通信機によって、社員一人一人の出勤状況は総務に完全に把握されている。
酷い怪我を負って、瀕死の状態であったのに何故か深階層から一瞬で地上に帰還したよしお。
つまり、よしおは迷宮入り口を通らず帰還したので、そこに設置されている無線通信機に、“帰還した”という報告データが送られておらず、現在も迷宮に潜ったまま、という記録がされているのである。
このことが、総務によしおという社員が訝しい存在であると認識させる結果となるのだが、今のよしおはその事を知る由もなかったのだ。
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あとがき
更新遅れて申し訳ないデス。
もうちょっと執筆スピード早くできたらいいんですがね('A`)
長くなったので二分割してます。
14話の方も9割は完成してるので、推敲と少し加筆したらすぐ更新できると思います。
多分今日のうちか明日くらい。
第九話でもちょっとでてきてましたけど、今回の話で出てきたロゼットさんはヒロインじゃないです。
ヒロインの友人というポヂション。
13話になってもまだヒロインでないんだぜ…!