(………)御厨は、沈んでいた
「………」ついでにそのコックピットで、何故かダリアも沈んでいた
ずーん、何てふざけた擬音がお似合いの空気。決して何時もの御厨が望む物ではなく、またダリアが好む物でもない
基本的に、「重い空気」なんて物は、好む人間が居ない厄介な物だ
それでも人間、しかも悩み多き年頃。苦難に頭を抱える事態になど陥りたくなくとも、結局苦難に頭を抱えて、おまけに悶絶してしまう様な事態に陥ってしまう事がある
二人は今正にそんな状況だった。実際は、余り大した事では無いのかも知れない。今の事態よりも辛い事は、幾らでも在ったのだから
だがしかし一機と一人は、期せずして、同時に溜息を吐いた
(……はぁ……) 「………ふぅ………」
引き摺られていったダリアが戻ってきたのは、草木も眠る丑三つ時。この世界に丑三つ時の概念など無かろうが、取り合えずはそんな時間帯である
流石にそんな時間ともなれば、工兵達だって部屋に戻り、休息を取っていた。例外は、今も御厨の肩に取り付いて作業を続ける、レイニーぐらいか
御厨は、モニターに突っ伏して調整作業を続ける“ふり”をするダリアに、腰部装甲を指で弾いて注意を促した
(ボーっとしてるなよ、ダリア)
「………うむむ…」
ダリアは一度背筋を伸ばし、似合いもしない黄色いバンダナを巻き直す。真面目にやるのかと思いきや、ぐて、とシートに凭れると、大きな溜息を吐く
外では、レイニーが大欠伸をしながらその溜息の音を聞いていた。レイニーは御厨の肩関節に突っ込んでいた手を引っ張り出すと、汚れた手が顔に煤を付けるのも構わず、頬を掻いた。やれやれと言った風情である
レイニーは軽い身のこなしでコックピットまで降りると、中のダリアを覗き込んだ
「それで…? 溜息ばっかり吐いちゃって、何言われたの。この頼りになる整備専任技官様に言ってみなさい」
「うえ、…ミンツ技官がそんな風に親切だと、何か企んでるように見えるね」
レイニーは、フンと一度鼻を鳴らし
「………………………………ふと考えたんだけど、私、アンタを打っ叩くわ」
「ご、ごめん。冗談だから」
とても洒落では済まないような、凄絶な気迫で言った
何時もならば、硬い拳骨で受けて立つであろうダリアは、今はそんな元気が無い。まるで大人しい
引き攣った笑いを浮かべながら身構えるダリアの様子を見て、御厨はかんらかんらと笑う。笑う、しかなかった
(ははは、……これはどうやら、面倒事かね)
御厨は、自分の事を棚に上げて独り語ちる
しかし、今は無くした鳩尾、丹田に、あの訳の解らない青年の笑顔が、訳の解らない光を放って、沈み込んでいる気がした
ロボットになった男
「……へぇ、詰まりが、直下隊に引き抜かれたって事ね。良かったじゃない。“テスライ・ハウゼン”の御指名なら、少尉の安月給とは比べ物にならない位の収入が見込めるわよ」
「ぐぅぅ、人の気も知らないで気楽に言う…」
ダリアの話は…まぁ一言で言ってしまえば、とても簡潔ではなかった
今日の運勢から始まり、水槽の観賞魚類の話題に回り道し、最後に食堂の不味い日替わりメニューへと至ってから漸く結論を得た
普段では在り得ない事だ。御厨は、ダリアの事をとても頭の良い人間だと思っている。結論に遠のく話し方など、普段では絶対にしないのがダリアの素直さだ
何時ものキレも快活さも無いまま、ダリアが伝えた事の重要性
御厨にはその重さがよく理解出来ないまま、数多の疑問符を浮かべていた
(…テスライ・ハウゼン司令官…だと? あんな男が? あんな訳の解らない、若造が?)
御厨は思い浮かべる。自分の肩に現れ、思うまま好き勝手を行い、訳も解らず去っていった、疲れ果てた感のある灰色の青年を
ダリアの難解な話を解読する限りでは、窺えた事は然程多くない。ダリアの所属が変わった事と、後少しばかりの恩恵の話だ
ダリアは、正確にはダリアとアンジーは、一時的に出向と言う形を取り、『新しく着任された司令官様の手足となって戦場を駆けずり回る』らしい
詰まる所、最も高位の指揮権を持つ者から、最も直接的に指示を仰せ付かる訳だ
少なくとも、栄誉ある事なのだろう。それくらいは予想がつく。ダリアの顔色が優れない訳も、それなりに理解できる
彼女は、基本的に過度の期待を受ける事が苦手のようだから
その話を抜きにしても、各部隊の編成が大幅に変更されたと言う話を、御厨はダリアから聞いていた
新しい司令官様は革新的な御方でいらっしゃる。御厨はそう野次ると同時に、訳の解らない者の命令に従わなければならない事実へ、少なからず抵抗を覚えていた
「でも…気をつけなさい。テスライと言えば、私みたいな下っ端技官にまで噂が伝わってくる大物だから。…主に黒い噂ばっかり、ね」
「…? あぁ、よく聞くよ。…どこぞの一家三族を本当に皆殺しにしたとか、えぇと…三年前の旧ベネット基地の爆発は、テスライ・ハウゼンが裏で糸を引いていたとか、…後は、……その正体は既に七十歳を越えた改造人間、とか?」
御厨は、コックピットの中でダリアが呟いた言葉に、噴出した。勿論胸中で
そしてすぐさま、先程の思考を打ち払う。訳の解らない、何て語彙では役不足。これは正に、理解不能、だ。まともな人間に付く噂にしては、度を越している。特に最後の奴が
(………はあ? つまり………新しい司令官殿は、大量殺人犯で爆弾魔で改造人間だと、そう言いたいのか? 益々胡散臭い。特に最後のなんて、酒飲みの笑い話としか思えないぞ)
笑い飛ばした。それこそ、抱え込んでいる悶々とした暗気もろとも、笑い飛ばそうとした
だけど、御厨には出来なかった。レイニーが口を開いたからだ。獅子の口から零れ出た言質は、御厨を唖然とさせて有り余った
「……笑い話じゃないわ。最後のは、まじりっけ無しの真実よ。……テスライ・ハウゼンは今年七十六歳。外科整形その他諸々の医学の粋がつぎ込まれた、本当の改造人間」
(ま、マジの話だったのかー?!)
その時、まるで狙ったかのように――事実、狙ったのであろう――格納庫に響き渡るアナウンス
その声は聞くだけで身の毛もよだつ、あの青年、テスライ・ハウゼンの声だった
『面白い話だったな、ミンツ技官。……だが上官侮辱罪だ。軽度減俸二ヶ月』
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『……それで、通信が開かれていたのにも気付かず、私の噂をしていたと言う訳か? 間抜けすぎるな、リコイラン少尉。以後改めろ』
閉じられたコックピット前面に大映しとなっているウィンドウ。その向こうで、慌しくも涼しい顔をしながら、新司令官殿は尊大に言った
今は夜も夜。暗闇の時間だが、そんな事は多忙な司令官には関係無いらしい。執務室であろう部屋のライトを明々と灯し、書類雑務を執り行っている。ん、と御厨は首を傾げた
今ウィンドウの端に映った、ダリアと同じ黄色いバンダナの巻かれた頭は、…アンジーか?
『ジャコフ少尉、これも頼む。MH配置関連の事だ。君にも馴染みが深かろう』
司令官テスライは、ニヤリと笑いながら、当該の人物に書類の束を突きつける。ゲッソリとしながらそれを受け取ったのは、御厨の予想通り、アンジーだ
何をやっているのか。ダリアがそう尋ねるのを憚られる程に、その顔色は消耗しきっていた
『か、閣下。僭越ながら再四申し述べさせて頂きますが…じ、自分は今まで書類事務など、一度もやった事が…』
『先程も頼んだぞ、ならばこれで二度目だろう? 出来ん事をやれとは言わんから、精々頑張ってくれ』
激しく違和感を伴う口調で、堅苦しく話すジャコフの文句を、テスライは見るも無残に斬って捨てた。情けも容赦も無いが、おまけに余裕もないらしく、テスライの秘書と思われるブラウンのロングヘアの女性が、「実に忙しい」と体全体で体現しながら足音高く行き来している
ダリアが口を挟める状況では、無いらしかった。テスライは執務を続けながら、それでもダリアから視線を外さないように話した
『浮かない顔だ。そんなに直下隊にされたのがショックだったか? 私の様な人間は、胡散臭くて受け付けんかね』
ダリアは、飛び上がってその言を否定する
「い、いえ! リコイランの家系は良く知りもしない物に、自分の妄想で色を付けたりはしません! ただ…ちょっと、プレッシャーって言うか…その…」
御厨は溜息を吐き出したかった。ダリアの素直さは美徳だが、時と場合にもよる
何でこうも胡散臭さ爆発の男に、唯々諾々と何でもかんでも答えてしまうのか。……否、答えるのが正しいのではあろう。あちら様をどちら様と訪ねれば、司令官様と帰ってくるのだから
しかし、それでも妙に湧いてくる敵愾心。これはもう、何と形容したらいいのかすら解らず、御厨は歯軋りした。勿論胸中で
ダリアの回答を聞いて楽しげに笑うテスライを見ながら、御厨は心が疲れていくのを感じた。せめてレイニーがここに居てくれれば。そうすればレイニーの一筋縄では行かない弁を持って、まだ上手く状況を好転させる事が出来ように
しかしそれも、当のレイニーが顔面蒼白で駆け出してしまっていては、ただの夢想に過ぎなかった
『胸を張りたまえ、この私が選んだんだぞ。謙虚ではあるが、妙に失礼だな、君は』
「で、ですけど、胸を張れって言われたって…」
ダリアは困惑しきった表情で、画面の端っこに映るアンジーに救いを求めた。主に視線で。しかしそれを受けたアンジーは、無常にも「やれやれ」と首を振るばかり
その様子を見咎めたテスライは、溜息を吐いて眉を顰めた
『今はまだ君達二人だけだが、この先参入させる人員の目星は付いている。どいつもこいつも優秀な奴等だ。それと同じ様に、君達二人もな。私は、君達の実績を信頼している』
(…………この男………いや、何と言うか…………)
御厨は、何と無く感心した。テスライの言葉に、だ
実績を信頼するとは、初対面に等しい相手に対する褒め言葉としては、極上の物だ。
人格を問わず、特性を問わず、真っ白な紙の上に、その能力のみを受け入れる準備があると言う事である
不思議とテスライに対して感じていた嫌悪が、ほんの少し、親指と人差し指で摘み上げた砂粒程度だが、薄らいでいた。そんな事よりも、もっと他に見極めなければならない事がある
テスライ・ハウゼンと言う男は、兵士を駒と見るか、人と見るか
実績の信頼、その意味が、人格の否定であるのか、ただ単に要素別の見方であるのか
命を張って従っても構わないような指揮官なのか、今すぐ鉄の巨腕を持って握りつぶすべき邪悪なのか
テスライは、言った
『何を恥じるでもなく、実力を発揮してくれれば良いのだ。戦場も、死に場所も、私が用意する。効率的に戦い、効率的に死んでくれ。それが当面の君とジャコフ少尉の仕事だ』
「…………………………そ、それって………」
アンジーは、目を伏せていた
(…この腐れ外道…!! お前が何者かなんてもう知らんッ!! ダリアに変な真似してみろ、その場で俺が縊り殺してやる…!!)
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『それと……明晩、スパエナ軍の夜襲がある。リガーデン方面軍も間抜けではないから、数を抑える事は出来るだろうが、激戦は必至だろう。用意しておきたまえ』
「は? はぁ?! 何でそんな事…ってえぇ?!」
『皇帝陛下の裏走りどもは中々に優秀でね。恩恵に預かっている』
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うは、改造人間って、もう字面だけで相当胡散臭いですね。
テスライ・ハウゼンと言う男は、口から火を吹いたり空飛べちゃったりするんでしょうな、改造人間ですから。
ついでに百メートルを六秒で走破したり、二十メートル垂直飛びとかしちゃうんでしょうな、改造人間ですから。
三段変形に六神合体とか、感情エネルギーとか光子力エネルギーとかで必殺技とか放っちゃったりしたら最高でしょうな、改造人間ですから。
………………………………冗談ですよ、冗談。